歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1973年、都市の単身者需要が膨らんだ時期に、深山祐助氏が東京都中野区で株式会社ミヤマを不動産仲介として起こした。1985年に家具家電付きの規格化アパート「レオパレス21」を投入し、翌1986年からは土地オーナーへ30年一括借上げを約束するサブリース型の建売受託を始めた。相続税対策を求める地主と単身者の住宅需要を、建築請負から賃貸管理まで自社一気通貫で結びつけ、受注ノルマと深山氏の個人判断で全国へ広げていった。
決断仕組みは深山氏のワンマン経営で運用され、判断は支店網へ異論なく降りた。2004年に東証一部へ上場し管理戸数は56万戸まで伸びたが、2006年に深山氏が入居者手数料47億円を私的流用したことが発覚する。甥の深山英世氏へ継いだ後も組織への信頼移転は先送りされ、2019年に1996〜2001年着工の771棟、後に1万3千棟超の界壁施工不備が報道で露呈した。賃料減額の余地と現場の代替材料という二つの弱点が、個人依存のまま温存された末に同時に表面化した。
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1973年〜2003年 中野の不動産仲介から「レオパレス21」サブリース全国網へ
一人の創業者が手探りで作った「都市型アパート」事業
1973年8月、創業者の深山祐助氏は資本金300万円で東京都中野区に株式会社ミヤマを設立し、不動産仲介業を主として営業を開始した[1]。深山祐助氏は1945年長崎県壱岐の出身で、1968年に拓殖大学商学部貿易学科を卒業し、28歳で個人の延長線にある自社を起こした[2]。1981年に一戸建住宅の分譲販売を加え[3]、1985年4月から都市型アパート「レオパレス21」の本格的販売を開始した[4]。ロフトを標準装備した単身者向けの規格化されたアパートで、敷金不要を売りにして学生・若年単身者の住宅需要を取り込んだ[5]。同年4月に東京ミヤマホームを吸収合併し[6]、設計・建設・賃貸の業務を1社にまとめる体制をミヤマ本体に集約した。
1986年4月、賃貸事業部を創設して不動産賃貸事業を開始した[7]。深山祐助氏が設計したビジネスは、土地オーナーから建築工事を請け負って完成した物件を同社が一括で借り上げ、入居者には自社の管理する「キューブクラブ」(1988年発足)[9]の会員向けに転貸するサブリース型の建売受託である。オーナーには「30年間一括借り上げ」を強調して建設受注を取り[8]、相続税対策と節税ニーズに応える節税アパート営業として全国の地主向けに営業組織を配置した。建築請負・賃貸管理・入居者誘致を一体運営する仕組みは、住宅メーカーや不動産業者にも前例の少ない設計で、深山祐助氏のワンマン経営で大胆な値付けと営業ノルマが実行された。1988年1月にはグアム現地法人 Miyama Guam, Inc. を設立し[10]、リゾート事業への進出も同じ深山祐助氏の判断で始まった。
ただしこの設計には初期から二つの脆弱性が組み込まれていた。第一にサブリース契約の家賃保証は形式上「30年保証」だが、借地借家法32条にもとづく賃料減額請求権が貸主側に残るため、入居率が下がれば同社からオーナーへの一方的な賃料引下げ交渉が可能だった。第二に建築請負部門が受注ノルマを引き上げるたびに、施工の標準化と工程短縮が現場での代替材料使用の誘因となり、後年の界壁不備の素地が早期から積み重なった。深山祐助氏の独断と全社的な売上至上主義がこの二つの脆弱性を表面化させずに走らせた30年が、第1期にあたる。
1989年店頭登録から2000年「レオパレス二十一」改称までの15年
1989年2月、社団法人日本証券業協会に株式を店頭登録し[11]、外部資本を導入する局面に入った。同年10月には株式会社ミヤマから株式会社エムディアイ(Miyama Development International の略称、通称MDI)へ商号を変更した[12]。創業者の名を冠した「ミヤマ」から、建築開発を語源とする略称へ看板を切り替えた格好である。1991年3月には東京都中野区本町に新社屋が完成し、本社移転を実施した[13]。バブル期の不動産需要を受けて建築請負の受注高は急増し、店頭登録の調達資金は新規拠点と人員拡大の原資に向けられた。グアム現地法人が運営するリゾート施設「レオパレスリゾート・マネンガンヒルズ・グアム」は1993年に開業し[14]、深山祐助氏の個人的な関心が経営判断を主導するスタイルが象徴的に現れた一手だった。
