manufacturing

アンリツの歴史

かつてはNTT向け公衆電話の独占企業だったが、通信用計測機器に業態転換。LTE通信のインフラを影で支える高収益企業

TimeLine
1931→1990

電電公社向けの電話交換機・公衆電話が主力事業

1931 03月
会社設立
安中電気と共立電機が合併。安立電気株式会社を発足
【安中電気と共立電機の2社が源流】 アンリツは1931年に「安中電気・共立電機」の2社の合併によって発足した企業であり、両者の頭文字をとって... 続きを読む
1950
経営再建
[*1-2]
第二会社を設立して再建
終戦による軍需の喪失を受けて、第二会社を設立して企業再建を開始。電電公社(NTT)向けの公衆電話の製造を主力事業に据えた
1960
経営方針
[*1-3]
計測機を伸ばす方針を宣言
1960年時点のアンリツの売上高は50%が電電公社向けの製品であり、政府の電話インフラの整備計画に依存していた。そこで、アンリツは1960年に5ヵ年の経営計画を策定し、民需製品の拡大を目標に据えた。具体的にはテレビやラジオの製造工程で使用する各種計測機への参入を目指した
田尾本政一(安立電気・当時社長)
田尾本政一(安立電気・当時社長)
1962/09通信工業
1961 04月
設備投資
[*1-4]
厚木事業所を新設
1961 10月
株式上場
[*1-5]
東京証券取引所第2部に株式上場
1968 08月
株式上場
[*1-6]
東京証券取引所第1部に株式上場
1974
技術開発
[*1-7]
M501Aレーザ外形測定器を開発
光ファイバーの製造で必要な測定器を開発。以後、光を軸とした通信計測機器の開発を継続。1980年代には「光のアンリツ」という業界内の評判を確立した
1979
顧客獲得
[*1-8]
ATT向けマイクロ波計測器を納入
米国の通信大手ATTにマイクロ波の計測器の納入に成功し、海外展開を本格化。20億円規模の受注(FY1979に売上3億円、FY1980に売上7億円、FY1981に売上10億円の見込み)
1978 05月
工場閉鎖
[*1-9]
広尾の旧本社工場を閉鎖。賃貸収入を確保?
米軍向け施設の新設につき、東京の一等地である広尾の本社工場を閉鎖。本社機能と製造機能を厚木に移転した。なお、現在に至るまで、アンリツは継続的な賃貸収入を確保しており(FY2021時点で年間20億円)、当該地を賃貸している可能性もある。
1979 11月
業績好調
[*1-10]
NTT向けボックス型公衆電話機で市場独占
高度経済成長の波に乗り、電電公社(NTT)向けのボックス用公衆電話機(黄色電話)において日本国内で「独占メーカー」(1981年2月号「Space」)と形容された。ただし、FY1979におけるアンリツの公衆電話機の売上高は全社売上高の20%(約60億円)であり、公衆電話依存の体質からは脱却していた
1985 03月
設備投資
[*1-11]
東北アンリツを設立
福島県郡山市に製造子会社を新設。人件費の抑制を目論む
Performance
1931→1990
TimeLine
1985→2003

NTTの発足を受けて電話交換機・公衆電話の事業を縮小。通信計器に業態転換するもネットバブル崩壊で巨額損失を計上

1985 10月
商号変更
[*2-1]
商号をアンリツ株式会社に変更
NTTの民営化を受けて社名を変更。電電公社依存体質からの脱却を急ぐ
1990 02月
企業買収
[*2-2]
米Wiltron Company を買収
1995
新製品
[*2-3]
サイドマスタの製品展開を開始
無線インフラ建設・保守ハンドベルト機器を展開
2000
新製品
[*2-4]
スペクトラムマスタの製品展開を開始
無線LAN関連製品。主な顧客は通信事業者
2002 12月
人員削減
[*2-5]
583名のリストラを実施。退職金の特別損失56億円を計上
業績悪化を受けて、アンリツは「特別転進支援制度」の実施を公表。583名の従業員が同制度を活用してリストラされた。加えて、117名がグループ会社に転籍となった。ただし、アンリツは特別損失56億円を計上して特別退職金を捻出しており、金銭的な補償に配慮している。
2003 03月
業績低迷
[*2-6]
最終赤字327億円に転落
ネットバブルの崩壊により通信関連機器の需要が低迷
Performance
1985→2003
TimeLine
2003→2015

