【筆者所感】 1945年3月、戦時下の1県1行主義のもとで十七・筑邦・嘉穂・福岡貯蓄の4行が新立合併し、資本金2500万円・店舗131カ店の福岡銀行が誕生した。九州最大であるだけでなく全国地方銀行の預金高で第1位という巨艦地銀の船出だった。発足から10年足らずで1953年7月の銀行史上初とされるストライキ、さらにエネルギー革命による石炭産業の衰退に直面し、預金高首位の座から退いた。1955年5月に日本銀行考査役の蟻川五二郎が頭取に迎えられ、以後4代続く日銀出身頭取のもとで再建と店舗網の再編が進んだ。巨艦であるがゆえに産業構造変化を正面から受けた、戦後復興期の地銀の典型といえる。
それから半世紀後、福岡銀行は今度は九州広域再編の主導役となった。2007年4月に福岡銀行・熊本ファミリー銀行・親和銀行を束ねる持株会社としてふくおかフィナンシャルグループが発足し、初代社長谷正明のもとで人口減少と低金利下の地方金融に県境を越えた統合モデルを示した。2021年5月には国内初のデジタルネイティブバンク「みんなの銀行」を開業させ、スマートフォンアプリとBaaSの両輪で地銀のかたちを問い直した。石炭から半導体へ、紙通帳からアプリへと九州地銀の業態を時代ごとに塗り替えてきた同社は、2027年度の連結純利益1000億円を目標に変革を続けている。
歴史概略
1877年〜1954年1県1行主義で生まれた全国首位の巨艦地銀の光と影
4行合併で全国預金高首位に立った戦後直後の発足
福岡銀行の前身となる第十七国立銀行は1877年9月に福岡市で創立され、同行はこの年を自らの創業年に定めている。合併4行の中で最大の十七銀行は本店を福岡に置き、筑邦銀行の源流のひとつである柳河銀行は1878年11月に設立された第九十六国立銀行に遡る歴史を持つ。石炭王・麻生太吉ら炭鉱事業家が1896年に設立した嘉穂銀行は飯塚市など筑豊の炭田地帯に地盤を持ち、1941年には福岡県南部の農村銀行18行が合併新立して筑邦銀行となった。同じ1941年2月には嘉穂貯蓄・筑豊貯蓄・三池貯蓄の3行が合併し県下唯一の貯蓄銀行である福岡貯蓄銀行が誕生している。戦時統制下の金融再編は県内で先行しており、1県1行主義による合併の下地は早くから整っていた。
1945年3月、政府の1県1行主義のもとで十七銀行・筑邦銀行・嘉穂銀行・福岡貯蓄銀行の4行が新立合併し福岡銀行が誕生した。資本金2500万円・店舗131カ店で発足した新銀行は、九州で最大であるだけでなく全国地方銀行の預金高でも第1位につけるという異例の規模だった。福岡県が戦後復興の屋台骨である鉄鋼・石炭の産地を抱えていたため業容は伸び、1948年11月に東京、1951年に下関と大阪、1952年に佐世保、1953年に熊本・人吉・宇部、1954年に長崎と神田と相次いで県外拠点を開いた。1940年代後半を通じて地銀預金高トップの座を守り、戦後復興期の九州経済の成長をそのまま行内に取り込んだ時代だった。
- 日本会社史総覧 1995/11/1
1953年の労使紛争と石炭斜陽化、日銀出身頭取の系譜
福岡銀行が曲がり角に立ったのは1953年だ。同年7月、銀行史上初とされる従業員ストライキが発生し、労使紛争が経営に動揺を与えた。さらに福岡県経済の屋台骨だった石炭産業はエネルギー革命のなかで衰退に向かい、福岡銀行は地銀預金高首位の座からも退いた。鉄鋼・石炭という戦後復興の主役を地盤とした強みが、エネルギー転換で重荷に転じた瞬間である。巨艦であるがゆえに産業構造の激変を正面から受け、戦後地方金融再編の典型例を発足から10年足らずで自ら体現した。労使対立と地場産業の構造転換が同時に経営の根幹を揺さぶり、九州地銀の盟主が初めての構造調整期に入った時代だった。