1999年10月、家具付き月極レンタルルーム「マンスリーレオパレス」の販売を開始した[15]。短期赴任者・受験生・出張需要を取り込み、サブリース物件の稼働率を底上げする商品で、ホテルと賃貸の中間に位置する月単位の貸出を全国の自社管理物件に拡張した。2000年7月に株式会社エムディアイから株式会社レオパレス二十一へ商号変更し[16]、看板商品の名称を本体の商号に格上げした。2001年8月には自社の賃貸アパート「レオパレス21」を投資対象とした不動産証券化を実施し[17]、オーナー以外の機関投資家からの資金調達ルートを加えた。2002年8月には入居者向けブロードバンドサービス「LEONET」を開始し[18]、入居者単位での付帯サービス収益化を始めた。
15年で売上規模は数百億円規模から数千億円規模へ拡大したが、収益の源泉はサブリース契約の「建てれば借り上げる」フローと、建築請負の受注ノルマに依存する一本足の構造で変わらなかった。1996年6月から2001年9月までに着工した1都15県の771棟の物件で、本来グラスウールまたはロックウールとすべき界壁の内部に発泡ウレタンが充填されていた事実は、後の国土交通省・外部調査委員会の調査で確認された[19]。すなわち、商号を3度(ミヤマ → MDI → レオパレス二十一)変えながら拡大した第1期の終盤に、第3期の経営危機の引き金が物件の内部に物理的に埋め込まれていた。
商号確定と東証一部上場前夜 ── 2003年までの拡大
2002〜2003年は東京証券取引所への上場準備期にあたる。サブリース管理戸数は全国規模に積み上がり、深山祐助氏が築いた「レオパレス商法」は全国地主層への営業実績と入居者の単身世帯シェアの双方で建築・不動産業界で広く認知された。建築請負と賃貸管理を社内一体で回す経営モデルは、戸建ハウスメーカーの大東建託と同様の節税アパート事業の代表例として住宅金融市場でも参照される位置にあった[20]。深山祐助氏は、入居者から徴収する諸手数料を本体の売上に計上せず別管理の銀行口座に積立て、私的な不動産投資や知人企業への貸付に流用していた。この約47億円の私的流用は、上場後の2006年に社内調査で発覚することになる[21]。
2003年時点で連結売上高は数千億円規模に達し、サブリース管理戸数の全国シェアでは大東建託と並ぶ国内大手2社の一角に立った[22]。建築請負の受注ノルマが全国の支店・営業所に号令として降りる強い縦割り組織で、深山祐助氏の判断は社内で異論なく実行に移される体制が30年を経て固まっていた。本社・人事・経理は深山祐助氏に直結する少数の役員が握り、上場準備の財務開示の整備も創業家の主導で進んだ。深山祐助氏個人の信用と人脈で得た営業力が外部資本市場に接続される直前で、組織のガバナンスが個人の判断に依存したままの体質は変わらないまま、東証一部上場の入口に立っていた。
ガバナンスの個人依存と建築・賃貸の一気通貫モデルは、上場後の業績拡大期で利益を引き上げる仕組みとして働く一方、不況期で損失を増幅する仕組みとしても両刃で残った。2004年の東証一部上場で第2期へ入るが[23]、第1期に組み込まれた二つの脆弱性──サブリース契約の家賃減額余地と施工現場の代替材料使用──は時限装置として残り続けた。一企業の30年の拡大は、創業者個人の信用が制度に置き換わらないままに進んだ点で固有の歩みであり、第2期はその制度未整備のままで外部資本市場へ接続する段階に入る。
2004年〜2018年 東証一部上場と47億円私的流用、リーマン後の連結純損失791億円
2004年東証一部上場と2006年の創業者私的流用発覚
