1985年〜 北陸3県の薬局チェーンとイオン系仕入連合への参画
クスリのアオキホールディングスの業績推移:単体
- 1985年 クスリのアオキを設立
- 1986年 石川県1号店を金沢市に出店
- 1995年 本部兼集配センターを新設
- 1996年 青木二階堂薬局・草山商事を合併
- 1997年 富山県1号店を砺波市に出店
- 1997年 ツルハと業務提携・資本提携
- 2003年 イオンと業務提携・資本提携
加賀の旧家・青木家と明治2年創業の薬局を母体とした法人化
クスリのアオキの母体は、加賀前田家の本陣を務めた旧家・青木家[1]が営む薬局にさかのぼる。青木家は上杉家の家臣だった二階堂氏が石川県白山市(旧松任市)に移って青木姓に改め、室町時代から400年にわたり年寄役と本陣を兼ねてきた家柄で、青木桂生氏はその十六代目にあたる。[2]家業の薬局「青木二階堂薬局」は1869年の創業で、1976年に有限会社青木二階堂薬局として法人化された。[3][4]青木桂生氏はこの老舗薬局の跡継ぎとして育ち、後にドラッグストア業態への転換を主導した。
- 近代中小企業 1993年1月号
- [1]青木桂生氏の生家・青木家は加賀前田家の本陣を務めた旧家
- 北陸経済研究 1999年6月号
- [2]青木家は上杉家家臣・二階堂氏が松任(現白山市)へ移り青木姓へ改名、室町時代から年寄役兼本陣を務め、青木桂生氏で16代目
- [3]家業の薬局「青木二階堂薬局」は明治2年(1869年)創業
- 有価証券報告書
- [4]1976年に有限会社青木二階堂薬局として法人化(前身)
1985年1月、青木桂生氏は資本金1,500万円で株式会社クスリのアオキ[5]を石川県金沢市泉野出町に設立した。同じ1985年に父の薬局から独立し、調剤中心の薬局から物販を併せ持つドラッグストア業態を始めた。[6]翌1986年3月には金沢市にチェーン店舗第1号を開き[7]、個人薬局の延長から店舗チェーンへ事業形態を切り替えた。青木桂生氏は「業種から脱皮して全く新しい業態を自分たちが開拓していくのが一番の仕事」(近代中小企業 1993/01)と語り[8]、「健康・美・衛生」を掲げて従来の薬局にない品揃えで売場をつくった。経営面では勘や度胸に頼らない「科学的な経営」を掲げ、仕組みの構築と社会[9]との調和を重視する方針を早くから打ち出した。
- 有価証券報告書
- [5]1985年1月 資本金1,500万円で株式会社クスリのアオキを石川県金沢市泉野出町に設立
- [7]1986年3月 金沢市にチェーン店舗第1号(石川県1号店)を出店
- 近代中小企業 1993年1月号
- [6]昭和60年(1985年)に父の薬局から独立しドラッグストア業態を始めた
- [8]青木桂生は「業種から脱皮して全く新しい業態を…開拓していくのが一番の仕事」(近代中小企業 1993/01)と語り、「健康・美・衛生」を掲げた
- [9]勘や度胸でなく「科学的な経営」(仕組みの構築と社会との調和)を掲げた
- 近代中小企業 1993年1月号
- [1]青木桂生氏の生家・青木家は加賀前田家の本陣を務めた旧家
- [6]昭和60年(1985年)に父の薬局から独立しドラッグストア業態を始めた
- [8]青木桂生は「業種から脱皮して全く新しい業態を…開拓していくのが一番の仕事」(近代中小企業 1993/01)と語り、「健康・美・衛生」を掲げた
- [9]勘や度胸でなく「科学的な経営」(仕組みの構築と社会との調和)を掲げた
- 北陸経済研究 1999年6月号
- [2]青木家は上杉家家臣・二階堂氏が松任(現白山市)へ移り青木姓へ改名、室町時代から年寄役兼本陣を務め、青木桂生氏で16代目
- [3]家業の薬局「青木二階堂薬局」は明治2年(1869年)創業
- 有価証券報告書
- [4]1976年に有限会社青木二階堂薬局として法人化(前身)
- [5]1985年1月 資本金1,500万円で株式会社クスリのアオキを石川県金沢市泉野出町に設立
- [7]1986年3月 金沢市にチェーン店舗第1号(石川県1号店)を出店
金沢から広げた多店舗化と「健康・美・衛生」業態の確立
