1971年〜 三菱グループ16社の共同出資で始まった金融子会社
三菱HCキャピタルの業績推移:単体
- 1971年 ダイヤモンドリースを設立
- 1975年 初の海外子会社を設立
- 1982年 子会社(後の日立キャピタル(UK)PLC)を設立
- 1983年 ダイヤモンドリースが金融業務に参入
- 1985年 東京証券取引所市場第二部に上場
- 1987年 ダイヤモンドリースが不動産業に参入
- 1988年 東京証券取引所市場第一部に上場
三菱11社+日生+第一生命+米チェース系3社の16社出資
1971年4月、三菱銀行(現三菱UFJ銀行)、三菱商事、三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)、明治生命保険(現明治安田生命)、東京海上火災保険(現東京海上日動火災)等を中心とする三菱グループ11社、日本生命保険、第一生命保険[1]、米国チェース・マンハッタン銀行関連会社3社の合計16社を株主としてダイヤモンドリース株式会社が設立された[2]。資本金10億円、本店は東京都千代田区[3]。1970年前後の日本は設備投資の拡大期にあり、各都市銀行系列で「○○リース」が相次いで設立された時期にあたる。三菱グループは銀行・商事・信託の3社軸で1社のリース会社を共同で立ち上げ、グループ取引先の設備調達需要をオフバランスで賄う窓口の役割を持たせた。
- 三菱HCキャピタル 有価証券報告書【沿革】
- [1]出資16社の構成(三菱グループ11社+日本生命+第一生命+米チェース系3社)
- [2]1971年4月 ダイヤモンドリース株式会社が16社出資で設立
- [3]設立時資本金10億円
設立当初の事業は情報関連機器、事務用機器、産業工作機械を中心とする動産リースで、グループ商社・銀行の顧客基盤がそのまま顧客リストになった。三菱商事の取り扱う輸入機械、三菱銀行の取引先である中堅製造業の設備投資、三菱信託の不動産ファイナンスの周辺需要が、設立直後から安定した契約実行高をもたらした。リース取引は設備代金を割賦に置き換える金融商品であり、メーカーの販売支援、顧客のオフバランス、銀行のクレジット代替という3者の利害が一致する商品設計で、グループ各社にとって新規市場というよりも既存取引の延長線上にあった。三菱グループの共同出資という資本構成自体が、設立直後から大口顧客を集めるブランドの代わりを果たした。
1985年3月に東京証券取引所市場第二部に上場[4]、1988年9月には第一部に指定替えとなり[5]、設立から17年で東証一部上場のリース会社の一角を占めた。同社の事業モデルは「グループ顧客向けの動産・割賦・貸付」を組み合わせた金融サービスで、業界内では銀行系リース会社の典型的な業態と位置付けられた。発注者であるメーカーと借手である顧客の双方に三菱系の取引先が多く、新規開拓よりも既存取引網の深耕が成長の主軸となった。リース業界全体が高度成長から安定成長への移行期に入った1980年代、同社は資金調達コストの低さと三菱グループの信用力を武器に、業界上位のシェアを確保した。
- 三菱HCキャピタル 有価証券報告書【沿革】
- [4]1985年3月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [5]1988年9月 東京証券取引所市場第一部へ指定替え
- 三菱HCキャピタル 有価証券報告書【沿革】
- [1]出資16社の構成(三菱グループ11社+日本生命+第一生命+米チェース系3社)
- [2]1971年4月 ダイヤモンドリース株式会社が16社出資で設立
- [3]設立時資本金10億円
- [4]1985年3月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [5]1988年9月 東京証券取引所市場第一部へ指定替え
菱信リース合併で広がった割賦・貸付の業容
1999年10月、ダイヤモンドリースは三菱信託銀行系列[6]の菱信リースを合併した[7]。三菱グループ内ではグループ銀行ごとに別系列のリース会社を抱える二重構造があり、菱信リースは三菱信託の不動産・大口設備向けリースを主軸とする補完的な存在だった。合併はグループ内のリース機能を1社に集約する第一段階で、商業設備・生産設備・病院設備等の割賦販売事業や金銭の貸付業務、有価証券運用業務といった周辺金融サービスも同社の事業に組み込まれた。リース業界はこの時期、リース料総額や契約実行高でランキングを競う成熟段階に入っており、合併による規模拡大は同業他社(オリックス、東京リース、芙蓉総合リース等)に対する競争上の意味を持った。