2004年3月、東京証券取引所市場第一部に株式を上場した[24]。サブリース管理戸数20万戸超・連結売上4,000億円超の規模で、機関投資家・外国人投資家の保有比率も上場直後から30%超へ伸びた。2005年1月にシルバー事業部を創設して介護事業に進出し[25]、2005年4月には会員制入居システムを「レオパレス21 賃貸システム」に切り替えて入居者管理を一本化した[26]。2006年6月、株式会社レオパレス二十一から株式会社レオパレス21へ商号を変更した[27]。社名のカタカナ・算用数字統一は、機関投資家や海外向けの認知に合わせた表記の整理である。
しかし上場後わずか2年あまりの2006年5月、入居者から徴収した諸手数料を別管理口座に積立て、創業者の深山祐助氏が個人で約47億円を不動産投資や知人企業に有利子貸付として運用していたことが社内調査で発覚した[28]。深山祐助氏は同年6月1日に責任をとって社長を辞任し、副社長の大場富夫氏が後継として2代目社長に就任した。深山祐助氏は退任後も筆頭株主として影響力を残し、後任の大場富夫氏は短期で交代、2006年内に3代目の北川芳輝氏が引き継いだ。深山祐助氏の甥にあたる深山英世氏は当時すでに取締役に就いており[29]、創業家の影響力は経営の中枢に留まった。
私的流用の発覚は、第1期に深山祐助氏が築いた個人依存の意思決定が公開会社では成立しないことを示した最初の警告だった。だが社外取締役の増員やコンプライアンス委員会の設置など制度整備は表層に留まり、深山英世氏が2010年2月に4代目社長へ就任したことで、創業家による経営支配は継続した[30]。経営者層が施工不備に人為的に対応せずリスクを軽視する社内文化がこの時期に温存されたことを後の外部調査委員会報告書が指摘しており[31]、ガバナンスの抜本見直しはこの時点で先送りされた。深山祐助氏個人への依存から組織への信頼移転は、第2期の入口で機会を失った。
リーマン直撃の連結純損失791億円から4年で営業利益148億円へ
2006/3期(FY05)から2008/3期(FY07)にかけて連結売上は4,654億円・6,316億円・6,729億円と急拡大し、2009/3期(FY08)には7,332億円の上場来最高水準に達した。建築請負部門の受注高もこの4年で2倍水準に伸び、サブリース管理戸数は56万戸超に到達した[32]。だが2008年9月のリーマンショック後、地主からの建築請負発注が止まり、2010/3期(FY09)には連結売上6,204億円・経常損失338億円・親会社株主に帰属する当期純損失791億円を計上した。続く2011/3期(FY10)も売上4,844億円・経常損失318億円・純損失409億円が続き、2年間の累計純損失は1,200億円規模に達した。建築請負部門の急縮小と保有不動産の評価損が直撃した結果で、「サブリース+建築請負」の一体型ビジネスが景気の逆風で同方向の損失を生む構造が表面化した。
2010年2月、創業者の甥である深山英世氏が4代目社長に就任した[33]。深山英世氏は1990年6月にレオパレス21に入社し、経営企画・賃貸事業の責任者を経て38歳で社長職を引き継いだ[34]。営業の現場経験を持つ実務型の経営者で、ホテルリゾート事業の縮小、グアム法人の運営見直し、賃貸事業中心への経営資源集約を実行した。2012/3期(FY11)には連結売上4,594億円・経常利益23億円・当期純利益16億円へ転換し、2013/3期(FY12)は経常利益112億円・純利益134億円、2015/3期(FY14)には営業利益148億円・純利益152億円まで回復した。リーマン後の底(FY10純損失409億円)から4年で営業利益148億円への振れ幅は、賃貸事業のストック収益が回復を支えた構造を示した。
ただし回復の中身は「建築請負の縮小+賃貸ストックの維持」であり、建築請負の新規受注ノルマは温存された。深山英世氏は2017年に「神田川」コンセプト民泊やスマートロックなど新規施策を打ち出し、2017年4月には高機能型スマートロック「Leo Lock」を新築全戸に採用した[35]。2017年5月には3カ年中期計画「Creative Evolution 2020」を策定し[36]、賃貸主軸+民泊・海外を成長軸とする路線を示した。連結営業利益はFY15が211億円、FY16・FY17が229億円と過去最高水準を更新し、自己資本比率も2018/3期(FY17)に47.3%まで改善した[37]。だが翌FY18から始まる施工不備問題で、この回復は短命に終わる。
