ライフコーポレーション の歴史

更新:

1956年、清水信次氏が大阪市で清水實業を創業し、1961年の豊中店でスーパーへ。1988年の実弟・清水三夫社長の解任、三菱商事出身の岩崎高治氏の招聘までの沿革と経緯を執筆。

創業

1956年

創業者

清水信次

創業地

大阪市

直近売上高(2026/2)

8,486億円

長期業績と転換点(1997/2〜2026/2)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1970〜80年代、総合スーパーが間口を広げるなかでライフは食品中心の中型店に絞ったのか
A 衣料や住居関連まで間口を広げる総合スーパーは広い売場と多額の在庫を抱える一方、食品と日用必需品は景気に左右されにくく来店頻度も高いため、品揃えを絞れば一店あたりの投資を抑えつつ反復需要を取り込めた。清水信次氏は欧米視察で見たセルフサービス方式を1961年に大阪府豊中市のライフ豊中店へ持ち帰り、売場面積2,500平方メートル前後の中型店という型を定めた。総合スーパーが衣料・住居へ広げた1970〜80年代にあって、ライフは食品スーパーとして規模を絞ったまま、人口の厚い関西と関東の二大都市圏に集中して出店する方針を固めた
Q なぜ1988年に清水信次氏は実弟の三夫社長を解任し、後継を血縁に求めなかったのか
A 弟・清水三夫社長は銀行融資を元手にした株式運用で小売では稼げない利益を狙い、社長が日々の1円2円の利益に関心を失うほど店舗運営は荒れていた。闇市で食料を売り家族を養った清水信次氏は、額に汗して稼ぐ商売こそ本業だと考え、本業を傷める財テクを株価が上り坂の段階で断つべく1988年3月に弟を解任して会長兼社長に復帰した。事業の継続を血縁の権利より優先する考えはここで定まり、清水氏は後継を一族に求めず、1994年にロンドンで見込んだ三菱商事の岩崎高治氏を迎えて育て、2006年に社長を譲った
Q なぜ2020年代にライフは仕入れの上流である集荷・仲卸まで資本で取り込む垂直統合に動いたのか
A 価格と立地で同質化しやすい食品スーパーで価格競争を避けるには、他社が共通の卸から仕入れる商品では差がつかず、自社しか扱えない品を抱えるほかなかった。2016年に始めた有機・自然派業態ビオラルの有機農産物売上高は2020年2月期の約3億円から2025年2月期の約30億円へ5年で10倍に伸び、独自カテゴリーの需要が裏づけられた。そこで岩崎高治社長は2026年4月、有機野菜を集荷するワールドデリカへ66.7%を出資して子会社化し、水産物仲卸の亀吉商店とも資本提携を結び、PB「BIO-RAL」を支える調達網を上流まで自社の傘下に取り込んだ

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1956年〜 闇市の食料品商から関西発スーパーマーケットへ

ライフコーポレーションの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1956年 清水實業を設立
  2. 1961年 豊中店を開設しスーパーマーケット形式による営業を開始
  3. 1963年 第2号店・塚本店を開設しチェーンストア志向を明確化
  4. 1971年 首都圏1号店として板橋店を開設
  5. 1973年 商号をライフに変更
  6. 1978年 本店所在地を移転
  7. 1978年 清水實業を吸収合併し商号をライフに変更

バナナ輸入商が大阪・豊中で食品スーパーを開いた1961年

清水信次氏・清水三夫氏兄弟の家業は1910年、父の清水茂が三重県津市でタオル等の製造・卸業を興したことに始まる。[1]大正から昭和にかけて幾度か業容を転じ、1935年ごろには大阪・天満に移って食料品中心の卸小売業となった。[2]戦後はいち早く食品問屋として再出発し、大阪中央市場が再開されると同時[3]に食品関係の仲卸商として同市場に進出した。1956年10月、創業者の清水信次[4]は東京都中央区日本橋本町に清水實業株式会社を設立し、パイナップル缶詰やバナナの輸入と国内販売を主業として事業を開始した[5]

