クボタ の歴史

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創業 1890年
創業者 久保田権四郎
創業地 大阪市
創業
1890年2月、久保田権四郎が大阪市南区御蔵跡町に久保田鉄工所を興し、各種鋳物の製造・販売を始めた。1893年7月には水道用鋳鉄管の製造に入り、大企業でも量産に達しなかった国産化を1900年の丸吹堅込法で成し遂げ、1910年代には国内シェア6割を占めた。1922年2月に農工用小型エンジン、1927年2月に隅田川精鉄所の買収と品目を広げ、1930年12月に鋳物と機械の二社へ分けて法人化し、1937年3月に再び一社へ合併している。1949年5月に東京・大阪の両証券取引所へ上場し、1953年6月に久保田鉄工、1990年4月にクボタへ商号を改めた。
決断
祖業を抱えたまま、主力だけを鋳鉄管から農業機械へ移した。1960年3月に純国産トラクタT15形を発売し、耕うん機の延長ではなく乗用トラクタ・収穫機・田植機という完成機の体系へ資源を移した。減反政策で国内需要が頭打ちになると、1972年9月にはクボタトラクターCorp.を米国に設立し、米国大手が手薄な25〜30馬力の区画へ入った。一方、1990年5月に掲げた「落下傘型」と称した多角化では未経験の分野へ次々と参入したものの、第3の収益源には届かず、2003年に住宅建材を分離している。祖業の側でも2005年6月に旧神崎工場の石綿疾病を公表し、鋳鉄管とともに扱った石綿の代償を負った。多角化で作ろうとした事業は残らず、現在も売上の87%は機械が占める。
現況
日本の水田向けに作った機械が、売上の4割を北米で立てている。2025年12月期の売上高3兆189億円のうち北米が1兆2,185億円と40%を占め、日本は6,852億円の23%にとどまる。事業別では農業機械・エンジン・建設機械を含む機械が2兆6,289億円で87%、鋳鉄管を継いだ水・環境は3,744億円である。2022年4月にはインドのエスコーツを最大約1,406億円で子会社化し、高価格の自社製品では14年間シェアを取れなかったインドで、低価格帯のベーシックトラクタと販売網ごと取り込んだ。ただし北米の在庫調整で営業利益は2,654億円と前期から500億円あまり減り、ROICの徹底が全社の課題に据えられた。
競合
国内では農機の首位を保つが、北米ではジョンディアを追う立場にある。国内で同じ稲作向けの機体を作るのはヤンマーと井関農機で、クボタは1960年代に組み替えた完成機の体系で首位を守ってきた。北米では大型トラクタを主戦場とするジョンディアやCNHが相手になり、25〜30馬力の小型機という空白へ入ることで正面からの競合を避けている。建設機械のミニショベルでは油圧ショベルへ後発で参入したコマツとも重なる。相手ごとに機体の大きさを変えて住み分ける進み方は、世界最大のインド市場では通じず、現地大手の買収という回り道を強いた。
クボタ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1996年3月期2025年12月期

創業ストーリー 鋳物屋が興した鋳鉄管の国産化と、機械への拡張 (1890年〜)

水道用の鋳鉄管に的を絞った創業期

1890年2月、久保田権四郎氏は大阪市南区御蔵跡町で久保田鉄工所を興し[1]、各種鋳物の製造・販売を始めた[2]。個人経営の町工場からの出発で、権四郎氏は創立者であると同時に初代社長[3]を務めている。三年後の1893年7月には水道用鋳鉄管の製造に着手[4]した。創業期に手がけたのは、水道用および瓦斯用の鋳鉄管を主体とする各種鋳物[5]である。もっとも鋳鉄管の鋳造は容易ではなく、量産に足る技法の確立までには着手からさらに七年[6]を要した。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [1]1890年2月 久保田権四郎氏が大阪市南区御蔵跡町で久保田鉄工所を創業
    • [2]創業時の事業は各種鋳物の製造・販売
    • [4]1893年7月 水道用鋳鉄管の製造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]久保田権四郎氏は創立者かつ初代社長
    • [5]創業期の製品は水道用及び瓦斯用鋳鉄管を主体とする各種鋳物
    • [6]1900年 丸吹立込鋳造法の考案(1893年の着手から7年)

