1911年〜 京都新薬堂からサントニン国産化まで
- 1911年 京都新薬堂を創設
- 1919年 日本新薬に商号変更
- 1928年 東京出張所設置
- 1929年 みぶよもぎ花蕾から国産サントニン結晶を抽出
- 1934年 西大路工場を新設
- 1935年 薬用植物研究のため山科研究圃場を設置
- 1940年 国産サントニンの発売
輸入販売の個人商店から法人化への踏み出し
1911年11月、市野瀬潜が京都で個人商店「京都新薬堂」を創業した。明治末期から大正初期にかけて、欧米から輸入される医薬品の卸販売を主な事業として始まり、京都という古都ながら学術都市の立地が、後年の研究開発志向につながった。この個人企業を前身に、1919年10月、市野瀬潜と内貴清兵衛らが資本金50万円の株式会社として改組設立し、社名を日本新薬株式会社へ改めた。輸入商社から国産製薬会社へ生まれ変わるための法人格を整え、京都市下京区壬生下溝町に本社・工場を構えた。翌1920年5月には壬生の本社事務所と工場で皮膚薬ピチロール、催眠薬ブロバリンなどの製造を始め、輸入医薬品を卸す商店から自社で薬を製造する医薬品メーカーへ転じた。 [1][2][3][4][5][6][7]
- 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
- [1]1911年11月 市野瀬潜が京都で個人商店「京都新薬堂」を創業
- [3]1919年10月 株式会社化し社名を日本新薬株式会社へ改めた
- [5]法人化は市野瀬潜と内貴清兵衛らが行った
- [6]本社・工場を京都市下京区壬生下溝町に構えた
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [2]京都新薬堂は明治末年に創業した初代社長市野瀬潜の個人企業で、日本新薬の前身である
- [4]大正8年(1919年)10月、資本金50万円の株式会社に改組設立された
- [7]1920年5月、京都壬生の本社事務所と工場で皮膚薬ピチロール、催眠薬ブロバリンなどの製造を始めた
1926年4月から、回虫駆除薬サントニン含有の新植物の探索が始まった。1929年8月、自社は新植物の花蕾から国産サントニン結晶2.4gを抽出することに成功し、その新植物を「みぶよもぎ」と命名した。1934年5月、京都市西大路八条に西大路工場を設置し、1935年2月には薬用植物研究のため山科研究圃場(現山科植物資料館)を整備した。輸入依存の事業構造から、自社研究で国産化を目指す方向へ方針を変える時期で、薬用植物の栽培から成分抽出までを日本新薬で担う体制を構築している。 [8][9][10][11][12]
- 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
- [8]1926年4月から回虫駆除薬サントニン含有の新植物の探索を始めた
- [9]1929年8月 新植物の花蕾から国産サントニン結晶2.4gを抽出した
- [10]新植物を「みぶよもぎ」と命名した
- [11]1934年5月 京都市西大路八条に西大路工場を設置
- [12]1935年2月 山科研究圃場(現山科植物資料館)を設置
- 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
- [1]1911年11月 市野瀬潜が京都で個人商店「京都新薬堂」を創業
- [3]1919年10月 株式会社化し社名を日本新薬株式会社へ改めた
- [5]法人化は市野瀬潜と内貴清兵衛らが行った
- [6]本社・工場を京都市下京区壬生下溝町に構えた
- [8]1926年4月から回虫駆除薬サントニン含有の新植物の探索を始めた
- [9]1929年8月 新植物の花蕾から国産サントニン結晶2.4gを抽出した
- [10]新植物を「みぶよもぎ」と命名した
- [11]1934年5月 京都市西大路八条に西大路工場を設置
- [12]1935年2月 山科研究圃場(現山科植物資料館)を設置
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [2]京都新薬堂は明治末年に創業した初代社長市野瀬潜の個人企業で、日本新薬の前身である
- [4]大正8年(1919年)10月、資本金50万円の株式会社に改組設立された
- [7]1920年5月、京都壬生の本社事務所と工場で皮膚薬ピチロール、催眠薬ブロバリンなどの製造を始めた
国産サントニン発売と戦時期の生産拡張
1940年5月、1926年の探索開始から実に15年に及ぶ研究の末に、国産サントニンを発売した。輸入依存から脱却した自社製造の回虫駆除薬として量産販売を開始し、日本新薬の事業基盤を確立する画期となった。同年9月に大阪支店(現関西支店)を設置し、1944年10月にはサントニン現地生産のため札幌工場を設置している。戦時期の医薬品需要拡大と国産化政策のなかで、京都本社・大阪支店・札幌工場の三拠点体制を整え、医療用医薬品メーカーとしての地位を得た。 [13][14][15][16]
- 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
- [13]1940年5月 国産サントニンを発売
- [15]1940年9月 大阪支店(現関西支店)を設置
- [16]1944年10月 サントニン現地生産のため札幌工場を設置
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [14]サントニンの国産化には大正15年(1926年)から15年間の研究に没頭した
戦時期の生産拡張は、戦後の事業基盤の礎となった。1948年に商店の医薬品製造部門と医薬硝子資材部門を分離して株式会社化する小野薬品工業と異なり、日本新薬は早期に株式会社化を済ませた優位性を活かし、戦後の混乱期にも事業の連続性を保った。1944年10月設置の札幌工場は後の1990年9月に閉鎖されるが、戦時期に整えた複数拠点の生産体制が、戦後の医薬品需要拡大に応える基盤となった。 [17]
- 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
- [17]1944年10月設置の札幌工場は1990年9月に閉鎖された
- 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
- [13]1940年5月 国産サントニンを発売
- [15]1940年9月 大阪支店(現関西支店)を設置
- [16]1944年10月 サントニン現地生産のため札幌工場を設置
- [17]1944年10月設置の札幌工場は1990年9月に閉鎖された
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [14]サントニンの国産化には大正15年(1926年)から15年間の研究に没頭した