重田康光氏の起業と架空契約問題からの再建
1988年2月、重田康光氏は資本金100万円で光通信を設立した。OA機器と電話機の販売およびリースを事業目的に掲げ、当時23歳だった。弁護士一家に育ち、巣鴨高校を卒業したのちアルバイト生活を経て日本大学経済学部へ入ったが、すぐに中退した。高校のころから事業家を志し、自由化されたばかりの電話機販売会社で働くうちに、NTT民営化を機に開いた通信市場へ商機を見いだした。事業はホームテレホンの訪問販売から始め、半年後には第二電電の代理店として市外電話サービスの回線販売に入った。1990年4月には複写機とファクシミリ、1991年11月にはコンピュータと周辺機器へ取扱品目を拡大した。
重田氏は創業時から『最も成果の上がる組織、仕組みとは何か』を問い、商品ではなく営業の仕組みそのものを競争力に据えた。中小企業を回るためのアタックリストに使ったのが、NTTの電話帳"タウンページ"へ載る約530万社の企業情報である。誰でも手に入る公開情報を、片端から電話をかけて訪問の約束を取り付け、訪問先企業の機器・リース期限・反応をデータベース化して次の営業へ回す運用で使い切った。人事も同じ考えで設計し、学歴を問わず33等級の最下位から始め、毎月の異動と成績評価で昇格も降格も起こす実力主義を敷いた。降格しても力を見せれば戻れる敗者復活を組み合わせ、機会は公平に開くという考えを掲げた。企業向けの営業担当は長時間労働をいとわず、多くが20歳代だった。
1992年12月に国際電話サービスの回線販売を本格化し、1993年6月には携帯電話サービスの回線販売へ進んだ。重田氏は組織の固定化を嫌い、市場の変化に応じて人員を動かす経営を掲げ、1993年後半には主力を訪問販売から店頭販売へ移した。1994年4月、携帯電話機器の売り切り制が導入されると、光通信はただちに端末の販売を開始した。翌5月には東京都新宿区へ携帯電話販売店舗の第1号店を開店し、HITSHOPの店舗網は1994年8月期末に12店となった。1995年5月にビジネスホンの販売を本格化し、7月には簡易型携帯電話(PHS)の取次と端末販売も加えた。
単体売上高は1994年8月期の122億円から1996年8月期には562億円へ伸びた。
1996年2月、光通信は日本証券業協会へ株式を登録して店頭公開した。31歳の重田氏は史上最年少の店頭公開企業のトップとなった。売上高は前々期261億円・前期560億円と伸び、1997年8月期は1022億円を見込んでいた。1997年1月には売買単位を1000株から100株へ引き下げた。店舗網の拡大はさらに速く、HITSHOPは1996年8月期の140店から1998年8月期に532店、1999年8月期には1816店に達した。1994年8月期の12店から5年で約151倍である。1998年9月にはレンタルサーバー事業も本格化させ、1999年5月には携帯電話販売店舗が全国で1500店に届いた。
1999年9月、光通信は東京証券取引所市場第一部へ株式を上場した。単体売上高は1999年8月期に2592億円、当期純利益は98.8億円へ伸びた。資本参加そのものは新しくなく、1997年にもパソコン量販のソフマップへ30億円の第三者割当増資を引き受けて第二位株主になる交渉を進めていた。
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| 1988〜1999年通信自由化に乗った販売代理と、携帯電話が開いた急拡大 | 重田康光 | 通信自由化を機とした創業と、後の主力となる販売手法の設計 1988年2月、重田康光氏が資本金100万円で光通信を設立した経営判断。設立の目的はOA機器・電話機等の販売及びリースで、半年後の7月には市外電話サービスの回線販売事業を始めている。NTT民営化に始まる通信自由化が生んだ回線取次という商機に、猛烈な訪問営業と徹底した実力主義人事を組み合わせた営業モデルを、創業時から設計思想として組み込んだ。 詳細を読む | ★★★ | |
| 重田康光 | 市外電話サービスの回線販売事業に参入 | ★ | ||
| 重田康光 | 複写機・FAXの販売開始 | ★ | ||
| 重田康光 | コンピュータ機器の販売開始 | ★ | ||
| 重田康光 | 国際電話サービス回線販売事業を本格化 | ★ | ||
| 重田康光 | 携帯電話サービス回線販売事業に参入 | ★ | ||
| 重田康光 | 携帯電話の売切り制移行を機とした販売代理店事業への本格参入とコミッション収益モデルの確立 携帯電話がレンタルから売切り制へ移った1994年4月、光通信は携帯電話機器の販売を開始し、翌5月に東京都新宿区へ携帯電話販売ショップHITSHOPの第1号店を開店した。直営店とチェーン加盟店の二本立てで店舗網を拡大し、1995年7月時点で直営22店・加盟28店、同年12月末には加盟店を含め全国79店舗となった。 売切り制の導入から2年半で約300店、1998年8月に500店、1999年5月には1,500店へ達する。端末の利ざやではなく、契約者の通話料金に連動して継続的に入るコミッションを収益源に据えた経営判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 重田康光 | ビジネスホンの販売を本格化 | ★ | ||
| 重田康光 | 簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次・端末販売を開始 | ★ | ||
| 重田康光 | 株式を日本証券業協会に登録(店頭公開) | ★ | ||
| 重田康光 | レンタルサーバービジネスを本格化 | ★ | ||
| 重田康光 | 東京証券取引所市場第一部に株式上場 | ★ | ||
| 2000〜2003年架空契約の発覚と、投資・財務の同時破綻からの再建 | 重田康光 | 契約実態のない売上計上の露見を受けた携帯電話小売からの撤退 2000年3月、携帯電話専門店HIT SHOPのフランチャイズ店で架空契約「寝かせ」が発覚した。前年9月に東京証券取引所市場第一部へ上場したばかりの光通信の株価は20日連続のストップ安を記録し、国内のネットバブル崩壊の引き金となった。1999年5月に全国1,500店まで膨らんだ店舗網は不採算店のリストラで削られ、2003年3月には470店へ縮小する。売上高は2000年8月期の3,166億円を頂点に、7か月間の変則決算となった2002年3月期には710億円まで減少した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 重田康光 | 有利子負債の圧縮開始 | ★★ | ||
