サンケン電気 の歴史

更新:

創業 1946年
創業者 小谷銕治
創業地 埼玉県志紀町
創業 1946年9月、小谷銕治氏が埼玉県志紀町に資本金15万円で東邦産研電気株式会社を
1946年9月、小谷銕治氏が埼玉県志紀町に資本金15万円で東邦産研電気株式会社を設立した。1937年に東邦電力社長の松永安左ヱ門が創立50周年記念事業として設けた財団法人東邦産業研究所の半導体研究室が前身で、終戦で研究所が解散したさい、主任だった小谷氏が製造法と設備と研究員を引き継いだ。創立宣言には半導体工業に専念するという一項が掲げられている。セレン整流器から始めた製品は、1952〜53年に他社がゲルマニウムへ移るなかでシリコンへ先回りし、1958年に国産初の拡散型シリコン整流素子を完成させた。1961年10月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、翌1962年6月に商号をサンケン電気へ変更している。
決断 本体より大きくなった子会社を、34年目に連結から外した。1990年12月、米スプ
本体より大きくなった子会社を、34年目に連結から外した。1990年12月、米スプレーグ・テクノロジーズの半導体部門を買収してマサチューセッツ州にAllegro MicroSystemsを設立し、車載用の磁気センサとパワーICの技術と北米の顧客を取り込んだ。Allegroは連結売上高の約4割を占め、2020年10月のNASDAQ上場では子会社の時価総額が親会社の4〜5倍に達する。2021年2月にはエフィッシモが公開買付けで持分を19.16%まで積み増し、その比率は2024年秋に28.65%へ上がった。同じ2021年5月に社会システム事業をGSユアサへ譲渡し、2024年8月にはAllegroを持分法適用関連会社とした。売却代金約1,370億円は、中期経営計画SK-26の遂行と有利子負債の削減、株主還元に充てられた。
現況 売上が3分の1になった後も、営業損益は赤字のままである。2026年3月期の連結売
売上が3分の1になった後も、営業損益は赤字のままである。2026年3月期の連結売上高は802億円、営業損失47億円、純損失98億円で、報告セグメントは半導体デバイス事業ひとつになった。Allegroを外した最初の期にあたる2025年3月期の内訳は、製品別がパワーモジュール549億円・パワーデバイス484億円・センサー他183億円、市場別が自動車556億円・白物家電480億円で、地域別では日本325億円に対しアジアが770億円と63%を占める。2023年5月に新潟県柏崎市へ新潟サンケンを設立し、同年12月には韓国のEKを買収した。Allegroが抜けた売上を新潟と韓国で作るxEV向けパワーモジュールが埋められるかに、収益の回復がかかる。
競合 同業が本体へ投資を積んだ30年、サンケンの収益は米国子会社が出した。富士電機は2
同業が本体へ投資を積んだ30年、サンケンの収益は米国子会社が出した。富士電機は2010年にパワー半導体とパワーエレクトロニクスへ投資を集中し、本体の生産設備でパワー半導体を伸ばした。サンケン電気は同じ時期、連結売上高の8割を半導体デバイス事業が占めながら、その中核は米国Allegroの車載センサにあり、本体側は白物家電向けのインバータ用パワーデバイスが主力だった。国内では2020年9月にSTマイクロエレクトロニクスと提携してSiCパワーデバイスの共同開発に入り、2021年9月にものづくり開発センターを稼働させ、2023年5月に新潟サンケンを設立している。買収で得た顧客を持分ごと連結から外した2024年、本体の量産拠点は稼働を始めたばかりで、連結の営業損益は赤字へ転じた。
長期業績の推移 1950〜2026年
サンケン電気:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

