【筆者所感】 中核子会社の横浜銀行は1920年に横浜興信銀行として設立された。七十四銀行と横浜貯蓄銀行の経営破綻を受け、政府・日本銀行の特別融資1,600万円を原資に、役員無報酬・株式無配当という公共的使命を負って発足した銀行である。昭和期に左右田銀行・第二銀行・関東興信銀行など県内銀行を次々と合併し、1945年には戦時下の一県一行主義を経て神奈川県唯一の地方銀行となった。1957年に「横浜銀行」へ改称し、高度成長期の神奈川県における人口流入と工業集積で預金量を伸ばした。地方銀行という業態は地元の預金と地元の貸出で循環する仕組みで、地域経済の盛衰がそのまま銀行の収益に直結する。破綻処理機関として生まれた銀行が戦後の経済成長のなかで地銀の雄へ姿を変えた軌跡は、地方銀行の出自としては異例である。
1969年に地方銀行の預金量で全国首位に立って以降、横浜銀行はその地位を保っている。2016年に東日本銀行と経営統合してコンコルディア・フィナンシャルグループを設立し、2023年には神奈川銀行を子会社化して県内営業基盤を「面」として固めた。2025年10月には横浜フィナンシャルグループへ商号変更し、中核企業の名を冠したグループブランドへ移った。FY24の連結純利益は828億円、連結総資産は約24.8兆円で、国内地銀グループの上位に位置する規模だ。地方銀行の多くが有力両替商や旧国立銀行を母体とするのに対し、危機対応のために設立された銀行が100年を超えて県内金融の中核グループを形成する経路をたどった点に同社の特徴がある。
歴史概略
1920年〜1956年破綻銀行の整理から始まった神奈川の地方銀行
七十四銀行破綻と横浜興信銀行の設立
1920年5月、第一次世界大戦後の反動恐慌のさなかに、横浜最大の普通銀行であった七十四銀行が休業した。七十四銀行は1878年に第七十四国立銀行として設立され、生糸売込商を中心に横浜商人の金融機関として40年余り機能した行である。戦後不況による取り付けに耐えられず休業に追い込まれた。同時期に横浜貯蓄銀行も破綻し、横浜の金融秩序は崩壊の危機に直面した。横浜の商業と貿易を支える銀行網が戦後不況の波に飲み込まれ、預金者と地元経済の将来をめぐる不安が広がった。地域金融の再建は地元財界にとって最大の課題となり、政府・日本銀行と地元有力者が連携して新銀行の設立に動いた。
地元財界は預金者救済と地域経済の安定を目的として新銀行の設立に動き、1920年12月16日に横浜興信銀行が開業した。原資は政府・日本銀行による特別融資1,600万円で、役員は無報酬、株式は無配当という異例の条件が付された。通常の銀行業務に加え、破綻した両行の不良債権・不良資産の回収と整理を主業とするサービサー的な銀行として出発した。全国の地方銀行の多くが有力両替商や旧国立銀行を母体とするのに対し、横浜銀行の前身は危機対応のために設けられた銀行で、出自として異色の位置にある。預金者保護と不良債権処理を同時に担う運営は通常の営業収益だけでは成立せず、特別融資の存在が前提となる仕組みだった。
昭和期の県内合併と一県一行化の完成
横浜興信銀行は設立後、神奈川県内の銀行を次々と吸収した。1927年に左右田銀行、1928年に第二銀行と横浜貿易銀行および元町銀行、1932年に関東興信銀行を合併した。第二銀行は1874年に横浜為替会社を母体として設立された旧・横浜第二国立銀行の後継行で、横浜の金融史における最古の系譜を横浜興信銀行に持ち込んだ。横浜為替会社は1869年設立の日本初の会社組織による金融機関とされ、横浜銀行はこの系譜から「創業151年」と数える場合もある。破綻銀行の整理という出自を抱えながら、横浜の金融史全体を継承する側面を併せ持った。設立から10年余りで県内主要行を束ねる地位に立ったことは、サービサー的な出発点とは異なる通常銀行としての基盤が固まった経緯を示す。
1941年には戦時体制下の一県一行主義政策に基づき、鎌倉銀行・厚木銀行・足柄農商銀行・相模銀行・平塚興業銀行・明和銀行の県内6行を合併した。1945年に都南貯蓄銀行を合併し、特殊銀行であった横浜正金銀行を除いて神奈川県内唯一の本店銀行となった。25年間で10行以上を合併し、県内金融の一元化を完成させた経緯にあたる。戦時動員期を通じて地方銀行の統合が全国で進むなか、横浜興信銀行は神奈川県金融の中心に位置した。破綻処理機関として生まれた銀行が、名実ともに県内唯一の本店銀行へ姿を変えた。一県一行主義は戦時統制経済の柱の一つで、預金集積と国債消化の効率化を目的とする政策だった。
