ヒロセ電機 の歴史

創業

1937年

創業者

広瀬銈三

創業地

東京都赤坂区

直近売上高(2025/3)

1,894億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1948年に、戦時疎開で設けた湯河原工場がコネクタ専業への転換を呼び込んだのか
A 工場を地方へ移したのは空襲と物資統制を避けるためだったが、結果として湯河原工場は戦火を免れ、終戦後すぐ稼働できる数少ない生産設備として残った。ラジオ・テレビ受信機が普及する戦後の電子機器産業では、機器どうしをつなぐコネクタが標準部品として需要を伸ばし、残った設備を活かす先になった。1937年に広瀬銈三氏が東京・赤坂で創業した広瀬商会は電気絶縁物と陸海軍向け通信機部品を作る零細メーカーだったが、1948年10月に湯河原工場で丸形・角形・同軸コネクタの生産を始め、主力をコネクタへ移した。1963年の社名変更でヒロセ電機を名乗り、コネクタ専業メーカーとして歩み出した
Q なぜ1980年代以降、製品を多角化せず、コネクタ専業のまま海外へ広げる道を選んだのか
A コネクタはほぼすべての電子機器に組み込まれる標準部品であり、品種を増やすより一品の設計・量産を深掘りするほど、顧客ごとの細かな要求に応える設計力と歩留まりで差がつく。多角化して経営資源を薄めるより、専業のまま世界中の電子機器メーカーへ供給網を伸ばすほうが、単一テーマの強みを増幅できた。ヒロセ電機は1972年に東証二部、1984年に一部へ上場して資金基盤を固め、1980年の米国進出を皮切りに韓国・西独・英国・台湾・中国・オランダなどへ拠点を配し、30年で9カ国に生産・販売網を広げた。製品で広げず地理で広げる構えが、この時期に定着した
Q なぜ2025年に、87年続いた創業家・生え抜き継承を破ってNTTデータ出身の鎌形伸氏を社長に据えたのか
A ヒロセ電機の高収益はスマートフォン向け多極コネクタに集中し、2020年代前半には営業利益率が25%を超えたが、それは業績がスマホ市場の成長サイクルに縛られた姿でもあった。次の柱として車載・産業機器・データセンター向けへ事業を分散する「G-WING」を掲げるなか、技術の延長で勝ってきた領域を守る発想ではなく、IT・経営管理の畑から事業構造そのものを組み替える経営者を選んだ。1990年にNTTデータへ入社し2002年にヒロセ電機へ移った鎌形伸氏は、執行役員・専務取締役を経て、2025年6月に代表取締役社長へ就いた。創業家・生え抜きの技術系が継いできた社長人事の伝統が、ここで初めて外部出身者へ開かれ、石井和徳前社長は代表権のない会長に退いた

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1937年〜 戦前創業の広瀬商会から戦後コネクタ専業メーカーへの転身

ヒロセ電機の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1937年 広瀬銈三氏が東京市赤坂区に広瀬商会を創立
  2. 1937年 電気絶縁物と通信機部品の製造販売を開始
  3. 1945年 湯河原工場を新設
  4. 1948年 組織に改め社名を広瀬商会製作所と称し本社を設置
  5. 1948年 湯河原工場で丸形・角形・同軸コネクタの生産を開始
  6. 1953年 本社を移転
  7. 1972年 外資と組まない純国産コネクタ専業のまま東証二部へ上場 銀行借入を続けるか、米国大手と組んで資本と技術を仰ぐか——コネクタ業界で唯一の純国産メーカーが選んだ資金の出どころ

1937年──広瀬銈三氏による創業

1937年8月、東京市赤坂区榎坂町において、初代社長・広瀬銈三氏が広瀬商会を創立した。設立目的は「電気絶縁物並びに通信機部品の製造販売」で、戦前の通信機器産業(陸軍・海軍向け通信機部品、民間放送機器部品)の中核部品としての電気絶縁物・通信機部品が出発点である。日中戦争開始直後の時期で、軍需と民需の境界が曖昧だった戦前期の通信機部品市場における新規参入が、ヒロセ電機の創業の出発点となった。広瀬家による同族経営の起点でもある。 [1][2][3]

