ライフコーポレーション の歴史

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創業 1956年
創業者 清水信次
創業地 大阪市
創業
1956年10月、清水信次氏が東京都中央区日本橋本町に資本金500万円の清水實業株式会社を設立した。父の代から大阪で乾物・缶詰を商い、終戦後は闇市での物資売買で元手を作った清水氏は、パイナップル缶詰やバナナの輸入と国内販売から事業を始めている。1961年11月、実弟の三夫氏による欧米視察を受けて大阪府豊中市にセルフサービス方式の『ライフ豊中店』を開設し、輸入卸からチェーンストアへ移った。商号は1973年に株式会社ライフ、1981年にライフストア、1991年にライフコーポレーションと改めている。
決断
本業から離れる選択肢が現れるたびに、そちらを退けてきた。1970〜80年代、総合スーパーが衣料や住居関連まで品揃えを広げるなかで、ライフは食品と生活必需品に絞った売場面積2,500平方メートル前後の中型店を、関西と関東の二大都市圏へ置き続けた。1988年3月には、銀行融資を元手にした株式運用で小売では出ない利益を狙った実弟の清水三夫社長を解任し、会長兼社長へ復帰して本業の食品スーパーへ経営を戻した。承継でも血縁を選ばず、2005年6月に自らの持株20%を三菱商事へ譲ったうえで、12年かけて育てた岩崎高治氏へ社長を託した。創業家が持株と社長の座を同時に外へ出した上場食品スーパーは、当時ほかになかった。
現況
価格で同じになる売場に、自社しか置けない品を増やしている。2026年2月期の連結売上高は8,485億円、営業利益260億円で、近畿圏172店・首都圏149店の合計321店を構える。営業利益は巣ごもり需要のあった2021年2月期の274億円をまだ下回る。2016年に始めた有機・自然派業態ナチュラルスーパー『ビオラル』を立ち上げたの有機農産物売上高は、2020年2月期の約3億円から2025年2月期の約30億円へ5年で10倍に伸び、2030年度に売上高400億円・50店という目標を置く。2026年4月には有機野菜を集荷するワールドデリカへ66.7%を出資して子会社化し、水産物仲卸の亀吉商店とも資本提携を結んだ。
競合
同じ食品でも、車で来る客と歩いて来る客では店の形が違う。中型店を駅前や住宅地の徒歩圏へ置くライフに対し、郊外の大型ショッピングセンターへ主力を移したイオンは郊外の大型商業施設へ食品売場を組み込み、車の来店を前提に商圏を広げた。総合スーパーのまま食品へ絞り直されたダイエーは、2026年3月にイオンが東西2社の食品スーパーへ組み替えた。共通の卸を通すかぎり生鮮の値段では差がつかないため、ライフは有機と自然派を別の軸に置き、集荷と仲卸まで資本で押さえた。2030年度に売上高1兆円・400店という目標も、大型店ではなく徒歩圏の店数を積む形で置かれている。
ライフコーポレーション:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年2月期2026年2月期

創業ストーリー 闇市の食料品商から関西発スーパーマーケットへ (1956年〜)

バナナ輸入商が大阪・豊中で食品スーパーを開いた1961年

清水信次氏・清水三夫氏兄弟の家業は1910年、父の清水茂が三重県津市でタオル等の製造・卸業を興したことに始まる。[1]大正から昭和にかけて幾度か業容を転じ、1935年ごろには大阪・天満に移って食料品中心の卸小売業となった。[2]戦後はいち早く食品問屋として再出発し、大阪中央市場が再開されると同時[3]に食品関係の仲卸商として同市場に進出した。1956年10月、創業者の清水信次[4]は東京都中央区日本橋本町に清水實業株式会社を設立し、パイナップル缶詰やバナナの輸入と国内販売を主業として事業を開始した[5]

    • [1]清水信次氏・清水三夫氏兄弟の家業は明治43年(1910年)に父・清水茂が三重県津市でタオル等の製造・卸業を興したことに始まる
    • [2]昭和10年(1935年)ごろ大阪・天満で食料品中心の卸小売業に転じた
    • [3]戦後いち早く食品問屋として再出発し、大阪中央市場の再開と同時に仲卸商として進出した
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【役員の状況】
    • [4]創業者の氏名は清水信次
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1956年10月 清水信次氏が東京都中央区日本橋本町に清水實業株式会社を設立(パイン缶詰・バナナ等の輸入と国内販売を主業に開始)

