創業者の佐川清氏は九州で鳶の組「佐川組」を率い、組員に他の組より高い給料を払っていた。高い給料に引かれて他の組から移りたがる者が出て組同士の騒ぎとなり、佐川清氏は組を解散した。組の金は組員に均等に分けられて家だけが残ったといい、佐川清氏は妻の佐川幸恵氏に促されて尾道で覚えた飛脚業を選んだ。修業先の尾道の丸源には従兄の伊藤芳治氏がいたが、佐川清氏はその信用を借りず、独力で商売を起こした。1957年3月、35歳の佐川清氏は京都駅前を拠点に、京都と大阪の問屋やメーカーを相手に飛脚業を始めた。元手の無い再出発で選べたのは、設備を持たず体一つで始められ、しかも覚えのある商売だったとみられる。
佐川清氏は後ろ楯を頼らずに毎日問屋へ通い、訪ねた店をすべて顧客名簿に書き留めた。支えにしたのは、デパートに勤める知人から聞いた『今日のひやかし客は、あすのお得意さま』という心得だった。荷主に呼ばれれば、夜でも朝でも駆けつけた。開業45日目に大阪の千田商会からカメラ10台の配送を任され、これが初めての注文となった。光洋ベアリングの重量物も引き受けて専属の飛脚となり、捌ききれない荷は妻の佐川幸恵氏も担いだ。出張所は1958年からの2年で大阪・敦賀・福井・金沢・富山に置かれ、1960年4月に有限会社佐川急便を設けた。1961年にはトラックを入れて京阪神と北陸へ営業範囲を広げ、1965年11月に佐川急便株式会社を設立した。
大手の運送業者は量がまとまらず急ぎを要する荷を敬遠し、呉服や衣料、精密機器、高級生鮮食品の荷主は不満を抱えていた。佐川清氏はこうした少量で急ぎの高付加価値品の輸送に的を絞り、1973年の石油ショック後も扱いを伸ばした。荷を集めたのは集荷と配達に加えて営業も担う「セールス・ドライバー」で、配達先で他社に出ている荷を見つけると出荷を頼んだ。夫婦で捌けない量になって人を雇う際、佐川清氏は鳶の組と同じく給料を世間相場より高くする考えで臨み、月給の遅配もしなかったという。佐川清氏は第一線のドライバーを大事にする方針を掲げ、1982年初めには初任給を48万円に上げるよう指示した。高い給料が、運転に加えて荷主を開拓する働きを現場から引き出したのだろう。
急便会社は1960年の京都に始まり、北陸・四国・九州・中国・大阪を経て1974年の東京まで地域別の別法人で置かれた。東京の母体は、のちの東京佐川急便社長の渡辺広康氏が1963年に設けた渡辺運輸で、1974年の業務提携で加わった。グループの売上高は1973年に100億円を超え、1979年には1,000億円に達した。伸びに弾みを付けたのは、大都市の東京で東京佐川急便が扱う荷を大きく増やしたことだった。各ブロックは独立採算の別法人で、東京佐川急便常務の早乙女潤氏は『ブロック制のメリットは、損益がはっきり出ることだ。』と利点を挙げた。重要事項は統括本部が合議して伝える仕組みで、早乙女潤常務はこれをフランチャイズに近い形と説明した。
1975年、佐川急便グループは統括本部の機能を持つ清和商事を設立した。同じ1975年7月に京都自動車興業を、1980年5月には佐川自動車工業を設けた。1983年2月には佐川コンピューター・システムを設け、全店をオンラインで結んで1日150万個の荷の所在を追えるようにした。1984年には清和商事を核に全国九ブロックの主管店を置き、その下に198の店舗と関連会社が並んだ。各ブロックは独立採算のまま清和商事の役員が長を兼ね、清和商事は各社の収益を吸い上げて上納金の引き上げを求めることもあったという。運ぶ仕事は地域会社に任せ、車両・航空・情報と資金を本部側に寄せた形と推察される。
1980年9月、佐川急便グループは航空貨物の代理店を担う佐川航空を設立した。国内航空貨物への参入に業界がこぞって抵抗したため、佐川急便とは別会社とし、日航・全日空・東亜国内航空の代理店になったという。佐川航空は通常なら長い年月を要する混載免許を、代理店となってから2〜3年で取った。1982年に佐川急便は売上高約2,000億円の規模となり、日本通運に次ぐ位置にあった。1985年、佐川正明氏が代表を務める佐川急便は、米国の小口貨物最大手で航空会社も営むフェデラル・エクスプレスと業務提携した。トラック便の伸びが落ち着くなか、航空と国際を総合物流への足場に据えたと思われる。