  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1937年8月 初代社長・広瀬銈三が東京市赤坂区榎坂町で広瀬商会を創立(電気絶縁物並びに通信機部品の製造販売)
    • [2]創業者は初代社長・広瀬銈三
    • [3]創業時の社名は広瀬商会、所在地は東京市赤坂区榎坂町

1945年4月、神奈川県足柄下郡湯河原町に湯河原工場を設置した。これは初の自社工場で、戦時下の物資統制と空襲被害を避けるための地方分散型の生産拠点配置である。終戦後の1948年6月、株式会社組織に改め社名を株式会社広瀬商会製作所と称し、本社を東京都大田区に設置した。創業11年で株式会社化を経て、戦後の電子機器産業(ラジオ受信機・テレビ受信機・通信機器)の急成長期に対応する組織形態を整えた。同年10月には湯河原工場で丸形・角形・同軸コネクタの生産を開始、戦後のコネクタ事業の出発点となった。 [4][5][6]

  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1945年4月 神奈川県足柄下郡湯河原町に湯河原工場を設置(初の自社工場)
    • [5]1948年6月 株式会社組織に改め社名を株式会社広瀬商会製作所とし本社を東京都大田区に設置
    • [6]1948年10月 湯河原工場で丸形・角形・同軸コネクタの生産を開始(コネクタ事業の出発点)
  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1937年8月 初代社長・広瀬銈三が東京市赤坂区榎坂町で広瀬商会を創立(電気絶縁物並びに通信機部品の製造販売)
    • [2]創業者は初代社長・広瀬銈三
    • [3]創業時の社名は広瀬商会、所在地は東京市赤坂区榎坂町
    • [4]1945年4月 神奈川県足柄下郡湯河原町に湯河原工場を設置(初の自社工場)
    • [5]1948年6月 株式会社組織に改め社名を株式会社広瀬商会製作所とし本社を東京都大田区に設置
    • [6]1948年10月 湯河原工場で丸形・角形・同軸コネクタの生産を開始(コネクタ事業の出発点)

コネクタ専業メーカーへの転身

戦後の高度成長期にあたる1953年2月、本社を東京都品川区に移転、1954年7月には東京都大田区に下丸子工場を新設して生産能力を増強した。1963年8月、社名をヒロセ電機株式会社に改称し、現社名が確立された。創業26年で「広瀬商会」から「ヒロセ電機」への商号統一を完了し、戦前期の創業社名からコネクタ専業メーカーとしてのブランドを整えた。 [7][8][9]

  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1953年2月 本社を東京都品川区に移転
    • [8]1954年7月 東京都大田区に下丸子工場を新設
    • [9]1963年8月 社名をヒロセ電機株式会社に改称(現社名の確立)

1966年12月の東京都品川区大崎工場新設、1967年6月の横浜市港北区菊名工場新設を経て、1970年代の半導体・電子機器産業の成長期に重ねて、コネクタ専業メーカーとしての国内生産体制を整えた。1972年12月、東京証券取引所市場第二部に上場し、創業35年で公開市場への移行を完了した。 [10][11][12]

  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1966年12月 東京都品川区に大崎工場を新設
    • [11]1967年6月 横浜市港北区に菊名工場を新設
    • [12]1972年12月 東京証券取引所市場第二部に上場
  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1953年2月 本社を東京都品川区に移転
    • [8]1954年7月 東京都大田区に下丸子工場を新設
    • [9]1963年8月 社名をヒロセ電機株式会社に改称(現社名の確立)
    • [10]1966年12月 東京都品川区に大崎工場を新設
    • [11]1967年6月 横浜市港北区に菊名工場を新設
    • [12]1972年12月 東京証券取引所市場第二部に上場

