日本郵船 の歴史

更新:

創業

1885年

創業者

※郵便汽船三菱会社+共同運輸会社

創業地

東京都

直近売上高(2026/3)

24,237億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1885年に、競い合っていた2社は明治政府の仲裁で1つの海運会社へ統合されたのか
A 郵便汽船三菱会社と共同運輸会社は、航路ごとの運賃の値下げ合戦で互いの経営体力を削り合っていた。一民間の消耗戦に任せれば、欧州勢が独占する遠洋航路に対抗する日本の外航海運が育たないと見た明治政府が、両社の合併を仲裁した。1885年9月、岩崎弥太郎氏が興した三菱系と政府が後押しした共同運輸が一体となって日本郵船会社が設立され、資本金1100万円・所有船舶69隻で10月に創業した。値下げ合戦を終わらせて1社に束ね、政府の補助金と結びつきながら船隊を広げる海運会社をつくる選択だった。
Q なぜ2017年に、長年の主力だった定期コンテナ船事業を切り離してONEへ統合したのか
A コンテナ船事業は船腹の供給過剰で運賃が採算割れの水準に張り付き、構造的な低収益から抜け出せずにいた。欧州のマースクや中国のCOSCOがM&Aで規模を広げるなか、一社単独の日本郵船では対抗できる船隊規模に届かなかった。そこで2016年10月に邦船3社が定期コンテナ船事業の統合を発表し、2017年7月にONEを設立して世界シェア約7パーセントの第6位船社を立ち上げた。同時に2017年3月期にコンテナ船資産の減損で特別損失約1950億円を計上し、上場来最大の純損失2657億円を出して過去の投資を清算し、身軽に新会社へ出資した
Q なぜコロナ禍後の空前の利益を、再投資より2000億円超の自己株式取得など株主還元へ多く振り向けたのか
A 2022年3月期に経常利益1兆31億円へ届いた利益の大半は、港湾混雑と巣ごもり消費が運賃を急騰させた一過性のものであり、しかも出資比率38パーセントのONEからの持分法利益で日本郵船が自ら制御できない外部要因に依存していた。市況が戻れば剥落する利益を恒久事業へ厚く回すのは合理的でないと見て、株主へ返す比重を高めた。中期経営計画のもとで総額2000億円の自己株式を取得して消却し、その後も取得枠を積み増した。年間配当は200円へ引き上げつつ下限を100円に固定し、市況が正常化しても配当水準を守る設計とした

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1885年〜 二引の旗章と日本初の遠洋定期航路の開拓

  1. 1885年 郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の合併により発足
  2. 1893年 ボンベイ航路を開設
  3. 1896年 欧州航路・北米シアトル航路を開設
  4. 1896年 豪州航路を開設
  5. 1926年 第二東洋汽船を合併
  6. 1942年 戦時海運管理令の施行により船舶が国家管理下に移行
  7. 1945年 終戦時の所有船舶が37隻まで減少

共同運輸との競争と農商務省の仲裁

明治期の海運市場は、岩崎弥太郎氏が率いた郵便汽船三菱会社の独占状態[1]にあり、運賃の吊り上げや船腹の不足が問題となった。政府は再三改善を促したが状況は変わらず、外務卿の井上馨氏と農商務大輔の品川弥二郎氏が対抗する海運会社の新設を準備し、渋沢栄一氏に協力を求めた[2]。渋沢氏が1880年に創業した東京風帆船[3]は、越中風帆船・北海道運輸と合併して共同運輸となり[4]、本州沿岸を一周する営業圏を得た。資本金は600万円で[5]、三井物産の益田孝氏や大倉喜八郎氏ら三菱の独占を快く思わない事業家[6]が創設に協力した。1883年9月、渋沢氏は五代友厚氏への書簡で[7]、供給能力を高めたうえで運賃を引き下げる意図をほのめかしている。

  • 週刊東洋経済 2021年6月26日号「経済学者が読み解く現代社会のリアル 第120回 渋沢栄一、三菱に挑む 日本郵船誕生前夜の教訓」
    • [1]明治期の海運市場 郵便汽船三菱会社の独占状態
    • [2]井上馨・品川弥二郎が対抗海運会社の新設を準備し渋沢栄一へ協力を要請
    • [3]1880年 渋沢栄一が東京風帆船を創業
    • [4]東京風帆船・越中風帆船・北海道運輸の3社合併で共同運輸が成立
    • [5]共同運輸の資本金 600万円
    • [6]益田孝・大倉喜八郎ら三菱の独占に反発する事業家が共同運輸の創設に協力
    • [7]1883年9月 渋沢栄一が五代友厚宛書簡で運賃引き下げの意図を示唆

共同運輸は貨物の運賃引き下げでシェアを広げ[8]、郵便汽船三菱会社の顧客を奪った。両社の消耗を見た政府は競争の抑制へ動き、1885年1月から2月にかけて農商務省の仲裁で協定が交わされた[9]。ところが港では、海運会社と荷主の間に立つ周旋営業人が値下げを強行した[10]。周旋営業人が受け取る口銭は販売切符の枚数で決まるため集客を優先する誘因が働き[11]、両社の社員は値下げに応じるほかなかった。1885年2月に岩崎弥太郎氏が死去し、弟の岩崎弥之助氏が三菱の2代目総裁を継いだ[12]。同年4月には共同運輸の社長に、薩摩出身の官僚だった森岡昌純氏が就いた[13]

  • 週刊東洋経済 2021年6月26日号「経済学者が読み解く現代社会のリアル 第120回 渋沢栄一、三菱に挑む 日本郵船誕生前夜の教訓」
    • [8]共同運輸が貨物運賃の引き下げで郵便汽船三菱の顧客を奪いシェアを拡大
    • [9]1885年1月〜2月 農商務省の仲裁で競争抑制の協定が成立
    • [10]港で周旋営業人が協定に反して値下げを強行
    • [11]周旋営業人の口銭は販売切符の枚数で決まる出来高制
    • [12]1885年2月 岩崎弥太郎が死去し岩崎弥之助が三菱2代目総裁を継承
    • [13]1885年4月 薩摩出身の官僚 森岡昌純が共同運輸社長に就任

1885年9月、郵便汽船三菱会社と共同運輸会社は合併して日本郵船会社を設立し、10月に創業した[14]。資本金1100万円、所有船舶69隻・7万2922総トン[15]での船出である。共同運輸の船は最先端の高速船で、郵便汽船三菱の船は老朽化[16]していた。一方で乗組員や機関士の技能は郵便汽船三菱の評価が高く、当時の経済論壇には「共同に船あって人なく、三菱に人あって船なし」という評があった[17]。新会社は運賃の決定権を社長と副社長に集め、大臣の認可とともに新聞で公表する仕組み[18]に改めた。周旋営業人の業績連動の口銭は廃止して固定給とし、等級は問屋同士の投票で決める[19]こととして、値下げ競争を招いた誘因を断った。白地に赤い2本の線を引いた二引の旗章[20]は、2社の合同を表す旗印となった。

  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1885年9月 郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の合併により日本郵船会社を設立、10月創業
    • [15]設立時 資本金1100万円・所有船舶69隻・7万2922総トン
  • 週刊東洋経済 2021年6月26日号「経済学者が読み解く現代社会のリアル 第120回 渋沢栄一、三菱に挑む 日本郵船誕生前夜の教訓」
    • [16]共同運輸の船は最先端の高速船、郵便汽船三菱の船は老朽化
    • [17]当時の経済論壇の評「共同に船あって人なく、三菱に人あって船なし」
    • [18]運賃の決定権を社長・副社長に集約し大臣認可と新聞公表を義務づけ
    • [19]業績連動の口銭を廃止し固定給へ、等級は問屋同士の投票で決定
  • 日本郵船歴史博物館(公式)
    • [20]白地に赤い2本の線の二引の旗章が2社の合同を表す旗印
  • 週刊東洋経済 2021年6月26日号「経済学者が読み解く現代社会のリアル 第120回 渋沢栄一、三菱に挑む 日本郵船誕生前夜の教訓」
    • [1]明治期の海運市場 郵便汽船三菱会社の独占状態
    • [2]井上馨・品川弥二郎が対抗海運会社の新設を準備し渋沢栄一へ協力を要請
    • [3]1880年 渋沢栄一が東京風帆船を創業
    • [4]東京風帆船・越中風帆船・北海道運輸の3社合併で共同運輸が成立
    • [5]共同運輸の資本金 600万円
    • [6]益田孝・大倉喜八郎ら三菱の独占に反発する事業家が共同運輸の創設に協力
    • [7]1883年9月 渋沢栄一が五代友厚宛書簡で運賃引き下げの意図を示唆
    • [8]共同運輸が貨物運賃の引き下げで郵便汽船三菱の顧客を奪いシェアを拡大
    • [9]1885年1月〜2月 農商務省の仲裁で競争抑制の協定が成立
    • [10]港で周旋営業人が協定に反して値下げを強行
    • [11]周旋営業人の口銭は販売切符の枚数で決まる出来高制
    • [12]1885年2月 岩崎弥太郎が死去し岩崎弥之助が三菱2代目総裁を継承
    • [13]1885年4月 薩摩出身の官僚 森岡昌純が共同運輸社長に就任
    • [16]共同運輸の船は最先端の高速船、郵便汽船三菱の船は老朽化
    • [17]当時の経済論壇の評「共同に船あって人なく、三菱に人あって船なし」
    • [18]運賃の決定権を社長・副社長に集約し大臣認可と新聞公表を義務づけ
    • [19]業績連動の口銭を廃止し固定給へ、等級は問屋同士の投票で決定
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1885年9月 郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の合併により日本郵船会社を設立、10月創業
    • [15]設立時 資本金1100万円・所有船舶69隻・7万2922総トン
  • 日本郵船歴史博物館(公式)
    • [20]白地に赤い2本の線の二引の旗章が2社の合同を表す旗印

