歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1974年、高度成長末期の名古屋で、繊維工場勤務から営業職に転じた多田勝美氏が大東産業を資本金100万円で設立した。手がけたのは、田畑を抱える地主にアパート建設を持ちかける訪問営業である。相続税対策と土地活用の需要はあっても自力で事業化できない地主に、建設を請け負って成約させる。建設業の家系ではない営業出身者が、中小工務店が分散して受注していた市場を、地主への直販の物量で開拓した。
決断決定的だったのは、建てて終わる請負業から、建てた後の賃貸経営まで引き受ける受託業への移行である。1988年に「建設+受託」を意味する「建託」へ改称し、建物を一括借上げして入居者募集・管理・家賃徴収まで代行した。請負の一回収入が継続収入に変わり、地主には経営の手間のない安定収入が生まれる。さらに融資・仲介・管理・ガスを順に内製化し、賃貸経営を地主に代わって回す仕組みを自社グループ内で完結させた。
現況大東建託は2022年の竹内啓氏の社長就任を機に、賃貸住宅一括借上げという単一事業を、買収で別の市場へ広げている。投資用不動産販売のインヴァランス、アセット運用のライジング・フォース、米国不動産運用のDK Realty Management Americaを相次いで取得し、再エネと介護にも進出した。2023年にはCEO職を新設して竹内氏が資本配分を握り、2025年にはハウスコムを完全子会社化して親子上場を解消した。もっとも、収益の大半は今も一括借上げが生み、買収企業の収益貢献に課題を残す。
API for AI Agents — 静的アセットのJSONで取得可能。API実行の認証不要
| Method | Path | 概要 | 大東建託(証券コード1878)のURL | API仕様書 |
|---|---|---|---|---|
| GET | https://the-shashi.com/api/companies.json | 全社一覧 + 公開エンドポイント目録 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/manifest.json | リソース目録 + プロファイル | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/history.json | 歴史概略 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/timeline.json | 沿革 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/executives.json | 役員 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/shareholders.json | 大株主 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/financials.json | 財務三表 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/financials-longterm.json | 長期業績 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/segments.json | 事業セグメント | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/workforce.json | 従業員 | openapi.yaml |
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1974年〜2002年 「賃貸住宅一括借上げ」を社会システムにした名古屋発の創業期
大東産業から大東建託へ ── 営業出身の創業者がつくった請負モデル