| 重田康光 | 決算期を8月から3月に変更 | ★ | ||
| 重田康光 | 保険取次販売事業を本格化 | ★★ | ||
| 玉村剛史 | 社債償還危機下の有利子負債圧縮と収益源の入れ替え ITバブル崩壊で携帯電話販売が失速した光通信は、2002年から2003年にかけて不採算店舗を整理し、収益源を携帯電話の受付コミッションからOA機器などの自社商材へ組み替えた。2003年3月、携帯電話販売ショップは不採算店舗のリストラで全国470店舗まで縮み、代わって複写機を売る法人事業の営業所が全国22ヶ所に立った。この期の連結売上高は124,105百万円、経常利益は3,403百万円、当期純損益は7,922百万円の赤字である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 玉村剛史 | 代表取締役2名体制を採用 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 重田康光氏が会長に就任 | ★ | ||
| 玉村剛史 | ネットバブル期に膨らんだベンチャー投資と、その後始末に追われた経営の混乱 携帯電話小売の急成長で潤沢な資金と高い株価を得た光通信は、1999年3月にクレイフィッシュを子会社化し、翌2000年3月に東京証券取引所マザーズへ上場させた。ネットバブルが崩れると出資先の価値は急速に痩せ、2000年8月期には投資損失引当金103億円を計上している。 本業のHITSHOP架空契約問題と同じ時期に投資も行き詰まり、2001年3月、重田康光社長は私財100億円を拠出して収拾を図った。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2004〜2019年営業チャネルを資産とみなす多品目化と、純投資という第二の柱 | 玉村剛史 | 最終黒字に転換 | ★ | |
| 玉村剛史 | 自社商材の販売を本格化 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 本社を池袋に移転 | ★ | ||
| 玉村剛史 | エフティグループを子会社化 | ★★ | ||
| 玉村剛史 | ウェブクルー社を買収 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 中小企業向け営業チャネルに水・保険・電力を載せ替える多品目化 2014年12月から2015年2月にかけて、光通信は保険比較サイトのウェブクルーと宅配水のウォーターダイレクトを相次いで子会社化した。ウェブクルーは公開買付けで議決権90.87%を得て、取得原価13,920百万円に対し10,353百万円ののれんが生じた。ウォーターダイレクトは2015年2月に子会社化し、宅配水事業に配分されたのれんはIFRS移行日で1,960百万円だった。連結子会社は前期末の134社から174社へ増え、総資産はのれんの計上等により前期末比54,536百万円増の393,352百万円となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 玉村剛史 | 販売品目の構成変更 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 電力事業に新規参入 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 監査等委員会設置会社へ移行 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 本業で積み上げたストック利益の、上場株の長期保有への振り向け 2019年3月期、光通信が持つ株式は、純投資目的が452銘柄・1,771億円、純投資目的以外が225銘柄・17億円となった。純投資はすべて上場株で、前期の372銘柄・1,088億円から一年で積み増している。純投資目的以外はすべて非上場株で、上場株は1銘柄も残っていない。 同じ期に、フルキャストホールディングス485万株(114億円)、パシフィックネット26万株(2億円)、日本テレホン31万株(1億円)の3銘柄を、保有目的を純投資目的以外から純投資目的へ変えている。上場株を持つ理由は利益を得ることだ、という整理が数字の上で完結した期にあたる。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 玉村剛史 | アクトコールを子会社化 | ★ | ||
| 和田英明 | 和田英明氏が代表取締役社長に就任、玉村剛史氏は取締役副会長へ | ★★ | ||
| 和田英明 | さくら損害保険が損害保険免許を取得 | ★ | ||
| 2020〜2026年危機の逆張りと、集めた会社を束ねる資本政策 | 和田英明 | 上場子会社を完全子会社化してグループに取り込む資本政策 2022年1月18日、光通信は完全子会社のHCMAアルファを通じて、議決権の51.85%を持つ東証マザーズ上場のシック・ホールディングスへ公開買付けを行うと決めた。1株730円で買い付け、応募は10,760,299株に達して株券等所有割合は95.42%となり、同社は2022年4月12日に上場廃止となった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 和田英明 | 東京証券取引所一部からプライム市場へ移行 | ★ | ||
| 和田英明 | 電力取引価格が高騰し新電力が退くなかで電力小売を買い増した判断 2022年、光通信の子会社HBDが、電力事業を営むHTBエナジーを取得した。電力取引価格の高騰で採算が崩れ、事業から退く会社が相次ぐなか、光通信は電力を買い増す側に回った。支払った対価は引き受けた純資産を下回り、2023年3月期に割安購入益3,327百万円がその他の収益に立っている。同じ期、電力小売の中核である子会社ハルエネは売上高114,988百万円に対して当期純損失5,151百万円を出し、純資産は5,819百万円のマイナスだった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 和田英明 | 報酬委員会・投資監査委員会を新設 | ★ | ||
| 和田英明 | 過去最高益 | ★ |
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事実根拠:出所(光通信)