第1章 1937年〜 シリコンへの製品転換東邦産業研究所の継承から拡散型シリコン整流素子へ

筆者考察y.sugiura, author

サンケン電気の出発点にあったのは工場ではなく、解散する研究機関から持ち出した人と装置だった。1946年の設立時、資本金は15万円しかない。小谷銕治が引き継いだのは東邦産業研究所の半導体研究室そのもので、技術者と実験設備がそのまま会社の資産になった。この出自は、以後の判断の形を決めている。ゲルマニウム整流器が現れたとき、この会社は追いつく努力を選ばず、セレンからシリコンへ素材を一段飛ばした。研究室を母体とする組織にとって、他社に遅れた技術で並ぶことより、誰も完成させていない領域で最初に量産までたどり着くことのほうが、手持ちの力の使い方として理に適っていた。1958年の拡散型シリコン整流素子は、その読みが当たったことを示している。

技術で先行しても、買い手の顔ぶれまでは変えられなかった。1961年時点の販売先は日本電信電話公社と各官庁、電力会社、そして日本電気であり、仕様と価格を決めるのは常に需要家の側にある。値付けの主導権を持てない以上、増えた利益は次の素子を作る設備へ充当するほかない。資本金は1946年の15万円から1962年の2億5000万円へ、16年で1600倍を超えた。株主割当の増資を重ねるだけでは足りず、1961年3月に店頭公開、同年10月に東証二部上場という順で外部資本を入れている。社名を東邦産研電気からサンケン電気へ改めたのは、その翌年である。研究機関の後継という名乗りを外した時点で、この会社は半導体メーカーとして数えられる側へ移った。

資本金の推移 東邦産研電気の設立(1946年9月)からサンケン電気への商号変更(1962年6月)まで(万円)

15 1946 50 1948 150 1949 350 1952 600 1953 1,200 1955 2,400 1957 5,000 1960 12,500 1961 25,000 1962
  • 増資はいずれも既存株主への割当で、1対2から1対0.6の割合で実施された。
  • 出所は株式会社年鑑 1962年版・1964年版の資本金移動欄。

1937年〜解散した研究機関の人と装置を元手にした発足

1937年10月、東邦電力創立50周年記念事業として、当時の社長松永安左ヱ門により財団法人東邦産業研究所が設立された。研究所の電気研究室では1939年からセレン整流器の試作研究が始まり、戦時下には軍の指定研究機関として試作品を納入した実績も残した。終戦により研究所は解散へ向かったが、半導体研究室主任で工学博士の小谷銕治が技術者と設備を引き継ぐ判断を下し、1946年9月5日に東邦産研電気株式会社が埼玉県志紀町で設立された。資本金は15万円にとどまり、社名は前身の研究機関名をそのまま継いだ。自前の工場も特許も持たない出発であり、元手になったのは研究室が抱えていた人と装置だけだった。

  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1937年10月 東邦電力創立50周年記念事業として財団法人東邦産業研究所が設立
    • [2]東邦産業研究所設立を主導したのは東邦電力社長の松永安左ヱ門
    • [5]1946年9月5日 東邦産研電気株式会社を埼玉県志紀町で設立(研究所解散後に半導体製造法・設備・研究員を継承)。設立を主導したのは半導体研究室主任で工学博士の小谷銕治
  • 株式会社年鑑 1962年版
    • [3]昭和14年(1939年)財団法人東邦産業研究所電気研究室にてセレン整流器の試作研究を開始
    • [6]設立時の資本金は15万円
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [4]東邦産業研究所の半導体研究室は戦時中に軍の指定研究機関となり試作品を納入した実績がある

創立宣言には『吾等は半導体工業に専念し吾国産業の発展に寄与する』という一項が掲げられた。研究所出身の技術者集団が半導体一筋に進む初志は、この一文で社外にも固定された。創業期の主力商品はセレン整流器で、戦後復興期の電気機器需要がその販路を支えた。販売先は各種電源装置が日本電信電話公社、各種整流器が各官庁・電力会社・日本電気であり、素子単体だけでなく装置へ組み上げた形でも納めた。仕入面ではシリコンを三井物産、鋼材を松本興業、電線を第一電工から取っている買い手が公共インフラと電機大手に偏る構図は創業期から変わらず、価格と仕様の主導権は需要家の側にあった。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [7]創立宣言に「吾等は半導体工業に専念し吾国産業の発展に寄与する」の一項
  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [8]創業期の主力商品はセレン整流器
  • 株式会社年鑑 1962年版
    • [9]主なる取引先(販売)各種電源装置=日本電信電話公社、各種整流器=各官庁・電力会社・日本電気
    • [10]主なる取引先(仕入)シリコン=三井物産、鋼材=松本興業、電線=第一電工

