千葉銀行 の歴史

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創業 1878年
母体 千葉合同銀行+第九十八銀行+小見川農商銀行
創業地 千葉県千葉市
創業
1878年、千葉県内に第九十八国立銀行が開業した。明治期の県内には74行の地場銀行が並んだが、金融恐慌と政府の統合圧力で1931年までに6行へ集約される。1943年3月31日、一県一行主義に従って千葉合同・小見川農商・第九十八の3行が合併し、千葉銀行が発足した。翌1944年3月には千葉貯蓄銀行を合併し、県内唯一の本店銀行となる。戦後は1948年3月の金融機関再建整備法で90%の減資を受けて資本金が138万円まで圧縮され、同年10月に1億4,000万円へ再増資した。1958年の不正融資事件と1960年代初頭の労働争議で組織への信用を損ない、経営の近代化が課題として残った。
決断
他行を吸収して規模を作る道を取らず、県内の独占を証券と提携で厚くしてきた銀行である。1964年にバンクフラワーの「ひまわり」を定めて不正融資事件の印象を改め、1970年10月には東証二部へ上場し、翌年に一部へ指定替えとなった。1987年のニューヨークを皮切りに香港・ロンドンへ拠点を並べたが、県外の貸出資産を積み増す方向へは向かわなかった。1998年に中央証券を取得し、2011年10月にはちばぎん証券を株式交換で完全子会社化して、銀行が紹介し系列の証券会社が販売する分業を一体化している。TSUBASAアライアンスでは基幹システムと事務を他の地方銀行と共同化し、単独では負えない投資額を分け合う経路を選んだ。
現況
増益を作ったのは県外の新規事業ではなく、県内の預貸金と金利の上昇である。2026年3月期の経常収益は4,450億円、親会社株主に帰属する当期純利益は940億円で、2023年3月期の602億円から3期で1.5倍になった。報告セグメントは銀行業の単一で、収益の大半は千葉県内の預金と貸出から生まれる。2023年6月の仕組み債をめぐる業務改善命令を受けて営業の作り替えを進める一方、東証のPBR改善要請に応じ、政策保有株式を2029年3月末までに連結純資産対比15%未満へ縮減する方針を掲げた。2024年10月にはエッジテクノロジーを子会社化し、法人・自治体向けのAIへ投じている。
競合
県内では取り合う相手がおらず、県外へ出た先で初めて競争が起きる。1943年の3行合併と翌年の千葉貯蓄銀行合併で県内唯一の本店銀行となり、京葉銀行・千葉興業銀行との規模の差は開いたままである。一方、東京都と埼玉県では相手がメガバンクと埼玉県に店舗網を持つりそなグループに変わる。この不足を、千葉銀行は統合ではなく提携で埋めてきた。武蔵野銀行とは千葉・武蔵野アライアンスを、神奈川県内の預金で首位に立つ横浜フィナンシャルグループとは千葉・横浜パートナーシップを結んでいる。提携でシステムと事務の費用だけを分け合う選び方が、県内の店舗網と人員を自前に保ったまま1行あたりの投資額を下げた。
千葉銀行:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー 県内74行から3行合併、戦後混乱と労働争議の再建期 (1878年〜)

県内74行から6行へ、戦時統制下の3行合併

千葉銀行のルーツは1878年11月設立[1]の千葉第九十八国立銀行にある。明治期の千葉県内には1901年のピーク時で74行の銀行が存在し[2]、その多くは現在の千葉銀行の前身となる中小の地場銀行だった。経済変動と昭和初期の金融恐慌、政府の小銀行設立抑制策が重なり、整理統合が1931年までに6行へと進んだ[3]。国立銀行から転換した第九十八銀行、成田銀行から出発して18行を合併した千葉合同銀行、小見川農商銀行、野田商誘銀行、千葉貯蓄銀行、東金銀行の6行体制である[4]。戦時統制下で金融統合圧力が強まるなか、各行は県内金融の基盤として残存しており、次の統合の素地は整いつつあった。