防衛庁認定とボタン電話用コネクタによる飛躍

創業後はまず通信機器の電源用に使う丸形コネクタの開発に成功し、続いて機器内部用の角形コネクタ、高周波用の同軸コネクタへと製品系列を広げた。1959年には同社のコネクタが防衛庁および米軍規格の認定を受け、1963年に独自開発した「ミニコン1300シリーズ」が欧米製コネクタと比べて遜色ないと評価され、専業メーカーとしての技術的地位を固めた。同シリーズは1965年に日本電信電話公社のボタン電話用コネクタへ採用されて量産体制が整い、1966年からは公社認定メーカー3社の一角としてボタン電話専用コネクタの納入を開始、これを契機に売上は急増し、1967年5月期には年間売上高10億円を突破した。 [13][14][15][16]

  • 証券(東京証券取引所総務部)1972年12月号(24巻12号)
    • [13]1959年(昭和34年)同社コネクタが防衛庁および米軍規格の認定を取得
    • [14]1963年(昭和38年)独自開発の「ミニコン1300シリーズ」が欧米製コネクタと遜色ないと評価
    • [16]1966年(昭和41年)公社認定メーカー3社の一角でボタン電話専用コネクタ納入開始→1967年5月期に年間売上高10億円突破
  • 証券アナリストジャーナル(日本証券アナリスト協会)1973年2月号(11巻2号)
    • [15]1965年(昭和40年)ミニコン1300シリーズが日本電信電話公社のボタン電話用コネクタに採用され量産体制を確立

1967年には電子計算機需要をにらんで国産初のプリント基板用コネクタを自社技術で開発し、これが1969年の卓上計算機ブームに合致して業績を飛躍させた。1968年にはメキシコ五輪向けの通信衛星インテルサット3号計画に同社の同軸コネクタ(HRM)が大量採用され、製品の優秀性が国際的に示された。同年8月には米国チェリー社とアジア地域を含む国内販売代理店契約を結び、コネクタ以外の製品としてマイクロスイッチの販売も始めた。こうして通信・計測から計算機まで用途を広げ、コネクタ専業メーカーとしての事業基盤を確立した。 [17][18][19]

  • 証券(東京証券取引所総務部)1972年12月号(24巻12号)
    • [17]1967年(昭和42年)国産初のプリント基板用コネクタを自社開発→1969年(昭和44年)卓上計算機ブームで業績飛躍
    • [18]1968年(昭和43年)メキシコ五輪向け通信衛星インテルサット3号計画に同社の同軸コネクタ(HRM)が大量採用
    • [19]1968年8月 米国チェリー社とアジア地域を含む国内販売代理店契約を締結しマイクロスイッチ販売を開始

1971年5月(昭和46年)、創業者で初代社長の広瀬銈三が死去し、創業家による同族経営は次代へ引き継がれた。1972年12月の東証二部上場の前後で、同社は産業用コネクタを主力とし、売上の大半を直接受注によって日本電信電話公社・日本電気・松下通信工業・三菱電機・日立製作所など大手電機向けに納めていた。コネクタ業界での販売高は第2位・シェア15.9%で、上位5社のうち4社が外資との合弁や技術提携であるなか、同社は唯一の純国産メーカーであった。下丸子・菊名・大崎・湯河原の4工場を構え、従業員は1972年5月期末で628人を数えた。 [20][21][22][23]

