1895年〜 安中電機・共立電機の流れと「安立電気」130年の前史
アンリツの業績推移:単体
- 1895年 石杉社を創業
- 1900年 安中電機製作所を設立
- 1914年 世界初の実用無線電話機「TYK式無線電話機」を実用化
- 1950年 企業再建整備法に基づく第二会社設立
- 1952年 通信計測器事業を確立
- 1953年 6事業部体制で事業多角化を推進
- 1981年 世界初の光パルス試験器(OTDR)を開発
通信機器2社の戦時統合で生まれた安立電気
1931年3月、株式会社安中電機製作所と共立電機株式会社の合併により、資本金50万円で安立電気株式会社が設立された。安中電機製作所は、1900年に安中常次郎氏が創立した無線通信機製造の始祖で、無線通信機から変圧器・蓄電器・真空管へと製造を広げ、国産メーカーとして電信電話事業の発展に寄与した系列だった。一方の共立電機は、1895年に石黒慶三郎氏が興した石杉社(有線通信機製造の先駆)を源流とし、阿部電線製作所との合併を経て電話機・計器・電線など有線通信機器の製造を担うメーカーへ発展した。両社はおよそ30年の歩みを経て統合され、戦間期日本における通信機器産業の集約のひとつとなった。「安立」の社名は、合併母体の「安中」と「共立」から1字ずつを取った命名である。創業時の本店は東京・麻布富士見町で、無線・有線の通信機器と計測機器の製造販売を業として営んだ。 [1][2][3][4]
- アンリツ 有価証券報告書 第99期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1931年3月、安中電機製作所と共立電機の合併により資本金50万円で安立電気株式会社が設立
- 安立電気五十年史(1982年・安立電気 刊)
- [2]安中電機製作所は1900年に安中常次郎が創立した無線通信機製造の始祖で、無線通信機から変圧器・蓄電器・真空管へ製造を広げ国産メーカーとして電信電話事業に寄与
- [3]共立電機は1895年創業の石杉社(石黒慶三郎が興した有線通信機製造の先駆)を源流とし、阿部電線製作所との合併を経て電話機・計器・電線の製造へ拡大
- [4]創業時の本店・工場は東京市麻布区富士見町(旧共立電機の跡地)
合併母体の技術蓄積は、戦前の通信機開発に遡る。安中電機製作所は1905年に海軍省の指定工場となり、同社製の三六式無線電信機を搭載した哨艦・信濃丸は、1905年5月の日本海海戦の緒戦で「敵艦見ユ」の歴史的信号を発信した。1917年に株式会社化した安中電機は真空管の製作を始め、東京中央放送局愛宕山送信所への国産500W放送機の据付や、日本郵船の浅間丸・竜田丸・照国丸への真空管式無線送信機の装備で名を知られた。1931年の安立電気発足後は、1933年にわが国最初のテレビジョン放送機を製造して浜松高等工業(現静岡大学工学部)へ納入し、1939年末には国産最初の自動式公衆電話機を開発した。戦時色が濃くなるにつれ軍用無線兵器の生産が増え、終戦時の従業員は約9,000名に達していた。 [5][6][7][8][9][10][11]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [5]安中電機製作所は1905年(明治38年)に海軍省の指定工場となった
- [6]安中電機製の三六式無線電信機を搭載した哨艦・信濃丸が1905年5月の日本海海戦の緒戦で「敵艦見ユ」の信号を発信した
- [7]安中電機は1917年(大正6年3月)に株式会社組織へ改め、同時に真空管の製作を始めた
- [8]安中電機は東京中央放送局愛宕山送信所へ国産500W放送機を据付け、日本郵船の浅間丸・竜田丸・照国丸へ真空管式無線送信機を装備した
- [9]安立電気は1933年(昭和8年)にわが国最初のテレビジョン放送機を製造し浜松高等工業(現静岡大学工学部)へ納入した
- [10]安立電気は1939年末(昭和14年末)に国産最初の自動式公衆電話機を開発した
- [11]終戦時の従業員数は約9,000名に達していた
戦後の1950年10月、安立電気は企業再建整備法に基づく第二会社設立を実施した。GHQ占領下の財閥解体・企業再建の過程で旧法人を清算し、新法人として再出発する手続きを取った企業のひとつで、戦時期の軍需依存からの脱却と民需転換を伴う再建だった。1953年に始動した日本電信電話公社(電電公社)の第1次5カ年計画による通信網拡張に連動し、安立電気は公衆電話機・搬送用機器・回線用測定器などを納入し、第1次計画が終了した1957年には電電公社向けが全社売上高の約40%を占めるに至った。1959年には電電公社専門の市場別組織として第1営業課を設け、官需依存を組織面でも固めた。1961年4月に神奈川県・厚木事業所を新設し、同年10月に東京証券取引所市場第二部に株式上場した。1968年8月には東証市場第一部に指定替えとなり、戦後の通信インフラ拡張期に資本市場での評価を獲得した。 [12][13][14][15][16]
- アンリツ 有価証券報告書 第99期(2025年3月期)【沿革】
- [12]1950年10月、企業再建整備法に基づく第二会社設立
- [15]1961年4月に厚木事業所を新設、同年10月に東証市場第二部へ上場
- [16]1968年8月、東証市場第一部へ指定替え(上場)
