重要な意思決定
欧米進出を本格化・トラクター量産
背景
国内農機市場の一巡を見越した海外市場開拓の方針決定
クボタは国内における農機の普及が一巡したと判断し、海外市場の開拓に注力する方針を決定した。1960年代を通じて農機部門の売上を拡大し、1970年前後には農業機械部門が全社売上高の35%を占めるまでに成長したが、国内の稲作機械化はほぼ完了しつつあった。廣慶太郎社長は「遅くとも5年先には代替需要の時期がくる」として、それまでに海外市場を確保する必要性を表明した。
1972年にアメリカに現地法人「クボタトラクターCorp.」を設立し、1974年にはクボタヨーロッパS.A.S.を設立して欧州にも拠点を構えた。1976年にはニューヨーク証券取引所に株式を上場し、米国市場における認知度の向上を図った。同時期に競合のヤンマーは米大手農機メーカーのジョン・ディア社とOEM提携する形で北米に参入しており、クボタとは異なる手法での海外展開であった。
決断
大型機のジョンディアを避け家庭向け小型農機で北米に参入
クボタは米国において単独進出を決定した。ヤンマーがジョン・ディア社とのOEM提携で参入したのに対し、クボタは自社ブランドでの展開を選んだ。ジョンディアが農家向けの大型農機を主力とするのに対し、クボタは家庭向けの小型農機(家庭菜園・芝刈り用途)を投入して、大型機メーカーとの直接競合を構造的に回避する参入戦略をとった。
廣慶太郎社長は「大農場でも小回りのきく機械作業の分野がいくらでもある」として、小型機のアタッチメント開発を通じた用途拡大により、大農場向け需要を開拓する構想を描いた。生産面では1975年に筑波工場(トラクター)、1985年に堺臨海工場(エンジン)を新設し、海外向け供給体制を整備した。国内で培った小型トラクターの技術を活かせるセグメントを選択することで、追加の開発投資を抑えながら海外市場に浸透する設計であった。