落下傘型の多角化(1990年・クボタの決断)

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論点 祖業の成熟と多角化の型
売上高(億円)当期純利益率(%)
祖業と関わりの薄い分野へ次々と展開し、単一事業への依存を断つ経営刷新

祖業と関わりの薄い分野へ次々と展開し、単一事業への依存を断つ経営刷新

概要

1990年、久保田鉄工(同年4月にクボタへ商号変更)が、既存事業の周辺ではなく未経験の分野へ飛び込む"落下傘型"の多角化を掲げ、コンピューター事業を第3の柱に育てようとした経営判断。三野重和社長の主導で、社名・シンボルマークの一新と社内の意識改革をあわせて進めた。

背景

農業機械と水道用鋳鉄管という祖業の2本柱は安定していた一方で、いずれも成熟して大きな伸びが望みにくくなっていた。

内容

1986年の米アーデント社への出資を皮切りに、3次元グラフィックスワークステーションを軸にコンピューター事業へ進出。既存事業を1年で14社に分社化し、新製品比率を課す人事評価制度で守勢の各事業部に事業展開を迫った。市場規模の大きいコンピューターを売上高1000億円単位の中核事業に育てる算段であった。

含意

コンピューター事業は提携先の合併・解散に翻弄され、スターデント社の清算で約170億円の損失を計上するなど迷走した。一方で環境事業は継続して育てられた。既存事業で上げた収益の範囲に投資をとどめ、遺産を食い潰さない手堅さと、未知への賭けが同居する判断であった。

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筆者の見解 名門の賭けが残したもの
筆者の見解

名門の賭けが残したもの

この判断の核にあるのは、安定した2本柱に恵まれた名門が、その安定ゆえに縮こまることへの危機感であった。ただ、コンピューターという最も技術変化の激しい分野を選んだことで、その意志は最も手痛い授業料を払う結果にもなった。

もっとも、落下傘型を語る三野氏の言葉には、賭けと同時に手堅さへのこだわりが同居していた。投資を既存事業の収益の範囲にとどめ、遺産を食い潰さないという歯止めは、名門を守る側の論理でもある。コンピューターは畳まれ、環境や水の処理技術は残った——どの落下傘が地に足を着けるかは、飛び降りてみるまで分からない。多角化を続けなければ限界が来るという危機感と、体力の範囲でしか賭けないという抑制のあいだで、クボタの変身は揺れていたと思われる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス 1990年5月7日号
  • 日経ビジネス 1992年2月3日号
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
  • クボタ 会社年鑑(連結業績・1992年3月期)

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