  • 証券アナリストジャーナル(日本証券アナリスト協会)1973年2月号(11巻2号)
    • [20]1971年5月(昭和46年)創業者で初代社長の広瀬銈三が死去
  • 証券(東京証券取引所総務部)1972年12月号(24巻12号)
    • [21]主要販売先は日本電信電話公社・日本電気・松下通信工業・三菱電機・日立製作所など大手電機(直接受注中心)
    • [22]コネクタ業界販売高2位・シェア15.9%、上位5社で唯一の純国産メーカー
    • [23]下丸子・菊名・大崎・湯河原の4工場、従業員628人(1972年5月期末)
  • 証券(東京証券取引所総務部)1972年12月号(24巻12号)
    • [13]1959年(昭和34年)同社コネクタが防衛庁および米軍規格の認定を取得
    • [14]1963年(昭和38年)独自開発の「ミニコン1300シリーズ」が欧米製コネクタと遜色ないと評価
    • [16]1966年(昭和41年)公社認定メーカー3社の一角でボタン電話専用コネクタ納入開始→1967年5月期に年間売上高10億円突破
    • [17]1967年(昭和42年)国産初のプリント基板用コネクタを自社開発→1969年(昭和44年)卓上計算機ブームで業績飛躍
    • [18]1968年(昭和43年)メキシコ五輪向け通信衛星インテルサット3号計画に同社の同軸コネクタ(HRM)が大量採用
    • [19]1968年8月 米国チェリー社とアジア地域を含む国内販売代理店契約を締結しマイクロスイッチ販売を開始
    • [21]主要販売先は日本電信電話公社・日本電気・松下通信工業・三菱電機・日立製作所など大手電機(直接受注中心)
    • [22]コネクタ業界販売高2位・シェア15.9%、上位5社で唯一の純国産メーカー
    • [23]下丸子・菊名・大崎・湯河原の4工場、従業員628人(1972年5月期末)
  • 証券アナリストジャーナル(日本証券アナリスト協会)1973年2月号(11巻2号)
    • [15]1965年(昭和40年)ミニコン1300シリーズが日本電信電話公社のボタン電話用コネクタに採用され量産体制を確立
    • [20]1971年5月(昭和46年)創業者で初代社長の広瀬銈三が死去

1974年〜 海外展開と東証一部昇格──コネクタ専業の世界化

ヒロセ電機の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1974年 東北ヒロセ電機を設立
  2. 1980年 米国現地法人の設立から始めた海外拠点網の構築 顧客が海外へ移るとき、コネクタ専業はどこまで追いかけたか——販売から生産へ広げた30年
  3. 1984年 東京証券取引所市場第一部に上場
  4. 1985年 韓国大徳産業との合弁でヒロセコリアを設立
  5. 1988年 西独にヒロセエレクトリックGmbHを設立
  6. 1989年 ヒロセエレクトリックマレーシアSdn.Bhd.を設立
  7. 2010年 29年続いた韓国合弁ヒロセコリアの段階的な買い増しと完全子会社化 半分だけ持つ合弁のままでよいか——2010年から2015年までの三度の追加取得

国内生産体制の拡張と海外進出

1974年3月、岩手県宮古市に東北ヒロセ電機株式会社を設立し、多極コネクタ・絶縁物・金型製造を目的とした東北生産拠点を設けた。1982年6月には福島県郡山市に郡山ヒロセ電機株式会社を設立、多極コネクタ製造の生産体制を拡張した。1980年代以降の主力工場は東北地方に分散配置され、東北が国内コネクタ生産の中核地域となった。 [24][25]

  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1974年3月 岩手県宮古市に東北ヒロセ電機株式会社を設立(多極コネクタ・絶縁物・金型製造目的)
    • [25]1982年6月 福島県郡山市に郡山ヒロセ電機株式会社を設立(多極コネクタ製造目的)

1980年9月、米国に現地法人ヒロセエレクトリック(USA)INCを設立し、海外進出を開始した。1985年10月には韓国大徳産業との合弁でヒロセコリア株式会社を設立、1988年2月の西独ヒロセエレクトリックGmbH、同年4月の英国ヒロセエレクトリックUK LTD、1989年8月のマレーシア、1991年3月の台湾、1995年12月のインドネシア、1999年11月の香港、2000年10月の中国(東莞)への進出と、海外拠点配置を順次拡張した。1984年11月の東京証券取引所市場第一部への昇格は、本則市場昇格として創業47年の節目となった。 [26][27][28][29][30]