量産の壁を破ったのは鋳造法の工夫で、1900年に丸吹立込鋳造法を考案[7]して実地に移している。翌1901年には船山町工場を建設し[8]、鋳鉄管と諸機械の製造販売を始めた[9]。1908年にはさらに鋳鉄管の廻転式鋳造法を考案して特許を獲得[10]し、鋳造の技法を自前で組み立てて特許で囲う型を固めている。工場と技法の両方を握ったことで、鋳鉄管は久保田鉄工所の柱として据わった[11]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]1900年 丸吹立込鋳造法を考案して実施
    • [8]1901年 船山町工場を建設し鋳鉄管・諸機械の製造販売を開始
    • [9]船山町工場で鋳鉄管と諸機械の製造販売を開始
    • [10]1908年 鋳鉄管の廻転式鋳造法を考案し特許を獲得
    • [11]鋳鉄管事業が同社事業の大宗となった
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [1]1890年2月 久保田権四郎氏が大阪市南区御蔵跡町で久保田鉄工所を創業
    • [2]創業時の事業は各種鋳物の製造・販売
    • [4]1893年7月 水道用鋳鉄管の製造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]久保田権四郎氏は創立者かつ初代社長
    • [5]創業期の製品は水道用及び瓦斯用鋳鉄管を主体とする各種鋳物
    • [6]1900年 丸吹立込鋳造法の考案(1893年の着手から7年)
    • [7]1900年 丸吹立込鋳造法を考案して実施
    • [8]1901年 船山町工場を建設し鋳鉄管・諸機械の製造販売を開始
    • [9]船山町工場で鋳鉄管と諸機械の製造販売を開始
    • [10]1908年 鋳鉄管の廻転式鋳造法を考案し特許を獲得
    • [11]鋳鉄管事業が同社事業の大宗となった

鋳物から機械へ品目を広げた大正期

鋳物事業が伸びると、権四郎氏はその機械加工に目を向け、1914年に船出町工場へ機械工場を新設[12]してスチームエンジンなどの舶用機械の製造を始めた[13]。1916年には工作機械・節炭機・給炭機・制水弁・一般機械へ[14]、1918年には鋳型へと品目を広げている[15]。鋳物を売るだけでなく、鋳物を使う機械までを自社で作る構え[16]で、鋳鉄管という単一の柱に機械という二本目を継ぎ足す作業が大正期を通じて進んだ。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [12]1914年 鋳物事業の発展にともない機械加工に着目し船出町工場に機械工場を新設
    • [13]船出町工場の機械工場でスチームエンジンなど舶用機械の製造を開始
    • [14]1916年 工作機械・節炭機・給炭機・制水弁・一般機械の製造を開始
    • [15]1918年 鋳型の製造を開始
    • [16]鋳物事業の発展に伴いその機械加工に着目した

