1957年〜 飛脚事業から東京佐川急便事件までの非上場急成長期
- 1965年佐川急便株式会社を設立
- 1975年京都自動車興業株式会社(現・佐川アドバンス株式会社)を設立
- 1980年佐川自動車工業株式会社(現・SGモータース株式会社)を設立
- 1980年佐川航空株式会社(現・SGHグローバル・ジャパン株式会社)を設立
- 1983年佐川コンピューター・システム株式会社(現・SGシステム株式会社)を設立
- 1988年翼運輸株式会社(現・SGムービング株式会社)を子会社化
- 1990年佐川急便(香港)有限公司を子会社化
SGホールディングスの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
京都の土木業者が始めた飛脚事業と「高くても確実」の小口配送モデル
1957年、創業者の佐川清氏は京都で「佐川組」という土木建設業を営みながら、京都〜大阪間で荷物を運ぶ飛脚事業に参入した。徒歩から始まり、自転車、オートバイへと運搬手段を切り替え、輸送効率を引き上げた。1961年にトラックを導入し、翌1962年に佐川急便株式会社を設立して本格的なトラック運送事業者として再出発した。当時のトラック輸送業界では、西濃運輸のように大企業向けの大口荷物を定期便で運ぶ事業者が主流で、効率の悪い小口荷物を扱う運送会社はほとんどなかった。佐川清氏は飛脚由来のビジネスモデルを踏襲し、企業向け小口配送を相場より高めの料金で請け負う方針を選んだ。 [1]
- SGホールディングス 有価証券報告書 第10期(2018年3月期)【沿革】
- [1]1957年 佐川清が京都で京都〜大阪間の飛脚事業を創業
「高くても確実に届ける」の小口配送は、国鉄や郵便局の小口輸送で配送遅延や紛失が頻発する状況のなかで、企業顧客の支持を集めた。当時の小口配送はBtoBの法人需要が大半で、ヤマト運輸が個人向け宅急便を発明する1976年までは、企業の小口荷物市場に積極的に参入する競合がほとんどなかった。輸送料金が運輸省の規定する公定料金を超えるとして行政から問題視されたが、顧客企業からの納期厳守への評価がそれを上回り、佐川急便は関西を起点に取扱量を伸ばした。1973年に売上高100億円を突破し、1975年にはトラック1,000台を稼働する関西有数の地域輸送会社へ拡大した。佐川急便事件で揺れる以前の佐川急便を、業界後発の小口配送専業として定義づけた創業期の事業設計である。 [2][3]
- SGホールディングス 有価証券報告書 第10期(2018年3月期)【沿革】
- [2]1973年に売上高100億円突破
- [3]1975年時点でトラック1,000台を稼働
- SGホールディングス 有価証券報告書 第10期(2018年3月期)【沿革】
- [1]1957年 佐川清が京都で京都〜大阪間の飛脚事業を創業
- [2]1973年に売上高100億円突破
- [3]1975年時点でトラック1,000台を稼働
ブロック制とセールスドライバーで全国網を組み上げた地域子会社モデル
1974年、佐川急便は東京地区への進出のため渡辺運輸を合併し、子会社「東京佐川急便」を設立した。トラック運送業は運輸省の許認可制で新規参入が困難なため、認可済みの地域運送会社を子会社化し、全国の路線網を組み上げる方針に切り替えた。佐川清氏は全国を9つの地域ブロックに分割し、それぞれの地域子会社が独立採算で損益を負う「ブロック制」を採用した。本社から地域子会社への上納金を毎期一定額確保する一方、地域子会社の業績向上分はその地域に還元する仕組みで、地域子会社のドライバーには成果主義の動機が組み込まれた。本社・地域子会社・現場ドライバーの3層構造の上に佐川急便のBtoB小口配送網が成立した。 [4][5]
- SGホールディングス 有価証券報告書 第10期(2018年3月期)【沿革】
- [4]1974年 渡辺運輸を合併し子会社「東京佐川急便」を設立
- [5]全国を9つの地域ブロックに分割するブロック制を採用
地域子会社の現場では、1980年代までにセールスドライバー制度が定着した。ドライバーは配送業務と同時に企業顧客への営業も担い、営業成績がそのまま報酬に直結する仕組みだった。1980年代の佐川急便の中途入社1年目の月収は40〜50万円程度、成果が出れば月収100万円も珍しくない高給だったが、その代償は長時間労働だった。当時の佐川急便のグループ会社幹部は「スピード違反や駐車違反をせざるを得ないような雰囲気。とにかく馬車馬のように働きました。1日15時間労働なんていう日もありました」(日経ビジネス 1992/3/2)と社内の実態を語った。一方で1987年には運輸省が道路交通法違反の横行を理由に佐川急便グループ各社を一斉査察し、労働省も労働基準法違反で是正勧告を出した。儲かる小口配送モデルの裏側で、行政との緊張関係も常態化した。 [6][7][8]
- 日経ビジネス(1992年3月2日)
- [6]1980年代の中途入社1年目の月収は40〜50万円、成果次第で月収100万円
- [7]当時の証言で1日15時間労働
- SGホールディングス 有価証券報告書 第10期(2018年3月期)【沿革】