遠洋定期航路の開拓と戦時における船隊の壊滅

1893年、日本郵船はボンベイ航路を開設し、日本で最初の遠洋定期航路を開いた。1896年には欧州航路と北米シアトル航路を、同年10月には豪州航路を開設して、欧州勢が押さえていたアジアの幹線航路へ参入した。航海奨励法や遠洋航路補助法に基づく補助金[21]が、採算の見通しにくい遠洋航路の維持を支えている。日清・日露の両戦役では軍事輸送を担い、第一次世界大戦期には欧州船の不足を埋めて[22]業容を広げた。1926年3月には第二東洋汽船を合併し[23]、太平洋航路の船腹を厚くした。1923年の関東大震災や済南・上海の両事変に際しては、同社の船が救援と輸送[24]にあたった。

  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第四編「補助命令」
    • [21]航海奨励法・遠洋航路補助法に基づく補助を受給
  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第二編第三章「日露戰爭時に於ける當社の業績と戰後の發展」・第五章「世界大戰時に於ける社業の大躍進」
    • [22]日露戦争期の軍事輸送と第一次世界大戦期の業容拡大
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1926年3月 第二東洋汽船を合併
  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第二編第七章「關東大震災及び濟南・上海兩事變に際し當社船の活動」
    • [24]関東大震災・済南事変・上海事変での自社船の活動

航路網は太平洋横断・欧州・豪州・印度・近海へ広がり、同社は海運同盟や貨客連絡運送契約[25]を通じて各国船社との協定網を築いた。1942年3月に戦時海運管理令が施行され、翌4月に船舶運営会社が設立されて[26]、民間の船舶は国家の管理下に入った。1943年6月には三菱商事の船舶部が分離独立して三菱汽船が設立[27]されている。太平洋戦争で日本郵船は保有船舶の大半を失い、戦禍による喪船は185隻・113万総トンに及んだ[28]。1945年8月の終戦時に残った所有船舶は37隻・15万5469総トン[29]で、開戦前の船隊はほぼ消えた。

  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第二編第八章「太平洋橫斷航路の擴充」・第十一章「當社關係の海運同盟・貨客連絡運送契約・其他の協定」
    • [25]太平洋横断・欧州・豪州・印度・近海の各航路と海運同盟・貨客連絡運送契約の協定網
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [26]1942年3月 戦時海運管理令施行、1942年4月 船舶運営会社設立
    • [27]1943年6月 三菱汽船を設立(三菱商事船舶部を分離独立)
    • [29]1945年8月 終戦時の所有船舶 37隻・15万5469総トン
  • 日本郵船歴史博物館(公式)
    • [28]第二次大戦の喪船 185隻・113万総トン
  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第四編「補助命令」
    • [21]航海奨励法・遠洋航路補助法に基づく補助を受給
  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第二編第三章「日露戰爭時に於ける當社の業績と戰後の發展」・第五章「世界大戰時に於ける社業の大躍進」
    • [22]日露戦争期の軍事輸送と第一次世界大戦期の業容拡大
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1926年3月 第二東洋汽船を合併
    • [26]1942年3月 戦時海運管理令施行、1942年4月 船舶運営会社設立
    • [27]1943年6月 三菱汽船を設立(三菱商事船舶部を分離独立)
    • [29]1945年8月 終戦時の所有船舶 37隻・15万5469総トン
  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第二編第七章「關東大震災及び濟南・上海兩事變に際し當社船の活動」
    • [24]関東大震災・済南事変・上海事変での自社船の活動
  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第二編第八章「太平洋橫斷航路の擴充」・第十一章「當社關係の海運同盟・貨客連絡運送契約・其他の協定」
    • [25]太平洋横断・欧州・豪州・印度・近海の各航路と海運同盟・貨客連絡運送契約の協定網
  • 日本郵船歴史博物館(公式)
    • [28]第二次大戦の喪船 185隻・113万総トン

1946年〜 国策による海運の集約と13年ぶりの復配

  1. 1949年 東京・大阪・名古屋の各証券取引所に上場
  2. 1950年 海運の民営還元により自主運航へ復帰
  3. 1962年 世界初の大型LPG専用船が竣工
  4. 1964年 日本郵船・大阪商船三井船舶・川崎汽船ほか海運6グループへの集約(1964年成立) 海運二法による戦後最大の業界再編は、なぜ国策として95社を6中核体に束ねたのか。
  5. 1964年 世界初のチップ専用船「呉丸」が竣工
  6. 1965年 13年ぶりに復配

戦後の復興と海運各社が抱えた過当競争

日本郵船は1949年5月に東京・大阪・名古屋の3証券取引所へ上場し、6月に広島、7月に福岡・京都・新潟の各取引所[30]へも上場した。1950年4月には海運の民営還元が実施され、札幌証券取引所への上場も加わっている[31]。同じ1949年、三菱汽船が2月に解散して4月に極東海運が新設され、6月には三菱海運へ改称した[32]。のちに日本郵船と合併するこの会社は、1943年6月に三菱商事の船舶部が分離独立して生まれた[33]ものである。船隊の再建は国の財政資金を投じる計画造船が主たる手段[34]となり、日本郵船もこの枠組みで新造船を確保した。

  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1949年 東京・大阪・名古屋の3証券取引所へ上場、広島・福岡・京都・新潟にも上場
    • [31]1950年4月 海運の民営還元を実施、札幌証券取引所へ上場
    • [32]1949年2月 三菱汽船解散、4月 極東海運設立、6月 三菱海運へ改称
    • [33]1943年6月 三菱商事船舶部を分離独立して三菱汽船を設立(のち三菱海運)
  • 証券アナリストジャーナル 第3巻第6号(1965年6月)「再編成後の海運界と日本郵船」
    • [34]戦後の建造船舶の大部分は財政資金による計画造船

スエズ動乱後の海運不況で、日本の海運各社は私企業としての存立すら危ぶまれる状態に陥った[35]。大部分の海運会社が赤字を計上し、以後は無配[36]が続いた。各社はゼロ決算方式を採り、その期の償却前利益を全額償却して利益をゼロに置き、償却不足額を次期へ繰り越した[37]。戦後の商船隊船腹量は1000万総トンを超えて世界第5位まで回復した[38]ものの、企業基盤は脆弱なままだった。国内市場を持たず、すべて国際市場で強力な外国企業と競争せざるをえない[39]という海運業の特性が、小規模企業の乱立を許さなくしていた。貨物船隊だけを取れば、アメリカ・イギリスに次いで世界第3位[40]を占めていた。

  • 証券アナリストジャーナル 第3巻第6号(1965年6月)「再編成後の海運界と日本郵船」
    • [35]スエズ動乱後の海運不況で私企業としての存立が危ぶまれる状態
    • [36]大部分の海運会社が赤字を計上し無配が継続
    • [37]ゼロ決算方式=償却前利益を全額償却し利益をゼロとして償却不足を次期繰越
    • [38]戦後の日本の商船隊船腹量 1000万総トン超で世界第5位
    • [39]海運業は国内市場を持たず国際市場で外国企業と競争する特性
    • [40]タンカーを除く貨物船隊ではアメリカ・イギリスに次ぐ世界第3位
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1949年 東京・大阪・名古屋の3証券取引所へ上場、広島・福岡・京都・新潟にも上場
    • [31]1950年4月 海運の民営還元を実施、札幌証券取引所へ上場
    • [32]1949年2月 三菱汽船解散、4月 極東海運設立、6月 三菱海運へ改称
    • [33]1943年6月 三菱商事船舶部を分離独立して三菱汽船を設立(のち三菱海運)
  • 証券アナリストジャーナル 第3巻第6号(1965年6月)「再編成後の海運界と日本郵船」
    • [34]戦後の建造船舶の大部分は財政資金による計画造船
    • [35]スエズ動乱後の海運不況で私企業としての存立が危ぶまれる状態
    • [36]大部分の海運会社が赤字を計上し無配が継続
    • [37]ゼロ決算方式=償却前利益を全額償却し利益をゼロとして償却不足を次期繰越
    • [38]戦後の日本の商船隊船腹量 1000万総トン超で世界第5位
    • [39]海運業は国内市場を持たず国際市場で外国企業と競争する特性
    • [40]タンカーを除く貨物船隊ではアメリカ・イギリスに次ぐ世界第3位

