2015年の40店閉鎖は、祖業スーパーの縮小に数値の目標を初めて据えた点で、一つの転換点であった。長年ヨーカ堂に改革を迫り続けた鈴木会長にとって、これは立て直しの総仕上げのつもりであったと思われる。だが結果として業績は営業赤字へと沈み、縮小の緩慢さは資本市場の不信を招いて、皮肉にも改革を主導した当人の退場を早める一因になった。効率を追う小売業の論理が、創業以来の求心力よりも前に立った場面であったのだろう。
その後の十年は、この決断が撤退戦の入り口にすぎなかったことを示している。井阪体制でも総合スーパーの整理は止まらず、2024年には33店の追加閉鎖が示され、2025年にはイトーヨーカ堂などを統括するヨーク・ホールディングスが米ベインキャピタルへ売却された。1958年に総合スーパーとして出発した祖業は、持株会社発足から20年でグループの手を離れた。40店という数字から始まった縮小は、業態そのものの退潮のなかで、祖業の分離という帰結へと連なっていっただろう。