歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1875年、京都市木屋町二条で初代・島津源蔵が理化学器械の製造業を始めた。明治政府が殖産興業を急ぐなか、教育・研究機関の使う物理・化学の実験器械はほとんどが輸入品で、その国産化を狙う事業だった。源蔵は京都に集積していた金属加工・ガラス細工・木工といった在来工芸を組み合わせ、輸入品を置き換える器械を仕立てた。1877年には府立勧業場で蓄電池を国内で初めて製作している。
決断戦後、化学工業・製薬・大学の機器近代化需要に乗り、計測・医用・産業・航空機器の4事業を順に立てた。1956年10月には軍需品製造の経験をもとに航空機器部門を新設している。1989年6月には英国KRATOSを買収し、質量分析の技術を取り込んだ。2002年10月、社員の田中耕一氏がその分野でノーベル化学賞を受け、研究開発と海外営業の資源は計測機器へ集まっていった。
決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く
- Q なぜ1875年の京都で、島津製作所は理化学器械の国産化に挑んだのか
- A 明治政府が殖産興業で近代科学の導入を急いだため、学校や研究機関が使う物理・化学の実験器械に需要が生まれたが、その多くは高価な輸入品に頼っていた。京都には金属加工・ガラス細工・木工といった在来の工芸技術が集まっており、これらを組み合わせれば輸入品を置き換える器械を仕立てられた。初代・島津源蔵は1875年に木屋町二条で鍛冶屋を営むかたわら理化学器械の修理・製造を始め、創業期は京都舎密局や学校用品の修理を主たる仕事とした。1877年には国内で初めて蓄電池を製作している。
- Q なぜ1989年に、島津製作所は英国の質量分析メーカーKRATOSを買収したのか
- A 質量分析器は化学・製薬・環境分析で不可欠な高度測定機器であり、英国KRATOSの技術と顧客基盤を取り込めば、国際水準の質量分析事業を一括で手に入れられた。1989年6月の買収で得た技術は、1992年のレーザーイオン化飛行時間型質量分析装置として実を結んだ。その延長で2002年10月、社員の田中耕一氏が生体高分子の質量分析法でノーベル化学賞を受け、翌2003年1月に田中耕一記念質量分析研究所を開いた。これらが研究開発と海外営業の資源を計測機器へ集める呼び水となった。
- Q なぜ2022年に日水製薬を子会社化し、診断・医療の市場へ進んだのか
- A 計測機器が連結売上の65%超を占める収益構成のため、その外側に第二の柱を育てる必要があった。臨床検査・体外診断は、島津製作所が持つ液体クロマトグラフ質量分析計やMALDI-TOF-MSと試薬・培地を組み合わせやすい近い市場であり、2015年から業務提携していた日水製薬を取り込めば臨床診断・微生物検査・細胞関連の三領域でシナジーを見込めた。2022年9月に日水製薬を子会社化して島津ダイアグノスティクスへ改め、2024年4月には米California X-ray Imaging Serviceを買収して医用機器の北米網を加えた。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1875年〜1955年 京都の理化学器械製造業者からの法人化と航空機器・防衛参入
創業者・初代島津源蔵による理化学器械の国産化
島津製作所の創業は1875年(明治8年)3月に遡る。京都市の木屋町二条で、初代・島津源蔵が鍛冶屋を営むかたわら、当時まったく目新しかった学術実験用の理化学器械の修理・製造業を始めたのが起点である[1]。明治政府が殖産興業政策のもとで近代科学技術の導入を急いだ時代、教育機関や研究機関で必要とされる物理・化学の実験器械はほとんどが輸入品であり、初代島津源蔵は国産化に挑んだ。京都という伝統的な工芸技術の集積地で、金属加工・ガラス細工・木工等の在来技術を組み合わせて事業基盤を整えたが、器械類の需要がまだ少なかった創業期は、京都舎密局や学校用品の修理が主たる仕事だった[2]。1877年(明治10年)11月、東京で開かれた第一回内国勧業博覧会に医療具を出品して受賞し[3]、翌1878年(明治11年)5月には軽気球をつくって人を乗せて飛ばすことに成功するなど、早くから新技術への挑戦を重ねた[4]。
