1972年〜 パン屋の2階から始まった技術商社の半世紀
マクニカホールディングスの業績推移:単体
- 1972年 神山治貴がジャパンマクニクスを創業
- 1979年 自社製品「JM-1」を発売しマイコン事業に参入
- 2004年 ネットワーク事業を分社しマクニカネットワークスを設立 半導体の波を丸ごと受ける商社が、なぜ売上1割の事業をわざわざ別法人に出したか
- 2008年 CYTECH TECHNOLOGYを完全子会社化
- 2010年 GALAXY FAR EASTをTOBで子会社化
- 2014年 富士エレクトロニクスとの共同株式移転による経営統合 売上5倍の差がある同業と、なぜ買収ではなく対等の持株会社を選んだか
- 2015年 マクニカ・富士エレ HDを設立し東京証券取引所一部に上場
シリコンバレー新興メーカー専属の独立商社モデル
1972年、創業者の神山治貴氏が26歳でジャパンマクニクス株式会社を設立した[1]。秋田県湯沢市出身、東京電機大学工学部第二部電子工学科卒業[2]の神山氏は、パン屋の2階のオフィスで半導体の輸入販売業を始めた。当時の国内半導体商社は大手電機メーカー系の販売チャネルが主流で、独立系の小規模事業者が割り込む余地は乏しい業界構造だった。神山氏は他社が扱わない米国の小規模半導体メーカーの製品に的を絞り、設計提案までを一体で行う「技術商社」の旗を掲げて参入した。半導体は仕様書通りに流すだけでは差別化できない商材で、顧客側の設計者に張り付いて回路設計を支援する人的サービスが付加価値の源泉になった。
- マクニカ公式沿革(macnica.co.jp)
- [1]1972年に神山治貴が26歳でジャパンマクニクス株式会社を設立
- ダイヤモンド・オンライン 2022年
- [2]神山治貴は秋田県湯沢市出身・東京電機大学工学部第二部電子工学科卒
1975年に本社を神奈川県川崎市中原区へ移転し[3]、首都圏南部の電機・電子機器メーカーを主要顧客とする営業基盤を固めた。1983年にはイーサネット標準化の動きに反応してトランシーバー「JET101シリーズ」を自社開発し[4]、半導体販売に加えて自社製品ラインも持つ形に踏み込んだ。1980年代後半は米国シリコンバレーで設立されたばかりのザイリンクス(1984年設立、FPGAを1985年に初製品化)[5]やアルテラといった小規模半導体ベンチャーの日本市場開拓を担い、後にFPGAという半導体カテゴリーが拡大すると同社の主力商材へ育った。1990年には横浜市緑区に新本社ビルを建設して川崎から本社機能を移し[6]、横浜地盤の半導体専門商社として規模を拡大した。
- マクニカ公式沿革(macnica.co.jp)
- [3]1975年に本社を神奈川県川崎市中原区へ移転
- [4]1983年にトランシーバー「JET101シリーズ」を自社開発
- [5]ザイリンクス1984年設立・FPGAを1985年に初製品化
- [6]1990年に横浜市緑区に新本社ビルを建設し本社機能を移転
シリコンバレーの新興半導体メーカーは年商数十億円規模の段階で大手商社の関心を引かず、日本市場での販売パートナーを欠いていた。マクニカは創業以来このセグメントを狙い、技術者を顧客の設計現場へ常駐させて回路設計を一緒に詰めるVAD(付加価値ディストリビューター)モデルを定着させた。新興メーカーの製品が成功すると同社の取扱高がそのまま伸びる構造で、ザイリンクスがFPGA市場を確立した1990年代以降にこの戦略の収益効果が顕在化した。1997年にはネットワーク事業部を設けてネットワーク機器の輸入販売を半導体事業と並ぶ事業領域に位置づけ[7]、2004年には同事業をマクニカネットワークス株式会社として分社化し[8]、半導体専業の収益サイクルから独立した第二の柱を育てる体制を作った。神山氏の創業姿勢は2014年時点で同社を売上高2559億円規模[9]の独立系半導体商社へ拡張する原資となった。
- マクニカ公式沿革(macnica.co.jp)
- [7]1997年にネットワーク事業部を設置
- マクニカホールディングス 有価証券報告書 第8期(2023年3月期)【役員の状況】
- [8]2004年にネットワーク事業をマクニカネットワークス株式会社として分社化
- 日本経済新聞 2014年5月22日
- [9]2014年(3月期)の売上高2559億円
