1989年〜 西友PBから独立法人へ、東証一部到達と反動
良品計画の業績推移
- 1989年 西友PB「無印良品」の分社独立と直営小売への転換 母体で突出した売れ筋を、なぜあえて別会社に切り出したのか
- 1990年 西友から無印良品の営業を譲受し直営店小売を開始
- 1991年 リバティ社と提携しロンドンに出店
- 1992年 魚力と合併し良品計画に商号変更
- 1995年 日本証券業協会に店頭登録
- 1998年 東京証券取引所市場第二部に上場
- 2000年 東京証券取引所市場第一部に上場
西友内で突出したPBを切り出した1989年の判断
無印良品は1980年に西友のPB[1]『しるしのない良い品』として登場した。素材や工程まで遡って磨き、過剰装飾と過剰包装を排した商品哲学は、当時のカラーコーディネーション全盛とブランド志向への反発という時代潮流に乗り、西友グループ内で突出した売れ筋に育った。1989年10月の流通紙報道[2]は、無印が西友のPBとして一強状態となったために『これに続く第二、第三のPBが育たない』という社内のジレンマすら指摘していた。1989年6月、西友はこの事業を切り出すために資本金1億円で良品計画を東京都豊島区に設立し[3]、翌1990年3月に無印良品の営業譲渡を受けて卸売PBから直営小売へ業態転換した。[4]
- 有価証券報告書
- [1]無印良品は1980年に西友のPB「しるしのない良い品」として登場
- [3]1989年6月 資本金1億円で良品計画を東京都豊島区に設立
- [4]1990年3月 西友から無印良品の営業を譲受し直営小売を開始
- 日経流通新聞(1989年10月14日)
- [2]1989年10月14日 日経流通新聞の報道(無印が西友PBで一強)
PBのまま西友という母体小売チェーン内にとどまる選択肢もあった。独立法人化したのは、単品管理と海外展開と独自出店の3機能を母体の制約から外して組み立てる必要があったからである。実質創業者の木内政雄は、設立直後の取材で[5]『良い品を選び、しかも素材の良さを殺さないで製品にする。それを飾らない形で、安く提供する』『良い品を安く供給するためには素材の自然さを生かし、包装をあくまで簡素に』(日経産業新聞 1990/04/13)と語っている。1991年7月、設立から2年で英国リバティ社と提携してロンドンに出店した[6]。国内基盤が固まる前に欧州へ出たのは、無印の思想が日本固有の消費文化に依存しないという経営判断を実地で試す賭けだった。1992年9月には魚力との合併で商号[7]と組織を整えた。
- 日経産業新聞(1990年4月13日)
- [5]木内政雄が良品計画の実質創業者(1990年4月13日 日経産業新聞に談話)
- 有価証券報告書
- [6]1991年7月 英国リバティ社と提携しロンドンに出店
- [7]1992年9月 魚力と合併し良品計画に商号変更
- 有価証券報告書
- [1]無印良品は1980年に西友のPB「しるしのない良い品」として登場
- [3]1989年6月 資本金1億円で良品計画を東京都豊島区に設立
- [4]1990年3月 西友から無印良品の営業を譲受し直営小売を開始
- [6]1991年7月 英国リバティ社と提携しロンドンに出店
- [7]1992年9月 魚力と合併し良品計画に商号変更
- 日経流通新聞(1989年10月14日)
- [2]1989年10月14日 日経流通新聞の報道(無印が西友PBで一強)
- 日経産業新聞(1990年4月13日)
- [5]木内政雄が良品計画の実質創業者(1990年4月13日 日経産業新聞に談話)
設立11年で東証一部、2000年の急拡大が招いた在庫膨張
良品計画は1995年8月の店頭登録[8]、1998年12月の東証二部上場[9]を経て、2000年8月に東証一部へ指定替えされた。[10]設立から11年で公開市場の主要ボードに到達した速度は、小売業界では異例にあたる。1993年にファミリーマートとの商品売買契約を結び、1995年には新潟県津南町で無印良品キャンプ場を開いた。物販の枠を越えてライフスタイル全般を包む発想で、ブランドの裾野を広げた。1998年2月期までは毎期増収増益で[11]最高益を更新した。衣料品から生活雑貨、食品まで統一コンセプトで揃える業態は、衣料のGAP・化粧品のボディショップ・ベネトンと並ぶ独自ポジションとして海外メディアにも紹介された(日経新聞 1998/02/21)[12]。
- 有価証券報告書
- [8]1995年8月 日本証券業協会に店頭登録
- [9]1998年12月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [10]2000年8月 東京証券取引所市場第一部に上場(指定替え)
- [11]1998年2月期まで毎期増収増益で最高益更新
- 日経新聞(1998年2月21日)
- [12]1998年2月21日 日経新聞がGAP・ボディショップ・ベネトンと並ぶ独自業態として紹介
ただし2000年2月期に売上高経常利益率13%まで膨らんだ業績は[13]、商品ではなく物流コスト削減と為替差益で稼いだものだった。後任の松井忠三は『肝心の商品でもうかる仕組みを構築していなかった。商品ラインを広げれば、売り上げにつながるという安易な発想で、市場の変化への対応が遅れた』(日経MJ 2001/10/09)と自己分析している。前任の有賀馨は団塊ジュニアの結婚と家族化に合わせた品揃え拡張を行ったが[14]、結果として死に筋が増え在庫が膨らんだ。さらに同時期、ユニクロが消費者の価値尺度を書き換え、青山商事が紳士服価格を崩したのと同じ衝撃をカジュアル衣料へ持ち込んだ。有賀馨は『こういうものはこのぐらいの値段なんだ』(日経MJ 2001/10/09)という尺度の書き換えとして[15]、その衝撃を捉えていた。2001年、無印良品は独立後初の本格的な業績調整に入った。
- 日経MJ(2001年10月9日)
- [13]2000年2月期に売上高経常利益率13%まで膨張
- [14]前任の有賀馨(社長・2001年10月9日 日経MJに談話)
- [15]有賀馨がユニクロ・青山商事の価格破壊を尺度の書き換えと捉えた発言(2001年10月9日 日経MJ)
- 有価証券報告書
- [8]1995年8月 日本証券業協会に店頭登録
- [9]1998年12月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [10]2000年8月 東京証券取引所市場第一部に上場(指定替え)
- [11]1998年2月期まで毎期増収増益で最高益更新
- 日経新聞(1998年2月21日)
- [12]1998年2月21日 日経新聞がGAP・ボディショップ・ベネトンと並ぶ独自業態として紹介
- 日経MJ(2001年10月9日)
- [13]2000年2月期に売上高経常利益率13%まで膨張
- [14]前任の有賀馨(社長・2001年10月9日 日経MJに談話)
- [15]有賀馨がユニクロ・青山商事の価格破壊を尺度の書き換えと捉えた発言(2001年10月9日 日経MJ)