1915年〜 鉄道信号灯フレネルレンズ販売から自動車ヘッドランプ専業メーカーへの転換
小糸製作所の業績推移:単体
- 1915年 小糸源六郎商店創業(東京・京橋)、鉄道信号灯用フレネルレンズの販売開始
- 1935年 品川工場を新設
- 1936年 小糸製作所設立
- 1943年 静岡工場を新設
- 1949年 株式を東京、大阪両証券取引所に上場
- 1957年 オールグラス・シールドビームヘッドランプ生産・販売開始
- 1978年 ハロゲンヘッドランプ生産・販売開始
小糸源六郎商店の創業と戦前期の事業基盤確立
1915年4月、小糸源六郎が東京・京橋(現在の中央区)で個人経営の小糸源六郎商店を創業し、鉄道用信号レンズと色硝子の販売を開始した。これが小糸製作所の濫觴である。フレネルレンズは灯台・信号灯・車両前照灯に使われる集光レンズで、明治末期から大正初期にかけての鉄道インフラ拡張期に、輸入レンズの国内流通から事業が立ち上がった。1923年の関東大震災で月島工場を焼失したため、ただちに大崎の既設工場を買収して操業を続け、1929年に月島工場へ移転すると同時に、商号を小糸製作所と改めた。輸入販売から自社製造へと事業を移し、鉄道照明から出発した供給基盤がこの時期に形づくられた。 [1][2][3]
- 有価証券報告書
- [1]1915年4月 小糸源六郎が東京・京橋で小糸源六郎商店を創業、鉄道信号灯用フレネルレンズの販売を開始
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [2]創業時の取扱品は鉄道用信号レンズと色硝子。源六郎個人経営の小糸源六郎商店が同社の起源
- [3]1923年の関東大震災で月島工場を焼失、大崎の既設工場を買収して操業継続、1929年に月島工場へ移転すると同時に商号を小糸製作所と改称
1929年の改称以降、自動車前照灯・投光器・探照灯・航空照明、さらに陸軍用照明兵器などへ品目を広げ、1935年2月に現在の品川工場を新設移転して自社製造体制の出発点とした。1936年4月に株式会社小糸製作所を設立(資本金250万円)、法人化を完了させる。戦時体制のもとで1940年に芝浦工場、1943年に静岡工場を開設し、芝浦・静岡で航空機用電装品を量産、品川工場では照明兵器を生産して終戦に至った。終戦後は芝浦工場を閉鎖して鉄道用部品などの生産を続けたが、1955年頃から自動車工業が本格的な成長期を迎えると、同社も発展期に入った。1949年5月には株式を東京・大阪両証券取引所へ上場し、戦後の資本市場アクセスを得ている。 [4][5][6][7][8][9]
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [4]1929年改称後、自動車前照灯・投光器・探照灯・航空照明・陸軍用照明兵器などへ生産品目を拡大
- [7]戦時体制下に1940年芝浦工場・1943年静岡工場を開設、芝浦・静岡で航空機用電装品を量産、品川工場で照明兵器を生産
- [8]終戦後に芝浦工場を閉鎖して鉄道用部品の生産を継続、1955年頃から自動車工業の本格的成長期で発展期に入った
- 有価証券報告書
- [5]1935年2月 品川工場を新設移転
- [6]1936年4月 株式会社小糸製作所設立、資本金250万円
- [9]1949年5月 株式を東京・大阪両証券取引所に上場
- 有価証券報告書
- [1]1915年4月 小糸源六郎が東京・京橋で小糸源六郎商店を創業、鉄道信号灯用フレネルレンズの販売を開始
- [5]1935年2月 品川工場を新設移転
- [6]1936年4月 株式会社小糸製作所設立、資本金250万円
- [9]1949年5月 株式を東京・大阪両証券取引所に上場
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [2]創業時の取扱品は鉄道用信号レンズと色硝子。源六郎個人経営の小糸源六郎商店が同社の起源
- [3]1923年の関東大震災で月島工場を焼失、大崎の既設工場を買収して操業継続、1929年に月島工場へ移転すると同時に商号を小糸製作所と改称
- [4]1929年改称後、自動車前照灯・投光器・探照灯・航空照明・陸軍用照明兵器などへ生産品目を拡大