- マクニカ公式沿革(macnica.co.jp)
- [1]1972年に神山治貴が26歳でジャパンマクニクス株式会社を設立
- [3]1975年に本社を神奈川県川崎市中原区へ移転
- [4]1983年にトランシーバー「JET101シリーズ」を自社開発
- [5]ザイリンクス1984年設立・FPGAを1985年に初製品化
- [6]1990年に横浜市緑区に新本社ビルを建設し本社機能を移転
- [7]1997年にネットワーク事業部を設置
- ダイヤモンド・オンライン 2022年
- [2]神山治貴は秋田県湯沢市出身・東京電機大学工学部第二部電子工学科卒
- マクニカホールディングス 有価証券報告書 第8期(2023年3月期)【役員の状況】
- [8]2004年にネットワーク事業をマクニカネットワークス株式会社として分社化
- 日本経済新聞 2014年5月22日
- [9]2014年(3月期)の売上高2559億円
半導体不況のサイクルとネットワーク事業の保険
1990年代から2000年代前半の国内半導体市場は、メモリ・ロジック・通信半導体の世代交替ごとに需要が30%超の幅で振れた。マクニカが顧客とする産業機器・通信機器・FA機器メーカーは設備投資サイクルに連動して半導体需要を増減させ、商社側の売上高もこの波を直接受けた。同社は2000年代を通じて主力の集積回路・電子デバイス事業で年商2000億円超を維持したが、半導体不況期には在庫評価損と取扱高減少が同時に発生する商社特有の収益変動を抱えた。神山氏は半導体だけに収益を寄せる構造の脆さを意識し、別の収益源の確保を経営課題として持ち越した。
その回答が、1997年に設けたネットワーク事業部を母体とし2004年に分社化[10]したマクニカネットワークスを核とするネットワーク事業だった。同社は米CrowdStrikeをはじめとするシリコンバレー発のセキュリティベンダーや、企業向けネットワーク機器メーカーの製品を日本市場で扱い、半導体商社では参入が難しいIT領域に独自の販売チャネルを築いた。半導体事業が産業機器サイクルに連動するのに対し、ネットワーク事業は企業のIT投資・セキュリティ需要に連動し、両事業の景気サイクルが異なる点が収益安定化に寄与した。2008年には香港のCytechグループを連結子会社化し[11]、アジア域内の半導体販売網を拡張した。
- マクニカホールディングス 有価証券報告書 第8期(2023年3月期)【役員の状況】
- [10]1997年に設けたネットワーク事業部を母体に2004年にマクニカネットワークスを分社化
- マクニカホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [11]2008年に香港のCytechグループを連結子会社化
2000年代後半のリーマンショック期を含めて業績の落ち込みを限定的に抑えてきた背景には、神山氏が創業以来採用した在庫リスク抑制と顧客密着型の販売体制があったとみられる。半導体商社は仕入と販売の時差が生む在庫評価リスクを抱え、競合の独立系商社にも経営破綻例が散発した業界である。マクニカは仕入先である新興半導体メーカーとの専属契約に近い関係で在庫リスクを部分的に分担し、顧客側の設計提案で需要予測精度を高める二段構えの仕組みで在庫評価損の発生を抑えた。半導体とネットワークの二事業ポートフォリオは2014年の経営統合に向けた交渉時にも同社の評価材料となり、富士エレクトロニクスとの統合協議の下地になった[12]。
- マクニカホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [12]2014年に富士エレクトロニクスとの経営統合協議が下地になった
- マクニカホールディングス 有価証券報告書 第8期(2023年3月期)【役員の状況】
- [10]1997年に設けたネットワーク事業部を母体に2004年にマクニカネットワークスを分社化
- マクニカホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [11]2008年に香港のCytechグループを連結子会社化
- [12]2014年に富士エレクトロニクスとの経営統合協議が下地になった
富士エレクトロニクスとの統合協議 ── 国内最大の独立系半導体商社へ
