前身ジャスコ・岡田屋から現在まで
イオンの源流は、1758年(宝暦8年)に岡田惣左衛門氏が三重県四日市で始めた太物・小間物の小売[1]にある。ただし店を構えたわけではない。天秤棒の両端にもっこをつるして商品をかついで歩く行商であり、屋号は岡田家が自ら名乗った篠原屋[2]であった。創業の地は、西町に直交する久六町である[3]。屋号が岡田屋へ改まるのは明治20年(1887年)、5代惣右衛門氏[4]が四日市最大の繁華街で通称『辻』とよばれた南町一番屋敷へ店を移した[5]時であった。岡田家には『大黒柱に車をつけよ』[引用元]という家訓が受け継がれ、人の流れが変われば店の場所も動かす[6]という指針になった。
岡田屋は四日市で200年ほど続いた家業で、岡田卓也氏はこれを呉服屋と呼んでいる[7]。卓也氏の父は日本の小売業のなかでは比較的早く近代化を考え、大正末期に資本金25万円で株式会社の組織へ改めている[8]。1926年9月21日、衣料品販売を目的とする株式会社岡田屋呉服店[9]として設立された。当時は地方百貨店をつくる構想もあったが、父の急逝でさたやみ[10]となっている。卓也氏はのちに、小売業者はとかく1地区での巨大な百貨店化を夢見るが、消費者の動向に合わせるには多店舗化することが最も成長力があると述べた。父の代に構想された一地区の百貨店とは、逆の方向である[11]。
戦争は店を焼いた。岡田卓也氏は、戦後に店舗が全部戦災で焼けてどん底の状態を経験した[12]と述べている。焼け野原のなかにまず店舗を再建し、1974年の時点で四日市店は3度目の立地[13]になっていた。小売業は不動産業といわれるほど、よい立地に出店することが要点になる。昔の商家には『土蔵の下には車をつけておけ』[引用元]という言い伝えがあり[14]、岡田家の家訓はその系譜にある。早稲田大学を卒業した卓也氏[15]は、1946年6月に7代目当主として株式会社岡田屋呉服店の代表取締役社長に就任した[16]。1958年は、新設された近鉄四日市駅前に駅前オカダヤを開いた年である[17]。
再建した店で、岡田氏は売り方そのものを変えた。1955年ごろからセルフサービス方式のSSDDSを取り入れ[18]ている。当時は顧客になじみが薄く人件費も高くなかったため、必ずしも費用の削減にはつながらなかったが、先進国に学んで将来の姿を予測してかかったことが、その後の発展をもたらす原動力になった[19]と岡田氏は振り返った。1959年11月、商号を株式会社岡田屋へ改め[20]、同月、四日市店は百貨店法の適用を受けて営業を開始している。呉服店を名乗る時代は、この改称で終わった[21]。
1960年代に入ると、ダイエー・西友・イトーヨーカ堂といった企業が全国へチェーンを広げ、仕入規模がそのまま店頭価格の差になる時代が訪れた[22]。三重県を地盤とする岡田屋は単独では調達量で見劣りし、同じ問題は兵庫のフタギ、大阪のシロも規模の壁として抱えていた[23]。岡田氏にとって、個人企業から脱皮して近代的な流通業に生まれ変わることが念願であり、その手段として考えられたのが合併という戦略である[24]。資本自由化を控えて流通機構の再編成が課題となる時期[25]でもあった。
1969年2月、岡田屋・フタギ・シロの3社は共同出資で仕入会社(旧)ジャスコ株式会社を設立[26]した。本部の中枢機能をここへ集めて3社分の調達をまとめ、各社は法人として存続し店舗運営も地元に残したまま、規模の利益だけを共有しようとした設計[27]である。同じ1969年2月には三菱商事と提携し、両社の共同出資でショッピングセンターの建設と運営を担うダイヤモンドシティを設立[28]している。ダイエーの中内㓛氏は、緩やかな連合では実効がなく吸収合併でなければ意味がないと公に批判[29]した。3社が1年後に選んだのは、合併して一つの法人になりながら地域の経営は各地に残すという、両方を同時に採る設計[30]だった。
1970年3月、岡田屋は兵庫県下に27店舗を持つフタギをはじめ、オカダヤチェーン・カワムラ・(旧)ジャスコの4社と合併[31]した。5社が一つの法人になり、本店は三重から大阪市へ移り、資本金は6億8,844万円[32]へ増えた。翌4月、商号をジャスコ株式会社へ改めた[33]。合併の中心にいたのは岡田屋だったが、新社名に岡田屋の名は入っていない。最初の合併でもその後の地域会社との合併でも、オーナー家の名前を社名に残さない原則は貫かれた[34]。
岡田卓也氏は合併の意味を、長年続いた同族企業のからを破って近代的な企業として大きく成長するには、製造業における新技術や新製品の開発にも等しい革新が必要だという点に置いた[35]。封建的な小売業界のなかにあって革命といってもよい、と本人は表現している。人事をはじめ困難な問題は多かったが[36]、この合併は1970年にジャスコとして実現し、わが国小売業界再編成の口火を切る形になった[37]。グループ化の狙いは商品を大量かつ安価に仕入れて規模の利益を得る点にあり、当時としては例のない広範な再編戦略[38]だった。