1982年の東京佐川急便は1日に数十万個の荷を扱い、膨らむ事務処理の合理化を急いでいた。電話の集荷依頼を即時に入力する仕組みで受付の効率を2倍以上にし、1時間1万3,000個を仕分ける装置で処理能力を約3倍にした。送り状を画像で読み取る装置も入れ、荷の問い合わせにその場で答えられるようにした。1986年1月、中京佐川急便は約60億円を投じ、1時間に3万個を捌く小牧物流センターを開設した。センターは保管から梱包、納品代行までを24時間で請け負う設計だった。一方、1984年の東京佐川急便は配送センターに70億円の投資予算を持ちながら、適当な用地を見つけられずにいた。
1990年3月期の佐川急便グループは急便60社と各種機能を担う17社から成り、連結売上高は6,434億円だった。売上高は日本通運の半分弱だったが、利益は743億円と日通の1.6倍で、利益率は11.5%だった。急便60社の過半は、区域運送を中心とする各地の中小運送会社を買収して加えた会社だった。佐川清氏は業績を上げる地域会社の経営に細かく口を出さず、各社の自由度は高かったという。東京佐川急便社長の渡辺広康氏はグループの二番手に上り、佐川清氏の経営に不満を持つ各社幹部の支持を集めた。1990年に京都佐川急便と清和商事が合併して佐川急便が発足し、翌1991年には東京佐川急便事件が発覚した。
1992年2月13日、東京地検特捜部と警視庁は東京佐川急便に合同で強制捜査に入った。東京佐川急便は年間売上高が8,000億円を超える佐川急便グループの中核会社で、同社による4,000億円を超える債務保証が疑惑の中心にあった。佐川急便グループは各地の運送会社を傘下に収め、最も多い時には62社を数えた。大阪佐川急便社長だった栗和田榮一氏は、各社の社長に与えられた権限の大きさが東京佐川急便の逸脱を許したと説明した。特別背任の罪に問われたのは渡辺広康元社長で、暴力団系列の企業へ融資し債務保証を付けたことが、会社に約400億円の損失をもたらしたとされた。渡辺広康元社長の実刑は2003年3月に最高裁で確定した。地域会社に権限を委ねて規模を追う仕組みのもとで、本社は資金の流れを押さえる手段を持たなかったとみられる。
1992年2月、再建を話し合う銀行団との協議で、次期社長の候補者が病気を理由に辞退した。代わって栗和田榮一氏が、中京佐川急便社長の湊川誠生氏と主取引銀行の三和銀行京都支店長らの説得で社長を引き受けた。栗和田榮一氏は創業者の佐川清氏の実子で、就任の事情を『非公開の会社だから、創業者と血のつながった者が社長に就いた方が座りが良かったのだろう。でも、本当はやりたくなかった』と振り返った。引き受けに際して、栗和田榮一氏は経営の独立性と権限を明確にすることを条件とし、受け入れられた。1992年5月1日付で中核の地域会社が合併し、新しい佐川急便が発足した。栗和田榮一氏は同じ1992年5月、新会社の代表取締役社長に就任した。一方で就任時の覚書には、3年後に後を託すことと、将来の後継者を創業家の長男とすることが記されていた。
東京佐川急便事件で佐川急便が抱えた債務は、一時5,963億円に上った。グループ全体の有利子負債は、事件当時9,336億円あった。佐川急便は当初、東京佐川急便に会社更生法を適用することも検討した。栗和田榮一社長は金融機関から融資の個人保証を求められた。社内に向けて、栗和田榮一社長は資金が途切れかねない状況を前に緊縮財政を訴えた。1992年6月の集計では、1991年までの5年間の申告所得の伸び率で佐川急便が全国の首位にあった。その後の返済で、債務は2001年3月末に47億円まで、有利子負債は4,824億円まで減る見通しとなった。資産の売却ではなく期間収益で返せたのは、この稼ぐ力が前提にあったためと推察される。