2014年5月22日、マクニカと富士エレクトロニクス[13]は2015年4月に共同株式移転による経営統合を行うことで合意した。富士エレクトロニクスは産業機器・自動車向けに強い独立系半導体商社で、2014年3月期の売上高は473億円。一方マクニカは同期2559億円で、両社の合計売上高は3000億円規模の国内最大の独立系半導体商社の誕生を意味した。[14]マクニカは民生・通信向け、富士エレクトロニクスは産業・自動車向けに顧客層が分かれており、両社合計のサプライヤー数は半導体メーカー約200社、顧客数は約1万社に達した。[15]顧客層の重複が少ない補完型の組み合わせで、統合後の販売チャネル拡張効果が見込めた。
- マクニカホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [13]2014年5月22日にマクニカと富士エレクトロニクスが2015年4月の共同株式移転による経営統合に合意
- 日本経済新聞 2014年5月22日
- [14]富士エレクトロニクスの2014年3月期売上高473億円・マクニカ同期2559億円・合計約3000億円規模
- [15]両社合計のサプライヤー数は半導体メーカー約200社・顧客数約1万社
同年10月、両社は統合契約書を締結し共同株式移転計画を作成[16]した。12月には両社の臨時株主総会で承認決議を経て[17]、共同株式移転の方法による持株会社設立が確定した。マクニカ・富士エレホールディングスは2015年4月1日に発足し[18]、同日付で東京証券取引所市場第一部に上場した。神山氏は持株会社の名誉会長として残り、初代社長には中島潔氏が就任した。中島氏は1981年にマクニカへ入社した同社生え抜きで、2008年から㈱マクニカの代表取締役社長を務めていた。[19]富士エレ側からも執行役員クラスが持株会社の取締役に就き、両社の対等な統合運営体制が形式上整った。
- マクニカホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [16]2014年10月に統合契約書を締結し共同株式移転計画を作成
- [17]2014年12月に両社の臨時株主総会で承認決議
- [18]マクニカ・富士エレホールディングスは2015年4月1日に発足し東証一部に上場
- マクニカホールディングス 有価証券報告書 第8期(2023年3月期)【役員の状況】
- [19]初代社長は中島潔(1981年マクニカ入社の生え抜き・2008年から㈱マクニカ社長)
統合発表時点で半導体商社業界は世界的な統合の流れにあり、米国ではアロー・エレクトロニクスとアブネットの2大企業が世界市場を牽引していた。国内市場でも商社統合の機運が高まり、マクニカ・富士エレの統合はその一手として市場の注目を集めた。両社の顧客層の補完性とサプライヤー網の重なりの少なさは、統合後の取扱半導体メーカー数の拡張と商材ポートフォリオの厚みに直結した。よって2015年の持株会社設立は単純な規模拡張ではなく、産業機器・通信・自動車・民生のすべての半導体需要セグメントをカバーする総合半導体商社の出発点になった。神山氏の創業以来の独立系商社という立ち位置は維持され、特定の電機メーカー系列に組み込まれない判断の自由度が統合後も同社の経営の前提として残った。
- マクニカホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [13]2014年5月22日にマクニカと富士エレクトロニクスが2015年4月の共同株式移転による経営統合に合意
- [16]2014年10月に統合契約書を締結し共同株式移転計画を作成
- [17]2014年12月に両社の臨時株主総会で承認決議
- [18]マクニカ・富士エレホールディングスは2015年4月1日に発足し東証一部に上場
- 日本経済新聞 2014年5月22日
- [14]富士エレクトロニクスの2014年3月期売上高473億円・マクニカ同期2559億円・合計約3000億円規模
- [15]両社合計のサプライヤー数は半導体メーカー約200社・顧客数約1万社
- マクニカホールディングス 有価証券報告書 第8期(2023年3月期)【役員の状況】
- [19]初代社長は中島潔(1981年マクニカ入社の生え抜き・2008年から㈱マクニカ社長)