郊外大型ショッピングセンターの本格展開とデベロッパー事業への多角化
店を売る商売から、場を貸す商売へ——大店法緩和のなか、ジャスコは成長の主力をどこに置いたのか
更新:
- 概要
- 1995年、ジャスコは郊外の大型ショッピングセンターを数多く出すことを成長の主力に定め、店舗を自ら保有せずリースで賄うデベロッパー事業を本格化させた。大規模小売店舗法の運用緩和・地価下落・低金利を背景に、総合スーパー1店ごとの競争から、専門店を集めたSC同士の競争へと事業の枠組みを移した経営判断。
- 背景
- 大店法の規制が緩み、車社会の進展で商圏が駅前から郊外の幹線道路やインターチェンジ沿いへ移り始めていた。「大店法のあだ花」と呼ばれた500㎡未満の小型店は集客力を失い、総合スーパー単体での成長は頭打ちに近づいていた。ダイエーや西友との競争のなか、規模を保つ新しい方式が要った。
- 内容
- 既存の小型店をスクラップ・アンド・ビルドで大型化し、専門店を集めた郊外SCを数多く出す方針を掲げた。地価が上がらない以上、土地は買わずリースで調達して投資を身軽にし、商業施設を開発・運営して賃料を得るデベロッパー機能をグループの収益源に育てた。
- 含意
- 総合スーパーで商品を売る商売に、場を開発して貸す商売を重ねた。この設計は2002年のイオンモール東証一部上場に結実し、後年に総合スーパーが不振へ陥ったとき、モール事業の賃料がグループの収益を支える構造につながった。
祖業が盛んなうちに、次の稼ぎ場所を設計する
この経営判断の核心は、総合スーパーという単一の業態で伸び続けることに頼らず、商業施設そのものを開発して貸す商売をグループの柱に加えた点にある。ジャスコは、車社会の進展で客の集まる場所が郊外へ移る変化を、総合スーパーを増やすだけでは受け止めきれないとみた。そこで専門店を集めた郊外SCへ主力を移し、土地を持たずリースで身軽に数を増やす方式を選んだ。売り場で商品を売る小売業から、場を整えて人と店を集めるデベロッパーへと、事業の幅を意識して広げた判断だった。
総合スーパーにはまだ成長の余地があり、祖業を守る道もあった。それでもジャスコが場を貸す商売へ広げたのは、単一業態の成長がいずれ頭打ちになるとの読みがあったからだと考えられる。読みは後年に現実となる。大店法の廃止後、地方に多い総合スーパーは価格競争で苦戦し、イオンは長く祖業の立て直しに追われた。一方、2002年に上場したイオンモールを軸とするデベロッパー事業は賃料で安定した利益を生み、その不振を吸収した。祖業がなお盛んなうちに次の稼ぎ場所を設計したこの選択は、変化に先回りして事業構成を組み替える意味を今日のイオンに残している。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
大店法の緩和と郊外SCの時代
1990年代の前半、大型店の出店を長く抑えてきた大規模小売店舗法の運用が緩み始めた。政府は1990年、米国との構造協議を受けて、大都市圏など特定地域の出店規制を1992年度から撤廃する法改正の方針を示した。地価の下落と低金利も重なり、郊外の幹線道路沿いに広い敷地を確保して大型の商業施設を建てる条件がそろっていった。小型店の乱立を招いた規制の時代から、大型店を出しやすい時代へと、小売業の前提が変わりつつあった[1]。
ジャスコの岡田卓也会長は、商店の立地が時代とともに動くととらえていた。戦前は街道や宿場、戦後は駅前に人が集まったが、車社会の進展で役所や住居が郊外へ移り、幹線道路やインターチェンジ沿いが新しい商圏になった。日経ビジネスの1995年8月の記事は、これからは店と店ではなくSC同士が競う時代だとするジャスコの見方を伝えている。客は渋滞する近くの店より、道さえよければ遠くのSCへ足を運ぶという読みだった[2]。
単一業態スーパーの成長限界
総合スーパーを1店ずつ増やして伸びる時代は、終わりに近づいていた。「大店法のあだ花」と呼ばれた売り場500㎡未満の小型店は、もはや客を満足させられないとジャスコはみていた。品ぞろえと売り場面積で見劣りする店を抱えたまま数を足しても、ダイエーや西友との競争で優位に立てない。専門店を数多く集めた大型のショッピングセンターへ主力を移すことが、規模の成長を保つ条件になっていた[3]。
決断
郊外大型SCの本格出店とリース型投資
1995年、ジャスコは郊外の大型ショッピングセンターを数多く出すことを当面の最優先に定めた。日本にはまだ本格的なSCが少なく、出店の余地は大きいとみた。既存の小型店をスクラップ・アンド・ビルドで大型店へ建て替え、総合スーパーを核に専門店を集めた郊外SCへ切り替える方針を掲げた。店どうしの競争ではなく、SC同士の競争を勝ち抜くだけの規模を、他社に先んじてつくる考えだった[4]。
出店の仕方も改めた。従来は土地を買って店を建てたが、地価が上がらない以上、土地を保有する必要はないと判断した。出店にかかる資金をリースで賄い、身軽に数を増やす方式へ切り替えた。あわせて、商業施設そのものを開発・運営し、集めた専門店から賃料を得るデベロッパー機能を強めた。総合スーパーで商品を売る商売に、場を開発して貸す商売を重ねる組み立てだった[5]。
規模の追求と商品部門という課題
大型SC路線は、ジャスコが長く続けてきた規模の追求の延長にあった。1969年以来の合併とグループ化で店数を増やしてきたねらいは、商品を大量・安価に仕入れて規模の利益を得る点にあった。もっとも日経ビジネスは、ジャスコの最大の課題は商品部門にあり、値段と量に質が伴う点でダイエーや西友に立ち遅れていると指摘した。SCの大型化は、集客と賃料を得ると同時に、規模で仕入れと売り場を厚くする試みでもあった[6]。
結果
デベロッパー事業の自立とイオンモール上場
郊外SCとデベロッパー事業は、その後グループの独立した収益の柱に育った。SC開発を担う子会社は、1989年に社名をジャスコ興産からイオン興産へ改め、大型SCの開発・運営を始めた流れをくむ。同社はのちのイオンモールとなり、2002年7月に東京証券取引所市場第一部へ上場した。ショッピングセンター専業のデベロッパーが単独で上場する初めての例で、商業施設の開発・運営がグループの一事業として自立した[7][8]。
総合スーパーそのものは、その後も苦戦が続いた。大店法の廃止をはさんで価格競争が強まり、地方部に多く立地する総合スーパーは地場スーパーとの客の奪い合いで伸び悩んだ。2015年の週刊東洋経済は、赤字の総合スーパーの立て直しに追われるイオンの姿を伝えている。祖業の総合スーパーが構造的な不振を抱えるなかで、1995年に場を開発して貸す商売へ広げた判断が、グループの収益をどこで稼ぐかという問いに早くから答えを備えていた[9]。
- 日経ビジネス 1995年8月21日号「ジャスコ、大型SC本格展開」(日経BP)
- 日経ビジネス 1995年8月21日号「合併こそスーパーの生きる道」(日経BP)
- 日本経済新聞(1990年4月3日)「大店法、大都市圏は除外」
- 週刊東洋経済 2015年1月23日号「"黄昏の巨艦隊"イオン・赤字GMSに大ナタ」(東洋経済新報社)
- イオン株式会社 有価証券報告書【沿革】
- イオンモール株式会社 会社沿革(https://www.aeonmall.com/company/history/)