事業の幅を広げたのは、初代源蔵の長男・梅次郎氏だった。梅次郎氏はのちに二代目島津源蔵を襲名して初代社長となり、同社発展の基礎を築きあげ、「日本のエジソン」とも呼ばれた[5]。1884年(明治17年)、梅次郎氏は16歳のとき独力でウィムシャースト式感応起電機をつくりあげている[6]。当時の島津の工場は「三高、京大の工作場」と言われるほど学校に密着し、産学協同のはしりとも評された。二代源蔵は学校相手の理化学実験器械にとどまらず製品の種類と事業の幅を次々に広げ、1896年(明治29年)10月には自家製の感応起電機を高圧電源として、わが国最初のエックス線写真の撮影に成功[7]。翌1897年(明治30年)には極板容量10アンペア時程度の蓄電池を完成させた[8]。さらに1908年(明治41年)、国産で最初の完備した医療用レントゲン装置を完成し、千葉国府台の陸軍衛戍病院に、二号機を日赤大津支部病院に納入している[9]。こうして島津の事業は、理化学器械のほかエックス線装置や蓄電池が加わって繁忙をきわめ、1906年(明治39年)4月には東京出張所、1909年(明治42年)10月には九州販売店を開設して国内販売網を広げた[10]。
1917年9月、株式会社島津製作所として法人格を取得した。本店は京都市木屋町二条、東京支店・大阪支店・福岡支店を設置し、創業時の小規模な工房から本格的な株式会社への組織転換を遂げた[11]。法人化は創業から42年を経ての株式会社化であり、資本金は200万円[12]。その3ヵ月前の1917年6月には、大きく成長した蓄電池部門を分離して日本電池(資本金350万円)を発足させていた[13]。新生・島津製作所は第一次世界大戦中の空前の好況期に遭遇して注文が殺到し、国内のみならずアメリカ・オーストラリア・南アフリカなどへも輸出して、創立第一期は3ヵ月の営業期間ながら4万5000円の純益をあげ一割強の配当を行った[14]。1919年10月には三条工場を開設して減速機の製造を始め、理化学器械にとどまらず産業機器の製造に乗り出した[15]。続いて1923年(大正12年)には材料試験機、1926年(大正15年)には化繊用のギヤポンプおよびノズルの製造を開始し[16]、理化学器械の専業企業から工業計測・産業機器を含む総合機器メーカーへの転換を進めた。
京都・東京両証券取引所への上場と航空機器部門の新設
昭和に入っても島津製作所は毎年のように新製品の製造を始め、1938年(昭和13年)には合併した日本電気計器の工場を引き継いで西大路工場を開設している[17]。同じ1938年4月、京都証券取引所に株式上場し、戦前期の地方上場企業として資本市場へのデビューを果たした[18]。第二次世界大戦中は軍需品の製造にも従事し、1944年(昭和19年)には紫野工場を開設した[19]。敗戦後の財閥解体・産業民主化を経て平和産業への復帰を進め、1947年(昭和22年)には電子顕微鏡をわが国で最初に商品化している[20]。1949年5月、戦後復興期の東京証券取引所開設に合わせて同所に上場し、京都・東京両証券取引所での公開を完了した[21]。戦後の理化学・分析機器の需要拡大期にあたり、化学工業・製薬・大学研究機関の機器近代化の流れに乗って、島津製作所は分析機器メーカーとしての地位を固めた。
1956年10月、航空機器部門を新設した[22]。第二次世界大戦中の軍需品製造の経験を基盤に、戦後の航空機・防衛装備品の国産化政策にあわせて、航空機器・防衛分野への参入を行った。航空機の計器類、油圧装置、自衛隊機向け装備品の国産化が中心領域となり、計測機器・医用機器に加えて産業機器・航空機器の4セグメント体制の基盤が出来上がった。1962年1月には材料工場銑鉄鋳物部門を分離して島津金属工業(現島津産機システムズ)を設立し[23]、1963年7月には京都計装(現島津システムソリューションズ)を設立[24]、1966年2月には大阪丸十放射線サービス(現島津メディカルシステムズ)を設立する[25]など、分社化による事業領域の細分化と専業化を行った。
1956年〜2001年 海外展開と分析機器メーカーとしての世界的地位の確立
西独・米国への海外進出と質量分析器メーカーの英国KRATOS買収
1968年8月、西独(ドイツ)にSHIMADZU EUROPA GmbHを設立し、欧州市場進出の起点を作った[26]。1960年代後半は日本の高度経済成長期の終盤にあたり、輸出依存度を高める製造業のなかでも、分析機器のような高付加価値・専門性の高い製品分野は欧米市場での競争力を試される時期だった。1975年7月、米国にSHIMADZU SCIENTIFIC INSTRUMENTS, INC.を設立し、北米市場進出の起点を作った[27]。1979年4月にはSHIMADZU PRECISION INSTRUMENTS, INC.を米国に設立し、北米精密機器拠点を整えた[28]。1989年11月にはシンガポールにSHIMADZU (ASIA PACIFIC) PTE.LTD.を設立し、アジア統括拠点の起点とした[29]。1994年8月には中国に天津島津液圧有限公司を設立[30]、1999年6月には島津国際貿易(上海)(現島津企業管理〈中国〉)を設立、中国本土での事業基盤を整えた[31]。
