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丸井の歴史

流通系クレジットカードの先駆者で、東京の都心部駅前の大型店舗に特色。近年はエポスカードによる家賃保証が収益源に育つ
丸井の長期業績
2005〜2022

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
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※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1931 02月
*1
丸二商会の中野店を譲受けて創業
創業

丸井の創業者である青井忠治(当時27歳)は、勤務先の月賦販売商・丸二商会の東京・中野店を買い取る形で独立を果たす。当時の月賦業界では家具類の販売が中心であり、青井忠治は「東京一の家具店」に発展させることを目指す。なお、月賦業界は儲かる商売として知られ、当時の大卒の初任給が60円だったのに対し、青井忠治は11,000円の貯金が創業時点であったという(現在換算3600万円)。

1935 03月
*2
株式会社丸井を設立
会社設立

青井忠治は商号を暖簾分けされた「丸二」から「丸井」に変更。背景には、急成長を遂げる富山県出身の青井忠治に対して、愛媛県出身の丸二の経営者が快く思わず、商号を変換することを求めたためであった。

1935
*3
阿佐ヶ谷店を開業

丸井は東京中野が創業の地である関係上、中野と同じく中央線沿線の阿佐ヶ谷に視点を開業した。以後、丸井は中央線沿線に店舗網を充実させ、社員は愛媛県出身者はなく、青井忠治郎の故郷である富山県出身者によって固められた。

1945
*4
中国人が中野店を不法占拠

第二次世界大戦中に丸井の中野本店は休業していたが、終戦直後に中国人の王氏によってある日突然不法占拠され、中華料理屋兼結婚式場に様変わりした。これに対して、丸井の創業者・青井忠治は返還交渉を開始。終戦直後は中国人に対して日本人の立場は弱く、交渉は命がけであったが、青井忠治は粘り強く交渉を継続する。

1947
*5
1億円で中野店を取り戻す

交渉を経て青井忠治は中国人に対する立ち退き要求に成功した。だが、不法占拠した中国人は現在換算1億円を要求したため、青井忠治は自らの自宅(杉並区和田本町)を売却して、中野店を取り戻した。

1952
*6
創業者青井忠治が渡米
創業

丸井の創業者・青井忠治は渡米し、現地でコンピューターを活用したクレジットカードが普及している事実に驚愕。以後、青井忠治は丸井におけるクレジットカードの導入を模索する。

Performance
1931〜1959
祖業は家具の分割払い。戦前は月賦屋として東京の中央線沿いでビジネスを営む

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1960
*7
店舗専用のクレジットカードを発行

丸井の主力事業は月賦販売であったため、欧米で普及しつつあったクレジットカードに着目して日本初のクレジットカードを導入した。発行初年度に5万枚のカードを発行し、うち30%が丸井の店舗に来店してカードを作成した。

1962
*8
小規模店舗を閉鎖し、都心部に大型店を出店

丸井は小規模の月賦専門店を統廃合し、新宿などの都心部に大型店を出店することで「百貨店」に業態を近づける方針を決断して「月賦業界の三越」を目指す。1966年から1971年にかけて丸井は10店舗を閉鎖し、代わりに大型店の出店を最重要課題に据えることで、スクラップアンドビルドを急いだ。

1962
*9
資本金3.6億円に対して、4億円で新宿店を新設

丸井は店舗大型化を本格化させるために新宿進出を決断。当時、丸井の資本金が3.6億円出会ったのに対して、4億円を投資して新宿店(のちの新宿店ヤング館)を開業した。それまで丸井の最大の店舗だった吉祥寺店の2倍の店舗面積であり、丸井の旗艦店となる。社運をかけた投資について、青井忠治は「今後の当社の命運を決するものでありまして、誠に責任の重大さを痛感しています」と述べている。

1963 04月
*10
東京証券取引所第2部に株式上場
株式上場
1965 06月
*11
東京証券取引所第1部に株式上場
株式上場
1966
*12
業界初のコンピューターを導入

