創業から117年。3回の決断

概要- Historical Summary -
1909年創業。井上貞治郎が国産初の段ボールを製造し、5社合併で聯合紙器を設立して日本の段ボール産業の礎を築いた。淀川工場の建設と地方工場の展開で段ボール・紙器の一貫生産体制を構築し、大坪清社長のもと業界再編を主導した。セッツの合併や朋和産業の子会社化で軟包装にも進出し、2016年のトライウォール買収では重包装分野でのグローバル展開を実現。独禁法違反を経験しつつも、100年以上にわたり段ボール業界を牽引する。
洞察- Author's Insights -
概要- Historical Summary -
1909年創業。井上貞治郎が国産初の段ボールを製造し、5社合併で聯合紙器を設立して日本の段ボール産業の礎を築いた。淀川工場の建設と地方工場の展開で段ボール・紙器の一貫生産体制を構築し、大坪清社長のもと業界再編を主導した。セッツの合併や朋和産業の子会社化で軟包装にも進出し、2016年のトライウォール買収では重包装分野でのグローバル展開を実現。独禁法違反を経験しつつも、100年以上にわたり段ボール業界を牽引する。
洞察- Author's Insights -
1909
決断
井上貞治郎氏が起業を決意
無一文の放浪者が「段ボール」を命名するまでの必然と偶然
1909
決断
三成社を創業・国産初の段ボール製造
模倣から始まる国産化と「命名」による市場カテゴリーの創出
1920
5社合併により聯合紙器株式会社を設立
19205社合併により聯合紙器株式会社を設立
1923
日本製紙(大阪市西淀川本社)を吸収合併
1923日本製紙(大阪市西淀川本社)を吸収合併
1930
大阪工場を新設(淀川工場)
1930大阪工場を新設(淀川工場)
1936
東京電気(現・東芝)との資本提携
1936東京電気(現・東芝)との資本提携
1937
東京工場を新設
1937東京工場を新設
1948
名古屋工場を新設
1948名古屋工場を新設
1949
大阪証券取引所に株式上場
1949大阪証券取引所に株式上場
1961
利根川製紙工場を新設
1961利根川製紙工場を新設
1962
地方工場の新設を積極化
1962地方工場の新設を積極化
1963
創業者の井上貞治郎氏が逝去・労働争議が激化へ
1963創業者の井上貞治郎氏が逝去・労働争議が激化へ
1968
三カ年計画を策定
1968三カ年計画を策定
1972
商号を「レンゴー株式会社」に変更
1972商号を「レンゴー株式会社」に変更
1975
不況対策第8項目を発表・半期赤字に転落
1975不況対策第8項目を発表・半期赤字に転落
1975
新京都工場を新設
1975新京都工場を新設
1985
千葉工場を新設
1985千葉工場を新設
1990
マレーシア合弁事業に資本参加
1990マレーシア合弁事業に資本参加
1990
軟包装営業部を新設
1990軟包装営業部を新設
1991
福井化学工業を合併(金津工場・武生工場)
1991福井化学工業を合併(金津工場・武生工場)
1993
三田工場を新設(大阪工場を移転)
1993三田工場を新設(大阪工場を移転)
1993
旧仙台工場跡地にショッピングセンターを着工
1993旧仙台工場跡地にショッピングセンターを着工
1994
新潟段ボール・旭川レンゴーを合併
1994新潟段ボール・旭川レンゴーを合併
1998
朋和産業を子会社・軟包装事業に進出
1998朋和産業を子会社・軟包装事業に進出
1999
セッツ(旧摂津板紙)を合併
1999セッツ(旧摂津板紙)を合併
2000
住友商事元副社長・大坪清氏が社長就任
2000住友商事元副社長・大坪清氏が社長就任
2000
丸三製紙を子会社化
2000丸三製紙を子会社化
2005
葛飾工場と京都工場のリニューアル(投資額60億円)
2005葛飾工場と京都工場のリニューアル(投資額60億円)
2005
大和紙器の神奈川工場跡地を譲渡
2005大和紙器の神奈川工場跡地を譲渡
2006
決断
日本製紙・住友商事・レンゴーの3社で戦略提携を締結(のちに解消)
「防衛的提携」が内包していた経営統合への距離感
2008
新京都事業所を発足(段ボール・紙器一体型工場)
2008新京都事業所を発足(段ボール・紙器一体型工場)
2010
子会社のハマダ印刷機械を解散
2010子会社のハマダ印刷機械を解散
2010
川崎工場跡地を売却・売却益65億円
2010川崎工場跡地を売却・売却益65億円
2010
福島矢吹工場を新設(115億円)
2010福島矢吹工場を新設(115億円)
2011
板紙・段ボールを値上げ(+10%)
2011板紙・段ボールを値上げ(+10%)
2012
新仙台工場を新設(投資額100億円)
2012新仙台工場を新設(投資額100億円)
2012
独占禁止法に違反・公正取引委員会が立ち入り検査
2012独占禁止法に違反・公正取引委員会が立ち入り検査
2013
中国の子会社持分を譲渡(赤字につき事業縮小へ)
2013中国の子会社持分を譲渡(赤字につき事業縮小へ)
2014
新名古屋工場を新設・旧名古屋工場跡地を売却
2014新名古屋工場を新設・旧名古屋工場跡地を売却
2016
トライウォールを買収・重包装事業でグローバル展開へ
2016トライウォールを買収・重包装事業でグローバル展開へ
2017
原紙生産体制を再編・淀川工場での生産終了
2017原紙生産体制を再編・淀川工場での生産終了
2019
買収防衛策を廃止決議
2019買収防衛策を廃止決議
2024
愛媛東温工場を新設(投資額140億円)
2024愛媛東温工場を新設(投資額140億円)
2024
子会社アームエル東セロを発足
2024子会社アームエル東セロを発足
業績を見る
売上レンゴー:売上高
単体 | 連結(単位:億円)
9,007億円
売上高:2024/3
利益レンゴー:売上高_当期純利益率
単体 | 連結(単位:%)
3.6%