佐川急便は1992年に続いて1994年にも合併を行い、経営の基盤を本社に集めた。全国は12ブロックに分け、各ブロックに主管店を置いて営業所と路線会社を結んだ。栗和田榮一社長は指揮命令系統を一本にし、資金管理を厳しくして、本社が末端まで管理できる体制へ改めた。本社機能を厚くするため地方から人材を集め、批判の強かったドライバーの過剰労働の改善も進めた。約5,200億円の不良債権は、期間収益を主な原資として自力で処理した。取締役財務経理部長の津村秀行氏によれば、1997年3月期に不良債権処理のめどが立った。事件から12年間の返済は元利合計で約8,400億円に達し、そのうち7,250億円をグループ全社の期間収益で賄った。
宅配便への参入を主導したのは栗和田榮一社長で、古参の幹部はこれに反対した。反対の理由は、商業貨物を運んできた現場には個人宛ての荷物にすぐ応じる態勢がなく、負担が増えて収益力も低下するというものだった。これに対し推進派は、通信販売会社などが個人の消費者へ企業から直接荷物を送る取引を増やしており、商業貨物は頭打ちだと訴えた。1998年、佐川急便は「宅配便・佐川急便」の名で事業者発・一般消費者宛ての荷物を扱い始め、同年4月に21世紀統一スローガン「安全、環境、そしてサービス。」を制定した。宅配便の増加分には商業貨物から移った荷物も含まれていたものの、荷物量全体が減るのは食い止めた。
宅配便の時間帯指定は、ヤマト運輸が1998年春に導入し、日本通運などが続いていた。佐川急便は荷主の個別の求めには応じていたが、全社の仕組みとしては持っていなかった。1999年10月、佐川急便は約550社の法人荷主に限り、業界で初めて24時間の配達指定を試験的に始めた。深夜0時までは通常料金で5つの時間帯から選べ、0時以降も追加料金で時刻を指定できた。取扱貨物の約85%は届け先が企業で、ネット通販による中抜きが従来の商業貨物を細らせる懸念があった。同じ1999年には、保冷輸送の「飛脚クール便(冷蔵)」も全国に広げた。個人向けの取扱量で先行するヤマト運輸に対し、佐川急便は指定できる時間の幅を競争の焦点に据えたと思われる。
栗和田榮一社長は、就任時の覚書にあった3年の期限を過ぎても経営を創業家に返さなかった。佐川清氏は1999年、自らが持つ佐川急便株約5万株を右翼団体に譲り渡したが、手続きに不備があり譲渡は無効とされた。2000年6月の取締役会で、副社長の湊川誠生氏と境保氏を中心とする反対派は、佐川光氏を社長に選ぶよう求めた。採決の結果、栗和田榮一社長を解任する動議は通ったものの、佐川光氏を選ぶ案は否決され、改めて栗和田榮一社長を再任する動議が可決された。クーデターに加わった代表取締役副社長2人は6月19日の株主総会で退き、代表権を持つのは栗和田榮一社長1人となった。栗和田榮一社長は、この内紛の遠因を東京佐川急便事件に求め、事件前の地域会社の独立した時代を懐かしむ人々がいたと説明した。
2002年3月に佐川清氏が死去し、同年6月には佐川光氏ら反対派の残る取締役も退いた。栗和田榮一社長は2002年6月に佐川急便の代表取締役会長へ移った。後任の社長には専務の真鍋邦夫氏が就任し、創業家以外から初めてのトップとなった。海外では2003年1月、上海で現地企業との合弁による宅配便会社が営業を始めた。同年9月には中国保利集団との合弁の保利佐川物流(深圳)が営業を始め、中国全土で3PL事業を営む許認可も得た。2004年3月の3カ年中期経営計画は「アジアNo.1の総合物流会社」を目標に掲げた。取締役経営企画本部長の若佐照夫氏は、得意の国内の企業間貨物が縮小傾向にあることを理由に挙げた。
2004年の佐川急便は、日本郵政公社とヤマト運輸を追う宅配便の第三勢力に位置づけられた。2004年には、日本郵政公社と提携したメール便「佐川ゆうメール」を投入した。これに先立つ2000年には、カード決済のできる代金引換「e-コレクト」の全国展開を始めていた。一方で2004年3月期の売上高伸び率は2.1%で、ヤマト運輸の4.0%の半分ほどにとどまった。純負債は約3,000億円残り、約1,200億円の株主資本に対して2.5倍程度の水準にあった。中期経営計画は連結売上高9,000億円、有利子負債3,000億円以下、株主資本比率30%を財務の目標に置いた。2005年4月には、栗和田榮一会長が佐川急便の代表取締役会長兼社長に就任した。宅配便の量で上位を追い、財務の厚みで劣る立場のまま、佐川急便は次の組織再編を迎えたのだろう。