システム投資を重視し、月賦業界で先駆けてコンピューターを導入。集金業務の効率化を図る。

1970
*13
競合の緑屋を売上高で凌駕(業界No.1へ)

1960年代まで月賦百貨店No.1の売上高を誇ったのは緑屋(東京)であったが、都心部を中心に大型店を出店した丸井が徐々に追い上げ、1970年には緑屋の売り上げを凌駕。月賦百貨店では丸井がNo.1の地位を確保する。

1972
*14
青井忠雄が社長就任

青井忠雄(当時39歳)で丸井の社長に就任。なお、創業者の青井忠治は社長を退任し、1975年に71歳で逝去している。

1973
*15
新宿三丁目・日活帝都座跡地を買収

丸井は新宿での店舗をさらに充実するために、1973年に伊勢丹新宿本店の真向かいに存在した日活帝都座跡地を47億円で買収する。土地の買収交渉にあたっては、青井忠治が戸田建設(キーマン)に対して毎日電話をかけるなど、土地取得に対して尋常ではないほどの熱意をかけていた。

Performance
1960〜1973
東京の主要駅前に大規模店舗を集中展開。「駅そばの丸井」として競合を凌駕

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1974
*16
オンライン信用照会システムを稼働

丸井はクレジットカードの発行スピードを向上させるためにオンライン信用照会システムを稼働。クレジットカードの発行コストの低下を目論む。なお、店舗向けにIBM3650、コンピューターセンタにIBM370を導入し、顧客の収入やの支払い状況を即時に把握できた。

1975
*17
クレジットカードの店舗即時発行の実施

丸井はクレジットカードの収益を増大させるために、クレジットカードの店舗即時発行を開始。主に若者をターゲットにクレジットカードを発行することで、金融収入を確保する。

1981
*18
キャッシングに新規参入
新規事業

クレジットカードによる収益源を多様化するために、貸金業(キャッシング)に新規参入。若者向けのキャッシングを拡大し、1987年に貸付残高800億円を突破。小額の貸し付けが中心であり、貸倒率は低かったと言われている

1984
*19
システム子会社としてエムアンドシーを設立
会社設立
1987
*20
26年連続で増収増益
業績好調

1987年に丸井は26年連続増収増益を達成。新宿や池袋など、東京都心部に出店することによって若者顧客を獲得し、DCブランド(イッセイミヤケなど、デザイナーズ・ブランド)の充実によって高収益を確保する。

1988
*21
クレジットカード会員数1000万を突破
業績好調
Performance
1974〜1991
クレジットカードに集中投資。流通系ハウスカードとして1000万会員を突破(ただし丸井の店舗以外での利用は不可)

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1993
*22
減収決算により連続増収増益がストップ。業績低迷へ
業績好調
業績低迷

1993年1月期に丸井は前年の売上高6014億円に対して、売上高5760億円の減収決算を計上。バブル崩壊によって若者による高級品に対する消費が低迷し、小売業界では無印良品やユニクロといった「安くて品質の良いもの」を扱う業態が支持される時代が到来し、丸井の順調な急成長は幕を閉じた。

2003 10月
*23
神戸マルイを新設。関西での店舗展開を開始
2004
*24
北千住駅前に大型店「北千住マルイ」を開業

北千住マルイは、丸井で最大の店舗となった。2020年3月期の北千住店の売上高は389億円で、丸井の店舗でNo.1を誇る

2005
*25
青井浩氏が代表取締役社長に就任
2006 04月
*26
VISAと提携。エポスカードの発行を開始

従来のハウスカードではなく、VISA提携カードとして他の加盟店で利用可能なクレジットカードの発行を開始。店舗での即時発行を可能にするために、VISAと提携して実現