設立後のクスリのアオキは、本拠の金沢市に加えて松任市や小松市へ店舗網を広げ[10]、石川県内で多店舗化を図った。単体売上高は1992年5月期の15億円から1993年5月期23億円[11]、1994年5月期31億円へと年々積み上がり、1995年5月期には42億円を見込むまでに伸びた。1993年の時点では資本金2,500万円・従業員約70名・年商25億円規模[12]に達し、ドラッグストアの適正規模として売場400坪程度と150坪程度の二つの店舗形態を商圏に応じて使い分けた。青木桂生氏は3年以内に売上50億円、将来は100億円を目標に掲げ[13]、物流センターの建設と本部機能の強化を進めた。
- 近代中小企業 1993年1月号
- [10]金沢市に加え松任市・小松市へ店舗展開(1993年時点)
- [12]1993年時点で資本金2,500万円・従業員約70名・年商25億円、店舗形態は400坪程度と150坪程度の2タイプ
- [13]3年以内に売上50億円・将来100億円を目標に掲げ、物流センター建設と本部強化を進めた
- ボイス情報「成長続くディスカウントショップの実態」1995年4月
- [11]単体売上高 1992年5月期15億円→1993年5月期23億円→1994年5月期31億円→1995年5月期42億円(見込)
多店舗化を支える基盤として、1995年9月に石川県松任市松本町へ本部兼集配センターを新設し[14]、本部機能と物流拠点を1カ所に集約した。1996年11月には家業の青木二階堂薬局と草山商事を合併して5[15]店舗を取り込み、本社を松任市松本町へ移した。中小薬局を吸収しながら店舗網を広げる手法を北陸で早くから運用し、1990年代半ばまでに県外へ店舗網を広げる前提条件を整えた。
- 有価証券報告書
- [14]1995年9月 本部兼集配センターを石川県松任市松本町に新設
- [15]1996年11月 青木二階堂薬局・草山商事を合併し5店舗承継、本社を松任市松本町へ移転
- 近代中小企業 1993年1月号
- [10]金沢市に加え松任市・小松市へ店舗展開(1993年時点)
- [12]1993年時点で資本金2,500万円・従業員約70名・年商25億円、店舗形態は400坪程度と150坪程度の2タイプ
- [13]3年以内に売上50億円・将来100億円を目標に掲げ、物流センター建設と本部強化を進めた
- ボイス情報「成長続くディスカウントショップの実態」1995年4月
- [11]単体売上高 1992年5月期15億円→1993年5月期23億円→1994年5月期31億円→1995年5月期42億円(見込)
- 有価証券報告書
- [14]1995年9月 本部兼集配センターを石川県松任市松本町に新設
- [15]1996年11月 青木二階堂薬局・草山商事を合併し5店舗承継、本社を松任市松本町へ移転
北陸3県への広域出店と仕入連合・調剤併設の先取り
1997年4月、クスリのアオキは富山県砺波市に富山県1号店を出した[16]。同年9月には福井県福井市にも1号店を構え[17]、石川を本拠とする店舗網を1年で北陸3県へ広げた。1999年5月期には売上高が約130億円に達し、店舗数は37店(石川県28・富山県[18]8・福井県1)を数えて、北陸で最大規模のドラッグストアとなった。クスリのアオキは石川県内のドミナント形成を進めつつ、富山・福井での市場拡大と定着に照準を定め、数年後の売上200億円を次の目標に置いた[19]。
- 有価証券報告書
- [16]1997年4月 富山県1号店を砺波市に出店
- [17]1997年9月 福井県1号店を福井市に出店し北陸3県へ
- 北陸経済研究 1999年6月号
- [18]1999年5月期 売上高約130億円、店舗数37店(石川28・富山8・福井1)で北陸最大規模
- [19]石川県内ドミナント形成と富山・福井の市場拡大を進め、数年後の売上200億円を目標