鋳鉄管と鋳物の需要が増すと生産の場そのものを買い足し、1917年には関西鉄工所を買収して尼崎工場とし[17]、船出町工場の鋳鉄管製造部門をここへ移している。あわせて異形管の工場として恩加島工場を、排水管・異形管・一般鋳物の工場として市岡工場を新設[18]した。1922年2月には農工用小型エンジンである発動機の製造に着手[19]し、同じ年に耐熱・耐酸・耐アルカリの鋳物、砲金、軽合金の鋳物も手がけている[20]。のちに農業機械へ育つ発動機は、この年に始まった[21]。なお1919年11月には実用自動車製造を設立して三輪車・四輪車の生産にも手を出しているが、こちらは市場を得られずに退いた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [17]1917年 関西鉄工所を買収して尼崎工場とし船出町工場の鋳鉄管製造部門を移設
    • [18]異形管工場として恩加島工場、排水管・異形管・一般鋳物の工場として市岡工場を新設
    • [20]1922年 耐熱・耐酸・耐アルカリの鋳物、砲金、軽合金等の各種鋳物の製造を開始
    • [21]発動機は農業機械部門の起点となった
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [19]1922年2月 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [12]1914年 鋳物事業の発展にともない機械加工に着目し船出町工場に機械工場を新設
    • [13]船出町工場の機械工場でスチームエンジンなど舶用機械の製造を開始
    • [14]1916年 工作機械・節炭機・給炭機・制水弁・一般機械の製造を開始
    • [15]1918年 鋳型の製造を開始
    • [16]鋳物事業の発展に伴いその機械加工に着目した
    • [17]1917年 関西鉄工所を買収して尼崎工場とし船出町工場の鋳鉄管製造部門を移設
    • [18]異形管工場として恩加島工場、排水管・異形管・一般鋳物の工場として市岡工場を新設
    • [20]1922年 耐熱・耐酸・耐アルカリの鋳物、砲金、軽合金等の各種鋳物の製造を開始
    • [21]発動機は農業機械部門の起点となった
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [19]1922年2月 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始

特許で囲った鋳造技術と、隅田川精鉄所の買収

鋳造技術の蓄積は大正末に二つの特許となって表れ、1923年に自動製芯機[22]、翌1924年に自動成型機の発明特許[23]をそれぞれ獲得している。手作業に頼っていた工程を機械へ置き換えるもので、鋳鉄管の量産はこの二件で一段階を進めた[24]。1924年には度量衡法の改正にあわせ、船出町工場で衡機の製造も始めている[25]。鋳造の技法から、それを支える機械までを自社で握る構えがここで揃った[26]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [22]1923年 自動製芯機の発明特許を獲得
    • [23]1924年 自動成型機の発明特許を獲得
    • [24]自動製芯機・自動成型機の特許が鋳鉄管事業の発展に一段階を画した
    • [25]1924年 度量衡法の改正とともに船出町工場で衡機の製造を開始
    • [26]鋳造技術と製造機械の双方を自社で獲得した

設備の買い足しも続き、1927年2月には株式会社隅田川精鉄所を買収して鋳鉄管事業を拡張[27]している。同じ1927年には自動給炭機、ディーゼルエンジン、小形舶用発動機の製造にも着手[28]した。創業から40年に満たない間に、久保田鉄工所は鋳鉄管・鋳物・機械・発動機という四つの製品群[29]を抱える規模へ達している。個人経営の町工場のままでは[30]、この広がりをもはや収めきれなくなっていた。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [27]1927年2月 株式会社隅田川精鉄所を買収し鋳鉄管事業を拡張
    • [30]1930年12月に株式会社として法人格を得るまで個人経営であった
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [28]1927年 自動給炭機・ディーゼルエンジン・小形舶用発動機の製造を開始
    • [29]鋳鉄管・鋳物・機械・発動機の各製品群を擁するに至った
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [22]1923年 自動製芯機の発明特許を獲得
    • [23]1924年 自動成型機の発明特許を獲得
    • [24]自動製芯機・自動成型機の特許が鋳鉄管事業の発展に一段階を画した
    • [25]1924年 度量衡法の改正とともに船出町工場で衡機の製造を開始
    • [26]鋳造技術と製造機械の双方を自社で獲得した
    • [28]1927年 自動給炭機・ディーゼルエンジン・小形舶用発動機の製造を開始
    • [29]鋳鉄管・鋳物・機械・発動機の各製品群を擁するに至った
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [27]1927年2月 株式会社隅田川精鉄所を買収し鋳鉄管事業を拡張
    • [30]1930年12月に株式会社として法人格を得るまで個人経営であった