労使問題の解決と経営安定化のため、1955年5月に日本銀行考査役の蟻川五二郎が頭取に迎えられた。以後、頭取の座は4代連続で日銀出身者が占め、1995年時点の佃亮二頭取も元日銀理事・営業局長という経歴を持つ。1957年には労使協調が成立し、業績振興3カ年計画・第2次長期計画・1967年からの第3次計画と日銀OBによる計画経営が1960年代まで続いた。並行して1952年には金融機関再建整備法に基づく9割切り捨てを経て資本金を5億5000万円まで引き上げ、戦後整理の後始末も終えた。産業構造の転換に直面した地銀を中央銀行出身者が立て直すという戦後日本の地方金融の典型を、福岡銀行は早期に経験した。
- 日本会社史総覧 1995/11/1
1955年〜2006年九州面展開とアジアシフトで地銀の形を拡げた時代
県内整理から九州ネットワーク完成、東証1部昇格まで
再成長軌道に転じた福岡銀行は1960〜70年代に3本柱の体制整備を並走させた。県内店舗の統廃合と効率化、広島・名古屋の飛び石支店を介した東京直結体制の構築、そして大分・佐賀・鹿児島・宮崎の県庁所在地に支店を置く九州域内ネットワークの完成である。1964年4月には福岡県および福岡・北九州・久留米市などの指定金融機関となり、自治体決済の軸として九州での地位を固めた。1971年8月には政令指定都市に移行した北九州を重視して北九州本部を新設し、同年1月には県南の拠点として久留米事務所も開いた。「1県1行」時代から引き継いだ過大な店舗網と過剰人員を、日銀OB主導の計画経営で再編する時期だった。
1975年8月、地上11階・地下4階の新本店ビルが福岡市中心部に完成し、店舗事務の集約と効率化が一段進んだ。1977年6月には総合オンラインシステムが本格稼働し、預金・為替の機械化が県内全店に行き渡った。1978年10月には東京証券取引所と大阪証券取引所の第2部に、1980年9月には第1部に指定替えとなり、1949年以来の福岡証券取引所単独上場という地場体制から全国区の上場地銀へと地位を引き上げた。新本店建設・オンライン化・全国上場という3つの近代化投資は、5年余りの間に集中して実行された。「1県1行」時代から引き継いだ過大店舗網と過剰人員を整理しつつ、近代的な銀行インフラと資本市場での認知を同時に手にした時期である。九州のリーダー地銀としての体裁と中身が、ハードとソフトの両面で整った時代だった。
- 日本会社史総覧 1995/11/1
東アジア拠点網の早期構築と「OH!ホークス」の地域密着商品
1980年代以降、福岡銀行の発展軸はアジア中心の海外展開に移った。1982年9月のロンドン、1985年5月の香港、1986年5月のニューヨークと相次いで駐在員事務所を置き、いずれものちに支店へ昇格させた。香港は1987年に支店化されたうえで現地法人も設立し、ソウル(1991年)、バンコク(1993年)、上海(1995年3月)と続く東アジア拠点網の中心となった。フランクフルトにも1990年に事務所を開いたものの当初の目的を達して閉鎖しており、拠点の取捨選択も並走させた。地場顧客の海外進出支援を旗印に、地銀として早期にアジア広域拠点網を構えた点は当時の邦銀地銀の中でも珍しく、現在のグループ海外戦略の礎となった。
1995年には創立50周年の記念商品としてプレミアム金利付き定期預金「OH!ホークス」を発売した。地元プロ野球の福岡ダイエーホークスがリーグ優勝した場合に金利を0.5%上乗せする商品で、地元での反響は強く、地域密着型の商品企画として新規顧客獲得効果も生んだ。バブル崩壊後の不良債権処理と護送船団行政の終焉は地銀全体に再編圧力をかけ、九州広域でも統合機運が高まった。福岡銀行自身も単独行の海外展開だけでは収益基盤を支えきれないという認識を強め、次なる広域持株会社構想に向けた助走に入った時期である。地銀ビジネスの主戦場が個別行から広域グループへ移る転換が始まっていた。
- 日本会社史総覧 1995/11/1
2007年〜2024年広域持株会社設立から日本初のデジタル銀行開業へ
谷正明が主導した3行統合、ふくおかフィナンシャルグループの誕生
