1999年3月期、日本電池は上場後初となる35億円の最終赤字に沈んだ。国内シェア1位を握っていた自動車用鉛蓄電池の補修市場が、カー用品店とディーラー網の台頭で10年のあいだに単価で約40%下がったことが直接の引き金である。完成車の性能向上で鉛バッテリー自体の寿命が延び、交換サイクルが長期化したことも需要を削った。鉛蓄電池は寿命の長期化と小売側の値下げ圧力を同時に受ける構造不況産業となり、国内二強の体力勝負はすでに意味を失っていた。救済合併ではなく「減産のための統合」として、2004年に日本電池とユアサコーポレーションは経営統合し、初年度の2005年3月期に147億円の最終赤字を計上したうえで高槻工場の閉鎖と496名の希望退職に踏み切った。
鉛蓄電池で捻り出した体力は、リチウムイオン電池の合弁投資へ回した。2007年に三菱商事・三菱自動車とリチウムエナジージャパン、2009年にホンダとブルーエナジーを設立し、車載LiBの種を撒く。完成車メーカーを合弁相手に取り込むJV方式は、投資額と開発リスクを折半できるうえに納入先まで確保できる構造で、後発参入の鉛蓄電池メーカーが取り得る現実解だった。投資は長く赤字と減損を生み続けたが、2024年にリチウムエナジージャパンを清算し、2025年3月期に連結営業利益500億円と過去最高水準を記録した直後、阿部貴志社長は第七次中計で産業用LiBへの「攻め」を宣言した。鉛で稼ぎLiBへ仕込むという20年越しの賭けが、ようやく第二の本業へ育ちつつある局面である。
歴史概略
1917年〜2003年鉛蓄電池の二強が需要構造の崩壊に直面した時代
補修市場の掌握で稼いだ国内シェア36%の時代
日本電池は1917年、島津製作所の蓄電池工場が独立する形で設立された。初代社長は島津源蔵、設立時の従業員は145名で、発足当初の納入先は海軍省・鉄道省・通信省などの官公需が中心だった。民需に本格的に踏み出すのは1919年からの自動車用鉛蓄電池の生産開始以降で、一方の大阪では1918年に湯浅七左衛門が湯浅蓄電池製造所を創業し、翌年には自動車用電池の生産を始めた。京都の日本電池と大阪の湯浅は初期から同じ官公需と自動車需要を追い、地域も製品も重なる競合関係にあった。鉛蓄電池業界は発足当初から日本電池と湯浅の2系統に分かれ、以後80年以上にわたって国内二強体制が維持される構図となり、統合の時期まで続く原型がここで決まった。
戦後の自動車普及で量産が加速し、1967年時点の国内生産高シェアは36%で1位。当時、自動車用蓄電池の需要は新車向けと補修向けがおおむね半々だったが、収益は補修向けが支えていた。完成車メーカー向けは値下げ圧力が強いのに対し、町の自動車修理工場への販売は小売側の交渉力が弱く、相対的に高い利鞘を取れたためである。岡田辰三社長は1967年のインタビューで「鉛電池工業は、自動車用電池を中心に、近年大きく成長した」と語り、鉛電池の時代はあと10年は続くと見通した(産業フロンティア物語 1967)。補修市場の優位はその後20年以上続き、GSブランドの稼ぐ力の源泉となった。
補修需要の縮小と1999年の35億円最終赤字
1990年代に前提が崩れた。自動車修理のチェーン化が進み、大規模なカー用品店とディーラー網が台頭したことで、補修向けにも小売側から強い値下げ圧力がかかる。従来の町の修理工場は価格交渉力の弱い買い手であり、そこに鉛蓄電池メーカーが依存できる構造が成立していた。完成車の性能向上で鉛バッテリーの寿命が延び、交換サイクルが長期化したことも需要を削った。国内補修用市場の規模は1993年度の706億円から2002年度には599億円へ縮小し、同じ期間に補修用鉛蓄電池の単価は約6,000円から約3,600円へ、10年で約40%下落する。数量の縮小と単価の下落が同時進行し、補修で稼ぐモデルは、10年を待たずに土台から崩れた形だった。