- 安立電気五十年史(1982年・安立電気 刊)
- [13]電電公社の第1次5カ年計画(1953年〜)に連動し公衆電話機・搬送用機器・回線用測定器を納入、計画終了年の1957年に電電公社向けが全社売上の約40%に達した
- [14]1959年、電電公社専門の市場別組織として第1営業課を設置
- アンリツ 有価証券報告書 第99期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1931年3月、安中電機製作所と共立電機の合併により資本金50万円で安立電気株式会社が設立
- [12]1950年10月、企業再建整備法に基づく第二会社設立
- [15]1961年4月に厚木事業所を新設、同年10月に東証市場第二部へ上場
- [16]1968年8月、東証市場第一部へ指定替え(上場)
- 安立電気五十年史(1982年・安立電気 刊)
- [2]安中電機製作所は1900年に安中常次郎が創立した無線通信機製造の始祖で、無線通信機から変圧器・蓄電器・真空管へ製造を広げ国産メーカーとして電信電話事業に寄与
- [3]共立電機は1895年創業の石杉社(石黒慶三郎が興した有線通信機製造の先駆)を源流とし、阿部電線製作所との合併を経て電話機・計器・電線の製造へ拡大
- [4]創業時の本店・工場は東京市麻布区富士見町(旧共立電機の跡地)
- [13]電電公社の第1次5カ年計画(1953年〜)に連動し公衆電話機・搬送用機器・回線用測定器を納入、計画終了年の1957年に電電公社向けが全社売上の約40%に達した
- [14]1959年、電電公社専門の市場別組織として第1営業課を設置
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [5]安中電機製作所は1905年(明治38年)に海軍省の指定工場となった
- [6]安中電機製の三六式無線電信機を搭載した哨艦・信濃丸が1905年5月の日本海海戦の緒戦で「敵艦見ユ」の信号を発信した
- [7]安中電機は1917年(大正6年3月)に株式会社組織へ改め、同時に真空管の製作を始めた
- [8]安中電機は東京中央放送局愛宕山送信所へ国産500W放送機を据付け、日本郵船の浅間丸・竜田丸・照国丸へ真空管式無線送信機を装備した
- [9]安立電気は1933年(昭和8年)にわが国最初のテレビジョン放送機を製造し浜松高等工業(現静岡大学工学部)へ納入した
- [10]安立電気は1939年末(昭和14年末)に国産最初の自動式公衆電話機を開発した
- [11]終戦時の従業員数は約9,000名に達していた
「はかる」技術への転換と1985年のアンリツ改称
1970年代を通じて、安立電気は通信機器と計測機器の二本柱を生産する企業として事業を運営したが、計測機器の比重が次第に高まる構造変化が進行した。1978年5月、東京・五反田にあった無線機器製造部門等を厚木事業所に移転し、製造部門の厚木集結を完了した。1979年6月には地下鉄広尾駅前の社員寮跡地に新本社ビルを竣工し、本社・営業部門を移転した。生産機能を厚木、本社・営業機能を都心の広尾という分業体制が、その後30年余の同社の地理的構図となった。 [17][18]
- アンリツ 有価証券報告書 第99期(2025年3月期)【沿革】
- [17]1978年5月、無線機器製造部門等を厚木事業所に移転し製造部門の厚木集結を完了
- [18]1979年6月、地下鉄広尾駅前の社員寮跡地に新本社ビルを竣工し本社・営業部門を移転
1985年3月、福島県郡山市に生産子会社・東北アンリツ株式会社を設立し、同年10月1日付で社名を「アンリツ株式会社」に変更した。「安立」を「アンリツ」とカタカナ表記に改めた商号変更で、計測機器を主力とする企業としてのブランド再定義を伴う節目だった。第6代社長の橋本裕一氏は後年、120年以上の歴史を刻んできた背景として社会から必要とされる存在であり続けたことを挙げ、危機突破力の源泉として先進性、適応力、信頼性の3点を位置づけている。1931年の安立電気設立から1985年のアンリツ改称まで、計測機器分野での要素技術蓄積が同社の中核となる過程が、この50年余の歴史だった。 [19][20][21]
- アンリツ 有価証券報告書 第99期(2025年3月期)【沿革】
- [19]1985年3月、福島県郡山市に生産子会社・東北アンリツ株式会社を設立
- [20]1985年10月1日付で社名を「アンリツ株式会社」へ変更
- [21]第6代社長・橋本裕一が120年以上の歴史の背景に社会から必要とされ続けたことを挙げ、危機突破力の源泉として先進性・適応力・信頼性を位置づけた(取材)
- アンリツ 有価証券報告書 第99期(2025年3月期)【沿革】
- [17]1978年5月、無線機器製造部門等を厚木事業所に移転し製造部門の厚木集結を完了
- [18]1979年6月、地下鉄広尾駅前の社員寮跡地に新本社ビルを竣工し本社・営業部門を移転
- [19]1985年3月、福島県郡山市に生産子会社・東北アンリツ株式会社を設立
- [20]1985年10月1日付で社名を「アンリツ株式会社」へ変更
- [21]第6代社長・橋本裕一が120年以上の歴史の背景に社会から必要とされ続けたことを挙げ、危機突破力の源泉として先進性・適応力・信頼性を位置づけた(取材)