
アンリツの歴史
かつてはNTT向け公衆電話の独占企業だったが、通信用計測機器に業態転換。LTE通信のインフラを影で支える高収益企業
かつてはNTT向け公衆電話の独占企業だったが、通信用計測機器に業態転換。LTE通信のインフラを影で支える高収益企業
アンリツは1931年に「安中電気・共立電機」の2社の合併によって発足した企業であり、両者の頭文字をとって安立電気の商号が採用された。
安中電気は明治33年に安中常次郎によって創業された会社であり、海軍向けの無線通信機器を製造する開発型の企業であった。特に無線通信には定評があり、日露戦争においてバルチック艦隊発見の報告を哨戒艦「信濃丸」は、安中電気の「36式無線電信機」を使って「敵艦見ゆ」と打電するなど、海軍における勝利に大きく貢献した。
共立電機の創業経緯は複雑である。明治14年に創業された石杉社が、明治46年に阿部電線製作所を合併することで「共立電機」が設立された。共立電気では電話機の量産を行っており、軍需向けの通信機器にも参入していた。
ところが、1923年(大正時代後期)において、第一次世界大戦の終結によって日本経済が不況に陥ると、共立電気の経営が悪化し、単独での存続が難しい状況となった。一方、安中電気はラジオの普及という市場を見出して、放送機会をNHKに納入するなど、順調に業容を拡大していた。
そこで、1931年に業績が好調だった安中電気が、業績不振に陥っていた共立電機と合併する形で、安立電気を設立するに至った。
1931年の安立電気の設立後も、無線通信機器を中心に業容を拡大した。1934年には無線方向探知機、1936年には多重搬送電話装置を開発するなど、無線技術の発展や、電話などの通信インフラの普及に合わせて新製品を拡大した。また、テープレコーダーの開発にも成功しており、終戦直後にソニーに特許を売却している(ソニーは安立の特許でテープレコーダーに参入して市場を独占した)。
特に、公衆電話機においては国産化に初めて成功し、1939年に発売した。いち早く公衆電話機を国産化したことによって、戦後にNTT(電電公社)向けに公衆電話を独占的に納入する企業として、アンリツが発展する契機になった。戦後の電電公社向けのビジネスでは、富士通・NEC・沖電気といった大企業が電話交換機を担当する一方、アンリツなどの中規模メーカーが公衆電話機を担当するという棲み分けが成立した。
これらの経緯から、アンリツにはBtoBにおける通信インフラの裏方企業として事業を展開する伝統がある。FY2022の現在もアンリツの主力事業は、無線通信向けのインフラ機器や計測機器であり、通信技術の発展とともに業容を拡大している。