1973年〜 中野の不動産仲介から「レオパレス21」サブリース全国網へ
- 1973年 ミヤマを設立し不動産仲介業を開始
- 1981年 一戸建住宅の分譲販売を開始
- 1985年 都市型アパート「レオパレス21」の本格的販売開始
- 1986年 賃貸事業部を創設し不動産賃貸事業を本格的開始
- 1989年 社団法人日本証券業協会に株式を店頭登録
- 1989年 エムディアイに商号変更
- 2001年 賃貸アパート「レオパレス21」を投資対象とした不動産証券化を実施
一人の創業者が手探りで作った「都市型アパート」事業
1973年8月、創業者の深山祐助氏は資本金300万円で東京都中野区に株式会社ミヤマを設立し[1]、不動産仲介業を主として営業を開始した。深山祐助氏は1945年長崎県壱岐の出身で、1968年に拓殖大学商学部貿易学科を卒業し[2]、28歳で個人の延長線にある自社を起こした。1981年に一戸建住宅の分譲販売を加え[3]、1985年4月から都市型アパート「レオパレス21」の本格的販売を開始した。[4]ロフトを標準装備した単身者向けの規格化されたアパートで[5]、敷金不要を売りにして学生・若年単身者の住宅需要を取り込んだ。同年4月に東京ミヤマホームを吸収合併し[6]、設計・建設・賃貸の業務を1社にまとめる体制をミヤマ本体に集約した。
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)【沿革】
- [1]1973年8月 資本金300万円で東京都中野区に株式会社ミヤマを設立し不動産仲介業を開始
- [2]深山祐助は1945年長崎県壱岐出身、1968年に拓殖大学商学部貿易学科を卒業
- [3]1981年に一戸建住宅の分譲販売を開始
- [4]1985年4月から都市型アパート「レオパレス21」の本格的販売を開始
- [5]ロフト標準装備・敷金不要・単身者向け規格化アパート(ロフト・敷金不要は裏とり済み。家具家電付きは1999年マンスリーレオパレスに紐づき本段落では言及なし)
- [6]1985年4月に東京ミヤマホームを吸収合併
1986年4月、賃貸事業部を創設して不動産賃貸事業を開始[7]した。深山祐助氏が設計したビジネスは、土地オーナーから建築工事を請け負って完成した物件を同社が一括で借り上げ、入居者には自社の管理する「キューブクラブ」(1988年発足)[8]の会員向けに転貸するサブリース型の建売受託である。オーナーには「30年間一括借り上げ」を強調して建設受注を取り[9]、相続税対策と節税ニーズに応える節税アパート営業として全国の地主向けに営業組織を配置した。建築請負・賃貸管理・入居者誘致を一体運営する仕組みは、住宅メーカーや不動産業者にも前例の少ない設計で、深山祐助氏のワンマン経営で大胆な値付けと営業ノルマが実行された。1988年1月にはグアム現地法人 Miyama Guam, Inc. を設立し[10]、リゾート事業への進出も同じ深山祐助氏の判断で始まった。
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)【沿革】
- [7]1986年4月 賃貸事業部を創設し不動産賃貸事業を開始
- [8]1988年 会員制入居システム「キューブクラブ」発足
- [9]サブリース型(一括借り上げ→転貸)の事業実態。30年間一括借り上げの営業文言は資産で支持
- [10]1988年1月 グアム現地法人 Miyama Guam, Inc. を設立
ただしこの設計には初期から二つの脆弱性が組み込まれていた。第一にサブリース契約の家賃保証は形式上「30年保証」だが、借地借家法32条にもとづく賃料減額請求権が貸主側に残るため、入居率が下がれば同社からオーナーへの一方的な賃料引下げ交渉が可能だった。第二に建築請負部門が受注ノルマを引き上げるたびに、施工の標準化と工程短縮が現場での代替材料使用の誘因となり、後年の界壁不備の素地が早期から積み重なった。深山祐助氏の独断と全社的な売上至上主義がこの二つの脆弱性を表面化させずに走らせた30年が、第1期にあたる。
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)【沿革】
- [1]1973年8月 資本金300万円で東京都中野区に株式会社ミヤマを設立し不動産仲介業を開始
- [2]深山祐助は1945年長崎県壱岐出身、1968年に拓殖大学商学部貿易学科を卒業
- [3]1981年に一戸建住宅の分譲販売を開始