1974年6月、創業者の多田勝美氏が愛知県名古屋市千種区猪高町に大東産業株式会社を資本金100万円で設立した[1][2]。多田氏は1945年に栃木県生まれ、中学卒業後に名古屋へ出て繊維工場で働きながら夜間高校に通った苦学経歴を持つ。創業時はアパート建築の受注営業を本業とする小規模な工務店で、地主に賃貸住宅建設を持ちかける訪問営業を主たる集客手段にしていた。1970年代の名古屋圏は、田畑を多く抱える地主の相続税対策と賃貸住宅需要が結びつき始めた時期で、土地活用の選択肢として賃貸アパート建設が注目され始めていた。創業者の出自は建設業界の家系ではなく、純粋な営業職としての訪問販売の現場経験が、後に大東建託の事業モデルを規定する出発点となった。
1978年9月、商号を大東産業から大東建設に変更した[3]。建築請負業としての対外的な明確化を意図した社名変更で、賃貸住宅の請負実績を積み重ねながら名古屋圏での営業エリアを拡大した。創業から数年で社員数を増やし、東海三県を中心に地主を訪問する直販営業網を整えた。賃貸住宅の建設請負業は当時、地域の中小工務店が分散して受注する市場で、全国を一律に営業する大手プレーヤーは存在しなかった。多田氏が築こうとしたのは、こうした分散した市場を直販営業の物量で寡占する仕組みであり、地域工務店との競争で勝つには、地主との接触量と提案力で量的優位を作るしかなかった。よって創業から10年程度の期間は、営業マンの数を増やし、賃貸住宅一棟当たりの建設費を圧縮する経営に資源を集中した。
1980年3月には大東共済会株式会社を設立し、賃貸経営オーナー向けの相互扶助の仕組みを立ち上げた[4]。賃貸住宅オーナーは個人事業主が多く、空室・家賃滞納・修繕費用などの経営リスクを抱えていたが、当時はこうしたリスクを引き受ける仕組みは未整備で、オーナーが個別に保険会社と契約するか、自力で備えるしかなかった。共済会はオーナーから掛金を集めて空室リスクや家賃滞納リスクを集団的に分散する仕組みで、後に大東建託の中核事業となる賃貸経営受託システム(一括借上げ)の前身に位置付けられる発想だった。創業者の多田氏は、賃貸住宅を建設して終わる「請負業」ではなく、建てた後のオーナー経営を継続的に支援する「経営代行業」へと事業領域を拡張する構想を、創業から10年以内に持ち始めていた。
1988年の社名変更 ── 「建設」から「建託」への決定的シフト
1988年4月、商号を大東建設から大東建託株式会社に変更した[5]。「建託」は「建設+信託(受託)」の意味を込めた造語で、地主から建設を請け負うだけでなく、建設後の賃貸経営も委託として受託する事業モデルを社名に明示した点で、大東建託の事業の方向性を象徴する転換点だった。1988年前後に、賃貸住宅の一括借上げ(サブリース)と賃貸経営代行を組み合わせた事業モデルを業界に先駆けて体系化し、地主に対しては「土地活用で安定収入」「建物建設はもちろん、入居者募集・管理・家賃徴収まで全て大東建託が代行」という提案で営業を立ち上げた。一括借上げモデルは、建設請負の一回限りの収入を、賃貸管理の継続収入に変換する仕組みで、企業側に長期の収益安定性をもたらすと同時に、地主側にもオーナー経営の手間を肩代わりするという付加価値を提供した。
1989年1月、大東共済会株式会社を全額出資子会社とし、共済機能をグループ内に取り込んだ。同年3月、名古屋証券取引所市場第二部に上場した[6]。創業から15年弱、社員数も急増した1980年代後半に、資本市場からの調達手段を獲得した点で、賃貸経営受託システムの全国展開を支える財務基盤を整えた。当時の名証二部上場は、東京の大手不動産会社に比べて知名度は限られたが、東海地区の中堅企業として地域金融機関との取引関係を強化する効果が出ており、地主への信用力提示の手段にもなった。1990年4月には本社機構を東京都品川区北品川へ移転し[7]、東京から関東圏・全国へ営業エリアを拡張する体制を整えた。名古屋本社時代から東京本社時代への移行は、創業10数年で全国企業を目指す経営の意思表示であり、上場による信用力と東京進出による営業エリア拡大が同時並行で進んだ。