利益率:2024/3
業績を見る
区分売上高利益利益率
1950/3単体 売上高 / 当期純利益---
1951/3単体 売上高 / 当期純利益---
1952/3単体 売上高 / 当期純利益---
1953/3単体 売上高 / 当期純利益---
1954/3単体 売上高 / 当期純利益---
1955/3単体 売上高 / 当期純利益---
1956/3単体 売上高 / 当期純利益33億円1億円3.6%
1957/3単体 売上高 / 当期純利益46億円1億円3.0%
1958/3単体 売上高 / 当期純利益52億円1億円3.4%
1959/3単体 売上高 / 当期純利益54億円1億円2.9%
1960/3単体 売上高 / 当期純利益77億円2億円2.8%
1961/3単体 売上高 / 当期純利益110億円3億円2.8%
1962/3単体 売上高 / 当期純利益158億円4億円3.1%
1963/3単体 売上高 / 当期純利益185億円6億円3.2%
1964/3単体 売上高 / 当期純利益230億円6億円2.6%
1965/3単体 売上高 / 当期純利益242億円6億円2.4%
1966/3単体 売上高 / 当期純利益247億円5億円2.0%
1967/3単体 売上高 / 当期純利益282億円4億円1.4%
1968/3単体 売上高 / 当期純利益318億円5億円1.5%
1969/3単体 売上高 / 当期純利益363億円2億円0.5%
1970/3単体 売上高 / 当期純利益452億円6億円1.3%
1971/3単体 売上高 / 当期純利益547億円9億円1.6%
1972/3単体 売上高 / 当期純利益582億円8億円1.3%
1973/3単体 売上高 / 当期純利益686億円6億円0.8%
1974/3単体 売上高 / 当期純利益1,118億円26億円2.3%
1975/3単体 売上高 / 当期純利益1,076億円11億円1.0%
1976/3単体 売上高 / 当期純利益1,020億円5億円0.4%
1977/3単体 売上高 / 当期純利益1,231億円5億円0.4%
1978/3単体 売上高 / 当期純利益1,375億円20億円1.4%
1979/3単体 売上高 / 当期純利益1,359億円18億円1.3%
1980/3単体 売上高 / 当期純利益1,714億円20億円1.1%
1981/3単体 売上高 / 当期純利益1,899億円29億円1.5%
1982/3単体 売上高 / 当期純利益1,843億円14億円0.7%
1983/3単体 売上高 / 当期純利益1,769億円30億円1.6%
1984/3単体 売上高 / 当期純利益1,829億円21億円1.1%
1985/3単体 売上高 / 当期純利益1,998億円14億円0.7%
1986/3単体 売上高 / 当期純利益---
1987/3単体 売上高 / 当期純利益---
1988/3単体 売上高 / 当期純利益---
1989/3単体 売上高 / 当期純利益---
1990/3単体 売上高 / 当期純利益---
1991/3単体 売上高 / 当期純利益---
1992/3連結 売上高 / 当期純利益3,128億円43億円1.3%
1993/3連結 売上高 / 当期純利益2,848億円33億円1.1%
1994/3連結 売上高 / 当期純利益2,720億円30億円1.1%
1995/3連結 売上高 / 当期純利益2,816億円22億円0.7%
1996/3連結 売上高 / 当期純利益2,870億円13億円0.4%
1997/3連結 売上高 / 当期純利益2,917億円32億円1.0%
1998/3連結 売上高 / 当期純利益2,851億円26億円0.9%
1999/3連結 売上高 / 当期純利益2,779億円14億円0.5%
2000/3連結 売上高 / 当期純利益3,544億円60億円1.6%
2001/3連結 売上高 / 当期純利益3,812億円37億円0.9%
2002/3連結 売上高 / 当期純利益3,712億円5億円0.1%
2003/3連結 売上高 / 当期純利益3,643億円-28億円-0.8%
2004/3連結 売上高 / 当期純利益3,750億円38億円1.0%
2005/3連結 売上高 / 当期純利益3,911億円109億円2.7%
2006/3連結 売上高 / 当期純利益4,021億円130億円3.2%
2007/3連結 売上高 / 当期純利益4,129億円94億円2.2%
2008/3連結 売上高 / 当期純利益4,353億円56億円1.2%
2009/3連結 売上高 / 当期純利益4,466億円78億円1.7%
2010/3連結 売上高 / 当期純利益4,573億円169億円3.6%
2011/3連結 売上高 / 当期純利益4,748億円102億円2.1%
2012/3連結 売上高 / 当期純利益4,926億円71億円1.4%
2013/3連結 売上高 / 当期純利益5,026億円129億円2.5%
2014/3連結 売上高 / 当期純利益5,231億円37億円0.7%
2015/3連結 売上高 / 当期純利益5,226億円57億円1.0%
2016/3連結 売上高 / 当期純利益5,325億円98億円1.8%
2017/3連結 売上高 / 当期純利益5,454億円138億円2.5%
2018/3連結 売上高 / 当期純利益6,057億円166億円2.7%
2019/3連結 売上高 / 当期純利益6,531億円171億円2.6%
2020/3連結 売上高 / 当期純利益6,837億円277億円4.0%
2021/3連結 売上高 / 当期純利益6,807億円285億円4.1%
2022/3連結 売上高 / 当期純利益7,469億円281億円3.7%
2023/3連結 売上高 / 当期純利益8,460億円204億円2.4%
2024/3連結 売上高 / 当期純利益9,007億円330億円3.6%