合流した企業は、地域会社として別組織に残された。山陽ジャスコ、大分ジャスコ、福岡ジャスコ、カクダイジャスコ、西奥羽ジャスコ[39]がそれで、旧経営陣がそのまま経営に当たっている。各地方のトップ経営者に責任を持って仕事をしてもらうほうが能力を発揮でき、多店舗展開のうえで量販店をめぐる問題が起きた場合にもこの形のほうが有利だ、というのが岡田氏の説明だった。仕入は一つに束ね、売り場は地域に委ねる[40]。1979年時点で、ジャスコは連邦経営を旗印に流通業界の一大勢力になったと評されている[41]。
合併はジャスコ設立を起こりとして、中国地方で1社、九州で2社、東北で2社という順に重ね[42]られた。1972年8月に京阪ジャスコ・やまてや産業・やまてやの3社を合併して資本金は7億7,550万円[43]となり、1973年2月には三和商事・福岡大丸・かくだい食品ら6社を合併して10億760万円へ増えている。地図の空白を、その土地で商売をしてきた企業ごと埋めていく進め方だった[44]。
規模の拡大は資本市場での評価に結び付いた。1974年9月、ジャスコは東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第二部へ株式を上場している[45]。翌1975年2月には100%出資会社のジャスコチェーンほか7社を合併し、あわせてジェーフードから米穀販売を除く営業の全部を譲り受けた[46]。同年11月には京都・広島・福岡・新潟の各取引所へも上場[47]し、1976年8月2日には東京証券取引所市場第一部へ指定替えとなった。対等合併から6年で、地方の中堅スーパーの連合体は全国区の上場企業になった[48]。
合併と増資はその後も続いた。1976年8月には扇屋と東北ジャスコの2社を合併して資本金は31億5,000万円[49]となり、1977年8月の伊勢甚百貨店ほか6社との合併で47億1,510万円まで積み増している。資金の調達先も国内に留まらない[50]。1976年12月には欧州で株式を発行してルクセンブルク証券取引所へ上場[51]し、1977年6月には米ドル建転換社債[52]を、1978年12月にはドイツマルク建転換社債と株式をデュッセルドルフ・フランクフルト両取引所へ上場した[53]。1983年2月にはドイツマルク建新株引受権付社債も発行[54]している。
店をどこへ置くかについて、ジャスコは1974年の時点で三つの型を持っていた。都心型に近いアンカーストアは今後数が減ると見られ、郊外に駐車場を持ち日用品を中心に展開するファミリーニーズ・ショッピングセンターが当時の主流[55]である。三つめが本格的なショッピングセンターで、三菱商事と共同出資したダイヤモンドシティがその担い手[56]だった。奈良市西大寺の奈良ファミリーは百貨店とスーパーチェーンの二つを核とし、近鉄百貨店と組んで80店の専門店を配している。百貨店と組んで大規模な店舗を共同で開発し、新しい立地を創造する方式である[57]。
出店の費用は徹底して抑えられた。できるだけ規格品を使って合理化し、冷暖房と空調を含めて坪25万円程度で店舗を建てている[58]。土地はリース物件に頼れば保証金の投資だけで済む、と岡田氏は説明した。土地を買わずに店を出すという考え方は、この時点で既に実行されている[59]。1979年3月には同業他社4社と共同で、海外商品調達のための輸入専門会社アイク株式会社を設立した。のちにイオントップバリュとなる会社である[60]。1983年6月には本店を大阪市福島区から東京都千代田区へ移して[61]いる。
規制をめぐる立場も、この時期に定まっている。1974年、岡田氏は大型小売店法について、既存勢力が法による保護を求めた結果であり、百貨店業界がチェーンストアと同じ土俵で勝負すべきだとするのは全くナンセンスだと述べた[62]。1985年6月にはマレーシアへ海外1号店となるジャヤ・ジャスコストアーズのダヤブミ店を開き[63]、同年8月に株主優待制度のオーナーズカードを導入している[64]。1986年10月には子会社の信州ジャスコが名古屋証券取引所市場第二部へ[65]、1988年6月には米国の婦人服専門店チェーンであるタルボット社を子会社を通じて買収し、同年9月に子会社のウエルマートが株式を店頭登録した[66]。
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| 1758〜1969年四日市の行商から始まった岡田屋と、規模の劣位が呼んだ三社の共同仕入 | イオン創業——四日市の天秤棒行商「篠原屋」から岡田屋へ 1758年(宝暦8年)、岡田惣左衛門氏が四日市で太物・小間物の小売を始めた。店舗は構えず、天秤棒の両端にもっこをつるして商品をかついで歩く行商であり、屋号は岡田家が自ら名乗った篠原屋である。創業の地は久六町であった。明治20年、東海道と浜往還が交わる『辻』の南町一番屋敷へ店を移した時に屋号を岡田屋へ改め、以後『見競勘定』『店規則』『正札販売』と商いの仕組みを整えていった。昭和24年に辻から新道へ、昭和33年には近鉄四日市駅前へと、家訓『大黒柱に車をつけよ』のとおり店の場所を動かし続けた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 店規則を制定 | ★ | |||
