オリックス の歴史

更新:

創業

1964年

創業者

※日綿実業+日商+岩井産業+三和銀行

創業地

大阪市中央区高麗橋

直近売上高(2026/3)

33,308億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1964年に、商社と銀行という別系統が一社に合流してオリエント・リースが生まれたのか
A リースは物件を抱えて長期に貸す業態で、資金を厚く調達する力と、貸す相手を見つける販路の双方を要し、片方だけでは成り立たない。総合商社化を急ぐ日綿実業は機械部門の強化を狙い、海外統括課の宮内義彦氏を米国U.S.リーシング社へ派遣してノウハウを学ばせた。だが日本にリースという概念がなく自社単独では資金が足りず、資金を出す三和銀行ら五銀行と、販路を持つ日商・岩井産業を加えた八社合弁で、1964年4月に資本金1億円で設立された。一業種・一系列に縛られない出自を最初から抱えた構造である。
Q なぜ宮内義彦氏は1989年に、リース会社という看板そのものを下ろしたのか
A 証券業やプロ野球球団まで取り込んだ事業の実態を、リース会社という呼び名はもはや語れず、看板と実態の乖離を埋めて戦略転換を内外へ示すため、社名の変更そのものを用いた。1980年就任の宮内義彦氏は20年の長期政権のなか、1986年に大阪市岡証券へ資本参加し、1988年には阪急ブレーブスを取得して金融以外へ資本を投じた。そして創立25周年の1989年4月、オリエント・リースをオリックス株式会社へ改め、1998年には経営難の山一信託銀行を買収して同年ニューヨーク証券取引所へ上場し、総合金融サービス企業への変身を制度面でも裏打ちした
Q なぜ2025年に、自ら運営する事業を売り高収益の事業を買う方針へ井上亮氏は転換したのか
A 自己資金で事業を抱え込むほど総資産が膨らみ、利益が追いつかず資本効率が落ちて投資家離れを招く。この構造に限界が見えたため、資産を回転させて稼ぐ会社へ作り替える判断に至った。2011年就任の井上亮氏は14年で営業収益を約3倍へ伸ばしたが、総資産は17兆円まで膨張し、ROEは2018年3月期の12%超から8.8%へ低下した。井上氏は2025年に「目指すはブラックストーン」と述べ、収益率の悪い事業を売り高い事業を買う方針へ転換すると語った。同年1月には社長を髙橋英丈氏へ譲り会長兼グループCEOへ退き、二頭体制で投資会社化を主導する

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1964年〜 米国から輸入したリース業を根づかせ、独立経営の足場を固めるまで

オリックスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1964年 オリエント・リース設立
  2. 1964年 東京支店を開設
  3. 1969年 株式額面変更目的で同名会社に吸収合併
  4. 1970年 大阪証券取引所市場第二部に上場
  5. 1971年 Orient Leasing(Hong Kong)Ltd.設立
  6. 1973年 日本企業初のアジアダラー債を発行
  7. 1973年 オリエント・オート・リース設立

商社3社と銀行5社が資本金1億円を持ち寄った合弁会社

リース業は第二次世界大戦後の米国で生まれ、金融機能を営む会社としては1952年にUSリーシング社が設立された[1]。日本でリース会社が初めて設立されたのは1963年[2]で、オリエント・リースが設立準備のためリースの研究に着手したのは1962年[3]である。1964年4月17日、日綿実業・日商・岩井産業の三商社と、三和銀行・東洋信託銀行・日本勧業銀行・神戸銀行・日本興業銀行の五銀行[4]が資本金1億円を持ち寄り[5]、大阪市中央区高麗橋にオリエント・リース株式会社を設立した[6]。設立にあたっては米国のUSリーシング社と提携し[7]、リース業の実体と経営のノウハウについて資料と意見の提供を受けている。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻2号「オリエント・リースの現状と将来」(宮内義彦)
    • [1]1952年 金融機能を営む米USリーシング社の設立
    • [2]1963年 日本で初のリース会社設立
    • [3]1962年 オリエント・リースが設立準備のためリース研究に着手
    • [5]設立時資本金 1億円
    • [7]設立にあたり米USリーシング社と提携し資料・意見の提供を受けた
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [4]出資は日綿実業・日商・岩井産業の3商社と三和銀行・東洋信託銀行・日本勧業銀行・神戸銀行・日本興業銀行の5銀行
    • [6]1964年4月17日 大阪市中央区高麗橋にオリエント・リース株式会社を設立

初代社長は日綿実業社長の福井慶三氏が兼任し[8]、実務は専任副社長の乾恒雄氏が引っ張った[9]。乾氏は1933年3月に慶應義塾大学経済学部を卒業して三十四銀行(現・三和銀行)へ入行[10]し、1963年5月に取締役ニューヨーク支店長、1964年4月にオリエント・リース代表取締役副社長、1967年8月に社長へ昇格している[11]。創業時のメンバー13人は、出資者である三和銀行、日綿実業、日商、岩井産業[12]から集められた。乾氏は三和銀行出身という出自を自ら捨てて独立路線を採り、設立から22年後の1986年には従業員が約1150人まで増え、その3分の1を中途入社者が占めた[13]

  • 日経ビジネス 1986年12月8日号「人 乾恒雄オリエント・リース会長「会社は数字だけじゃない」と説く洒脱な経営美学」
    • [8]初代社長は日綿実業社長の福井慶三氏が兼任
    • [9]実務を担ったのは専任副社長の乾恒雄氏
    • [10]乾恒雄氏 1933年3月 慶應義塾大学経済学部卒業、三十四銀行(現・三和銀行)入行
    • [11]乾恒雄氏 1963年5月 三和銀行取締役ニューヨーク支店長、1964年4月 オリエント・リース代表取締役副社長、1967年8月 社長昇格
    • [12]創業時のメンバーは13人、出資者の三和銀行・日綿実業・日商・岩井産業から招集
    • [13]1986年時点の従業員 約1150人、うち3分の1が中途入社

のちに社長となる宮内義彦氏は、1960年に日綿實業へ入社し[14]、設立前の提携先である米国のUSリーシングへ研修生として派遣されてリースの実務を学び、帰国と同時に設立準備委員会へ送り込まれた[15]。関西学院大学商学部を卒業したのち米国ワシントン大学の経営学部大学院に留学してMBAを取得しており、社内では32歳で取締役社長室長[16]に就いている。営業の中身は手探りで、リースの第一号は1964年に金沢市のスーパーマーケットへ納めたキャッシュ・レジスター4台[17]だった。創立から3年目には出向社員をすべて親会社へ帰し[18]、プロパー社員だけの体制へ切り替えている。

  • 週刊東洋経済 2010年9月11日号「TOP INTERVIEW 宮内義彦 オリックス会長兼グループCEO 今どき流行らないけれど やはり構造改革でしょう」
    • [14]宮内義彦氏 1960年 日綿實業入社
  • 日経ビジネス 1986年12月8日号「人 乾恒雄オリエント・リース会長「会社は数字だけじゃない」と説く洒脱な経営美学」
    • [15]宮内義彦氏は米USリーシングへ研修生として派遣され、帰国と同時に設立準備委員会へ配属
    • [16]宮内義彦氏 関西学院大学商学部卒、米ワシントン大学経営学部大学院でMBA取得、32歳で取締役社長室長
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [17]リース第1号は1964年 金沢市のスーパーマーケットのキャッシュ・レジスター4台
  • 日経ビジネス 1978年1月16日号「ケーススタディ オリエント・リース「連結決算」武器に10年連続増益」
    • [18]創立3年目に出向社員をすべて親会社へ帰しプロパー社員だけの体制へ移行
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻2号「オリエント・リースの現状と将来」(宮内義彦)
    • [1]1952年 金融機能を営む米USリーシング社の設立
    • [2]1963年 日本で初のリース会社設立
    • [3]1962年 オリエント・リースが設立準備のためリース研究に着手
    • [5]設立時資本金 1億円
    • [7]設立にあたり米USリーシング社と提携し資料・意見の提供を受けた
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [4]出資は日綿実業・日商・岩井産業の3商社と三和銀行・東洋信託銀行・日本勧業銀行・神戸銀行・日本興業銀行の5銀行
    • [6]1964年4月17日 大阪市中央区高麗橋にオリエント・リース株式会社を設立
  • 日経ビジネス 1986年12月8日号「人 乾恒雄オリエント・リース会長「会社は数字だけじゃない」と説く洒脱な経営美学」
    • [8]初代社長は日綿実業社長の福井慶三氏が兼任
    • [9]実務を担ったのは専任副社長の乾恒雄氏
    • [10]乾恒雄氏 1933年3月 慶應義塾大学経済学部卒業、三十四銀行(現・三和銀行)入行
    • [11]乾恒雄氏 1963年5月 三和銀行取締役ニューヨーク支店長、1964年4月 オリエント・リース代表取締役副社長、1967年8月 社長昇格
    • [12]創業時のメンバーは13人、出資者の三和銀行・日綿実業・日商・岩井産業から招集
    • [13]1986年時点の従業員 約1150人、うち3分の1が中途入社
    • [15]宮内義彦氏は米USリーシングへ研修生として派遣され、帰国と同時に設立準備委員会へ配属
    • [16]宮内義彦氏 関西学院大学商学部卒、米ワシントン大学経営学部大学院でMBA取得、32歳で取締役社長室長
  • 週刊東洋経済 2010年9月11日号「TOP INTERVIEW 宮内義彦 オリックス会長兼グループCEO 今どき流行らないけれど やはり構造改革でしょう」
    • [14]宮内義彦氏 1960年 日綿實業入社
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [17]リース第1号は1964年 金沢市のスーパーマーケットのキャッシュ・レジスター4台
  • 日経ビジネス 1978年1月16日号「ケーススタディ オリエント・リース「連結決算」武器に10年連続増益」
    • [18]創立3年目に出向社員をすべて親会社へ帰しプロパー社員だけの体制へ移行

大阪証券取引所への上場と、国際資本市場での資金調達

1970年4月、オリエント・リースは大阪証券取引所市場第二部へ株式を上場した[19]。そんなつもりで会社を作ったわけではないとぼやく大株主の三和銀行やニチメンの幹部を、説き伏せたうえでの公開だった[20]。上場時の資本金は4億円で、その後5,000万円の公募と2割の無償交付を経て、1971年には5億4,000万円[21]へ積み増している。1971年4月に東京証券取引所市場第二部、1972年3月に名古屋証券取引所市場第二部へ上場し、1973年2月には東京証券取引所と大阪証券取引所の第一部[22]へ移った。名古屋証券取引所の上場は2004年10月に廃止[23]している。

