カーライル・ペプシコを迎えた資本業務提携と東証一部上場
創業家のオーナー会社は、外部資本と外部経営者をどう受け入れて公開会社へ移ったか
更新:
- 概要
- 2009年、国内スナック菓子首位のカルビーは、米ペプシコとの資本業務提携を受け入れた。ペプシコがカルビー株式の約20%を取得する一方、カルビーはペプシコ日本法人のジャパンフリトレーを完全子会社化した。同年6月には外部出身の松本晃氏を代表取締役会長兼CEOに招き、2011年3月に東証一部へ上場した。創業家松尾家中心のオーナー経営から公開会社への転換を、資本と経営体制の両面で進めた判断であった。
- 背景
- 1949年に広島で創業したカルビーは、松尾家に率いられて「かっぱえびせん」「ポテトチップス」など数々のヒット商品を生み、国内スナック菓子で4割を超える首位に立っていた。しかし2008年3月期の営業利益率は1.4%と低位にとどまり、少子化で国内市場の伸びも鈍っていた。商品力に見合う収益を上げる体質への転換と、非上場の創業家企業という資本構造の組み替えが課題として残されていた。
- 内容
- ペプシコがカルビーの発行済み株式の約20%を保有し、カルビーはペプシコ傘下のジャパンフリトレーを100%子会社化した。投資ファンドのカーライル・グループとペプシコという外部資本を株主に迎え、創業家出身者は経営から退いた。松本晃氏が会長兼CEO、生え抜きの伊藤秀二氏が社長兼COOとして東証上場の準備を本格化し、営業利益率を10%へ引き上げる目標を掲げて集中購買などの改革に着手した。
- 含意
- 2011年3月11日、カルビーは東証一部に上場した。当日に東日本大震災が発生し4工場が一時停止する船出となったが、上場は外部資本による規律と成長資金をもたらした。上場時の株主は創業家松尾家22.06%とペプシコ傘下20.99%の二本柱で、資本再編と収益改革が、その後の海外M&A・現地生産の原資となった。
オーナーの強さと、公開会社の規律
この判断の核心は、強い商品力を持ちながら利益に結びつけられずにいたオーナー企業が、外部の資本と経営者を受け入れて自らの構造を組み替えた点にある。創業家が握る資本と経営を公開会社の規律に開くことは、これまで社内で完結していた意思決定に、株主とプロ経営者という外の視線を通す試みでもあった。営業利益率1.4%という数字が示していたのは、商品の弱さではなく、稼ぐ仕組みの不在であり、そこに手を入れるために外部の力を呼び込んだ選択には一定の合理性がうかがえる。好調な商品群を抱えたまま、あえて創業家の手を離れる道を選んだところに、この決断の踏み込みがあった。
もっとも、外部資本の受け入れが常に円滑な成長を約束するわけではない。上場を境にカルビーは海外へ本格的に乗り出していくが、輸送費のかさむスナックを世界でどう作り、どう売るかという問いは、提携を結んだ時点ではまだ答えが出ていなかった。創業家とペプシコが並び立つ株主構造のもとで、量産で磨いた商品力と外部資本がもたらす規律のどちらを、どの場面で前面に出すか。カルビーがその後にたどる海外展開の道のりは、この2009年の資本再編が開いた助走路の上にあったとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
商品力に見合わない低収益
1949年に広島で設立されたカルビーは、創業家の松尾家に率いられ、「かっぱえびせん」「ポテトチップス」「じゃがりこ」など数多くのヒット商品を送り出してきた。国内スナック菓子市場でのシェアは4割を超え、押しも押されもせぬ首位企業であった。ところが、その強い商品力に対し、収益は見合っていなかった。2008年3月期の営業利益率はわずか1.4%にとどまり、いい商品を作ることには熱心でも、コストへの関心が薄い鷹揚な社風が長く続いていた[1]。
低収益の背景には、少子化で国内スナック市場の成熟が進み、量を伸ばしにくくなっていた事情もあった。ヒット商品を出し続けても利益が薄いままでは、次の成長へ資金を回す余力が細る。世界の食品業界には営業利益率が10%を超える企業も多く、販売単価が高いのに食品メーカーが儲からない日本の構図のなかで、カルビーは商品力を利益に変える体質への転換を迫られていた[2]。
非上場の創業家企業という資本構造
もう一つの課題は、資本の構造そのものにあった。カルビーは創業家の松尾家が率いる非上場のオーナー企業で、成長のための資金調達や外部からの規律という点では、公開会社に比べて足場が限られていた。長年の懸案であった米ペプシコとの資本業務提携も、株価の評価をめぐる交渉が難航し、なかなか決着していなかった。国内で強固な地位を築いた一方で、次の一手を打つための資本と経営の仕組みが問われていた[3]。