1957年〜2015年高度成長期の地銀トップ到達と公的資金時代
横浜銀行への改称と預金量全国首位到達
1957年、横浜興信銀行は「横浜銀行」に行名を改めた。「興信」の語が破綻銀行の整理を連想させる時代が終わり、高度成長期の神奈川県とともに伸びる地方銀行としての名称を選び直した判断である。神奈川県は東京に隣接する立地から人口流入が続き、沿線開発と工業集積が進んだ。この人口と経済の伸びを受け、横浜銀行は1969年に全国の地方銀行で預金量首位に立った。設立から49年、破綻銀行の処理機関として生まれた銀行が地銀トップに到達した節目で、戦後復興と高度成長の波に乗った経営の成果が数字の上で示された結果だ。神奈川県の人口は1955年から1970年にかけて年率4%超で増え、京浜工業地帯の集積も進み、預金と貸出の双方で県内地銀として吸収力を発揮した。
1993年には創立70周年記念事業として、横浜市西区みなとみらいに本店を移転した。みなとみらい21地区の開発と歩調を合わせた移転で、横浜の都市ブランドと銀行のアイデンティティを重ね合わせる狙いがあった。神奈川県の経済的中心が横浜駅周辺からみなとみらい地区へ移る流れに合わせ、銀行の象徴的な存在も新しい都市軸の上に置き直した経緯にあたる。地銀トップの地位を固めた銀行が県内経済の新しい中核地域と歩調を合わせて自らの拠点を更新した動きは、地域密着型の地方銀行としての姿勢を示す経営判断である。みなとみらい21地区はバブル期に着工した再開発エリアで、本店移転は地域開発と銀行経営を直結させる試みだった。
- 横浜銀行公式サイト「横浜銀行の歴史」
- 神奈川新聞 2020/12/28
- 有価証券報告書
バブル崩壊と公的資金による早期完済
1990年代後半、バブル崩壊に伴う不良債権処理が横浜銀行の経営を圧迫した。1997年には北海道拓殖銀行と山一証券が破綻し、金融システム全体に信用不安が広がるなか、横浜銀行は1998年から1999年にかけて劣後ローンと優先株あわせて計2,200億円の公的資金を受け入れた。当時の頭取・平澤貞昭は「業務態勢再構築委員会」を設置し、早期退職や転籍の促進を含むリストラを断行した。地域密着の地方銀行であっても金融危機の波から無縁ではいられず、設立時の公的使命を背負う銀行として再び公的支援の下に立った。早期健全化法に基づく公的資金注入は1999年3月に都銀7行を含む15行に対して総額7.5兆円規模で実施され、地銀のなかでは横浜銀行が代表的な受入行となった。
地域密着の金融サービスへの回帰とコスト構造の見直しが奏功し、業績は回復した。2004年8月、当初の返済計画より1年半前倒しで公的資金2,200億円を完済した。7年で完済するという国への約束を上回る速度で、地銀のなかでも早期完済を果たした事例のひとつとして知られる。設立時に政府・日銀の特別融資を背負って生まれた銀行が、戦後の成長期を経てバブル崩壊の波を乗り越え、公的資金の早期返済までこぎつけた。完済時点で同行のコア業務純益は1,000億円規模を保ち、神奈川県の経済規模と地銀トップの預金量という基盤が公的資金返済を支える原資となった。
- 横浜銀行公式サイト「横浜銀行の歴史」
- 神奈川新聞 2020/12/28
- 有価証券報告書
2016年〜2026年経営統合とグループ再編による横浜フィナンシャルグループ化
東日本銀行との統合とコンコルディアFG発足
2014年11月、横浜銀行と東日本銀行は経営統合に関する基本合意を発表した。東日本銀行は1924年に茨城県水戸市で「常磐無尽」として創業し、1951年に常磐相互銀行、1989年に普通銀行転換を経て東日本銀行となった行で、東京都内に49店舗の営業基盤を持っていた。横浜銀行は神奈川県に180店を展開していたが東京都内は20店にとどまり、両行の店舗網は補完関係にあった。神奈川県を地盤とする横浜銀行と東京都内の店舗網を持つ東日本銀行とが、地理的な相互補完のなかで一体化する経営統合の構図にあたる。地方銀行の経営統合は2010年代以降、人口減少と低金利環境の長期化を受けて全国で進み、首都圏地銀同士の組み合わせが上位グループの再編を主導した。
