NSユナイテッド海運 の歴史

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1950年、日鐵汽船として創立。1962年の東邦海運との合併で新和海運へ、海運集約で日本郵船グループ入り。2010年の日鉄海運との合併までの沿革と経緯を執筆。

創業

2010年

母体

新和海運+日鉄海運合併

創業地

東京都

直近売上高(2026/3)

2,298億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1950年に日本製鉄から分かれた会社は、専属の荷主を持ちながら不定期船で世界の荷を運んだのか
A 日本製鉄の解体で分かれた同社は、現物出資4,000万円と譲受資産1億7,100万円余を継承し、1950年4月に社船24隻・52,426重量トンで発足した。内航は八幡・富士両製鉄の鋼材と石炭を運んだが、船隊の主力は外航にあり、1955年3月末には外航8隻が保有船腹の82%を占めた。その外航船は川崎汽船と組んで北米・南阿一周航路に就航し、北米の穀物、キューバの砂糖、ゴアや香港で引き受けた鉱石を運ぶ不定期船として稼いだ。親会社の荷だけでは船隊を埋められず、専属船社と市況で稼ぐ不定期船の二面を初めから抱えていた。
Q なぜ2010年に郵船系の新和海運は、対等合併の形をとりながら新日鉄系へ系列を移したのか
A リーマン後の運賃急落で単体売上が2年で約28%減り、中堅一社では大量の新造船投資を続ける財務余力が尽きかけていた。同じ新日本製鐵向け輸送を担う日鉄海運と束ねて規模の経済を引き出すほうが合理的であり、両社を統合すれば新日鉄向け鉄鋼原料輸送のシェアは合計で約5割に達する見通しだった。2010年10月、新和海運を存続会社として日鉄海運を吸収合併しNSユナイテッド海運が発足、初代社長には旧日鉄海運の島川恵一郎氏が就いた。新日本製鐵の出資比率は15.04%から34%へ上がり、1964年の海運集約以来の郵船グループ系列から新日鉄系列へ後ろ盾が替わった
Q なぜ2026年に、62年前に系列を離れた日本郵船の傘下へ戻ることを受け入れたのか
A 日本郵船は2010年の合併後も18.35%の第2位株主にとどまり、ドライバルクを中核事業としていた。市況の振れが大きい事業で3000億円規模の投資を続けるには、関係だけの株主では支えきれなかった。2026年7月31日、郵船は1株10,600円・総額1,206億円の公開買付けを発表し、取締役会は賛同と応募推奨を決議した。独立社外取締役4名の特別委員会は15回の審議を経て全員一致で公正と答申し、価格は基準日終値7,740円を36.95%上回った。日本製鉄は20.03%を自己株式公開買付けに応募し、16.67%へ退く

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1950年〜 日本製鉄の船舶部門24隻からの独立と、東邦海運が持ち込んだ郵船との縁

NSユナイテッド海運の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1950年 日鐵汽船創立
  2. 1951年 東京・大阪・神戸の各証券取引所に上場登録
  3. 1956年 海運仲立業を主業務として中央海運を発足
  4. 1957年 晴海船舶を発足
  5. 1959年 不動産管理部門を分離し東海興業を発足
  6. 1962年 日鐵汽船が東邦海運と合併し新和海運へ改称 製鉄専属の船社にとどまるか、荷主の幅を持つ海運会社になるか——政策集約に先立つ中堅どうしの合併
  7. 1964年 海運集約による日本郵船グループへの系列編入 荷主は製鉄、資本の後ろ盾は郵船——法律が求めた系列選びで、中堅船社は誰の傘に入ったか

日本製鉄の船舶部門が24隻で独立した1950年

新和海運の前身は、1934年1月に日本製鉄が社内に設けた船舶部門である。この部門は1945年4月に船舶運営会の管理下へ移るまで、同社の海上輸送を担っていた。1948年12月に日本製鉄へ解体指令が下り、翌1949年12月に分割再建計画が正式に許可されると、船舶部門は八幡製鉄・富士製鉄・播磨耐火煉瓦とともに第二会社として切り出される。現物出資4,000万円と譲受資産1億7,100万円余を継承し、1950年4月1日、日鐵汽船株式会社が東京・丸ノ内の丸ビルに発足した。初代社長には渡辺一良氏が就いている。 [1][2][3]

    • [1]前身は1934年1月創立の日本製鉄船舶部門で、1945年4月に船舶運営会の管理下へ移るまで同社の海上輸送を担当した
    • [2]本社は東京都千代田区丸ノ内2の2 丸ビル、設立は1950年4月1日、社長は渡辺一良
    • [3]1948年12月の解体指令、1949年12月の分割再建計画許可を経て、現物出資4,000万円・譲受資産1億7,100万円余を継承して独立した

発足は海運界の完全民営還元と重なった。船舶運営会による一元管理が解かれた1950年4月、同社は社船24隻・52,426重量トンで営業を始めている。手持ちは戦時標準船が中心で、A型戦標船の豊永丸(10,876重量トン)を改装してAB船級を取得し、2D型の豊玉丸を2E型3隻と交換するなど、船隊の入れ替えから着手した。資本金は1950年12月に1億2,000万円、1951年11月に2億4,000万円、1952年10月に4億8,000万円と1年10カ月で4倍に増え、1951年1月には東京・大阪・神戸の各証券取引所へ上場した。 [4][5][6]

新造船には親会社の製鉄所の名が並んだ。第六次計画造船の宇佐丸(9,443重量トン)を皮切りに富士丸、八幡丸、香椎丸、安国丸と遠洋大型貨物船を建造し、1955年3月末の保有船腹は14隻85,942重量トン、うち外航船が8隻70,761重量トンと82%を占めた。ただし名が製鉄に由来しても、運んだ荷はそればかりではない。外航船隊は一部を川崎汽船と組んで北米・南阿一周航路に就航させ、残りは北米の穀物、キューバの砂糖、ゴアやフィリピン、香港で引き受けた鉱石を運ぶ不定期船として稼いだ。内航が八幡・富士両製鉄の鋼材と石炭を担う一方、外航は世界の荷を拾って回っていた。 [7][8][9]