  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1970年4月 大阪証券取引所市場第二部に株式上場
    • [22]1971年4月 東証二部上場、1972年3月 名証二部上場、1973年2月 東証・大証第一部へ
    • [23]2004年10月 名古屋証券取引所の上場廃止
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [20]上場に反対的だった大株主の三和銀行・ニチメン幹部を説得して公開した
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻2号「オリエント・リースの現状と将来」(宮内義彦)
    • [21]上場時の資本金 4億円、5,000万円の公募と2割の無償交付を経て1971年に5億4,000万円

伸び方は急で、1964年9月期に500万円だった売上高は1970年9月期に92億9,000万円まで増え[24]、同期のリース契約高は252億9,000万円に達して、契約高の伸び率は低い年で約50%、高い年で85%を示した[25]。1968年後半からは後発のリース会社が相次いで生まれ、1969年4月に昭和リース、同年5月に芙蓉総合リースとセントラル・リース、同年7月にセンチュリー・リーシング・システムが発足[26]して、1971年初めの国内には20社近くのリース会社が並んだ[27]。宮内氏は当時、先発と後発の入り乱れる競争を見込みながら、業界全体は大きく伸びるとの見通しを述べている[28]

  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻2号「オリエント・リースの現状と将来」(宮内義彦)
    • [24]1964年9月期 売上高500万円、1970年9月期 売上高92億9,000万円
    • [25]1970年9月期 リース契約高252億9,000万円、契約高の伸び率は年50〜85%
    • [26]1969年4月 昭和リース、同年5月 芙蓉総合リース・セントラル・リース、同年7月 センチュリー・リーシング・システムが設立
    • [27]1971年初めの国内リース会社は20社近く
    • [28]宮内義彦氏は先発・後発入り乱れる競争のもとでも業界全体は伸びると見通した

資金の調達でも先を取り、1973年には日本企業として初めてアジアダラー債を発行している[29]。決算では、法定の日本基準に加えて創業当初から米国SEC基準による決算と税効果会計を併用した[30]。貸与資産の法定償却が定率法で先行する日本基準では期間損益が実態を映さないためで、1970年9月期の税引利益3億600万円は、米国方式による試算では7億1,700万円になった[31]。1株当たり利益も34円から70円[32]へ開いた。連結の対象は出資比率50%以下の関連会社にも及び、監査は米国の会計事務所アーサー・アンダーセン[33]が担っている。創立4年目の1968年9月期から10年続けて増益を果たし、1977年9月期の経常利益は61億円と前年比57%増[34]だった。

  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [29]1973年 日本企業として初のアジアダラー債発行
    • [30]創業当初から日本基準に加えSEC基準決算と税効果会計を併用
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻2号「オリエント・リースの現状と将来」(宮内義彦)
    • [31]1970年9月期 税引利益3億600万円、米国方式試算では7億1,700万円
    • [32]1株当たり利益は日本基準34円に対し米国方式70円
  • 日経ビジネス 1978年1月16日号「ケーススタディ オリエント・リース「連結決算」武器に10年連続増益」
    • [33]連結対象は出資比率50%以下の関連会社にも及び、監査は米アーサー・アンダーセンが担当
    • [34]創立4年目の1968年9月期から10年連続増益、1977年9月期 経常利益61億円(前年比57%増)
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1970年4月 大阪証券取引所市場第二部に株式上場
    • [22]1971年4月 東証二部上場、1972年3月 名証二部上場、1973年2月 東証・大証第一部へ
    • [23]2004年10月 名古屋証券取引所の上場廃止
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [20]上場に反対的だった大株主の三和銀行・ニチメン幹部を説得して公開した
    • [29]1973年 日本企業として初のアジアダラー債発行
    • [30]創業当初から日本基準に加えSEC基準決算と税効果会計を併用
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻2号「オリエント・リースの現状と将来」(宮内義彦)
    • [21]上場時の資本金 4億円、5,000万円の公募と2割の無償交付を経て1971年に5億4,000万円
    • [24]1964年9月期 売上高500万円、1970年9月期 売上高92億9,000万円
    • [25]1970年9月期 リース契約高252億9,000万円、契約高の伸び率は年50〜85%
    • [26]1969年4月 昭和リース、同年5月 芙蓉総合リース・セントラル・リース、同年7月 センチュリー・リーシング・システムが設立
    • [27]1971年初めの国内リース会社は20社近く
    • [28]宮内義彦氏は先発・後発入り乱れる競争のもとでも業界全体は伸びると見通した
    • [31]1970年9月期 税引利益3億600万円、米国方式試算では7億1,700万円
    • [32]1株当たり利益は日本基準34円に対し米国方式70円
  • 日経ビジネス 1978年1月16日号「ケーススタディ オリエント・リース「連結決算」武器に10年連続増益」
    • [33]連結対象は出資比率50%以下の関連会社にも及び、監査は米アーサー・アンダーセンが担当
    • [34]創立4年目の1968年9月期から10年連続増益、1977年9月期 経常利益61億円(前年比57%増)

海外拠点の設置と取扱物件の多様化

海外へは、1971年9月に香港でOrient Leasing (Hong Kong) Ltd.を設立[35]したのを皮切りに、1973年9月にマレーシア、1975年4月にインドネシア、1981年8月に米国、1986年7月に豪州へ拠点を置いた[36]。先進国へは全額出資、途上国へは現地銀行との合弁を基本とし[37]、途上国では世界銀行の姉妹機関である国際金融公社と組む案件が多かった。その最初の事例は1975年の韓国のコリア・デベロップメント・リーシング[38]で、現地の規制当局との交渉や事業化調査でも国際金融公社と手を組み、1999年時点で日本を含む22カ国に拠点を構えた[39]

  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1971年9月 香港にOrient Leasing (Hong Kong) Ltd.設立
    • [36]1973年9月 マレーシア、1975年4月 インドネシア、1981年8月 米国、1986年7月 豪州に拠点設置
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [37]先進国へは全額出資、途上国へは現地銀行との合弁が基本
    • [38]1975年 韓国のコリア・デベロップメント・リーシングが国際金融公社との協業の最初の事例
    • [39]1999年時点で日本を含む22カ国に拠点

取扱物件も広げ、1972年に店舗の内装へ資金を出す需要をとらえてオリエント・リース・インテリア(現・オリックス・アルファ)を初の子会社として設立[40]し、1973年6月にオリエント・オート・リース(現・オリックス自動車)、1976年9月にオリエント測器レンタル(現・オリックス・レンテック)、1979年6月にファミリー信販(現・オリックス・クレジット)を設けている[41]。参入の数に比べて撤退は少なく、1999年までに手を引いた事業は1976年の飛行船事業と1988年のファミリーレンタル事業の2件だけだった[42]。飛行船事業は1974年に西ドイツから飛行船を買って全額出資で興し、4億〜5億円を投じたところで飛行船が事故に遭い、追加の20億円を投じる道を採らずに撤退している[43]。月次の計数を全事業について検証する月例戦略会議[44]があり、採算の合わない試みは本格展開に至る前で畳んだ。

  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [40]1972年 オリエント・リース・インテリア(現・オリックス・アルファ)を初の子会社として設立
    • [42]1999年までの撤退は1976年の飛行船事業と1988年のファミリーレンタル事業の2件
    • [44]月例戦略会議でグループ全事業を月次の計数で検証し、採算の合わない事業は初期段階で撤収
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [41]1973年6月 オリエント・オート・リース、1976年9月 オリエント測器レンタル、1979年6月 ファミリー信販を設立
  • 日経ビジネス 1978年1月16日号「ケーススタディ オリエント・リース「連結決算」武器に10年連続増益」
    • [43]飛行船事業は1974年に西ドイツから飛行船を購入して全額出資で設立、4億〜5億円を投じた段階で事故、追加20億円を断念し撤退

雇用の面でも先を行き、設立から5年後の1969年に女性総合職の採用へ踏み切り[45]、1985年には結婚退職した女性社員を再び雇う女性社員再雇用制度をオリエント・リース本体へ導入して、1986年にはグループ全体へ広げている[46]。海外関連会社は1977年9月期末で7社を数え、うち6社が経常損益で黒字を計上し、進出から7年で海外のリース収入はグループ全体の20%[47]を占めた。1977年3月末のリース資産残高は2,378億円で、日本リースの50%強[48]にあたる。1984年9月期のリース契約高は7,000億円を超えて業界首位[49]に立った。

  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [45]1969年 女性総合職の採用開始
    • [46]1985年 女性社員再雇用制度を本体に導入、1986年にグループ全体へ拡大
  • 日経ビジネス 1978年1月16日号「ケーススタディ オリエント・リース「連結決算」武器に10年連続増益」
    • [47]1977年9月期末 海外関連会社7社のうち6社が経常損益で黒字、海外のリース収入は全体の20%
    • [48]1977年3月末 リース資産残高2,378億円(日本リースの50%強)
  • 日経ビジネス 1985年7月22日号「オリエント・リース 激戦地『金融サービス』へ乗り込む」
    • [49]1984年9月期 リース契約高7,000億円超で業界首位
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1971年9月 香港にOrient Leasing (Hong Kong) Ltd.設立
    • [36]1973年9月 マレーシア、1975年4月 インドネシア、1981年8月 米国、1986年7月 豪州に拠点設置
    • [41]1973年6月 オリエント・オート・リース、1976年9月 オリエント測器レンタル、1979年6月 ファミリー信販を設立
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [37]先進国へは全額出資、途上国へは現地銀行との合弁が基本
    • [38]1975年 韓国のコリア・デベロップメント・リーシングが国際金融公社との協業の最初の事例
    • [39]1999年時点で日本を含む22カ国に拠点
    • [40]1972年 オリエント・リース・インテリア(現・オリックス・アルファ)を初の子会社として設立
    • [42]1999年までの撤退は1976年の飛行船事業と1988年のファミリーレンタル事業の2件
    • [44]月例戦略会議でグループ全事業を月次の計数で検証し、採算の合わない事業は初期段階で撤収
    • [45]1969年 女性総合職の採用開始
    • [46]1985年 女性社員再雇用制度を本体に導入、1986年にグループ全体へ拡大
  • 日経ビジネス 1978年1月16日号「ケーススタディ オリエント・リース「連結決算」武器に10年連続増益」
    • [43]飛行船事業は1974年に西ドイツから飛行船を購入して全額出資で設立、4億〜5億円を投じた段階で事故、追加20億円を断念し撤退
    • [47]1977年9月期末 海外関連会社7社のうち6社が経常損益で黒字、海外のリース収入は全体の20%
    • [48]1977年3月末 リース資産残高2,378億円(日本リースの50%強)
  • 日経ビジネス 1985年7月22日号「オリエント・リース 激戦地『金融サービス』へ乗り込む」
    • [49]1984年9月期 リース契約高7,000億円超で業界首位