国策による1964年の海運集約と6グループ体制

1963年7月、政府は海運企業の再建整備に関する臨時措置法を公布・施行[41]した。この法律は海運産業の再編成と、再編後の企業への徹底した国家助成という2つの目的[42]を持っていた。中核会社となる条件は保有船腹50万重量トン以上かつ運航船腹100万重量トン以上と定められ、しかも施行後1年以内に再編成を完了する義務[43]が課された。外航船舶建造融資利子補給臨時措置法もあわせて適用され、造船融資の利子を優遇する[44]形で経営改善を支えている。一つの産業をまるごと再編成する例は国内の他産業になく、国有化によらず私企業のまま海運を再編した例は世界の海運史にもなかった[45]

  • 証券アナリストジャーナル 第3巻第6号(1965年6月)「再編成後の海運界と日本郵船」
    • [41]1963年7月 海運企業の再建整備に関する臨時措置法を公布・施行
    • [42]同法の目的は海運産業の再編成と再編後企業への国家助成の2点
    • [43]中核会社の条件 保有船腹50万重量トン以上・運航船腹100万重量トン以上、施行後1年以内の完了義務
    • [45]私企業のままの海運再編は世界の海運史で初(戦前のイタリアは国有化)
  • 日本郵船歴史博物館 航跡「海運集約」(日本郵船公式)
    • [44]外航船舶建造融資利子補給臨時措置法による造船融資利子の優遇

1963年12月に再編成の骨格が固まり、1964年4月1日、外航海運95社が6つのグループへ束ねられた[46]。日本郵船は三菱海運と合併し、合併後の所有船舶は87隻・78万1011総トン・111万4983重量トン[47]となった。大阪商船と三井船舶、日東商船と大同海運、山下汽船と新日本汽船がそれぞれ合併し[48]、川崎汽船は飯野汽船を合併して資本金90億円の中核会社となっている[49]。集約完了時の日本郵船グループの保有船腹量は228万8000トンに達した[50]。新和海運は日本郵船グループに、日鉄海運は昭和海運グループ[51]にそれぞれ所属した。

  • 国土交通省 運輸白書 昭和44年版「第3節 海運業の再建整備」
    • [46]1964年4月1日 外航海運95社が6グループへ集約
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1964年4月 三菱海運と合併、合併後の所有船舶87隻・78万1011総トン・111万4983重量トン
  • 商船三井 公式サイト「歴史」(企業情報)
    • [48]大阪商船と三井船舶、日東商船と大同海運、山下汽船と新日本汽船がそれぞれ合併
  • 川崎汽船 公式サイト「会社沿革」(企業情報)
    • [49]川崎汽船は飯野汽船を合併し資本金90億円の中核会社に
  • 日本郵船歴史博物館 航跡「海運集約」(日本郵船公式)
    • [50]集約完了時の日本郵船グループ保有船腹量 228万8000トン
  • NSユナイテッド海運 公式サイト「沿革」(企業情報)
    • [51]新和海運は日本郵船グループ、日鉄海運は昭和海運グループへ所属

集約後の1年で海運界の環境は好転し、日本の輸出の伸びと、運賃の引き下げ役だったアウトサイダーが撤退したことで、赤字が続いていたニューヨーク航路など定期船部門の収支が改善している[52]。日本郵船は総収入の約70パーセントを定期船部門から得ており[53]、この好転が業績回復を牽引した。1965年3月末の取扱船腹量は194隻・158万2000総トン[54]で、定期航路はニューヨーク航路をはじめ22航路、五大湖航路の認可を得て23航路[55]となった。整備法上の償却は59億7600万円の過剰に達し、延滞金も1964年10月20日に解消して、1965年9月期に13年ぶりの復配を見込む[56]体制が整った。

  • 証券アナリストジャーナル 第3巻第6号(1965年6月)「再編成後の海運界と日本郵船」
    • [52]輸出の伸長とアウトサイダーの撤退で定期船部門の収支が好転
    • [53]総収入の約70%を定期船部門から計上
    • [54]1965年3月末 取扱船腹量194隻・158万2000総トン
    • [55]定期航路22航路、五大湖航路の認可で23航路
    • [56]整備法上の償却は59億7600万円の過剰、延滞金は1964年10月20日に解消、1965年9月期に13年ぶり復配を予定
  • 証券アナリストジャーナル 第3巻第6号(1965年6月)「再編成後の海運界と日本郵船」
    • [41]1963年7月 海運企業の再建整備に関する臨時措置法を公布・施行
    • [42]同法の目的は海運産業の再編成と再編後企業への国家助成の2点
    • [43]中核会社の条件 保有船腹50万重量トン以上・運航船腹100万重量トン以上、施行後1年以内の完了義務
    • [45]私企業のままの海運再編は世界の海運史で初(戦前のイタリアは国有化)
    • [52]輸出の伸長とアウトサイダーの撤退で定期船部門の収支が好転
    • [53]総収入の約70%を定期船部門から計上
    • [54]1965年3月末 取扱船腹量194隻・158万2000総トン
    • [55]定期航路22航路、五大湖航路の認可で23航路
    • [56]整備法上の償却は59億7600万円の過剰、延滞金は1964年10月20日に解消、1965年9月期に13年ぶり復配を予定
  • 日本郵船歴史博物館 航跡「海運集約」(日本郵船公式)
    • [44]外航船舶建造融資利子補給臨時措置法による造船融資利子の優遇
    • [50]集約完了時の日本郵船グループ保有船腹量 228万8000トン
  • 国土交通省 運輸白書 昭和44年版「第3節 海運業の再建整備」
    • [46]1964年4月1日 外航海運95社が6グループへ集約
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1964年4月 三菱海運と合併、合併後の所有船舶87隻・78万1011総トン・111万4983重量トン
  • 商船三井 公式サイト「歴史」(企業情報)
    • [48]大阪商船と三井船舶、日東商船と大同海運、山下汽船と新日本汽船がそれぞれ合併
  • 川崎汽船 公式サイト「会社沿革」(企業情報)
    • [49]川崎汽船は飯野汽船を合併し資本金90億円の中核会社に
  • NSユナイテッド海運 公式サイト「沿革」(企業情報)
    • [51]新和海運は日本郵船グループ、日鉄海運は昭和海運グループへ所属

専用船の拡充と外航事業への経営資源の集中

日本の貿易構造の変化に合わせ、日本郵船は大型タンカー・チップ専用船・鉱石専用船・木材専用船・パルプ専用船・セメント専用船といった各種専用船の拡充[57]を進めた。1964年10月には世界初のチップ専用船「呉丸」を竣工させている。計画造船では、1963年度の第19次で定期船1隻・チップ専用船1隻・パルプ専用船1隻・タンカー2隻の計5隻・約22万6000重量トンを建造した[58]。1964年度の第20次では高速定期船3隻・木材専用船1隻・ペレット専用船1隻・鉱石専用船1隻・タンカー4隻の合わせて10隻を申請し、すべてが認可されている[59]

  • 証券アナリストジャーナル 第3巻第6号(1965年6月)「再編成後の海運界と日本郵船」
    • [57]大型タンカー・チップ・鉱石・木材・パルプ・セメントの各種専用船を拡充
    • [58]第19次計画造船(1963年度)で5隻・約22万6000重量トンを建造
    • [59]第20次計画造船(1964年度)で10隻を申請し全数認可

1965年度の第21次計画造船では、貨物船8隻・約10万3000重量トン、専用船5隻・約21万重量トン、タンカー2隻・約24万重量トンの建造を計画[60]した。専用船の建造では、荷主さえつかめばよいという従来の考え方を捨て、採算の良い船舶を厳選する方針[61]へ改めた。もっとも集約直後の同社の収入はほとんど全部が運賃収入で[62]、他産業への進出は国家助成を受ける立場から資金面で制約されていた[63]。海外にはデンマークのモラー社のように石油採掘権や化学工業へ比重を移す海運会社[64]があり、企業基盤の安定には他産業への進出が要るという認識は当時から社内にあった。1969年4月には近海・内航部門を近海郵船へ委譲し[65]、外航へ経営資源を集中させている。