鋳物と機械を二つの会社に分けた法人化

1930年12月、久保田鉄工所は二つの株式会社に分かれて法人格を得ている[31]。水道瓦斯鋳鉄管および各種鋳物の製造を主とする資本金450万円の株式会社久保田鉄工所[32]と、内燃機・陸舶用機械・製鉄製鋼用機械・制水弁・衡機・工作機械などを製造する資本金250万円の株式会社久保田鉄工所機械部[33]である。鋳物と機械という二つの系統をそのまま二つの会社に分けた形で、同じ1930年には社章も改め、1925年に制定した円と鋳鉄管の意匠[34]から円を歯車へ置き換えた[35]。鋳物の久保田から、鋳物と機械の久保田へ[36]という看板の書き換えである。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [31]1930年12月 株式会社久保田鉄工所及び株式会社久保田鉄工所機械部を設立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [32]株式会社久保田鉄工所は資本金450万円、水道瓦斯鋳鉄管及び各種鋳物製造が主
    • [33]株式会社久保田鉄工所機械部は資本金250万円、内燃機・陸舶用機械・製鉄製鋼用機械・制水弁・衡機・工作機械等を製造
    • [34]1925年制定の社章は円の中に鋳鉄管を組み合わせて「久」を配し鋳物の久保田を象徴した
    • [35]1930年 産業機械部門への進出から円を歯車に変えて鋳物と機械の久保田を表徴
    • [36]社章の変更は鋳物の久保田から鋳物と機械の久保田への転換を表した

二社に分けた体制は七年で畳まれ、1937年3月に株式会社久保田鉄工所機械部を株式会社久保田鉄工所へ合併[37]している。同年9月には大同鉄工所を買収して鋳鋼工場とし[38]、11月には堺工場を新設して農工用発動機の大量生産に着手[39]した。堺工場には欧米各国から新型機械を輸入して据えている[40]。翌1938年8月には隅田川精鉄所を合併して隅田川工場とし[41]、1927年の買収から11年を経て組織のうえでも取り込んだ。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [37]1937年3月 株式会社久保田鉄工所機械部を株式会社久保田鉄工所に合併
    • [39]1937年11月 堺工場を新設し農工用発動機の大量生産に着手
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [38]1937年9月 大同鉄工所を買収して鋳鋼工場とした
    • [40]堺工場は欧米各国の新型機械を輸入して新設
    • [41]1938年8月 株式会社隅田川精鉄所を合併して隅田川工場とした

生産の場は戦時へ向けてなお広がり、1940年10月には武庫川工場を新設して産業機械事業を拡張[42]し、その翌年10月から遠心力鋳鉄管の鋳造を始めている[43]。1943年3月には神崎工場を設け[44]、同じ月に特殊鋳鋼品および高硅素鋳鉄鋳物の鋳造にも入った[45]。1945年7月には布施工場[46]を加えている。このうち兵庫県尼崎市の神崎工場は、60年余りのちに石綿被害の舞台[47]として同社の経営を揺らす場所となった。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [42]1940年10月 武庫川工場を新設し産業機械事業を拡張
    • [43]武庫川工場新設の翌年10月から遠心力鋳鉄管の鋳造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [44]1943年3月 神崎工場を新設
    • [45]1943年3月 特殊鋳鋼品及び高硅素鋳鉄鋳物の鋳造を開始
    • [46]1945年7月 布施工場を新設
  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
    • [47]旧神崎工場は兵庫県尼崎市にあり2005年に石綿疾病の公表対象となった
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [31]1930年12月 株式会社久保田鉄工所及び株式会社久保田鉄工所機械部を設立
    • [37]1937年3月 株式会社久保田鉄工所機械部を株式会社久保田鉄工所に合併
    • [39]1937年11月 堺工場を新設し農工用発動機の大量生産に着手
    • [42]1940年10月 武庫川工場を新設し産業機械事業を拡張
    • [43]武庫川工場新設の翌年10月から遠心力鋳鉄管の鋳造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [32]株式会社久保田鉄工所は資本金450万円、水道瓦斯鋳鉄管及び各種鋳物製造が主
    • [33]株式会社久保田鉄工所機械部は資本金250万円、内燃機・陸舶用機械・製鉄製鋼用機械・制水弁・衡機・工作機械等を製造
    • [34]1925年制定の社章は円の中に鋳鉄管を組み合わせて「久」を配し鋳物の久保田を象徴した
    • [35]1930年 産業機械部門への進出から円を歯車に変えて鋳物と機械の久保田を表徴
    • [36]社章の変更は鋳物の久保田から鋳物と機械の久保田への転換を表した
    • [38]1937年9月 大同鉄工所を買収して鋳鋼工場とした
    • [40]堺工場は欧米各国の新型機械を輸入して新設
    • [41]1938年8月 株式会社隅田川精鉄所を合併して隅田川工場とした
    • [44]1943年3月 神崎工場を新設
    • [45]1943年3月 特殊鋳鋼品及び高硅素鋳鉄鋳物の鋳造を開始
    • [46]1945年7月 布施工場を新設
  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
    • [47]旧神崎工場は兵庫県尼崎市にあり2005年に石綿疾病の公表対象となった

