勝田龍夫

あおぞら銀行・元頭取

Shoda Tatsuo(敬称略)

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社長就任 1969年10月
生年月日 —
学歴 京都帝国大学法学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1937年3月に京都帝国大学法学部を出て、同年4月に朝鮮銀行へ入行し、東京・上海・ニューヨークの各支店に勤務した。1945年8月に同行を退職し、1956年6月から閉鎖機関となった朝鮮銀行の特殊清算人補佐を務めた。1957年4月の日本不動産銀行の設立と同時に、役員待遇の総務部長として入行する。翌1958年5月に取締役、1960年5月に人事部長兼検査室長、1962年5月に常務取締役へ進んだ。清算業務から新銀行の管理部門へ移っている。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1965年10月に取締役副頭取となり、1969年10月に湯藤実則氏の後任として取締役頭取へ就任した。1966年版の要覧に並ぶ取締役14名のうち、設立と同時に朝鮮銀行から移った顔ぶれを見ると、山崎輝彦氏は1960年5月、橋本惇吉氏は1961年11月、神保鳳三郎氏は1962年5月に取締役へ上がっており、入行の翌年に取締役となったのは勝田氏だけである。設立時から総務・人事・検査を任され、内部を統べる位置から頭取へ上がった。

在任中の主な施策
施策

頭取在任は1969年10月から1974年10月までの5年にあたる。在任中の1970年2月に大阪証券取引所へ株式を上場した。1974年10月に取締役会長へ退き、後任の頭取には日本興業銀行から中央信託銀行を経た渡邉淳氏を外部から迎えている。会長へ移ったのちも代表取締役として残り、1981年版の要覧まで取締役会長として役員欄の筆頭に載り続けた。設立時入行組から頭取を出す流れは、この交代でいったん切れた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1937〜1974年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件

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