1991年9月には名古屋証券取引所第一部に指定替えとなり[8]、二部上場からわずか2年半での昇格を実現した。翌1992年2月には東京証券取引所市場第一部にも上場し[9]、東証一部企業として全国規模の資本市場でのプレゼンスを獲得した。1988年の社名変更から1992年の東証一部上場まで、わずか4年で名古屋発の中小工務店から全国区の上場企業へと駆け上がった点で、創業者の多田勝美氏の経営戦略の精度と実行スピードは際立っていた。
一括借上げモデルを支えた周辺事業 ── 仲介・管理・金融・ガスの内製化
1992年の東証一部上場後、大東建託は賃貸経営受託システムを構成する周辺事業を矢継ぎ早に立ち上げた。1993年10月に大東ファイナンス株式会社を全額出資で設立し[10]、賃貸建物のオーナー向けに建設資金や運転資金を融資する金融機能を内製化した。地主が賃貸住宅を建てる際の最大の障害は資金調達で、メインバンクとの長年の取引がない地主にとって、賃貸住宅建設のための数億円規模の融資を確保することは容易ではなかった。大東ファイナンスは、こうしたオーナーに対して建設請負と一体で融資を提案する仕組みを整え、地主の資金調達の心配を取り除く役割を果たした。1994年7月には全額出資のハウスコム株式会社を設立し、賃貸物件の入居者募集・仲介事業に参入した[11]。建設した賃貸住宅に入居者を埋めるためには、不動産仲介店舗を全国規模で展開する必要があり、外部の仲介会社に頼ると入居率が安定しないという問題があった。ハウスコムは「建てた賃貸住宅に確実に入居者を入れる」という客付け機能を自前で持つ仕組みで、賃貸建設→賃貸管理→入居仲介までを大東建託グループ内で完結させる垂直統合の入口を担った。1998年9月には関西ハウスコム株式会社を設立し、関西圏での仲介網も整備し、2004年1月にはハウスコム関連の再編で大阪・東京・愛知を中心とした全国仲介網を完成させた[12]。
1999年9月には大東建物管理株式会社(後の大東建託パートナーズ株式会社)が賃貸建物管理業務を開始した[13]。賃貸住宅の管理は日常的な清掃・修繕・苦情対応・入居者対応など、現場での労働集約的な業務が大量に発生する領域で、これを子会社化して専業化することで、本体は建設請負と営業に集中する分業体制を整えた。管理子会社の存在は、地主に対して「建設後の煩雑な管理業務はすべて大東建託グループが引き受ける」という安心感を提供する役割を果たし、一括借上げモデルの完成度を高めた。2001年6月には全額出資の株式会社ガスパル関東及び株式会社ガスパル中部を設立し、賃貸物件向けのプロパンガス供給事業へ進出した[14]。賃貸住宅に必要な生活インフラのうち、ガス供給は地域の都市ガス会社が独占する領域だったが、プロパンガス事業に参入することで、賃貸建物のガス供給を自社グループ内で完結させ、ガス会社からの手数料収入も得られる仕組みを整えた。2002年6月には株式会社ガスパル近畿・中国・九州を設立し、ガスパル事業を全国に広げた[15]。ガスパル事業は賃貸住宅オーナー経営の周辺領域から収益を生む典型例で、賃貸住宅一棟当たりの収益単価を引き上げる仕組みになった。一連の周辺事業群の整備により、大東建託は賃貸住宅を建設するだけの会社ではなく、賃貸経営を地主に代わって運営するシステム企業へと変貌した。
2003年3月、品川駅東口に賃貸複合ビル「品川イーストワンタワー」が竣工し[16]、翌4月に本社機構を同ビルへ移転した[17]。品川駅東口は1990年代後半から再開発が進む新興オフィスエリアで、自社で開発した複合ビルに本社を構えることで、大東建託は単なる賃貸住宅建設会社ではなく、不動産デベロッパーとしての対外的な信用力も獲得した。創業から30年弱、名古屋千種区から東京品川駅前への本社移転は、地方の中小工務店から全国区の総合不動産事業会社への変貌を象徴する出来事となった。2003年前後の大東建託は、創業者の多田勝美氏のリーダーシップの下で、賃貸建設・仲介・管理・金融・ガスを統合した独自の事業モデルを完成させ、社会的にも一括借上げ業界のリーディングカンパニーとして認知されるに至った。
2003年〜2017年 内部承継期 ── 創業者退場と賃貸経営受託システムの拡張