日本電池は1999年3月期に35億円の最終赤字へ転落し、藤沢工場の生産ラインを閉鎖した。上場後初の最終赤字であり、補修市場の構造変化が直接数字として現れた初めての決算でもある。もう一方のユアサコーポレーション(1992年に湯浅電池から商号変更、1998年にリチウムイオンポリマー二次電池を開発)も同じ市況に直面していた。国内に2つの鉛蓄電池メーカーが並び立つ余地はすでに失われており、両社は競合関係を解消する道を探ることとなる。通常の業界再編は強い側が弱い側を吸収する形で進むが、鉛蓄電池の再編は、買い手が売り手を吸収する形ではなく、双方が減産のために手を組むという鉛蓄電池ならではの異例の構図を取った。
減産を本題とした2004年の経営統合と147億円の赤字
2003年7月、日本電池とユアサコーポレーションは経営統合の基本合意書を締結した。統合の実体は水平合併による規模拡大ではなく、国内ラインの停止と工場閉鎖による減産である。2004年4月に共同持株会社ジーエス・ユアサコーポレーションが発足し、両社を完全子会社として傘下に置いた。同時に東証一部・大証一部に上場した。GSとユアサの販社網・工場を並べたうえで、どちらをどう畳むかが最初の経営課題となる。経営陣は統合時に、国内では固定費削減(高槻工場閉鎖・希望退職・販社集約)、海外ではアジアを中心とする設備投資、研究開発ではリチウムイオン電池の開発強化を3つの柱として公表した。減産と次世代投資を抱き合わせた統合方針は、以後の20年を貫く経営の基本型となった。
統合初年度(2005年3月期)は最終赤字147億円。特別損失として固定資産除却損・事業再編費用など計76億円を計上した。翌2006年3月期には希望退職者496名の募集費用53億円、子会社退職年金特別費用22億円、高槻工場跡地再開発関係費用41億円など、特別損失の累計は169億円に達した。高槻工場の閉鎖は湯浅側の象徴的拠点を畳む判断であり、統合比率のうえでもユアサ側により大きな痛みを要求した形である。資産売却で投資有価証券売却益63億円などを立て、かろうじて黒字を確保する(日経産業新聞 2005/8/23)。既存事業を削ることが統合の本題であり、収益面での即効性は経営陣自身も期待しなかった。2期続けて特別損失を計上する体力負荷が、次の柱を探す動機をいっそう強めた。
2004年〜2018年鉛で稼いだキャッシュをリチウムへ振り向けた賭けの15年
三菱・ホンダとのJVでリチウムイオンの種を撒く
統合で体力を絞り込んだ後、経営陣は次の柱をリチウムイオン電池に定めた。ただし単独投資ではなく完成車メーカーとのJV方式を取る。JVにすれば投資額と開発リスクを折半でき、納入先を確保した状態で量産設備を立ち上げられるためである。後発参入の鉛蓄電池メーカーが、車載電池という新市場で日系大手・韓国勢と正面から張り合うには現実的な選択肢だった。2005年10月にインドのタタグループと合弁でTata AutoComp GY Batteries、2007年12月に三菱商事・三菱自動車とリチウムエナジージャパン(LEJ)、2009年4月にホンダとブルーエナジー(BEC)を設立した。LEJはPHEV・EV向け、BECはHEV向けと顧客別に棲み分ける設計で、1社ずつ相手を変える形で顧客側にも専任体制を敷いた。
2009年7月・8月には一般募集増資と第三者割当増資で資本金を330億円に引き上げ、金融危機直後の局面でリチウムイオン電池への投資原資を確保した。リーマン・ショック直後の株価で増資を決めた判断は、LiB投資を後ろ倒しにできない事情を示している。2012年3月には滋賀県栗東市にLEJ第一工場棟を竣工し、車載用リチウムイオン電池の国内量産が本格的に始まる。鉛蓄電池で稼いだキャッシュをリチウムへ振り向けるという、以後10年以上続く事業モデルの原型がここで固まった。2014年3月には2019年満期のユーロ円建転換社債型新株予約権付社債を発行し、250億円規模の追加資金を調達した。増資・社債・JVの3本立てで投資負担を分散する動きが続いた。