    • [7]遠洋大型貨物船として宇佐丸9,443重量トン・富士丸9,449・八幡丸9,936・香椎丸10,412・安国丸10,403を建造した
    • [8]1955年3月末の保有船腹は14隻85,942重量トン、うち外航船8隻70,761重量トンで82%を占めた
    • [9]外航船隊は川崎汽船と提携して北米・南阿一周航路に就航し、他は北米の穀物・キューバの砂糖・ゴア・フィリピン・香港の引受鉱石を運ぶ不定期船として稼働、内航は八幡・富士両製鉄の鋼材と石炭を運んだ
    • [1]前身は1934年1月創立の日本製鉄船舶部門で、1945年4月に船舶運営会の管理下へ移るまで同社の海上輸送を担当した
    • [2]本社は東京都千代田区丸ノ内2の2 丸ビル、設立は1950年4月1日、社長は渡辺一良
    • [3]1948年12月の解体指令、1949年12月の分割再建計画許可を経て、現物出資4,000万円・譲受資産1億7,100万円余を継承して独立した
    • [4]1950年4月の完全民営還元と同時に社船24隻・52,426重量トンで発足した
    • [5]資本金は1950年12月に1億2,000万円、1951年11月に2億4,000万円、1952年10月に4億8,000万円へ増加した
    • [7]遠洋大型貨物船として宇佐丸9,443重量トン・富士丸9,449・八幡丸9,936・香椎丸10,412・安国丸10,403を建造した
    • [8]1955年3月末の保有船腹は14隻85,942重量トン、うち外航船8隻70,761重量トンで82%を占めた
    • [9]外航船隊は川崎汽船と提携して北米・南阿一周航路に就航し、他は北米の穀物・キューバの砂糖・ゴア・フィリピン・香港の引受鉱石を運ぶ不定期船として稼働、内航は八幡・富士両製鉄の鋼材と石炭を運んだ
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1951年1月 東京・大阪・神戸の各証券取引所に上場登録

日本第3位から18隻へ──東邦海運の転落と1954年の船腹交換

のちに合併相手となる東邦海運の前身は、1915年2月に資本金50万円で大連に設立された大連汽船である。南満州鉄道の子会社として太平洋戦争の終結まで30年にわたり満鉄の海運部門を担い、最盛期の所有船腹は80隻・30数万トンに及んだ。倉庫と埠頭業務を兼営し、傍系に艀会社を持ち、船渠工場を直営する、日本郵船・大阪商船に次ぐ日本第3位の海運会社であった。その規模は敗戦で消える。外地資産をすべて失い、内地に残った船舶は18隻・6万4,000重量トンにすぎなかった。再建は1947年3月、資本金1,200万円の東邦海運設立から始まる。民営還元に備えて増資を重ね、1948年11月から1949年9月までに資本金は3億円へ膨らんだ。 [10][11][12]

    • [10]東邦海運の前身は1915年2月に資本金50万円で創立された大連汽船で、満鉄子会社として所有船腹80隻30数万トン、郵船・商船に次ぐ日本第3位の海運会社であった
    • [11]太平洋戦争の結果、外地資産をすべて喪失し内地に残った船舶は18隻6万4,000重量トンにすぎず、1947年3月に資本金1,200万円で東邦海運を設立した
    • [12]民営還元に備えて増資を重ね、1948年11月から1949年9月までに資本金は3億円となった

当時の海運政策が世界貿易への復帰を目標に外航定期船の建造へ重点を置いたため、東邦海運は大連汽船時代の中国中心という近海航路の方針を改め、遠洋定期船の経営へ切り替えた。1949年末に新造第一船の東鳳丸を三菱長崎造船所へ発注し、三菱海運・日産汽船・飯野海運と国際ラインを結成して、1951年4月にインド・パキスタン航路、6月にニューヨーク航路を開いている。だが転換は裏目に出た。1952年夏に世界の海運運賃が激落し、日本船8社が競うニューヨーク航路の過当競争も重なって、両航路は巨額の欠損を計上する。東邦海運は2航路を廃止し、1954年6月に国際ラインを脱退した。 [13][14]

    • [13]遠洋定期船経営へ切り替え、1949年末に新造第一船 東鳳丸を三菱長崎造船所へ発注、三菱海運・日産汽船・飯野海運と国際ラインを結成し1951年4月に印パ航路、6月にニューヨーク航路を開設した
    • [14]1952年夏の運賃激落と国際競争でニューヨーク・印パ両航路が巨額の欠損を計上し、両航路を廃止して1954年6月に国際ラインを脱退した

当時の日本郵船で営業副部長を務めていた菊地庄次郎氏は、国際海運という4社の寄り合い所帯のなかでもタンカーを兼営しない東邦海運と日産汽船がとりわけ苦しかったと書き残している。一方の郵船は、海運同盟のうえで中近東航路の開設許可を得ながら、そこへ配船する定期船を持たずにいた。1954年のある日、旧知の上中竜男・東邦海運常務が郵船に菊地氏を訪ねてくる。雑談のなかで菊地氏は、ニューヨーク航路に就航中の新造船2隻と進水直前の「まにら丸」の計3隻を郵船へ譲り、身軽になってはどうかと切り出した。上中氏は単純譲渡は困るが不定期船隊との交換なら応じると答える。郵船は戦時標準船を改造した不定期船3隻を渡して新造船3隻を受け取り、計画造船の割り当てが年に1〜2隻という時代に3隻を得て中近東航路を開いた。東邦海運は直後のスエズ・ブームで不定期船の利益を取る。この交換を機に、両社は兄弟会社として提携した。 [15][16][17][18]

    • [10]東邦海運の前身は1915年2月に資本金50万円で創立された大連汽船で、満鉄子会社として所有船腹80隻30数万トン、郵船・商船に次ぐ日本第3位の海運会社であった
    • [11]太平洋戦争の結果、外地資産をすべて喪失し内地に残った船舶は18隻6万4,000重量トンにすぎず、1947年3月に資本金1,200万円で東邦海運を設立した
    • [12]民営還元に備えて増資を重ね、1948年11月から1949年9月までに資本金は3億円となった
    • [13]遠洋定期船経営へ切り替え、1949年末に新造第一船 東鳳丸を三菱長崎造船所へ発注、三菱海運・日産汽船・飯野海運と国際ラインを結成し1951年4月に印パ航路、6月にニューヨーク航路を開設した
    • [14]1952年夏の運賃激落と国際競争でニューヨーク・印パ両航路が巨額の欠損を計上し、両航路を廃止して1954年6月に国際ラインを脱退した
    • [17]東邦海運は経営健全化のため日本郵船と業務提携し、主として不定期部門を担当して高速定期船と不定期船を交換した
    • [15]1954年、郵船の菊地庄次郎氏と東邦海運の上中竜男常務が船腹交換を合意した
    • [16]郵船は中近東航路の開設許可を得ながら配船する定期船が無く、国際海運グループのうちタンカーを兼営しない東邦海運と日産汽船がとくに苦境にあった
    • [18]郵船が戦時標準船改造の不定期船3隻を東邦海運へ渡して新造船3隻と交換し、これを契機に両社の兄弟会社としての提携が実現した

