棄権が出なければ結論は逆になっていた。郡司明郎氏と塚本慶一郎氏は過半数を読んでおり、票読み自体は外れていない。分けたのは案の中身ではなく、採決の15分前に個別の説得へ動けるかどうかであった。会社の進路を決める場が、事業の見立てを競う場ではなく票の取り合いになったとき、より熱心に動いた者が優位に立つ。1992年の資金繰り悪化から逆算すれば堅実路線に理があったことになるが、その評価は結果を知っている側の後知恵にすぎない。
ただし、拡大路線が誤りだったと言い切るのも難しい。西社長が公開時に掲げた目標は、売上高1,120億円のうち400億から500億円を新規事業で埋める前提であり、周辺へ広げること自体は公開の時点で投資家に説明済みの方針であった。誤算があったとすれば、広げる分野に映画や地域開発を選び、本業との距離が遠い領域へバブル期の資金を投じた点にある。堅実路線を唱えた塚本慶一郎氏がのちにインターネット出版で上場を上場した事実は、両者の違いが慎重さの度合いではなく、どの隣にどう広げるかの見立ての差だったことを示している。