1895年に石黒慶三郎氏が興した石杉社と、1900年に安中常次郎氏が創立した安中電機製作所が起源。
1905年の日本海海戦で安中電機製の無線電信機が敵艦発見を伝え、1981年には世界初の光パルス試験器を開発した。5Gスマートフォンの開発計測では米キーサイトとともに市場の大部分を占める。
1931年3月、株式会社安中電機製作所と共立電機株式会社の合併により、資本金50万円で安立電気株式会社が設立された。安中電機製作所は、1900年に安中常次郎氏が創立した無線通信機製造の始祖で、無線通信機から変圧器・蓄電器・真空管へと製造を広げ、国産メーカーとして電信電話事業の発展に寄与した系列だった。一方の共立電機は、1895年に石黒慶三郎氏が興した石杉社(有線通信機製造の先駆)を源流とし、阿部電線製作所との合併を経て電話機・計器・電線など有線通信機器の製造を担うメーカーへ発展した。両社はおよそ30年の歩みを経て統合され、戦間期日本における通信機器産業の集約のひとつとなった。"安立"の社名は、合併母体の"安中"と"共立"から1字ずつを取った命名である。創業時の本店は東京・麻布富士見町で、無線・有線の通信機器と計測機器の製造販売を業として営んだ。
合併母体の技術蓄積は、戦前の通信機開発に遡る。安中電機製作所は1905年に海軍省の指定工場となり、同社製の三六式無線電信機を搭載した哨艦・信濃丸は、1905年5月の日本海海戦の緒戦で"敵艦見ユ"の歴史的信号を発信した。1917年に株式会社化した安中電機は真空管の製作を始め、東京中央放送局愛宕山送信所への国産500W放送機の据付や、日本郵船の浅間丸・竜田丸・照国丸への真空管式無線送信機の装備で名を知られた。1931年の安立電気発足後は、1933年にわが国最初のテレビジョン放送機を製造して浜松高等工業(現静岡大学工学部)へ納入し、1939年末には国産最初の自動式公衆電話機を開発した。戦時色が濃くなるにつれ軍用無線兵器の生産が増え、終戦時の従業員は約9,000名に達していた。
戦後の1950年10月、安立電気は企業再建整備法に基づく第二会社設立を実施した。GHQ占領下の財閥解体・企業再建の過程で旧法人を清算し、新法人として再出発する手続きを取った企業のひとつで、戦時期の軍需依存からの脱却と民需転換を伴う再建だった。1953年に始動した日本電信電話公社(電電公社)の第1次5カ年計画による通信網拡張に連動し、安立電気は公衆電話機・搬送用機器・回線用測定器などを納入し、第1次計画が終了した1957年には電電公社向けが全社売上高の約40%を占めるに至った。1959年には電電公社専門の市場別組織として第1営業課を設け、官需依存を組織面でも固めた。1961年4月に神奈川県・厚木事業所を新設し、同年10月に東京証券取引所市場第二部に株式上場した。1968年8月には東証市場第一部に指定替えとなり、戦後の通信インフラ拡張期に資本市場での評価を獲得した。
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事実根拠:出所(アンリツ)