耕うん機から始まった戦後の農業機械

敗戦の翌年、1946年3月に製材機と鉱山用諸機械の製造を始め[48]、1947年には耕うん機を手がけた[49]。のちに売上の4割を占める農業機械部門[50]は、この耕うん機から始まっている。1922年に始めた農工用発動機を動力源として[51]、農家が使う機械そのものを作る側へ回った。1949年5月には東京証券取引所と大阪証券取引所へ上場[52]し、1950年8月には製品別の事業部制を採用[53]して、製品ごとに損益を締める仕組みを入れた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [48]1946年3月 製材機・鉱山用諸機械の製造を開始
    • [49]1947年 耕うん機の製造を開始
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号(広慶太郎)
    • [50]1963年10月期の農業機械部門は総売上高の40.4%を占めた
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [51]1922年2月 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始
    • [52]1949年5月 東京証券取引所・大阪証券取引所に上場
    • [53]1950年8月 製品別事業部制を採用

戦後の製品群は鋳鉄管の周辺でも厚みを増し、1950年7月に金型遠心力鋳鉄管[54]、1951年にクローム鋳鉄管とセメントライニング管、土木建設各種プラント[55]、1952年に鋳鋼管とポンプの製造へ入っている[56]。1952年12月には武庫川機械工場でポンプの製造を始めた[57]。上水道の管を作る会社から、水を送る装置までを扱う会社へ、製品の範囲が広がっている[58]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [54]1950年7月 金型遠心力鋳鉄管の製造を開始
    • [55]1951年 クローム鋳鉄管・セメントライニング管・土木建設各種プラントの製造を開始
    • [56]1952年 鋳鋼管・ポンプの製造を開始
    • [58]パイプ部門に加えポンプ・バルブ等の産業機械を擁するに至った
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [57]1952年12月 武庫川機械工場でポンプの製造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [48]1946年3月 製材機・鉱山用諸機械の製造を開始
    • [49]1947年 耕うん機の製造を開始
    • [54]1950年7月 金型遠心力鋳鉄管の製造を開始
    • [55]1951年 クローム鋳鉄管・セメントライニング管・土木建設各種プラントの製造を開始
    • [56]1952年 鋳鋼管・ポンプの製造を開始
    • [58]パイプ部門に加えポンプ・バルブ等の産業機械を擁するに至った
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号(広慶太郎)
    • [50]1963年10月期の農業機械部門は総売上高の40.4%を占めた
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [51]1922年2月 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始
    • [52]1949年5月 東京証券取引所・大阪証券取引所に上場
    • [53]1950年8月 製品別事業部制を採用
    • [57]1952年12月 武庫川機械工場でポンプの製造を開始