Author's Insights

段ボール原紙という「差別化できない製品」が招いたカルテルの構造的リスク
品質差がなく価格が唯一の競争変数となる業態の宿命

段ボール原紙は、あらゆる工業製品・食品・日用品の輸送に不可欠な包装材であるが、製品としての差別化は極めて困難である。原料は古紙、製造工程は標準化されており、メーカー間の品質差はほぼ存在しない。この構造は価格が唯一の競争変数となることを意味し、需要が減少する局面では過剰な値引き競争に陥りやすい。1975年のオイルショック後、段ボール業界は深刻な供給過剰に直面し、レンゴーは「不況対策第8項目」を発表するとともに、段ボール原紙の不況カルテルに参加した。

1977年の不況カルテルは公正取引委員会の認可を受けた合法的な措置であったが、コモディティ産業において価格を市場に委ねず業界で調整するという慣行は、その後も断続的に続いたと推定される。2012年6月、公正取引委員会はレンゴーを含む段ボール業界各社に対して独占禁止法違反の疑いで立ち入り検査を実施した。段ボール製品および原紙の価格について、競合他社との間で不当な価格調整が行われていたと認定され、レンゴーは課徴金59億円の支払いを命じられた。

段ボール原紙は需要が景気に連動するため、好況期には値上げが比較的容易であり、不況期には供給過剰から価格が崩壊する。レンゴーの業績推移を見ると、2009年の値下げ、2011年の10%値上げ、2017年の10円/kg値上げと、景気循環に合わせた価格改定が繰り返されている。業界全体が同時期に値上げ・値下げを行う動きは、個社の独立判断というよりも業界の暗黙の了解に近い構造を示唆する。