1985年〜 リース専業からの脱皮と、ニューヨーク上場という自己規律

オリックスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1985年 バジェット・レンタカー設立
  2. 1988年 プロ野球球団・阪急ブレーブスを取得
  3. 1989年 リース専業からの脱皮と金融サービス業への多角化 リースの草分けはなぜ、みずから「リース会社」の看板を下ろしたのか——宮内義彦の連続M&Aと商号変更
  4. 1991年 アイルランドにORIX Aviation Systems Limited設立
  5. 1991年 オリックス・オマハ生命保険設立
  6. 1998年 山一信託銀行を買収
  7. 1998年 NYSE上場で会社を「外から律する」 厳しい米国基準に自社を晒す海外上場を、宮内義彦社長はなぜ「会社の安全」と呼んだか

商号から「リース」を外すまでの多角化

1980年12月、45歳の宮内義彦氏が乾恒雄氏に代わって社長へ就き、乾氏は会長へ退いた[50]。1984年9月期のリース契約高は7,000億円を超えて業界首位だったが、地方銀行や信用金庫の新規参入による料率競争で売上高経常利益率は2%台まで落ちていた[51]。1984年度には金融と住宅ローンの契約高が本業のリースを上回り、リースの比率は4割[52]を切った。宮内氏はリースという社名はふさわしくないと述べ、リースを核とする金融サービス業への変身[53]を掲げている。連結経営、多角的な金融サービス企業への脱皮、収益と内容の重視という3点[54]が、1980年代の経営の基本目標だった。

  • 日経ビジネス 1986年12月8日号「人 乾恒雄オリエント・リース会長「会社は数字だけじゃない」と説く洒脱な経営美学」
    • [50]1980年 宮内義彦氏が乾恒雄氏に代わり社長就任(当時45歳)
  • 日経ビジネス 1985年7月22日号「オリエント・リース 激戦地『金融サービス』へ乗り込む」
    • [51]1984年9月期 契約高7,000億円超で業界首位、料率競争で売上高経常利益率が2%台へ低下
    • [52]1984年度 金融・住宅ローンの契約高が本業リースを上回りリース比率が4割以下
    • [53]宮内義彦氏の発言「リースという社名はふさわしくない」、目標はリースを核とする金融サービス業への変身
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [54]1980年代の経営の基本目標は連結経営・多角的な金融サービス企業への脱皮・収益と内容の重視の3点

1985年の新会社設立に続けて事業の拡張にはM&Aを使い、1986年3月に大阪市岡証券(のちのオリックス証券)へ資本参加して証券業へ入り、1987年にトーシキインテリア(現・オリックス・インテリア)、1988年10月にはプロ野球球団の阪急ブレーブスを買収している[55]。買収の物差しは規模の抑制で、宮内氏は経営者の第一の責任は会社の安全を守ることで成長を図るのはその次だとし[56]、社運を賭けるような選択はすべきでないと語っている[57]。リスクを避ける手立ては同じ業態で相対的に上位にいることで、多角化した別の事業は浮袋[58]にあたると考えていた。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [55]1986年3月 大阪市岡証券に資本参加、1987年 トーシキインテリア、1988年 阪急ブレーブスをグループ化
  • 日経ビジネス 1987年4月27日号「編集長インタビュー 宮内義彦氏(オリエント・リース社長)私のM&A戦術」
    • [56]宮内義彦氏の判断基準「経営者の第一の責任は会社の安全を守ること、成長はその次」
    • [57]宮内義彦氏は社運を賭けるような選択をすべきでないとした
    • [58]リスクヘッジは同じ業態で相対的に上位にいること、多角化した別事業は浮袋という位置づけ

1989年4月、創立25周年に合わせてオリエント・リースはオリックス株式会社へ商号を変更し、グループ全体で新CIを導入した[59]。リース会社の一言では実態を語れなくなったためで、金融サービスを中心に据える[60]と社名そのもので示した。翌1990年7月には日本初の先物投資運用専門会社オリックス・コモディティーズを設立し[61]、業法もない状態で法的に問題はないとして商品ファンドの国内販売に踏み切っている[62]。1991年3月にはアイルランドでORIX Aviation Systems Limitedを設立して航空機リースの拠点を置き[63]、同年4月にオリックス・オマハ生命保険(現・オリックス生命保険)で生命保険業へ参入した[64]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [59]1989年4月 創立25周年でオリエント・リースがオリックスへ商号変更、新CI導入
    • [60]商号変更の理由は「リース会社」では実態を語れなくなったこと、金融サービス中心の姿勢を明確化
    • [61]1990年 日本初の先物投資運用専門会社オリックス・コモディティーズ設立
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [62]1989年 業法がない状態で商品ファンドの国内販売を断行
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [63]1991年3月 アイルランドにORIX Aviation Systems Limited設立
    • [64]1991年4月 オリックス・オマハ生命保険(現・オリックス生命保険)設立で生命保険業へ参入
  • 日経ビジネス 1986年12月8日号「人 乾恒雄オリエント・リース会長「会社は数字だけじゃない」と説く洒脱な経営美学」
    • [50]1980年 宮内義彦氏が乾恒雄氏に代わり社長就任(当時45歳)
  • 日経ビジネス 1985年7月22日号「オリエント・リース 激戦地『金融サービス』へ乗り込む」
    • [51]1984年9月期 契約高7,000億円超で業界首位、料率競争で売上高経常利益率が2%台へ低下
    • [52]1984年度 金融・住宅ローンの契約高が本業リースを上回りリース比率が4割以下
    • [53]宮内義彦氏の発言「リースという社名はふさわしくない」、目標はリースを核とする金融サービス業への変身
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [54]1980年代の経営の基本目標は連結経営・多角的な金融サービス企業への脱皮・収益と内容の重視の3点
    • [55]1986年3月 大阪市岡証券に資本参加、1987年 トーシキインテリア、1988年 阪急ブレーブスをグループ化
    • [59]1989年4月 創立25周年でオリエント・リースがオリックスへ商号変更、新CI導入
    • [60]商号変更の理由は「リース会社」では実態を語れなくなったこと、金融サービス中心の姿勢を明確化
    • [61]1990年 日本初の先物投資運用専門会社オリックス・コモディティーズ設立
  • 日経ビジネス 1987年4月27日号「編集長インタビュー 宮内義彦氏(オリエント・リース社長)私のM&A戦術」
    • [56]宮内義彦氏の判断基準「経営者の第一の責任は会社の安全を守ること、成長はその次」
    • [57]宮内義彦氏は社運を賭けるような選択をすべきでないとした
    • [58]リスクヘッジは同じ業態で相対的に上位にいること、多角化した別事業は浮袋という位置づけ
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [62]1989年 業法がない状態で商品ファンドの国内販売を断行
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [63]1991年3月 アイルランドにORIX Aviation Systems Limited設立
    • [64]1991年4月 オリックス・オマハ生命保険(現・オリックス生命保険)設立で生命保険業へ参入

個人向け事業で足踏みを続けた1990年代

法人取引で磨いた成功の型は個人向けでは通じず、1990年に「オリックス倶楽部」で消費者金融へ参入するまでに、宮内氏は現場からの参入計画を少なくとも二度はねつけている[65]。社会的に指弾される事業で利益を上げたくないという判断と、一般の消費者が年3割前後の金利を払うとは考えにくいという読み[66]からだった。参入後は年利18%の「オリックス倶楽部」より年利27%の武富士が消費者の支持を集め[67]、宮内氏は参入の遅れについて、果たして正しい決定だったか、もう少し別の経営ができたかもしれないと首をかしげた[68]

  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 リテイル戦線『波高し』戦闘集団の新たな挑戦 オリックスの呻吟」
    • [65]1990年「オリックス倶楽部」で消費者金融へ参入、それ以前に宮内義彦氏が現場の参入計画を二度以上はねつけた
    • [66]参入を退けた理由は社会的批判への懸念と、消費者が年3割前後の金利を払うとは考えにくいという判断
    • [67]年利18%のオリックス倶楽部より年利27%の武富士が支持を集めた
    • [68]宮内義彦氏は参入の遅れについて「果たして正しい決定だったか」と述べた

1997年8月に通信販売の生命保険「ダイレクト保険」、1999年3月に通信販売の定期預金「ダイレクト預金」を始め[69]、預金は5カ月弱で8,322件の口座を集めた[70]。話題性の高さに比べて収益への寄与はわずかで、宮内氏は当時の個人向け事業をコンニャクまたはバリウム、つまり毒にはなっていないが栄養もない[71]と表現している。1999年5月には中堅消費者金融のキャスコを買収したものの、日本へ本格上陸したGEキャピタルによるレイク買収から半年遅れで、規模は10分の1[72]にすぎなかった。

  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 リテイル戦線『波高し』戦闘集団の新たな挑戦 オリックスの呻吟」
    • [69]1997年8月 ダイレクト保険開始、1999年3月 ダイレクト預金開始
    • [70]ダイレクト預金は5カ月弱で8,322件の定期預金口座を獲得
    • [71]宮内義彦氏はリテール事業を「コンニャク、またはバリウム」=毒にならないが栄養もないと表現
    • [72]1999年5月 中堅消費者金融キャスコを買収、GEキャピタルのレイク買収から半年遅れ・規模は10分の1

オンライン証券でも後手に回り、1999年7月21日にDLJディレクトSFG証券が売買代金1,000万円まで一律1,900円という手数料体系を発表する[73]と、オリックス証券は翌週、売買代金180万円まで一律1,800円と、予定を約1カ月早めて対抗した[74]。何でも自前で切り開いてきた同社は、個人向け事業の立て直しをにらんで外資系コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーの協力を仰ぎ、1999年6月に同社の幹部を顧問として迎えている[75]