海外4拠点体制と国内再編の同時進行
リチウムへ仕込む一方で、鉛蓄電池の収益基盤にも手を打ち続けた。2013年にタイのSiam GS Batteryを連結子会社化、2015年10月にトルコのInci Aku Sanayiを持分法適用関連会社にし、社名をInci GS Yuasaへ変更する。鉛蓄電池は重量と物流費の比率が高く、地産地消で現地工場を持つことが輸出よりも合理的な品目である。海外セグメントは2014年3月期以降、欧米地域だけで売上1,600億円超を占め、2015年3月期には売上1,838億円・営業利益108億円と、国内鉛蓄電池の縮小を地産地消の海外拠点が補う構図に移った。2015年12月にはSiam GS Battery経由でマレーシアのYuasa Battery Malaysiaも連結子会社化し、アセアン4拠点体制を整える。国内の縮小と海外の拡張が同じ期間に並行した。
2016年10月にはパナソニックの鉛蓄電池事業を160億円で譲受し、パナソニックストレージバッテリーをGSユアサエナジーへ改称して子会社化した。パナソニックが撤退した鉛蓄電池事業を引き受けた形で、国内の鉛蓄電池メーカーは、第1期末に二強体制への集約を済ませたうえで、さらに一段の再編を経た形になる。2017年10月にはハンガリーにGS Yuasa Hungaryを設立して欧州自動車向けの現地供給体制を整え、2018年9月にはGSユアサエナジーを100%子会社化した。2014年6月に村尾修が依田誠から社長を引き継ぎ、以後9年務めた。国内の固定費削減と海外の地産地消投資が並行した時期で、やらないことを決めて選択肢を絞る判断を積み重ねた。
鉛の稼ぐ力とLiB仕込みが並走した収益構造
2017年3月期から始まる新セグメント区分では、自動車電池と産業電池の両方が安定的に利益を出した。自動車電池は売上2,382億円・営業利益161億円(2017年3月期)、産業電池は売上727億円・営業利益87億円、電源は売上393億円。連結営業利益は2014年3月期の181億円から2019年3月期の226億円まで拡大した。鉛蓄電池という成熟産業を抱えたままでも一定の利益成長を保てる構図が、この時期までに出来上がっていた。補修市場の縮小した国内では自動車電池事業の利益寄与度が相対的に下がり、Inci GS Yuasa(トルコ)・Siam GS Battery(タイ)といった地産地消の海外拠点が連結利益の底上げを担う構造へ移った。第1期の稼ぎ方が海外で引き継がれた形である。
一方、リチウムイオン電池は同時期、JV会計の性質上ほとんど連結セグメント上に姿を見せない。JV持分法の下ではLEJとBECの売上は外部売上として計上されず、利益も持分法投資損益としてまとめて表示される。稼ぎ頭は依然として鉛蓄電池で、LiBは投資と研究開発のフェーズにとどまった。社長の村尾修は後に「海外の鉛蓄電池メーカーと比べるとまだまだ稼げる」と、既存事業の伸びしろに言及している(決算説明会 FY23)。鉛で稼ぎLiBへ仕込むという第2期の戦略は、短期の収益性のうえでは成功したが、LiBを事業として回収する段階には至らなかった。車載LiBは長い仕込み期間を必要とし、第2期の段階では投資回収の目途は立っていない。
2019年〜2024年車載用リチウムイオン電池が連結セグメントに姿を現した5年
車載用LiBの連結計上とJV方式の限界