佐川急便は京都自動車興業、佐川航空、佐川コンピューター・システムと、周辺の事業を1975年から子会社として設けてきた。2006年2月の臨時株主総会で、佐川急便は自らを完全子会社とする単独株式移転を決めた。翌3月、資本金11,275百万円の純粋持株会社としてSGホールディングスが発足した。会社の説明では、設立の目的は顧客の求めの変化に合わせて意思決定の速度を上げることにあった。新会社には経営戦略の策定と管理の機能を持たせ、事業の執行は子会社に委ねた。佐川急便の会長兼社長だった栗和田榮一氏は設立と同時に代表取締役を兼ね、6月に会長兼社長に就任した。宅配の会社の下に周辺事業を抱える形のままでは、事業ごとの経営判断が宅配の都合に引きずられやすかったのだろう。
2006年6月、SGホールディングスは佐川急便から佐川グローバルロジスティクスほか子会社10社の株式を譲り受けた。佐川グローバルロジスティクスは、倉庫の提供や業務の受託を手がけた佐川物流サービスが同じ6月に社名を改めた会社だった。グループ報は、この会社に3PLなどロジスティクス分野で顧客を包括的に支える基盤づくりを担わせると伝えた。国際貨物では、2005年7月に佐川急便の国際営業部と佐川航空を統合し、佐川グローバルエクスプレスを設けていた。2006年8月には、国際貨物の通関を扱う佐川通関もこの会社へ統合した。宅配の佐川急便と、3PL・国際貨物を担う会社を持株会社の下で並べ、宅配以外の事業に独自の経営の場を与える組み替えだったとみられる。
2006年11月のグループ報で、海外担当取締役の直井好昭氏は国内の総合物流に加え、アジアで国際フォワーディングを本格展開すると述べた。グループは2005年に韓国・タイ・インドネシア・台湾へ現地法人を設けていた。2006年8月のマレーシア開設で、ASEAN主要国への拠点配備をほぼ終えた。国際宅配便の統一ブランド「sgx」を各国の共通の看板とし、一般貨物や3PLの受注につなげる方針も示した。国内では2007年8月に不動産のSGリアルティを設け、2008年11月に佐川ロジスティクスパートナーズを設けた。2009年2月にはワールド・ロジが持つワールドサプライの全株式を譲り受け、同社を子会社にした。宅配の外に国際・不動産・物流受託の収益源を育てる方向は、持株会社の設立から3年で形になったと推察される。
2012年3月期の連結売上高は881,134百万円で、前期の894,346百万円を下回った。この年の6月、SGホールディングスはシンガポールにSG HOLDINGS GLOBAL PTE. LTD.を設けた。2018年3月期の有価証券報告書では、同社は資本金205百万米ドルの全額出資子会社で、セグメントは全社(共通)とされた。2013年5月には、シンガポール国内の物流を強めるためAMEROID LOGISTICSを買収した。決算説明資料は、この買収の狙いを陸送の機能の確保と倉庫・CFSの機能の拡充に置いた。同じ期にはカンボジアに支店を開設し、ベトナムとの間の南部経済回廊を使うトラック輸送に備えた。国ごとに散らばる現地法人を、アジアの物流の結節点から統括する役をシンガポールの会社に持たせたと思われる。
2013年1月31日、栗和田榮一会長兼社長のもとで、SGホールディングスはハマキョウレックスとの資本・業務提携の基本合意書を結んだ。提携の中心は、佐川グローバルロジスティクスの国内3PL事業とハマキョウレックスの統合だった。対象には、佐川グローバルロジスティクスの全額出資子会社である佐川ロジスティクスパートナーズも含めた。両社は、国内物流市場の縮小と競争の激化を前に、中長期の成長への危機感を共有したと説明した。SGホールディングスはハマキョウレックス株の一部を取得する予定とし、統合の形態と比率は協議に委ねた。2013年5月、佐川グローバルロジスティクスはSGHグローバル・ジャパンに社名を改めた。同時に会社分割で同名の会社を新設し、国内ロジスティクス事業をそこへ移した。
