まずは関西を起点とした西日本において拠点を拡充した佐川急便は、トラック輸送の発展を目指して全国展開を急いだ。トラック運送業は運輸省による許認可制であり、新規参入を自由に行うことが難しかった。そこで、佐川急便は全国に点在する点在する認可済みの運送会社を買収し、子会社化する事によって全国の路線網を作り上げることを目論んだ。
佐川急便の全国展開の特色は、日本の9つの地域において子会社を設立し、それぞれが独立採算によって損益を明確にする「ブロック制」という仕組みを採用した事にある。地域子会社にとっては損益が明確になることから、業績を向上させる意識が生まれた。
1974年に佐川急便は東京地区への進出のために渡辺運輸を合併し、統括する子会社「東京佐川急便」を設立。全国展開を目指して、大市場である首都圏の攻略を目論んだ。
また、1980年代までにセールスドライバーの制度を導入し、ドライバー自身が、企業に対して荷物需要がないかを聞いて回る営業を兼務した。営業成績をドライバーの報酬に直結する仕組みを採用することで、腕に自信のある社員を確保していった。
このセールスドライバーの仕組みは、小口配送という手間がかかる営業活動をドライバーが兼任する仕組みであり、佐川急便の特色となった。1980年代の佐川急便の中途入社1年目の月収は40〜50万円程度であり、成果が出れば月収100万円も珍しくなかったと言われている。ただし、配送業務と営業活動を一人で兼任することから、長時間労働という問題が発生した。