    • [1]清水信次氏・清水三夫氏兄弟の家業は明治43年(1910年)に父・清水茂が三重県津市でタオル等の製造・卸業を興したことに始まる
    • [2]昭和10年(1935年)ごろ大阪・天満で食料品中心の卸小売業に転じた
    • [3]戦後いち早く食品問屋として再出発し、大阪中央市場の再開と同時に仲卸商として進出した
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [4]創業者の氏名は清水信次
    • [5]1956年10月 清水信次氏が東京都中央区日本橋本町に清水實業株式会社を設立(パイン缶詰・バナナ等の輸入と国内販売を主業に開始)

清水氏は1926年に三重県津市の生まれで[6]、戦前から大阪で乾物・缶詰店を営む家に育ち、終戦後は闇市での物資売買で復員後の資金を作った経歴をもつ。資本金500万円の小規模な貿易商社[7]として出発したライフの前身企業は、戦後の食料品流通の隙間を埋める輸入卸の延長線上で創業された。この清水實業こそ現在のライフストアの前身にあたり、食品卸売業[8]に加えてフルーツを主とする貿易輸入業務も手がけた。1957年に中内功氏が大阪でダイエーの前身となる主婦の店ダイエーを開き、1958年にジャスコ前身の岡田屋・フタギ・シロが全国展開に動いた前後でもあり、戦後の食料品商から後のスーパーマーケット業界を作る世代の一角を清水氏も占めた。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [6]清水信次氏は1926年に三重県津市の生まれ
    • [7]創業時の資本金は500万円
    • [8]1956年設立の清水實業は現在のライフストアの前身にあたり、食品卸売業に加えてフルーツ輸入貿易業務も手がけた

その清水實業がスーパーマーケット業態に踏み込んだのは、創業から5年後の1961年11月だった。実弟の清水三夫氏は前年の1960年に欧米視察団に加わり45日間、欧米のスーパーマーケット機構を調査し、近代化した販売方式の導入を痛感したという。[9]この視察をふまえ、清水氏は欧米視察で見たセルフサービス方式の食品店を念頭に、大阪府豊中市に「ライフ豊中店」を開店し、輸入卸からチェーンストアへの転換を始めた。[10]1963年11月には大阪市西淀川区に第2号の塚本店を出し[11]、同じ建物にライフ本部を設置してチェーン展開の体制を整えた。輸入卸として10年弱で蓄積した仕入れ網を生かし、生鮮食品と加工食品をワンストップで揃える業態として大阪府・兵庫県を中心に店舗を増やした[12]。バナナ輸入の利益を元手に10年がかりで10店舗まで増やしてから出店を加速する慎重な歩みで、初期の財務リスクは抑え込まれた。

    • [9]実弟の清水三夫氏は1960年(昭和35年)に欧米視察団に加わり45日間、欧米の小売機構・スーパーマーケット機構を調査した
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1961年11月 大阪府豊中市にライフ豊中店を開店しスーパーマーケット業態へ転換
    • [11]1963年11月 大阪市西淀川区に第2号の塚本店を開設しライフ本部を設置
    • [12]大阪府・兵庫県を中心に店舗網を拡大(チェーンストア展開)
    • [1]清水信次氏・清水三夫氏兄弟の家業は明治43年(1910年)に父・清水茂が三重県津市でタオル等の製造・卸業を興したことに始まる
    • [2]昭和10年(1935年)ごろ大阪・天満で食料品中心の卸小売業に転じた
    • [3]戦後いち早く食品問屋として再出発し、大阪中央市場の再開と同時に仲卸商として進出した
    • [8]1956年設立の清水實業は現在のライフストアの前身にあたり、食品卸売業に加えてフルーツ輸入貿易業務も手がけた
    • [9]実弟の清水三夫氏は1960年(昭和35年)に欧米視察団に加わり45日間、欧米の小売機構・スーパーマーケット機構を調査した
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [4]創業者の氏名は清水信次
    • [5]1956年10月 清水信次氏が東京都中央区日本橋本町に清水實業株式会社を設立(パイン缶詰・バナナ等の輸入と国内販売を主業に開始)
    • [6]清水信次氏は1926年に三重県津市の生まれ
    • [7]創業時の資本金は500万円
    • [10]1961年11月 大阪府豊中市にライフ豊中店を開店しスーパーマーケット業態へ転換
    • [11]1963年11月 大阪市西淀川区に第2号の塚本店を開設しライフ本部を設置
    • [12]大阪府・兵庫県を中心に店舗網を拡大(チェーンストア展開)

