あおぞら銀行ソフトバンク保有株の売却による米サーベラスの筆頭株主化と、普通銀行への転換・再上場

銀行の株主はだれであるべきか——再生を託した民間連合から米ファンドへ移った筆頭株主の座

時期 2003年4月
意思決定者(推定) 孫正義・笠井和彦 ソフトバンク 社長・ソフトバンク 取締役(あおぞら銀行 会長を兼務)
論点 株主構成とガバナンス
概要
2000年に日本債券信用銀行を引き受けた民間連合のうち、筆頭株主のソフトバンクが保有株の売却を模索し、2002年には三井住友銀行までが買収に名乗りを上げた。最終的に米ファンドのサーベラスが筆頭株主となり、あおぞら銀行は2006年4月に長信銀免許を返上して普通銀行へ転換、同年11月に東証一部へ再上場した。
背景
ソフトバンクにとってあおぞら株は上場時に売却して利益を得る投資であり、2002年の銀行法改正で20%以上の保有者が金融当局の検査対象となる見込みが立つと、売却の検討が始まった。有利子負債の圧縮と高速インターネット事業への集中も、売却を促す事情であった。
内容
2002年12月4日、三井住友銀行がソフトバンク保有株の全部を買収する方向で検討していると金融庁へ報告した。一方でヒポフェラインス銀行・サーベラス・ローンスターも意向を示し、ソフトバンクは「もっともいい条件を出したところに売却する」という方針を変えず、2003年にサーベラスが筆頭株主となった。
含意
サーベラスは議決権の約58%を握り、外資主導のガバナンスと収益性重視の運営が持ち込まれた。2006年11月の再上場では初日終値が公募価格570円を割り込み、貸出先は不動産業向け26.9%・金融保険業向け14.1%に偏っていた。サーベラスは2013年に保有株を売り切り、株主はまた入れ替わった。
筆者の見解

筆者の見解

三井住友銀行が名乗りを上げたのに、売り手は条件で決めた。ソフトバンクの言い分は一貫していて、あおぞら株は「上場時に株式を売却して利益を得る」ための持ち物であり、社債償還が年400億円台で続く自社の財務からすれば、値段の高い相手を選ばない理由がなかった。銀行の株主がだれになるかは、この時、金融行政の設計よりも売り手の資金事情で決まったとみることができる。

買った側の10年も、銀行を育てる10年ではなかった。サーベラスは普通銀行への転換と再上場までは押し切ったが、初日の終値は公募価格570円に対し502円、貸出先は不動産業向け26.9%に偏ったままで、2013年には約1,500億円で持分を売り抜けている。外部資本が業態の組み替えを短期間で通せることと、それが定着することは別の話であった。純投資として持たれた銀行は、株主が代わるたびに輪郭を描き直したといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

純投資として持たれた銀行

ソフトバンクがあおぞら銀行株を持った狙いは、孫正義社長の言葉によれば「上場時に株式を売却して利益を得ること」であった。2002年春には売却先を国内の投資ファンドに打診したという観測が流れ、財務を統括する笠井和彦取締役は「売却するかどうかはまったくの白紙」と説明しつつ、譲ってほしいという問い合わせが数件来ていることは認めた。少数株主として参加していたサーベラスは、買い増しで持株比率を5.08%から11.52%へ上げていた[1][2]

売却を促したのは自社の財務であった。2002年3月末のソフトバンクの有利子負債は約3,500億円まで減っていたが、社債の償還が2002年に482億円、2003年に438億円、2004年に364億円と続き、前年11月に格付投資情報センターが格付けを投機的水準へ引き下げたため社債での調達は難しくなっていた。笠井取締役は「一~二年以内にネットデットを一〇〇〇億円以下にする」と公約しており、株式の売却額次第では一気に達成できる位置にあった[3][4]

銀行法改正という外圧

売却検討のもう一つの理由は制度であった。2002年4月の銀行法改正で、銀行株式を20%以上持つ株主は「銀行主要株主」として金融当局の検査対象となりうると決まった。ソフトバンクは買収の判断時に自社へ及ばないことを確認していたが、2001年秋に金融庁の説明が「ソフトバンクも対象」に変わったという。社内には狙い撃ちではないかという疑念があり、半ば感情的に売却の議論が始まったと同時代の誌面は伝えている[5][6]