- [4]1985年4月から都市型アパート「レオパレス21」の本格的販売を開始
- [5]ロフト標準装備・敷金不要・単身者向け規格化アパート(ロフト・敷金不要は裏とり済み。家具家電付きは1999年マンスリーレオパレスに紐づき本段落では言及なし)
- [6]1985年4月に東京ミヤマホームを吸収合併
- [7]1986年4月 賃貸事業部を創設し不動産賃貸事業を開始
- [8]1988年 会員制入居システム「キューブクラブ」発足
- [9]サブリース型(一括借り上げ→転貸)の事業実態。30年間一括借り上げの営業文言は資産で支持
- [10]1988年1月 グアム現地法人 Miyama Guam, Inc. を設立
1989年店頭登録から2000年「レオパレス二十一」改称までの15年
1989年2月、社団法人日本証券業協会に株式を店頭登録し[11]、外部資本を導入する局面に入った。同年10月には株式会社ミヤマから株式会社エムディアイ[12](Miyama Development International の略称、通称MDI)へ商号を変更した。創業者の名を冠した「ミヤマ」から、建築開発を語源とする略称へ看板を切り替えた格好である。1991年3月には東京都中野区本町に新社屋が完成し[13]、本社移転を実施した。バブル期の不動産需要を受けて建築請負の受注高は急増し、店頭登録の調達資金は新規拠点と人員拡大の原資に向けられた。グアム現地法人が運営するリゾート施設「レオパレスリゾート・マネンガンヒルズ・グアム」は1993年に開業し[14]、深山祐助氏の個人的な関心が経営判断を主導するスタイルが象徴的に現れた一手だった。
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)【沿革】
- [11]1989年2月 社団法人日本証券業協会に株式を店頭登録
- [12]1989年10月 株式会社ミヤマから株式会社エムディアイ(MDI)へ商号変更。MDI=Miyama Development International の略称
- [13]1991年3月 本社新社屋(東京都中野区本町)完成・本社移転
- [14]グアムのリゾート「レオパレスリゾート・マネンガンヒルズ・グアム」は1993年に開業
1999年10月、家具付き月極レンタルルーム[15]「マンスリーレオパレス」の販売を開始した。短期赴任者・受験生・出張需要を取り込み、サブリース物件の稼働率を底上げする商品で、ホテルと賃貸の中間に位置する月単位の貸出を全国の自社管理物件に拡張した。2000年7月に株式会社エムディアイから株式会社レオパレス二十一へ商号変更し[16]、看板商品の名称を本体の商号に格上げした。2001年8月には自社の賃貸アパート「レオパレス21」を投資対象とした不動産証券化を実施し[17]、オーナー以外の機関投資家からの資金調達ルートを加えた。2002年8月には入居者向けブロードバンドサービス「LEONET」を開始し[18]、入居者単位での付帯サービス収益化を始めた。
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)【沿革】
- [15]1999年10月 家具付き月極レンタルルーム「マンスリーレオパレス」の販売を開始
- [16]2000年7月 株式会社エムディアイから株式会社レオパレス二十一へ商号変更
- [17]2001年8月 賃貸アパート「レオパレス21」を投資対象とした不動産証券化を実施
- [18]2002年8月 入居者向けブロードバンドサービス「LEONET」を開始
15年で売上規模は数百億円規模から数千億円規模へ拡大したが、収益の源泉はサブリース契約の「建てれば借り上げる」フローと、建築請負の受注ノルマに依存する一本足の構造で変わらなかった。1996年6月から2001年9月までに着工した1都15[19]県の771棟の物件で、本来グラスウールまたはロックウールとすべき界壁の内部に発泡ウレタンが充填されていた事実は、後の国土交通省・外部調査委員会の調査で確認された。すなわち、商号を3度(ミヤマ → MDI → レオパレス二十一)変えながら拡大した第1期の終盤に、第3期の経営危機の引き金が物件の内部に物理的に埋め込まれていた。
- 国土交通省・外部調査委員会調査報告書(2019年5月29日)
- [19]界壁不備物件の着工期間1996年6月〜2001年9月、1都15県771棟で発泡ウレタン充填。外部調査委員会・国交省で確認