関西から首都圏へ、板橋店出店で東西二大都市圏体制

1971年10月、ライフは東京都板橋区に板橋店を開設し、首都圏への進出を始めた[13]。同時に東京本部を設置して、大阪本部と東京本部の二拠点体制[14]を敷いた。出店から10年で関西の枠を越え、関東地盤の同業他社と直接競合する位置に立った。関西発祥のチェーンが首都圏に拠点を構える事例は、当時の食品スーパー業界ではまだ限定的だった。食品卸売業・貿易・スーパーの3本柱だったが、47年(1972年)[15]の堺市初出店を機にスーパー部門中心へ転換した。1973年5月には商号を株式会社ライフに変更し[16]、輸入卸の名残を残す「清水實業」の屋号を社名から外した。この商号変更にあわせて資本金を2億円に増資した[17]。1978年12月には本店所在地を東京都板橋区仲宿に移転し[18]、清水實業を吸収合併する形でライフへの統合を済ませた。輸入商から始まった会社が、関西と関東を同時に押さえる中堅スーパーチェーンへ拡張した1970年代の歩みである。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1971年10月 東京都板橋区に板橋店を開設し首都圏へ進出、同時に東京本部を設置
    • [14]板橋店開設と同時に東京本部を設置し、大阪本部・東京本部の二拠点体制を敷いた
    • [16]1973年5月 清水實業株式会社から株式会社ライフへ商号変更
    • [18]1978年12月 本店を東京都板橋区仲宿に移転、清水實業を吸収合併
    • [15]昭和47年(1972年)大阪府堺市に初の大型店を開設した
    • [17]1973年の商号変更にあわせて資本金を2億円に増資した

商号変遷は1981年3月に「株式会社ライフストア」へ[19]、1991年5月にさらに「株式会社ライフコーポレーション」[20]へと続いた。1981年4月には本店所在地を東京都中央区日本橋本町[21]に戻し、創業時の所在地に近い場所で東西をまたぐ持株会社的な体制を整えた。食品+生活必需衣料・雑貨に品揃えを絞り込み、売場面積2,500平方メートル前後の中型店を二大都市圏に集中して出す方針は、この時期に固まった。総合スーパーが衣料品や住居関連まで広げる方向に進んだ1970〜80年代の流通業界のなかで、ライフは食品スーパーとして規模を絞ったまま広域展開を選んだ。創業者の清水氏が決めたこの業態選択は、後の業界再編期にも変わらないライフの基本姿勢として残った。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1981年3月 株式会社ライフから株式会社ライフストアへ商号変更
    • [20]1991年5月 株式会社ライフコーポレーションへ商号変更
    • [21]1981年4月 本店所在地を東京都中央区日本橋本町へ移転
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1971年10月 東京都板橋区に板橋店を開設し首都圏へ進出、同時に東京本部を設置
    • [14]板橋店開設と同時に東京本部を設置し、大阪本部・東京本部の二拠点体制を敷いた
    • [16]1973年5月 清水實業株式会社から株式会社ライフへ商号変更
    • [18]1978年12月 本店を東京都板橋区仲宿に移転、清水實業を吸収合併
    • [19]1981年3月 株式会社ライフから株式会社ライフストアへ商号変更
    • [20]1991年5月 株式会社ライフコーポレーションへ商号変更
    • [21]1981年4月 本店所在地を東京都中央区日本橋本町へ移転
    • [15]昭和47年(1972年)大阪府堺市に初の大型店を開設した
    • [17]1973年の商号変更にあわせて資本金を2億円に増資した