清水氏は戦前から大阪で乾物・缶詰店を営む家に育ち、終戦後は闇市での物資売買で復員後の資金を作った経歴をもつ。資本金500万円の小規模な貿易商社[6]として出発したライフの前身企業は、戦後の食料品流通の隙間を埋める輸入卸の延長線上で創業された。この清水實業こそ現在のライフストアの前身にあたり、食品卸売業[7]に加えてフルーツを主とする貿易輸入業務も手がけた。1957年に中内功氏が大阪でダイエーの前身となる主婦の店ダイエーを開き、1958年にジャスコ前身の岡田屋・フタギ・シロが全国展開に動いた前後でもあり、戦後の食料品商から後のスーパーマーケット業界を作る世代の一角を清水氏も占めた。

その清水實業がスーパーマーケット業態に踏み込んだのは、創業から5年後の1961年11月だった。実弟の清水三夫氏は前年の1960年に欧米視察団に加わり45日間、欧米のスーパーマーケット機構を調査し、近代化した販売方式の導入を痛感したという。[8]この視察をふまえ、清水氏は欧米視察で見たセルフサービス方式の食品店を念頭に、大阪府豊中市に『ライフ豊中店』を開店し、輸入卸からチェーンストアへの転換を始めた。[9]1963年11月には大阪市西淀川区に第2号の塚本店を出し[10]、同じ建物にライフ本部を設置してチェーン展開の体制を整えた。輸入卸として10年弱で蓄積した仕入れ網を生かし、生鮮食品と加工食品をワンストップで揃える業態として大阪府・兵庫県を中心に店舗を増やした[11]。バナナ輸入の利益を元手に10年がかりで10店舗まで増やしてから出店を加速する慎重な歩みで、初期の財務リスクは抑え込まれた。

    • [8]実弟の清水三夫氏は1960年(昭和35年)に欧米視察団に加わり45日間、欧米の小売機構・スーパーマーケット機構を調査した
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1961年11月 大阪府豊中市にライフ豊中店を開店しスーパーマーケット業態へ転換
    • [10]1963年11月 大阪市西淀川区に第2号の塚本店を開設しライフ本部を設置
    • [11]大阪府・兵庫県を中心に店舗網を拡大(チェーンストア展開)
    • [1]清水信次氏・清水三夫氏兄弟の家業は明治43年(1910年)に父・清水茂が三重県津市でタオル等の製造・卸業を興したことに始まる
    • [2]昭和10年(1935年)ごろ大阪・天満で食料品中心の卸小売業に転じた
    • [3]戦後いち早く食品問屋として再出発し、大阪中央市場の再開と同時に仲卸商として進出した
    • [7]1956年設立の清水實業は現在のライフストアの前身にあたり、食品卸売業に加えてフルーツ輸入貿易業務も手がけた
    • [8]実弟の清水三夫氏は1960年(昭和35年)に欧米視察団に加わり45日間、欧米の小売機構・スーパーマーケット機構を調査した
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【役員の状況】
    • [4]創業者の氏名は清水信次
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1956年10月 清水信次氏が東京都中央区日本橋本町に清水實業株式会社を設立(パイン缶詰・バナナ等の輸入と国内販売を主業に開始)
    • [6]創業時の資本金は500万円
    • [9]1961年11月 大阪府豊中市にライフ豊中店を開店しスーパーマーケット業態へ転換
    • [10]1963年11月 大阪市西淀川区に第2号の塚本店を開設しライフ本部を設置
    • [11]大阪府・兵庫県を中心に店舗網を拡大(チェーンストア展開)

関西から首都圏へ、板橋店出店で東西二大都市圏体制

1971年10月、ライフは東京都板橋区に板橋店を開設し、首都圏への進出を始めた[12]。同時に東京本部を設置して、大阪本部と東京本部の二拠点体制[13]を敷いた。出店から10年で関西の枠を越え、関東地盤の同業他社と直接競合する位置に立った。関西発祥のチェーンが首都圏に拠点を構える事例は、当時の食品スーパー業界ではまだ限定的だった。食品卸売業・貿易・スーパーの3本柱だったが、47年(1972年)[14]の堺市初出店を機にスーパー部門中心へ転換した。1973年5月には商号を株式会社ライフに変更し[15]、輸入卸の名残を残す『清水實業』の屋号を社名から外した。この商号変更にあわせて資本金を2億円に増資した[16]。1978年12月には本店所在地を東京都板橋区仲宿に移転し[17]、清水實業を吸収合併する形でライフへの統合を済ませた。輸入商から始まった会社が、関西と関東を同時に押さえる中堅スーパーチェーンへ拡張した1970年代の歩みである。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1971年10月 東京都板橋区に板橋店を開設し首都圏へ進出、同時に東京本部を設置
    • [13]板橋店開設と同時に東京本部を設置し、大阪本部・東京本部の二拠点体制を敷いた
    • [15]1973年5月 清水實業株式会社から株式会社ライフへ商号変更
    • [17]1978年12月 本店を東京都板橋区仲宿に移転、清水實業を吸収合併
    • [14]昭和47年(1972年)大阪府堺市に初の大型店を開設した
    • [16]1973年の商号変更にあわせて資本金を2億円に増資した