1962年の合併と海運集約──二重の系列を抱えて

1962年2月、日鐵汽船は東邦海運を吸収合併し、商号を新和海運株式会社へ改めた。製鉄原料の輸送を軸とする日鐵汽船に、大連汽船以来の遠洋・近海の航路経営と、郵船との提携関係を持つ東邦海運が加わる。製鉄系の専属船社という出自に、独立系の総合海運という性格が接がれた形になった。合併の前年まで両社が抱えていた課題は、対になるものであった。日鐵汽船は八幡・富士という安定した荷主に恵まれながら外航船8隻という小さな船隊にとどまり、東邦海運は19隻13万4,548重量トンの運航船腹を持ちながら定期船の赤字に苦しんでいた。荷主を持つ側と船を持つ側が、一つの会社になった。 [19][20]

1963年7月1日、海運業の再建整備に関する臨時措置法などの海運再建二法が公布された。狙いは、海運企業を集約・再編成して経営規模を拡大し国際競争力を強化すること、それによって業界内の過当競争を排除すること、企業の自主的な合理化努力で償却不足と延滞金を解消することの三つに置かれた。参加企業には第17次計画造船以前の支払利子を整備期間の5年間猶予し、第18次以後の新造船には財政資金で銀行の融資負担を軽減する助成が用意された。集約に参加した企業は95社、その外航船腹は658隻・936万重量トンで、当時の日本の外航船腹量の約90%に相当する。 [21][22]

集約では、中核体と呼ばれる主力オペレーターが2社ずつ合併し、関連する子会社はその傘下へ系列会社・専属会社として入って6グループが形成された。1964年5月、企業集約が運輸大臣の確認を受けて完了し、新和海運は日本郵船グループに属する系列会社となる。製鉄資本を出自としながら郵船の系列に置かれるこの二重性は、政策が一方的に定めたものではない。10年前に東邦海運が船腹交換で結んだ縁が、集約の枠組みのなかで系列として追認された面がある。以後の同社は、荷主を新日鉄系に、資本と系列を郵船側に置く構造を長く抱えることになる。 [23][24]

  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1962年2月 日鐵汽船が東邦海運株式会社と合併し商号を新和海運株式会社に改称
    • [24]1964年5月 海運再建整備法による企業集約が運輸大臣の確認を受けて完了し、日本郵船グループの系列会社となった
    • [20]合併直前の東邦海運は19隻13万4,548重量トン(うち社船11隻8万7,488重量トン)の運航船腹を保有していた
    • [21]海運再建二法は1963年7月1日に公布され、①集約・再編成による経営規模拡大と国際競争力強化 ②過当競争の排除 ③自主的合理化による償却不足と延滞金の解消 の3点をねらいとした
    • [22]集約に参加した企業は95社、所有外航船腹は658隻936万重量トンで当時のわが国外航船腹量の約90%に相当した
    • [23]中核体となる主力オペレーターが2社ずつ合併し、関連子会社は傘下に系列会社・専属会社として入り6グループが形成された

1977年〜 便宜置籍船と円高のなかの中堅──新日鉄の出資強化と「その他の関係会社」化

NSユナイテッド海運の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1981年 本社事務所を東京都千代田区内幸町二丁目2番2号(富国生命ビル)に移転
  2. 1985年 新和エンジニアリングを発足
  3. 1987年 情報システム部を分離しサンライズシステムセンターを発足
  4. 1988年 船内荷役業務を事業化しインターナショナルマリンコンサルティングを設立
  5. 1989年 船舶保守管理業務の効率化を図るため新和マリンを発足
  6. 1991年 子会社の新和興業を吸収合併
  7. 2008年 新日本製鐵がNSユナイテッド海運株式を買増し「その他の関係会社」に

便宜置籍船と円高──邦船社のコスト構造が変わる

1970年の世界の船腹保有量は2億2,700万トンに達していた。国籍別の首位はリベリアの3,300万トン、2位が日本の2,700万トン、3位が英国の2,500万トンという並びである。ただしリベリア籍船の大部分は、船舶に課される固定資産税や所得税、運航に対する先進各国の規制を逃れるための便宜置籍船であり、実質的には日本が第1位であった。船種別ではタンカーが8,600万トン、バルクキャリアが4,660万トンとそれぞれ前年比11%前後で伸び、タンカーと専用船の増加が際立っていた。新和海運が主力とするドライバルクは、この専用船化の流れのなかにあった。 [25][26]

    • [25]1970年の世界船腹保有量は2億2,700万トンで、国籍別1位リベリア3,300万トン・2位日本2,700万トン・3位英国2,500万トン。リベリア籍の大部分は便宜置籍船で実質的には日本が第1位であった
    • [26]船種別ではタンカー8,600万トン(前年比11%増)、バルクキャリア4,660万トン(同11.6%増)とタンカー・専用船の増加が目立った

便宜置籍船が広がった事情は、日本の船社にとっても他人事ではなかった。1985年9月のプラザ合意以降に進んだ円高は、ドル建てで受け取る運賃に対して日本人船員の人件費を相対的に重くする。邦船各社はパナマやリベリアの旗を立てた船への切り替えと外国人船員の配乗を進め、日本人海上職の雇用調整が同時に進んだ。船を仕立てる国籍と、船を動かす船員の国籍と、運賃を受け取る通貨が、それぞれ別々の論理で決まる時代に入った。中堅の邦船社にとって、この分離への対応は規模の大きい会社より重い負担となった。

新和海運の対応はグループ会社の整理統合と海外拠点の拡充に向かった。1988年11月に船内荷役業務関係を分離して株式会社インターナショナルマリンコンサルティングを設立し、1989年12月には船舶保守管理業務を効率化するため新和マリン株式会社を発足させ、1991年11月には経営基盤の強化を理由に晴海船舶株式会社を解散している。拠点では1992年4月にシンガポール、1993年4月にシドニー、同年7月に北京、1995年1月に香港と、アジア各地へ駐在員事務所を相次いで開いた。中国の鉄鋼業が改革開放政策のもとで立ち上がる初期に北京と香港へ人を置いたことは、後の中国向け鉄鉱石輸送の下地となった。 [27][28]

  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [27]1988年11月 船内荷役業務を分離し株式会社インターナショナルマリンコンサルティングを設立、1989年12月 新和マリン株式会社を発足、1991年11月 晴海船舶株式会社を解散
    • [28]1992年4月シンガポール、1993年4月シドニー、同年北京、1995年1月香港に駐在員事務所を開設した
    • [25]1970年の世界船腹保有量は2億2,700万トンで、国籍別1位リベリア3,300万トン・2位日本2,700万トン・3位英国2,500万トン。リベリア籍の大部分は便宜置籍船で実質的には日本が第1位であった
    • [26]船種別ではタンカー8,600万トン(前年比11%増)、バルクキャリア4,660万トン(同11.6%増)とタンカー・専用船の増加が目立った
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [27]1988年11月 船内荷役業務を分離し株式会社インターナショナルマリンコンサルティングを設立、1989年12月 新和マリン株式会社を発足、1991年11月 晴海船舶株式会社を解散
    • [28]1992年4月シンガポール、1993年4月シドニー、同年北京、1995年1月香港に駐在員事務所を開設した