2016年4月、株式移転方式により共同持株会社「コンコルディア・フィナンシャルグループ」を設立し、東京証券取引所に上場した。「コンコルディア」はラテン語で「調和・協調」を意味する語で、統合に込めた思いを社名に刻む狙いがあった。単純合算の総資産は17.4兆円で、ふくおかフィナンシャルグループを抜き、地銀グループの首位に立った。経営統合時の数値目標は貸出金年率4%増・業務粗利益年率3%増で、過去の成長率を上回る水準である。両行の経営規模差は資産で約7倍あり、横浜銀行が事実上の主導権を握る統合だった。後年に頭取となる大矢恭好は統合の意義について「統合に目的がなければ、単なる数合わせになってしまう」(出所 2020/8)と述べ、規模だけでない統合の質を強調した。
- 東洋経済オンライン 2015/9/9
- 日経ビジネス 2020/8
- 神奈川新聞 2024/6/28
- ジャパニーズインベスター 2025/8
- 有価証券報告書
神奈川銀行子会社化と横浜FGへの商号変更
2023年4月、横浜銀行は神奈川県を地盤とする神奈川銀行の株式を取得し連結子会社化した。同年6月には議決権100%を取得し完全子会社化した。横浜銀行・東日本銀行・神奈川銀行の3行体制により、神奈川県を「面」として捉える営業基盤を整えた。神奈川銀行は1953年に横浜中央信用金庫として設立され、1989年に第二地方銀行に転換した行で、横浜銀行とは規模が異なる中小企業向け融資に強みを持つ。3行で機能の住み分けを設計する取り組みである。片岡達也頭取は統合のタイミングについて「両行が元気なうちの統合にこだわった。機を捉えたという評価は結果論だが、利上げ局面と重なっていたら、顧客や従業員の不安も高まっていたはずだ」(出所 2024/6/28)と語り、利上げ前の決断であった点を重視した。
FY24(2025年3月期)の連結経常収益は3,991億円、連結純利益は828億円となった。2025年10月、コンコルディア・フィナンシャルグループは「横浜フィナンシャルグループ」に商号変更した。設立から8年が経過しグループ内連携が定着したことで「コンコルディア」の役割は終えたと判断した。片岡達也社長は商号変更の理由を「現社名からは地域金融機関グループらしさが伝わらない」(出所 2025/8)と説明し、中核企業である横浜銀行の名を冠して国内外の認知度を高める意図を示した。破綻銀行の整理機関として1920年に生まれた銀行が、100年を超える時を経て県内金融の中核グループを形成し、中核行の名をグループ名にまで押し上げる段階に達した。地銀グループ名にあえて持株会社固有の中立的な名称を与え、後に中核行名へ戻す事例は珍しい。
- 東洋経済オンライン 2015/9/9
- 日経ビジネス 2020/8
- 神奈川新聞 2024/6/28
- ジャパニーズインベスター 2025/8
- 有価証券報告書
直近の動向と展望
3行体制の定着と横浜FGブランドの確立
2025年10月のグループ商号変更以降、横浜フィナンシャルグループは横浜銀行・東日本銀行・神奈川銀行の3行体制で県内外の営業基盤を再構築している。FY24の連結純利益828億円・連結総資産約24.8兆円という規模は国内地銀グループの上位に位置し、統合以来の経営目標について一定の達成を示す。コンコルディアという中立的なグループ名から中核行の名を冠したブランドへの切り替えは、国内外の認知度向上と中核行の求心力強化を狙う戦略的判断である。低金利環境の終焉と日銀の利上げを受け、地銀の利ざや回復が見込まれる状況にある。片岡達也社長は2027年度の連結純利益目標について「1000億円以上は目指さないといけない」(出所 2025/1/8)と表明し、預金量首位の地位を収益面でも生かす方針を示した。
- 時事通信 2025/1/8
- 週刊エコノミスト 2023/1/30
- 有価証券報告書
神奈川県を「面」として捉えた地域金融の深化
神奈川銀行の完全子会社化により、横浜フィナンシャルグループは神奈川県内の金融を多層的にカバーする構造を自前で整えた。横浜銀行が県内の中核金融機関として機能するなかで、東日本銀行の東京都内店舗網と神奈川銀行の県内補完機能が加わった。単一銀行では実現できない「面」としての地域金融サービスが可能となっている。片岡社長は事業基盤について「神奈川県内企業のメインバンク・シェアでは、メガバンクを抜いてずっと1位をキープしています」(出所 2023/1/30)と述べ、ホームマーケットでの優位を強調する。再編については「グループとして金融機能を強化する」「現時点では考えていない」(出所 2025/1/8)と他行との統合に距離を置き、3行体制の深化を当面の軸に据えた。
- 時事通信 2025/1/8
- 週刊エコノミスト 2023/1/30
- 有価証券報告書