商号変遷は1981年3月に『株式会社ライフストア』へ[18]、1991年5月にさらに『株式会社ライフコーポレーション』[引用元][19]へと続いた。1981年4月には本店所在地を東京都中央区日本橋本町[20]に戻し、創業時の所在地に近い場所で東西をまたぐ持株会社的な体制を整えた。食品+生活必需衣料・雑貨に品揃えを絞り込み、売場面積2,500平方メートル前後の中型店を二大都市圏に集中して出す方針は、この時期に固まった。総合スーパーが衣料品や住居関連まで広げる方向に進んだ1970〜80年代の流通業界のなかで、ライフは食品スーパーとして規模を絞ったまま広域展開を選んだ。創業者の清水氏が決めたこの業態選択は、後の業界再編期にも変わらないライフの基本姿勢として残った。

  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1981年3月 株式会社ライフから株式会社ライフストアへ商号変更
    • [19]1991年5月 株式会社ライフコーポレーションへ商号変更
    • [20]1981年4月 本店所在地を東京都中央区日本橋本町へ移転
  • ライフコーポレーション 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1971年10月 東京都板橋区に板橋店を開設し首都圏へ進出、同時に東京本部を設置
    • [13]板橋店開設と同時に東京本部を設置し、大阪本部・東京本部の二拠点体制を敷いた
    • [15]1973年5月 清水實業株式会社から株式会社ライフへ商号変更
    • [17]1978年12月 本店を東京都板橋区仲宿に移転、清水實業を吸収合併
    • [18]1981年3月 株式会社ライフから株式会社ライフストアへ商号変更
    • [19]1991年5月 株式会社ライフコーポレーションへ商号変更
    • [20]1981年4月 本店所在地を東京都中央区日本橋本町へ移転
    • [14]昭和47年(1972年)大阪府堺市に初の大型店を開設した
    • [16]1973年の商号変更にあわせて資本金を2億円に増資した

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ライフコーポレーションの沿革1956〜2016年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1956〜1981年闇市の食料品商から関西発スーパーマーケットへ清水信次清水實業を設立
清水信次豊中店を開設しスーパーマーケット形式による営業を開始★★
清水信次第2号店・塚本店を開設しチェーンストア志向を明確化★★
清水信次首都圏1号店として板橋店を開設★★
清水信次商号をライフに変更
清水信次本店所在地を移転
清水信次清水實業を吸収合併し商号をライフに変更
清水信次商号をライフストアに変更
1982〜2005年上場とバブル崩壊 ── 弟解任から三菱商事との提携へ清水三夫大阪証券取引所市場第二部に株式を上場
清水三夫南港物流センターを開設
清水信次実弟・清水三夫社長の電撃解任と本業回帰

会長の清水信次氏が、株式運用に傾いた実弟・清水三夫社長を1988年3月の役員会で解任し、自ら会長兼社長に復帰して本業の食品スーパーへ経営を戻した判断。

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★★★
清水信次清水信次氏が会長兼社長に復帰
清水信次本社所在地を移転
清水信次東京本部を東京本社と呼称変更
清水信次商号をライフコーポレーションに変更
清水信次栗橋総合物流センターを開設
清水信次堺物流センターを開設
2006〜2024年岩崎社長による拡大とビオラル業態 ── 売上8,000億円超への到達岩崎高治世襲を否定し三菱商事から後継を迎えた経営承継

創業者の清水信次氏が、後継を血縁に求めず、1992年に業務提携した三菱商事から迎えた岩崎高治氏を12年かけて育て、2005年に保有株を三菱商事へ譲って筆頭株主を創業家の外へ移し、2006年に社長を託した承継判断。

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★★★
岩崎高治住之江物流センターを開設
岩崎高治大阪本社・東京本社体制に移行
岩崎高治松戸総合物流センターを開設
岩崎高治本店所在地を移転
岩崎高治ナチュラルスーパー「ビオラル」による独自業態の創出

岩崎高治社長が、価格で同質化する食品スーパーで価格以外の理由で選ばれる軸として、有機・自然派の独自業態『BIO-RAL(ビオラル)』を2016年に新設し、PB化と上流の調達統合まで広げた新規事業の判断。

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★★★
出典・参考

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