1982年〜 上場とバブル崩壊 ── 弟解任から三菱商事との提携へ

ライフコーポレーションの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1982年 大阪証券取引所市場第二部に株式を上場
  2. 1985年 南港物流センターを開設
  3. 1988年 実弟・清水三夫社長の電撃解任と本業回帰 財テクか本業か——バブルの入り口で身内を退けた清水信次氏の決断
  4. 1988年 清水信次氏が会長兼社長に復帰
  5. 1991年 本社所在地を移転
  6. 1991年 東京本部を東京本社と呼称変更
  7. 1991年 商号をライフコーポレーションに変更

「財テクをやらないのはバカだ」と言われた時代の社長解任

1982年10月にライフ(当時はライフストア)は大阪証券取引所市場第二部に上場し[22]、翌1983年11月には東京証券取引所市場第二部にも上場した[23]。1984年8月には大阪・東京両証券取引所の市場第一部銘柄に指定され[24]、創業から28年で全国区の上場食品スーパーとなった。創業者の清水氏は大証2部上場を機に実弟の清水三夫氏に社長を譲り、自身は会長に退いて営業の第一線から離れた。1985年9月に大阪市住之江区に南港物流センターを開設し[25]、関西の物流基盤も整えた。拡大の途中で、ライフはバブル経済の入り口に差しかかっていた。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1982年10月 大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [23]1983年11月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [24]1984年8月 大阪・東京両証券取引所の市場第一部銘柄に指定
    • [25]1985年9月 大阪市住之江区に南港物流センターを開設

ところが1980年代後半、清水三夫社長は本業の小売業より株式運用に経営の関心を移した。日本の名だたる事業会社が財テクに走り「財テクをやらないのは経営者として失格」と言われた時期で、ライフの帳簿にも株式運用の比重が増した。この事態を危ぶんだ清水氏は1988年3月[26]、電撃的に開いた役員会で実弟の三夫社長を解任し、自ら会長兼社長に復帰した[27]。バブル崩壊前のこの判断は、上場食品スーパーが財テクに巻き込まれて本業を傷める前に経営トップが介入した事例として、後年の流通業界で語られた。創業者の弟の解任という難しい意思決定を、株価がまだ上がっていた時期に下した点に、後の世襲を否定する清水氏の経営観が現れていた。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1982年10月 大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [23]1983年11月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [24]1984年8月 大阪・東京両証券取引所の市場第一部銘柄に指定
    • [25]1985年9月 大阪市住之江区に南港物流センターを開設
    • [26]清水三夫社長の解任は1988年3月
    • [27]清水信次氏は1988年3月の役員会で実弟の三夫社長を解任し、自ら会長兼社長に復帰

1992年の三菱商事との業務提携と岩崎高治氏との出会い

弟の解任で経営に戻った清水氏は、1990年代に入ると後継者の問題に向き合う段階に進んだ。1992年、ライフは三菱商事と業務提携を結び、商社[28]からの人材派遣を受ける関係に入った。バブル崩壊後の食品スーパー業界は地価下落と消費低迷の二重苦に直面し、関西地盤の同業大手だったニチイ(後のマイカル)や長崎屋が経営難に陥っていく時期で、ライフも財務体質の改善と経営の若返りを同時に進める必要があった。1991年5月の商号変更(株式会社ライフコーポレーション[29]へ)と1991年1月の本社移転(大阪市東淀川区東中島)、[30]1993年6月の栗橋総合物流センター(埼玉県)開設と[31]、関西と関東の物流基盤を並行整備する判断も、この期間の業務刷新の一環だった。

    • [28]1992年 ライフが三菱商事と業務提携を結び商社からの人材派遣を受ける関係に入った
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [29]1991年5月 株式会社ライフコーポレーションへ商号変更
    • [30]1991年1月 本社を大阪市東淀川区東中島へ移転
    • [31]1993年6月 埼玉県に栗橋総合物流センターを開設

