1969年〜 商社・銀行・生保4社の共同出資で発足した社内ベンチャー
東京センチュリーの業績推移:単体
- 1969年 センチュリー・リーシング・システムを設立
- 1985年 自動車リース部門を分離しセンチュリー・オート・リースを設立
- 2003年 設立34年目の東京証券取引所第二部上場 商社・銀行・生保4社の合意で動いてきたリース会社が、自己資本比率2.9%のまま公開市場へ出た
- 2004年 東京証券取引所市場第一部銘柄に指定
- 2005年 自動車リース子会社をNTTとの50対50合弁へ組み替えた対等合併 100%子会社を手放し、管理台数15万台の合弁会社を選んだ2005年の判断
- 2005年 日本カーソリューションズが発足
- 2006年 中国上海市に盛世利租賃有限公司を設立
「4社の合意で生まれた会社」── 株主構成が決めた事業の型
1969年7月、伊藤忠商事・第一銀行(現みずほ銀行)・日本生命保険・朝日生命保険の4社が共同出資し[1]、資本金500百万円で[2]センチュリー・リーシング・システム株式会社が東京で設立[3]された。当時の日本のリース業界は1963年設立のオリエント・リース(現オリックス)など三井系・住友系を中心とする業界形成期にあり、伊藤忠商事と第一銀行という商社・銀行の組み合わせで新規参入する形態は、商社案件の物件供給と銀行系の与信機能を1社内で結合する設計だった。設立趣旨書には「リース業を通じて産業の合理化と近代化に寄与する」旨が記された。商社・銀行・生保の3業態が経営の枠組みを共同で決める設計は、後年まで同社の意思決定構造に残った。
- 東京センチュリー 有価証券報告書【沿革】
- [1]出資は伊藤忠商事・第一銀行(現みずほ銀行)・日本生命保険・朝日生命保険の4社共同
- [2]設立時の資本金は500百万円
- [3]1969年7月 センチュリー・リーシング・システム株式会社を東京で設立
設立から1980年代までの同社は、伊藤忠商事の物件供給と第一勧業銀行の与信枠を活用してリース債権残高を伸ばし、商社・銀行系リース会社としての地盤を築いた。1985年4月には自動車リース部門を分離し[4]、伊藤忠商事・伊藤忠燃料・大成火災海上保険と共同でセンチュリー・オート・リース[5]株式会社を設立した。オートリースは商業設備リースと並ぶ第二の柱に育ち、2005年10月にはエヌ・ティ・ティ・オートリース[6]との対等合併によって日本カーソリューションズへ商号変更した。NTT系列との連携はこの時点から既に始まっており、2020年の資本業務提携はNTTとの最初の事業連携から15年をかけた関係の延長線上にある。
- 東京センチュリー 有価証券報告書【沿革】
- [4]1985年4月 自動車リース部門を分離しセンチュリー・オート・リース株式会社を設立
- [5]センチュリー・オート・リースは伊藤忠商事・伊藤忠燃料・大成火災海上保険との共同設立
- [6]2005年10月 センチュリー・オート・リースとエヌ・ティ・ティ・オートリースが合併し日本カーソリューションズに商号変更
2003年9月に東京証券取引所市場第二部に上場し[7]、翌2004年9月に第一部銘柄へ指定替えとなった[8]。上場で得た資金調達手段で2006年10月には伊藤忠(中国)集団との共同出資で上海に盛世利[9](中国)租賃有限公司を設立し、中国向けリース事業に参入した。リーマン・ショック直前の2008年3月期は売上高3,072億円・経常利益102億円・純利益65億円で推移し、リース業界8位前後の中堅企業として上場後の地歩を固めた。しかし2007年の三井住友ファイナンス&リース発足、三菱UFJリースとダイヤモンドリース統合という業界再編の波の中で、同社の単独成長路線は限界を見せ始めた。みずほ系で旧東銀系の東京リースと旧第一勧銀系のセンチュリー・リーシング・システムが別法人として残る構図は、業界順位の観点から早晩の決着を迫られた。
- 東京センチュリー 有価証券報告書【沿革】
- [7]2003年9月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [8]2004年9月 東京証券取引所市場第一部銘柄に指定
- [9]2006年10月 伊藤忠(中国)集団との共同出資で上海に盛世利(中国)租賃有限公司を設立
- 東京センチュリー 有価証券報告書【沿革】
- [1]出資は伊藤忠商事・第一銀行(現みずほ銀行)・日本生命保険・朝日生命保険の4社共同
- [2]設立時の資本金は500百万円
- [3]1969年7月 センチュリー・リーシング・システム株式会社を東京で設立
- [4]1985年4月 自動車リース部門を分離しセンチュリー・オート・リース株式会社を設立
- [5]センチュリー・オート・リースは伊藤忠商事・伊藤忠燃料・大成火災海上保険との共同設立