2007年4月、福岡銀行・熊本ファミリー銀行・親和銀行を束ねる持株会社としてふくおかフィナンシャルグループが設立された。初代社長には谷正明が就任し、九州北部を広域でカバーする地銀グループが生まれた。狙いは、人口減少と低金利が迫る地方金融市場で、県境を越えた統合によりシステム投資と本部機能を共有するモデルを示すことにある。発足直後の2008年3月期は経常収益2812億円・純利益219億円から出発し、リーマンショックと国内景気低迷を受けた収益の揺らぎを統合効果で吸収した。広域地銀グループの先行事例として、九州北部に統一的な金融プラットフォームを敷いた時代の幕開けだった。
2014年6月に柴戸隆成が第2代社長に就任し、2018年からは会長兼社長として効率化と新たな収益源の模索を進めた。柴戸は「変わらないのは『人と人』の関係」(ナッセナビ 2019)と述べ、人的資本を軸に置いた地銀像を強調する一方で、デジタルネイティブ銀行構想の本格検討も並走させた。同氏は併せて「一人ひとりの社員に能力を発揮してもらわなくちゃならない」(ナッセナビ 2019)とも語り、人材活用を経営の中心に据えた。2016年度(2017年3月期)には経常損失344億円・純損失543億円を計上し、日銀マイナス金利導入期の地銀収益悪化の典型となった。翌2018年3月期には純利益493億円まで戻したが、長期金利の低下が続くなかで既存の地銀ビジネスモデルの限界が経営課題に浮上した。
- 日本会社史総覧 1995/11/1
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- ナッセナビ 2019/6
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- IR Day 2026/1
日本初のデジタルネイティブバンク「みんなの銀行」開業という賭け
2021年5月、福岡銀行を母体とする日本初のデジタルネイティブバンク「みんなの銀行」が開業した。スマートフォンアプリで口座開設から取引までが完結する仕組みと、他社サービスに銀行機能を組み込むBaaSモデルの両輪を掲げ、地銀グループが国内デジタル銀行の先行事例を作り上げた。みんなの銀行は収益源をシステム外販・BaaS提供・個人向けビジネスの3本柱に整理した。設立当初は預金・決済中心の個人向け収益を想定したが、のちにローンを通じた収益インパクトのほうが大きいと判明している。2022年4月に五島久が第3代社長に就任し、バンキングアプリ導入・理念体系刷新・事業ポートフォリオ再定義を柱に据えた新体制を始動させた。
グループの連結経常収益は2017年3月期の2357億円から2025年3月期の4557億円へ拡大し、親会社株主に帰属する当期純利益は同じ期間に黒字回復を経て721億円に達した。もっとも、みんなの銀行は立ち上げ期の先行投資負担が続き、グループ全体としても2022年3月期に541億円あった純利益が2023年3月期には311億円へ落ち込むなど、デジタル銀行投資とリアル銀行収益のバランスがグループ経営の重要論点となった。デジタルネイティブバンクの挑戦は、将来の成長余地と短期収益の圧迫という両面の性格を併せ持ち、地銀経営にとって未踏の事業運営ノウハウと戦略判断を求める試みとなった。
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専門人財シフトと社会価値提供モデルへの経営理念の転換
五島は2024年8月のひふみラボのインタビューで「経済的な話だけでなく、社会的な価値も含めて提供し、お客様に『銀行と一緒にこんなこともできるんだ』と思っていただけるようにしたい」(ひふみラボ 2024/8/28)と語り、銀行の役割を経済機能の提供から社会価値の共創へと拡げる方向を打ち出した。続けて「業務の幅、技術・専門性、顧客基盤がそれぞれ拡大し、2×2×2で最終的に8倍くらいのビジネス規模になったらいいな」(ひふみラボ 2024/8/28)と述べ、3要素を同時に2倍化することで事業規模を8倍に広げる成長像を提示した。地銀の事業戦略と人財戦略を同時に再設計するという先例のない試みが本格化した時代だった。