  • 証券アナリストジャーナル 第3巻第6号(1965年6月)「再編成後の海運界と日本郵船」
    • [60]第21次計画造船(1965年度)で貨物船8隻・専用船5隻・タンカー2隻の建造を計画
    • [61]専用船の建造方針を「荷主をつかめばよい」から採算重視の厳選へ改めた
    • [62]集約直後の収入はほとんど全部が運賃収入
    • [63]国家助成を受ける立場から他産業への進出は資金面で制約
    • [64]デンマークのモラー社は石油採掘権・化学工業・貿易業へ進出
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [65]1969年4月 近海・内航部門を近海郵船へ委譲
  • 証券アナリストジャーナル 第3巻第6号(1965年6月)「再編成後の海運界と日本郵船」
    • [57]大型タンカー・チップ・鉱石・木材・パルプ・セメントの各種専用船を拡充
    • [58]第19次計画造船(1963年度)で5隻・約22万6000重量トンを建造
    • [59]第20次計画造船(1964年度)で10隻を申請し全数認可
    • [60]第21次計画造船(1965年度)で貨物船8隻・専用船5隻・タンカー2隻の建造を計画
    • [61]専用船の建造方針を「荷主をつかめばよい」から採算重視の厳選へ改めた
    • [62]集約直後の収入はほとんど全部が運賃収入
    • [63]国家助成を受ける立場から他産業への進出は資金面で制約
    • [64]デンマークのモラー社は石油採掘権・化学工業・貿易業へ進出
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [65]1969年4月 近海・内航部門を近海郵船へ委譲

1968年〜 コンテナ革命と2度目の集約による規模の確保

日本郵船の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1968年 日本初のフルコンテナ船「箱根丸」が北米航路に就航
  2. 1969年 近海・内航部門を近海郵船へ委譲
  3. 1978年 日本貨物航空を設立
  4. 1983年 LNG船事業に参入
  5. 1991年 日本ライナーシステムを合併
  6. 1996年 グランドアライアンスによるコンテナ船サービスを開始
  7. 1998年 昭和海運を吸収合併

コンテナ革命と船種の多様化による事業の拡大

1968年9月、日本初のコンテナ船「箱根丸」が北米航路に就航した。1970年には自動車専用船による輸送を始め、1983年にはLNG船事業へ参入してエネルギー輸送へ多角化している。1973年7月にはフランクフルト証券取引所へ上場[66]し、海外にも資金調達の窓口を持った。1978年9月には海運大手4社と全日本空輸が20パーセントずつ出資[67]して日本貨物航空を設立し、航空貨物へ参入した。1980年代以降は、顧客企業の海外進出に合わせて、アジア・北米・欧州で内陸の工場と港湾を結ぶトラック網を自前で築いている[69][68]

  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [66]1973年7月 フランクフルト証券取引所へ上場
    • [68]1978年9月 日本貨物航空を設立
  • 週刊東洋経済 2007年8月25日号「活況を謳歌する海運トップ 飛行機に「本業」並みの大投資 日本郵船の脱・一本足打法」
    • [67]日本貨物航空は海運大手4社と全日本空輸が各20%を出資して1978年に設立
    • [69]1980年代以降 アジア・北米・欧州で内陸工場と港湾を結ぶトラック網を自前構築

1985年10月に創業100周年を迎えたころ、日本郵船の事業は定期船・不定期専用船・客船・航空運送へ広がっていた。1990年9月には郵船クルーズが発足し[70]、客船事業を担っている。1991年10月には日本ライナーシステムと合併し[71]、ニューヨーク、極東・日本/北米西岸、豪州、ニュージーランド、中東・ガルフ、中米・カリブ、日本/バンコクなど10航路を承継した[72]。集荷の窓口となるフォワーダーでは、1955年に設立した郵船航空サービスが業界3位まで伸び[73]、1996年11月に株式を店頭公開している[74]

  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [70]1990年9月 郵船クルーズが発足
    • [71]1991年10月 日本ライナーシステムと合併し10航路を承継
    • [72]承継航路はニューヨーク・極東日本/北米西岸・豪州・ニュージーランド・中東ガルフ・中米カリブ・日本/バンコクなど10航路
    • [74]1996年11月 郵船航空サービスが株式を店頭公開
  • 週刊東洋経済 2007年8月25日号「活況を謳歌する海運トップ 飛行機に「本業」並みの大投資 日本郵船の脱・一本足打法」
    • [73]郵船航空サービスは1955年設立でフォワーダー業界3位
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [66]1973年7月 フランクフルト証券取引所へ上場
    • [68]1978年9月 日本貨物航空を設立
    • [70]1990年9月 郵船クルーズが発足
    • [71]1991年10月 日本ライナーシステムと合併し10航路を承継
    • [72]承継航路はニューヨーク・極東日本/北米西岸・豪州・ニュージーランド・中東ガルフ・中米カリブ・日本/バンコクなど10航路
    • [74]1996年11月 郵船航空サービスが株式を店頭公開
  • 週刊東洋経済 2007年8月25日号「活況を謳歌する海運トップ 飛行機に「本業」並みの大投資 日本郵船の脱・一本足打法」
    • [67]日本貨物航空は海運大手4社と全日本空輸が各20%を出資して1978年に設立
    • [69]1980年代以降 アジア・北米・欧州で内陸工場と港湾を結ぶトラック網を自前構築
    • [73]郵船航空サービスは1955年設立でフォワーダー業界3位

円高への対応と国際的な企業連合の形成

1985年のプラザ合意後の円高は、外航海運の収益を直撃[75]した。船会社の費用は船の建造費・資本の調達費・船員の人件費の3つに大別され[76]、このうち建造と資金調達は世界で最も条件の良い相手を選べたが、日本人船員の人件費だけが重い負担として残った。日本郵船は外国人船員だけの配乗や日本人との混乗へ切り替え、1998年初には船員の9割が外国人となっている[77]。陸上職員も本社・営業所・現地法人を合わせた6000人のうち、日本人は約1000人[78]にとどまった。合理化を積み上げた結果として、国際競争力はこの時期にかなり回復した[79]

  • 週刊東洋経済 1998年1月10日号「[編集長インタビュー]河村健太郎 日本郵船社長 国境を越えた企業連合で体制固め」
    • [75]1985年のプラザ合意後の円高で海運の収益が悪化
    • [76]船会社の費用は船の建造費・資本の調達費・船員の人件費の3つ
    • [77]1998年初 船員の9割が外国人
    • [78]陸上職員6000人のうち日本人は約1000人
    • [79]合理化の積み上げで国際競争力が回復

1997年12月1日、日本郵船はコンテナ船の国際提携の新たな枠組みを発表[80]した。同社が加わるグランド・アライアンスには、ドイツのハパックロイド、合併したP&Oネドロイド、香港のOOCL、マレーシアのMISKが参加している[81]。欧州航路は4航路から5航路へ増え[82]、日本発・北中国発・南中国発・台湾発・南アジア発それぞれに船腹を確保しながら、週9隻の配船を8隻へ減らして約10億円の費用を削った[83]。地中海航路の新設で積み替えが不要になり約5億円、5700個積みコンテナ船5隻の投入などで約10億円[84]が加わり、年間30億円から40億円の削減を見込んだ。1997年には米国の港湾荷役慣行をめぐって連邦海事委員会から課徴金を課され、同年10月15日に邦船3社で150万ドルを支払っている[85]

  • 週刊東洋経済 1998年1月10日号「[編集長インタビュー]河村健太郎 日本郵船社長 国境を越えた企業連合で体制固め」
    • [80]1997年12月1日 コンテナ船の国際提携の新枠組みを発表
    • [81]グランド・アライアンスの参加社はハパックロイド・P&Oネドロイド・OOCL・MISK
    • [82]欧州航路を4航路から5航路へ拡大、週9隻の配船を8隻へ削減し約10億円のコスト削減
    • [83]週9隻の配船を8隻へ減らし約10億円を削減
    • [84]地中海航路新設で約5億円、5700個積みコンテナ船5隻投入等で約10億円、合計で年30億〜40億円の削減見込み
    • [85]1997年10月15日 米連邦海事委員会の課徴金150万ドルを邦船3社で支払い
  • 週刊東洋経済 1998年1月10日号「[編集長インタビュー]河村健太郎 日本郵船社長 国境を越えた企業連合で体制固め」
    • [75]1985年のプラザ合意後の円高で海運の収益が悪化
    • [76]船会社の費用は船の建造費・資本の調達費・船員の人件費の3つ
    • [77]1998年初 船員の9割が外国人
    • [78]陸上職員6000人のうち日本人は約1000人
    • [79]合理化の積み上げで国際競争力が回復
    • [80]1997年12月1日 コンテナ船の国際提携の新枠組みを発表
    • [81]グランド・アライアンスの参加社はハパックロイド・P&Oネドロイド・OOCL・MISK
    • [82]欧州航路を4航路から5航路へ拡大、週9隻の配船を8隻へ削減し約10億円のコスト削減
    • [83]週9隻の配船を8隻へ減らし約10億円を削減
    • [84]地中海航路新設で約5億円、5700個積みコンテナ船5隻投入等で約10億円、合計で年30億〜40億円の削減見込み
    • [85]1997年10月15日 米連邦海事委員会の課徴金150万ドルを邦船3社で支払い