  • 千葉銀行 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1878年11月 千葉第九十八国立銀行設立(千葉銀行の源流)
    • [4]1931年の6行体制は第九十八銀行・千葉合同銀行・小見川農商銀行・野田商誘銀行・千葉貯蓄銀行・東金銀行
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [2]1901年ピーク時に千葉県内の銀行数は74行
    • [3]1931年までに整理統合が進み県内6行体制となった

1943年3月31日、戦時下の一県一行主義に従い、千葉合同銀行・小見川農商銀行・第九十八銀行の3行が合併し、千葉銀行が発足した[5]。資本金1000万円、本店を千葉市に置き、70店舗[6]を擁する県内最大の銀行としての船出である。翌1944年3月に千葉貯蓄銀行を合併し、6月には野田商誘銀行の営業[7]を譲り受け、千葉県内で唯一の本店銀行という地位が定まった。明治期に74行あった県内の銀行群は、戦時統制と国策による統合の結果、半世紀足らずで1行に集約された格好となる。県経済と金融を一手に担う地位が千葉銀行に制度として与えられ、戦後の復興と工業地帯造成、ベッドタウン化に伴う地域開発を担う役割もあわせて託された。明治以来の整理統合の到達点が、戦時統合という外圧で固定された瞬間でもあった。

  • 千葉銀行 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1943年3月31日 千葉合同銀行・小見川農商銀行・第九十八銀行の3行が合併し千葉銀行が発足
    • [6]発足時の資本金1000万円・70店舗、本店は千葉市
    • [7]1944年3月 千葉貯蓄銀行を合併、6月に野田商誘銀行の営業を継承
  • 千葉銀行 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1878年11月 千葉第九十八国立銀行設立(千葉銀行の源流)
    • [4]1931年の6行体制は第九十八銀行・千葉合同銀行・小見川農商銀行・野田商誘銀行・千葉貯蓄銀行・東金銀行
    • [5]1943年3月31日 千葉合同銀行・小見川農商銀行・第九十八銀行の3行が合併し千葉銀行が発足
    • [6]発足時の資本金1000万円・70店舗、本店は千葉市
    • [7]1944年3月 千葉貯蓄銀行を合併、6月に野田商誘銀行の営業を継承
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [2]1901年ピーク時に千葉県内の銀行数は74行
    • [3]1931年までに整理統合が進み県内6行体制となった

90%減資と1950〜60年代のガバナンス試練

太平洋戦争さなかの発足、敗戦、占領下のインフレ、預金封鎖と新円切り替えと、千葉銀行は創立直後に未曾有の変革を矢継ぎ早に経験した。1948年3月に金融機関再建整備法に基づく最終処理を行い、90%の減資で資本金は138万円まで圧縮[8]された。同年10月に1億4000万円へ再増資し[9]、復興と並行して店舗整備と本部機構の強化を行った。県内預金は戦災と新円切り替えで一度ほぼ消し飛んだ状態から再構築を強いられ、当面の経営課題は預金基盤の回復に置かれた。1959年9月に株式会社総武を設立[10]、1963年4月に外国為替業務の取扱を開始するなど[11]、県内金融の復興と国際業務への足がかり作りを並行して進め、中核地銀としての新たな体制を整えた。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [8]1948年3月 金融機関再建整備法による最終処理で90%減資、資本金138万円に圧縮
    • [9]1948年10月 資本金1億4000万円に再増資
  • 千葉銀行 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1959年9月 株式会社総武を設立
    • [11]1963年4月 外国為替業務の取扱を開始

復興途上の経営は、2つの重い困難に立て続けに直面した。1956年の融資問題に端を発する信用低下と業績悪化、1958年の不正融資事件で経営陣への信頼が揺らぎ[12]、加えて1960年代初頭には銀行史上稀にみる規模の労働争議[13]に巻き込まれた。これら2つの出来事は経営に長く深い影響を残し、業績回復の足取りを鈍らせた。戦後の混乱を抜けて業績を伸ばしつつあった千葉銀行にとって、1950〜60年代は内部のガバナンス問題が次々と表面化した時期となり、同時に次代の経営近代化に向かう原動力にもなった。県経済の復興に対し金融の供給責任を負う立場と、行内の信用回復という相反する課題を同時に背負った時期である。