海外にも足がかりを持ってはいたが、その多くは輸送費のかさむスナック菓子を日本から運ぶ採算の合わない挑戦で、松本晃氏が後に「趣味の海外事業」と呼ぶ域を出ていなかった。海外売上比率は4%程度にすぎず、成長の主戦場を国外へ広げるには、資本のパートナーと本格的な準備が要る段階にあった。オーナー経営のままで築いた強さと、その先の限界とが、同時に見えていた時期といえる[4]。
決断
ペプシコとの資本業務提携
2009年、カルビーは米ペプシコとの資本業務提携を受け入れた。スキームは二つの要素からなる。ペプシコがカルビーの発行済み株式の約20%を取得する一方で、カルビーはペプシコの日本法人でスナック菓子を手がけるジャパンフリトレー(茨城県古河市)を完全子会社化した。世界最大手のスナック企業を株主に迎えつつ、その日本事業を取り込む形で、資本と事業の両面を一度に結び直す提携であった。国内首位のカルビーと外資の組み合わせは、スナック業界に驚きをもって受け止められた[5][6]。
この提携は、単なる出資の受け入れにとどまらず、創業家中心のオーナー経営から公開会社への転換を意味していた。投資ファンドのカーライル・グループとペプシコという外部資本を株主に迎え、創業家出身者は経営から退いた。1949年の創業以来、松尾家が握ってきた資本と経営の一体構造を、外部の資本と規律に開いていく——提携は、そうした資本政策としての性格を強く帯びていた[7]。
外部プロ経営者・松本晃氏の招聘
資本の組み替えとあわせて動いたのが、経営を担う人の入れ替えであった。2009年6月、製薬・医療機器大手のジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人社長を務めた松本晃氏が、代表取締役会長兼CEOに就任した。松本氏は生え抜きの伊藤秀二社長兼COOとともに東証上場の準備を本格化させ、あわせて2008年3月期に1.4%だった営業利益率を10%へ引き上げる目標を掲げた。外部出身のプロ経営者が意思決定を主導し、収益性を経営の中心軸に据える体制へ切り替えた[8]。
松本氏がまず手をつけたのが、購買の集中管理であった。それまで各事業所や各工場の裁量に委ねていた原材料や固定資産の購買を本社に集約し、包装用フィルムや調味料などの資材は共通化して調達に競争原則を持ち込んだ。品質維持のためと現場が自由に買っていた慣行が改まり、戸惑いの声も上がったという。得られたコスト削減は利益に留め置くのではなく、競合より15%ほど高かった商品価格の引き下げに充て、販売数量と工場稼働率を押し上げていった[9]。
結果
震災当日の東証一部上場
2011年3月11日、カルビーは東京証券取引所市場第一部に上場した。ところがその当日、東日本大震災が発生し、新宇都宮工場など4工場が一時生産を停止した。工場は3月末から順次復旧したものの、貴重な春の商戦での商機を失い、上場1年目となる2012年3月期は出だしでつまずいた。第2の創業ともいうべき公開会社への船出は、嵐のなかの出港となった[10]。
上場によってカルビーが得たものは、成長資金だけではなかった。伊藤秀二社長は上場にあたり、配当を毎年増やしていくことを基本とし、配当性向は単体で30%を最低ラインとする方針を示した。より広い監視のもとで企業体質の改善を図り、採用力を高め、「じゃがビー」などの生産設備へ投資する——公開会社となることは、外部の規律と資金を同時に取り込む選択でもあった。上場時の株主構成は、創業家松尾家系の一般社団法人が22.06%、ペプシコ傘下のフリトレー・グローバルが20.99%と、二つの柱がほぼ並んで支える形で始まった[11][12]。
資本再編が開いた成長の助走
上場後、震災の逆風を吹き飛ばすように業績は回復した。2009年から取り組んできた社内改革が実を結び、2012年3月期は通期で最高益を更新した。売上高は2011年3月期の1,555億円から翌期以降も伸び、営業利益率も上場前の低位から改善へ向かった。外部資本の受け入れと収益改革は、鷹揚な社風のもとで眠っていた商品力を、利益を生む体質へと接続していった[13]。
そして提携は、国外へ出るための足がかりにもなった。カルビーは海外売上比率を2020年に30%へ高める目標を掲げ、その主要なパートナーの第一候補にペプシコを据えた。ペプシコが各国に持つ拠点や販売網を使えることが利点であった。創業家の手を離れて迎えた資本と経営の再編は、後の海外M&Aや現地生産へ踏み出すための原資となり、その助走路を用意したとみることができる[14]。
- 週刊東洋経済 2012年4月20日号「創業家の手を離れ世界へ ポテトの王者カルビー 成長への新たな種まき」
- 日本食糧新聞(2009年6月25日)「カルビー、米ペプシコ社と資本・業務提携 スナック業界に衝撃走る」
- 日本経済新聞(2012年9月14日)「カルビー(4)業績回復に挑む ペプシコとの提携が実現」
- 日本経済新聞(2011年3月)「カルビー11日上場 伊藤社長『毎年増配したい』」
- カルビー 有価証券報告書【沿革】
- カルビー 有価証券報告書(2011年3月期・連結)