昭和海運の吸収合併と芙蓉グループからの承継

1988年、昭和海運は採算の悪化した定期コンテナ船部門からの撤退を決め、事業を日本郵船へ譲渡[86]した。両社は大手5社のなかでも業務上の関係が深く、日本船主協会の会長を日本郵船の河村健太郎氏が、副会長を昭和海運の伏見清喜氏が務めていた[87]。1997年10月ごろに浮上した合併の話は双方の呼吸が合って急展開し、1998年3月27日の合同記者会見[88]で交渉入りが公表された。昭和海運は1997年3月期末に単体で285億円の累積損失を抱え[89]、1998年3月期は海外子会社の清算損などで261億円の当期損失を計上する見通しだった[90]。累積損失は546億円に膨らみ、単体で約95億円の債務超過[91]に陥ると見込まれた。

  • 週刊東洋経済 1998年4月11日号「[フラッシュ]日本郵船 昭和海運合併の舞台裏」
    • [86]1988年 昭和海運が定期コンテナ船部門から撤退し日本郵船へ事業譲渡
    • [87]日本船主協会の会長は日本郵船の河村健太郎、副会長は昭和海運の伏見清喜
    • [88]1997年10月ごろ合併話が浮上、1998年3月27日に合同記者会見
    • [89]昭和海運の1997年3月期末の単体累積損失 285億円
    • [90]昭和海運の1998年3月期は当期損失261億円の見通し
    • [91]累積損失546億円・単体で約95億円の債務超過の見込み

日本郵船が示した条件は、合併までに過去の傷を消して財務体質を健全にすること[92]だった。昭和海運は株式額面の超過部分を切り下げたうえで2株を1株にする減資を行い、銀行団へ230億円程度の債務免除を求めた[93]。メインバンクの富士銀行は5パーセント弱の大株主にすぎず助ける立場にはないと当初は応じなかった[94]が、安田火災などの大株主とともに1998年6月26日の株主総会の直前に5割減資と債務免除を受け入れる意向を固め[95]、交渉は軌道に乗った。1998年10月1日、日本郵船は昭和海運を吸収合併し、社船3隻・54万9031重量トンと傭船75隻・614万134重量トンを承継[96]している。三菱系の日本郵船が芙蓉系の海運会社を取り込み、富士銀行は債権放棄と引き換えにグループの海運会社を手放した[97]

  • 週刊東洋経済 1998年11月28日号「[特集]富士銀・芙蓉グループの危機 昭和海運 三菱系・日本郵船に吸収合併 銀行は債権放棄を「黙認」した"
    • [92]日本郵船の条件は合併までに財務体質を健全化すること
    • [94]富士銀行は5%弱の大株主にすぎず助ける立場にないと当初は回答
    • [95]1998年6月26日の株主総会直前に富士銀行・安田火災など大株主が5割減資と債務免除を受諾
    • [97]三菱系の日本郵船が芙蓉系の昭和海運を吸収し富士銀行は債権放棄
  • 週刊東洋経済 1998年4月11日号「[フラッシュ]日本郵船 昭和海運合併の舞台裏」
    • [93]昭和海運は額面超過部分の切り下げと2株を1株にする減資を実施、銀行団へ230億円程度の債務免除を要請
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [96]1998年10月1日 昭和海運を吸収合併、社船3隻54万9031重量トン・傭船75隻614万134重量トンを承継
  • 週刊東洋経済 1998年4月11日号「[フラッシュ]日本郵船 昭和海運合併の舞台裏」
    • [86]1988年 昭和海運が定期コンテナ船部門から撤退し日本郵船へ事業譲渡
    • [87]日本船主協会の会長は日本郵船の河村健太郎、副会長は昭和海運の伏見清喜
    • [88]1997年10月ごろ合併話が浮上、1998年3月27日に合同記者会見
    • [89]昭和海運の1997年3月期末の単体累積損失 285億円
    • [90]昭和海運の1998年3月期は当期損失261億円の見通し
    • [91]累積損失546億円・単体で約95億円の債務超過の見込み
    • [93]昭和海運は額面超過部分の切り下げと2株を1株にする減資を実施、銀行団へ230億円程度の債務免除を要請
  • 週刊東洋経済 1998年11月28日号「[特集]富士銀・芙蓉グループの危機 昭和海運 三菱系・日本郵船に吸収合併 銀行は債権放棄を「黙認」した"
    • [92]日本郵船の条件は合併までに財務体質を健全化すること
    • [94]富士銀行は5%弱の大株主にすぎず助ける立場にないと当初は回答
    • [95]1998年6月26日の株主総会直前に富士銀行・安田火災など大株主が5割減資と債務免除を受諾
    • [97]三菱系の日本郵船が芙蓉系の昭和海運を吸収し富士銀行は債権放棄
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [96]1998年10月1日 昭和海運を吸収合併、社船3隻54万9031重量トン・傭船75隻614万134重量トンを承継

1999年〜 総合物流路線とコンテナ船事業の切り離し

日本郵船の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2002年 セレス・ターミナルズを子会社化
  2. 2003年 中長期経営ビジョン「Forward 120」を策定
  3. 2003年 5年間で160隻の船隊整備計画を発表
  4. 2005年 日本貨物航空を子会社化
  5. 2009年 公募増資により1100億円を調達
  6. 2016年 邦船3社の定期コンテナ船事業統合(ONE設立) 赤字の主力をなぜ持ち寄り統合したか——世界大手に伍する規模を、3社はどう築こうとしたか
  7. 2017年 日本郵船・商船三井・川崎汽船によるコンテナ船事業統合とONE発足(2017年成立) なぜ宿命のライバル邦船3社は、中核のコンテナ船事業“だけ”を切り出して1社に束ねたのか?

総合物流路線と史上空前の船隊投資

2000年、草刈隆郎氏が社長に就任[98]した。2003年5月には創業120周年に向けた中長期経営ビジョン「Forward 120」を策定し[99]、コンテナ船・自動車専用船・物流部門を束ねる総合物流本部を立ち上げている。自動車輸送を軸に資材・部品の物流まで一元的に扱う体制は、当時の世界の海運界でも例がなかった[100]。2002年9月には米国のセレス・ターミナルズを買収してターミナル部門の取扱量を倍増させた[101]が、買収後もアムステルダムのターミナルには顧客が付かず、米国東海岸のターミナルも同社の東海岸航路が薄いために生かしきれなかった[102]。倍増させてもなお、取扱量は世界最大のコンテナ船会社マースクのターミナル部門の3分の1にとどまった[103]

  • 週刊東洋経済 2004年1月31日号「[ビジネスリポート:01]“覚悟”の全方位攻勢へ 社長交代と空前の大投資 日本郵船の“臨戦体制”」
    • [98]2000年 草刈隆郎が社長に就任
    • [99]2003年5月 中長期経営ビジョン「Forward 120」を策定し総合物流本部を設置
    • [100]自動車輸送を軸に資材・部品物流まで一元化する体制は世界の海運界でも初
    • [101]2002年9月 米セレス・ターミナルズを買収しターミナル取扱量が倍増
    • [102]買収後もアムステルダムのターミナルは顧客ゼロ、米東海岸も航路が薄く活用できず
    • [103]倍増後もマースクのターミナル部門の3分の1の規模

2003年12月、日本郵船は5年間で160隻・7700億円という同社史上空前の船隊整備計画を発表[104]した。ケープサイズのばら積み船を21隻建造して隻数を5割増やし、8100TEU型のコンテナ船8隻でコンテナ船腹も5割増やす[105]計画である。「コンテナ船は産業として成熟していない」として大型化に慎重だった草刈氏の方針転換[106]だった。同じ時期、川崎汽船は5500TEU型13隻を一度に発注して2002年に出そろい、コンテナ船腹で日本郵船に並んでいた[107]。商船三井もケープサイズの船隊を60隻から90隻へ拡大する方針を打ち出し、40隻の日本郵船[108]を引き離しつつあった。市況が崩れても財務体力で勝負できるという読み[109]が、この大投資を支えている。

  • 週刊東洋経済 2004年1月31日号「[ビジネスリポート:01]“覚悟”の全方位攻勢へ 社長交代と空前の大投資 日本郵船の“臨戦体制”」
    • [104]2003年12月 5年間160隻・7700億円の船隊整備計画を発表(同社史上空前)
    • [105]ケープサイズ21隻建造で隻数5割増、8100TEU型コンテナ船8隻で船腹5割増
    • [106]草刈隆郎の持論は「コンテナ船は産業として成熟していない」
    • [107]川崎汽船は5500TEU型13隻を一括発注し2002年に出そろいコンテナ船腹で日本郵船に並ぶ
    • [108]商船三井はケープサイズを60隻から90隻へ拡大、日本郵船は40隻
    • [109]市況が崩れても財務体力で勝負できるとの判断(広義有利子負債倍率 郵船2.7倍・商船三井4.7倍・川崎汽船3.8倍)

