鋳鉄管の国産化は、資本金百万円を投じた企業ですら設立1年で頓挫した難題であった。久保田権四郎氏は資金も技術書も人脈もない状態から、7年をかけて量産技術を独力で確立し、1912年に国内シェア60%を確保している。この先行者利得は単なる技術優位にとどまらない。クボタが開発した鋳造法が…
鋳鉄管では外国技術なしに7年かけて量産技術を確立した久保田権四郎が、自動車では約12年を費やしても品質問題を解決できなかった。鋳鉄管は自社内で完結する鋳造技術が競争力の源泉であったのに対し、自動車は多数の部品メーカーとの連携が不可欠であり、部品サプライチェーンが未成熟な当時の日本…
1926年時点で4社に分散していた鋳鉄管市場は、隅田川精鉄所の買収(1927年)と釜石鉱山の撤退(1930年)を経て、クボタ69%・栗本鐵工所31%の2社寡占に固定された。自治体向け入札という販売形態のもとで2社のみのシェアが長期固定化された構造は、のちに約40年にわたるヤミカル…
北米農機市場はジョン・ディアを筆頭とする大型機メーカーが支配しており、ヤンマーはOEM提携で参入したのに対し、クボタは単独進出かつ自社ブランドを選んだ。競合が手薄な家庭向け小型農機という隙間市場から参入し、大手との直接競合を構造的に回避した点がこの戦略の核心にある。国内で培った小…
鋳鉄管市場は3社寡占であったが、カルテル維持の原動力は単なる談合の慣行ではなく、クボタの鋳造技術が業界標準となり他の2社が技術供与を受ける依存関係にあった。この技術的主従関係がシェア配分を「自ずと決まる」ものとし、約40年にわたる不正を構造的に安定させた。1890年に久保田権四郎…
コマツが2000年代から建機稼働率のモニタリングなどIT活用を本格化させた一方、クボタは6事業領域で異なるシステムを個別運用する状態が続いていた。370億円・7ヵ年という投資規模は、月平均400名前後の外部人員が常駐する大型プロジェクトに相当する。コマツとの「20年の遅れ」を認識…
クボタは2008年のインド進出から14年間、自社製品による市場浸透に苦戦し、シェア2%にとどまった。インドの農家がトラクターに求めた牽引力と低価格は、クボタが得意とする軽量コンパクトな製品設計と根本的に合致せず、タイからの輸入体制ではコスト競争力も確保できなかった。最終的にEsc…