1974年〜 倉庫と工場の請負から始め、空室保証を武器に「建託」へ改めるまで
大東建託の業績推移:単体
- 1974年 大東産業を設立
- 1978年 商号を大東建設に変更
- 1980年 大東共済会を設立
- 1988年 「建託」への社名変更と土地建託システムの確立 建てて終わる請負か、建てたあとの賃貸経営まで引き受けるか——空室リスクの持ち手をめぐる選択
名古屋の分社体制で始めた事業用賃貸建物の請負
1974年6月20日、多田勝美氏が名古屋市千種区に大東産業株式会社を資本金100万円で設立した[1][2]。目的は土地所有者を対象とした工場・倉庫など事業用賃貸建物の建築[3]で、賃貸住宅ではなかった。翌1975年6月には建築した賃貸建物への入居者募集・斡旋を担う大東興産株式会社を設立[4]し、1976年6月には一級建築士事務所として大東設計株式会社を設立した[5]。設立当初はこの3社の分社体制で、主に名古屋近郊の農家を対象に受注を積んだ[6]。1978年9月に商号を大東建設へ改め[7]、同年10月には大阪府に本社を置く大東建設株式会社と大東設計株式会社を、11月には大東興産株式会社を設立して関西へ営業を広げた[8]。
- [1]1974年6月20日 多田勝美が名古屋市千種区に大東産業を資本金100万円で設立
- [3]設立目的は土地所有者を対象とした工場・倉庫など事業用賃貸建物の建築
- [4]1975年6月 入居者募集・斡旋のため大東興産を設立
- [5]1976年6月 一級建築士事務所として大東設計を設立
- [6]設立当初は3社の分社体制で主に名古屋近郊の農家が対象
- [8]1978年10月 大阪府に本社を置く大東建設・大東設計を、同年11月に大東興産を設立し関西へ進出
- 大東建託 有価証券報告書【沿革】
- [2]1974年6月 大東産業を設立(資本金100万円)
- [7]1978年9月 商号を大東建設へ変更
顧客は市街化区域内農地を持つ農家[9]であった。後継者不足や農地の宅地並み課税から所有農地の有効利用を迫られながら、賃貸事業への不安から決断できない層[10]で、市街化区域内農地は当時、毎年7,000ha程度が転用されていた[11]。大東建設はこの転用農地を受注の対象に定め、支店開設と営業員の拡充で潜在顧客の掘り起こしを進めた[12]。関東への足掛かりとして1982年10月に横浜支店を、翌1983年7月には仙台支店を開設して東北へも進んだ[13]。1985年4月には名古屋と大阪の6社が合併比率1対1で合併し、1社へ統[14]合した。
- [9]主要顧客は市街化区域内農地を所有する農家
- [10]農家は後継者不足や農地の宅地並み課税で有効利用を迫られつつ賃貸事業への不安から決断できずにいた
- [11]市街化区域内農地の転用は毎年7,000ha程度
- [12]転用農地を対象に支店開設と営業員拡充で潜在顧客を掘り起こした
- [13]1982年10月 横浜支店開設(関東進出の足掛かり)、1983年7月 仙台支店開設
- [14]1985年4月 6社が合併比率1対1で合併し1社に統合
取扱物件は設立当初から倉庫・工場など事業用建物に限られていたが、品ぞろえの観点から1984年に住居用建物の取扱いを始めた[15]。建物は規格標準化され、資材の種類と規格が絞られたことで仕入コストの低減と外注先の施工効率の向上につ[16]ながった。資材調達と施工は約5,000社の外注先へ材料・施工の一括発注[17]で回した。入居者の募集は全国4,000程度の不動産業者からの情報提供を中心に行い、管理する賃貸建物の空家率は1%台で推移した[18]。1982年3月期の売上高は22億3,900万円、経常利益1億5,200万円で、期末従業員は98名、事業所は7か所[19]であった。
- [15]設立当初は倉庫・工場など事業用建物のみで1984年から住居用建物の取扱いを開始
- [16]建物の規格標準化により仕入コスト低減と外注先の施工効率向上を図った
- [17]資材調達と施工は約5,000社の外注先へ材料・施工一括発注
- [18]入居者募集は全国4,000程度の不動産業者からの情報提供が中心で管理建物の空家率は1%台
- [19]1982年3月期 売上高22億3,900万円・経常利益1億5,200万円・期末従業員98名・事業所7か所