3大手に集約された業界で、中堅として残る

1990年代を通じて日本の外航海運は再編期にあった。1989年4月にジャパンラインと山下新日本汽船が合併してナビックス海運が生まれ、1999年4月にはそのナビックス海運と大阪商船三井船舶が合併して商船三井が発足する。1964年の集約で6つに束ねられた中核体は、日本郵船・商船三井・川崎汽船の3大手へさらに絞られた。新和海運はこの再編の輪に加わらず、鉄鋼原料輸送に特化する中堅として残る。1995年8月には子会社の新和内航海運株式会社が日本証券業協会へ株式を店頭登録し、内航部門を別の上場会社として運営する体制を整えた。 [29]

  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [29]1995年8月 子会社の新和内航海運が株式を日本証券業協会に店頭登録した

中堅にとどまった同社の位置づけは、当時の証券市場からどう見えていたか。週刊東洋経済は2006年12月2日号で、上方修正が見込まれる企業のランキングに海運各社が並んだことを取り上げ、7位の乾汽船と42位の第一中央汽船を商船三井系、64位の新和海運を日本郵船系と紹介している。石炭や鉄鉱石、穀物を袋詰めせずに積むバラ積み船の運賃市況が押し上げた並びであった。2007年9月15日号でも、大手3社に続けて第一中央汽船・新和海運・飯野海運を準大手3社と呼び、いずれも会社側で上方修正したうえにさらに増額含みだと評している。系列と規模の両方で、同社は「郵船系の準大手」という座に置かれていた。 [30][31]

  • 週刊東洋経済 2006年12月2日号
    • [30]週刊東洋経済2006年12月2日号は、上方修正ランキングで64位の新和海運を日本郵船系と紹介し、バラ積み船の運賃市況が背景にあると報じた
  • 週刊東洋経済 2007年9月15日号
    • [31]週刊東洋経済2007年9月15日号は、大手3社に続く準大手3社として第一中央汽船・新和海運・飯野海運を挙げ、いずれも上方修正のうえさらに増額含みと評した

中国の鉄鋼増産が支えた市況は、業績にそのまま表れた。単体売上高は2006年3月期の936億円から2007年3月期1,056億円、2008年3月期1,320億円へと2年で41%伸び、営業利益は同じ2年で116億円から226億円へ倍増している。週刊東洋経済は2007年12月1日号でも同社を取り上げ、会社側が今期2度目の上方修正を行ったとして「再増額」と記した。主力のバラ積み船の運賃市況が想定を上回って推移したためであった。中堅であることの不利は、市況が上を向いているあいだは表面化しなかった。 [32][33]

  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書(各期業績)
    • [32]単体売上高は2006年3月期936億円→2007年3月期1,056億円→2008年3月期1,320億円、営業利益は116億円→150億円→226億円と推移した
  • 週刊東洋経済 2007年12月1日号
    • [33]週刊東洋経済2007年12月1日号は、新和海運が今期2度目の上方修正を行ったとして「再増額」と報じた
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [29]1995年8月 子会社の新和内航海運が株式を日本証券業協会に店頭登録した
  • 週刊東洋経済 2006年12月2日号
    • [30]週刊東洋経済2006年12月2日号は、上方修正ランキングで64位の新和海運を日本郵船系と紹介し、バラ積み船の運賃市況が背景にあると報じた
  • 週刊東洋経済 2007年9月15日号
    • [31]週刊東洋経済2007年9月15日号は、大手3社に続く準大手3社として第一中央汽船・新和海運・飯野海運を挙げ、いずれも上方修正のうえさらに増額含みと評した
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書(各期業績)
    • [32]単体売上高は2006年3月期936億円→2007年3月期1,056億円→2008年3月期1,320億円、営業利益は116億円→150億円→226億円と推移した
  • 週刊東洋経済 2007年12月1日号
    • [33]週刊東洋経済2007年12月1日号は、新和海運が今期2度目の上方修正を行ったとして「再増額」と報じた

新日本製鐵の出資強化と、リーマン後の反落

2008年3月、新日本製鐵は業務上の連携を一層強化するとして新和海運の株式を買い増し、新和海運は新日本製鐵の「その他の関係会社」となった。当時の鉄鋼業では、中国とインドの需要急増で鉄鉱石と原料炭の海上輸送量が過去最高水準に達し、輸送を安定して押さえることが調達戦略の一部となっていた。新日本製鐵はすでに日鉄海運を系列に持っている。1957年設立の日邦汽船を母体とし、1990年12月に日鐵海運と合併して発足した会社である。新和海運への出資強化は、鉄鋼原料の輸送網をもう一本増やす手当てにあたった。 [34][35]

  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2008年3月 新日本製鐵が業務上の連携強化のため新和海運株式を買い増し、「その他の関係会社」となった
  • NSユナイテッド海運 沿革ページ
    • [35]日鉄海運は1957年設立の日邦汽船を母体とし、1990年12月に日鐵海運と合併して発足した(旧記述の「1990年12月に商号変更」は合併を伴う社名変更であり、audit の conflict 指摘を反映して訂正)

追い風は2008年9月で途切れた。リーマン・ショック後の運賃急落と船腹過剰は、市況で稼ぐドライバルクの収益を直撃する。単体の営業利益は2008年3月期の226億円から2009年3月期132億円へ4割減り、2010年3月期には連結で48億円まで落ちた。連結の売上高は同期951億円で、前期の単体1,328億円を大きく下回っている。2008年から2009年にかけて各社が発注した新造船が2010年以降に集中して竣工する見通しも重なり、船腹の過剰は数年かけて解消するほかない状態にあった。 [36]

  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書(各期業績)
    • [36]単体営業利益は2008年3月期226億円→2009年3月期132億円、2010年3月期は連結で営業利益48億円・売上高951億円(前期の単体売上高は1,328億円)

中堅であることの不利が表に出たのは、この反落のあとであった。新和海運と日鉄海運は、いずれも新日本製鐵向けの鉄鋼原料輸送を事業の柱としながら別法人として並び立っていた。荷主が同じで航路も重なる2社が、それぞれに船隊と管理部門と船員を抱える構図である。市況が上向いているあいだは2社の併存に不都合はなかったが、運賃が落ちて新造船の集中竣工が控える状況では、重複した設備と固定費が両社の負担となった。統合して規模の経済を引き出すという選択が、ここで現実味を帯びはじめる。両社を統合すれば、新日本製鐵向け鉄鋼原料輸送のシェアは合計で約5割に達する見通しであった。 [37][38]