「ガイアの夜明け」報道から創業家退場までの13カ月
2018年4月、テレビ東京「ガイアの夜明け」で同社施工アパートの界壁不備が報道された[38]。2018年5月の自社調査で1996年から2001年に着工した1都15県の771棟で界壁内部に発泡ウレタンが充填されていた事実が確認され[39]、設計図書の「グラスウールまたはロックウール」記載と異なる施工が判明した。同年12月に建築基準法施行令の遮音基準違反が新たに認定され、2019年2月には1,300棟・5月には17,000棟と判明範囲が連続的に拡大した[40]。最終的に2019年10月時点で13,252棟、調査対象の39,085棟のうち約3分の1で施工不備が確認された[41]。2019年2月の入居率は急落し、2019年10月の入居率は79.49%と約9年ぶりに採算分岐点の80%を割り込んだ[42]。
外部調査委員会は2019年5月29日の最終報告書で[43]、対象物件の9割を超える割合で界壁が施工されていないにもかかわらず全社的に虚偽の建築確認申請が行われ、確認済証をだまし取った実態を認定した[44]。創業者の深山祐助氏に施工業務効率化を理由とした界壁省略の指示があり、経営層がこれを黙認した経営文化が原因とされた。日本経済新聞も同日付で創業者に落ち度がある旨を最終報告として伝え、引責構造が確定した[45]。深山英世氏は同年5月10日に社長辞任を発表し、5月14日付で正式に退任、5代目社長として宮尾文也氏が就任した[46]。創業家による経営は2006年の私的流用、2010年の甥の社長就任、2019年の施工不備引責辞任を経て、45年で終了した。
FY18の決算は売上5,052億円・営業利益74億円・特別損失721億円(補修工事関連引当を中心)・親会社株主に帰属する当期純損失687億円となり、過去2番目の純損失を計上した。リーマン後のFY09純損失791億円と並ぶ規模で、原因は外部経済環境ではなく自社の施工現場の不備に起因する点で性質が異なった。サブリースで一括借上げた物件のオーナーへは賃料減額交渉が全国規模で持ち込まれ、家賃収入が約7割に減るオーナーが続出した[47]。深山祐助氏が築いた建築請負とサブリースの一体型モデルは、施工不備の社会的露呈を通じて、節税アパートのフローモデルとしては破綻を露呈した。第3期の経営危機が始まる。
2019年〜2025年 累計純損失1,800億円と債務超過からの再出発
宮尾文也社長就任と「過剰な利益至上主義」の自己批判
2019年5月、5代目社長として宮尾文也氏が就任した[48]。宮尾文也氏は1983年4月に中道リース入社後、1990年6月にレオパレス21(当時MDI)に入社し、経理部・リゾート事業・経営企画・広報のラインで実務経験を積んだ[49]。2018年4月に取締役常務執行役員 経営企画・IR担当となり、施工不備問題発覚の翌年に社長就任を引き受けた59歳の生え抜き経営者である[50]。就任時の記者会見では、一連の施工不良問題で入居者・アパートオーナー・行政など関係者へ迷惑をかけたことを謝罪し、今期中の収束を約束する姿勢を示した[51]。補修工事の完遂と再発防止策の徹底を再建の最優先課題に置いた。
社長就任から3年を経た時点で、宮尾文也氏は深山祐助氏のワンマン経営期から続いた組織文化の問題を過剰な利益至上主義として自己批判した[52]。建築請負の新規受注ノルマを2018年度以降は事実上停止し、既存57万戸の賃貸物件の運営と補修工事の遂行へ経営資源を絞り込んだ。FY19には新規建築請負の縮小と入居率低下が直撃し、売上は4,335億円・営業損失365億円・特別損失334億円・親会社株主に帰属する当期純損失802億円を計上した。リーマン後のFY09純損失791億円を超え、上場以来の最大純損失となった。自己資本は2018年3月期の1,593億円から2020年3月期の16億円へ約99%が減損し、債務超過寸前の財務状況になった。
フォートレスから572億円の資本支援と債務超過の解消