2013年2月、佐川急便の社長に荒木秀夫氏が就任した。2014年3月期の中間期、飛脚宅配便の取扱個数は606,254千個で、前年同期の683,119千個に対し88.7%にとどまった。連結営業収益は4,385億円から4,158億円へ減ったが、営業利益は138億円から213億円へ増えた。決算説明資料は、デリバリー事業の増益の理由を適正運賃の収受による利益率の向上に置いた。通期の連結営業収益は835,086百万円で、2012年3月期の881,134百万円を下回った。2016年3月期の中間期には飛脚宅配便が5億9,404万個と前年同期比100.8%に戻った。この期の営業利益の要因にも、適正運賃収受の取組みの効果が挙げられた。
2014年6月、SGホールディングスは国際貨物事業を広げるため、スリランカの物流会社EXPOLANKA HOLDINGS PLCを買収した。統合報告書2023は、同社の役割を南アジアから欧米への航空・海上輸送と位置づけた。2018年3月期末の議決権の持分は67.5%で、傘下にはインドや米国の会社もあった。2016年3月期の方針には、エクスポランカとの連携を強めて海外の網を厚くすることが入った。国内では同じ2014年4月、佐川急便と佐川グローバルロジスティクスが合同の営業チーム「GOAL」を発足させた。チームは宅配網、物流加工、国際フォワーディング、決済などグループ各社の機能を集約し、顧客に一貫した物流を提案する役を担った。
2013年1月の時点で、SGホールディングスの代表者は会長兼社長の栗和田榮一氏だった。2015年3月、町田公志氏が代表取締役社長に就任し、栗和田榮一氏は代表取締役会長に移った。町田公志氏は1979年に日本リクルートセンターへ入社し、2005年にリクルートコスモスの代表取締役社長となった。2010年10月にSGリアルティの顧問に迎えられ、2011年3月から同社の社長を務めた。2013年6月にSGホールディングスの取締役となり、管理・統制を担当した。2014年3月には企画・国際・事業推進担当の代表取締役に就任していた。不動産と国際を担ってきた外部出身者への交代は、宅配の外へ広がるグループの経営を任せる人選だったと考えられる。
2016年3月30日、町田公志社長のもとで、SGホールディングスと佐川急便は日立物流と資本業務提携契約を結んだ。両社は厳しい経営環境として、国内の貨物需要の伸び悩みと、人手不足による人件費などの費用の増加を挙げた。提携の主題は『“デリバリー事業”と“ロジスティクス事業”の融合』で、佐川急便の輸配送の力と日立物流の3PL・物流技術を組み合わせるとした。SGホールディングスは日立製作所から日立物流株の29.0%を相対取引で取得することにした。逆に日立物流はSGホールディングスから佐川急便株の20.0%を取得し、両社は株式を持ち合った。業務では車両の集中管理やセンターの共同活用を掲げ、経営統合の可能性も協議するとした。SGホールディングスが東京証券取引所市場第一部に上場したのは、その1年9カ月後の2017年12月だった。
町田公志社長のもと、SGホールディングスは2017年12月に東京証券取引所市場第一部へ株式を上場した。同年11月6日の取締役会が承認したのは新株の発行ではなく、既存株主による7,158万2,900株の売出しであった。売り手の大半はSGホールディングスグループ従業員持株会で、国内と海外を合わせて7,068万2,900株を放出した。同じ開示で、大型物流施設「Xフロンティア」の新設は自己資金とグループ内の投融資で賄う計画と示した。利益配分では連結配当性向30%を目標とし、自己株式の取得も組み合わせる方針を掲げた。会社が上場で手にしたのは資金ではなく、従業員が持つ株の換金の場と、資本市場での評価だったとみられる。
SGホールディングスは2019年4月、佐川急便の社長を務めていた荒木秀夫氏を代表取締役社長に就けた。荒木秀夫氏は1982年に東京佐川急便へ入社し、2013年2月から佐川急便の社長として宅配の事業会社を率いてきた。交代の時期は、2016年に定めた9か年の中長期経営計画が第2段階へ移る節目と重なった。第1段階が経営資源の拡充を主題としたのに対し、2020年3月期からの第2段階は経営基盤の強化を掲げた。その中核に据えた次世代型の大規模物流センター「Xフロンティア」は2020年1月末に竣工し、同年10月に中継センターが動き出した。宅配の運営を知る社長に、計画の切り替えと大型拠点の立ち上げを託した人選と思われる。