2006 09月
*27
なんばマルイをを開設(大阪)
2006 12月
*28
改正貸金業法を受けてキャシング事業を縮小

2006年12月に改正貸金業法が施行され、利息がグレーゾーン金利から14.6%へと引き下げられた。この結果、丸井はキャッシング事業において莫大な利息返還に応じる必要が生じ、引当金の状況によっては財務危機に陥る可能性もあった。改正貸金業法の施行を受けて、丸井はキャッシング事業(営業貸付金)を縮小する道を選択した

青井浩氏(丸井グループ 代表取締役社長)
出所 : 2019/2/21 nikkei style「経営危機乗り越えた 丸井社長の「問い掛ける」指導法」
2007 10月
*29
純粋持株会社に移行。商号を丸井グループに変更

ほぼ全社員を子会社に出向させて組織改革を目論むが、結果は「惨憺たる結果」(2019/2/21nikkei style「青井浩社長」)に終わり、従業員と会社の信頼関係が低下した

Performance
1992〜2010
小売では専門店の台頭で苦戦。クレカでは国際ブランドの潮流に乗り遅れ。利益はキャッシング依存へ

■ 売上高: 億円※

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■ 売上高_当期純利益率: %※

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2011 03月
*30
埼玉草加・茨城水戸の2点ぽで合計81億円の減損損失
事業失敗
業績低迷

草加マルイ&アウトレット(東武線草加駅前)において約55億円、マルイ水戸店(2018年9月閉鎖)で約26億円の減損損失を計上

2011 03月
*31
利息返還損失引当金繰入で249億円の特別損失を計上
事業失敗
業績低迷

貸金業法が改正されたことを受け、クレジットカードを通じてキャッシングを行なっていた丸井に大きな打撃となった。2007年時点で丸井はキャッシング残高2500億円であり、貸出金利が1%低下するだけで年間利益が25億円失われることが想定され、キャッシングを収益源とした丸井にとって大打撃となった。2011年に丸井は470億円の特別損失(うち利息返還損失引当金繰入額249億円・)を計上

2012 03月
*32
エポスカードの年間新規会員数が70万名を突破
業績好調

FY2011におけるエポスカードの新規会員数が70万名を突破。累計会員数は454万となり、旧カード(ハウスカード)からの転換がほぼ完了。発行カードの新規会員数が70万名を突破するのは、1975年度以来の36年ぶり。脱ハウスカードに目処を立てた

2016 04月
*33
博多マルイをを開設
2018 02月
*34
Tsumiki証券を設立
会社設立
Twitterを読み込み中....
2018 04月
*35
BASEと資本業務提携を締結

BASEの第三者割当増資の引受先として出資を実行

Twitterを読み込み中....
2018 10月
*36
水戸店を閉鎖
2020
*37
11年連続増益を達成
業績好調

2010年代を通じて丸井は青井浩社長のトップダウンによって経営再建に着手。小売業では仕入れ販売から賃貸型への転換、金融業では家賃保証などの手広いサービスを展開することによって収益を確保

2020 10月
*38
池袋・静岡の2店舗の閉鎖を発表
2022 04月
*39
グッドパッチとの合弁会社Mutureを設立
会社設立
Twitterを読み込み中....
Performance
2011〜2023
家賃保証を軸としてクレジットカードの取扱高を拡大。小売業は賃貸型に業態転換しつつ将来像を模索中

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
12 References.
  • *10 丸井「有価証券報告書」, (FY2022)
  • *11 丸井「有価証券報告書」, (FY2022)
  • *23 丸井「有価証券報告書」, (FY2022)
  • *26 丸井「有価証券報告書」, (FY2022)
  • *27 丸井「有価証券報告書」, (FY2022)
  • *29 丸井「有価証券報告書」, (FY2022)
  • *30 丸井「有価証券報告書」, (FY2022)
  • *32 丸井「決済説明会資料FY2011/4Q」, (FY2011/4Q)
  • *33 丸井「有価証券報告書」, (FY2022)
  • *34 丸井「有価証券報告書」, (FY2022)
  • *35 丸井「有価証券報告書」, (FY2022)
  • *39 丸井「有価証券報告書」, (FY2022)