- [1]1974年6月20日 多田勝美が名古屋市千種区に大東産業を資本金100万円で設立
- [3]設立目的は土地所有者を対象とした工場・倉庫など事業用賃貸建物の建築
- [4]1975年6月 入居者募集・斡旋のため大東興産を設立
- [5]1976年6月 一級建築士事務所として大東設計を設立
- [6]設立当初は3社の分社体制で主に名古屋近郊の農家が対象
- [8]1978年10月 大阪府に本社を置く大東建設・大東設計を、同年11月に大東興産を設立し関西へ進出
- [9]主要顧客は市街化区域内農地を所有する農家
- [10]農家は後継者不足や農地の宅地並み課税で有効利用を迫られつつ賃貸事業への不安から決断できずにいた
- [11]市街化区域内農地の転用は毎年7,000ha程度
- [12]転用農地を対象に支店開設と営業員拡充で潜在顧客を掘り起こした
- [13]1982年10月 横浜支店開設(関東進出の足掛かり)、1983年7月 仙台支店開設
- [14]1985年4月 6社が合併比率1対1で合併し1社に統合
- [15]設立当初は倉庫・工場など事業用建物のみで1984年から住居用建物の取扱いを開始
- [16]建物の規格標準化により仕入コスト低減と外注先の施工効率向上を図った
- [17]資材調達と施工は約5,000社の外注先へ材料・施工一括発注
- [18]入居者募集は全国4,000程度の不動産業者からの情報提供が中心で管理建物の空家率は1%台
- [19]1982年3月期 売上高22億3,900万円・経常利益1億5,200万円・期末従業員98名・事業所7か所
- 大東建託 有価証券報告書【沿革】
- [2]1974年6月 大東産業を設立(資本金100万円)
- [7]1978年9月 商号を大東建設へ変更
空室の不安を引き受けた大東共済会と、飛び込み営業の定価販売
賃貸事業への不安のうち最大のものは入居者が退去した後に部屋が埋まるかどうかで、顧客からの要望を受け、空家時の家賃保証制度を導入するため1980年3月に大東共済会株式会社を設立した[20][21]。加入した家主は月額家賃の4%を会費として払い込み、中途で空家が生じた場合には家賃の90%の保証を受けられる[22]仕組みとした。新築完成引渡しの時点での空家保証は本体が引き受け、事業用物件では建築請負金額に対する金利相当額を、居住用物件では家賃の90%を保証した[23]。共済会への加入率は1990年3月期92.0%、1991年3月期92.3%、1992年3月期91.8%で、汎用性の高い標準物件のテナントはほぼ全数が加入していた[24]。
- [20]1980年3月 大東共済会を設立(空家時の家賃保証制度の導入が目的)
- [22]共済会は月額家賃4%の会費で中途空家時に家賃の90%を保証
- [23]新築完成引渡時の空家保証は本体が負担し、事業用は建築請負金額に対する金利相当額、居住用は家賃の90%
- 大東建託 有価証券報告書【沿革】
- [21]1980年3月 大東共済会を設立
- [24]共済会加入率は1990年3月期92.0%・1991年3月期92.3%・1992年3月期91.8%で標準物件はほぼ全数加入
受注は地主への飛び込み営業で取り、農協や銀行の情報網を通すルート営業を排した[25]のは、そこに乗ってくる地主が複数の業者を競わせて価格交渉に及び、農協へフィーを支払う必要も生じるため[26]であった。飛び込み営業では建築工事を定価で売ることができ、建築営業部隊には受注高の2%を歩合給として個人の収入とする仕組みを与えた[27]。入居需要の高い地域を中心に支店を置き、営業員が戸別訪問で潜在顧客を掘り起こす体制[28]をとった。積水ハウスが強い駅周辺と大和ハウスが強いロードサイドを避け、郊外の農地を対象に定めた[29]差異化でもあった。
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [25]農協や銀行を通したルート営業を排し飛び込み営業に徹していた
- [26]ルート営業では地主が複数業者を競わせて価格交渉し農協にもフィーが要るため利益率が悪くなる
- [27]建築工事の定価販売と、建築営業部隊への受注高2%の歩合給