2021年3月期から、連結セグメントに「車載用リチウムイオン電池」が独立した区分として現れる。同年の売上1,653億円・営業利益122億円は、LEJとBECの合計規模がGSユアサ本体の決算に直接反映された結果で、JV方式の車載LiB事業が連結数字の主役の1つへ躍り出たことを意味する。長年持分法の中に隠れていたLiBの稼働状況が、投資家にも見える形で表に出た最初の決算である。翌2022年3月期も売上1,867億円・営業利益100億円と伸びたが、利益率は5%台にとどまり、第1期の補修市場時代の自動車電池に比べて相当低い水準だった。量産効果で設備投資を回収するビジネスモデルは、完成車メーカー向けの価格圧力の前に苦戦を強いられる。
この時期、GSユアサは2021年5月にサンケン電気の社会システム事業を譲受してGSユアサインフラシステムズを発足させ、産業電池電源の拡大も並行して進めた。同年6月には旧ユアサ系の小田原事業所の閉鎖も決めている。統合から17年が経過したうえで、なお旧ユアサ側の拠点縮小が続く状況だった。2022年4月の東証プライム移行と同5月のInci GS Yuasa連結子会社化を挟み、自動車電池国内・自動車電池海外・産業電池電源・車載用LiBの4本柱体制が整う。翌2023年4月にはGSユアサインフラシステムズをGSユアサ本体に吸収合併し、国内の産業電池電源事業を一本化した。LiB事業の表出と産業用の国内統合が並走した局面である。
Vision 2035とLEJ清算という2023年の転換
2023年春、GSユアサはVision 2035を発表し、2035年までに「エネルギー・マネジメント・カンパニー」へ転換する長期方針を掲げた。電池メーカーから、電池を含めたエネルギー・システムの提供者へ立ち位置を広げる宣言である。同年7月にはホンダと合弁でHonda・GS Yuasa EV Battery R&D(HGYB)を設立し、BEV用次世代電池の共同開発を始める。12月には公募増資と第三者割当増資で資本金を528億円へ引き上げ、滋賀県のBEV用LiB第2工場(総投資2,000億円・20GWh想定)の原資を確保した。同じ月に中国の天津・順徳の子会社2社を連結範囲から外し、持分法適用へ切り替えて中国事業を縮小再編した。中国での車載電池競争は中韓メーカー優位の構図が固まりつつあり、資源投入先を国内と欧州・アセアンへ絞り直す判断である。
村尾修は「Vision 2035は、様々な事業課題に立ち向かう当社を導く北極星の役割を担う」と社内外に繰り返し説明した(経済界 2024/5/28)。同時に、同じ2023年度にはLEJの100%子会社化と清算手続きも進める。LEJは設立以来、三菱商事・三菱自動車との3社JVで運営されていたが、PHEV・EV向けの需要が当初想定ほど立ち上がらず、累損を抱えた状態が続いていた。LEJ清算に伴う税効果は約50億円、中国再編の税効果は約10億円で、2024年3月期の実効税率を押し下げた。JVで仕込んだ車載LiBを直営に引き戻す作業が、長期ビジョンの発表と同時並行で進んだ。車載電池を本業として抱える覚悟を、2007年のJV設立から17年かけてようやく固めた形で、ビジョン発表の裏側で本業入りの下ごしらえを進めた時期にあたる。
LEJ清算と連結営業利益500億円の並立
2024年3月にGSユアサ本体がLEJの事業を譲受し、2024年9月にLEJの清算手続きを完了した。LEJは長年、累損を抱えた会社として決算の重荷となっていた。清算と同時に車載用LiBの国内量産体制はGSユアサ直営へ一本化される。合弁相手に依存せず、設備投資も損益も自社で抱える体制へと切り替えた形である。2024年6月の株主総会で村尾修が9年の在任を終えて退任し、阿部貴志が社長に就いた。村尾はVision 2035の発表を区切りに退任を決めたと説明した(決算説明会 FY23)。同年9月には第3回無担保社債としてサステナビリティ・リンク・ボンドを発行し、車載LiB投資と並行して調達手段を多様化させた。合弁解消と直営化、社長交代、調達手段の見直しが同じ半年のあいだに連続した局面である。