  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 リテイル戦線『波高し』戦闘集団の新たな挑戦 オリックスの呻吟」
    • [73]1999年7月21日 DLJディレクトSFG証券が売買代金1,000万円まで一律1,900円の手数料を発表
    • [74]オリックス証券は翌週に売買代金180万円まで一律1,800円を発表、予定を約1カ月前倒し
    • [75]1999年6月 マッキンゼー・アンド・カンパニー幹部を顧問に迎える
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 リテイル戦線『波高し』戦闘集団の新たな挑戦 オリックスの呻吟」
    • [65]1990年「オリックス倶楽部」で消費者金融へ参入、それ以前に宮内義彦氏が現場の参入計画を二度以上はねつけた
    • [66]参入を退けた理由は社会的批判への懸念と、消費者が年3割前後の金利を払うとは考えにくいという判断
    • [67]年利18%のオリックス倶楽部より年利27%の武富士が支持を集めた
    • [68]宮内義彦氏は参入の遅れについて「果たして正しい決定だったか」と述べた
    • [69]1997年8月 ダイレクト保険開始、1999年3月 ダイレクト預金開始
    • [70]ダイレクト預金は5カ月弱で8,322件の定期預金口座を獲得
    • [71]宮内義彦氏はリテール事業を「コンニャク、またはバリウム」=毒にならないが栄養もないと表現
    • [72]1999年5月 中堅消費者金融キャスコを買収、GEキャピタルのレイク買収から半年遅れ・規模は10分の1
    • [73]1999年7月21日 DLJディレクトSFG証券が売買代金1,000万円まで一律1,900円の手数料を発表
    • [74]オリックス証券は翌週に売買代金180万円まで一律1,800円を発表、予定を約1カ月前倒し
    • [75]1999年6月 マッキンゼー・アンド・カンパニー幹部を顧問に迎える

破綻金融機関の取り込みとニューヨーク証券取引所への上場

1997年の山一證券の破綻で経営難に陥った山一信託銀行を、1998年4月に買収して信託銀行業[76]へ入った。同じ1998年には、リース期限の切れた設備の廃棄に窮する中小企業のために、産業廃棄物処理の仲介を担うオリックス環境を設立している[77]。顧客の求めに応じて隣の分野へ入る深掘りを重ねた結果で、産業廃棄物の処理さえリースの隣の畑だと同社は説明した[78]。中小企業から優良先を選ぶ力と、それを全国へ広げた営業網、そこに多様な商品を流す力[79]が事業の土台にあった。グループの営業担当者は産業廃棄物からオンライン証券、ダイレクト預金、自動車リースまで全商品のパンフレットを持ち歩き、リース成約額のノルマではなく利益目標だけを負っている[80]

  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [76]1997年 山一證券破綻、1998年4月 山一信託銀行を買収(現・オリックス銀行)
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [77]1998年 オリックス環境を設立し産業廃棄物処理の仲介を開始
    • [78]産業廃棄物処理も「リースの隣の畑」という説明
    • [79]事業の基盤は中小企業から優良先を選ぶ力・全国の営業網・多様な商品を流す力
    • [80]営業担当者は全商品のパンフレットを携行し、リース成約額のノルマではなく利益目標だけを負った

1998年9月、オリックスはニューヨーク証券取引所(NYSE)へ株式を上場し[81]、日本の金融サービス会社として海外の資本市場に初めて加わった。上場4カ月前、宮内氏は米国市場の要求の多さを肯定し、外から言われることで独善に陥らずに済むと語っている[82]。実態に近く透明性の高い米国SEC基準はむしろ会社にとって安全で株主にもプラスだとし[83]、一方で四半期主義は採らずに5年から10年の長期で株主利益を考え、従業員を重んじる日本型の長所は残すと述べた[84]。上場前の事業構成は、各種リースから金融・証券・保険、自動車教習所やホテル経営まで抱える間口の広いものだった[85]

  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [81]1998年9月 ニューヨーク証券取引所に株式上場
  • 日経ビジネス 1998年5月18日号「編集長インタビュー 宮内義彦氏[オリックス社長]NY上場で会社を外から律する 会計基準も厳しい方が安全でいい」
    • [82]宮内義彦氏は米国市場の要求の多さを肯定し、外から言われることで独善に陥らずに済むと述べた
    • [83]宮内義彦氏は米国SEC基準を実態に近く透明性が高いゆえ会社にとって安全で株主にもプラスと述べた
    • [84]宮内義彦氏は四半期主義を採らず5〜10年の長期で株主利益を考え、従業員重視など日本型の長所は残すとした
    • [85]上場前の事業構成は各種リースから金融・証券・保険、自動車教習所やホテル経営まで及んだ

上場は組織の作り替えと一体で、1998年6月に執行役員制度を導入し、1999年6月には社外取締役の選任と指名・報酬委員会の設置を実施している[86]。1999年3月期は連結で4年連続の増益となり、ROEは約8%[87]、株価は1999年7月に過去最高値の1万3,330円を記録し、外国人持株比率は金融界で最高の34%に達した[88]。連結営業利益の4分の3はリース分野が稼いでいた[89]が、宮内氏はリースそれ自体をすでにノン・ノウハウだと断じている[90]。1990年代末には大型の買収劇のたびに名前が挙がり、日本リースや日本長期信用銀行の買収でも取りざたされた[91]

  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [86]1998年6月 執行役員制度導入、1999年6月 社外取締役選任と指名・報酬委員会設置
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [87]1999年3月期 連結SEC基準で4年連続増益、ROE約8%
    • [88]1999年7月 株価が過去最高値の1万3,330円、外国人持株比率は金融界最高の34%
    • [89]連結営業利益の4分の3をリース分野が計上
    • [90]宮内義彦氏はリースそれ自体を「すでにノン・ノウハウ」と断言
    • [91]1990年代末の大型買収案件で日本リース・日本長期信用銀行の買い手候補として名前が挙がった
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [76]1997年 山一證券破綻、1998年4月 山一信託銀行を買収(現・オリックス銀行)
    • [81]1998年9月 ニューヨーク証券取引所に株式上場
    • [86]1998年6月 執行役員制度導入、1999年6月 社外取締役選任と指名・報酬委員会設置
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
    • [77]1998年 オリックス環境を設立し産業廃棄物処理の仲介を開始
    • [78]産業廃棄物処理も「リースの隣の畑」という説明
    • [79]事業の基盤は中小企業から優良先を選ぶ力・全国の営業網・多様な商品を流す力
    • [80]営業担当者は全商品のパンフレットを携行し、リース成約額のノルマではなく利益目標だけを負った
    • [87]1999年3月期 連結SEC基準で4年連続増益、ROE約8%
    • [88]1999年7月 株価が過去最高値の1万3,330円、外国人持株比率は金融界最高の34%
    • [89]連結営業利益の4分の3をリース分野が計上
    • [90]宮内義彦氏はリースそれ自体を「すでにノン・ノウハウ」と断言
    • [91]1990年代末の大型買収案件で日本リース・日本長期信用銀行の買い手候補として名前が挙がった
  • 日経ビジネス 1998年5月18日号「編集長インタビュー 宮内義彦氏[オリックス社長]NY上場で会社を外から律する 会計基準も厳しい方が安全でいい」
    • [82]宮内義彦氏は米国市場の要求の多さを肯定し、外から言われることで独善に陥らずに済むと述べた
    • [83]宮内義彦氏は米国SEC基準を実態に近く透明性が高いゆえ会社にとって安全で株主にもプラスと述べた
    • [84]宮内義彦氏は四半期主義を採らず5〜10年の長期で株主利益を考え、従業員重視など日本型の長所は残すとした
    • [85]上場前の事業構成は各種リースから金融・証券・保険、自動車教習所やホテル経営まで及んだ

2000年〜 多角化の代償――会計をめぐる論争、村上ファンド、そして金融危機

オリックスの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2000年 藤木保彦氏が社長に就任(第4代)
  2. 2003年 委員会等設置会社へ移行
  3. 2004年 近鉄バファローズとの球団統合とプロ野球再編 高収益の金融グループはなぜ赤字続きのプロ野球球団を吸収し、球界の再編に踏み込んだのか
  4. 2006年 Houlihan Lokeyを買収
  5. 2008年 梁瀬行雄氏が社長に就任(第5代)
  6. 2009年 中国本社(欧力士投資有限公司)設立

集団指導体制への移行と、会計基準をめぐる論争

2000年4月、藤木保彦氏が社長兼グループCOOに就き、宮内氏は会長兼グループCEOとして経営の全責任を負った[92]。藤木氏は1968年に日興証券へ入り、1976年11月にオリエント・リースへ移って不動産営業部長、審査第一部長、総務部長を経て、1994年6月に取締役となった[93]人物である。海外は副会長の石田克明氏、国内はCOOの藤木氏が受け持つ分担[94]で、藤木氏は、ここまで広がった金融サービス業を海外も含めて一人で見るのは無理だとして、何人かで責任を分担する集団指導体制への移行を説明した[95]。グループ内の再編も並行し、1999年3月にオリックス・リアルエステート(現・オリックス不動産)、同年4月にオリックス債権回収を設立[96]し、2005年1月には自動車関連6社を合併してオリックス自動車へ社名を変えている[97]

  • 週刊東洋経済 2000年7月22日号「トップの履歴書 オリックス社長兼グループCOO 藤木保彦 多角化が進み「集団指導体制」へ」
    • [92]2000年4月 藤木保彦氏が社長兼グループCOO就任、宮内義彦氏は会長兼グループCEO
    • [93]藤木保彦氏 1968年4月 日興証券入社、1976年11月 オリエント・リース入社、1994年6月 取締役
    • [94]海外は副会長の石田克明氏、国内はCOOの藤木保彦氏が担当
    • [95]藤木保彦氏は一人で全社を見るのは無理だとして集団指導体制への移行を説明
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [96]1999年3月 オリックス・リアルエステート(現・オリックス不動産)設立、1999年4月 オリックス債権回収設立
    • [97]2005年1月 自動車関連6社の合併によりオリックス自動車へ社名変更

2002年には成長の仕組みそのものが外部から問われ、6月3日、ドイツ証券のアナリストが資料編を除いても45ページに及ぶリポートで、オリックスの利益形成と情報開示に批判的な見解を示した[98]。リース取引を金融取引とみなす米国SEC基準では初年度に最大の利益を計上して以後は逓減するのに対し、賃貸借とみなす日本基準では利益が逓増する[99]。2002年3月期に日本基準の利益がSEC基準の利益を上回ったのは、ファイナンスリースと保険事業の成長力が鈍ったため[100]だという指摘だった。7年連続増益を続けてきた成長の限界を突く見方[101]である。

  • 週刊東洋経済 2002年7月27日号「飛耳長目 会計処理問題 オリックスを見舞った“成長の限界”めぐる大論争」
    • [98]2002年6月3日 ドイツ証券アナリストが45ページのリポートでオリックスの利益形成と情報開示を批判
    • [99]SEC基準は初年度に最大の利益、日本基準では利益が逓増するという会計上の差
    • [100]2002年3月期に日本基準の利益がSEC基準の利益を逆転、理由はファイナンスリースと保険の成長鈍化との指摘
    • [101]当時のオリックスは7年連続増益