- 三菱HCキャピタル 有価証券報告書【沿革】
- [6]1999年10月 ダイヤモンドリースが菱信リースを合併
- [7]菱信リースは三菱信託銀行系列
リース業界の収益構造は、賃貸料収入から減価償却費・支払利息を差し引いた「リース取引総利益」が中心で、契約期間中のキャッシュフローが安定的に流入する代わりに、新規契約の獲得競争が熾烈だった。情報関連機器の更新サイクルの短期化、工作機械の中古市場形成、リース会計基準の見直しによる会計処理の複雑化など、業界環境は1990年代後半から複雑化した。ダイヤモンドリースは三菱グループの顧客基盤を活かして契約実行高を伸ばす一方、新規領域として不動産関連ファイナンスや有価証券運用にも踏み込み、純粋なリース会社から金融サービス会社への業容拡張を進めた。FY05(2006年3月期)の連結売上高は5,241億円、経常利益296億円、当期純利益211億円で、業界中堅の規模に到達していた。
2000年代前半の同社の経営課題は、設備投資需要の鈍化に伴う国内リース市場の縮小に対する備えだった。日本のリース市場全体は1991年度の8.8兆円をピーク[8]に減少局面に入り、リース会社の競争は新規取引から既存顧客のリピートと業務範囲の拡張へと軸足が移った。ダイヤモンドリースは三菱グループ向けが収益の柱である構造を維持しつつ、グループ外への営業展開、海外案件への取り組み、不動産・有価証券・割賦販売を組み合わせた複合金融サービスへの進出を時間をかけて進めた。しかしリース会社単独の規模では銀行系大手や独立系大手(オリックス)に対する競争劣位が解消されず、グループ内の再編による規模拡大が次の経営課題として浮かんだ。
- 三菱HCキャピタル 有価証券報告書
- [8]日本のリース市場は1991年度の8.8兆円がピーク
- 三菱HCキャピタル 有価証券報告書【沿革】
- [6]1999年10月 ダイヤモンドリースが菱信リースを合併
- [7]菱信リースは三菱信託銀行系列
- 三菱HCキャピタル 有価証券報告書
- [8]日本のリース市場は1991年度の8.8兆円がピーク
UFJセントラルリース合併と「三菱UFJリース」の発足
2007年4月、ダイヤモンドリースはUFJセントラルリースと合併し、商号を三菱UFJリース株式会社へ変更[9]、同月に名古屋証券取引所市場第一部に上場した。UFJセントラルリースはUFJ銀行(旧東海銀行・三和銀行系)の系列リース会社で、東海地方を中心に中堅企業向けリース取引で実績を持っていた。背景には2006年1月の東京三菱銀行とUFJ銀行の経営統合(三菱UFJフィナンシャル・グループ発足)があり、メガバンク統合に伴ってグループ内のリース会社も1社に集約する判断が下された。合併によってダイヤモンドリース+UFJセントラルリースの単純合算で、契約実行高ベースの業界順位はオリックスに次ぐ2位へ浮上した。
- 三菱HCキャピタル 有価証券報告書【沿革】
- [9]2007年4月 UFJセントラルリースと合併し商号を三菱UFJリースへ変更、名証一部に上場
合併後の三菱UFJリースは、旧ダイヤモンドリースが強い首都圏・三菱商事系顧客と、旧UFJセントラルリースが強い中京圏・東海銀行系顧客の双方を取り込み、地域・顧客層の両面で補完関係が成立した。FY07(2008年3月期)の連結売上高は9,870億円と前期5,174億円のほぼ倍に拡大し、合併シナジーが数字に現れた。経常利益は517億円、当期純利益302億円。三菱UFJ銀行・三菱商事・三菱UFJフィナンシャル・グループという3社が筆頭株主に並び、銀行系・商社系のリース会社という性格はそのまま継承された上で、グループ統合の規模効果が発揮された。
しかし合併直後の2008年9月、リーマン・ショックが発生した。FY08(2009年3月期)の連結売上高は8,186億円、当期純利益は71億円へ急減した。リース会社にとって金融危機は二重の打撃で、顧客の設備投資マインドの冷え込みで新規契約が減ると同時に、既存契約先の信用力悪化で貸倒れリスクが上昇する構造にある。合併直後の収益反落は組織統合のコスト負担とも重なり、新生・三菱UFJリースの最初の試練となった。だがこの危機を契機に、国内リース市場の長期縮小を見据えた海外展開と非リース領域への分散が経営課題として明確化し、続く2010年代の事業ポートフォリオ転換の前提となった。
- 三菱HCキャピタル 有価証券報告書【沿革】
- [9]2007年4月 UFJセントラルリースと合併し商号を三菱UFJリースへ変更、名証一部に上場