  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [37]新和海運と日鉄海運はいずれも新日本製鐵向け鉄鋼原料輸送を事業基盤としながら別法人として並立していた
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書
    • [38]両社を統合すれば新日本製鐵向け鉄鋼原料輸送のシェアは合計で約5割に達する見通しであった
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2008年3月 新日本製鐵が業務上の連携強化のため新和海運株式を買い増し、「その他の関係会社」となった
    • [37]新和海運と日鉄海運はいずれも新日本製鐵向け鉄鋼原料輸送を事業基盤としながら別法人として並立していた
  • NSユナイテッド海運 沿革ページ
    • [35]日鉄海運は1957年設立の日邦汽船を母体とし、1990年12月に日鐵海運と合併して発足した(旧記述の「1990年12月に商号変更」は合併を伴う社名変更であり、audit の conflict 指摘を反映して訂正)
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書(各期業績)
    • [36]単体営業利益は2008年3月期226億円→2009年3月期132億円、2010年3月期は連結で営業利益48億円・売上高951億円(前期の単体売上高は1,328億円)
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書
    • [38]両社を統合すれば新日本製鐵向け鉄鋼原料輸送のシェアは合計で約5割に達する見通しであった

2010年〜 新日鉄系と郵船系の対等合併──ケープサイズ・メタノール船への3000億円投資

NSユナイテッド海運の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2010年 郵船系の新和海運と新日鉄系の日鉄海運が合併しNSユナイテッド海運が発足 中堅二社のまま新造船競争に臨むか、系列を組み替えて一社になるか——「対等の精神」を掲げた吸収合併
  2. 2017年 谷水一雄氏が3代目社長に就任
  3. 2019年 外航ケミカルタンカー事業からの撤退を決議
  4. 2019年 ヴァーレ社と25年の長期輸送契約を締結
  5. 2026年 日本郵船による公開買付けへの賛同と、日本製鉄の持分縮小をともなう非公開化 二人の大株主のどちらに寄るか——海運集約から62年をへた資本の帰着と、上場の終わり
  6. 2026年 取締役会が賛同と応募推奨を決議
  7. 2026年 日本製鉄が保有比率を16.67%へ引き下げ

「Nは日鉄海運、Sは新和」──2010年10月の対等合併と新会社発足

2010年5月20日、新和海運と日鉄海運は取締役会で合併を決議し、合併契約を締結した。同年6月の両社株主総会で承認を得て、10月1日を効力発生日として合併を実行した。合併比率は日鉄海運株1株に対して新和海運株1.6株を割り当てる株式交換方式で、新和海運を存続会社、日鉄海運を消滅会社とする吸収合併の形式を採った。新会社の商号は「NSユナイテッド海運株式会社」とし、初代社長には旧日鉄海運社長の島川恵一郎氏、副社長には旧新和海運社長の杉浦哲氏が就任した。会長には旧新和海運会長の筧孝彦氏が代表権なしで就いた。新日本製鐵の出資比率は15.04%から34%へ上昇し、新会社は新日鉄の持分法適用会社となった。 [39][40][41][42][43]

  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [39]2010年5月20日 新和海運と日鉄海運が取締役会で合併を決議し合併契約を締結
    • [40]2010年10月1日を効力発生日として合併を実行(新和海運を存続会社、日鉄海運を消滅会社とする吸収合併)
    • [41]合併比率は日鉄海運株1株に対し新和海運株1.6株
    • [43]新日本製鐵の出資比率は15.04%から34%へ上昇し新会社は新日鉄の持分法適用会社
    • [42]初代社長は旧日鉄海運社長の島川恵一郎、副社長は旧新和海運社長の杉浦哲

合併発表会見で島川社長は新社名のNが日鉄海運、Sが新和に由来すると説明し、対等合併の体裁を内外に示した。だが実態としては、合併比率の設定・社長人事・出資構造の三つで新日本製鐵主導の色彩が強く、郵船グループ系列下の新和海運から新日鉄系列下のNSユナイテッド海運へ、系列の所属そのものが移る合併であった。新会社の発足とともに、新和マリン株式会社・新和ビジネスマネジメント株式会社・新和システム株式会社・SHINWA(SINGAPORE)・SHINWA(U.K.)・SHINWA(U.S.A.)・SHINWA SHIPPING (H.K.)など、新和グループ各社は一斉にNSユナイテッド冠の商号へ変更した。創業以来60年にわたり同社を象徴した「日鐵」「新和」のブランドは、わずか半年で「NSユナイテッド」へ書き換えられた。 [44][45]

    • [44]合併発表会見で島川社長が新社名のNを日鉄海運、Sを新和に由来すると説明
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [45]新会社発足とともに新和グループ各社(新和マリン・新和ビジネスマネジメント・新和システム・SHINWA各現地法人等)が一斉にNSユナイテッド冠の商号へ変更

合併初年度の2011年3月期、NSユナイテッド海運の単体売上高は1272億円となり、合併前の2社合計(2010年3月期の1290億円)とほぼ同水準でスタートした。連結ベースで開示を始めた2012年3月期は売上高1350億円・経常利益5億円と低空飛行で、リーマン後の船腹過剰と運賃低迷は合併後も続いた。2013年3月期には円高進行と長期定期傭船料の見直し損失で純損失155億円を計上し、合併直後の苦しい期間が業績数字に刻まれた。中期経営計画「Unite & Full-Ahead!」(NSユナイテッド海運統合報告書 FY12)のもと、組織統合とコスト削減を進めながら、新日本製鐵向け鉄鋼原料輸送の長期契約を順次再構築する作業が続いた。

  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [39]2010年5月20日 新和海運と日鉄海運が取締役会で合併を決議し合併契約を締結
    • [40]2010年10月1日を効力発生日として合併を実行(新和海運を存続会社、日鉄海運を消滅会社とする吸収合併)
    • [45]新会社発足とともに新和グループ各社(新和マリン・新和ビジネスマネジメント・新和システム・SHINWA各現地法人等)が一斉にNSユナイテッド冠の商号へ変更
    • [41]合併比率は日鉄海運株1株に対し新和海運株1.6株
    • [43]新日本製鐵の出資比率は15.04%から34%へ上昇し新会社は新日鉄の持分法適用会社
    • [44]合併発表会見で島川社長が新社名のNを日鉄海運、Sを新和に由来すると説明
    • [42]初代社長は旧日鉄海運社長の島川恵一郎、副社長は旧新和海運社長の杉浦哲