麻田・多田・三鍋の3氏 ── 創業者の影と内部昇格社長のリレー
有報の表記上、2003年度(FY03)から2005年度(FY05)にかけて代表取締役社長を務めたのは麻田守孝氏で、これが創業者の多田勝美氏からの最初の社長交代となった[18]。麻田氏は大東建託の生え抜きで、営業本部長と兼任する形で社長職を引き継いだ。だが社長交代後も創業者多田氏の経営への影響力は強く残り、賃貸経営受託システムの中核戦略は引き続き多田氏の構想に基づいて運営された。当時の不動産業界では、創業者経営から専門経営者経営への移行は珍しくなかったが、大東建託では完全な世代交代ではなく、創業者が会長として実務に関与し続けるハイブリッド体制が長く続いた。FY06には創業者の多田勝美氏が代表取締役会長兼社長として再登板し、麻田氏は社長職を退いた[19]。創業者の再登板は、不動産業界の市況変化に対する経営判断の難しさを反映したもので、専門経営者である麻田氏では対応しきれない構造的な経営課題が存在したことを示唆する。
FY07からは三鍋伊佐雄氏が代表取締役社長に就任し、創業者多田氏は会長専任に退いた[20]。三鍋氏も大東建託の生え抜きで、賃貸経営の現場経験を長く持つ営業出身の経営者だった。三鍋社長の在任期間(FY07〜FY11)は2008年9月のリーマンショック前後にあたり、不動産業界全体が需要減退と金融収縮に直面した時期だった。だが大東建託の主力事業である賃貸住宅一括借上げモデルは、地主の相続税対策需要に支えられた長期安定収入型の事業で、リーマンショックの影響をあまり受けずに業績を維持した。FY07の連結売上高は約6410億円規模、リーマンショック直撃のFY09も売上を維持し、賃貸経営受託システムの強さを業績で証明した。三鍋社長期は、創業者多田氏が築いた事業モデルを継承しつつ、リーマン後の市場縮小局面でも安定収益を保つ守りの経営に徹した。
2007年9月には連帯保証人不要サービスを行うハウスリーブ株式会社を設立し、賃貸入居審査の負担を軽減する家賃保証サービスを開始した[21]。賃貸住宅の入居審査では、連帯保証人の確保が障壁となっていたが、家賃保証会社による保証を導入することで、入居者の連帯保証人不要化を実現し、入居率の向上と空室期間の短縮に直接寄与した。2008年4月には大東共済会株式会社を大東建物管理株式会社(後の大東建託パートナーズ)に合併し、共済機能を管理子会社内に統合した[22]。これら一連の周辺事業の整理と再編は、賃貸経営受託システムの内部統合と効率化を進めるものだった。
熊切社長時代 ── 親子上場と賃貸経営受託システムの完成
FY12から熊切直美氏が代表取締役社長執行役員に就任した[23]。熊切氏も大東建託の生え抜きで、建築事業現場の経験を長く持つ営業出身の経営者だった。熊切社長の在任期間(FY12〜FY17)は、安倍政権下のアベノミクスによる金融緩和と相続税制改正(2015年1月施行、相続税の基礎控除40%引き下げ)[24]が重なり、賃貸住宅建設需要が数年で拡大した時期と一致した。相続税基礎控除の引き下げにより、土地を所有する地主の相続税負担が4割増加し、相続税対策としての賃貸住宅建設が全国規模で活発化した。大東建託は、この相続税制改正を「賃貸住宅建設需要の構造的拡大期」と位置付け、地主への営業活動を強化した。2011年6月には子会社のハウスコム株式会社が大阪証券取引所JASDAQ市場(スタンダード)に上場した[25]。これは大東建託本体の子会社が単独で上場する初の事例で、賃貸仲介事業を独立した上場企業として位置付ける親子上場体制の始まりとなった。ハウスコムの単独上場は、賃貸仲介事業の独立採算性を市場に証明する効果と、グループ全体の事業ポートフォリオの透明性を高める効果を同時に狙ったものだった。ただし上場子会社の存在は、本体株主と子会社株主の利益相反という構造的な課題も抱えており、後の親子上場解消への伏線となった。