人財面では「これからは専門分野に強い人が必要です。特定の分野にとがった優秀な人に入っていただきたい」(ひふみラボ 2024/8/28)と述べ、従来の銀行員的なゼネラリスト像から専門人財シフトへと人財戦略の根本を切り替える方針を打ち出した。この方向性は、九州交響楽団の赤字経営再建に理事長として取り組む五島自身の姿勢とも重なる部分があった。地銀が文化・地域の公共インフラと一体となって新たな価値を生むモデルを、経営トップ自らが実践してみせた。社外取締役の座談会でも「文化的な分野についても単なる支援にとどまらず、新たなビジネスにつなげていく形で取り組んでいる点には強く共感している」(IR Day 2026/1)との評価が寄せられ、社内の人財像と事業領域の同時再設計が経営の最重要論点に据えられた。
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直近の動向と展望
1000億円目標に向けた成長投資と株主還元の綱渡り
2025年9月のIR Dayで五島は、3年後の2027年度に連結当期純利益1000億円を目指すと明言した。中計最終年度のシステム関連コスト約250億円(償却+ランニング)、DX関連投資約100億円、年間20〜30億円のベアによる人件費増を計画に織り込んでいる。基幹システムのモダナイズ、アプリやSFAなど既存業務のDX投資、さらに量子コンピュータやステーブルコインといった10年スパンを見据えた先端R&Dまで視野に入れた投資計画であり、地銀として異例の先行投資負担を引き受ける姿勢を示した。将来収益への布石と足元利益の維持という二兎を同時に追う経営姿勢が、ふくおかフィナンシャルグループの変革の核心として現れた。
貸出金の伸びは福岡県で2%強、熊本県で約5%、長崎県ではほぼフラットと、各営業エリアの経済成長率と同水準にとどまり、大口案件では他行との金利競争も発生している。五島は「残高増加のための金利競争は行っておらず、適切な金利を維持しながら対応している」(IR Day 2025/9)と述べ、総合採算とメイン先防衛を軸に据える姿勢を示した。2026年1月の社外取締役座談会では、配当性向は他行並みだが総還元性向では他行との差が過去1年間で開き始めているとの認識が経営側から示された。成長投資と株主還元のバランスをどう取るかが、ふくおかフィナンシャルグループの最大の経営論点に浮上している。
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メルペイ提携と事業ポートフォリオ管理の高度化
みんなの銀行の口座数は2025年9月末時点で約140万口座に達した。2027年度末の目標は440万口座という野心的な水準だ。2025年末から2026年1月にかけて実行されたメルペイ社との戦略提携は、残り300万口座のうち3割程度を本提携で獲得する計画のもとで進められ、数千件単位の休眠口座がアクティブ化するなど初期効果も確認された。メルペイ残高をみんなの銀行口座に移すと普通預金金利0.5%が付き、日銀当座預金に置けば25bpsの利鞘が出るという独特の収益構造もIR Dayで説明され、BaaSビジネスモデルの収益化事例として社内外から関心を集めている。地銀発デジタル銀行としての独自性を収益面でも示そうとする段階だ。
社外取締役の深沢氏は、ふくおかフィナンシャルグループの事業ポートフォリオ管理が子銀行単位で議論を終えがちな点を問題として指摘し、商品別・チャネル別の細かな収益把握へ踏み込む必要性を強調している。みんなの銀行の収益源はシステム外販・BaaS提供・個人向けビジネスの3本柱に整理されたうえで、2027年度の黒字化が達成できない場合は様々な選択肢を並べて比較検討することまで取締役会で正面から議論できる体制にあると明言された。1945年の戦時下の4行合併で生まれた巨艦地銀は、発足から80年後の現在、デジタル銀行の事業継続可否という究極の論点を抱える経営へと変貌しつつある。
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