清水氏が三菱商事の若手社員だった岩崎高治氏と出会ったのは1994年[32]、英国小売業の視察に出かけたロンドンでのことだった。三菱商事の出向先である英国の食品販売・加工業プリンセス社にいた当時30歳の岩崎氏が清水氏の視察を案内し、その仕事ぶりに清水氏が惚れ込んだ。清水氏は三菱商事の経営陣に直談判して岩崎氏のライフ派遣を要請し、岩崎氏は同年にライフに加わった。その後の12年間、岩崎氏はライフの店舗運営や商品開発、出店戦略を現場で経験しながら経営幹部へと育った。1990年代後半の食品スーパー業界は競争激化と再編が加速し、ライフは1993年度から2000年度までの8年間で132店舗を新規出店[33]する積極策で店舗網と売上高を倍増させた。後継候補の育成と店舗網の倍増を同時に進めた1990年代後半は、ライフの第二の成長期にあたる。

    • [32]1994年 清水氏がロンドンで岩崎高治氏と出会い、岩崎氏は同年にライフに加わった
  • ライフコーポレーション 公式IR 経営戦略
    • [33]1993年度から2000年度までの8年間で132店舗を新規出店
    • [28]1992年 ライフが三菱商事と業務提携を結び商社からの人材派遣を受ける関係に入った
    • [32]1994年 清水氏がロンドンで岩崎高治氏と出会い、岩崎氏は同年にライフに加わった
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [29]1991年5月 株式会社ライフコーポレーションへ商号変更
    • [30]1991年1月 本社を大阪市東淀川区東中島へ移転
    • [31]1993年6月 埼玉県に栗橋総合物流センターを開設
  • ライフコーポレーション 公式IR 経営戦略
    • [33]1993年度から2000年度までの8年間で132店舗を新規出店

2005年の資本提携強化と岩崎社長への交代準備

2003年1月の堺物流センター開設で[34]関西の物流網が拡張されたあと、2005年6月、清水氏は自身が保有する株式の20%を三菱商事に譲渡[35]し、三菱商事はライフの筆頭株主(出資比率22.31%)[36]となった。1992年の業務提携から始まった関係は、株主としての三菱商事と経営パートナーとしてのライフという形に固まった。創業家から外部資本への筆頭株主の移行は、上場食品スーパーとしては稀な選択で、家族・親族による事業承継を断ち切る清水氏の方針が制度的に裏付けられた瞬間でもあった。清水氏は後年、会社は子や孫に継がせるべきではなく最も優秀な人材に継がせるべきだとの立場を示し、世襲を否定する後継方針を経営哲学として明示した。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2003年1月 大阪府堺市に堺物流センターを開設
  • ライフコーポレーション 支配株主等に関する事項について(2023年4月10日)
    • [35]2005年6月 清水氏が保有株式の20%を三菱商事に譲渡し、三菱商事が筆頭株主に
    • [36]2005年6月時点で三菱商事の出資比率は22.31%

2006年3月、三菱商事から派遣されていた岩崎高治氏(当時39歳)が代表取締役社長兼COOに就任[37]した。清水氏は代表取締役会長兼CEOに就き、創業者と若手社長の二人三脚の経営体制が始まった。1956年の創業から50年が経過したライフは、創業者主導の経営から、外部資本(三菱商事)の支援と若手経営者の現場運営の組み合わせへと運営の形を変えた。2006年2月期の単体売上高は3,983億円で経常利益60億円・純利益29億円という規模だった。岩崎社長への交代は、上場食品スーパーの経営承継としては成功事例の一つとして後の流通業界で参照され、清水氏の「事業継続のためなら創業家の権利を手放す」という決断が後の業績拡大の出発点となった。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [37]2006年3月 岩崎高治氏が代表取締役社長兼COOに就任
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2003年1月 大阪府堺市に堺物流センターを開設
    • [37]2006年3月 岩崎高治氏が代表取締役社長兼COOに就任
  • ライフコーポレーション 支配株主等に関する事項について(2023年4月10日)
    • [35]2005年6月 清水氏が保有株式の20%を三菱商事に譲渡し、三菱商事が筆頭株主に
    • [36]2005年6月時点で三菱商事の出資比率は22.31%

