創業1937年8月、初代社長・広瀬銈三氏が東京市赤坂区榎坂町に広瀬商会を創立し、電気絶縁物・通信機部品の製造販売を開始した。日中戦争開始直後の戦前期に通信機部品市場で事業を立ち上げ、1945年4月に湯河原工場を設置、1948年6月に株式会社広瀬商会製作所として組織を整えた。同年10月に湯河原工場で丸形・角形・同軸コネクタの生産を開始し、戦後のコネクタ専業メーカーとしての事業基盤が出発した。1963年8月に社名をヒロセ電機株式会社に改称、現社名が確立された。
決断1972年12月の東京証券取引所市場第二部上場、1984年11月の市場第一部昇格を経て、創業47年で本則市場上場企業の地位を確立した。1980年9月の米国現地法人設立を起点に、1985年韓国・1988年西独/英国・1989年マレーシア・1991年台湾・1995年インドネシア・1999年香港・2000年中国(東莞)・2003年オランダ・2010年シンガポールへの拠点配置を順次拡張し、コネクタ専業メーカーとしてのグローバル供給体制を確立した。2022年4月の東証プライム市場移行、2024年6月の鎌形伸氏(NTTデータ出身)の外部招聘社長就任が、創業88年を経たヒロセ電機の経営体制刷新の節目となっている。
課題FY24(2025年3月期)連結売上高1,894億円・営業利益427億円・純利益330億円と高水準まで回復した。多極コネクタ事業(FY24売上1,708億円・営業利益394億円)が業績の中核を担う一方、スマートフォン市場の成熟・成長鈍化を受け、車載電動化・産業機器・データセンター向け高速・大電流コネクタへの分散戦略が中期的課題である。鎌形伸代表取締役社長は中期経営計画「Hirose 2027」の下、創業家・生え抜き継承の伝統に外部視点を組み合わせた経営体制で、無借金経営・自己資本比率80%超の財務基盤を背景に成長投資と株主還元の両立を進めている。
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歴史概略
1937年〜1972年戦前創業の広瀬商会から戦後コネクタ専業メーカーへの転身
1937年──広瀬銈三による創業
1937年8月、東京市赤坂区榎坂町において、初代社長・広瀬銈三氏が広瀬商会を創立した。設立目的は「電気絶縁物並びに通信機部品の製造販売」で、戦前の通信機器産業(陸軍・海軍向け通信機部品、民間放送機器部品)の中核部品としての電気絶縁物・通信機部品が出発点である。日中戦争開始直後の時期で、軍需と民需の境界が曖昧だった戦前期の通信機部品市場における新規参入が、ヒロセ電機の創業の出発点となった。広瀬家による同族経営の起点でもある。
1945年4月、神奈川県足柄下郡湯河原町に湯河原工場を設置した。これは初の自社工場で、戦時下の物資統制と空襲被害を避けるための地方分散型の生産拠点配置である。終戦後の1948年6月、株式会社組織に改め社名を株式会社広瀬商会製作所と称し、本社を東京都大田区に設置した。創業11年で株式会社化を経て、戦後の電子機器産業(ラジオ受信機・テレビ受信機・通信機器)の急成長期に対応する組織形態を整えた。同年10月には湯河原工場で丸形・角形・同軸コネクタの生産を開始、戦後のコネクタ事業の出発点となった。
コネクタ専業メーカーへの転身
戦後の高度成長期にあたる1953年2月、本社を東京都品川区に移転、1954年7月には東京都大田区に下丸子工場を新設して生産能力を増強した。1963年8月、社名をヒロセ電機株式会社に改称し、現社名が確立された。創業26年で「広瀬商会」から「ヒロセ電機」への商号統一を完了し、戦前期の創業社名からコネクタ専業メーカーとしてのブランドを確立した。
1937年8月、初代社長広瀬銈三が東京市赤坂区榎坂町に広瀬商会を創立し、電気絶縁物並びに通信機部品の製造販売を開始する。戦後1948年6月の株式会社化、1963年8月のヒロセ電機株式会社への改称を経て、コネクタ専業メーカーとしての事業基盤を確立した。
1966年12月の東京都品川区大崎工場新設、1967年6月の横浜市港北区菊名工場新設を経て、1970年代の半導体・電子機器産業の成長期に重ねて、コネクタ専業メーカーとしての国内生産体制を整えた。1972年12月、東京証券取引所市場第二部に上場し、創業35年で公開市場への移行を実現した。
以降は執筆中