  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [26]1980年9月 米国に現地法人ヒロセエレクトリック(USA)INCを設立(海外進出開始)
    • [27]1985年10月 韓国大徳産業との合弁でヒロセコリア株式会社を設立
    • [28]1988年2月 西独ヒロセエレクトリックGmbH/同年4月 英国ヒロセエレクトリックUK LTD設立
    • [29]1989年8月マレーシア・1991年3月台湾・1995年12月インドネシア・1999年11月香港・2000年10月中国(東莞)への進出を順次拡張
    • [30]1984年11月 東京証券取引所市場第一部に昇格(本則市場昇格)
  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1974年3月 岩手県宮古市に東北ヒロセ電機株式会社を設立(多極コネクタ・絶縁物・金型製造目的)
    • [25]1982年6月 福島県郡山市に郡山ヒロセ電機株式会社を設立(多極コネクタ製造目的)
    • [26]1980年9月 米国に現地法人ヒロセエレクトリック(USA)INCを設立(海外進出開始)
    • [27]1985年10月 韓国大徳産業との合弁でヒロセコリア株式会社を設立
    • [28]1988年2月 西独ヒロセエレクトリックGmbH/同年4月 英国ヒロセエレクトリックUK LTD設立
    • [29]1989年8月マレーシア・1991年3月台湾・1995年12月インドネシア・1999年11月香港・2000年10月中国(東莞)への進出を順次拡張
    • [30]1984年11月 東京証券取引所市場第一部に昇格(本則市場昇格)

産業用コネクタ国内首位と「待ち伏せ製品」戦略

1990年代半ばには、産業用コネクタを主力とする事業構造が成長軌道に乗った。1996年9月時点で当時の酒井秀樹社長は、売上高が606億円・前年比17%増に達したと語り、好調の要因として携帯電話・PHS・カーナビ・基地局といった移動体通信向け、パソコンおよび周辺機器向け、半導体製造装置向け、さらにパチンコのプリペイドカードリーダー向けの製品群が伸びたことを挙げた。とりわけ世界的なブームとなった移動体通信関連の需要拡大が業績を押し上げ、産業用コネクタの分野で同社は国内シェア首位の位置を占めた。 [31][32][33]

  • 発明(発明推進協会)1996年9月号(93巻9号)
    • [31]1996年 売上高606億円・前年比17%増(当時の酒井秀樹社長の発言)
    • [32]好調要因は移動体通信(携帯電話・PHS・カーナビ・基地局)・パソコン・半導体製造装置・パチンコのプリペイドカードリーダー向け製品群の伸長
    • [33]産業用コネクタ分野で国内シェア首位

成長を支えたのは、需要が顕在化する前に自社開発のトレンド製品を用意しておく「待ち伏せ製品」と、つかんだ情報を分析してセットメーカーへ先回りで売り込む提案型営業であった。新製品は全体の約3割・1万点超に及び、モデルチェンジの速いパソコン向けでは1~2週間という短納期への対応力が問われた。これに応えるため同社はファブレス経営に徹し、量産は約200社の協力工場へ委ねる体制をとった。海外でも米国・英国・ドイツ・マレーシア・台湾に現地法人を構え、セットメーカーの海外展開に追随する形でグローバル化を進めた。 [34][35][36][37]

  • 発明(発明推進協会)1996年9月号(93巻9号)
    • [34]「待ち伏せ製品」(需要顕在化前のトレンド製品開発)と提案型営業による成長戦略
    • [35]新製品は全体の約3割・1万点超、パソコン向けは1~2週間の短納期
    • [36]ファブレス経営に徹し量産を約200社の協力工場へ委ねる体制
    • [37]米国・英国・ドイツ・マレーシア・台湾に現地法人を構えグローバル化を推進
  • 発明(発明推進協会)1996年9月号(93巻9号)
    • [31]1996年 売上高606億円・前年比17%増(当時の酒井秀樹社長の発言)
    • [32]好調要因は移動体通信(携帯電話・PHS・カーナビ・基地局)・パソコン・半導体製造装置・パチンコのプリペイドカードリーダー向け製品群の伸長
    • [33]産業用コネクタ分野で国内シェア首位
    • [34]「待ち伏せ製品」(需要顕在化前のトレンド製品開発)と提案型営業による成長戦略
    • [35]新製品は全体の約3割・1万点超、パソコン向けは1~2週間の短納期
    • [36]ファブレス経営に徹し量産を約200社の協力工場へ委ねる体制
    • [37]米国・英国・ドイツ・マレーシア・台湾に現地法人を構えグローバル化を推進