2006年〜 岩崎社長による拡大とビオラル業態 ── 売上8,000億円超への到達

ライフコーポレーションの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2006年 世襲を否定し三菱商事から後継を迎えた経営承継 創業家の権利か事業の継続か——後継を血縁の外に求めた清水信次氏の選択
  2. 2009年 住之江物流センターを開設
  3. 2009年 大阪本社・東京本社体制に移行
  4. 2010年 松戸総合物流センターを開設
  5. 2012年 本店所在地を移転
  6. 2016年 ナチュラルスーパー「ビオラル」による独自業態の創出 価格競争に沈むか、価格以外で選ばれるか——同質化する食品スーパーで岩崎高治氏が育てた第3の柱

既存店てこ入れと首都圏小型店戦略で売上6,000億円超へ

2006年3月の社長就任後、岩崎社長は不採算店の閉鎖と既存店の改装を並行して進め、店舗ポートフォリオの整理に着手した。2006年2月期の単体売上高3,983億円から2011年2月期の4,808億円まで5年間で売上を約2割伸ばし、経常利益も60億円から98億円へ拡大した。リーマンショック後の景気後退期にあたる2010年2月期にも経常利益84億円を確保し、消費低迷下でも食品スーパーの底堅さを数字で示した。2009年10月には大阪市住之江区に住之江物流センター[38]、2010年10月には千葉県松戸市に松戸総合物流センターを開設し[39]、関西と関東の両エリアで物流網を強化した。岩崎社長就任直後の数年間は、過去の出店ペースを抑えて既存店の収益力を上げる方向に経営資源を振り向けた時期である。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [38]2009年10月 大阪市住之江区に住之江物流センターを開設
    • [39]2010年10月 千葉県松戸市に松戸総合物流センターを開設

2012年2月期に商号と本店所在地を[40]整理(本店を東京都中央区日本橋本町に移転)したあと、ライフは首都圏での出店を再加速した。2016年2月期には単体売上高6,125億円、営業利益128億円、経常利益130億円となり、6,000億円台に乗せた。2017年2月期からは連結決算へと開示形態を変え、連結売上高6,346億円・営業利益127億円・純利益81億円を計上した。連結ベースでの開示は2017年5月のアマゾンジャパンとのネットスーパー協業発表[41]とほぼ同時期で、店舗網に依存しない販路の拡大も同年に始動した。アマゾンのPrime Now向け生鮮食品供給を都内7区で開始し[42]、店舗出荷型のネットスーパー機能を外部プラットフォームに開放する協業として、食品スーパー業界では先行事例の一つとなった。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [40]2012年(2月期)に本店を東京都中央区日本橋本町へ移転
  • 流通ニュース(2017年5月30日)
    • [41]2017年5月 アマゾンジャパンとのネットスーパー協業を発表
    • [42]アマゾンのPrime Now向け生鮮食品供給を都内7区で開始
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [38]2009年10月 大阪市住之江区に住之江物流センターを開設
    • [39]2010年10月 千葉県松戸市に松戸総合物流センターを開設
    • [40]2012年(2月期)に本店を東京都中央区日本橋本町へ移転
  • 流通ニュース(2017年5月30日)
    • [41]2017年5月 アマゾンジャパンとのネットスーパー協業を発表
    • [42]アマゾンのPrime Now向け生鮮食品供給を都内7区で開始

2016年のビオラル業態と独自性追求

2016年6月、ライフは大阪市西区にナチュラルスーパーマーケット「BIO-RAL(ビオラル)靭店[43]」を新業態としてオープンした。ドイツ語のBIOLOGISCH(有機の)と英語のNATURAL(自然)を組み合わせた店名で、有機食品・自然派食品を中心に揃える独自の業態である。同質化が進む食品スーパー業界において、価格競争に巻き込まれない独自カテゴリーを開拓する意図で立ち上げられた。2020年12月にはプライベートブランド「BIO-RAL」を発売し[44]、商品開発と店舗業態の双方で有機食品分野を強化した。岩崎社長は2024年夏の取材で、企業文化は変えられるが油断すると元に戻るとの認識を示し、価格と利便性以外で選ばれるスーパーへの転換を社内文化の刷新と並行して進める姿勢を示した。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [43]2016年6月 大阪市西区にナチュラルスーパーマーケット「BIO-RAL(ビオラル)靭店」を開店
  • 統合報告書 2024
    • [44]2020年12月 プライベートブランド「BIO-RAL」を発売