| 岡田屋呉服店を設立 | ★ | |||
| 岡田卓也氏が7代目を継承 | ★★ | |||
| 岡田屋に商号変更 | ★ | |||
| 四日市店が百貨店法の適用を受けて営業開始 | ★ | |||
| フタギ・シロとの共同出資で(旧)ジャスコを設立 | ★★ | |||
| 三菱商事との合弁でダイヤモンドシティを設立 | ★★ | |||
| 1970〜1988年五社対等合併が制度にした連邦経営と、全国チェーンへの拡大 | 5社の対等合併によるジャスコ発足と「連邦経営」の設計 1970年3月、三重の岡田屋を中心に兵庫・大阪などの中堅スーパー5社が対等合併し、ジャスコが発足した。岡田卓也氏社長は大手の吸収合併型と一線を画し、旧経営陣を各地域会社の社長として残す『連邦経営』で、規模の統合と地域の自律を両立させようとした経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 本店を移転 | ★ | |||
| 岡田卓也 | ジャスコに商号変更 | ★ | ||
| 岡田卓也 | 京阪ジャスコなど3社を合併 | ★ | ||
| 岡田卓也 | 三和商事・福岡大丸など6社を合併 | ★ | ||
| 岡田卓也 | 東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第二部に上場 | ★ | ||
| 岡田卓也 | ジャスコチェーンなど8社を合併 | ★ | ||
| 岡田卓也 | 京都・広島・福岡・新潟の各証券取引所に上場 | ★ | ||
| 岡田卓也 | 東京証券取引所市場第一部に指定替え | ★ | ||
| 岡田卓也 | 扇屋・東北ジャスコを合併 | ★ | ||
| 岡田卓也 | ルクセンブルク証券取引所に上場 | ★ | ||
| 岡田卓也 | 伊勢甚百貨店など6社と合併 | ★ | ||
| 岡田卓也 | デュッセルドルフ・フランクフルト両証券取引所に上場 | ★ | ||
| 岡田卓也 | 同業4社との共同出資で輸入専門会社アイクを設立 | ★ | ||
| 岡田卓也 | 本店を移転 | ★ | ||
| 二木英徳 | 海外1号店のジャヤ・ジャスコストアーズを開業 | ★★ | ||
| 二木英徳 | 株主優待制度のオーナーズカードを導入 | ★ | ||
| 二木英徳 | 信州ジャスコが名古屋証券取引所市場第二部に上場 | ★ | ||
| 二木英徳 | 婦人服専門店チェーンのタルボット社を子会社化 | ★★ | ||
| 二木英徳 | ウエルマートが株式を店頭登録 | ★ | ||
| 1989〜2000年イオンへの改称と、大店法の緩和をにらんだ大型SCへの賭け | 二木英徳 | グループ名称を「イオングループ」と制定 | ★★ | |
| 二木英徳 | コックスが株式を店頭登録 | ★ | ||
| 二木英徳 | イオングループ環境財団を設立 | ★ | ||
| 二木英徳 | ミニストップが東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | ||
| 二木英徳 | タルボット社がニューヨーク証券取引所に上場 | ★ | ||
| 二木英徳 | ジャスコストアーズ(香港)が香港証券取引所に上場 | ★ | ||
| 二木英徳 | 本社を移転 | ★ | ||
| 二木英徳 | イオンクレジットサービスが株式を店頭登録 | ★ | ||
| 二木英徳 | 郊外大型ショッピングセンターの本格展開とデベロッパー事業への多角化 1995年、ジャスコは郊外の大型ショッピングセンターを数多く出すことを成長の主力に定め、店舗を自ら保有せずリースで賄うデベロッパー事業を本格化させた。大規模小売店舗法の運用緩和・地価下落・低金利を背景に、総合スーパー1店ごとの競争から、専門店を集めたSC同士の競争へと事業の枠組みを移した経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 田中賢二 | 田中賢二氏が社長に就任 | ★★ | ||
| 田中賢二 | ジャヤ・ジャスコストアーズがクアラルンプール証券取引所に上場 | ★ | ||
| 岡田元也 | 田中賢二氏が総会屋への利益供与事件で逮捕 | ★★ | ||
| 岡田元也 | 岡田元也氏が社長に就任 | ★★ | ||
| 岡田元也 | ヤオハンジャパンの再建支援を表明 | ★★ | ||
| 2001〜2026年連邦経営の解体と、食品スーパー再編の主導 | 岡田元也 | 本店を移転 | ★ | |