2005年8月、日本郵船は日本貨物航空を連結子会社化[110]した。同社は1985年の初便就航後も収益が低迷し、商船三井と川崎汽船は深入りを避けていた[111]。増資に応じた日本郵船と全日本空輸が共同の親会社のような形になったところで、宮原耕治社長が全日本空輸と交渉して子会社化を実現している[112]。日本貨物航空の経常損益は2005年度が104億円、2006年度が181億円の赤字で、2007年度も期初の155億円の赤字見通しから190億円の赤字へ下方修正された[113]。2006年には陸運のヤマトホールディングスと資本・業務提携を結び、国内の陸上網[114]も加えた。海・陸・空の3つの輸送手段を持つ物流業者[115]は、世界にもほとんど例がない。2013年10月には郵船航空サービスが郵船ロジスティクスへ商号を変え[116]、2018年2月には株式公開買付けと株式売渡請求によって完全子会社[117]となった。

  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [110]2005年 日本貨物航空を連結子会社化
    • [116]2013年 郵船航空サービスが郵船ロジスティクスへ商号変更
    • [117]2018年2月 株式公開買付けと株式売渡請求により郵船ロジスティクスを完全子会社化
  • 週刊東洋経済 2007年8月25日号「活況を謳歌する海運トップ 飛行機に「本業」並みの大投資 日本郵船の脱・一本足打法」
    • [111]日本貨物航空は1985年の初便就航後も収益が低迷し商船三井・川崎汽船は深入りを回避
    • [112]宮原耕治社長が全日本空輸と交渉して日本貨物航空を子会社化
    • [113]日本貨物航空の経常損益は2005年度104億円・2006年度181億円の赤字、2007年度は155億円の赤字見通しから190億円へ下方修正
    • [114]2006年 ヤマトホールディングスと資本・業務提携し国内陸運網を確保
    • [115]海・陸・空の3モードを持つ物流業者は世界にほとんど例がない
  • 週刊東洋経済 2004年1月31日号「[ビジネスリポート:01]“覚悟”の全方位攻勢へ 社長交代と空前の大投資 日本郵船の“臨戦体制”」
    • [98]2000年 草刈隆郎が社長に就任
    • [99]2003年5月 中長期経営ビジョン「Forward 120」を策定し総合物流本部を設置
    • [100]自動車輸送を軸に資材・部品物流まで一元化する体制は世界の海運界でも初
    • [101]2002年9月 米セレス・ターミナルズを買収しターミナル取扱量が倍増
    • [102]買収後もアムステルダムのターミナルは顧客ゼロ、米東海岸も航路が薄く活用できず
    • [103]倍増後もマースクのターミナル部門の3分の1の規模
    • [104]2003年12月 5年間160隻・7700億円の船隊整備計画を発表(同社史上空前)
    • [105]ケープサイズ21隻建造で隻数5割増、8100TEU型コンテナ船8隻で船腹5割増
    • [106]草刈隆郎の持論は「コンテナ船は産業として成熟していない」
    • [107]川崎汽船は5500TEU型13隻を一括発注し2002年に出そろいコンテナ船腹で日本郵船に並ぶ
    • [108]商船三井はケープサイズを60隻から90隻へ拡大、日本郵船は40隻
    • [109]市況が崩れても財務体力で勝負できるとの判断(広義有利子負債倍率 郵船2.7倍・商船三井4.7倍・川崎汽船3.8倍)
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [110]2005年 日本貨物航空を連結子会社化
    • [116]2013年 郵船航空サービスが郵船ロジスティクスへ商号変更
    • [117]2018年2月 株式公開買付けと株式売渡請求により郵船ロジスティクスを完全子会社化
  • 週刊東洋経済 2007年8月25日号「活況を謳歌する海運トップ 飛行機に「本業」並みの大投資 日本郵船の脱・一本足打法」
    • [111]日本貨物航空は1985年の初便就航後も収益が低迷し商船三井・川崎汽船は深入りを回避
    • [112]宮原耕治社長が全日本空輸と交渉して日本貨物航空を子会社化
    • [113]日本貨物航空の経常損益は2005年度104億円・2006年度181億円の赤字、2007年度は155億円の赤字見通しから190億円へ下方修正
    • [114]2006年 ヤマトホールディングスと資本・業務提携し国内陸運網を確保
    • [115]海・陸・空の3モードを持つ物流業者は世界にほとんど例がない

リーマン後の不況とコンテナ船事業の切り離し

2010年3月期、日本郵船は経常損失360億円を計上[118]した。34年ぶりの赤字転落であり、定期船部門だけで580億円の部門赤字を出している[119]。2009年12月には、コンテナ船の赤字が長引く場合に備えて[120]40年ぶりとなる1100億円の公募増資[121]を実施した。有利子負債は1兆円を超え、有利子負債を株主持分で割ったD/Eレシオは警戒水域とされる2倍[122]を上回った。同じ指標でかつては商船三井を上回っていたが、3年前に逆転されている[123]。荷動きが回復して運賃が採算水準を超えたのは欧州航路にとどまり、北米航路は赤字運賃[124]が続いた。赤字はさらに広がり、2012年3月期には親会社株主に帰属する当期純損失728億円[125]を計上している。

  • 週刊東洋経済 2010年5月1日号「商船三井に利益で惨敗。財務・時価総額でも逆転喫す 0勝7敗の日本郵船 それでも愚直に総合路線」
    • [118]2010年3月期 経常損失360億円(34年ぶりの赤字転落)
    • [119]2010年3月期の定期船部門の部門赤字 580億円
    • [120]2009年12月 40年ぶりの1100億円の公募増資
    • [121]2009年12月 1100億円の公募増資(40年ぶり)
    • [122]有利子負債1兆円超・D/Eレシオ2倍超、3年前に商船三井へ逆転
    • [123]D/Eレシオで3年前に商船三井へ逆転された
    • [124]2010年春時点で採算水準を超えたのは欧州航路のみ、北米航路は赤字運賃
  • 日本郵船 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [125]2012年3月期 親会社株主に帰属する当期純損失728億円

収益力の差は商船三井との比較で際立ち、2004年3月期から2010年3月期まで経常利益で7期連続して商船三井に及ばなかった[126]。過去10年の経常利益の合計差は、4年で3200億円強[127]に広がっている。商船三井が中国の資源需要を先読みしてケープサイズを安い船価で大量発注した2002年から2003年ごろ、日本郵船は発注を止めて[128]いた。長期契約の比率を9割まで高める方針も、市況が高騰する場面では利益の伸び[129]を抑えた。2009年秋には実質保有を含むコンテナ船を60隻へ半減させるライトアセット化の方針を打ち出し[130]、船隊と非船舶運航業者の組み合わせで市況変動を打ち消す道を選んでいる。

  • 週刊東洋経済 2010年5月1日号「商船三井に利益で惨敗。財務・時価総額でも逆転喫す 0勝7敗の日本郵船 それでも愚直に総合路線」
    • [126]2004年3月期〜2010年3月期に経常利益で商船三井へ7期連続の劣後
    • [127]過去10年の経常利益合計の差が4年で3200億円強へ拡大
    • [128]商船三井がケープサイズを大量発注した2002〜2003年ごろ日本郵船は発注を凍結
    • [129]長期契約比率9割の方針が市況高騰時の利益の伸びを抑制
    • [130]2009年秋 ライトアセット化でコンテナ船を60隻へ半減する方針

コンテナ船は運賃以外の差別化が難しく、2008年のリーマン・ショック後の供給過剰で運賃が下落[131]した。主要船社は2000年代の17社が2018年には9社へ集約され、邦船3社のシェアは各社2〜3パーセント[132]にすぎなかった。2016年8月末に韓進海運が破綻すると[133]、その約2カ月後の10月31日、日本郵船・商船三井・川崎汽船は定期コンテナ船事業と海外ターミナル事業の統合を発表して契約を締結した[134]。出資比率は事業規模と収益性を勘案して日本郵船38パーセント・商船三井31パーセント・川崎汽船31パーセントとし、出資額は約3000億円である[135]。統合後の規模は約140万TEU・世界シェア約7パーセントで6位に相当[136]した。2017年3月期、日本郵船はコンテナ船・ドライバルク船・貨物航空機の減損などで特別損失約1950億円を計上し、親会社株主に帰属する当期純損失は2657億円となった[137]