仕入と運営の面では、1997年11月にまず地元の食品スーパー大手アルビスと共同出店を目的に資本・業務提携を結び[20]、翌12月には北海道を地盤とするドラッグストア大手ツルハとも商品仕入の相互協力を目的に資本・業務提携[21]を締結した。さらに1998年3月にはアルビスからドラッグ部門[22]の営業を譲り受け、店舗4店舗を加えるとともに、アルビスのスーパー部門との相乗効果を見込んだ。1999年7月には石川県白山市に有限会社二階堂を設立し[23]、後の持株会社の原型を整えた。2001年9月にはイオンウエルシアとの業務提携[24]を通じてドラッグストア共同仕入連合「ハピコム」へ加わり、2003年1月にはイオン本体とも業務・資本提携[25]を結んでPB商品の共同開発や経営支援の枠組みを得た。北陸の中堅チェーンが大手の調達網と全国スケールの仕入条件に連なる流れを、この時期につくった。
- 有価証券報告書
- [20]1997年11月 アルビスと資本・業務提携(共同出店等を目的)
- [21]1997年12月 ツルハと資本・業務提携(商品仕入等の相互協力を目的)
- [22]1998年3月 アルビスから営業譲受(4店舗追加)。譲受はドラッグ部門でスーパー部門との相乗効果を企図
- [23]1999年7月 有限会社二階堂を石川県白山市に設立(後の持株会社の原型)
- [24]2001年9月 イオンウエルシアと業務提携しハピコムグループへ加入
- [25]2003年1月 イオン本体と業務・資本提携(商品の共同開発等を目的)
医薬分業への対応も早かった。北陸は処方箋の発行率が低い水準にあったが、クスリのアオキは「逆にそれだけ顧客本位の医薬分業体制が組める余地が残っている」(北陸経済研究 1999/06)とみて、採算ラインを超える発行率になっても応じられるよう全店舗に調剤スペースを設け、薬剤師を配置した[26]。薬剤師は社長をはじめ役員にも有資格者が多く、1999[27]年の時点で合計70人近くを擁し、「健康・美・衛生のトータルアドバイザー」を掲げて調剤を組み込んだ業態を整えた。2003年3月にはアルビスとの提携を解消[28]した。2003年8月、創業者の青木桂生氏は代表取締役会長へ退き[29]、実弟の青木保外志氏が2代目の代表取締役社長に就いた。北陸3県のドミナント形成と仕入連合への参画で独立資本のまま規模を伸ばしたクスリのアオキは、業界の寡占化が進む2000年代後半へ向け、店舗の大型化と上場という次の一手の準備に入った。
- 北陸経済研究 1999年6月号
- [26]北陸は処方箋発行率が低いが「顧客本位の医薬分業の余地」とみて、全店舗に調剤スペースを設け薬剤師を配置(1999年時点)
- [27]薬剤師は社長・役員にも有資格者が多く1999年時点で計70人近く、「健康・美・衛生のトータルアドバイザー」を標榜
- 有価証券報告書
- [28]2003年3月 アルビスとの提携を解消
- [29]2003年8月 青木桂生が代表取締役会長へ、実弟・青木保外志が2代目代表取締役社長に就任
- 有価証券報告書
- [16]1997年4月 富山県1号店を砺波市に出店
- [17]1997年9月 福井県1号店を福井市に出店し北陸3県へ
- [20]1997年11月 アルビスと資本・業務提携(共同出店等を目的)
- [21]1997年12月 ツルハと資本・業務提携(商品仕入等の相互協力を目的)
- [22]1998年3月 アルビスから営業譲受(4店舗追加)。譲受はドラッグ部門でスーパー部門との相乗効果を企図
- [23]1999年7月 有限会社二階堂を石川県白山市に設立(後の持株会社の原型)
- [24]2001年9月 イオンウエルシアと業務提携しハピコムグループへ加入
- [25]2003年1月 イオン本体と業務・資本提携(商品の共同開発等を目的)
- [28]2003年3月 アルビスとの提携を解消
- [29]2003年8月 青木桂生が代表取締役会長へ、実弟・青木保外志が2代目代表取締役社長に就任
- 北陸経済研究 1999年6月号
- [18]1999年5月期 売上高約130億円、店舗数37店(石川28・富山8・福井1)で北陸最大規模
- [19]石川県内ドミナント形成と富山・福井の市場拡大を進め、数年後の売上200億円を目標
- [26]北陸は処方箋発行率が低いが「顧客本位の医薬分業の余地」とみて、全店舗に調剤スペースを設け薬剤師を配置(1999年時点)
- [27]薬剤師は社長・役員にも有資格者が多く1999年時点で計70人近く、「健康・美・衛生のトータルアドバイザー」を標榜