- [29]積水ハウスが強い駅周辺と大和ハウスが強いロードサイドを避け郊外の農地を対象にした
- [28]入居需要の高い地域を中心に支店を置き営業員の戸別訪問で潜在顧客を掘り起こした
業績は1982年3月期の売上高22億3,900万円から1991年3月期の1,511億5,000万円へ67.5倍に伸び、経常利益は1億5,200万円から268億600万円へ176.4倍となった[30]。期末従業員数は98名から2,828名へ、事業所数は7か所から65か所[31]へ増えた。販売費・一般管理費も営業員の拡充に伴う人件費の急増で5億7,300万円から273億4,100万円へ47.7倍に増えたが、売上高比率は25.6%から18.1%へ低下した[32]。売上総利益率は建設業界では高率の30%台で安定して推移し、経常利益率は1988年3月期の13.4%から1991年3月期の17.7%へ上がった[33]。
- [30]売上高は1982年3月期22億3,900万円から1991年3月期1,511億5,000万円へ67.5倍、経常利益は1億5,200万円から268億600万円へ176.4倍
- [31]期末従業員数98名→2,828名、事業所数7か所→65か所
- [32]販管費は5億7,300万円から273億4,100万円へ47.7倍、売上高比率は25.6%から18.1%へ低下
- [33]売上総利益率は建設業界では高率の30%台で安定推移、経常利益率は1988年3月期13.4%から1991年3月期17.7%
- [20]1980年3月 大東共済会を設立(空家時の家賃保証制度の導入が目的)
- [22]共済会は月額家賃4%の会費で中途空家時に家賃の90%を保証
- [23]新築完成引渡時の空家保証は本体が負担し、事業用は建築請負金額に対する金利相当額、居住用は家賃の90%
- [28]入居需要の高い地域を中心に支店を置き営業員の戸別訪問で潜在顧客を掘り起こした
- [30]売上高は1982年3月期22億3,900万円から1991年3月期1,511億5,000万円へ67.5倍、経常利益は1億5,200万円から268億600万円へ176.4倍
- [31]期末従業員数98名→2,828名、事業所数7か所→65か所
- [32]販管費は5億7,300万円から273億4,100万円へ47.7倍、売上高比率は25.6%から18.1%へ低下
- [33]売上総利益率は建設業界では高率の30%台で安定推移、経常利益率は1988年3月期13.4%から1991年3月期17.7%
- 大東建託 有価証券報告書【沿革】
- [21]1980年3月 大東共済会を設立
- [24]共済会加入率は1990年3月期92.0%・1991年3月期92.3%・1992年3月期91.8%で標準物件はほぼ全数加入
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [25]農協や銀行を通したルート営業を排し飛び込み営業に徹していた
- [26]ルート営業では地主が複数業者を競わせて価格交渉し農協にもフィーが要るため利益率が悪くなる
- [27]建築工事の定価販売と、建築営業部隊への受注高2%の歩合給
- [29]積水ハウスが強い駅周辺と大和ハウスが強いロードサイドを避け郊外の農地を対象にした
1988年の「建託」改称と、一回限りの請負収入を継続収入へ組み替えた設計
1988年4月の社名変更で、商号は大東建設から大東建託株式会社[34]へ改まった。土地建託事業は、地主に土地の有効活用を働きかけ、マンションや店舗などその立地にあった建築物を提案し、それらの建設を請け負うもの[35]であった。完成後の入居者募集、家賃回収の代行、建物管理、中途空家時の家賃保証までを一貫して引き受ける賃貸事業の総合支援システム[36]として組み立てられ、建築請負と管理受託と空室保証を同じ営業の場で一括して契約する形へ移った。建設を請け負って終わる一回限りの収入は、管理費と共済会費という継続収入に組み替え[37]られた。
- 大東建託 有価証券報告書【沿革】
- [34]1988年4月 商号を大東建設から大東建託へ変更