  • 週刊東洋経済 2020年2月22日号「合従連衡が一気に進展 群雄割拠から『天下三分』へ コンテナ船業界の戦国史」
    • [131]コンテナ船は運賃以外の差別化が難しくリーマン後の供給過剰で運賃が下落
    • [132]主要船社は2000年代の17社が2018年に9社へ集約、邦船3社のシェアは各2〜3%
  • 国土交通省 海事局 資料「海運大手3社のコンテナ船事業統合について」(2016年10月31日付)
    • [133]2016年8月末 韓進海運が経営破綻(東西基幹航路のアライアンス船社の破綻は史上初)
    • [134]2016年10月31日 邦船3社が定期コンテナ船事業と海外ターミナル事業の統合を発表し契約を締結
    • [135]出資比率 日本郵船38%・商船三井31%・川崎汽船31%、出資額 約3000億円
    • [136]統合後の事業規模 約140万TEU・世界シェア約7%で6位
  • 日本郵船 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [137]2017年3月期 特別損失約1950億円・親会社株主に帰属する当期純損失2657億円
  • 週刊東洋経済 2010年5月1日号「商船三井に利益で惨敗。財務・時価総額でも逆転喫す 0勝7敗の日本郵船 それでも愚直に総合路線」
    • [118]2010年3月期 経常損失360億円(34年ぶりの赤字転落)
    • [119]2010年3月期の定期船部門の部門赤字 580億円
    • [120]2009年12月 40年ぶりの1100億円の公募増資
    • [121]2009年12月 1100億円の公募増資(40年ぶり)
    • [122]有利子負債1兆円超・D/Eレシオ2倍超、3年前に商船三井へ逆転
    • [123]D/Eレシオで3年前に商船三井へ逆転された
    • [124]2010年春時点で採算水準を超えたのは欧州航路のみ、北米航路は赤字運賃
    • [126]2004年3月期〜2010年3月期に経常利益で商船三井へ7期連続の劣後
    • [127]過去10年の経常利益合計の差が4年で3200億円強へ拡大
    • [128]商船三井がケープサイズを大量発注した2002〜2003年ごろ日本郵船は発注を凍結
    • [129]長期契約比率9割の方針が市況高騰時の利益の伸びを抑制
    • [130]2009年秋 ライトアセット化でコンテナ船を60隻へ半減する方針
  • 日本郵船 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [125]2012年3月期 親会社株主に帰属する当期純損失728億円
    • [137]2017年3月期 特別損失約1950億円・親会社株主に帰属する当期純損失2657億円
  • 週刊東洋経済 2020年2月22日号「合従連衡が一気に進展 群雄割拠から『天下三分』へ コンテナ船業界の戦国史」
    • [131]コンテナ船は運賃以外の差別化が難しくリーマン後の供給過剰で運賃が下落
    • [132]主要船社は2000年代の17社が2018年に9社へ集約、邦船3社のシェアは各2〜3%
  • 国土交通省 海事局 資料「海運大手3社のコンテナ船事業統合について」(2016年10月31日付)
    • [133]2016年8月末 韓進海運が経営破綻(東西基幹航路のアライアンス船社の破綻は史上初)
    • [134]2016年10月31日 邦船3社が定期コンテナ船事業と海外ターミナル事業の統合を発表し契約を締結
    • [135]出資比率 日本郵船38%・商船三井31%・川崎汽船31%、出資額 約3000億円
    • [136]統合後の事業規模 約140万TEU・世界シェア約7%で6位

超過利益の株主還元と脱炭素への大型投資

当初2017年7月1日を予定した新会社の設立は、南アフリカの競争当局の審査で後ろ倒しとなった[138]。持株会社を東京、事業運営会社をシンガポールに置くオーシャン ネットワーク エクスプレス(ONE)が同年7月に発足し、最高経営責任者にはジェレミー・ニクソン氏[139]が就いている。統合を主導した内藤忠顕社長は、新会社が将来は親会社をしのぐ存在になってほしいと述べた[140]。2018年4月に始めたサービスは統合直後の混乱で積み荷が想定を下回り、2019年3月期に6億ドル規模の赤字[141]を見込んだ。日本郵船自身も2019年3月期に経常損失20億円を計上[142]している。

  • 日本経済新聞 2017年7月1日「海運3社、コンテナ船統合の新会社設立を延期」
    • [138]2017年7月1日予定の新会社設立が南アフリカ競争当局の審査で延期
  • 商船三井株式会社 ニュースリリース(2017年7月7日)「定期コンテナ船事業統合の新会社設立に関するお知らせ」
    • [139]持株会社は東京、事業運営会社はシンガポール、CEOはジェレミー・ニクソン
  • 日本経済新聞 2017年7月10日「コンテナ船3社統合『親会社しのぐ存在に』 ONE発足」
    • [140]内藤忠顕社長「将来は親会社をしのぐようになってほしい」
  • 日本経済新聞 2018年10月16日「海運3社、コンテナ船統合会社の業績下振れで損失 サービス混乱」
    • [141]2018年4月のサービス開始直後の混乱で積み荷が想定を下回り、2019年3月期に6億ドル規模の赤字見込み
  • 日本郵船 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [142]2019年3月期 連結経常損失20億円

2020年後半からのコロナ禍で物流が滞り、欧米の巣ごもり需要が重なって運賃が高騰[143]した。日本郵船の連結経常利益は2022年3月期に1兆31億円、純利益は1兆91億円に達し[144]、日本の海運業界で初めて経常利益が1兆円を超えた。2023年3月期も経常利益1兆1097億円・純利益1兆125億円と、2期連続で1兆円[145]を上回っている。オーシャン ネットワーク エクスプレスの2023年3月期の税引き利益は149億ドルで2021年3月期の4.3倍に達し[146]、3社は同期に合計約19億8700万ドル・約2770億円の配当を受け取った。うち日本郵船の取り分は7億5500万ドルである。 [147]

  • 日本経済新聞 2023年6月9日「日本郵船・商船三井・川崎汽船、ONEから配当収入2770億円」
    • [143]コロナ禍の物流停滞と欧米の巣ごもり需要でコンテナ運賃が高騰
    • [146]ONEの2023年3月期の税引き利益149億ドル(2021年3月期の4.3倍)
    • [147]2023年3月期にONEから3社へ合計約19億8700万ドル(約2770億円)を配当、日本郵船分は7億5500万ドル
  • 日本郵船 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [144]2022年3月期 連結経常利益1兆31億円・純利益1兆91億円(海運業界で初の経常利益1兆円超)
    • [145]2023年3月期 連結経常利益1兆1097億円・純利益1兆125億円

2023年4月、曽我貴也氏が社長に就任し[148]、ESG経営を掲げた前任の長澤仁志氏から路線を引き継いだ[149]。同年3月に発表した中期経営計画では、2023年度から2026年度の4年間で1兆2000億円を投じる方針を掲げ、LNG輸送船に3000億円、LNG燃料船などへの燃料転換に2900億円を配分している[150]。株主還元では配当性向の目安を25パーセントから30パーセントへ引き上げ、2000億円規模の自己株式取得も打ち出した[151]。2050年の温室効果ガス排出ネットゼロへ向けてアンモニア燃料の実用化を進め、2023年4月にはIHI原動機などと内航船向けエンジンで混焼率80パーセントの安定燃焼に成功している[152]。コンテナ船運賃の正常化で2024年3月期の経常利益は2613億円まで縮み[153]、2025年1月にはENEOSオーシャンの海運事業を承継する新会社NYK Energy Oceanの株式80パーセントを取得した[154]

    • [148]2023年4月 曽我貴也が社長に就任
  • 週刊東洋経済 2023年8月5日号「トップに直撃 日本郵船 社長 曽我貴也「アンモニア燃料の実用化へ オールジャパンの力を結集」」
    • [149]前任の長澤仁志はESG経営を打ち出し、曽我貴也へ交代
    • [150]2023〜2026年度の4年間で1兆2000億円を投資、LNG輸送船3000億円・燃料転換2900億円
    • [151]配当性向の目安を25%から30%へ引き上げ、2000億円規模の自己株式取得
    • [152]2023年4月 IHI原動機などと内航船向けエンジンで混焼率80%の燃料アンモニア安定燃焼に成功(2050年ネットゼロ目標)
  • 日本郵船 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [153]2024年3月期 連結経常利益2613億円
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [154]2025年1月 ENEOSオーシャンの海運事業を承継する新会社NYK Energy Oceanの株式80%を取得
  • 日本経済新聞 2017年7月1日「海運3社、コンテナ船統合の新会社設立を延期」
    • [138]2017年7月1日予定の新会社設立が南アフリカ競争当局の審査で延期
  • 商船三井株式会社 ニュースリリース(2017年7月7日)「定期コンテナ船事業統合の新会社設立に関するお知らせ」
    • [139]持株会社は東京、事業運営会社はシンガポール、CEOはジェレミー・ニクソン
  • 日本経済新聞 2017年7月10日「コンテナ船3社統合『親会社しのぐ存在に』 ONE発足」
    • [140]内藤忠顕社長「将来は親会社をしのぐようになってほしい」
  • 日本経済新聞 2018年10月16日「海運3社、コンテナ船統合会社の業績下振れで損失 サービス混乱」
    • [141]2018年4月のサービス開始直後の混乱で積み荷が想定を下回り、2019年3月期に6億ドル規模の赤字見込み
  • 日本郵船 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [142]2019年3月期 連結経常損失20億円
    • [144]2022年3月期 連結経常利益1兆31億円・純利益1兆91億円(海運業界で初の経常利益1兆円超)
    • [145]2023年3月期 連結経常利益1兆1097億円・純利益1兆125億円
    • [153]2024年3月期 連結経常利益2613億円
  • 日本経済新聞 2023年6月9日「日本郵船・商船三井・川崎汽船、ONEから配当収入2770億円」
    • [143]コロナ禍の物流停滞と欧米の巣ごもり需要でコンテナ運賃が高騰
    • [146]ONEの2023年3月期の税引き利益149億ドル(2021年3月期の4.3倍)
    • [147]2023年3月期にONEから3社へ合計約19億8700万ドル(約2770億円)を配当、日本郵船分は7億5500万ドル
    • [148]2023年4月 曽我貴也が社長に就任
  • 週刊東洋経済 2023年8月5日号「トップに直撃 日本郵船 社長 曽我貴也「アンモニア燃料の実用化へ オールジャパンの力を結集」」
    • [149]前任の長澤仁志はESG経営を打ち出し、曽我貴也へ交代
    • [150]2023〜2026年度の4年間で1兆2000億円を投資、LNG輸送船3000億円・燃料転換2900億円
    • [151]配当性向の目安を25%から30%へ引き上げ、2000億円規模の自己株式取得
    • [152]2023年4月 IHI原動機などと内航船向けエンジンで混焼率80%の燃料アンモニア安定燃焼に成功(2050年ネットゼロ目標)
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
    • [154]2025年1月 ENEOSオーシャンの海運事業を承継する新会社NYK Energy Oceanの株式80%を取得