- [8]1987年 運輸省が道路交通法違反を理由に佐川急便グループ各社を一斉査察、労働省が是正勧告
1983年に佐川急便は売上高2,000億円を突破し、従業員約10,000名、トラック約7,000台、218支店を擁する規模となった。なかでも東京佐川急便はバブル景気下のアパレル企業の物流需要を捉え、1983年時点で年率30%の事業拡大を遂げ、大口顧客の45%をアパレル企業が占めた。同年には品川区勝島でアパレル向け物流センターの新設に76億円を投資する計画を発表した。アパレルは流行り廃りが激しく小口の荷物も多いため、東京佐川急便のような後発企業が参入しやすい構造があった。本社・地域子会社・現場ドライバーの3層構造と高単価小口配送の収益性が結びついた佐川急便の急成長期にあたる。 [9][10][11]
- SGホールディングス 有価証券報告書 第10期(2018年3月期)【沿革】
- [9]1983年に売上高2,000億円突破・従業員約10,000名・トラック約7,000台・218支店
- [10]東京佐川急便は1983年時点で年率30%拡大、大口顧客の45%がアパレル企業
- [11]品川区勝島のアパレル向け物流センター新設に76億円投資する計画を発表
- SGホールディングス 有価証券報告書 第10期(2018年3月期)【沿革】
- [4]1974年 渡辺運輸を合併し子会社「東京佐川急便」を設立
- [5]全国を9つの地域ブロックに分割するブロック制を採用
- [8]1987年 運輸省が道路交通法違反を理由に佐川急便グループ各社を一斉査察、労働省が是正勧告
- [9]1983年に売上高2,000億円突破・従業員約10,000名・トラック約7,000台・218支店
- [10]東京佐川急便は1983年時点で年率30%拡大、大口顧客の45%がアパレル企業
- [11]品川区勝島のアパレル向け物流センター新設に76億円投資する計画を発表
- 日経ビジネス(1992年3月2日)
- [6]1980年代の中途入社1年目の月収は40〜50万円、成果次第で月収100万円
- [7]当時の証言で1日15時間労働
反社会的勢力への数千億円献金と東京佐川急便事件、創業者佐川清氏の退場
1992年2月、東京地検特捜部と警視庁が東京佐川急便に対する合同強制捜査に踏み切った。東京佐川急便の渡辺広康元社長と早乙女常務は、政治家・反社会的勢力に対する数千億円規模の献金疑惑が表面化し、商法違反の特別背任で起訴された。渡辺氏が献金に踏み切った背景は複数の説があり、佐川急便の近代化を狙ったとも、創業者の佐川清氏の経営から独立を図ったとも言われる。本社から地域子会社への上納金の増額要求や、過酷な労働環境などグループ内の構造問題が顕在化し、渡辺氏は佐川清氏を翻意させられないと判断したとされる。違法な資金供与で東京佐川急便の信用は失墜し、債務保証していた5,000億円が回収不能となるなど、グループ全体の財務基盤が揺らいだ。 [12][13][14]
- SGホールディングス 有価証券報告書 第10期(2018年3月期)【沿革】
- [12]1992年2月 東京地検特捜部・警視庁が東京佐川急便に合同強制捜査
- [14]債務保証していた5,000億円が回収不能となった
- 日経ビジネス(1992年3月2日)
- [13]渡辺広康元社長と早乙女常務が商法違反の特別背任で起訴された
東京佐川急便事件を受けて、創業者の佐川清氏は1992年に会長を辞任し、表舞台から姿を消した。1957年に京都で飛脚事業を始めてから35年、佐川清氏個人が一代で築き上げた佐川急便は、創業者の退場とともに約8,000億円の有利子負債と社会的信用失墜という2つの負債を抱えて1990年代に入った。創業期の高単価BtoB小口配送モデルそのものは収益性を保ったが、創業者の佐川清氏が他者の関与を退けた経営によって積み上がった地域子会社への締め付け、ドライバーの長時間労働、政治家・反社会的勢力との癒着という構造問題が、ここで一斉に経営課題として表面化した。佐川清氏の長男である栗和田榮一氏が1992年に佐川急便本社の社長に就任し、グループの再建を引き継いだ。 [15][16][17][18]
- SGホールディングス 有価証券報告書 第10期(2018年3月期)【沿革】
- [15]1992年 佐川清が会長を辞任
- [16]グループは約8,000億円の有利子負債を抱えた(1992年時点)
- [17]佐川清の長男・栗和田榮一が1992年に佐川急便本社の社長に就任
- [18]栗和田榮一が佐川清の長男(実子)であること
- SGホールディングス 有価証券報告書 第10期(2018年3月期)【沿革】
- [12]1992年2月 東京地検特捜部・警視庁が東京佐川急便に合同強制捜査
- [14]債務保証していた5,000億円が回収不能となった
- [15]1992年 佐川清が会長を辞任
- [16]グループは約8,000億円の有利子負債を抱えた(1992年時点)
- [17]佐川清の長男・栗和田榮一が1992年に佐川急便本社の社長に就任
- 日経ビジネス(1992年3月2日)
- [13]渡辺広康元社長と早乙女常務が商法違反の特別背任で起訴された
- [18]栗和田榮一が佐川清の長男(実子)であること