2014年4月には全額出資の大東みらい信託株式会社を設立し、信託機能を内製化した。同年4月には大東建物管理株式会社の全額出資で少額短期保険ハウスガード株式会社を設立し[26]、賃貸住宅の家財保険機能もグループ内に取り込んだ。2014年8月には大東建物管理株式会社の全額出資で大東エナジー株式会社を設立し、電力事業への布石を打った[27]。一連の周辺事業の追加は、賃貸経営受託システムを構成する金融・保険・エネルギーの内製化を進めるものだった。賃貸住宅オーナーが必要とするほぼすべてのサービスを大東建託グループ内で提供する垂直統合型のシステムが、熊切時代に完成した。2015年6月には米国の不動産開発事業に進出し、CRS BLVD LLCの出資持分を取得した[28]。これは大東建託にとって初の米国市場進出で、国内の賃貸住宅市場の成熟を見越した海外展開の第一歩となった。2015年12月には株式会社ソラストの株式を取得し、資本業務提携契約を締結した[29]。ソラストは介護事業の大手で、賃貸住宅の入居者層が高齢化する将来を見据えた介護領域への布石として位置付けられる。2016年1月には全額出資のDAITO KENTAKU USA, LLCを設立し、米国市場の運営主体を立ち上げた[30]。同年11月には全額出資の大東建託リーシング株式会社を設立し、賃貸仲介機能の専業子会社を整備した[31]。
2017年4月には大東建物管理株式会社を大東建託パートナーズ株式会社へ社名変更した[32]。「パートナーズ」という社名は、賃貸住宅オーナーに対する経営パートナーとしての位置付けを示すもので、グループのブランド統一を進める意図があった。同年5月には、大東建託株式会社・大東建託パートナーズ株式会社・大東建託リーシング株式会社を主要3社と位置付け、新たなグループ体制を始動させた[33]。賃貸建設・賃貸管理・賃貸仲介の3軸で、グループの主要機能を分担する体制が、熊切時代の最終年度に確立した。2014年から2016年にかけての連結売上高は1兆円を超え、賃貸住宅一括借上げ業界での首位のシェアと収益力を確立した。FY15の連結売上高は1兆4116億円、経常利益は約1056億円、ROEは22%超を記録し、不動産業界でも屈指の高収益企業として地位を確立した。創業者の多田勝美氏が築いた賃貸経営受託システムは、熊切社長期に最大の業績規模に到達し、賃貸住宅一括借上げという独自モデルの全国普及を完成させた。
仕組みを完成させた代償 ── 賃貸住宅の需給ピーク
熊切社長期の業績拡大は、相続税対策需要という外部要因に支えられた側面が大きかった。2015年1月の相続税制改正で基礎控除が40%引き下げられたことで[34]、相続税対策として賃貸住宅を建設する地主が急増し、大東建託の受注は構造的な需要拡大に乗った。だが相続税対策需要は、いずれ一巡する性格のもので、相続税制改正から数年が経過した2017年以降は、需要のピークアウトが業界全体で意識され始めた。賃貸住宅市場では、需要の頭打ちと並行して、供給過剰による空室率上昇という新たな課題も浮上した。
賃貸住宅一括借上げモデルは、需要が拡大している局面では強固な収益基盤を提供するが、需要が縮小すると一括借上げの家賃保証が経営負担になる構造を内包している。大東建託は地主から建物を借り上げて転貸する立場のため、入居者が見つからない期間も地主への家賃支払い義務を負う。需要拡大期にはこの構造が地主への安心感として作用するが、需要縮小期には企業側の損失要因に転化する。熊切時代の業績拡大は、この構造的リスクの顕在化を遅らせていただけで、いずれ向き合わざるを得ない経営課題として残された。社長交代と新事業領域への展開は、こうした構造的課題への対応として、次の小林克満時代に持ち越された。
2018年〜2025年 賃貸建設からホールディング型不動産事業体への転換期
小林克満社長期 ── 専務取締役からの登板と機能本部長体制への移行
FY18から小林克満氏が代表取締役社長兼建築事業本部長として就任した[35]。小林氏は1986年2月に大東建託に入社し、商品開発部長、営業企画部長、執行役員営業統括部長を経て、2013年に大東ファイナンス代表取締役社長、2017年に常務取締役建築事業本部長、2018年に専務取締役建築事業本部長と昇格した生え抜きで、社長就任時の年齢は57歳[36]。社長就任の特徴は、社長と建築事業本部長を兼務した点にあり、現場の建築事業を社長自身が直接掌握する体制となった。これは熊切時代に拡大した賃貸住宅需要の頭打ちに対応するため、建築事業の収益性を社長直轄で立て直す経営判断と見ることができる。