日本郵船の沿革1885〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の合併により発足★★★
ボンベイ航路を開設★★
欧州航路・北米シアトル航路を開設★★
豪州航路を開設
パナマ経由の東航ニューヨーク航路を開設
近海郵船を設立
第二東洋汽船を合併★★
近海郵船を合併
戦時海運管理令の施行により船舶が国家管理下に移行★★
終戦時の所有船舶が37隻まで減少★★
浅尾新甫東京・大阪・名古屋の各証券取引所に上場
浅尾新甫海運の民営還元により自主運航へ復帰★★
児玉忠康世界初の大型LPG専用船が竣工
児玉忠康日本郵船・大阪商船三井船舶・川崎汽船ほか海運6グループへの集約(1964年成立)海運二法による戦後最大の業界再編は、なぜ国策として95社を6中核体に束ねたのか。 詳細を読む★★★
児玉忠康世界初のチップ専用船「呉丸」が竣工
有吉義弥13年ぶりに復配★★
有吉義弥日本初のフルコンテナ船「箱根丸」が北米航路に就航★★★
有吉義弥近海・内航部門を近海郵船へ委譲★★
有吉義弥自動車専用船による輸送を開始
菊地庄次郎欧州航路でコンテナサービスを開始
菊地庄次郎フランクフルト証券取引所に上場
菊地庄次郎自営の大井コンテナターミナルを開業
小野晋日本貨物航空を設立★★
小野晋LNG船事業に参入★★
根本二郎郵船クルーズを設立
根本二郎日本ライナーシステムを合併★★
根本二郎日本籍船初のダブルハルタンカーが竣工
河村健太郎グランドアライアンスによるコンテナ船サービスを開始★★
河村健太郎タンカー「ダイヤモンドグレース」の原油流出事故★★
河村健太郎船員の外国人比率が9割に到達★★
河村健太郎昭和海運を吸収合併★★★
草刈隆郎草刈隆郎氏が社長に就任
草刈隆郎セレス・ターミナルズを子会社化★★
草刈隆郎中長期経営ビジョン「Forward 120」を策定★★
草刈隆郎5年間で160隻の船隊整備計画を発表★★
宮原耕治日本貨物航空を子会社化★★
宮原耕治ヤマトHDと資本業務提携
工藤泰三公募増資により1100億円を調達★★
工藤泰三経常損失360億円を計上★★
工藤泰三親会社株主に帰属する当期純損失728億円を計上
工藤泰三郵船航空サービスが郵船ロジスティクスに商号変更
内藤忠顕邦船3社の定期コンテナ船事業統合(ONE設立)赤字の主力をなぜ持ち寄り統合したか——世界大手に伍する規模を、3社はどう築こうとしたか 詳細を読む★★★
内藤忠顕親会社株主に帰属する当期純損失2657億円を計上
内藤忠顕日本郵船・商船三井・川崎汽船によるコンテナ船事業統合とONE発足(2017年成立)なぜ宿命のライバル邦船3社は、中核のコンテナ船事業“だけ”を切り出して1社に束ねたのか? 詳細を読む★★★
内藤忠顕郵船ロジスティクスを完全子会社化
内藤忠顕Ocean Network Express がサービスを開始★★
長澤仁志2050年の温室効果ガス排出ネットゼロを宣言★★
長澤仁志経常利益1兆31億円・純利益1兆91億円を計上★★
曽我貴也中期経営計画で4年間1兆2000億円の投資を決定★★
曽我貴也曽我貴也氏が社長に就任
曽我貴也世界初のアンモニア燃料商用船「魁」が竣工★★
曽我貴也経常利益2613億円に縮小
曽我貴也NYK Energy Ocean の株式80%を取得★★
出典・参考
  • 週刊東洋経済 2021年6月26日号「経済学者が読み解く現代社会のリアル 第120回 渋沢栄一、三菱に挑む 日本郵船誕生前夜の教訓」
  • 日本郵船 有価証券報告書【沿革】
  • 日本郵船歴史博物館(公式)
  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第四編「補助命令」
  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第二編第三章「日露戰爭時に於ける當社の業績と戰後の發展」・第五章「世界大戰時に於ける社業の大躍進」
  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第二編第七章「關東大震災及び濟南・上海兩事變に際し當社船の活動」
  • 日本郵船株式会社五十年史(日本郵船、1935年)第二編第八章「太平洋橫斷航路の擴充」・第十一章「當社關係の海運同盟・貨客連絡運送契約・其他の協定」
  • 証券アナリストジャーナル 第3巻第6号(1965年6月)「再編成後の海運界と日本郵船」
  • 日本郵船歴史博物館 航跡「海運集約」(日本郵船公式)
  • 国土交通省 運輸白書 昭和44年版「第3節 海運業の再建整備」
  • 商船三井 公式サイト「歴史」(企業情報)
  • 川崎汽船 公式サイト「会社沿革」(企業情報)
  • NSユナイテッド海運 公式サイト「沿革」(企業情報)
  • 週刊東洋経済 2007年8月25日号「活況を謳歌する海運トップ 飛行機に「本業」並みの大投資 日本郵船の脱・一本足打法」
  • 週刊東洋経済 1998年1月10日号「[編集長インタビュー]河村健太郎 日本郵船社長 国境を越えた企業連合で体制固め」
  • 週刊東洋経済 1998年4月11日号「[フラッシュ]日本郵船 昭和海運合併の舞台裏」
  • 週刊東洋経済 1998年11月28日号「[特集]富士銀・芙蓉グループの危機 昭和海運 三菱系・日本郵船に吸収合併 銀行は債権放棄を「黙認」した"
  • 週刊東洋経済 2004年1月31日号「[ビジネスリポート:01]“覚悟”の全方位攻勢へ 社長交代と空前の大投資 日本郵船の“臨戦体制”」
  • 週刊東洋経済 2010年5月1日号「商船三井に利益で惨敗。財務・時価総額でも逆転喫す 0勝7敗の日本郵船 それでも愚直に総合路線」
  • 日本郵船 有価証券報告書(連結財務諸表)
  • 週刊東洋経済 2020年2月22日号「合従連衡が一気に進展 群雄割拠から『天下三分』へ コンテナ船業界の戦国史」
  • 国土交通省 海事局 資料「海運大手3社のコンテナ船事業統合について」(2016年10月31日付)
  • 日本経済新聞 2017年7月1日「海運3社、コンテナ船統合の新会社設立を延期」
  • 商船三井株式会社 ニュースリリース(2017年7月7日)「定期コンテナ船事業統合の新会社設立に関するお知らせ」
  • 日本経済新聞 2017年7月10日「コンテナ船3社統合『親会社しのぐ存在に』 ONE発足」
  • 日本経済新聞 2018年10月16日「海運3社、コンテナ船統合会社の業績下振れで損失 サービス混乱」
  • 日本経済新聞 2023年6月9日「日本郵船・商船三井・川崎汽船、ONEから配当収入2770億円」
  • 日本郵船「社長就任あいさつ」(公式サイト, 2023年4月3日)
  • 週刊東洋経済 2023年8月5日号「トップに直撃 日本郵船 社長 曽我貴也「アンモニア燃料の実用化へ オールジャパンの力を結集」」

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