Valemax 40万トン船で開いたブラジル-中国航路の超長期契約

2014年5月に策定した中期経営計画「Unite & Full-Ahead!II」(2014-2018年度)のもと、NSユナイテッド海運はブラジル-中国航路向けの鉄鉱石輸送への投資を進めた。きっかけはブラジル鉄鉱石メジャーのVale社が立ち上げた「ヴァーレマックス(Valemax)」と呼ばれる40万重量トン型鉱石運搬船の運航戦略で、Vale社は中国の港湾の受け入れ態勢が整うのを待って、世界中の海運会社に長期契約と引き換えに同型船の建造を求めていた。同社はこのプロジェクトに参画し、2019年12月にジャパンマリンユナイテッドの有明事業所(熊本県)で40万重量トン型「NSU CARAJAS」を竣工させた。本邦初の世界最大級鉄鉱石専用船の建造であり、Vale社との25年間の長期輸送契約のもとで、ブラジル-中国航路を中心に4000万トンの鉄鉱石を輸送する計画が組まれた。 [46][47][48][49]

    • [46]本邦初の世界最大級鉄鉱石専用船(日本建造・国内海運会社運航の初の40万重量トン型=ヴァーレマックス)
  • 統合報告書 FY14
    • [47]2014年5月 中期経営計画「Unite & Full-Ahead!II」(2014-2018年度)を策定
    • [48]2019年12月 ジャパンマリンユナイテッド有明事業所(熊本県)で40万重量トン型「NSU CARAJAS」を竣工
    • [49]Vale社との25年間の長期輸送契約・4000万トンの鉄鉱石輸送計画

40万トン型のValemax投資は、新日本製鐵向け鉄鋼原料輸送(日本-豪州・日本-ブラジル航路)が事業の柱だった同社にとって、三国間輸送(日本を発着地としない海上輸送)への本格参入を意味した。日本の鉄鋼生産量は1990年代以降ほぼ横ばいで、国内向け鉄鋼原料輸送だけでは事業規模の拡大は望めない。中国・インド・東南アジアの鉄鋼需要を取り込むには、荷主の出荷地(ブラジル・豪州)から消費地(中国・インド)を直接結ぶ三国間航路に船腹を投入するほかなく、Valemax投資はその第一歩となった。2010年合併会見で島川社長が示した数年で1500億円規模に引き上げるとの売上目標は、ブラジル-中国航路への40万トン型船投入で具体的な事業計画として動き出した。 [50]

2017年6月、谷水一雄氏が3代目社長に就任した。谷水社長は2018年3月の社長就任会見で次期中期経営計画の策定方針を示し、2020年5月には新中期経営計画「FORWARD 2030〜Driving U forward over the next decade〜」を策定した。旧新和海運と旧日鉄海運の合併から10年の節目を迎え、人材と技術へのフォーカスを掲げる方針のもと、2020年代の海運業界の中期テーマを脱炭素・人材・デジタル化に置き、2030年に向けた経営の方向性を示した。同時にタンカー事業からの撤退を決議し(2020年3月期)、ドライバルク特化型ポートフォリオへの選択と集中を加速した。2010年の合併以降、事業の主力はタンカーからドライバルクへ、日本発着から三国間輸送へと移り、その構造転換が谷水社長の任期で具体的な形を取った。 [51][52][53]

  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【役員の状況】
    • [51]2017年6月 谷水一雄氏が3代目社長に就任
    • [52]2020年5月 新中期経営計画「FORWARD 2030」を策定
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書
    • [53]タンカー事業からの撤退を決議(2020年3月期)
    • [46]本邦初の世界最大級鉄鉱石専用船(日本建造・国内海運会社運航の初の40万重量トン型=ヴァーレマックス)
  • 統合報告書 FY14
    • [47]2014年5月 中期経営計画「Unite & Full-Ahead!II」(2014-2018年度)を策定
    • [48]2019年12月 ジャパンマリンユナイテッド有明事業所(熊本県)で40万重量トン型「NSU CARAJAS」を竣工
    • [49]Vale社との25年間の長期輸送契約・4000万トンの鉄鉱石輸送計画
    • [50]島川社長が2010年合併会見で示した『数年で1500億円規模に引き上げる』売上目標
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【役員の状況】
    • [51]2017年6月 谷水一雄氏が3代目社長に就任
    • [52]2020年5月 新中期経営計画「FORWARD 2030」を策定
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書
    • [53]タンカー事業からの撤退を決議(2020年3月期)

中国不動産不況下のROE10%超──メタノール船3000億円投資

2022年3月期から2023年3月期にかけて、NSユナイテッド海運の業績は統合以来の最高水準に達した。FY21(2022年3月期)の連結売上高は1959億円・経常利益266億円・純利益236億円、FY22(2023年3月期)には売上高2508億円・経常利益334億円・純利益276億円と、2010年合併以降で最大の業績を計上した。鉄鋼原料の海上輸送需要は2021年から2022年にかけてのコロナ後の世界経済再開で急回復し、ケープサイズバルカーの傭船料は2021年第2四半期に過去最高水準まで急騰した。コロナ禍で滞った海上物流が解放される過程で、長期契約中心の事業構造を採るNSユナイテッド海運も、スポット運賃の急騰の恩恵を一定程度享受した。

2023年6月、4代目社長として山中一馬氏が就任した。山中社長は2024年3月、新中期経営計画「FORWARD 2030 II」(2024〜2027年度)を策定し、2030年までに合計約3000億円の投資を実行する計画を示した。内訳は既存船のリプレースなど中核事業への投資2150億円、メタノール二元燃料船など環境対応投資1650億円、人材育成・DX投資100億円である。盤石な財務基盤を活用した投資を新中計の主要テーマに掲げ、これまで利益剰余金として蓄えてきた財務余力を中核事業の更新と環境対応投資に振り向ける方針を提示した。タンカー撤退で築いたドライバルク特化の事業構造を、メタノール二元燃料船の早期投入で次の四半世紀の競争力へ移し替える判断が示された。 [54][55][56]

  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【役員の状況】
    • [54]2023年6月 山中一馬氏が4代目社長に就任
    • [55]2024年3月 新中期経営計画「FORWARD 2030 II」(2024〜2027年度)を策定
    • [56]2030年までに合計約3000億円投資(中核事業2150億円・環境対応1650億円・人材育成DX100億円)

メタノール二元燃料船は、グリーンメタノールを舶用燃料として用いることで従来の重油比80%超のGHG排出削減効果が見込まれる新世代の環境対応船である。山中社長は業界他社に先んじて2024年5月、造船各社と20万9000重量トン型ケープサイズ(メタノール二元燃料船)の建造覚書を締結した。FY24(2025年3月期)の連結売上高は2474億円・純利益186億円でROEは4期連続10%超を維持した。外航部門は世界情勢や中国経済の不確実性を抱えながらも長期契約が下支えする見通しを示し、中国不動産不況下の市況リスクを長期契約で吸収する方針が打ち出された。製鉄プロセスの脱炭素化に伴う還元鉄や液化CO2など新貨物の輸送需要に備えた準備を進めており、鉄鋼業のグリーン化に応じた新貨物輸送が次の事業機会となる見通しを示した。 [57][58]