2020年9月、米国系投資ファンドのフォートレス・インベストメント・グループ傘下の千鳥合同会社が、第三者割当増資と劣後ローンを組み合わせた合計約572億円の資本支援を実行した[53]。300億円規模の劣後ローンには年利14.5%が設定され、優先株式の発行と組み合わせて短期の流動性危機を回避する組成だった[54]。千鳥合同会社は2021年3月期末の大株主名簿で持株比率25.69%の筆頭株主となり[55]、創業以来初めて外部ファンドが過半に近い影響力を握る株主構成へ移行した。FY20末の自己資本はマイナス81億円となり、有報上の正式な債務超過状態に入った。
FY20は売上4,089億円・営業損失292億円・特別利益196億円(フォートレス支援関連)・当期純損失237億円となり、財務再建の踏切板を確保した。続くFY21には売上3,983億円・営業利益18億円・経常損失22億円・当期純利益119億円となり、4期ぶりに最終損益が黒字へ転換した。自己資本は14億円へ回復し、債務超過状態は1期で解消された。FY21末時点でフォートレス系のもう1つの株主受け皿である株式会社UH Partners2(旧アルデシアインベストメント)が15.37%を保有し、フォートレス系の合計保有比率は41%超に達した[56]。宮尾文也氏は当期中に施工不良問題を収束させる方針を社内外に提示しており、補修工事の完了スケジュールも2022年内の主要工程の完了で実現に近づいた。
外部ファンドからの572億円の資本支援は[57]、深山祐助氏の創業以来一貫していた創業家・取引銀行・持株会中心の閉じた資本関係を解体し、米国系PEファンドが筆頭株主に立つ構造への切り替えとなった。フォートレスは劣後ローン金利14.5%という高い利回りで投資回収を狙う一方[58]、宮尾文也氏ら経営陣は補修工事の遂行と賃貸事業の収益力回復で企業価値を上げ、出口戦略でファンドが利益を確定できる水準まで業績を引き上げる役割を担った。創業家が築いた個人依存のガバナンスは、外部金融資本のディシプリン下で再構成された。第3期の財務危機局面は、ガバナンスの主体交代を伴う形で1期で打開された。
黒字3期定着と「New Growth 2028」が定める次の3カ年
FY22以降、業績は黒字を3期連続で維持した。FY22の売上4,064億円・営業利益99億円・純利益198億円、FY23の売上4,227億円・営業利益233億円・純利益421億円、FY24の売上4,318億円・営業利益292億円・純利益179億円となり、自己資本は2025年3月期末で817億円まで戻った。期中平均入居率は2020年3月期の80.78%から2025年3月期の85.56%へ4.78ポイント改善し、成約家賃単価指数は97から108へ上がった[59]。連結従業員数はFY18の7,600名からFY24の3,909名へ48.6%減り、シルバー事業以外の付帯子会社(タイ・フィリピン・カンボジア・インドネシア・もりぞう等)の譲渡・清算を2022〜2024年に実行した[60]。
2025年5月9日、宮尾文也氏は2026年3月期から2028年3月期までの3カ年中期計画New Growth 2028を策定した[61]。最終年度のFY27の目標は売上4,680億円・営業利益413億円・期中平均入居率87.56%・期末入居率90.35%・配当性向30%と設定した[62]。第3期の前半が構造改革の総仕上げだったのに対し、後半は次の成長フェーズへの移行と位置づけた。賃貸事業の質的成長(プライシング戦略・トップ営業)、シルバー事業(介護施設運営)の拡大、株主還元の強化を3本柱に置き、建築請負中心の収益構造から賃貸ストック収益と介護サービス収益の組み合わせへ重点を移した。創業者の深山祐助氏が1985年に作った都市型アパートのサブリースモデルは、新規受注ノルマを止めた状態で既存57万戸のストック収益を主軸にする方向で運用される。
第3期の出発点である2019年3月期から複数期にわたって多額の純損失が続いたのは、深山祐助氏の創業から46年を要して築いた建築請負とサブリースのモデルが内包した二つの脆弱性[63]──家賃減額余地と現場の代替材料使用──が同時に表面化した結果である。フォートレス系株主の保有比率は2025年3月期末も合計約42%で維持され[64]、出口戦略の時期と方法が次の3カ年の論点として残る。創業以来の個人依存ガバナンスから外部金融資本のディシプリン下での再建を経て、ストック型事業会社として再定義される過渡期にある。