佐川急便グループで3PLを担う佐川グローバルロジスティクスは、2020年3月に上海虹迪物流科技を子会社にした。買収の目的は、東アジアと中国でのロジスティクス事業の拡大だった。同社は中国全域に網を持つ虹迪を取り込み、中国国内の物流と日中間の国際物流を広げる方針も併せて掲げた。当時の国際事業の軸は2014年に買収したスリランカのEXPOLANKAで、世界規模の貨物フォワーディング網を担っていた。統合報告書2020は国内の事業ノウハウを海外に移す例として虹迪を挙げ、越境ECも事業拡大の手段に数えた。国際輸送はEXPOLANKA、中国内の倉庫と配送は虹迪という分担で、日中を結ぶ一貫物流を描いたと推察される。
2020年からの感染症の広がりで購買が通信販売へ移り、宅配便の届け先は企業向けが6%減り、個人宅向けが21%増えた。統合報告書2022は『当社グループの2021年3月期の年間取扱個数は、当初計画の13億個から1億個増加し、14億個となりました』と総括した。この増加に対し、Xフロンティアの本稼働を半年早め、集配の要員を配置し直して処理能力を広げた。2021年3月期の営業収益は1,312,085百万円、営業利益は101,726百万円に達した。翌期はEXPOLANKAが逼迫した海上コンテナの枠を押さえ、2022年3月期の営業利益は1,557億円と前期から53.1%増えた。次期計画の目標を前倒しで満たし、2022年3月に2030年までの長期ビジョンと中期経営計画「SGH Story 2024」を公表した。
2021年6月、栗和田榮一会長が代表取締役会長兼社長となり、社長職を兼ねた。栗和田榮一会長は1992年に佐川急便の社長に就任し、2006年から2015年まではSGホールディングスの会長兼社長を務めていた。荒木秀夫氏の社長在任は、2019年4月からの約2年にとどまった。兼務に先立つ2021年3月期は、営業収益と営業利益がともに過去最高だった。会長兼社長として出した2022年の統合報告書では、新計画の重点に「ガバナンスの更なる高度化」を置いた。その対象として挙げたのは、近年大きく伸びた海外事業の統治の仕組みづくりであった。業績の悪化による交代ではなく、膨らんだ海外事業を創業期から知る経営者の目で締め直す体制だったのだろう。
2016年の資本業務提携で互いに持ち合った株を、SGホールディングスは2020年9月から段階的に解いた。まず日立物流が持つ佐川急便株20%を買い取り、自らが持つ日立物流株のうち1,953万9,100株を売った。2022年3月期に460万株を売り、残る821万600株も2022年11月のHTSKによる公開買付けへの応募などで手放した。この売却で、2023年3月期に497億87百万円の投資有価証券売却益を計上した。2023年6月には管理・統制担当の代表取締役だった松本秀一氏が社長に就任し、栗和田榮一氏は会長に戻った。松本秀一社長は最初の統合報告書で、インフレのもとで『更なるローコストオペレーションの実現によるコスト構造の抜本的な変革が不可欠です』と記した。
栗和田榮一会長は2024年の統合報告書で、『現在、宅配便以外の事業の競争力は十分とは言い難く』と自社の弱点を認めた。そのうえでTMSや3PLを伸ばす一環に、低温物流のC&Fロジホールディングスのグループ化を位置づけた。C&Fには先にAZ-COM丸和ホールディングスが1株3,000円で公開買付けを始めていた。丸和への応募は72万8,900株にとどまり、下限に届かず買付けは行われなかった。SGホールディングスは1株5,740円で対抗し、84.83%の応募を得て2024年7月22日にC&Fを連結子会社とした。取得原価は124,386百万円、のれんは59,734百万円に上り、資金には85,000百万円の借入れを充てた。