    • [57]メタノール二元燃料船は従来の重油比80%超のGHG排出削減効果
    • [58]2024年5月 造船各社と20万9000重量トン型ケープサイズ(メタノール二元燃料船)の建造覚書を締結
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【役員の状況】
    • [54]2023年6月 山中一馬氏が4代目社長に就任
    • [55]2024年3月 新中期経営計画「FORWARD 2030 II」(2024〜2027年度)を策定
    • [56]2030年までに合計約3000億円投資(中核事業2150億円・環境対応1650億円・人材育成DX100億円)
    • [57]メタノール二元燃料船は従来の重油比80%超のGHG排出削減効果
    • [58]2024年5月 造船各社と20万9000重量トン型ケープサイズ(メタノール二元燃料船)の建造覚書を締結

2026年〜 62年ぶりの郵船傘下入り──公開買付けによる83.33%取得と非公開化

NSユナイテッド海運の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2026年 日本郵船による公開買付けへの賛同と、日本製鉄の持分縮小をともなう非公開化 二人の大株主のどちらに寄るか——海運集約から62年をへた資本の帰着と、上場の終わり
  2. 2026年 取締役会が賛同と応募推奨を決議
  3. 2026年 日本製鉄が保有比率を16.67%へ引き下げ

18.35%の第2位株主が83.33%へ──公開買付けの発表と賛同

2026年7月31日、日本郵船はNSユナイテッド海運の普通株式に対する公開買付けを実施すると発表した。買付価格は1株10,600円、買付予定数は1,137万9,482株(48.29%)、買付総額は1,206億円を見込む。日本郵船は2010年の合併以来18.35%を保有する第2位株主であり、この買付けと日本製鉄からの自己株式取得を経て、保有比率を83.33%へ引き上げて連結子会社とする計画であった。NSユナイテッド海運の取締役会は同日、賛同の意見を表明し、株主に応募を推奨することを決議した。 [59][60]

日本郵船が挙げた理由は、ドライバルク事業の強化にあった。同社は中期経営計画「Sail Green, Drive Transformations 2026」で同事業を中核と位置づける一方、その市況を「世界経済や資源・エネルギー政策、地政学リスク等の影響を受けやすく、運賃市況の変動が大きい事業領域」と説明している。鉄鋼原料輸送で長期の顧客基盤を持つNSユナイテッド海運を傘下に収めることで、安定収益を取り込み、安全で良質な輸送サービスの維持、コスト競争力の強化、海外成長市場における製鉄サプライチェーンの構築、脱炭素対応を進める構想を示した。 [61][62]

価格の妥当性は、独立社外取締役4名からなる特別委員会が検証した。大西節氏を委員長とし、吉田正子氏・竹ケ原啓介氏・加野理代氏が委員に就いた委員会は、2026年2月27日から7月30日までに15回開かれ、全員一致で本取引は一般株主にとって公正であると答申している。会社側のみずほ証券はDCF法で8,277円から11,124円、委員会側のプルータス・コンサルティングは同8,972円から17,622円と算定した。委員会と会社は段階的な価格の引き上げを求め、公開買付者から「これ以上の価格引上げは極めて難しい」との回答を得た10,600円で折り合った。基準日終値7,740円に対して36.95%の上乗せにあたる。 [63][64]

  • NSユナイテッド海運「その他の関係会社である日本郵船株式会社による当社株式に対する公開買付けの開始予定に関する賛同の表明及び応募推奨のお知らせ」(2026年7月31日・適時開示)
    • [63]独立社外取締役4名(委員長・大西節、吉田正子、竹ケ原啓介、加野理代)の特別委員会が2026年2月27日から7月30日までに15回開催され、全員一致で公正と答申した
    • [64]みずほ証券はDCF法で8,277〜11,124円、プルータス・コンサルティングはDCF法で8,972〜17,622円と算定。10,600円は基準日終値7,740円に36.95%を上乗せした水準
    • [59]買付価格1株10,600円・買付予定数1,137万9,482株(48.29%)・買付総額1,206億2,300万円
    • [60]日本郵船は公開買付け前に18.35%を保有する第2位株主であり、取引後は83.33%となる
    • [61]日本郵船は中期経営計画でドライバルク事業を中核と位置づけ、市況変動の大きい領域と認識していた
    • [62]本取引で想定する効果として、安全で良質な輸送サービスの維持・向上、コスト競争力の強化、海外成長市場における製鉄サプライチェーンの構築、脱炭素化対応を挙げた
  • NSユナイテッド海運「その他の関係会社である日本郵船株式会社による当社株式に対する公開買付けの開始予定に関する賛同の表明及び応募推奨のお知らせ」(2026年7月31日・適時開示)
    • [63]独立社外取締役4名(委員長・大西節、吉田正子、竹ケ原啓介、加野理代)の特別委員会が2026年2月27日から7月30日までに15回開催され、全員一致で公正と答申した
    • [64]みずほ証券はDCF法で8,277〜11,124円、プルータス・コンサルティングはDCF法で8,972〜17,622円と算定。10,600円は基準日終値7,740円に36.95%を上乗せした水準

日本製鉄が16.67%を残す設計と、1951年から続いた上場の終わり

取引はもう一段の仕掛けを持っていた。公開買付けの成立を条件に、NSユナイテッド海運自身が自己株式公開買付けを行い、筆頭株主の日本製鉄から472万438株(20.03%)を1株7,676円で買い取る。一般株主向けの10,600円との差は1株あたり2,924円にのぼる。開示はこの価格差について、日本製鉄が自己株式公開買付けに応募した場合の1株あたり税引後手取り額が、公開買付価格で応募した場合と同等になるよう設定したと説明している。法人株主が自己株式取得に応じるとみなし配当が生じ、受取配当金の益金不算入が働くためであった。 [65][66]

    • [65]NSユナイテッド海運が日本製鉄から472万438株(20.03%)を1株7,676円・総額362億3,400万円で自己株式公開買付けにより取得する
  • NSユナイテッド海運「その他の関係会社である日本郵船株式会社による当社株式に対する公開買付けの開始予定に関する賛同の表明及び応募推奨のお知らせ」(2026年7月31日・適時開示)
    • [66]自社株公開買付価格7,676円は、日本製鉄の税引後手取り額が公開買付価格で応募した場合と同等になるよう設定された

日本製鉄は保有比率を33.36%から16.67%へ下げるものの、株主から退くわけではない。開示は、持分法適用関連会社としてNSユナイテッド海運の業績が日本製鉄の連結財務諸表に反映されることで経営と業績への関心を保ち、事業上・ガバナンス上の協力関係を維持する観点から出資を残すと記している。1950年に日本製鐵の海運部門として分離独立して以来、この会社は最大の荷主を株主に持ち続けてきた。取引後の株主は日本郵船と日本製鉄の2社のみとなるが、荷主が株主に居続ける構造そのものは、比率を変えて残る。 [67][68]