差別化が困難な製品を扱う産業において、価格協調は構造的に発生しやすい。合法的な不況カルテルと違法な価格調整の境界は曖昧であり、業界慣行としての協調行動が独禁法違反に至る経路は短い。レンゴーの課徴金59億円は、コモディティ産業における企業行動の構造的リスクを可視化した事例といえる。問われるべきは個社のコンプライアンス体制だけではなく、差別化余地のない製品市場において企業が「競争」と「協調」の間をどう航行するかという産業構造の問題である。

2026-02-21 | by author
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1909
4月

井上貞治郎氏が起業を決意

無一文の放浪者が「段ボール」を命名するまでの必然と偶然

井上貞治郎氏の起業は、綿密な市場分析に基づくものではなく、10代から20代にかけて職を転々とし、大陸放浪で蓄財にも家族にも恵まれなかった人物が「自分で稼ぐしかない」という切迫感から生まれた。事業の選択も「パン屋か紙屋か」という二択から始まり、偶然目にしたドイツ製の梱包材に商機を見出すという経緯であった。だが、この偶発性の連鎖こそが、井上貞治郎氏を日本初の段ボール製造者へと導いた。失うものがない状態が大胆な意思決定を可能にし、逆境への耐性が創業初期の赤字を乗り越える原動力となった点は、創業者の資質を考えるうえで示唆に富む。

背景

丁稚奉公から大陸放浪へ至った創業者の青年期

レンゴーの創業者である井上貞治郎氏は明治14年に姫路の農家に生まれた。丁稚奉公を経て生家を離れたものの、商家・中華料理屋・石炭屋と職を転々とし、生活基盤は安定しなかった。石炭屋では一時的に収入を得て「遊ぶ金」も工面できたというが長続きはせず、10代から20代にかけて定職に就くことができなかった。20代前半で「お雪」と結婚したものの生活は改善せず、貧困から脱却するために妻を実家に帰し、一切の縁故がない中で単身、中国大陸へ渡る決断を下した。

大陸での4年間は雑用を請け負う日々であり、宿賃すら払えない窮状が続いた。真珠貝の採集(10人中3人が命を落とすとされた仕事)に従事する寸前まで追い込まれたが、偶然にも宿の隣室にいた阪大佐太郎なる人物が日本人女性を人身売買する場面を目撃し、その弱みを握ることで帰国の船賃を確保した。井上貞治郎氏は「大阪に帰れば家も金もある」と偽り、悪党と共に日本への帰途についた。この間、日本に残した妻の「お雪」は結核により亡くなっていた。

蓄財に失敗し、家族をも失った青年期の経験は、井上貞治郎氏に「金無くして人生なし」という信念を植え付けた。大陸での放浪で得たものは何もなく、帰国の費用すら他人の不正に乗じて工面したという事実は、同氏の後半生における事業への執着の原点となった。戦後、井上貞治郎氏がレンゴーの創業者として著名になると、その波瀾万丈の半生はテレビドラマ『流転』として映像化され、高視聴率を記録した。

決断

上野公園で起業を決断し段ボール事業を選択

1910年4月、阪大佐太郎から手渡された手切金の10銭を握りしめ、井上貞治郎氏は桜の咲く上野公園にて起業を決断した。このエピソードに由来して、レンゴーの創立記念日は「井上貞治郎氏が起業を決意した日」とされ、1910年4月と定められている。無一文からの出発であったが、大陸放浪で培われた「金を稼がねばならない」という切迫感が、この決断を支えた。

事業内容については「メリケン粉(パン屋)と紙屋」の2つで迷った末に、紙で起業することを選んだ。決め手となったのは、偶然東京で目にした「ボール紙をシワ寄せした電球梱包紙」であった。ドイツ製のこの梱包材に商機を見出し、国産品として製造・販売する構想を固めた。井上貞治郎氏はこの梱包材を「段ボール」と命名し、以後この名称が日本における包装材の代名詞として定着していくことになる。

起業の背景には、職を転々とした経験から「自分で事業を興す以外に道はない」という認識があった。雇われる立場では生活が安定しないことを身をもって知った井上貞治郎氏にとって、起業は消去法的な選択でもあった。ただし、段ボールという未知の素材に賭けた判断には、大陸での放浪を通じて養われた度胸と、失うものがない境遇ゆえの大胆さが作用していた。