ネットバブル崩壊後の経営再建に着手。携帯電話の普及を見据えてW-CDMAの関連機器に積極投資

2003 06月
経営方針
[*3-1]
中期経営計画を公表
アンリツは経営再建を兼ねた中期経営計画を発表。携帯電話の通信インフラが普及すると判断して「W-CDMA計測市場でNo.1の地位をグローバルに展開」という方針を掲げた。数値目標としては、FY2005に「売上高1000億円以上・営業利益100億円以上・売上高営業利益率10%以上」の達成を掲げた
2003 06月
本社移転
[*3-2]
本社を厚木市(厚木事業所内)に移転
旧本社の資産売却を受けて、事前に本社を厚木事業所に移転
2003 07月
資産売却
[*3-3]
東京都港区南麻布(5-72-1)の旧本社土地を売却
財務体質の悪化を受けて資産売却を決定。日比谷線広尾駅前のアンリツ本社ビル(東京都港区南麻布5-72-1)の資産売却を実施。譲渡価格は51.4億円。売却先は株式会社モリモト(分譲マンションの企画販売)
2003 09月
資金調達
[*3-4]
転換社債の発行で150億円を調達
財務体質の改善を急ぐため、転換社債の発行を決定。主幹事は大和証券で、欧州における海外募集。資金用途は、設備投資に約70億円(主にW-CDMA関連)、有利子負債の返済に約50億円、運転資金に約30億円の予定
2003 10月
事業縮小
[*3-5]
デバイス事業を会社分割
業績不振の原因となった光デバイスの事業責任を明確化するために、アンリツデバイスを100%子会社として設立。母体となった光デバイス事業は、FY2003の売上高9.59億円に対して、営業赤字▲24.62億円という厳しい決算であった。
2003
新製品
[*3-6]
セルマスタの製品展開を開始
GSM、CDMA2000向け
2005
新製品
[*3-7]
UMTSマスタの製品展開を開始
W-CDMA向け。主な顧客は通信事業者
2005 06月
社長交代
[*3-8]
戸田博道氏が代表取締役社長に就任
計測事業統轄本部・本部長であった戸田博道氏が社長に就任。米ウィルトロンの買収直後に同社に出向した経験あり。通信計測を伸ばす方向性を継続。前社長の塩見氏は代表取締役会長に就任
2005 08月
企業買収
[*3-9]
NetTest A/Sを買収
デンマークに拠点を置くNetTest社を買収し、モニタリング事業に参入。顧客に対して計測サービスを提供する企業で、ワイヤレスネットワークモニタリングで世界シェアno.2。インドにおけるソフトウェア開発に特色。顧客として欧米・東欧・ロシアの通信事業者を抱える。ただしネットバブル崩壊により損失体質であり、買収と同時にリストラを実施
2006 04月
販売政策
[*3-10]
英国に販売統括会社を新設
統轄の範囲は欧州に加えて、中近東・アフリカ
2009 03月
業績低迷
[*3-11]
2期連続の最終赤字に転落
2009 04月
設備投資
[*3-12]
郡山事業所を新設
2013 05月
設備投資
[*3-13]
郡山第二事業所を新設
Performance
2003→2015
TimeLine
2015→2022

5Gの普及に合わせてグローバルで積極投資。FY2020に当期利益額で過去最高を達成

2015 03月
設備投資
[*4-1]
厚木事業所にグローバル本社棟を新設
2020 04月
組織再編
[*4-2]
子会社3社を吸収合併
アンリツネットワーク、アンリツエンジニアリング、アンリツプロアソシエの3社を吸収
2021 03月
業績好調
[*4-3]
過去最高益を達成(売上収益_当期利益率15.2%)
売上収益1059億円・当期利益161億円
2022 04月
企業買収
[*4-4]
NEC子会社の高砂製作所を買収
高砂製作所(従業員217名・2020年6月時点)の買収を決定。電源・電子負荷装置・通信機器を取り扱う企業。特に電源に関する試験機器の将来性を期待し、ESGという時代の流れも踏まえて、アンリツは企業買収に踏み切った
Performance
2015→2022
1931
Report

安中電気と共立電機が合併。安立電気株式会社を発足

会社設立

安中電気と共立電機の2社が源流

アンリツは1931年に「安中電気・共立電機」の2社の合併によって発足した企業であり、両者の頭文字をとって安立電気の商号が採用された。

安中電気は明治33年に安中常次郎によって創業された会社であり、海軍向けの無線通信機器を製造する開発型の企業であった。特に無線通信には定評があり、日露戦争においてバルチック艦隊発見の報告を哨戒艦「信濃丸」は、安中電気の「36式無線電信機」を使って「敵艦見ゆ」と打電するなど、海軍における勝利に大きく貢献した。

共立電機の創業経緯は複雑である。明治14年に創業された石杉社が、明治46年に阿部電線製作所を合併することで「共立電機」が設立された。共立電気では電話機の量産を行っており、軍需向けの通信機器にも参入していた。

ところが、1923年(大正時代後期)において、第一次世界大戦の終結によって日本経済が不況に陥ると、共立電気の経営が悪化し、単独での存続が難しい状況となった。一方、安中電気はラジオの普及という市場を見出して、放送機会をNHKに納入するなど、順調に業容を拡大していた。

そこで、1931年に業績が好調だった安中電気が、業績不振に陥っていた共立電機と合併する形で、安立電気を設立するに至った。

研究開発型の企業として発展

1931年の安立電気の設立後も、無線通信機器を中心に業容を拡大した。1934年には無線方向探知機、1936年には多重搬送電話装置を開発するなど、無線技術の発展や、電話などの通信インフラの普及に合わせて新製品を拡大した。また、テープレコーダーの開発にも成功しており、終戦直後にソニーに特許を売却している(ソニーは安立の特許でテープレコーダーに参入して市場を独占した)。

特に、公衆電話機においては国産化に初めて成功し、1939年に発売した。いち早く公衆電話機を国産化したことによって、戦後にNTT(電電公社)向けに公衆電話を独占的に納入する企業として、アンリツが発展する契機になった。戦後の電電公社向けのビジネスでは、富士通・NEC・沖電気といった大企業が電話交換機を担当する一方、アンリツなどの中規模メーカーが公衆電話機を担当するという棲み分けが成立した。

これらの経緯から、アンリツにはBtoBにおける通信インフラの裏方企業として事業を展開する伝統がある。FY2022の現在もアンリツの主力事業は、無線通信向けのインフラ機器や計測機器であり、通信技術の発展とともに業容を拡大している。

References [資料整理中]