- [7]戦時体制下に1940年芝浦工場・1943年静岡工場を開設、芝浦・静岡で航空機用電装品を量産、品川工場で照明兵器を生産
- [8]終戦後に芝浦工場を閉鎖して鉄道用部品の生産を継続、1955年頃から自動車工業の本格的成長期で発展期に入った
オールグラス・シールドビームヘッドランプの開発と自動車ヘッドランプ事業の本格化
自動車用照明器具に社運を賭けた小糸製作所は、全硝子製シールドビーム・ヘッドランプを量産するため、静岡工場に硝子工場を新設し、一連の米国製自動製造機械を設置した。当時としては大きな冒険で、静岡工場を分離独立させて1957年8月に小糸電機株式会社として発足させたことにもそれは表れている。同年10月にオールグラス・シールドビームヘッドランプの生産・販売を開始し、自動車ヘッドランプ事業が本格化した。シールドビームはレンズ・反射板・電球を一体化したヘッドランプで、小糸製作所は日本市場での生産・販売の中心メーカーとして戦後の自動車産業の拡大とともに事業を伸ばし、1968年8月には米国イリノイ州にシカゴ事務所を開設して北米市場の開拓に乗り出した。 [10][11][12][13]
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [10]全硝子製シールドビーム量産のため静岡工場に硝子工場を新設し、一連の米国製自動製造機械を設置。大きな冒険として静岡工場を分離独立させ小糸電機として発足
- 有価証券報告書
- [11]1957年8月 小糸電機株式会社設立(静岡工場を分離独立)
- [12]1957年10月 オールグラス・シールドビームヘッドランプの生産・販売開始
- [13]1968年8月 米国イリノイ州にシカゴ事務所開設
シールドビームへの集中はやがて実を結んだ。1961年にはプレス・静電塗装・自動メッキ・組立を合理化した総合工場を完成させ、1962年1月に小糸電機を再び吸収合併して一体となる。これにより小糸製作所は自動車用照明器具のトップメーカーとして約60%のシェアを確保し、1968年時点で年間売上高は約100億円、その96%が自動車照明用部品で占められた。海外の自動車メーカーからも照明器の引き合いが寄せられ、輸出が期待される段階に達していた。技術革新も途切れず、1978年7月にはハロゲンヘッドランプの生産・販売を開始し、シールドビームに比べ明るさと寿命を高めた次世代ヘッドランプへ歩を進めた。こうして1970年代の小糸製作所は、鉄道信号灯や船舶・航空機向け照明など創業当初の事業から距離を置き、自動車ヘッドランプの専業メーカーへと業態を絞り込んだ。 [14][15][16][17]
- 有価証券報告書
- [14]1961年にプレス・静電塗装・自動メッキ・組立を合理化した総合工場を完成、1962年1月に小糸電機を再び吸収合併して一体化
- [17]1978年7月 ハロゲンヘッドランプの生産・販売開始
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [15]自動車用照明器具のトップメーカーとして約60%のシェアを確保、1968年時点で年間売上高約100億円・その96%が自動車照明用部品
- [16]海外の自動車メーカーから照明器の引き合いがあり輸出が期待される段階
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [10]全硝子製シールドビーム量産のため静岡工場に硝子工場を新設し、一連の米国製自動製造機械を設置。大きな冒険として静岡工場を分離独立させ小糸電機として発足
- [15]自動車用照明器具のトップメーカーとして約60%のシェアを確保、1968年時点で年間売上高約100億円・その96%が自動車照明用部品
- [16]海外の自動車メーカーから照明器の引き合いがあり輸出が期待される段階
- 有価証券報告書
- [11]1957年8月 小糸電機株式会社設立(静岡工場を分離独立)
- [12]1957年10月 オールグラス・シールドビームヘッドランプの生産・販売開始
- [13]1968年8月 米国イリノイ州にシカゴ事務所開設
- [14]1961年にプレス・静電塗装・自動メッキ・組立を合理化した総合工場を完成、1962年1月に小糸電機を再び吸収合併して一体化
- [17]1978年7月 ハロゲンヘッドランプの生産・販売開始