イトーヨーカ堂「GMS撤退戦」——祖業スーパーの40店閉鎖

コンビニが最高益を更新するなか、鈴木敏文会長はなぜ発祥の総合スーパーの縮小に踏み切ったか

更新:

時期 2015年10月
意思決定者 鈴木敏文 セブン&アイ・ホールディングス 会長兼最高経営責任者
論点 祖業・総合スーパー事業の不振店整理と縮小
概要
2015年10月8日、セブン&アイ・ホールディングスが、傘下のイトーヨーカ堂について収益改善の見込めない店舗を今後5年で約40店閉鎖し、本部人員を3割削減する構造改革を、第2四半期決算とあわせて発表した経営判断。祖業である総合スーパー(GMS)の縮小に踏み込んだ、鈴木敏文会長兼CEO主導の決断であった。
背景
グループの収益はコンビニのセブン-イレブンが牽引する一方、祖業のイトーヨーカ堂は業績が右肩下がりで、2015年3〜8月期のスーパーストア事業は営業利益が前年同期比87.4%減にとどまっていた。GMS業態そのものの成熟と、大型ショッピングセンターとの競合が構造的な重荷となっていた。
内容
閉鎖する約40店は全店の約2割に当たり、地方の不採算店を中心に2016年2月期から2020年2月期にかけて年10店前後のペースで整理する計画であった。新規出店はショッピングセンター型か食品特化型に絞り、既存店は直営売場を削ってテナントを導入し、家賃収入を得て収益性を高める方針を示した。
含意
1958年に総合スーパーとして出発した祖業の縮小は、グループの主役がコンビニへ完全に移ったことを映していた。決断の翌年に鈴木会長は人事騒動の末に退任し、以後もGMSの整理は続いて、2025年にはイトーヨーカ堂を含むスーパー事業が米投資ファンドの傘下へ移った。
筆者の見解

祖業を手放すまでの十年

2015年の40店閉鎖は、祖業スーパーの縮小に数値の目標を初めて据えた点で、一つの転換点であった。長年ヨーカ堂に改革を迫り続けた鈴木会長にとって、これは立て直しの総仕上げのつもりであったとみられる。だが結果として業績は営業赤字へと沈み、縮小の緩慢さは資本市場の不信を招いて、皮肉にも改革を主導した当人の退場を早める一因になった。効率を追う小売業の論理が、創業以来の求心力よりも前に立った場面であったとみることができる。

その後の十年は、この決断が撤退戦の入り口にすぎなかったことを示している。井阪体制でも総合スーパーの整理は止まらず、2024年には33店の追加閉鎖が示され、2025年にはイトーヨーカ堂などを束ねるヨーク・ホールディングスが米ベインキャピタルへ売却された。1958年に総合スーパーとして出発した祖業は、発足から20年でグループの手を離れた。40店という数字から始まった縮小は、業態そのものの退潮のなかで、祖業の分離という帰結へと連なっていったとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

祖業スーパーの地盤沈下

セブン&アイ・ホールディングスは、2005年にイトーヨーカ堂グループから改組して発足した小売コングロマリットである。その収益を実際に牽引していたのはコンビニエンスストアのセブン-イレブンであり、祖業である総合スーパーのイトーヨーカ堂は業績が右肩下がりを続けていた。セブンが成長する一方でヨーカ堂は不振から抜け出せず、グループの稼ぎ頭はコンビニへと移っていた[1]

不振の直接の引き金は、2015年度に入っての急速な収益悪化であった。2015年3〜8月期のイトーヨーカ堂を含むスーパーストア事業は、営業利益が前年同期比87.4%減の11億5,800万円にとどまった。総合スーパーという業態自体が成熟し、郊外の大型ショッピングセンターや専門店との競合にさらされていたなかで、既存の合理化だけでは収益を支えきれなくなっていた[2]

決断

5年で40店という「総仕上げ」

2015年10月8日、セブン&アイ・ホールディングスは第2四半期決算の発表にあわせ、イトーヨーカ堂の事業構造改革を明らかにした。柱は、収益改善の見込めない店舗を今後5年間で約40店閉鎖することと、本部人員を3割削減することであった。閉鎖対象の約40店は全店の約2割に当たり、地方の不採算店を中心に、2016年2月期に数店、その後2020年2月期まで年10店前後のペースで整理していく計画であった。同社の店舗網の縮小を初めて明確な数値目標に落とし込んだ判断であった[3]

残す店舗の稼ぎ方も同時に組み替えられた。新規出店はショッピングセンター型か食品に特化した店舗に絞り、既存店については直営の売場面積を削ってテナントを導入し、品揃えの強化と家賃収入の両取りで収益性を高める方針が示された。この改革は、1982年にヨーカ堂常務時代の鈴木氏が始めた合理化プロジェクト「業革」の延長線上にあり、長く改革を迫ってきた鈴木会長が、祖業立て直しの「総仕上げ」と見定めた決断であった。40店閉鎖の方針は、正式発表に先立つ2015年9月にも報じられていた[4][5]

結果

営業赤字と経営体制の転換

40店閉鎖に踏み込んだにもかかわらず、イトーヨーカ堂の業績は下げ止まらなかった。グループ全体が最高益を更新するなかで、ヨーカ堂は2016年2月期についに単体で営業赤字に転落した。祖業スーパーの縮小は、不振店を切り離してもなお総合スーパーという業態そのものが逆風にさらされている現実を、あらためて浮き彫りにした[6]

縮小の遅さは、資本市場からの圧力も呼び込んだ。米投資ファンドのサード・ポイントは株式を買い集めたうえで、ヨーカ堂や百貨店のそごう・西武、通信販売のニッセンなどグループ事業の分離を要求した。これに対応する成長戦略の策定と前後して人事騒動が起き、井阪隆一セブン-イレブン社長に退任を迫った鈴木会長が、逆に取締役会で自らの人事案を否決されて退任する結末となった。2016年5月、井阪氏がセブン&アイ社長に就任し、GMS改革は次の経営陣へ引き継がれた[7][8]

出典・参考

免責事項およびポリシー