  • 千葉銀行 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1958年 不正融資事件が発生
  • 『1995_日本会社史総覧_千葉銀行』(東洋経済新報社, 1995年)
    • [13]1960年代初頭 銀行史上稀にみる規模の労働争議
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [8]1948年3月 金融機関再建整備法による最終処理で90%減資、資本金138万円に圧縮
    • [9]1948年10月 資本金1億4000万円に再増資
  • 千葉銀行 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1959年9月 株式会社総武を設立
    • [11]1963年4月 外国為替業務の取扱を開始
    • [12]1958年 不正融資事件が発生
  • 『1995_日本会社史総覧_千葉銀行』(東洋経済新報社, 1995年)
    • [13]1960年代初頭 銀行史上稀にみる規模の労働争議

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千葉銀行の沿革1878〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月頭取出来事重要度
1878〜1963年県内74行から3行合併、戦後混乱と労働争議の再建期千葉第九十八国立銀行設立
千葉県内の銀行数が74行のピークに到達
県内6行体制に整理統合★★
千葉合同・小見川農商・第九十八の3行合併と千葉銀行の設立

1943年3月31日、一県一行主義の国策のもとで千葉合同銀行・第九十八銀行・小見川農商銀行の3行が合併し、千葉銀行が発足した。公称資本金1,000万円、店舗70か店、行員725名での船出であった。初代頭取には千葉合同銀行頭取の古荘四郎彦氏が就いた。

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★★★
千葉貯蓄銀行を合併
野田商誘銀行の営業を継承
金融機関再建整備法による最終処理で90%減資★★
資本金1億4000万円に増資
融資問題で信用低下・業績悪化★★
不正融資事件発生★★
総武設立
銀行史上稀にみる労働争議★★
外国為替業務取扱開始
1964〜2008年「ひまわり」と京葉工業地帯、金融自由化下の海外3極「ひまわり」をバンクフラワーに制定
東京証券取引所市場第二部への株式上場と、翌年の第一部指定替え

1970年10月1日、千葉銀行は東京証券取引所市場第二部へ株式を上場し、10か月後の1971年8月2日に市場第一部へ指定替えとなった。1960年ごろからの業容拡大と店舗投資で自己資金の増強が急務となるなか、1963年4月の12年ぶりの増資から続く資本増強の延長にあった。

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★★★
第一次オンラインシステム操業開始
本店を千葉市中央から千葉港に新築移転
第二次オンラインシステム操業開始
ちばぎん保証設立
ちばぎんファイナンス設立
ニューヨーク支店開設
香港支店開設
ロンドン支店開設
第三次オンラインシステム操業開始
創立50周年
中央証券株式取得で子会社化★★
証券投資信託窓口販売業務取扱開始
損害保険商品窓口販売業務取扱開始
生命保険商品窓口販売業務取扱開始
竹山正信託業務取扱開始
2009〜2022年佐久間12年と米本新体制期の業務改善命令佐久間英利竹山正から佐久間英利へ頭取交代
佐久間英利FY08経常利益93億円(リーマンショック影響)★★
佐久間英利ちばぎん証券の株式交換による完全子会社化と証券業務の内製化

2011年4月28日、千葉銀行と連結子会社のちばぎん証券は、それぞれの取締役会で千葉銀行を完全親会社、ちばぎん証券を完全子会社とする株式交換を決議し、同日付で契約を締結した。効力発生日は2011年10月1日で、千葉銀行が持つちばぎん証券の議決権は48.79%から100.00%となった。

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★★★
米本努佐久間英利から米本努へ頭取交代
米本努業務改善命令を受ける★★
米本努エッジテクノロジー社を株式取得(TOB)でグループ会社化
米本努FY24経常利益1075億円、純利益742億円
出典・参考
  • 千葉銀行 有価証券報告書【沿革】
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 『1995_日本会社史総覧_千葉銀行』(東洋経済新報社, 1995年)

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