SGホールディングスは2025年3月27日、次の中期経営計画「SGH Story 2027」を公表した。前計画の3年間は、エクスポランカの物量と運賃の下落が想定を超え、宅配便の個数も減って、収益と利益がともに計画を下回った。新計画は市場の成長性と資本収益性で事業を区分し、重点・育成から撤退検討までの方向を割り振った。松本秀一社長は統合報告書2025で『目標としては2030年度のROE水準15%を掲げました』と記し、経営の尺度を資本効率に移した。株主還元は累進配当と3カ年累計の総還元性向60%以上を掲げ、自己株式の市場買付けに600億円程度を見込んだ。同じ計画のもと、2025年5月20日に台湾のフォワーダーMorrison Express Worldwideの全株式を取得した。
松本秀一社長は大型の成長投資について、『大型の成長投資については、2025年3月期に実施した2社のM&Aで一段落と考えています』と区切りを付けた。中期経営計画は3カ年で740億円の資産売却を見込み、政策保有株式の持ち合いを解く際には自己株式の取得も検討するとした。2025年11月、佐川グローバルロジスティクスは上海虹迪物流科技の出資持分を売り、虹迪は連結の範囲から外れた。2026年3月期には持分の譲渡損などで55億45百万円の特別損失を計上し、政策保有株式の売却益などで55億72百万円の特別利益を得た。この期のROEは10.5%と前期から0.5ポイント上がり、非中核子会社の持分譲渡や不稼働資産の売却も寄与した。2020年に中国での足場として買った虹迪は、資本効率の尺度のもとで非中核に分けられたと考えられる。
https://the-shashi.com/api/companies.json https://the-shashi.com/api/decisions.json https://the-shashi.com/api/api-manifest.json https://the-shashi.com/api/9143/company.json https://the-shashi.com/api/9143/history.json https://the-shashi.com/api/9143/ceo.json https://the-shashi.com/api/9143/financials.json https://the-shashi.com/api/9143/financials/segment.json https://the-shashi.com/api/9143/financials/pl.json https://the-shashi.com/api/9143/financials/cf.json https://the-shashi.com/api/9143/financials/bs.json https://the-shashi.com/api/9143/financials/employee.json https://the-shashi.com/api/9143/financials/stock.json https://the-shashi.com/api/9143/financials.csv https://the-shashi.com/api/9143/financials_history.csv | 時代 | 年月 | 社長・CEO | 出来事 | 重要度 |
|---|---|---|---|---|
| 1957〜1991年飛脚事業から東京佐川急便事件までの非上場急成長期 | 佐川急便を設立 | ★ | ||
| 京都自動車興業を設立 | ★ | |||
| 佐川自動車工業を設立 | ★ | |||
| 佐川航空を設立 | ★ | |||
| 佐川コンピューター・システムを設立 | ★ | |||
| 翼運輸を子会社化 | ★ | |||
| 佐川急便有限公司を子会社化 | ★ | |||