  • NSユナイテッド海運「その他の関係会社である日本郵船株式会社による当社株式に対する公開買付けの開始予定に関する賛同の表明及び応募推奨のお知らせ」(2026年7月31日・適時開示)
    • [67]日本製鉄は取引後も16.67%を保有し、持分法適用関連会社として業績を取り込みつつ協力関係を維持する
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [68]1950年4月に過度経済力集中排除法により日本製鐵から日鐵汽船として分離独立した

賛同を決議した同じ日に、会社は2027年3月期の配当を第2四半期末・期末とも行わないと決議し、従来予想の年295円を取り下げた。買付価格がいずれも配当を行わない前提で算定されていたためである。同じ日に2027年3月期の経常利益予想を219億円から253億円へ引き上げてもおり、増益の見通しと無配の決定が並んだ。公開買付けの開始は競争法の審査を経て2026年11月下旬から12月下旬、自己株式公開買付けは2027年1月上旬、株式併合による取引完了は2027年4月中旬が予定されている。同社が東京・大阪・神戸の各証券取引所に上場登録したのは1951年1月であった。 [69][70][71][72]

  • NSユナイテッド海運「その他の関係会社である日本郵船株式会社による当社株式に対する公開買付けの開始予定に関する賛同の表明及び応募推奨のお知らせ」(2026年7月31日・適時開示)
    • [69]2027年3月期の第2四半期末・期末の配当を行わないと決議し、従来予想の年295円を取り下げた
    • [70]同日、2027年3月期の経常利益予想を219億円から253億円へ15.5%上方修正した(前期は210億円)
    • [71]公開買付け開始は2026年11月下旬〜12月下旬、自社株公開買付けは2027年1月上旬、株式併合による取引完了は2027年4月中旬を予定
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [72]1951年1月に東京・大阪・神戸の各証券取引所へ上場登録した
    • [65]NSユナイテッド海運が日本製鉄から472万438株(20.03%)を1株7,676円・総額362億3,400万円で自己株式公開買付けにより取得する
    • [71]公開買付け開始は2026年11月下旬〜12月下旬、自社株公開買付けは2027年1月上旬、株式併合による取引完了は2027年4月中旬を予定
  • NSユナイテッド海運「その他の関係会社である日本郵船株式会社による当社株式に対する公開買付けの開始予定に関する賛同の表明及び応募推奨のお知らせ」(2026年7月31日・適時開示)
    • [66]自社株公開買付価格7,676円は、日本製鉄の税引後手取り額が公開買付価格で応募した場合と同等になるよう設定された
    • [67]日本製鉄は取引後も16.67%を保有し、持分法適用関連会社として業績を取り込みつつ協力関係を維持する
    • [69]2027年3月期の第2四半期末・期末の配当を行わないと決議し、従来予想の年295円を取り下げた
  • NSユナイテッド海運 有価証券報告書【沿革】
    • [68]1950年4月に過度経済力集中排除法により日本製鐵から日鐵汽船として分離独立した
    • [72]1951年1月に東京・大阪・神戸の各証券取引所へ上場登録した
    • [70]同日、2027年3月期の経常利益予想を219億円から253億円へ15.5%上方修正した(前期は210億円)

NSユナイテッド海運の沿革1950〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
日鐵汽船創立
東京・大阪・神戸の各証券取引所に上場登録
海運仲立業を主業務として中央海運を発足
晴海船舶を発足
不動産管理部門を分離し東海興業を発足
内航船主会社として日和産業海運を発足
日鐵汽船が東邦海運と合併し新和海運へ改称製鉄専属の船社にとどまるか、荷主の幅を持つ海運会社になるか——政策集約に先立つ中堅どうしの合併 詳細を読む★★★
海運集約による日本郵船グループへの系列編入荷主は製鉄、資本の後ろ盾は郵船——法律が求めた系列選びで、中堅船社は誰の傘に入ったか 詳細を読む★★★
中央海運が内航油送船業務を引き継ぎ新和ケミカルタンカーに商号変更
ニューヨーク駐在員事務所を開設
MATTHEWS WRIGHTSON SHIPPING LTD.との合弁により英国法人SHINWA (U.K.) LTD.を設立
日和産業海運が内航運送業を引き継ぎ新和内航海運に商号変更
外国用船管理業務を主体とした子会社東洋マリン・サービスを設立
ニューヨークにSHINWA(U.S.A.)INC.を設立
南洋材輸送強化のためインドネシアに合弁会社P.T.PAKARTI TATAを設立
本社事務所を東京都千代田区内幸町二丁目2番2号(富国生命ビル)に移転
新和エンジニアリングを発足
情報システム部を分離しサンライズシステムセンターを発足
船内荷役業務を事業化しインターナショナルマリンコンサルティングを設立
船舶保守管理業務の効率化を図るため新和マリンを発足
子会社の新和興業を吸収合併
新和内航海運が株式を日本証券業協会に店頭登録
筧孝彦香港新和海運有限公司を設立
筧孝彦新晴海運を吸収合併
筧孝彦シンガポール法人としてDAJIN SHIPPING PTE LTDを設立
筧孝彦新和エンジニアリングを解散しシンワ エンジニアリング・サービスを設立
筧孝彦コンテナ保守整備業から撤退し産和ターミナルを解散
筧孝彦DAJIN SHIPPING PTE LTDを完全子会社化
筧孝彦ケミカル船事業を移管
筧孝彦新日本製鐵がNSユナイテッド海運株式を買増し「その他の関係会社」に★★
小畠徹郵船系の新和海運と新日鉄系の日鉄海運が合併しNSユナイテッド海運が発足中堅二社のまま新造船競争に臨むか、系列を組み替えて一社になるか——「対等の精神」を掲げた吸収合併 詳細を読む★★★
小畠徹谷水一雄氏が3代目社長に就任
谷水一雄外航ケミカルタンカー事業からの撤退を決議★★
谷水一雄本邦初の40万重量トン型鉄鉱石専用船「NSU CARAJAS」が竣工
谷水一雄ヴァーレ社と25年の長期輸送契約を締結★★
山中一馬山中一馬氏が4代目社長に就任
山中一馬日本郵船による公開買付けへの賛同と、日本製鉄の持分縮小をともなう非公開化二人の大株主のどちらに寄るか——海運集約から62年をへた資本の帰着と、上場の終わり 詳細を読む★★★
山中一馬取締役会が賛同と応募推奨を決議★★
山中一馬日本製鉄が保有比率を16.67%へ引き下げ★★
出典・参考

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