小林社長期(FY18〜FY21)の特徴は、機能本部長を取締役執行役員として配置する執行集約型のガバナンス体制の整備にあった。建築事業本部長・不動産事業本部長・経営管理本部長・関連事業本部長など、グループの主要機能ごとに本部長を取締役執行役員として配置し、社長を中心とした執行陣の意思決定迅速化を図った。2018年6月総会期には女性取締役の登用も進め、FY18時点で佐々木摩美氏(旧富士銀行・モルガンスタンレー出身)が社外取締役として加わった[37]。社外取締役の人選では、金融・法務・会計・経営の専門領域を持つ人材を多様に配置する方針が確立した。2019年7月にはハウスコム株式会社がエスケイビル建材株式会社の全株式を取得し、ハウスコムの周辺領域を強化した[41]。2019年8月には大東建託リーシング株式会社の全額出資で良部屋商務咨詢(上海)有限公司を設立し、中国市場への進出を実現した[38]。同月、ハウスコム株式会社が東京証券取引所第一部に市場変更(同年6月の二部市場変更からわずか2ヶ月での昇格)[39]。2019年12月には日本国内におけるフレキシブル・ワークスペース事業の本格的な進出を目的とした、合弁会社JustCo DK Japan株式会社を設立し、コワーキングオフィス事業へ参入した[40]。
2020年11月には株式会社インヴァランスの全株式を取得した[42]。インヴァランスは投資用マンション販売を主力とする会社で、賃貸住宅一括借上げの主力事業とは異なる「投資用不動産販売」というセグメントを取り込むものだった。2021年3月にはハウスコム株式会社が株式会社宅都(現・大阪ハウスコム)の全株式を取得し、関西の賃貸仲介ネットワークを強化した[43]。小林社長期の連結売上高はFY18の1兆5912億円からFY21の1兆5830億円とほぼ横ばいで推移したが、営業利益はFY21に約996億円と高水準を維持し、賃貸建設市場の成熟下でも収益性を保つ経営に成功した。
竹内啓社長期 ── CEO職位の新設とM&A攻勢
FY22から竹内啓氏が代表取締役社長執行役員として就任し、FY23からはCEO職位を新設して竹内氏が兼務した[44]。竹内氏は1989年4月に大東建託に入社し、首都圏営業部長、東海営業部長、執行役員テナント営業統括部長、取締役執行役員テナント営業統括部長を経て、2015年に取締役執行役員中日本建築事業本部長、2017年に取締役不動産事業本部長、2020年に常務取締役西日本建築事業本部長、2021年に常務取締役建築事業本部長と昇格した[45]。社長就任時の年齢は57歳で、賃貸テナント営業から不動産事業本部、建築事業本部を経るキャリアにより、大東建託の事業全体を見渡せる経営者像が形作られた。竹内社長期の最大の特徴は、CEO職位の新設による経営機能の明確化と、M&Aによる事業領域拡張の同時推進にある。2023年4月にCEO職位を新設し、竹内氏がCEOとして経営戦略・資本配分・グループ統括を担い、社長執行役員として建築事業本部長を兼務する体制となった[46]。同年6月総会には、CFO(岡本司氏)、事業開発本部長(天野豊氏)、業務本部長(田中良昌氏)、人的資本経営本部長といった機能本部長を一斉に取締役執行役員へ昇格させ、CxO体制を整えた[47]。2023年6月には監査等委員会設置会社への移行を進め、2024年6月には社外取締役の女性比率引き上げ(大内智重子氏・大和田順子氏を社外取締役に登用)を進めるなど、ガバナンス改革を進めた[48]。
