住友金属鉱山の歴史
沿革
1691年に住友家が愛媛で始めた別子銅山の採掘が起源。
別子の銅は住友系各社の元手となり、1985年に出鉱した菱刈鉱山は国内唯一の商業金山として年約6トンの金を産出する。掘る・製錬する・材料にするの三つを自社で持つ非鉄大手で、利益の6割を海外鉱山の持分が生む。
創業期
1691年〜住友の事業群を養った別子一山
- 四阪島に銅製錬所を新設[1]
- 住友別子鉱山を設立[2]
- 住友別子鉱山と住友炭鉱を合併・住友鉱業を設立[2]
- 電気ニッケルの生産を開始[2]
- 社名を井華鉱業に商号変更[2]
- 金属部門を分離・住友金属鉱山(別子鉱業)を設立[2]
- 東京証券取引所市場第一部に上場[2]
- 住友金属鉱山に商号変更[2]
- 子会社日向製錬所を設立[2]
- 東京電子金属を設立してエレクトロニクス材料の製造事業に参入[2]
- 国内鉱山の閉山を本格化
- シポレックス製造を設立してALC(軽量気泡コンクリート)事業に参入[2]
- 住鉱アイ・エス・ピーを設立して亜鉛・鉛の生産開始[2]
- 中央研究所を施設[2]
- 青梅工場を新設(電子金属事業)[2]
- 新居浜ニッケル新工場を建設[2]
- 東予製錬所を新設[2]
転換期
1973年〜別子鉱山の閉山と菱刈鉱山の開発
- 鴻之舞鉱山閉山[1]
- 別子鉱山を閉山[2]
- 国富事業所電子工場が完成[1]
- マンガン団塊開発の推進母体として海洋資源室を新設[3]
- リードフレーム生産を開始[2]
- 新居浜研究所を設置[2]
- 菱刈鉱区で高品位金鉱脈を発見[2]
- 菱刈鉱山を開山(鹿児島県)[4]
- 菱刈鉱山が金鉱脈に到達・探鉱出鉱を開始[2]
- モレンシー銅山の権益取得[2]
- PTインターナショナルニッケルインドネシアの株式取得[4]
- ニューカレドニアのEtablissements Ballandeに資本参加[2]
不祥事
1991年〜JCO臨界事故とコーラルベイHPALによるニッケル製錬
- チリ・カンデラリア銅鉱床の開発PJに参加[2]
- 中国・金隆銅業有限公司に資本参加[2]
- 海外資源事業統括会社SMM Americaを設立[2]
- JOC東海事業所で臨界事故が発生[2]
- 住友金属鉱山シポレックスを設立[2]
- 磯浦工場が車載用電池材料の生産を本格化[1]
- 国内事業の整理統合を本格化
- 三井金属と亜鉛製錬で合弁会社を設立[2]
- 同和鉱業と硫酸事業について提携・合弁会社アシッズを設立[2]
- オホス・デル・サラド銅資源プロジェクト(チリ)へ資本参加[1]
- フィリピン・コーラルベイHPAL生産開始[2]
- ポコ金山の生産開始[2]
- セロ・ベルデ銅鉱山(ペルー)の生産開始[2]
- タガニート・プロジェクト(フィリピン)の実施を決定[1]
- フィリピンNickel Asia Corporationに資本参加[2]
- 三井金属鉱業との共同出資により三井住友金属鉱山伸銅を設立[2]
安定成長期
2011年〜シエラゴルダ銅鉱山の損失とケブラダブランカ銅鉱山の開山
- シエラゴルダ鉱山を譲渡[5]
- 資源・精錬開発センターの新設を決定[6]
- フィリピン・タガニートHPAL生産開始[2]
- 硫酸ニッケル生産開始[7]
- チリ・シエラゴルダ銅鉱山の生産を開始[2]
- シエラゴルダ銅鉱山で損失計上
- モレンシー銅山の権益を追加取得[2]
- 日立金属との協業解消とリードフレーム事業撤退を決定[8]
- 2021年中期経営計画を策定
- 東京証券取引所の市場区分見直しによりプライム市場へ移行[2]
- ケブラダ・ブランカ銅鉱山(チリ)の銅精鉱生産開始[2]
- チリ・ケブラダブランカ銅鉱山の開山
- コテ金鉱山(カナダ)の生産開始[2]
- コテ金鉱山で商業生産を開始
- 電池材料事業本部新居浜工場が竣工[2]
- 電池材料事業で減損損失を計上[9]
- 米国子会社Sumitomo Metal Mining America Inc.から配当を受領[9]
- 米国子会社Sumitomo Metal Mining America Inc.から配当を受領[9]