創業1911年11月、市野瀬潜が京都で個人商店「京都新薬堂」を創業した。明治末期から大正初期にかけて欧米から輸入される医薬品の卸販売を担う事業として始まり、京都という古都ながら学術都市の立地が、後年の研究開発志向の起点となった。1919年10月、市野瀬潜と内貴清兵衛らが京都新薬堂を法人化し、日本新薬株式会社として設立、京都市下京区壬生下溝町に本社・工場を構えた。
決断1926年4月から始めた回虫駆除薬サントニン含有の新植物探索で、1929年8月に「みぶよもぎ」から国産サントニン結晶2.4gの抽出に成功、1940年5月に国産サントニンを発売して輸入依存から自社製造への転換を果たした。1961年5月に粉末香辛料「スパイス・ケンダ」を発売して機能食品事業へ参入し、医薬品単一事業からの多角化へ踏み出した。1997年10月のニューヨーク事務所開設と1999年7月のNS Pharma, Inc.設立により、米国市場進出の基盤を構築した。
課題核酸医薬「ビルテプソ」(デュシェンヌ型筋ジストロフィー治療薬)の米国FDA承認(2020年)でグローバル創薬企業への足場を確立、2025年3月期に売上高1,602億円・営業利益354億円・親会社株主に帰属する当期純利益325億円と過去最高水準を更新した。2021〜2022年に中国子会社(北京艾努愛世医薬、天津艾努愛世医薬)を相次いで設立し中国市場進出を本格化、希少疾患領域・核酸医薬の次世代パイプラインの育成と海外売上比率の拡大が中長期の論点となっている。
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歴史概略
1911年〜1948年京都新薬堂からサントニン国産化まで
輸入販売の個人商店から法人化への踏み出し
1911年11月、市野瀬潜が京都で個人商店「京都新薬堂」を創業した。明治末期から大正初期にかけて、欧米から輸入される医薬品の卸販売を主な事業として始まり、京都という古都ながら学術都市の立地が、後年の研究開発志向の起点となった。1919年10月、市野瀬潜と内貴清兵衛らが株式会社化し、社名を日本新薬株式会社へ改めた。輸入商社から国産製薬会社へ生まれ変わるための法人格を整え、京都市下京区壬生下溝町に本社・工場を構えた。
1926年4月から、回虫駆除薬サントニン含有の新植物の探索が始まった。1929年8月、日本新薬は新植物の花蕾から国産サントニン結晶2.4gを抽出することに成功し、その新植物を「みぶよもぎ」と命名した。1934年5月、京都市西大路八条に西大路工場を設置し、1935年2月には薬用植物研究のため山科研究圃場(現山科植物資料館)を整備した。輸入依存の事業構造から、自社研究で国産化を目指す方向へ大きく舵を切る時期で、薬用植物の栽培から成分抽出までを自社で担う体制を構築している。
国産サントニン発売と戦時期の生産拡張
1940年5月、長年の研究開発の成果として国産サントニンを発売した。輸入依存から脱却した自社製造の回虫駆除薬として量産販売を開始し、日本新薬の事業基盤を確立する画期となった。同年9月に大阪支店(現関西支店)を設置し、1944年10月にはサントニン現地生産のため札幌工場を設置している。戦時期の医薬品需要拡大と国産化政策のなかで、京都本社・大阪支店・札幌工場の三拠点体制を整え、医療用医薬品メーカーとしての地位を確立した。
戦時期の生産拡張は、戦後の事業基盤の礎となった。1948年に商店の医薬品製造部門と医薬硝子資材部門を分離して株式会社化する小野薬品工業と異なり、日本新薬は早期に株式会社化を済ませた優位性を活かし、戦後の混乱期にも事業の連続性を保った。1944年10月設置の札幌工場は後の1990年9月に閉鎖されるが、戦時期に確立した複数拠点の生産体制が、戦後の医薬品需要拡大に応える基盤となった。
以降は執筆中