2003年〜 足利銀行救済処理から足利HDの設立と上場
めぶきフィナンシャルグループの業績推移:連結
- 2003年 足利銀行の債務超過と、預金保険法に基づく特別危機管理(事実上の国有化)への移行 債務超過に陥った地域金融の中核を、公的管理はどこまで救い、何を救えなかったか
- 2008年 足利HD設立
- 2008年 預金保険機構より足利銀行を完全子会社化
- 2013年 預金保険機構からの足利銀行全株式取得による民営化と、2013年の東証一部直接上場 破綻した地方銀行の受け皿を、なぜ地銀でも公的資本でもなく大手証券連合が担ったか
- 2015年 常陽銀行との間で経営統合に関する基本合意書を締結
預金保険機構による国有化と再建
1895年創業の足利銀行は、2003年11月、金融再生法に基づき預金保険機構による特別危機管理を受けて事実上の国有化に至った。栃木県を地盤とする地方銀行として戦後の高度成長期から地域経済の融資中核を担ってきた一方、バブル期の不動産融資・建設業向け融資・系列企業向け融資の不良債権処理が遅れ、2003年9月期決算で連結最終損失5,178億円を計上、自己資本比率がマイナスに転落したことで、預金保険法に基づく国有化処分が発動された。地方銀行が公的資金注入を受けた事例は複数あるが、預金保険機構による完全国有化と全株式取得が実施された事例は珍しく、地方銀行業界のなかでは深刻な金融機関再建事例にあたった。 [1][2]
- 足利銀行公式沿革
- [1]足利銀行の創業は1895年
- 足利銀行有価証券報告書
- [2]2003年11月 足利銀行が金融再生法に基づく特別危機管理(事実上の国有化)を受けた
国有化後の足利銀行は、預金保険機構の指導のもとで不良債権処理と組織再編に着手した。新規融資の抑制、店舗網のスリム化、人員整理、不動産・株式の処分等を5年がかりで実行し、財務体質を立て直した。2003年から2008年までの5年間、預金保険機構が経営権を握って再建期が継続し、出口戦略として民間への事業譲渡または株式売却が検討された。複数のメガバンク・地銀グループ・投資ファンドが入札を検討するなか、最終的には野村ホールディングス・ネクスト・キャピタル・パートナーズ等によるコンソーシアム(足利HD合同会社)が落札する形で、民間への株式譲渡が決定した。
- 足利銀行公式沿革
- [1]足利銀行の創業は1895年
- 足利銀行有価証券報告書
- [2]2003年11月 足利銀行が金融再生法に基づく特別危機管理(事実上の国有化)を受けた
足利HD設立と東証一部直接上場
2008年4月、株式会社足利ホールディングス(旧商号)が設立された。同年7月、預金保険機構より足利銀行の全株式を取得し、足利銀行は足利HDの完全子会社となった。預金保険機構による国有化処分は約4年9ヶ月で終結し、足利銀行は民間銀行として再出発した。足利HDの設立当初は、コンソーシアムの民間株主(野村HD・米国系投資ファンド等)が議決権を保有する形で経営が進められ、足利銀行の財務体質改善と地域金融機関としての営業体制の立て直しが並行して進んだ。 [3][4]
- めぶきフィナンシャルグループ 有価証券報告書【沿革】
- [3]2008年4月 株式会社足利ホールディングス(旧商号)設立
- [4]2008年7月 預金保険機構より足利銀行の全株式を取得し完全子会社化
2013年12月、東京証券取引所市場第一部に株式を上場した。新規上場でいきなり東証一部直接上場という形態は、足利銀行の総資産規模(約6兆円水準)と銀行業の収益安定性が評価された結果である。上場後の足利HDは、地方銀行HDとして栃木県・群馬県・茨城県の北関東広域を地盤とする独立系の地銀グループとしての位置づけを得た。連結経常利益はFY13(2014年3月期)283億円・親会社株主帰属純利益243億円と、地方銀行HDとしては中規模の収益体質を維持した。 [5]
- めぶきフィナンシャルグループ 有価証券報告書【沿革】
- [5]2013年12月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
- めぶきフィナンシャルグループ 有価証券報告書【沿革】
- [3]2008年4月 株式会社足利ホールディングス(旧商号)設立
- [4]2008年7月 預金保険機構より足利銀行の全株式を取得し完全子会社化
- [5]2013年12月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場