ゴルフ場投資の破綻と更生法申請(1993年・日活の決断)更新:2026/07/24論点破綻した投資の処理に更生法を選ぶか日活:業績の推移売上高(億円)経常利益率(%)データ出所ゴルフ場3カ所への80億円投資の行き詰まり何をなぜ決めたか:ゴルフ場3カ所への80億円投資の行き詰まり概要ロマンポルノの衰退後、にっかつは通信衛星事業とゴルフ場開発を次の収益源に据えた。行き詰まったのはゴルフ場開発で、3カ所に総額約80億円をつぎ込んだ段階で資金繰りが破綻した。1993年7月1日、同社は会社更生法の手続きを東京地裁に申し立て、事実上倒産した。社長の若松正雄氏は申し立てと同時に退いた。背景ロマンポルノは1985年の風俗営業法の施行とビデオの普及で商品価値を落とし、1985年1月期にはビデオ収入が売上の36%へ拡大して劇場収入の31%を上回った。1988年に"ロッポニカ"で一般映画へ路線を戻したが客が入らず、配給・興行で年間60億円あった収入が失われた。内容配給・興行から完全に撤退して縮小均衡を図る選択肢もあったが、映画会社の看板への執着がそれを退けた。通信衛星で映像ソフトを供給する事業とゴルフ場開発が主力に据えられたのは、1989年に始めた5カ年計画でのことである。ゴルフ場は函館・秋田・土佐で計画された。そのうち秋田と土佐では開発認可が下りず、計画は遅れていった。含意倒産時に資産価値を認められたのは、1993年1月期に売上高37億5003万円・利益10億6437万円を上げた東京・調布の撮影所であった。管財人にはナムコの中村雅哉社長が就任し、1996年に更生計画が認可されて社名は日活へ戻り、1997年にナムコの子会社となった。いつ何が起きたか9件考察:のれんが倒したもの、のれんが残したもの考察考察:のれんが倒したもの、のれんが残したものゴルフ場投資でバブルに踊った末の倒産、という説明では足りない。本業が稼げない状態が四半世紀続き、その穴を本業の外で埋め続けた——1971年のロマンポルノも、1988年のロッポニカも、1989年の通信衛星とゴルフ場も、映画を撮り続けるための資金繰りであったとみられる。もっとも、その固執が残したものもあった。倒産時に値がついた唯一の資産は調布の撮影所であり、年間に映画約30本、テレビ約90本を作る量産能力と、そこに集まる人材が評価された。そこに価値が残ったのは、赤字を抱えながら映画を作り続けたからである。管財人にナムコの中村雅哉社長が就任したのも、実写映像を扱える撮影所との接点があったからだと推察される。映画会社であることをやめない判断が会社を倒し、同時に倒れた後に何が残るかを決めていたといえる。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考日経ビジネス 1993年7月26日号日経ビジネス 1993年11月1日号会社年鑑 1976年版(日本経済新聞社, 1975)日活の項会社年鑑 1986年版(日本経済新聞社, 1986)にっかつの項資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982)9606 にっかつの項日活 公式サイト「沿革」次に読む決断日活の意思決定1961年日活日活ホテル・不動産への多角化映画斜陽論を退けた堀久作社長による本業外への資産拡大1961年同じ問い:法的整理1980年吉野家HD吉野家HD会社更生法の申請不採算店閉鎖・生タレ復帰による再建1980年2012年エルピーダメモリエルピーダメモリ米マイクロンへ事業譲渡会社更生法の適用申請と、自主再建を断念した末の傘下入り2012年2017年タカタタカタキー・セイフティーへ承継私的整理の主張を捨てた民事再生法の申請と、事業の全面承継2017年1997年日本長期信用銀行日本長期信用銀行スイス銀行との資本提携業務・資本の両面で組む投資銀行への転換と、住友信託銀行への合併申し入れ1997年2000年あおぞら銀行あおぞら銀行ソフトバンク連合へ譲渡特別公的管理による一時国有化と、民間企業連合への株式譲渡による再民営化2000年×出所