2002年7月に孫正義社長が国会へ参考人招致された前後、批判が集まった。柳澤伯夫金融担当相からは「孫氏自身の企業のレピュテーション(評判)が傷つくことになる」という言葉もあり、ソフトバンクは同年9月、あおぞら銀行が上場するまでは筆頭株主の地位を維持する方針を固めた。20%未満へ下げる一部売却の検討は続けるものの、上場まで全株を持ち続ける可能性も高いという整理であった[7][8]

決断

三井住友銀行の名乗りと、条件で決めたソフトバンク

2002年12月4日、三井住友銀行の幹部がソフトバンク保有の全株式(約48.87%)を買収する方向で検討していると金融庁へ報告し、ソフトバンクにも意向を伝えた。三井住友側には、あおぞら銀行の中核自己資本約4,800億円を自らの約3兆3,900億円に加えられるという計算もあった。ソフトバンク幹部は「金融庁の担当者から『外資ファンドに売ってはならない』などと言われたことは一度もない」と述べ、条件の良い相手に売る方針を崩さなかった[9][10][11]

価格の目安は純資産から逆算された。1999年9月の買収条件は1株35.3円、2002年9月中間期の1株当たり純資産はちょうど2倍の70.59円で、ソフトバンクの購入価格490億円の2倍にあたる980億円が最低ラインとみられた。ドイツのヒポフェラインス銀行、米サーベラス、ローンスターも買収の意向を示し、経済合理性を無視して候補を排除できないというのがソフトバンクの言い分であった。結果として2003年、サーベラスがソフトバンク保有株を取得して筆頭株主となった[12][13][14]

長信銀免許の返上と再上場

新しい筆頭株主のもとで進んだのは、業態そのものの組み替えであった。2006年4月、あおぞら銀行は長信銀免許を返上して普通銀行へ転換し、同月あおぞら証券を設立、同年11月に東京証券取引所市場第一部へ再上場した。特別公的管理による上場廃止から8年ぶりの市場復帰で、49年続いた長信銀業務の制約を自ら手放す選択でもあった[15][16]

再上場までの8年で、バランスシートは入れ替わっていた。一時20%台後半まで上がった不良債権比率(金融再生法ベース)は2006年9月末で0.69%まで下がり、自己資本比率は18.74%とメガバンクの平均を大きく上回っていた。業績も不動産ファンドへの出資利益やREIT投資関連の非金利収益が伸び、2007年3月期は連結の経常増益を見込んでいた[17][18]

結果

市場の評価と、偏った貸出先

市場の受け取り方は冷ややかであった。2006年11月14日の上場初日、株価の終値は公募価格570円を大きく割り込む502円で、その後も400円台前半で低迷した。住友信託銀行出身の水上博和社長は記者会見で「粗利で年五〇%超のペースで成長している投資銀行業務など、他行ではできないサービスを伸ばし、特色ある金融機関としてレゾンデートルを向上させていきたい」と述べた[19][20]

収益の中身には偏りが残った。2006年9月末の貸出先は業種別で不動産業向けが26.9%、金融・保険業向けが14.1%を占め、法人向けの資金需要は頭打ちであった。主要な調達手段だった金融債「あおぞら債」の発行が今後10年を限度に終わることも決まっており、預金を集める経路として、1991年以来15年ぶりとなる日本橋支店を上場直後に開いた。全国の支店は18店にすぎなかった[21][22]

外資主導の人事と、10年で去った筆頭株主

外資主導の運営は人事にも表れた。2012年、業務執行役員には統合リスク管理担当のマーク・J・キューティック氏、スペシャルティファイナンス本部長のウィリアム・C・ハンター氏、IT担当のノーマン・キング氏、特命担当のクラーク・D・グラニンジャー氏が並び、キング氏を除く3人は2000年代前半に新生銀行の経営幹部を務めた人物であった。人事を取り仕切っていたのは、同じく新生出身のブライアン・F・プリンスCEOであったと同時代の誌面は伝えている[23][24]

筆頭株主が去るのも早かった。2013年1月7日、あおぞら銀行はサーベラスが保有株の大半を国内外の市場で月内に売却すると発表した。同日の終値を基準にした売却額は約1,500億円で、議決権比率は約57.8%から約7.7%へ下がった。同年8月には残る8%分の全株式を約300億円でバークレイズ証券へ売却し、10年で投資を終えた[25][26]

出典・参考

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