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)【沿革】
- [11]1989年2月 社団法人日本証券業協会に株式を店頭登録
- [12]1989年10月 株式会社ミヤマから株式会社エムディアイ(MDI)へ商号変更。MDI=Miyama Development International の略称
- [13]1991年3月 本社新社屋(東京都中野区本町)完成・本社移転
- [14]グアムのリゾート「レオパレスリゾート・マネンガンヒルズ・グアム」は1993年に開業
- [15]1999年10月 家具付き月極レンタルルーム「マンスリーレオパレス」の販売を開始
- [16]2000年7月 株式会社エムディアイから株式会社レオパレス二十一へ商号変更
- [17]2001年8月 賃貸アパート「レオパレス21」を投資対象とした不動産証券化を実施
- [18]2002年8月 入居者向けブロードバンドサービス「LEONET」を開始
- 国土交通省・外部調査委員会調査報告書(2019年5月29日)
- [19]界壁不備物件の着工期間1996年6月〜2001年9月、1都15県771棟で発泡ウレタン充填。外部調査委員会・国交省で確認
商号確定と東証一部上場前夜 ── 2003年までの拡大
2002〜2003年は東京証券取引所への上場準備期にあたる。サブリース管理戸数は全国規模に積み上がり、深山祐助氏が築いた「レオパレス商法」は全国地主層への営業実績と入居者の単身世帯シェアの双方で建築・不動産業界で広く認知された。建築請負と賃貸管理を社内一体で回す経営モデルは、戸建ハウスメーカーの大東建託と同様の節税アパート事業の代表例として住宅金融市場でも参照される位置にあった。[20]深山祐助氏は、入居者から徴収する諸手数料を本体の売上に計上せず別管理の銀行口座に積立て、私的な不動産投資や知人企業への貸付に流用していた。この約47億円の私的流用は[21]、上場後の2006年に社内調査で発覚することになる。
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)【沿革】
- [20]大東建託と並ぶ節税アパート事業の代表例という業界内の位置づけ
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)
- [21]私的流用額 約47億円
2003年時点で連結売上高は数千億円規模に達し、サブリース管理戸数の全国シェアでは大東建託と並ぶ国内大手2社の一角に立った。[22]建築請負の受注ノルマが全国の支店・営業所に号令として降りる強い縦割り組織で、深山祐助氏の判断は社内で異論なく実行に移される体制が30年を経て固まっていた。本社・人事・経理は深山祐助氏に直結する少数の役員が握り、上場準備の財務開示の整備も創業家の主導で進んだ。深山祐助氏個人の信用と人脈で得た営業力が外部資本市場に接続される直前で、組織のガバナンスが個人の判断に依存したままの体質は変わらないまま、東証一部上場の入口に立っていた。
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)【沿革】
- [22]サブリース管理戸数の全国シェアで大東建託と並ぶ国内大手2社の一角
ガバナンスの個人依存と建築・賃貸の一気通貫モデルは、上場後の業績拡大期で利益を引き上げる仕組みとして働く一方、不況期で損失を増幅する仕組みとしても両刃で残った。2004年の東証一部上場で第2期へ入るが[23]、第1期に組み込まれた二つの脆弱性──サブリース契約の家賃減額余地と施工現場の代替材料使用──は時限装置として残り続けた。一企業の30年の拡大は、創業者個人の信用が制度に置き換わらないままに進んだ点で固有の歩みであり、第2期はその制度未整備のままで外部資本市場へ接続する段階に入る。
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)【沿革】
- [23]2004年に東証一部上場(第2期の入口)
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)【沿革】
- [20]大東建託と並ぶ節税アパート事業の代表例という業界内の位置づけ
- [22]サブリース管理戸数の全国シェアで大東建託と並ぶ国内大手2社の一角
- [23]2004年に東証一部上場(第2期の入口)
- レオパレス21 有価証券報告書 第33期(2006年3月期)
- [21]私的流用額 約47億円