社名の変更と、石綿パイプの製造開始

1953年6月、社名を久保田鉄工株式会社へ改めている[59]。翌1954年には石綿パイプとビニルパイプの製造を始め[60]、同年4月にはビニルパイプ工場を新設して合成樹脂管の本格的な製造に入った[61]。石綿を含む水道用パイプは当時の配管材として広く使われた製品で、この1954年から、のちに旧神崎工場周辺の被害として問われる石綿の取り扱いが始まっている[62]

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [59]1953年6月 社名を久保田鉄工株式会社に変更
    • [61]1954年4月 ビニルパイプ工場を新設し合成樹脂管の本格的製造に着手
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [60]1954年 石綿パイプ・ビニルパイプの製造を開始
  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
    • [62]救済金の対象基準は1954年から1995年までの間に旧神崎工場の近隣に居住していたこと

1950年代の後半には製品の幅がさらに住宅と鋼管へ伸び、1956年4月にモビルクレーンと運搬用諸機械[63]、1957年11月には久保田建材工業株式会社を設立して住宅建材事業へ進出[64]している。1959年12月にはスパイラル鋼管の製造を始め[65]、同じ月に大浜工場を新設した[66]。鋳鉄管・農業機械・一般機械・鋳物という四部門[67]の骨格は、この時期にほぼ出来上がっている。次の十年で主役に躍り出るのは、四部門のうち農業機械[68]であった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [63]1956年4月 モビルクレーン・運搬用諸機械の製造を開始
    • [65]1959年12月 スパイラル鋼管の製造を開始
    • [66]1959年12月 大浜工場を新設
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [64]1957年11月 久保田建材工業株式会社を設立し住宅建材事業に進出
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号(広慶太郎)
    • [67]1963年10月期の部門構成は農業機械40.4%・パイプ31.8%・一般機械14.7%・鋳物13.1%
    • [68]1963年10月期に農業機械が総売上高の40.4%で最大部門となった
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [59]1953年6月 社名を久保田鉄工株式会社に変更
    • [61]1954年4月 ビニルパイプ工場を新設し合成樹脂管の本格的製造に着手
    • [64]1957年11月 久保田建材工業株式会社を設立し住宅建材事業に進出
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [60]1954年 石綿パイプ・ビニルパイプの製造を開始
    • [63]1956年4月 モビルクレーン・運搬用諸機械の製造を開始
    • [65]1959年12月 スパイラル鋼管の製造を開始
    • [66]1959年12月 大浜工場を新設
  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
    • [62]救済金の対象基準は1954年から1995年までの間に旧神崎工場の近隣に居住していたこと
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号(広慶太郎)
    • [67]1963年10月期の部門構成は農業機械40.4%・パイプ31.8%・一般機械14.7%・鋳物13.1%
    • [68]1963年10月期に農業機械が総売上高の40.4%で最大部門となった

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クボタの沿革1890〜2022年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1890〜1929年鋳物屋が興した鋳鉄管の国産化と、機械への拡張久保田鉄工所を創業
水道用鋳鉄管の製造を開始★★
工作機械に参入・鋳鉄管生産を尼崎と恩加島に移管
実用自動車製造を設立・自動車に参入★★
発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始★★
隅田川精鉄所を買収
1930〜1959年二社に分けた法人化と、戦後に芽を出した耕うん機久保田鉄工所を設立
農工用発動機の大量生産を開始
耕うん機の製造開始・農機に参入★★
東京証券取引所に株式上場
小田原大造小田原大造氏が社長就任
小田原大造社名を久保田鉄工に変更
小田原大造合成樹脂管の製造を開始
小田原大造住宅建材事業に参入
小田原大造創業者・久保田権四郎氏が逝去
1960〜1989年農業機械を主力へ組み替え、北米へ持ち出した20年小田原大造純国産トラクタT15形の発売と、耕うん機から完成機体系への農業機械の組み替え