- [6]2005年10月 センチュリー・オート・リースとエヌ・ティ・ティ・オートリースが合併し日本カーソリューションズに商号変更
- [7]2003年9月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [8]2004年9月 東京証券取引所市場第一部銘柄に指定
- [9]2006年10月 伊藤忠(中国)集団との共同出資で上海に盛世利(中国)租賃有限公司を設立
リーマンショック前夜の合併判断 ── みずほ系メガリース誕生の地ならし
2000年代後半の日本のリース業界は、メガバンク再編と歩調を合わせる形で系列リース会社の統合圧力が強まった。三井住友銀行系リース会社の統合(2007年に三井住友ファイナンス&リース発足)、東京三菱UFJ系リース会社の動き(2007年に三菱UFJリースとダイヤモンドリースが統合)など、メガバンク傘下のリース2社統合が業界の潮流となっていた。みずほフィナンシャルグループの傘下では旧東京銀行系の東京リースと旧第一勧業銀行系のセンチュリー・リーシング・システムが別法人として残っており、業界順位を意識した統合議論が経営層の間で繰り返された。同様の動きは三井系・住友系・東京三菱UFJ系で既に決着しつつあった。
2008年9月29日、東京リース株式会社とセンチュリー・リーシング・システム株式会社は2009年4月1日付で合併する基本合意を発表した[10]。合併後の社名は「東京センチュリーリース株式会社」、[11]存続会社はセンチュリー・リーシング・システム、新会社の会長には旧センチュリー側の新居尊夫社長[12]、社長には旧東京リースの浅田俊一社長が就任する人事だった[13]。発表の2週間前、2008年9月15日にはすでにリーマン・ブラザーズが破綻[14]しており、世界金融危機のただ中での合意発表だった。後年、浅田俊一会長は2009年春の合併発足時に全社員へ配った置き時計を執務室の机に残し、その後の成長の土台となる良い合併であった一方で、実現はリーマン直前のタイミングで紙一重だったと述懐している。
- Bloomberg(2008年9月29日)
- [10]2008年9月29日 東京リースとセンチュリー・リーシング・システムが2009年4月1日付合併の基本合意を発表
- [14]リーマン・ブラザーズ破綻は2008年9月15日で、合併基本合意発表(2008年9月29日)の約2週間前
- 東京センチュリー 有価証券報告書【沿革】
- [11]合併後の社名は東京センチュリーリース株式会社・存続会社はセンチュリー・リーシング・システム
- 東京センチュリー 有価証券報告書【役員の状況】
- [12]新会社会長に旧センチュリー側の新居尊夫氏が就任(21_ceo:新居尊夫はFY06〜FY07の前社長)
- [13]新会社社長に旧東京リースの浅田俊一氏が就任(21_ceo:浅田俊一はFY08〔2009年3月期〕から代表取締役社長)
リーマン破綻からわずか2週間後というタイミングで合併の基本合意が固まったことは、後の同社経営陣が「紙一重」と振り返るほど偶然に近かった。世界金融危機の進行で資金調達コストが急上昇し、リース業界全体で総資産圧縮の圧力が高まる中、もし合意が数カ月遅れていれば、株主間の優先順位調整と人事交渉が金融危機の余波で長期化した可能性が高い。逆に合意が成立した結果、2009年4月の合併施行までに[15]2社で重複していた営業拠点・システム基盤・人員配置の整理計画が前倒しで進み、合併直後から統合効果を取りに行く準備が整った。みずほ系メガリースという新しい枠組みの中で、両社の事業基盤を再構築する仕事の入口に同社は立った。
- 東京センチュリー 有価証券報告書【沿革】
- [15]2009年4月 東京リースとセンチュリー・リーシング・システムの合併施行
- Bloomberg(2008年9月29日)
- [10]2008年9月29日 東京リースとセンチュリー・リーシング・システムが2009年4月1日付合併の基本合意を発表
- [14]リーマン・ブラザーズ破綻は2008年9月15日で、合併基本合意発表(2008年9月29日)の約2週間前
- 東京センチュリー 有価証券報告書【沿革】
- [11]合併後の社名は東京センチュリーリース株式会社・存続会社はセンチュリー・リーシング・システム
- [15]2009年4月 東京リースとセンチュリー・リーシング・システムの合併施行
- 東京センチュリー 有価証券報告書【役員の状況】
- [12]新会社会長に旧センチュリー側の新居尊夫氏が就任(21_ceo:新居尊夫はFY06〜FY07の前社長)
- [13]新会社社長に旧東京リースの浅田俊一氏が就任(21_ceo:浅田俊一はFY08〔2009年3月期〕から代表取締役社長)