中国・東南アジア・欧州・北米への展開

2000年10月、中国に広瀬電機(東莞)有限公司を設立し、中国生産拠点を設けた。2003年4月には中国上海に博瀬電機貿易(上海)有限公司を設立して中国販売子会社の体制を整え、2003年10月のオランダ・ヒロセエレクトリックヨーロッパB.V.設立(欧州統括会社)、2007年7月の中国蘇州工場(広瀬電機(蘇州)有限公司)の設立を経て、グローバル供給体制を整えた。2010年7月にはシンガポールにヒロセエレクトリックシンガポールPtd Ltdを設立、東南アジア統括拠点を設けた。 [38][39][40][41][42]

  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [38]2000年10月 中国に広瀬電機(東莞)有限公司を設立(中国生産拠点)
    • [39]2003年4月 中国上海に博瀬電機貿易(上海)有限公司を設立(中国販売子会社)
    • [40]2003年10月 オランダ・ヒロセエレクトリックヨーロッパB.V.設立(欧州統括会社)
    • [41]2007年7月 中国蘇州工場(広瀬電機(蘇州)有限公司)を設立
    • [42]2010年7月 シンガポールにヒロセエレクトリックシンガポールを設立(東南アジア統括拠点)

2010年12月、ヒロセコリア株式会社の株式25%を追加取得し(計75%)連結子会社化、2012年11月にさらに約22%を追加取得(計約97%)し、2015年1月には約3%を追加取得して100%子会社化を完了した。創業期からの合弁関係を経て、韓国子会社の完全子会社化までを5年間で完了した。2011年9月には新総合拠点・横浜センターを新設、本社機能の集約と生産技術センターを統合した。 [43][44][45]

  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [43]2010年12月 ヒロセコリア株式25%追加取得(計75%)し連結子会社化
    • [44]2012年11月 約22%追加取得(計約97%)/2015年1月 約3%追加取得で100%子会社化を完了
    • [45]2011年9月 新総合拠点・横浜センターを新設
  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [38]2000年10月 中国に広瀬電機(東莞)有限公司を設立(中国生産拠点)
    • [39]2003年4月 中国上海に博瀬電機貿易(上海)有限公司を設立(中国販売子会社)
    • [40]2003年10月 オランダ・ヒロセエレクトリックヨーロッパB.V.設立(欧州統括会社)
    • [41]2007年7月 中国蘇州工場(広瀬電機(蘇州)有限公司)を設立
    • [42]2010年7月 シンガポールにヒロセエレクトリックシンガポールを設立(東南アジア統括拠点)
    • [43]2010年12月 ヒロセコリア株式25%追加取得(計75%)し連結子会社化
    • [44]2012年11月 約22%追加取得(計約97%)/2015年1月 約3%追加取得で100%子会社化を完了
    • [45]2011年9月 新総合拠点・横浜センターを新設

2011年〜 スマートフォン依存からの分散と外部社長就任

ヒロセ電機の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2011年 新総合拠点・横浜センターを新設
  2. 2016年 ヒロセエレクトリックインドPvt Ltdを設立
  3. 2019年 ヒロセエレクトリックマーケティングマレーシアSdn Bhdを設立
  4. 2020年 本社を移転し横浜センターを本社に商号変更
  5. 2024年 東北アドバンスト・テクノロジーセンターを設立
  6. 2024年 工場を新設し郡山ヒロセ電機を移転
  7. 2024年 ヒロセコリアに精密センター新棟を設立

FY11-FY18──スマートフォン向けコネクタの拡大期

2012年3月期は連結売上高948億円・純利益128億円、2013年3月期は売上高959億円・純利益135億円、2014年3月期は売上高1,250億円・純利益224億円、2015年3月期は売上高1,257億円・営業利益326億円・純利益229億円と、スマートフォン市場の急成長局面(2010年代前半)でヒロセ電機の業績は飛躍的に拡大した。2015年3月期時点で同軸コネクタ事業の売上162億円・営業利益42億円、多極コネクタ事業の売上1,014億円・営業利益282億円という構造で、多極コネクタ事業が業績の中核を担った。