結果

「段ボール」の命名者として日本包装産業の礎を築く

井上貞治郎氏は1910年8月に「三盛社」を共同で設立し、段ボール製造機械を用いた梱包材の生産を開始した。ボール紙にシワをつけた紙自体はドイツ製品が先行していたが、「段ボール」という日本語名称を付けて国産化に踏み切ったのは井上貞治郎氏が初めてであった。この命名は製品の普及において重要な役割を果たし、レンゴーは日本における「段ボールの創始者」としての地位を確立した。

創業直後は経営が軌道に乗らず、赤字が続いたことで共同設立者が次々と離脱し、最後は井上貞治郎氏だけが残された。それでも事業を諦めず、島田洋紙店からの借入でドイツ製の製造機械を輸入して量産体制を構築した。この粘り強さは、大陸放浪で培われた逆境への耐性と、「金を稼ぐ」という一念によるものであった。

段ボールの需要が本格的に拡大する契機となったのは、第一次世界大戦期の好景気であった。特に東京電気(現・東芝)がウラジオストック経由で電球の海外輸出を本格化した際、梱包材として段ボールが採用されたことが大きかった。この受注により段ボールは輸出産業を支える必需品としての地位を獲得し、井上貞治郎氏の事業は安定的な成長軌道に乗った。

無一文の放浪者が「段ボール」を命名するまでの必然と偶然

井上貞治郎氏の起業は、綿密な市場分析に基づくものではなく、10代から20代にかけて職を転々とし、大陸放浪で蓄財にも家族にも恵まれなかった人物が「自分で稼ぐしかない」という切迫感から生まれた。事業の選択も「パン屋か紙屋か」という二択から始まり、偶然目にしたドイツ製の梱包材に商機を見出すという経緯であった。だが、この偶発性の連鎖こそが、井上貞治郎氏を日本初の段ボール製造者へと導いた。失うものがない状態が大胆な意思決定を可能にし、逆境への耐性が創業初期の赤字を乗り越える原動力となった点は、創業者の資質を考えるうえで示唆に富む。

証言

わたしは足かけ4年、あてもなく放浪し続けた大陸をあとに、博多丸の特別3等船室におさまって、いよいよ内地への帰途についたのであった。法網をくぐって生きている悪党の情に縋って、内地へ帰る私の心の中は、反省と悔恨に満たされ、今更ながら「金無くして人生なし」という私なりの人生哲学を強いられるようになったのである。

それにしても、鮮・満・中、長年にわたる私の流浪生活は、思えば、すべて恥ずかしいことの連続だった。無謀というより、無茶苦茶であった。危ない橋渡りばかりで、我ながら慄然とする。おまけに、この異郷の生活で得たものは何一つなく、ただいたずらに歳をとったというにすぎない。今こうして尾羽打ち枯らして日本へ帰っていくというのも、実を申せば自分の金、自分の力ではない。相手が悪党と知りつつ、その不純の金を借りての帰国なのだ。情けないなんとも言いようがないではないか。金がなければこそ、婦女誘拐の男をも、恩人としなければならないのである。

「ああ、金が欲しい。それも不浄な金でなく、真面目に儲けた美しい金が欲しい・・・」

金がなくては、人間一匹、どうすることもできぬ。金を離れて人生なしと、船の上での思いはいつもそこへ落ち着いた。

年表井上貞治郎氏が起業を決意に関する出来事
19104月井上貞治郎氏が起業を決意
19104月三成社を創業
1909
4月

三成社を創業・国産初の段ボール製造

模倣から始まる国産化と「命名」による市場カテゴリーの創出

段ボールはドイツ製品の模倣から始まったが、「段ボール」という日本語の命名によって国内市場に固有のカテゴリーが生まれた。技術的な差別化ではなく、命名と国産化による価格競争力が事業の基盤となった点は、後発メーカーの参入戦略として構造的に興味深い。加えて、第一次世界大戦期に東京電気の電球輸出が急増し、梱包材需要が拡大するという外部環境の変化が事業を軌道に乗せた。国産化の判断と好機の到来が重なった構図は、創業期における計画と偶発の関係を示している。

背景

ドイツ製梱包材が先行する市場で段ボールの国産化に着目

1910年、起業を決意した井上貞治郎氏は梱包材の製造機械を改造し、ボール紙にシワをつけた梱包材を「段ボール」と命名して国内市場に売り出した。ボール紙を波状に加工した梱包材自体は、すでにドイツ製の製品が国内で流通しており、電球の包装などに使用されていた。つまり製品としては新規ではなかったが、日本語で「段ボール」と名付けて国産化に踏み切った点に井上貞治郎氏の独自性があった。ドイツからの輸入品に頼るのではなく、自ら製造・販売することで価格面での競争力を確保しようとした。

