岡田惣左衛門氏の篠原屋創業(1758年・イオンの決断)

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論点 銅山開発の後にどの商いへ転じるか
銅山開発から四日市での太物・小間物の行商への転身

何をなぜ決めたか:銅山開発から四日市での太物・小間物の行商への転身

概要

1758年(宝暦8年)、初代の岡田惣左衛門氏が四日市で太物・小間物商を創業し、屋号を篠原屋とした。店舗は持たず、天秤棒で商品をかついで客のもとを回る行商である。イオンは、この篠原屋の創業を自社の沿革の最初の項に掲げている。

行商は岡田惣左衛門氏から岡田惣右衛門氏(初代)、岡田惣助氏、岡田惣八氏へと4代にわたり、明治の初めまで続いた。篠原屋は約110年のあいだ、店を持たないまま家業を受け継いだことになる。屋号が岡田屋に改まるのは、創業から129年後の1887年である。

背景

岡田惣左衛門氏の前歴は、伊勢国員弁郡治田郷(現北勢町)の銅山開発である。その銅山の資源が尽きたことを機に、1758年に四日市へ移住した。篠原屋の創業は、商家の分家や奉公人の独立ではなく、鉱山開発からの転身として始まっている。

移住先は四日市の久六町で、岡田家はここに住まいを置いた。天秤棒をかついで出向いた先は四日市周辺の村落で、小間物を売り歩いた。1887年に辻へ店を移すまで、久六町が篠原屋の拠点であった。

内容

篠原屋の商いを店の形に近づけたのは、5代目当主の岡田惣右衛門氏である。1850年(嘉永3年)に岡田惣八氏の子として生まれ、のちに二代目惣右衛門を名乗った。1868年(明治元年)、岡田惣右衛門氏は天秤棒を大八車に替え、近在の広い家を借りて商品を並べる出張販売に切り替えた。名古屋や松阪へも仕入れに出向き、扱う商品の種類を広げている。

1887年(明治20年)、岡田惣右衛門氏は四日市一の繁華街「辻」の南町一番屋敷へ店を移し、屋号を岡田屋に改めた。間口4間の借りた店で、店員は10年のあいだに2人から16人に増えた。同じ年には代金の後払いを廃し、その場で現金を受け取る取引に切り替え、収入と支出を左右に並べて収支を一目で見る「見競勘定」という決算方式も取り入れた。

含意

店を持ったあとの岡田屋は、商いの仕組みを順に整えた。1892年に店規則を定め、店員を1等から10等に格付けし、決算日には純益の2割を店員に分けた。1897年には辻の北町一番屋敷へ移り、値段を札で示す正札販売を開始した。1920年の大暴落では家訓に沿って「暴落大売り出し」を行い、1926年9月に資本金25万円で株式会社岡田屋呉服店を設立した。

一方で、店を持つと場所への執着が生まれた。戦後、小嶋千鶴子氏は辻から新道への移転を唱えたが、旧来の場所を離れたがらない店内の声に阻まれ、決定までに2年を要した。1949年12月の移転の後、年商は1949年の6,000万円から翌年に1億2,000万円へ倍増した。岡田屋には 『大黒柱に車をつけよ』 という家訓があり、1958年4月には岡田卓也氏が新道の店を残したまま近鉄四日市駅前に駅前店を開設した。

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考察:店を持たない行商が残した移転の家訓
考察

考察:店を持たない行商が残した移転の家訓

岡田惣左衛門氏は、なぜ店ではなく行商を選んだのか。銅山の仕事を失って移ってきた者には、四日市で店を構える土地も得意先もなかったと思われる。行商なら、天秤棒と仕入れの元手があれば始められる。客の家まで商品を運ぶので、店の立地を選ぶ必要もない。篠原屋の創業は、資本も地縁も持たない移住者が取れる、ほぼ唯一の商いの形だった。太物と小間物という日々の暮らしの品を選んだことも、少ない元手で回せる商いに合っていた。

もっとも、店を持たない商いは、規模を大きくする手段も持たなかった。行商は4代、約110年続いたが、そのあいだに篠原屋の形は変わっていない。客を一か所に集める出張販売に切り替えたのは1868年、屋号を岡田屋に改めて辻に店を持ったのは1887年である。店規則や正札販売といった仕組みも、すべて店を持った後に整えられた。岡田屋の基礎を築いたのは、創業者ではなく5代目の岡田惣右衛門氏とみるのが妥当だろう。

それでも、篠原屋の創業は商いの型を残したという点で成功した判断だった。店を持たずに客のもとへ出向く発想は、1868年の出張販売、1887年の辻への移転、1949年の新道への移転へと引き継がれた。新道へ移った翌年、年商は6,000万円から1億2,000万円に倍増している。新道への移転に2年を要したことは、家訓を守ることが老舗には易しくなかったことも示している。場所に縛られない家訓の出発点には、1758年に店を持たなかった創業があったと考えられる。

Yutaka Sugiura, 2026年8月
資本金の推移
参考文献

参考文献

参考
  • 片山又一郎『「ジャスコ」連邦経営の秘密』柴田書店, 1977年「一 大衆商法」
  • 『のれん百年 : 中部の巻』中部経済新聞社, 1967年「オカダヤ」
  • 片山又一郎『「ジャスコ」連邦経営の秘密』柴田書店, 1977年「二 革新商法」
  • 片山又一郎『「ジャスコ」連邦経営の秘密』柴田書店, 1977年「六 進攻商法」「七 大黒柱に車をつけよ」
  • 片山又一郎『「ジャスコ」連邦経営の秘密』柴田書店, 1977年「七 大黒柱に車をつけよ」「八 チェーン化と長期計画」
  • 片山又一郎『「ジャスコ」連邦経営の秘密』柴田書店, 1977年「七 大黒柱に車をつけよ」
  • 片山又一郎『「ジャスコ」連邦経営の秘密』柴田書店, 1977年「六 進攻商法」
  • 片山又一郎『「ジャスコ」連邦経営の秘密』柴田書店, 1977年「八 チェーン化と長期計画」
  • イオン 公式サイト「企業沿革」

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