ビオラル事業の有機農産物売上高は2020年2月期の約3億円から2025年2月期の約30億円へ5年間で10倍に伸び[45]、独自商品の販売基盤として成長軌道に乗った。2024年9月末時点でビオラル業態は9店舗を展開し[46]、売上高は約100億円に達した。ライフコーポレーションは2030年度にビオラル事業で売上高400億円・50店舗[47]・プライベートブランド1,000アイテムという長期目標を提示しており、価格訴求型の食品スーパー業界において差別化軸となる事業の柱として位置付けている。同時期、近畿圏で172店舗、首都圏で149店舗の合計321[48]店舗(2026年4月30日時点)という二極展開を維持しつつ、ナチュラル・オーガニック分野で第3の柱を作る形が固まった。

  • 流通ニュース(2025年4月)
    • [45]ビオラル事業の有機農産物売上高は2020年2月期約3億円から2025年2月期約30億円へ5年間で10倍
    • [46]2024年9月末時点でビオラル業態は9店舗・売上高約100億円
  • 第七次中期経営計画(2023年4月)
    • [47]2030年度ビオラル事業目標は売上高400億円・50店舗・PB1,000アイテム
  • ライフコーポレーション 公式IR 会社概要
    • [48]2026年4月30日時点で合計321店舗(近畿圏172店舗・首都圏149店舗)
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [43]2016年6月 大阪市西区にナチュラルスーパーマーケット「BIO-RAL(ビオラル)靭店」を開店
  • 統合報告書 2024
    • [44]2020年12月 プライベートブランド「BIO-RAL」を発売
  • 流通ニュース(2025年4月)
    • [45]ビオラル事業の有機農産物売上高は2020年2月期約3億円から2025年2月期約30億円へ5年間で10倍
    • [46]2024年9月末時点でビオラル業態は9店舗・売上高約100億円
  • 第七次中期経営計画(2023年4月)
    • [47]2030年度ビオラル事業目標は売上高400億円・50店舗・PB1,000アイテム
  • ライフコーポレーション 公式IR 会社概要
    • [48]2026年4月30日時点で合計321店舗(近畿圏172店舗・首都圏149店舗)

コロナ特需と過去最高益、第七次中期経営計画で2030年1兆円へ

2020年初頭からのコロナ禍は食品スーパー業界に巣ごもり需要をもたらし、ライフの業績を一段押し上げた。2021年2月期の連結売上高は7,363億円、営業利益274億円、純利益178億円と過去最高を更新した。営業利益は前年(2020年2月期)の139億円から倍増し、コロナ前後で食品スーパーの利益水準が一段上がったことを数字が示した。岩崎社長はこの時期を守る・攻める・変えるの三軸で整理し、コロナ特需の利益を新店投資と独自性商品開発に振り向ける方針を示した。2021年5月、清水氏は95歳で代表取締役を退任し、64年間[49]にわたり務めた経営トップの座を岩崎社長に引き渡した。日本企業史上、最年長・最長の現役経営トップ記録となった。

2023年4月発表の第七次中期経営計画(2023〜2026年度)では、2030年度に売上高1兆円・経常利益350億円・店舗数400[50]店という長期目標を掲げた。2024年2月期の連結売上高は7,800億円、営業利益241億円、純利益169億円となり、2025年2月期は売上高8,189億円、営業利益253億円、純利益179億円へと拡大した。2025年2月期時点で正社員7,385名、パート・アルバイト等の臨時従業員25,265名という規模となり、創業者の清水氏が退任してから3年で売上は1,000億円超を積み上げた。2026年4月には有機野菜集荷の「ワールドデリカ」に出資比率66.7%で出資して子会社化し[51]、水産物仲卸の「亀吉商店」とも資本提携を結んだ。ビオラル事業の有機農産物供給網を上流まで取り込み、PB商品と独自業態の差別化を支える調達基盤を整える狙いがある。