オリックスは6月26日に反論し、日米の会計基準の乖離が小さくなったうえ営業資産が営業貸付金やマンション分譲へ移ったためだとして、成長力が鈍化しているという見方を退けた[102]。2002年3月期のファイナンスリースの新規実行高は9,800億円で史上二番目だ[103]と強調している。7月15日の投資家説明会には機関投資家とアナリスト約270名が集まり、普段は姿を見せない宮内会長ら経営陣[104]が並んだ。ドイツ証券は目標株価を9,200円から8,400円へ引き下げたが、説明会翌日には情報開示のありようを評価して投資評価を引き上げた[105]。2003年6月には旧商法改正に伴い委員会等設置会社へ移行[106]している。

  • 週刊東洋経済 2002年7月27日号「飛耳長目 会計処理問題 オリックスを見舞った“成長の限界”めぐる大論争」
    • [102]オリックスは2002年6月26日に反論し、基準の乖離縮小と営業資産の構成変化を理由に成長鈍化説を否定
    • [103]2002年3月期 ファイナンスリース新規実行高9,800億円で史上二番目
    • [104]2002年7月15日の投資家説明会に機関投資家・アナリスト約270名が参加、宮内会長ら経営陣が出席
    • [105]ドイツ証券は目標株価を9,200円から8,400円へ引き下げ、説明会翌日に投資評価を引き上げ
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [106]2003年6月 委員会等設置会社(現・指名委員会等設置会社)へ移行
  • 週刊東洋経済 2000年7月22日号「トップの履歴書 オリックス社長兼グループCOO 藤木保彦 多角化が進み「集団指導体制」へ」
    • [92]2000年4月 藤木保彦氏が社長兼グループCOO就任、宮内義彦氏は会長兼グループCEO
    • [93]藤木保彦氏 1968年4月 日興証券入社、1976年11月 オリエント・リース入社、1994年6月 取締役
    • [94]海外は副会長の石田克明氏、国内はCOOの藤木保彦氏が担当
    • [95]藤木保彦氏は一人で全社を見るのは無理だとして集団指導体制への移行を説明
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [96]1999年3月 オリックス・リアルエステート(現・オリックス不動産)設立、1999年4月 オリックス債権回収設立
    • [97]2005年1月 自動車関連6社の合併によりオリックス自動車へ社名変更
    • [106]2003年6月 委員会等設置会社(現・指名委員会等設置会社)へ移行
  • 週刊東洋経済 2002年7月27日号「飛耳長目 会計処理問題 オリックスを見舞った“成長の限界”めぐる大論争」
    • [98]2002年6月3日 ドイツ証券アナリストが45ページのリポートでオリックスの利益形成と情報開示を批判
    • [99]SEC基準は初年度に最大の利益、日本基準では利益が逓増するという会計上の差
    • [100]2002年3月期に日本基準の利益がSEC基準の利益を逆転、理由はファイナンスリースと保険の成長鈍化との指摘
    • [101]当時のオリックスは7年連続増益
    • [102]オリックスは2002年6月26日に反論し、基準の乖離縮小と営業資産の構成変化を理由に成長鈍化説を否定
    • [103]2002年3月期 ファイナンスリース新規実行高9,800億円で史上二番目
    • [104]2002年7月15日の投資家説明会に機関投資家・アナリスト約270名が参加、宮内会長ら経営陣が出席
    • [105]ドイツ証券は目標株価を9,200円から8,400円へ引き下げ、説明会翌日に投資評価を引き上げ

近鉄球団との統合と、大京への44%出資

2004年6月、オリックスは傘下のオリックス・ブルーウェーブに、経営難の大阪近鉄バファローズを統合することで合意した[107]。近鉄球団は年間40億円に上る赤字に耐えられず、親会社の近畿日本鉄道は54年の歴史を持つ名門球団[108]を手放している。パ・リーグ各球団の赤字幅は推定で年10億〜40億円だった一方、巨人には放送権料が年間70億円規模で入り[109]、収入は偏っていた。パ・リーグは全球団が持ち出しで、親会社の宣伝になるから赤字でもよいという状態が何十年も[110]続いていた。

  • 週刊東洋経済 2004年6月26日号「近鉄、オリックス合併へ 巨人にしがみつく球団経営」
    • [107]2004年6月 オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの統合で合意
    • [108]近鉄球団の赤字は年間40億円、近畿日本鉄道は54年の歴史を持つ球団を手放した
    • [109]パ・リーグ各球団の赤字は推定年10億〜40億円、巨人には放送権料が年70億円規模
  • 週刊東洋経済 2025年8月2日号「21世紀の証言 その4 オリックス シニア・チェアマン 宮内義彦 球団再編騒動の舞台裏 宣伝費扱いは限界だった」
    • [110]パ・リーグは全球団が持ち出しで、親会社の宣伝になるから赤字でもよいという状態が何十年も続いた

統合は史上初の選手会ストライキと新規参入問題へ発展し、オーナーの宮内氏は、プロ野球全体で年間150億〜160億円に上る赤字が偏在していると指摘し[111]、広告宣伝としての赤字許容は今の額では限界で、プロスポーツも一つの事業として成り立たせるべきだと主張している[112]。結果として楽天が仙台に新球団をつくり、ダイエーの球団はソフトバンクへ引き継がれ、12球団の二リーグ制は保たれた[113]。その後パ・リーグは協調して経営の改善を進めた[114]。宮内氏は米大リーグを引き合いに、日本のプロ野球は商売が下手だっただけで伸びしろは大きい[115]と語っている。

  • 週刊東洋経済 2004年10月23日号「プロ野球再編『抵抗勢力』批判に反論 オリックス宮内会長・独占インタビュー」
    • [111]プロ野球全体で年間150億〜160億円の赤字が偏在していると宮内義彦氏が指摘
    • [112]宮内義彦氏は広告宣伝としての赤字許容は限界で、プロスポーツも事業として成り立たせるべきと主張
  • 週刊東洋経済 2025年8月2日号「21世紀の証言 その4 オリックス シニア・チェアマン 宮内義彦 球団再編騒動の舞台裏 宣伝費扱いは限界だった」
    • [113]統合後、楽天が仙台に新球団を設立、ダイエーはソフトバンクへ、12球団の二リーグ制を維持
    • [114]再編後、パ・リーグは協調して経営改善を進めた
    • [115]宮内義彦氏は米大リーグを引き合いに日本のプロ野球の伸びしろは大きいと語った

2005年には、産業再生機構の支援下にあったマンション大手・大京の再建スポンサーとなり、約230億円の第三者割当増資を引き受けて議決権の約44%を握り、持分法適用会社とした[116]。藤木社長はこの出資を5年をメドに回収したい、合体するつもりはまったくないと述べ、純投資[117]だと説明している。大京はライオンズマンションでマンション発売戸数の29年連続首位を2006年まで守った会社で、開発偏重の収益構造から管理・流通で安定して稼ぐ体質への転換[118]を進めていた。2006年1月には米国の投資銀行Houlihan Lokey Howard & Zukinを買収し[119]、中堅企業向けのM&Aアドバイザリー機能をグループへ取り込んだ。

  • 週刊東洋経済 2005年2月12日号「大京スポンサーにオリックス44%出資の『深謀遠慮』」
    • [116]2005年 大京の再建スポンサーとして約230億円(約44%)の第三者割当増資を引き受け持分法適用会社化
    • [117]藤木保彦社長は大京出資を「5年をメドに回収したい」「合体するつもりはまったくない」純投資と位置づけた
  • 週刊東洋経済 2018年11月10日号「大京を完全子会社化 オリックス、不動産大手を追撃」
    • [118]大京はライオンズマンションでマンション発売戸数29年連続首位(2006年まで)、管理・流通で安定的に稼ぐ体質へ転換
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [119]2006年1月 米投資銀行Houlihan Lokey Howard & Zukinを買収
  • 週刊東洋経済 2004年6月26日号「近鉄、オリックス合併へ 巨人にしがみつく球団経営」
    • [107]2004年6月 オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの統合で合意
    • [108]近鉄球団の赤字は年間40億円、近畿日本鉄道は54年の歴史を持つ球団を手放した
    • [109]パ・リーグ各球団の赤字は推定年10億〜40億円、巨人には放送権料が年70億円規模
  • 週刊東洋経済 2025年8月2日号「21世紀の証言 その4 オリックス シニア・チェアマン 宮内義彦 球団再編騒動の舞台裏 宣伝費扱いは限界だった」
    • [110]パ・リーグは全球団が持ち出しで、親会社の宣伝になるから赤字でもよいという状態が何十年も続いた
    • [113]統合後、楽天が仙台に新球団を設立、ダイエーはソフトバンクへ、12球団の二リーグ制を維持
    • [114]再編後、パ・リーグは協調して経営改善を進めた
    • [115]宮内義彦氏は米大リーグを引き合いに日本のプロ野球の伸びしろは大きいと語った
  • 週刊東洋経済 2004年10月23日号「プロ野球再編『抵抗勢力』批判に反論 オリックス宮内会長・独占インタビュー」
    • [111]プロ野球全体で年間150億〜160億円の赤字が偏在していると宮内義彦氏が指摘
    • [112]宮内義彦氏は広告宣伝としての赤字許容は限界で、プロスポーツも事業として成り立たせるべきと主張
  • 週刊東洋経済 2005年2月12日号「大京スポンサーにオリックス44%出資の『深謀遠慮』」
    • [116]2005年 大京の再建スポンサーとして約230億円(約44%)の第三者割当増資を引き受け持分法適用会社化
    • [117]藤木保彦社長は大京出資を「5年をメドに回収したい」「合体するつもりはまったくない」純投資と位置づけた
  • 週刊東洋経済 2018年11月10日号「大京を完全子会社化 オリックス、不動産大手を追撃」
    • [118]大京はライオンズマンションでマンション発売戸数29年連続首位(2006年まで)、管理・流通で安定的に稼ぐ体質へ転換
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [119]2006年1月 米投資銀行Houlihan Lokey Howard & Zukinを買収

村上ファンドとの縁、そして金融危機

1999年8月に生まれた村上ファンドを、オリックスは6年以上[120]にわたって支えた。担当したのは新規事業と会長の特命事項を扱う社長室で、社長室からファンドの中核会社へ社外取締役を送り続け、社長室が管理する運用資金を拠出している[121]。2006年3月末のMACジャパンの純資産1,041億円のうち193億円はオリックスの持ち分[122]だった。村上世彰氏の逮捕を受けて2006年5月に資本関係の解消と取締役の引き揚げを終え、宮内会長は6月29日の記者会見[123]で、立ち上げのときに手を差し伸べたがその後は独り立ちしていた、責任は感じていないと説明した[124]