2016年3月期から2019年3月期にかけては売上高が1,100億円台後半から1,200億円台で推移して安定し、営業利益200〜300億円台の高水準を維持した。スマートフォン1台あたりの基板実装密度が上昇するにつれ、コネクタ需要は構造的に拡大し、ヒロセ電機は世界のスマートフォン部品サプライチェーンにおける主要プレイヤーとしての位置を占めた。

FY19-FY22──多極コネクタ事業の収益拡大とコロナ後の高水準維持

2020年3月期は売上高1,218億円・営業利益204億円・純利益153億円、2021年3月期は売上高1,335億円・営業利益279億円・純利益199億円、2022年3月期は売上高1,637億円・営業利益408億円・純利益314億円、2023年3月期は売上高1,832億円・営業利益468億円・純利益346億円と、コロナ後の電子機器需要拡大局面で業績は過去最高水準まで上昇した。2023年3月期の営業利益率は25.5%と異例の高水準で、コネクタ専業メーカーとしての高い収益性が顕在化した。

2020年7月、本店を神奈川県横浜市に移転し横浜センターを本社に改称した。創業以来の東京区部本店から横浜への移転は、生産・研究開発拠点との一体運営を狙った組織再編である。2022年4月の東証市場区分見直しでプライム市場へ移行し、上場企業としての制度的位置づけを完了した。 [46][47]

  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [46]2020年7月 本店を神奈川県横浜市に移転し横浜センターを本社に改称
    • [47]2022年4月 東証市場区分見直しでプライム市場へ移行
  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [46]2020年7月 本店を神奈川県横浜市に移転し横浜センターを本社に改称
    • [47]2022年4月 東証市場区分見直しでプライム市場へ移行

FY24──スマートフォン依存からの分散と外部社長就任

2024年3月期は売上高1,655億円・営業利益340億円・純利益264億円と2023年3月期のピークから一服したが、2025年3月期は売上高1,894億円・営業利益427億円・純利益330億円と再び高水準まで回復した。同軸コネクタ事業の売上137億円・営業利益34億円、多極コネクタ事業の売上1,708億円・営業利益394億円という構造で、多極コネクタ事業が業績の中核を担う構造を維持している。

2024年6月に専務取締役へ就任していた鎌形伸氏(旧NTTデータ出身)が、2025年6月24日に代表取締役社長へ昇格した。ヒロセ電機の創業以来、創業家・生え抜きによる継承が中軸であった社長交代の歴史において、外部招聘社長の就任は稀有な事例である。石井和徳前社長(在任FY11-FY23)は取締役会長として継続関与しており、外部視点とヒロセ電機の事業経験を組み合わせた経営体制への移行が進む。中期経営計画「Hirose 2027」の下では、スマートフォン依存の収益構造から、車載電動化・産業機器・データセンター向けへの分散戦略を進めている。 [48][49][50][51]

    • [48]2024年6月 鎌形伸が専務取締役に就任、2025年6月24日に代表取締役社長へ昇格
  • ヒロセ電機 有価証券報告書【役員の状況】
    • [49]鎌形伸社長は旧NTTデータ出身(外部招聘社長)
    • [50]石井和徳前社長は在任FY11-FY23(2012〜2024年3月期)、就任後は取締役会長として継続関与
  • ヒロセ電機 統合報告書(2025年3月期)
    • [51]中期経営計画「Hirose 2027」の下でスマートフォン依存から車載電動化・産業機器・データセンター向けへの分散戦略を推進

無借金経営と自己資本比率80%超の財務基盤のもと、潤沢な現預金を成長投資と株主還元(増配・自己株式取得)の両軸に活用しつつ、創業88年(2025年時点)の伝統と外部視点を組み合わせた新体制での持続的成長が焦点となる局面である。2024年3月の岩手県盛岡市・東北アドバンスト・テクノロジーセンター設立、2024年6月の郡山ヒロセ電機新工場移転、2024年12月のヒロセコリア精密センター新棟設立など、生産・研究開発拠点の刷新投資も継続している。 [52][53][54][55]