  • 第七次中期経営計画(2023年4月)
    • [50]2023年4月 第七次中期経営計画(2023〜2026年度)を発表、2030年度に売上高1兆円・経常利益350億円・店舗数400店を目標
  • 流通ニュース(2025年4月)
    • [51]2026年4月 有機野菜集荷の「ワールドデリカ」に出資比率66.7%で出資し子会社化、水産物仲卸「亀吉商店」と資本提携

闇市帰りの清水氏が1956年に貿易商として始めた会社は[52]、5年でスーパーマーケットに業態を切り替え、創業からの68年で売上高8,000億円超の上場食品スーパーへ拡張した。創業者が世襲を否定して三菱商事から後継者を迎え入れた決断と、岩崎社長の20年間にビオラル業態とアマゾン協業という独自路線を加えた歩みが、価格競争に巻き込まれにくい収益構造の輪郭を作った。コロナ後の業績水準を維持しつつ、2030年度に売上1兆円規模へ到達するためには[53]、首都圏・近畿圏の中型店戦略を維持しながら、ビオラル業態とネットスーパー事業の利益貢献度をどこまで引き上げられるかが、岩崎社長の任期中の経営課題として残った。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [52]清水氏が1956年に貿易商として会社を始めた
  • 第七次中期経営計画(2023年4月)
    • [53]2030年度に売上1兆円規模への到達を目指す(経営課題として記載)
    • [49]2021年5月 清水信次氏が95歳で代表取締役を退任(在任64年間)
  • 第七次中期経営計画(2023年4月)
    • [50]2023年4月 第七次中期経営計画(2023〜2026年度)を発表、2030年度に売上高1兆円・経常利益350億円・店舗数400店を目標
    • [53]2030年度に売上1兆円規模への到達を目指す(経営課題として記載)
  • 流通ニュース(2025年4月)
    • [51]2026年4月 有機野菜集荷の「ワールドデリカ」に出資比率66.7%で出資し子会社化、水産物仲卸「亀吉商店」と資本提携
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [52]清水氏が1956年に貿易商として会社を始めた

ライフコーポレーションの沿革1956〜2016年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
清水信次清水實業を設立
清水信次豊中店を開設しスーパーマーケット形式による営業を開始★★
清水信次第2号店・塚本店を開設しチェーンストア志向を明確化★★
清水信次首都圏1号店として板橋店を開設★★
清水信次商号をライフに変更
清水信次本店所在地を移転
清水信次清水實業を吸収合併し商号をライフに変更
清水信次商号をライフストアに変更
清水三夫大阪証券取引所市場第二部に株式を上場
清水三夫南港物流センターを開設
清水信次実弟・清水三夫社長の電撃解任と本業回帰財テクか本業か——バブルの入り口で身内を退けた清水信次氏の決断 詳細を読む★★★
清水信次清水信次氏が会長兼社長に復帰
清水信次本社所在地を移転
清水信次東京本部を東京本社と呼称変更
清水信次商号をライフコーポレーションに変更
清水信次栗橋総合物流センターを開設
清水信次堺物流センターを開設
岩崎高治世襲を否定し三菱商事から後継を迎えた経営承継創業家の権利か事業の継続か——後継を血縁の外に求めた清水信次氏の選択 詳細を読む★★★
岩崎高治住之江物流センターを開設
岩崎高治大阪本社・東京本社体制に移行
岩崎高治松戸総合物流センターを開設
岩崎高治本店所在地を移転
岩崎高治ナチュラルスーパー「ビオラル」による独自業態の創出価格競争に沈むか、価格以外で選ばれるか——同質化する食品スーパーで岩崎高治氏が育てた第3の柱 詳細を読む★★★
出典・参考

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