『1年半、カネを垂れ流してしまった』——三井信託の幹部が漏らした言葉が、この判断の性質をよく言い当てている。1990年秋に約600億円だった麻布建物向けの融資は、1年3か月で2,150億円へ膨れた。遅れの理由は麻布の資産価値が読めなかったからではなく、1,200億円の株式売買契約が流れることを恐れて、社長交代も金利の棚上げも打ち出せなかった点にある。個別の株をめぐる相場観が、メーンバンクとしての処理判断を縛ったと推察される。
ただ、遅れだけを責めるのも公平ではない。1991年9月期の上場有価証券含み益1兆3,316億円は信託で最大であり、ファンド・トラストは1989年末から株を売って組み入れ比率をほぼゼロにしていた。業界内には『土地からの逃げ足は早かった』という評価さえあった。それでも2,000億円の償却は2002年3月期の3,301億円の経常損失へ続き、専業信託が単独では立ちにくくなる遠因になったといえる。