決断
貸す相手を、制度が決めた30年と自力で探した12年がある。1952年12月、長銀は電力・鉄鋼・海運・石炭の四重点産業へ貸出の5割を配分した。三白景気に沸く砂糖や肥料の関連企業へ貸すほうが効率は高かったが、制度が求めた配分を優先し、同時に興銀の補完銀行にはならない方針から、川崎製鉄やトヨタ自動車工業など当時はまだ評価の定まらない企業へも資金を出した。1980年代に入ると鉄鋼をはじめとする基幹産業が社債市場から低利で調達を始め、長信銀からの借入依存度を下げる。1985年10月に東京支店内へ新規取引専門部を置き、翌1986年1月にイ・アイ・イ・インターナショナルとの取引を開始した。7年半で引き揚げるまでに、貸出先はノンバンクと不動産開発へ移っていた。
1986年1月 イ・アイ・イへの支援打ち切り
1952年12月 川崎製鉄・トヨタへ融資