1990年〜 北関東の不動産業から建売自社施工へ ── 創業者・塙圭二氏の創業期
- 1990年 ケイアイプランニングを設立
- 1993年 ケイアイプランニングに組織変更
- 1994年 グランビルホームを設立
- 1997年 不動産販売会社としてユーフォリアを設立
- 1998年 グランビルホームをケイアイコーポレーションに商号変更
- 2002年 ケイアイコミュニティを設立
- 2007年 ストーリーハウス・ケイアイスター不動産販売・アトム社ほか4社を吸収合併
埼玉県本庄市で始まったケイアイプランニング
1990年11月、創業者の塙圭二氏[1]は埼玉県本庄市本庄に有限会社ケイアイプランニングを設立し、不動産の売買及び賃貸業を開始した[2]。北関東の地場不動産業からの出発点で、地方分譲モデルの原型はここから始まる。本庄市は群馬県との県境に位置する人口約8万人の地方都市[3]である。1991年7月に塙氏は代表取締役社長に就任[4]、1993年6月には有限会社から株式会社ケイアイプランニングへ組織変更し[5]、株式会社としての事業基盤を整えた。創業からの事業領域は土地仕入と建売販売の組み合わせで、地元の地縁ネットワークを活かした地場ビジネスだった。
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【沿革】
- [1]創業者は塙圭二
- [2]1990年11月 塙圭二が埼玉県本庄市本庄に有限会社ケイアイプランニングを設立、不動産の売買及び賃貸業を開始
- [5]1993年6月 有限会社から株式会社ケイアイプランニングへ組織変更
- 本庄市統計(本庄市公式)
- [3]本庄市は群馬県境に位置する人口約8万人の地方都市
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【役員の状況】
- [4]1991年7月 塙圭二が代表取締役社長に就任
1994年2月、住宅建設機能を内製化するため株式会社[6]グランビルホームを設立した。それまで外注に頼っていた住宅建設を自社施工に切り替える第一歩で、不動産売買・分譲事業の利益率改善と工期管理を自前で行う体制を組んだ。1997年12月には不動産販売会社として有限会社ユーフォリアを設立し[7]、販売チャネルも自社内で分離した。1998年11月、株式会社グランビルホームを株式会社ケイアイコーポレーションに商号変更し[8]、住宅建設の自社施工拠点として整理した。2002年7月には住宅メンテナンス事業を目的に有限会社ケイアイコミュニティを設立し[9]、販売後アフターサービス機能も子会社化した。創業10年余で土地仕入・建設・販売・メンテナンスを一貫して手がける体制を本庄市発の中小グループで組み上げた格好となった。
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【沿革】
- [6]1994年2月 住宅建設を目的に株式会社グランビルホームを設立
- [7]1997年12月 不動産販売会社として有限会社ユーフォリアを設立
- [8]1998年11月 株式会社グランビルホームを株式会社ケイアイコーポレーションに商号変更
- [9]2002年7月 住宅メンテナンス事業を目的に有限会社ケイアイコミュニティを設立
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【沿革】
- [1]創業者は塙圭二
- [2]1990年11月 塙圭二が埼玉県本庄市本庄に有限会社ケイアイプランニングを設立、不動産の売買及び賃貸業を開始
- [5]1993年6月 有限会社から株式会社ケイアイプランニングへ組織変更
- [6]1994年2月 住宅建設を目的に株式会社グランビルホームを設立
- [7]1997年12月 不動産販売会社として有限会社ユーフォリアを設立
- [8]1998年11月 株式会社グランビルホームを株式会社ケイアイコーポレーションに商号変更
- [9]2002年7月 住宅メンテナンス事業を目的に有限会社ケイアイコミュニティを設立
- 本庄市統計(本庄市公式)
- [3]本庄市は群馬県境に位置する人口約8万人の地方都市
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【役員の状況】
- [4]1991年7月 塙圭二が代表取締役社長に就任
商号「ケイアイスター不動産」への変更とグループ再編
2005年12月、株式会社ケイアイプランニングをケイアイスター不動産株式会社に商号変更した[10]。「ケイアイスター」ブランドへのグループ統一であり、それまでの分散した子会社群を1つのブランドの下に再構成する宣言だった。商号変更後の2006年8月、株式会社ケイアイコーポレーション(住宅建設)と株式会社ゴールドクオリティーを吸収合併し[11]、子会社を本体に統合した。分散していた子会社群を事業会社の直営体制へまとめる転換である。グループ各社の意思決定を本体に集約することで、分譲・建設・販売の連動を一本化し、現場の即応性を高める意図だった。