  • 週刊東洋経済 2006年7月29日号「第2特集 オリックスの躓き 宮内流経営はなぜ集中砲火を浴びるのか」
    • [120]1999年8月 村上ファンド誕生、以後6年以上オリックスが支えた
    • [121]村上ファンドを担当したのは社長室で、社外取締役の派遣と運用資金の拠出を継続
    • [122]2006年3月末 MACジャパンの純資産1,041億円のうち193億円がオリックスの持ち分
    • [123]2006年5月 資本関係解消と取締役引き揚げ、6月29日に宮内義彦会長が会見
    • [124]宮内義彦会長の会見発言「立ち上げのときに手を差し伸べたが、その後は独り立ちしていた。責任は感じていない」

2008年には梁瀬行雄氏が社長へ[125]就いた。2008年3月期の連結当期純利益は1,695億円、総資産は2006年3月期の7.2兆円から8.9兆円へ膨らんでおり[126]、その拡大を支えたのは新興不動産会社向けの融資、不動産関連の特別目的会社向けノンリコースローン、不動産担保融資といった不動産関連金融と、オリックス不動産のマンション分譲[127]だった。2008年9月には、不動産の流動化事業で急成長しながら資金繰りに行き詰まったジョイント・コーポレーションの第三者割当増資を引き受けて100億円を出資し、200億円の融資極度額も設定している[128]

  • オリックス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [125]2008年 梁瀬行雄氏が社長に就任
  • 週刊東洋経済 2009年4月11日号「特集 どこまで下がる? 不動産・マンション 資産圧縮努力で耐え忍ぶ苦境の“不動産金融王” どうなるオリックス」
    • [126]2008年3月期 連結当期利益1,695億円、総資産8.9兆円(2006年3月期は7.2兆円)
    • [127]急拡大を支えたのは新興不動産会社向け融資・不動産関連SPC向けノンリコースローン・不動産担保融資とマンション分譲
    • [128]2008年9月 ジョイント・コーポレーションの第三者割当増資を引き受け100億円出資、200億円の融資極度額を設定

金融危機は不動産へ寄せた資産を直撃し、2009年2月9日、2009年3月期の純利益予想を1,050億円から150億円へ修正し[129]、実績は219億円と前期比約87%減で着地している[130]。2008年12月末の不動産関連資産は3.5兆円、有利子負債は5.5兆円あり、株価は一時2,000円[131]を割り込んだ。年度末までに3,000億円を見込んでいた新規の不動産投資を断念し、総資産を7.8兆円程度まで縮める方針[132]へ改めている。持分法適用会社の大京には優先株100億円を引き受けて2度目の支援を行い[133]、2009年7月にはオリックス・クレジットの株式51%を三井住友銀行へ譲渡した[134]

  • 週刊東洋経済 2009年4月11日号「特集 どこまで下がる? 不動産・マンション 資産圧縮努力で耐え忍ぶ苦境の“不動産金融王” どうなるオリックス」
    • [129]2009年2月9日 2009年3月期の純利益予想を1,050億円から150億円へ下方修正
    • [131]2008年12月末 不動産関連資産3.5兆円、有利子負債5.5兆円、株価は一時2,000円割れ
    • [132]3,000億円の新規不動産投資を断念し、総資産を7.8兆円程度へ圧縮する方針
    • [133]大京の優先株100億円を引き受け(2005年の増資引き受けに次ぐ2度目の支援)
  • オリックス 有価証券報告書(2009年3月期・連結)
    • [130]2009年3月期 親会社株主帰属当期純利益219億円(前期1,695億円から約87%減)
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [134]2009年7月 オリックス・クレジット株式51%を三井住友銀行へ譲渡
  • 週刊東洋経済 2006年7月29日号「第2特集 オリックスの躓き 宮内流経営はなぜ集中砲火を浴びるのか」
    • [120]1999年8月 村上ファンド誕生、以後6年以上オリックスが支えた
    • [121]村上ファンドを担当したのは社長室で、社外取締役の派遣と運用資金の拠出を継続
    • [122]2006年3月末 MACジャパンの純資産1,041億円のうち193億円がオリックスの持ち分
    • [123]2006年5月 資本関係解消と取締役引き揚げ、6月29日に宮内義彦会長が会見
    • [124]宮内義彦会長の会見発言「立ち上げのときに手を差し伸べたが、その後は独り立ちしていた。責任は感じていない」
  • オリックス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [125]2008年 梁瀬行雄氏が社長に就任
  • 週刊東洋経済 2009年4月11日号「特集 どこまで下がる? 不動産・マンション 資産圧縮努力で耐え忍ぶ苦境の“不動産金融王” どうなるオリックス」
    • [126]2008年3月期 連結当期利益1,695億円、総資産8.9兆円(2006年3月期は7.2兆円)
    • [127]急拡大を支えたのは新興不動産会社向け融資・不動産関連SPC向けノンリコースローン・不動産担保融資とマンション分譲
    • [128]2008年9月 ジョイント・コーポレーションの第三者割当増資を引き受け100億円出資、200億円の融資極度額を設定
    • [129]2009年2月9日 2009年3月期の純利益予想を1,050億円から150億円へ下方修正
    • [131]2008年12月末 不動産関連資産3.5兆円、有利子負債5.5兆円、株価は一時2,000円割れ
    • [132]3,000億円の新規不動産投資を断念し、総資産を7.8兆円程度へ圧縮する方針
    • [133]大京の優先株100億円を引き受け(2005年の増資引き受けに次ぐ2度目の支援)
  • オリックス 有価証券報告書(2009年3月期・連結)
    • [130]2009年3月期 親会社株主帰属当期純利益219億円(前期1,695億円から約87%減)
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [134]2009年7月 オリックス・クレジット株式51%を三井住友銀行へ譲渡

2010年〜 融資から事業投資への転換と、出入りを繰り返す事業構成

オリックスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2011年 井上亮氏が社長就任(第6代)
  2. 2013年 蘭ロベコの2400億円買収による資産運用への本格進出 リーマンショックの危機対応を終えたオリックスは、なぜ史上最高額の欧州運用会社買収に踏み切ったか
  3. 2014年 リース・融資から自己資金の事業投資への業態転換 低金利で本業が稼げなくなったリースの草分けは、なぜ融資(デット)を離れ資本を入れる事業投資会社へ転じたか
  4. 2014年 ハートフォード生命保険を買収
  5. 2015年 関西エアポートを仏VINCI Airportsと共同設立
  6. 2019年 マンション大手・大京のTOBによる完全子会社化 再生案件の「純投資」として抱えた不動産大手を、井上亮社長はなぜ取り込む側へ転じたか
  7. 2021年 Elawan Energy S.L.を買収

危機からの回復と、資産運用会社ロベコの買収

危機の後も海外の金融事業は買い続け、2010年5月に米国のローン・サービシング会社RED Capital Group、同年12月にファンド運営会社Mariner Investment Group LLCを取得している[135]。株価は2006年の最高値3万8,150円から2009年初頭に1,707円まで下げていたが、資産の圧縮と海外・金融事業の強化によって2013年3月期の予想純利益は1,100億円[136]まで戻った。2011年には井上亮氏が社長へ就き[137]、2012年6月には三井住友銀行が持つオリックス・クレジット株式51%を取得して同社を完全子会社としている[138]

  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [135]2010年5月 米RED Capital Group買収、2010年12月 米Mariner Investment Group LLC買収
    • [138]2012年6月 三井住友銀行保有のオリックス・クレジット株式51%を取得し完全子会社化
  • 週刊東洋経済 2013年2月25日号「NEWS&REPORT 03 完全復活への一里塚 オリックスが大型買収」
    • [136]株価は2006年の最高値3万8,150円から2009年初頭に1,707円まで下落、2013年3月期の予想純益は1,100億円まで回復
  • オリックス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [137]2011年 井上亮氏が社長就任

2013年2月19日、オランダの資産運用会社ロベコの株式約90.01%を約19億3,500万ユーロで取得する契約を締結した[139]。ロベコの預かり資産は23兆円を超え、リーマンショックの1年を除いて過去10年間預かり資産を増やし続け、2012年度は純益200億円・ROE14%[140]を上げていた。宮内会長は、世界経済がよい状況ならこの価格では買えなかったと述べ、この買収で野村アセットマネジメントに匹敵する運用規模になると語っている[141]。同年7月1日に取得を完了し、価額は総額19億3,774万ユーロ、約2,507億円[142]となった。

買収は運用にとどまらず、2014年7月にはハートフォード生命保険を買収して1991年に立ち上げた生命保険の規模を広げ[143]、同年12月には業務ソフトウエアの弥生株式会社を買収している[144]。ロベコは2016年10月に株式を追加取得して完全子会社とし、現在のORIX Corporation Europe N.V.[145]へつながった。2014年3月期の営業収益は1兆3,752億円で、前期の1兆524億円[146]から拡大し、親会社株主に帰属する当期純利益は1,873億円[147]となった。2015年3月期には営業収益2兆1,742億円、当期純利益2,349億円[148]まで伸びている。

  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [143]2014年7月 ハートフォード生命保険を買収(現・オリックス生命保険)
    • [144]2014年12月 業務ソフトウエアの弥生株式会社を買収
    • [145]2016年10月 ロベコを株式追加取得で完全子会社化(現・ORIX Corporation Europe N.V.)
  • オリックス 有価証券報告書(2014年3月期・連結)
    • [146]2014年3月期 営業収益1兆3,752億円(前期1兆524億円)
    • [147]2014年3月期 親会社株主帰属当期純利益1,874億円
  • オリックス 有価証券報告書(2015年3月期・連結)
    • [148]2015年3月期 営業収益2兆1,742億円、親会社株主帰属当期純利益2,349億円
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [135]2010年5月 米RED Capital Group買収、2010年12月 米Mariner Investment Group LLC買収
    • [138]2012年6月 三井住友銀行保有のオリックス・クレジット株式51%を取得し完全子会社化
    • [143]2014年7月 ハートフォード生命保険を買収(現・オリックス生命保険)
    • [144]2014年12月 業務ソフトウエアの弥生株式会社を買収
    • [145]2016年10月 ロベコを株式追加取得で完全子会社化(現・ORIX Corporation Europe N.V.)
  • 週刊東洋経済 2013年2月25日号「NEWS&REPORT 03 完全復活への一里塚 オリックスが大型買収」
    • [136]株価は2006年の最高値3万8,150円から2009年初頭に1,707円まで下落、2013年3月期の予想純益は1,100億円まで回復
    • [140]ロベコの預かり資産23兆円超、2012年度は純益200億円・ROE14%
    • [141]宮内義彦会長は世界経済がよければこの価格では買えなかったとし、野村アセットマネジメントに匹敵する規模になると述べた
  • オリックス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [137]2011年 井上亮氏が社長就任
    • [139]2013年2月19日 ロベコ株式約90.01%を約19億3,500万ユーロで取得する契約を締結
    • [142]2013年7月1日 取得完了、取得価額は総額19億3,774万ユーロ(約2,507億円)
  • オリックス 有価証券報告書(2014年3月期・連結)
    • [146]2014年3月期 営業収益1兆3,752億円(前期1兆524億円)
    • [147]2014年3月期 親会社株主帰属当期純利益1,874億円
  • オリックス 有価証券報告書(2015年3月期・連結)
    • [148]2015年3月期 営業収益2兆1,742億円、親会社株主帰属当期純利益2,349億円