井上貞治郎氏が段ボール事業に着目した背景には、明治末期から大正期にかけて工業化が進展する日本において、製品の梱包需要が拡大しつつあったことがある。電球・タバコ・瓶類など壊れやすい工業製品の出荷には緩衝材としての包装が不可欠であり、ドイツ製梱包材の流通はその需要の存在を裏付けていた。しかし輸入品は高価であり、国産の段ボールが供給されれば価格面で優位に立てる可能性があった。井上貞治郎氏は「紙で起業する」という意思決定の延長線上で、梱包材としての段ボール製造を事業の中核に据えた。

決断

共同設立の三盛社を発足し赤字を乗り越え量産体制を構築

1910年8月、井上貞治郎氏は共同出資の形態で「三盛社」を設立し、段ボール製造機械を用いて電球やタバコの梱包材の生産を開始した。しかし創業直後から経営は軌道に乗らず、赤字が続いたことで共同設立者が次々と離脱し、最終的には井上貞治郎氏だけが残される事態となった。それでも事業を放棄することなく、島田洋紙店から借り入れた資金でドイツ製の製造機械を輸入し、量産体制の構築に踏み切った。この判断により生産効率が大幅に改善し、段ボール事業はようやく軌道に乗り始めた。

段ボール事業が安定的に成長する転機となったのは、大正時代に勃発した第一次世界大戦による好景気であった。特に東京電気(現・東芝)からの受注が事業基盤を固めた。1914年頃から東京電気はウラジオストック経由で電球の海外輸出を本格化し、その梱包材として段ボールを大量に必要とした。井上貞治郎氏はこの需要を取り込み、電球輸出の拡大に伴い段ボールは輸出産業を支える必需品としての地位を確立した。のちに東京電気が段ボールメーカーへの資本参加を検討する布石ともなった。

模倣から始まる国産化と「命名」による市場カテゴリーの創出

段ボールはドイツ製品の模倣から始まったが、「段ボール」という日本語の命名によって国内市場に固有のカテゴリーが生まれた。技術的な差別化ではなく、命名と国産化による価格競争力が事業の基盤となった点は、後発メーカーの参入戦略として構造的に興味深い。加えて、第一次世界大戦期に東京電気の電球輸出が急増し、梱包材需要が拡大するという外部環境の変化が事業を軌道に乗せた。国産化の判断と好機の到来が重なった構図は、創業期における計画と偶発の関係を示している。

1920
5社合併により聯合紙器株式会社を設立
1923
日本製紙(大阪市西淀川本社)を吸収合併
1930
大阪工場を新設(淀川工場)
1936
東京電気(現・東芝)との資本提携
1937
東京工場を新設
1948
名古屋工場を新設
1949
大阪証券取引所に株式上場
1961
利根川製紙工場を新設
1962
地方工場の新設を積極化
1963
創業者の井上貞治郎氏が逝去・労働争議が激化へ
1968
三カ年計画を策定
1972
商号を「レンゴー株式会社」に変更
1975
不況対策第8項目を発表・半期赤字に転落
1975
新京都工場を新設
1985
千葉工場を新設
1990
マレーシア合弁事業に資本参加
1990
軟包装営業部を新設
1991
福井化学工業を合併(金津工場・武生工場)
1993
三田工場を新設(大阪工場を移転)
1993
旧仙台工場跡地にショッピングセンターを着工
1994
新潟段ボール・旭川レンゴーを合併
1998
朋和産業を子会社・軟包装事業に進出
1999
セッツ(旧摂津板紙)を合併
2000
住友商事元副社長・大坪清氏が社長就任
2000
丸三製紙を子会社化
2005
葛飾工場と京都工場のリニューアル(投資額60億円)
2005
大和紙器の神奈川工場跡地を譲渡
2006
11月

日本製紙・住友商事・レンゴーの3社で戦略提携を締結(のちに解消)