M&Aの面では、2022年9月にライジング・フォース株式会社(現・大東建託アセットソリューション株式会社)の全株式を取得し、アセットマネジメント機能をグループに取り込んだ[49]。2023年2月には大東建託パートナーズ株式会社が株式会社セイルボート(現・株式会社キマルーム)の全株式を取得し、賃貸管理子会社の周辺機能を強化した[50]。2023年6月にはハウスコム株式会社が株式会社シーアールエヌの株式を90%取得し、同年11月に追加取得して完全子会社化した[51]。2023年9月には大東バイオエナジー株式会社の設立とDAITO CANADA TRADING INC.の設立を同時に行い、再エネ事業とカナダ市場への進出を同時着手した[52]。2023年11月には株式会社シマの全株式を取得し、介護事業の地域拡大を進めた[53]。
2024年1月にはSTASIA CAPITAL MANAGEMENT LIMITED(現・DK Realty Management America, Inc.)の全株式を取得した[54]。これは米国不動産アセット運用機能を取り込むM&Aで、2015年の米国進出以来の米国市場での本格的な存在感の確立を意図したものだった。2024年7月にはAmethyst Investment, LLCを設立し、米国不動産事業の追加運営主体を立ち上げた[55]。米国事業の重層的な体制整備は、国内の賃貸住宅市場の成熟を見越した海外展開の本格化をなす一連の動きであった。
数字で見る転換期 ── 売上1.8兆円、CEO職位、女性社外取締役
竹内社長期のFY22〜FY24の業績は、連結売上高がFY22の1兆6576億円、FY23の1兆7314億円、FY24の1兆8423億円と3年間で約11%拡大し、経常利益もFY22の1038億円、FY23の1087億円、FY24の1295億円と過去最高を更新した。親会社株主に帰属する当期純利益はFY24で938億円に達し、賃貸住宅一括借上げの主力事業と新規取得のM&A効果が業績を押し上げた。営業利益率は6.5%水準で推移し、賃貸住宅一括借上げの収益構造を維持しながら、新領域への投資原資を確保する経営に成功した。2025年3月期の親会社株主に帰属する当期純利益938億円は、創業から半世紀の業績の到達点を示す数字となった。組織面では、CEO職位の新設と監査等委員会設置会社への移行、女性社外取締役の登用、CFO・事業開発本部長・人的資本経営本部長などのCxO体制整備が、コーポレートガバナンス・コードへの対応と先進的な経営体制の構築を同時に進めるものだった。社外取締役7名のうち2名が女性となり、社外取締役の出身領域も弁護士3名・公認会計士1名・製薬経営者1名(庄田隆氏・第一三共元代表取締役社長)・広告マーケティング1名(大内智重子氏・電通元執行役員)・組織開発1名(大和田順子氏・リクルートマネジメントソリューションズ元執行役員)と多領域化した[56]。広告マーケティング・組織開発・製薬経営の3領域は、賃貸住宅一括借上げ業界の伝統的な経営人材構成からは外れた人選で、賃貸建設会社からBtoC色を強める事業展開への対応が読み取れる。
2022年4月の東京証券取引所及び名古屋証券取引所の市場区分の見直しに伴い、東証プライム市場及び名証プレミア市場へ移行した[57]。ハウスコム株式会社も同月に東証プライム市場へ移行したが、2023年10月にはハウスコムが東証スタンダード市場に市場変更となり、2025年2月の完全子会社化で上場廃止となった[58]。親子上場の解消は、賃貸建設→賃貸管理→賃貸仲介の3軸を本体に統合するグループ再編の集大成として位置付けられる。
竹内社長期に進行中の構造転換は、賃貸住宅一括借上げの単一事業会社から、投資用不動産販売・米国不動産アセット運用・再エネ事業・介護事業・コワーキングオフィス事業など、複数の事業領域を抱える複合型不動産事業体へとグループの位置付けを再定義するものだった。創業者の多田勝美氏が築いた一括借上げモデルは、依然として収益の柱を担うが、その上に米国不動産アセット運用・投資用不動産販売・再エネ事業など、新たな収益柱を重層的に積み上げる戦略が、竹内社長期の経営の核心となった。創業時の名古屋発の小さな工務店が、半世紀後に売上1.8兆円規模のホールディング型不動産事業体へと変貌する過程は、創業者の構想と内部承継経営陣の継承、そして直近のM&A攻勢が連続的に積み重なった結果として理解できる。