日本毛織株式会社を設立
貿易港の神戸にて創業
明治時代を通じて神戸は港町として、海外から輸入さえれる毛織物の取引港の一つとしてしられた。そこで、毛織物の国産化を目論んで、日本毛織を設立した。国内には毛織物は東京に国営工場が存在していたが、民間企業では日本毛織が国内最先発の毛織物企業となる。
初代社長に川西財閥の川西清兵衛が就任
日本毛織の設立に奔走し、初代社長に就任したのが川西清兵衛氏であった。川西家は神戸港における貿易取引で財を成した兵庫県を代表する資産家であり、日本毛織の設立によって「貿易業務からものづくり」に進出を果たす。以後、日本毛織は川西財閥の1企業として運営された。
毛織物の量産工場を新設
日本毛織は毛織物の量産体制を構築するために、神戸市内から鉄道で1時間ほど離れた兵庫県加古川に大規模工場を新設した。以後、加古川工場は日本毛織の重要拠点として発展し、同社の主力工場と位置づけられた。
共立モスリンを合併
戦時中に同業他社を吸収合併
東京証券取引所に株式上場
毛糸生産国内シェア1位
1950年ごろに梳毛紡績(毛糸生産)で国内シェア1位(27%)保持し、国内トップの毛織メーカーとなった。
1951年時点における工場別の従業員数は、加古川工場(2926名)、印南工場(2740名)、中山工場(2117名)、弥富工場(1839名)、一宮工場(609名)であった。