  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [52]創業88年(1937年創業→2025年時点で88年)
    • [53]2024年3月 岩手県盛岡市に東北アドバンスト・テクノロジーセンターを設立
    • [54]2024年6月 郡山ヒロセ電機の新工場移転/2024年12月 ヒロセコリア精密センター新棟設立
  • ヒロセ電機 統合報告書(2025年3月期)
    • [55]無借金経営・自己資本比率80%超の財務基盤
    • [48]2024年6月 鎌形伸が専務取締役に就任、2025年6月24日に代表取締役社長へ昇格
  • ヒロセ電機 有価証券報告書【役員の状況】
    • [49]鎌形伸社長は旧NTTデータ出身(外部招聘社長)
    • [50]石井和徳前社長は在任FY11-FY23(2012〜2024年3月期)、就任後は取締役会長として継続関与
  • ヒロセ電機 統合報告書(2025年3月期)
    • [51]中期経営計画「Hirose 2027」の下でスマートフォン依存から車載電動化・産業機器・データセンター向けへの分散戦略を推進
    • [55]無借金経営・自己資本比率80%超の財務基盤
  • ヒロセ電機 有価証券報告書【沿革】
    • [52]創業88年(1937年創業→2025年時点で88年)
    • [53]2024年3月 岩手県盛岡市に東北アドバンスト・テクノロジーセンターを設立
    • [54]2024年6月 郡山ヒロセ電機の新工場移転/2024年12月 ヒロセコリア精密センター新棟設立

ヒロセ電機の沿革1937〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
広瀬銈三氏が東京市赤坂区に広瀬商会を創立
電気絶縁物と通信機部品の製造販売を開始
湯河原工場を新設
組織に改め社名を広瀬商会製作所と称し本社を設置
湯河原工場で丸形・角形・同軸コネクタの生産を開始★★
本社を移転
下丸子工場を新設
社名をヒロセ電機に商号変更
大崎工場を新設
菊名工場を新設
外資と組まない純国産コネクタ専業のまま東証二部へ上場銀行借入を続けるか、米国大手と組んで資本と技術を仰ぐか——コネクタ業界で唯一の純国産メーカーが選んだ資金の出どころ 詳細を読む★★★
東北ヒロセ電機を設立
米国現地法人の設立から始めた海外拠点網の構築顧客が海外へ移るとき、コネクタ専業はどこまで追いかけたか——販売から生産へ広げた30年 詳細を読む★★★
東京証券取引所市場第一部に上場
韓国大徳産業との合弁でヒロセコリアを設立
西独にヒロセエレクトリックGmbHを設立
ヒロセエレクトリックマレーシアSdn.Bhd.を設立
一関工場を新設
中華民国に台廣電子股份有限公司を設立
一関ヒロセ電機を設立
P.T.ヒロセエレクトリックインドネシアを設立
廣瀬香港有限公司を設立
広瀬電機(東莞)有限公司を設立
博瀬電機貿易(上海)有限公司を設立
ヒロセエレクトリックヨーロッパB.V.を設立
中村達朗広瀬電機(蘇州)有限公司を設立
中村達朗ヒロセエレクトリックシンガポール Ptd Ltdを設立
中村達朗29年続いた韓国合弁ヒロセコリアの段階的な買い増しと完全子会社化半分だけ持つ合弁のままでよいか——2010年から2015年までの三度の追加取得 詳細を読む★★★
石井和徳新総合拠点・横浜センターを新設
石井和徳ヒロセエレクトリックインドPvt Ltdを設立
石井和徳ヒロセエレクトリックマーケティングマレーシアSdn Bhdを設立
石井和徳本社を移転し横浜センターを本社に商号変更
鎌形伸東北アドバンスト・テクノロジーセンターを設立
鎌形伸工場を新設し郡山ヒロセ電機を移転
鎌形伸ヒロセコリアに精密センター新棟を設立
出典・参考

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