1960年、久保田鉄工が15馬力の純国産トラクタT15形を発売し、耕うん機と農用発動機の延長にあった農業機械事業を、乗用トラクタ・バインダー・田植機という完成機の体系へ組み替えた経営判断。1961年の農業基本法と構造改善事業が押し上げた機械化需要を受け、1969年の宇都宮工場までに量産の体制を整えた。

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★★★
小田原大造環境事業に参入
小田原大造産業機械・鋳鋼製品の量産体制を確立
米田健三住宅建材事業に本格参入
米田健三田植機・バインダーの量産体制を確立
広慶太郎欧米向けトラクタの量産を開始★★
広慶太郎クボタトラクターCorp.の設立と、水田向け小型トラクタによる北米・欧州市場への進出

1972年9月、久保田鉄工が米国にクボタトラクターCorp.を設立し、日本の水田向けに作った25〜30馬力の小型・中型トラクタを北米へ持ち出した経営判断。廣慶太郎社長の主導で、1974年3月にはフランスにも販売会社を設けて西欧に広げ、輸出を軸とする国際戦略へ移った。

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★★★
広慶太郎ヨーロッパクボタトラクタ販売を設立
広慶太郎農業用トラクタの専門量産工場として筑波工場を新設
広慶太郎ニューヨーク証券取引所に上場。(2013年7月に同取引所上場廃止。)
広慶太郎外壁材専門工場として鹿島工場を新設
三野重和エンジン専門工場として堺製造所に堺臨海工場を新設
1990〜2026年未知へ飛び込む多角化と石綿の公表、そして海外農機への傾斜三野重和「落下傘型」多角化で祖業依存を断つ経営刷新

1990年、久保田鉄工(同年4月にクボタへ商号変更)が、既存事業の周辺ではなく未経験の分野へ飛び込む『落下傘型』の多角化を掲げ、コンピューター事業を第3の柱に育てようとした経営判断。三野重和社長の主導で、社名・シンボルマークの一新と社内の意識改革をあわせて進めた。

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★★★
三井康平子会社を解散
三井康平約30年来の水道管カルテルが発覚★★
三井康平希望退職者を募集
幡掛大輔非注力事業を分離縮小
幡掛大輔シーアイ化成との合成樹脂管事業統合によりクボタシーアイを設立
幡掛大輔旧神崎工場の石綿疾病の公表と、周辺住民への見舞金・救済金の支払い

2005年6月29日、クボタが旧神崎工場(兵庫県尼崎市)で78人の社員が石綿を原因に死亡し15人が療養中であると発表し、あわせて工場の周辺住民に石綿との関連が疑われる患者がいることを明らかにして、中皮腫を発症した住民3人へ1人200万円の見舞金を支払うと言明した経営判断。幡掛大輔社長の下で、因果関係が確定しない段階の支払いに踏み込んだ。

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★★★
幡掛大輔立ち入り調査が相次ぐ
幡掛大輔サイアムクボタトラクター Co.,Ltd.を設立
益本康男ノルウェーKverneland ASAを買収★★
益本康男クボタファームマシナリーヨーロッパ S.A.S.を設立
木股昌俊GPを買収
木股昌俊基幹システムの刷新開始
北尾裕一インド農機大手エスコーツへの最大約1,406億円の出資と子会社化

2021年11月18日、クボタがインドのトラクタメーカー Escorts Limited への出資比率引き上げに合意し、第三者割当増資の引き受けと株式公開買付けで合計最大約1,406億円を投じて所有割合を最大53.50%へ高めた経営判断。北尾裕一社長の下で決めたクボタ最大の買収で、子会社化は2022年4月に完了した。

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★★★
北尾裕一グローバル技術研究所を新設
出典・参考
  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • ダイヤモンド 1960年12月5日号
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号(広慶太郎)
  • 証券アナリストジャーナル 1968年第6巻第3号(広慶太郎)
  • 証券アナリストジャーナル 1972年第10巻第10号(廣慶太郎)
  • 証券アナリストジャーナル 1974年第12巻第10号(廣慶太郎)

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