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【沿革】
- [10]2005年12月 株式会社ケイアイプランニングをケイアイスター不動産株式会社に商号変更
- [11]2006年8月 株式会社ケイアイコーポレーション及び株式会社ゴールドクオリティーを吸収合併
2007年5月には、ストーリーハウス株式会社・ケイアイスター不動産販売株式会社・有限会社アトム社・有限会社スクリーブ・有限会社イーグルハウスの計5社を一括して吸収合併し[12]、グループ統合の総仕上げを行った。創業期にあれこれと立ち上げた分散子会社群を本体に集約し、意思決定スピードと採用力を確保した。同時にこれは将来の上場を視野に入れた組織整理でもあった。北関東という地方の本庄市本社で[13]、創業から15年余の小規模グループが上場準備段階の組織形態へ進んだ点は、低価格分譲・建売市場という独自セグメントの開拓を経営陣が早期に意識していたことを示している。
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【沿革】
- [12]2007年5月 ストーリーハウス・ケイアイスター不動産販売・有限会社アトム社・有限会社スクリーブ・有限会社イーグルハウスの計5社を吸収合併
- [13]本社所在地は埼玉県本庄市
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【沿革】
- [10]2005年12月 株式会社ケイアイプランニングをケイアイスター不動産株式会社に商号変更
- [11]2006年8月 株式会社ケイアイコーポレーション及び株式会社ゴールドクオリティーを吸収合併
- [12]2007年5月 ストーリーハウス・ケイアイスター不動産販売・有限会社アトム社・有限会社スクリーブ・有限会社イーグルハウスの計5社を吸収合併
- [13]本社所在地は埼玉県本庄市
地方分譲業者としての原型完成 ── 上場前の事業基盤整備
2006年8月・2007年5月の組織再編を経て[14]、ケイアイスター不動産は埼玉県本庄市を本社とし、北関東を中心とする建売分譲住宅事業の地場ビルダーとしての姿を整えた。同時期の関東圏では、首都圏のマンション需要が拡大する一方で、戸建分譲は中堅・中小事業者が乱立する競争市場であり、北関東の中小事業者が「世帯収入年300〜500万円台の一次取得者である若年層」という独自セグメントに踏み込む余地が残っていた[15]。塙社長は本庄市の地縁・地場ネットワークを活かしつつ、世帯収入300〜500万円台の初めて家を持つ買い手を主な顧客に想定したビジネス設計を進めた。これは大手ハウスメーカーが手薄な価格帯で、独自ポジションを取れる商圏だった。
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【沿革】
- [14]2006年8月・2007年5月の組織再編を経て建売分譲住宅事業の地場ビルダーとしての姿を整えた
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【事業の内容】
- [15]主要顧客は世帯収入300〜500万円台の一次取得者である若年層
2009年8月の「はなまるハウス」事業立ち上げまでの間[16]、目立った大型展開はなく内部の体制づくりが続いた。創業以来の塙社長一貫体制で[17]、家族経営的な意思決定速度と、地縁ネットワークを活かした土地仕入の機動性が同社の強みとなった。グループ統合を終えた2007年以降の同社は、後の上場や全国展開につながる組織的な土台を本体に集約していた。1990年の創業から、不動産業から住宅建設の内製化、グループ統合、そして商号統一によるブランド再構築を経て、北関東の地場分譲業者として事業基盤を整え、次の時代区分の「はなまるハウス」と上場へ進む準備を進めた。
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【沿革】
- [16]2009年8月「はなまるハウス」事業立ち上げ
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【役員の状況】
- [17]創業以来の塙社長一貫体制(1991年就任〜現任)
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【沿革】
- [14]2006年8月・2007年5月の組織再編を経て建売分譲住宅事業の地場ビルダーとしての姿を整えた
- [16]2009年8月「はなまるハウス」事業立ち上げ
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【事業の内容】
- [15]主要顧客は世帯収入300〜500万円台の一次取得者である若年層
- ケイアイスター不動産 有価証券報告書 第26期(2015年3月期)【役員の状況】
- [17]創業以来の塙社長一貫体制(1991年就任〜現任)