| 岡田元也 | イオンに商号変更 | ★★ | ||
| 岡田元也 | 会社更生手続下のマイカルの再建スポンサーに決定 | ★★ | ||
| 岡田元也 | イオンモールが東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | ||
| 岡田元也 | 委員会等設置会社に移行 | ★★ | ||
| 岡田元也 | 更生会社マイカル・マイカル九州を子会社化 | ★★ | ||
| 岡田元也 | イオンマルシェを子会社化 | ★ | ||
| 岡田元也 | オリジン東秀を子会社化 | ★ | ||
| 岡田元也 | ダイヤモンドシティを子会社化 | ★ | ||
| 岡田元也 | ポスフールを子会社化 | ★ | ||
| 岡田元也 | イオン銀行が営業免許を取得 | ★★ | ||
| 岡田元也 | 会社分割により純粋持株会社に移行 | ★★ | ||
| 岡田元也 | 連結純損失28億円を計上 | ★ | ||
| 岡田元也 | ツルヤ靴店を子会社化 | ★ | ||
| 岡田元也 | 小売子会社3社の統合と店名の「イオン」統一を決定 | ★★ | ||
| 岡田元也 | タルボット社の全株式を売却し連結対象から除外 | ★★ | ||
| 岡田元也 | CFSコーポレーションを子会社化 | ★ | ||
| 岡田元也 | イオンリテールがマイカルを吸収合併 | ★ | ||
| 岡田元也 | 中四国トップの食品スーパー、マルナカ・山陽マルナカの子会社化 2011年10月5日、イオンが、中国・四国エリアで211店舗を展開する食品スーパー、マルナカと山陽マルナカ(いずれも香川県・岡山県)の株式を創業者一族から取得し子会社化すると発表した経営判断。取得総額は約450億円で、同年11月25日に完全子会社化した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 岡田元也 | イオン銀行を子会社化 | ★ | ||
| 岡田元也 | イオンによるダイエーの完全子会社化と流通の世代交代 2013年8月にTOB(株式公開買付け)でダイエーを連結子会社化したイオンが、2014年9月に株式交換による完全子会社化を発表し、2015年1月にダイエーを完全子会社とした買収。ダイエー株は2014年12月に上場を廃止し、約60年続いた上場企業ダイエーが資本の面でイオンに一体化した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 岡田元也 | ウエルシアHDを子会社化 | ★★ | ||
| 岡田元也 | 株式交換によりダイエーを完全子会社化 | ★ | ||
| 岡田元也 | マルエツを子会社化 | ★ | ||
| 岡田元也 | ユナイテッド・スーパーマーケットHD・カスミを子会社化 | ★★ | ||
| 吉田昭夫 | 吉田昭夫氏が社長に就任 | ★ | ||
| 吉田昭夫 | 連結純損失710億円を計上 | ★★ | ||
| 吉田昭夫 | キャンドゥを子会社化 | ★ | ||
| 吉田昭夫 | 中四国最大手フジの共同持株会社化による実質子会社化と地域スーパー再編 2021年9月1日、イオンは中四国最大手の流通企業フジ、および傘下のマックスバリュ西日本との経営統合の基本合意を発表した。フジが会社分割で共同持株会社となり、株式交換でマックスバリュ西日本を子会社化する枠組みで、イオンが持株会社フジの株式51.5%を保有し、フジは上場を維持したままイオンの連結子会社となった。効力発生は2022年3月1日。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 吉田昭夫 | プライム市場に移行 | ★ | ||
| 吉田昭夫 | いなげやを子会社化 | ★ | ||
| 吉田昭夫 | ツルハHD・ウエルシアHDと経営統合で合意 | ★★ | ||
| 吉田昭夫 | ダイエーの東西2分割と食品スーパーの再編 2025年12月22日、イオンは傘下ダイエーを首都圏事業と近畿事業に分割する再編を公表した。2026年3月1日、首都圏事業はマックスバリュ関東・イオンマーケットと統合してユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス(USMH)傘下の新会社『イオンフードスタイル』となり、近畿事業は食品スーパーの光洋を吸収合併して新生『ダイエー』として再出発した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 吉田昭夫 | 連結売上高9兆3554億円・純利益726億円を計上 | ★ | ||
| 吉田昭夫 | ダイエーの首都圏事業をイオンフードスタイルへ承継 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(イオン)