1989年6月、英国のKRATOS GROUP PLCを買収した[32]。KRATOS社は英国の質量分析装置メーカーであり、島津製作所にとっては質量分析器分野における海外メーカーの取得という戦略的M&Aだった。質量分析器は化学・製薬・環境分析等の分野で不可欠な高度測定機器であり、KRATOS買収は同社の質量分析技術と顧客基盤を取り込んだ。後年(2002年)の田中耕一氏のノーベル化学賞受賞は質量分析器分野の研究成果だが[33]、その背景には島津製作所が長年積み上げてきた質量分析技術の蓄積と、KRATOS買収による国際的な技術プラットフォームの取得があった。1991年7月にはけいはんな研究所(現基盤技術研究所)を開設し、基盤技術研究機能の確立を行った[34]。
4セグメント体制の確立と分析機器・医用機器・産業機器・航空機器の事業構成
1990年代までに、島津製作所の事業構成は計測機器(分析機器・計測機器)・医用機器(X線・MRI・診断装置)・産業機器(油圧機器・産業計装)・航空機器(航空機計器・防衛装備品)の4セグメント体制が整った[35]。計測機器セグメントが連結売上の60%超を占める主軸事業で[36]、ガスクロマトグラフ・液体クロマトグラフ・分光光度計・質量分析器等の分析機器が世界市場でアジレント・テクノロジー、ウォーターズ、サーモフィッシャー・サイエンティフィック等と競合する位置にあった。
医用機器セグメントは国内のX線関連市場で富士フイルム、コニカミノルタ、シーメンス、GEと競合する位置で、産業機器は油圧機器・産業計装の専業領域、航空機器は防衛省・自衛隊向けの航空計器・装備品の国産化を担う事業として、それぞれ独立した事業特性を持つ4本柱を構成した。
2002年〜2025年 田中耕一ノーベル賞・海外比率拡大・サステナビリティ経営への転換
田中耕一ノーベル化学賞受賞と質量分析研究所の開設
2002年10月、田中耕一氏(島津製作所のエンジニア)がノーベル化学賞を受賞した[37]。受賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」であり、具体的にはマトリックス支援レーザー脱離イオン化(MALDI)法を質量分析に応用した技術が評価された。学位を持たない一企業のエンジニアによるノーベル賞受賞は世界的にも稀有な事例で、島津製作所の研究開発文化と質量分析技術の長年の蓄積を世界に示した。
2003年1月、田中耕一記念質量分析研究所を開設し、ノーベル賞研究の継続的な発展体制を整えた[38]。同研究所は質量分析技術の基礎研究から応用開発までを一貫して担う組織で、その後の島津製作所の質量分析事業の競争力強化の中核を担った。2007年1月にはUAEのSHIMADZU MIDDLE EAST AND AFRICA FZEを設立し、中東・アフリカ市場進出を行った[39]。2013年11月にはウルグアイにSHIMADZU LATIN AMERICA S.A.を設立し、中南米市場進出を完了した[40]。2019年2月には韓国にSHIMADZU SCIENTIFIC KOREA CORPORATIONを設立[41]、世界主要地域に直販・サービス拠点を持つグローバル分析機器メーカーとしての体制を整えた。
4セグメント体制での海外売上比率拡大と中期経営計画の体系化
2022年4月、東京証券取引所プライム市場へ移行した[42]。同年9月には日水製薬株式会社を子会社化し(現島津ダイアグノスティクス株式会社)、体外診断薬・臨床検査領域への参入を完了した[43]。日水製薬買収は計測機器の分析技術を臨床検査・医薬品開発の市場へ拡張する事業領域拡大であり、医用機器セグメントと計測機器セグメントの境界領域に新事業を作る試みだった。2023年1月にはShimadzu Tokyo Innovation Plazaを開設し、東京における顧客とのコラボレーション・イノベーション機能の強化を行った[44]。
2024年4月、米国のCalifornia X-ray Imaging Service社の買収を完了した[45]。California X-ray Imaging Service社は米国のX線関連サービス会社であり、医用機器セグメントの北米市場拡大の足がかりとなった。2022年6月就任の山本靖則在任中では[46]、中期経営計画(2023〜2025年度)が中核の経営フレームワークとして運営され、4つの社会価値創生領域(ヘルスケア・グリーンエコノミー・マテリアル・インダストリー)を経営方針として明文化した[47]。連結売上はFY22(2023年3月期)4,822億円・営業利益682億円から、FY24(2025年3月期)5,390億円・営業利益717億円へ拡大し、研究開発費289億円(前年比+74億円)と特許保有件数の増加を維持した[48]。配当はFY24で記念配当4円を含む66円(配当性向36.0%)、11期連続増配を達成した[49]。創業1875年から150年、法人化1917年から108年を経た2025年時点で、[51]島津製作所は計測機器セグメント(売上比率65%超)を主軸とする世界規模の分析機器メーカーとして[50]、海外売上比率の継続的な引き上げと研究開発投資の積み上げに事業構造の重心を置いている。