融資から自己資金による事業投資への転換

本業のリースでは稼げなくなっており、井上社長は、調達金利と貸出金利の差が1%あっても融資残高の1%が焦げ付けば稼ぎは飛ぶとしたうえで、いまは利幅が0.5%しかないと述べている[149]。リーマンショックで過剰なレバレッジと不動産偏重の危うさが表れたため、借り入れを膨らませて利益を出す道を断ち、自己資金を投じてリターンを狙うエクイティ型の事業投資へ移した[150]。レバレッジはリーマン当時の4倍から1.6倍まで下がり、負債を長期化して十分な流動性[151]を確保している。

  • 週刊東洋経済 2019年12月28日号「迫られる業態の大転換 リース オリックス 社長 井上亮 本業では稼げず事業投資に活路」
    • [149]井上亮社長は利ざや1%でも残高の1%が焦げ付けば稼ぎは飛ぶとし、利幅は0.5%しかないと述べた
  • 週刊東洋経済 2014年4月11日号「本業消失 勝ち残る経営 オリックス 旅館運営にまで進化『付け足し』変身経営」
    • [150]過剰レバレッジの道が閉ざされ、デット中心の商売からエクイティ投資へ転換
  • 週刊東洋経済 2017年12月30日号「2018年大予測 ビジネス オリックス 社長 井上亮 リーマンショック前に状況がよく似ている」
    • [151]レバレッジはリーマン当時の4倍から1.6倍へ低下、負債を長期化して流動性を確保

2012年以降は事業承継やカーブアウトの案件を中心に17社へ出資し、業種は酒販大手から動物用医薬品[152]まで及んだ。多額の借金を使い回収期限が決まるPEファンドと違い、手持ち資金で投資するため回収期限を柔軟に決められ、買収先を自社の戦略に縛る必要もない[153]というのがオリックスの説明である。2015年12月にはフランスの空港運営会社VINCI Airports S.A.S.と関西エアポート株式会社を設立し、関西国際空港と大阪国際空港[154]の運営に入った。旅館やホテルの運営[155]にも手を伸ばしている。

  • 週刊東洋経済 2017年5月27日号「リース反攻 オリックス『高ROA』経営のヒミツ」
    • [152]2012年以降、事業承継・カーブアウト案件を中心に17社へ投資、業種は酒販大手から動物用医薬品まで
    • [153]手持ち資金で投資するため回収期限を柔軟に決められ、買収先を自社の戦略に縛らないという説明
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [154]2015年12月 仏VINCI Airports S.A.S.と関西エアポート株式会社を設立し関西国際空港・大阪国際空港を運営
  • 週刊東洋経済 2014年4月11日号「本業消失 勝ち残る経営 オリックス 旅館運営にまで進化『付け足し』変身経営」
    • [155]旅館・ホテルなどの施設運営にも進出

2017年3月期の営業収益は2兆6,786億円、当期純利益は2,732億円で3期連続の最高益[156]となった。リースから上がる利益は全体の約2割まで下がり、総資産利益率は他の大手リース各社の1%前後に対して2%台半ば[157]に達している。2018年11月にはアイルランドの航空機リース会社Avolon Holdings Limitedの株式30%[158]を取得した。井上社長は米MGMと組んで総事業費1.3兆円規模の大阪のIR構想も打ち出し、ガバナンスが問われる案件ゆえに過半出資へこだわった[159]と述べている。

  • オリックス 有価証券報告書(2017年3月期・連結)
    • [156]2017年3月期 営業収益2兆6,786億円・当期純利益2,732億円で3期連続の最高益
  • 週刊東洋経済 2017年5月27日号「リース反攻 オリックス『高ROA』経営のヒミツ」
    • [157]リースからの利益は全体の約2割、ROAは他の大手リース各社の1%前後に対し2%台半ば
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [158]2018年11月 アイルランドのAvolon Holdings Limited株式30%を取得
  • 週刊東洋経済 2019年12月28日号「迫られる業態の大転換 リース オリックス 社長 井上亮 本業では稼げず事業投資に活路」
    • [159]井上亮社長は米MGMと組む総事業費1.3兆円規模の大阪IR構想で過半出資にこだわったと述べた
  • 週刊東洋経済 2019年12月28日号「迫られる業態の大転換 リース オリックス 社長 井上亮 本業では稼げず事業投資に活路」
    • [149]井上亮社長は利ざや1%でも残高の1%が焦げ付けば稼ぎは飛ぶとし、利幅は0.5%しかないと述べた
    • [159]井上亮社長は米MGMと組む総事業費1.3兆円規模の大阪IR構想で過半出資にこだわったと述べた
  • 週刊東洋経済 2014年4月11日号「本業消失 勝ち残る経営 オリックス 旅館運営にまで進化『付け足し』変身経営」
    • [150]過剰レバレッジの道が閉ざされ、デット中心の商売からエクイティ投資へ転換
    • [155]旅館・ホテルなどの施設運営にも進出
  • 週刊東洋経済 2017年12月30日号「2018年大予測 ビジネス オリックス 社長 井上亮 リーマンショック前に状況がよく似ている」
    • [151]レバレッジはリーマン当時の4倍から1.6倍へ低下、負債を長期化して流動性を確保
  • 週刊東洋経済 2017年5月27日号「リース反攻 オリックス『高ROA』経営のヒミツ」
    • [152]2012年以降、事業承継・カーブアウト案件を中心に17社へ投資、業種は酒販大手から動物用医薬品まで
    • [153]手持ち資金で投資するため回収期限を柔軟に決められ、買収先を自社の戦略に縛らないという説明
    • [157]リースからの利益は全体の約2割、ROAは他の大手リース各社の1%前後に対し2%台半ば
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [154]2015年12月 仏VINCI Airports S.A.S.と関西エアポート株式会社を設立し関西国際空港・大阪国際空港を運営
    • [158]2018年11月 アイルランドのAvolon Holdings Limited株式30%を取得
  • オリックス 有価証券報告書(2017年3月期・連結)
    • [156]2017年3月期 営業収益2兆6,786億円・当期純利益2,732億円で3期連続の最高益

取得と売却を繰り返す事業構成の組み替え

2018年10月26日、議決権の7割弱を持つ上場子会社の大京に対し、完全子会社化を目的とする公開買付けを発表した[160]。買付価格は前日終値に3割弱を上乗せした1株2,970円、総額は約770億円[161]で、同年12月11日に公開買付けを終えて議決権は約94%となり、大京は2019年1月に上場廃止となった[162]。両社が上場したままでは投資基準の違いから意思決定に時間がかかり案件を逃すこともあった[163]ため、一体運営で仕入れ情報を共有する体制へ改めている。不動産事業は全社利益の約2割を稼いでいたが市況を過熱ぎみとみており、リーマン前に2兆円弱あった不動産簿価は大京と合わせて8,000億円[164]まで縮んでいた。

  • 週刊東洋経済 2018年11月10日号「大京を完全子会社化 オリックス、不動産大手を追撃」
    • [160]2018年10月26日 議決権7割弱を持つ上場子会社・大京に完全子会社化を目的としたTOBを発表
    • [161]買付価格は前日終値に3割弱上乗せの1株2,970円、総額約770億円
    • [163]両社上場のままでは投資基準の相違で意思決定に時間を要し案件を逃すこともあった
    • [164]不動産事業は全社利益の約2割、リーマン前に2兆円弱あった不動産簿価は大京と合わせ8,000億円まで縮小
  • 日本経済新聞(2018年12月11日)「大京、1月中に上場廃止へ オリックス、TOB完了」
    • [162]2018年12月11日 TOB完了で議決権約94%、大京は2019年1月に上場廃止

取り込んだ事業は手放しもし、2019年7月にHoulihan Lokeyの全株式を売却し[165]、2020年7月にはMariner Investment Group LLCの全株式を、2022年3月には弥生の全事業を売っている[166]。一方で2021年7月にスペインの再生可能エネルギー事業会社Elawan Energy S.L.を買収し、2023年2月に株式を追加取得して完全子会社とした[167]。2024年3月にはオリックス・クレジットの株式66%を株式会社NTTドコモへ譲渡[168]している。2022年4月には東京証券取引所の市場区分再編に伴い、市場第一部からプライム市場[169]へ移った。

  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [165]2019年7月 Houlihan Lokey全株式を売却
    • [166]2020年7月 Mariner Investment Group LLC全株式を売却、2022年3月 弥生の全事業を売却
    • [167]2021年7月 スペインのElawan Energy S.L.を買収、2023年2月に追加取得で完全子会社化
    • [168]2024年3月 オリックス・クレジット株式66%をNTTドコモへ譲渡
    • [169]2022年4月 東証の市場区分再編で市場第一部からプライム市場へ移行

2022年3月期の親会社株主に帰属する当期純利益は3,173億円[170]で当時の最高水準を更新し、2023年3月期に2,903億円へ減ったのち、2024年3月期は3,461億円、2025年3月期は3,516億円と戻した[171]。2025年3月期の営業収益は2兆8,748億円、総資産は16.9兆円、連結従業員数は33,982人[172]で、連結子会社は1,163社に及ぶ[173]。井上氏が社長へ就いた2011年3月期の営業収益9,701億円、総資産8.6兆円、連結従業員17,578人と比べると、営業収益で約3倍、従業員で約2倍[174]の規模になった。事業は法人営業・メンテナンスリース、不動産、事業投資・コンセッション、環境エネルギー、保険、銀行・クレジット、輸送機器、ORIX USA、ORIX Europe、アジア・豪州の10区分[175]で構成される。2025年1月には井上氏が会長兼グループCEOへ移り[176]髙橋英丈氏が社長兼COOへ就いた[177]。井上氏は2025年に、収益率の低い事業を売って収益率の高い事業を買う方針へ改める[178]と述べている。