| 1992〜2005年東京佐川急便事件の摘発後の立て直しと社長解任動議、海外拠点の設立 | 創業者・佐川清氏の経営からの退場と、創業者支配の終わり 1992年、佐川急便グループの中核会社である東京佐川急便が政治家・反社会的勢力へ数千億円規模の債務保証を行っていた疑惑が表面化し、東京地検特捜部と警視庁による合同強制捜査に発展した。渡辺広康・同社元社長と早乙女潤元常務は特別背任容疑で起訴され、創業者の佐川清氏はグループ会長を辞任して表舞台から退いた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 渡辺広康元社長らを特別背任容疑で摘発 | ★★ | |||
| SAGAWA EXPRESS VIETNAM CO., LTD.を設立 | ★ | |||
| 創業者派閥によるクーデター未遂を経た経営権の掌握 2000年6月、佐川急便の取締役会で創業者派閥が栗和田榮一社長の解任動議を提出し、栗和田榮一氏はいったん解任を受け入れたものの、即座に反撃の人事と寝返り工作を仕掛け、同日中に自らの社長再任を可決させた経営判断。16日後の株主総会で創業家派閥の代表取締役2人は取締役の座を失い、代表権は栗和田榮一氏1人に集約された。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 同日中に栗和田榮一氏の社長再任を可決 | ★★ | |||
| 保利佐川物流有限公司(現・佐川急便国際物流(深圳)有限公司)を設立 | ★ | |||
| 2006〜2016年持株会社SGHDの設立と適正運賃の収受、Expolanka買収と日立物流との提携 | 栗和田榮一 | 純粋持株会社体制へ移行しSGHDを設立 | ★★ | |
| 栗和田榮一 | 佐川急便から佐川グローバルロジスティクスほか10社の株式を譲受 | ★ | ||
| 栗和田榮一 | SG HOLDINGS GLOBAL PTE. LTD.を設立 | ★ | ||
| 栗和田榮一 | 大口顧客の宅配取引の絞り込みと、配送単価の維持を優先する選択 2013年、SGホールディングス傘下の佐川急便が、ネット通販最大手アマゾンジャパンとの宅配契約について取扱個数を絞り込み、4月から実質的に取引を中止した経営判断。荷物量を追う数量至上主義から距離を置き、同時期に進めた法人向け配送単価の引き上げ交渉と一体で進めた収益構造改革であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 町田公志 | スリランカのEXPOLANKA HOLDINGS PLCを買収 | ★★ | ||
| 町田公志 | 日立物流と資本業務提携契約を締結 | ★★ | ||
| 2017〜2026年東証一部上場と中国・台湾の物流会社買収、C&FロジHDの買収 | 町田公志 | 創業60周年に果たした、2017年最大規模となる株式公開 2017年12月13日、佐川急便を中核とするSGホールディングスが、創業60周年の節目に東京証券取引所第1部へ新規上場した経営判断。初値は公開価格1,620円を17%上回る1,900円をつけ、初値ベースの時価総額は約6,083億円、調達額は1,276億円と、2017年に上場した銘柄では最大規模となった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 荒木秀夫 | 上海虹迪物流科技有限公司を買収 | ★ | ||
| 栗和田榮一 | 東京証券取引所プライム市場に移行 | ★ | ||
| 松本秀一 | AZ-COM丸和との競合買付けを制しての、傘下入りの実現 SGホールディングスは2024年5月31日、食品低温物流大手のC&Fロジホールディングスに対し、1株5,740円・買付代金の上限1,237億円のTOB(株式公開買付け)を実施すると決議した。AZ-COM丸和ホールディングスが先行して仕掛けていた1株3,000円のTOBに、松本秀一社長が対抗提案で応じた経営判断であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 松本秀一 | Morrison Express Worldwide Corporationを買収 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(SGホールディングス)