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [35]土地建託事業は地主への土地有効活用の働きかけから建築物の提案・建設請負までを担うもの
- [36]設計・施工・管理に加え入居者募集・家賃回収代行・中途空家時の家賃保証までを一貫して行う賃貸事業の総合支援システム
- [37]一回限りの請負収入を管理費と共済会費の継続収入へ組み替えた
地主から見ると、入居者やテナントが全部埋まっている状態でも月々の支払いは共済会へ4%、大東建託へ管理費として家賃の5%で、手取りは家賃の91%[38]であった。空室が生じても90%が保証されるため、入居者の有無で手取りはほとんど変わ[39]らない。竣工後3か月を過ぎても入居者が決まらない場合は、大東建託本体が販売経費として同じく家賃の90%を保[40]証した。地主が抱えるほかなかった空室の不安を、会社側の費用として引き受ける設計[41]であった。大東共済会に加入した物件の空家率は1992年9月末で1.9%にとど[42]まった。
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [38]満室でも共済会4%・管理費5%で地主の手取りは家賃の91%
- [39]空室時も90%が保証されるため地主の収入は入居者の有無でほとんど変わらない
- [40]竣工後3か月を過ぎても入居が決まらない場合は本体が販売経費として家賃の90%を保証
- [41]空室の損失を会社側が引き受ける関係を抱え込んだ
- [42]1992年9月末の大東共済会加入物件の空家率は1.9%
強力な営業体制と建築工事の定価販売、徹底したコスト削減により、粗利益率は約30%[43]に達した。客付けを社内の体制で行う理念のもとテナント営業部門を社内に抱え、1992年時点で全社員の1割強にあたる約500人がこの部門[44]に属した。単体売上高は1988年3月期の447億円から1989年3月期737億円、1990年3月期1,052億円へ伸び、期末従業員数も1,156名から2,220名へ増えた[45]。1989年1月には大東共済会株式会社を全額出資子会社とし、同年3月には名古屋証券取引所市場第二部へ株式を上場した[46]。
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [43]営業体制・定価販売・コスト削減により粗利益率は約30%
- [44]1992年時点で全社員の1割強にあたる約500人がテナント営業部門に所属
- [45]単体売上高は1988年3月期447億円→1989年3月期737億円→1990年3月期1,052億円、期末従業員は1,156名→2,220名
- 大東建託 有価証券報告書【沿革】
- [46]1989年3月 名古屋証券取引所市場第二部へ上場
- 大東建託 有価証券報告書【沿革】
- [34]1988年4月 商号を大東建設から大東建託へ変更
- [46]1989年3月 名古屋証券取引所市場第二部へ上場
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [35]土地建託事業は地主への土地有効活用の働きかけから建築物の提案・建設請負までを担うもの
- [38]満室でも共済会4%・管理費5%で地主の手取りは家賃の91%
- [39]空室時も90%が保証されるため地主の収入は入居者の有無でほとんど変わらない
- [40]竣工後3か月を過ぎても入居が決まらない場合は本体が販売経費として家賃の90%を保証
- [41]空室の損失を会社側が引き受ける関係を抱え込んだ
- [43]営業体制・定価販売・コスト削減により粗利益率は約30%
- [36]設計・施工・管理に加え入居者募集・家賃回収代行・中途空家時の家賃保証までを一貫して行う賃貸事業の総合支援システム
- [37]一回限りの請負収入を管理費と共済会費の継続収入へ組み替えた
- [45]単体売上高は1988年3月期447億円→1989年3月期737億円→1990年3月期1,052億円、期末従業員は1,156名→2,220名
- [42]1992年9月末の大東共済会加入物件の空家率は1.9%
- [44]1992年時点で全社員の1割強にあたる約500人がテナント営業部門に所属