  • オリックス 有価証券報告書(2022年3月期・連結)
    • [170]2022年3月期 親会社株主帰属当期純利益3,173億円
  • オリックス 有価証券報告書(2025年3月期・連結)
    • [171]2023年3月期2,903億円、2024年3月期3,461億円、2025年3月期3,516億円
    • [172]2025年3月期 営業収益2兆8,748億円、総資産16.9兆円、連結従業員33,982人
    • [173]連結子会社1,163社
    • [175]セグメントは法人営業・メンテナンスリース/不動産/事業投資・コンセッション/環境エネルギー/保険/銀行・クレジット/輸送機器/ORIX USA/ORIX Europe/アジア・豪州の10区分
  • オリックス 有価証券報告書(2011年3月期・連結)
    • [174]2011年3月期 営業収益9,701億円、総資産8.6兆円、連結従業員17,578人(2025年3月期比で営業収益約3倍・従業員約2倍)
    • [176]2025年1月 井上亮氏が会長兼グループCEOへ移行(14年ぶりの社長交代)
  • オリックス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [177]2025年1月 髙橋英丈氏が社長兼COOに就任
    • [178]井上亮氏は2025年に収益率の低い事業を売り収益率の高い事業を買う方針へ転換すると表明
  • 週刊東洋経済 2018年11月10日号「大京を完全子会社化 オリックス、不動産大手を追撃」
    • [160]2018年10月26日 議決権7割弱を持つ上場子会社・大京に完全子会社化を目的としたTOBを発表
    • [161]買付価格は前日終値に3割弱上乗せの1株2,970円、総額約770億円
    • [163]両社上場のままでは投資基準の相違で意思決定に時間を要し案件を逃すこともあった
    • [164]不動産事業は全社利益の約2割、リーマン前に2兆円弱あった不動産簿価は大京と合わせ8,000億円まで縮小
  • 日本経済新聞(2018年12月11日)「大京、1月中に上場廃止へ オリックス、TOB完了」
    • [162]2018年12月11日 TOB完了で議決権約94%、大京は2019年1月に上場廃止
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
    • [165]2019年7月 Houlihan Lokey全株式を売却
    • [166]2020年7月 Mariner Investment Group LLC全株式を売却、2022年3月 弥生の全事業を売却
    • [167]2021年7月 スペインのElawan Energy S.L.を買収、2023年2月に追加取得で完全子会社化
    • [168]2024年3月 オリックス・クレジット株式66%をNTTドコモへ譲渡
    • [169]2022年4月 東証の市場区分再編で市場第一部からプライム市場へ移行
  • オリックス 有価証券報告書(2022年3月期・連結)
    • [170]2022年3月期 親会社株主帰属当期純利益3,173億円
  • オリックス 有価証券報告書(2025年3月期・連結)
    • [171]2023年3月期2,903億円、2024年3月期3,461億円、2025年3月期3,516億円
    • [172]2025年3月期 営業収益2兆8,748億円、総資産16.9兆円、連結従業員33,982人
    • [173]連結子会社1,163社
    • [175]セグメントは法人営業・メンテナンスリース/不動産/事業投資・コンセッション/環境エネルギー/保険/銀行・クレジット/輸送機器/ORIX USA/ORIX Europe/アジア・豪州の10区分
  • オリックス 有価証券報告書(2011年3月期・連結)
    • [174]2011年3月期 営業収益9,701億円、総資産8.6兆円、連結従業員17,578人(2025年3月期比で営業収益約3倍・従業員約2倍)
    • [176]2025年1月 井上亮氏が会長兼グループCEOへ移行(14年ぶりの社長交代)
  • オリックス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [177]2025年1月 髙橋英丈氏が社長兼COOに就任
    • [178]井上亮氏は2025年に収益率の低い事業を売り収益率の高い事業を買う方針へ転換すると表明

オリックスの沿革1964〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
オリエント・リース設立
東京支店を開設
乾恒雄株式額面変更目的で同名会社に吸収合併
乾恒雄大阪証券取引所市場第二部に上場
乾恒雄Orient Leasing(Hong Kong)Ltd.設立
乾恒雄日本企業初のアジアダラー債を発行
乾恒雄オリエント・オート・リース設立
乾恒雄ファミリー信販設立
宮内義彦宮内義彦氏が社長に就任(第3代)
宮内義彦バジェット・レンタカー設立
宮内義彦証券会社に資本参加
宮内義彦プロ野球球団・阪急ブレーブスを取得★★
宮内義彦リース専業からの脱皮と金融サービス業への多角化リースの草分けはなぜ、みずから「リース会社」の看板を下ろしたのか——宮内義彦の連続M&Aと商号変更 詳細を読む★★★
宮内義彦アイルランドにORIX Aviation Systems Limited設立★★
宮内義彦オリックス・オマハ生命保険設立★★
宮内義彦山一信託銀行を買収★★
宮内義彦NYSE上場で会社を「外から律する」厳しい米国基準に自社を晒す海外上場を、宮内義彦社長はなぜ「会社の安全」と呼んだか 詳細を読む★★★
宮内義彦社外取締役選任、指名・報酬委員会設置
藤木保彦藤木保彦氏が社長に就任(第4代)
藤木保彦委員会等設置会社へ移行
藤木保彦近鉄バファローズとの球団統合とプロ野球再編高収益の金融グループはなぜ赤字続きのプロ野球球団を吸収し、球界の再編に踏み込んだのか 詳細を読む★★★
藤木保彦Houlihan Lokeyを買収★★
梁瀬行雄梁瀬行雄氏が社長に就任(第5代)
梁瀬行雄中国本社(欧力士投資有限公司)設立
井上亮井上亮氏が社長就任(第6代)
井上亮蘭ロベコの2400億円買収による資産運用への本格進出リーマンショックの危機対応を終えたオリックスは、なぜ史上最高額の欧州運用会社買収に踏み切ったか 詳細を読む★★★
井上亮リース・融資から自己資金の事業投資への業態転換低金利で本業が稼げなくなったリースの草分けは、なぜ融資(デット)を離れ資本を入れる事業投資会社へ転じたか 詳細を読む★★★
井上亮ハートフォード生命保険を買収★★
井上亮関西エアポートを仏VINCI Airportsと共同設立★★
井上亮マンション大手・大京のTOBによる完全子会社化再生案件の「純投資」として抱えた不動産大手を、井上亮社長はなぜ取り込む側へ転じたか 詳細を読む★★★
井上亮Elawan Energy S.L.を買収★★
井上亮通期当期純利益3,173億円を計上
井上亮オリックス・クレジット株式66%をNTTドコモに譲渡
髙橋英丈髙橋英丈氏が社長兼COOに就任(第7代)
出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 1971年9巻2号「オリエント・リースの現状と将来」(宮内義彦)
  • オリックス 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 1986年12月8日号「人 乾恒雄オリエント・リース会長「会社は数字だけじゃない」と説く洒脱な経営美学」
  • 週刊東洋経済 2010年9月11日号「TOP INTERVIEW 宮内義彦 オリックス会長兼グループCEO 今どき流行らないけれど やはり構造改革でしょう」
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 日本最強ノンバンク」
  • 日経ビジネス 1978年1月16日号「ケーススタディ オリエント・リース「連結決算」武器に10年連続増益」
  • 日経ビジネス 1985年7月22日号「オリエント・リース 激戦地『金融サービス』へ乗り込む」
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 日経ビジネス 1987年4月27日号「編集長インタビュー 宮内義彦氏(オリエント・リース社長)私のM&A戦術」
  • 週刊東洋経済 1999年8月28日号「特集 オリックス強さの秘密 リテイル戦線『波高し』戦闘集団の新たな挑戦 オリックスの呻吟」
  • 日経ビジネス 1998年5月18日号「編集長インタビュー 宮内義彦氏[オリックス社長]NY上場で会社を外から律する 会計基準も厳しい方が安全でいい」
  • 週刊東洋経済 2000年7月22日号「トップの履歴書 オリックス社長兼グループCOO 藤木保彦 多角化が進み「集団指導体制」へ」
  • 週刊東洋経済 2002年7月27日号「飛耳長目 会計処理問題 オリックスを見舞った“成長の限界”めぐる大論争」
  • 週刊東洋経済 2004年6月26日号「近鉄、オリックス合併へ 巨人にしがみつく球団経営」
  • 週刊東洋経済 2025年8月2日号「21世紀の証言 その4 オリックス シニア・チェアマン 宮内義彦 球団再編騒動の舞台裏 宣伝費扱いは限界だった」
  • 週刊東洋経済 2004年10月23日号「プロ野球再編『抵抗勢力』批判に反論 オリックス宮内会長・独占インタビュー」
  • 週刊東洋経済 2005年2月12日号「大京スポンサーにオリックス44%出資の『深謀遠慮』」
  • 週刊東洋経済 2018年11月10日号「大京を完全子会社化 オリックス、不動産大手を追撃」
  • 週刊東洋経済 2006年7月29日号「第2特集 オリックスの躓き 宮内流経営はなぜ集中砲火を浴びるのか」
  • オリックス 有価証券報告書【役員の状況】
  • 週刊東洋経済 2009年4月11日号「特集 どこまで下がる? 不動産・マンション 資産圧縮努力で耐え忍ぶ苦境の“不動産金融王” どうなるオリックス」
  • オリックス 有価証券報告書(2009年3月期・連結)
  • 週刊東洋経済 2013年2月25日号「NEWS&REPORT 03 完全復活への一里塚 オリックスが大型買収」
  • オリックス株式会社 ニュースリリース 2013年2月19日「Robeco Groep N.V. 株式取得に関する契約締結について」
  • オリックス株式会社 ニュースリリース 2013年7月1日「Robeco Groep N.V. 株式取得の完了について」
  • オリックス 有価証券報告書(2014年3月期・連結)
  • オリックス 有価証券報告書(2015年3月期・連結)
  • 週刊東洋経済 2019年12月28日号「迫られる業態の大転換 リース オリックス 社長 井上亮 本業では稼げず事業投資に活路」
  • 週刊東洋経済 2014年4月11日号「本業消失 勝ち残る経営 オリックス 旅館運営にまで進化『付け足し』変身経営」
  • 週刊東洋経済 2017年12月30日号「2018年大予測 ビジネス オリックス 社長 井上亮 リーマンショック前に状況がよく似ている」
  • 週刊東洋経済 2017年5月27日号「リース反攻 オリックス『高ROA』経営のヒミツ」
  • オリックス 有価証券報告書(2017年3月期・連結)
  • 日本経済新聞(2018年12月11日)「大京、1月中に上場廃止へ オリックス、TOB完了」
  • オリックス 有価証券報告書(2022年3月期・連結)
  • オリックス 有価証券報告書(2025年3月期・連結)
  • オリックス 有価証券報告書(2011年3月期・連結)
  • 日本経済新聞(2024年12月)「オリックス社長に高橋氏 井上氏は会長兼CEO 14年ぶり交代」
  • 日本経済新聞(2025年8月)「オリックス井上亮会長兼グループCEO『目指すはブラックストーン』」

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