2006/3期(連結)売上高 4,021億円当期純利益 130億円
「防衛的提携」が内包していた経営統合への距離感

2006年の3社提携は、王子製紙による北越製紙へのTOBという外圧を契機に成立した。株式持ち合いと経営統合の模索を同時に打ち出したが、防衛目的の提携と前向きな統合では意思決定の温度差が生じやすい。外圧が去れば統合の推進力も失われるという構図はM&Aにおいて典型的であり、リーマンショックという外部環境の変化がその構造的弱さを顕在化させた。結果としてレンゴーは単独路線を選択し、のちのトライウォール買収に代表される独自の海外展開戦略へと舵を切ることになる。

背景

王子製紙のTOBが引き起こした製紙業界の再編圧力

2006年、製紙業界では買収を通じた業界再編の可能性が浮上していた。同年7月に業界最大手の王子製紙が中堅の北越製紙に対してTOBを宣言し、規模の拡大による競争力強化を目指す動きが表面化した。この敵対的TOBは最終的に不成立に終わったものの、製紙業界における力学が変化しつつあることを市場に印象づけた。段ボール原紙を主力とするレンゴーにとっても、単独での事業継続が将来的に困難になるリスクが現実味を帯びる局面であった。

レンゴーは1999年に摂津板紙(セッツ)を合併した際に住友商事との関係を深めており、2000年には住友商事出身の大坪清氏を社長に迎えていた。こうした資本・人材面での結びつきを背景に、レンゴーは住友商事を仲介役として日本製紙との戦略的提携を模索し始めた。日本製紙は紙・パルプの大手であり、レンゴーの段ボール原紙事業との補完関係が見込まれた。業界再編の波に対して、3社が株式を持ち合う形での防衛的連携という構図が形成されていった。

決断

3社の株式持ち合いによる戦略提携と経営統合の模索

2006年11月、レンゴー・日本製紙・住友商事の3社は戦略提携の締結を発表した。3社間で株式を持ち合うことにより資本面での連携を強化し、将来的にはレンゴーと日本製紙の経営統合の可能性を視野に入れた提携であった。買収防衛策としての側面に加え、原紙の調達・生産における規模の経済を追求する狙いがあった。2008年には一部報道で「レンゴーと日本製紙の経営統合」が報じられるなど、業界内外で提携の行方に注目が集まった。

しかし提携後の連携は期待どおりには進まなかった。両社の事業構造や企業文化の違いから具体的な統合施策の合意形成が難航し、2008年のリーマンショックによる景気悪化が追い打ちをかけた。需要の急減により両社とも足元の業績対応に追われ、統合に向けた議論を進める余裕を失った。2009年、レンゴーと日本製紙は戦略提携の解消を決定し、レンゴーは単独企業として段ボール市場の成熟・飽和に向き合う方針へと転換した。

2006/3期(連結)売上高 4,021億円当期純利益 130億円
「防衛的提携」が内包していた経営統合への距離感

2006年の3社提携は、王子製紙による北越製紙へのTOBという外圧を契機に成立した。株式持ち合いと経営統合の模索を同時に打ち出したが、防衛目的の提携と前向きな統合では意思決定の温度差が生じやすい。外圧が去れば統合の推進力も失われるという構図はM&Aにおいて典型的であり、リーマンショックという外部環境の変化がその構造的弱さを顕在化させた。結果としてレンゴーは単独路線を選択し、のちのトライウォール買収に代表される独自の海外展開戦略へと舵を切ることになる。

年表日本製紙・住友商事・レンゴーの3社で戦略提携を締結(のちに解消)に関する出来事
20067月王子製紙が北越製紙にTOB(失敗)
200611月日本製紙・住友商事・レンゴーの3社で戦略提携を締結
20085月日本製紙との経営統合を否定(リーク報道)
20093月日本製紙との戦略提携を解消
2008
新京都事業所を発足(段ボール・紙器一体型工場)
2010
子会社のハマダ印刷機械を解散
2010
川崎工場跡地を売却・売却益65億円
2010
福島矢吹工場を新設(115億円)
2011
板紙・段ボールを値上げ(+10%)
2012
新仙台工場を新設(投資額100億円)
2012
独占禁止法に違反・公正取引委員会が立ち入り検査
2013
中国の子会社持分を譲渡(赤字につき事業縮小へ)
2014
新名古屋工場を新設・旧名古屋工場跡地を売却
2016
トライウォールを買収・重包装事業でグローバル展開へ
2017
原紙生産体制を再編・淀川工場での生産終了
2019
買収防衛策を廃止決議
2024
愛媛東温工場を新設(投資額140億円)
2024
子会社アームエル東セロを発足