FY24(2025年3月期)の連結業績は売上5,803億円・営業利益500億円で過去最高水準に達した。自動車電池海外と産業電池電源が牽引し、産業電池電源だけで売上1,019億円・営業利益106億円を計上する。一方で車載用LiBは売上2,600億円規模まで拡大したが、営業利益は187億円、利益率7.2%にとどまった。鉛蓄電池の値上げ浸透と円安、トルコInci GS Yuasa連結子会社化による海外事業の数字の積み上げが過去最高益を作り、リチウムイオン電池はまだその一翼ではなかった。過去最高益を支えているのは、なお第1期・第2期に磨き込んだ鉛蓄電池である。20年越しの仕込みは、本業化の一歩手前で足踏みを続ける構図であり、採算改善が次期経営の最大課題となる。
直近の動向と展望
車載用LiBの採算悪化と売価スキームの見直し
阿部貴志体制の最初の課題は、車載用LiBの採算性である。2025年3月期4Qの営業利益25億円は、新車メーカーとの売価一括是正による一時的な押し上げが主因で、2026年3月期の車載用LiB営業利益予想は20億円にとどまった。見直し後の第六次中計目標(売上1,000億円・営業利益50億円)から30億円下方修正した水準である。阿部は「営業利益20億円というのはあるべき姿ではない」と述べ、目標未達を明示した(決算説明会 FY24)。20年の仕込みを経てセグメント独立した事業が、採算面で合格点に届かない状態である。車載LiBの単価決定権を完成車メーカーが握る構造は、第1期の新車メーカー向け鉛蓄電池と同じ性格を持つ。
原因は原材料と売価のスプレッド悪化である。リチウム価格の急落が半年遅れで売価へ反映されるスライド方式のため、市況下落局面で売価が先行して下がり、粗利が縮む構造だった。2024年度内に主要メーカーと契約形態変更の交渉を進めており、2025年度にはスプレッド影響を最小化するスキームへ変更する方針である。2026年3月期2Qでは、鉛蓄電池事業部が長年築いた新車メーカーとの価格交渉ノウハウをLiBへ横展開したことで、HEV用の売価是正が実を結び始めた(決算説明会 FY25-2Q)。過去20年、鉛蓄電池部隊が補修市場の崩壊を経て体得してきた単価設計の知見が、車載LiBの採算改善へ初めて使われる段階に入っている。
第七次中計が掲げる産業用LiBへの投資宣言
2025年11月の第2四半期決算説明会で、阿部は第七次中計の方向性として「収益基盤を固めたうえで攻めに転じる」と説明した。既存事業で稼いだキャッシュを注力分野へ投じる計画で、特に産業用リチウムイオン電池(LFP・大型分野)への本格投資を明言した。これまでは栗東事業所の既存ラインを流用して産業用LiBを作ってきたが、LEJ栗東事業所の新規大幅増設を検討している(決算説明会 FY25-2Q)。車載LiBの採算問題が棚上げされたのではなく、産業用という別の伸びしろを新たに立ち上げる構えである。鉛蓄電池で稼ぎLiBへ仕込む第2期の型が、車載ではなく産業用という軸で繰り返される布陣となる。
BEV用LiBについては、BEVの潮流が遅れている現実を踏まえ、滋賀横江工場のフル稼働をホンダと協議している。工場はBEV用とPHEV用の両方を生産できる設計で、BEV需要が想定を下回った場合はPHEV用をメインへ切り替える。投資済みの設備をどう稼働させ続けるかという運用設計の段階に入った。防衛関連ビジネスも成長領域と位置づけ、潜水艦用LiBの置換需要や人工衛星用・熱電池等の特殊電池で10%超の利益率を見込む。第1期に補修市場で稼いだ構図と同じく、値下げ圧力の弱い顧客層へ回帰しつつLiBを次の本業にできるか、第七次中計がその試金石になる。鉛の時代に得意客から離れて苦しんだ歴史を踏まえ、再び弱い交渉相手を抱える領域へ事業重心を戻す構えである。