2,900億円を調達した時点で日債銀に残っていたのは、市場が許す時間のうちに不良債権を落とし切る道だけで、その時間は1年5カ月で尽きた。責任を一人に絞れる材料は当時の誌面にも見当たらず、1957年に不動産担保で後発の不利を埋めると決めた設計が、担保価値の下落に耐えられなかったという説明が繰り返し現れる。
再民営化がこの銀行を救ったと言い切るには早い。民間連合が引き受けた後も、投じられた3,200億円の返済義務は残り、貸出残高は減少したまま、残る債務者には不動産業向けが多かった。それでも、国が破綻処理を自ら担い続けず民間の引受先を用意した枠組み自体は、この後の処理の型として残っただろう。