東邦産研電気の資本金は、1946年9月の15万円から1948年8月に50万円、1949年12月に150万円、1952年10月に350万円、1953年12月に600万円、1955年4月に1200万円、1957年4月に2400万円へと、ほぼ2年おきに積み増された。増資はいずれも既存株主への割当で、1対1から1対2の割合が繰り返されている。外部の資本を広く入れずに設備資金を賄う方式が、1950年代を通じて続いた。1952年5月には本社・工場を埼玉県大和田町へ移転し、研究機能と量産機能を一つの敷地へ集めている。研究所を出自とする会社が量産設備を持つには、研究と製造を隣り合わせに置くのが最も速い道だった。

  • 株式会社年鑑 1962年版
    • [11]資本金移動 1946年9月15万円→1948年8月50万円→1949年12月150万円→1952年10月350万円→1953年12月600万円→1955年4月1200万円→1957年4月2400万円
    • [12]資本金移動はいずれも株主割当(1対2・1対1・1対0.6の割合)
  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1952年5月 本社・工場を埼玉県大和田町へ移転
参考文献[1]-[13]
  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1937年10月 東邦電力創立50周年記念事業として財団法人東邦産業研究所が設立
    • [2]東邦産業研究所設立を主導したのは東邦電力社長の松永安左ヱ門
    • [5]1946年9月5日 東邦産研電気株式会社を埼玉県志紀町で設立(研究所解散後に半導体製造法・設備・研究員を継承)。設立を主導したのは半導体研究室主任で工学博士の小谷銕治
    • [8]創業期の主力商品はセレン整流器
    • [13]1952年5月 本社・工場を埼玉県大和田町へ移転
  • 株式会社年鑑 1962年版
    • [3]昭和14年(1939年)財団法人東邦産業研究所電気研究室にてセレン整流器の試作研究を開始
    • [6]設立時の資本金は15万円
    • [9]主なる取引先(販売)各種電源装置=日本電信電話公社、各種整流器=各官庁・電力会社・日本電気
    • [10]主なる取引先(仕入)シリコン=三井物産、鋼材=松本興業、電線=第一電工
    • [11]資本金移動 1946年9月15万円→1948年8月50万円→1949年12月150万円→1952年10月350万円→1953年12月600万円→1955年4月1200万円→1957年4月2400万円
    • [12]資本金移動はいずれも株主割当(1対2・1対1・1対0.6の割合)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [4]東邦産業研究所の半導体研究室は戦時中に軍の指定研究機関となり試作品を納入した実績がある
    • [7]創立宣言に「吾等は半導体工業に専念し吾国産業の発展に寄与する」の一項

1952年〜ゲルマニウムを飛ばしてシリコンへ賭けた製品転換

製品の世代交代をめぐる判断は早かった。拡散型シリコン整流素子を国内で初めて独自の技術で完成させたのは1958年のことで、研究所から生まれた技術者集団の研究力が量産品として形になった。出発点は1952年から53年頃にある。ゲルマニウム整流器が現れたとき、その研究で他社より遅れていた東邦産研電気は『ゲルマニウムはセレンからシリコンに代わる一過程に過ぎない』と見切りをつけ、他社より早くシリコンの開発に絞り込んだ。後れた技術に追いついて横並びになるより、次の世代で先頭に立つほうが確かだとする判断で、それを裏づけたのはセレンからシリコンへと続く素材のつながりだった。素材を一段飛び越えたこの選択が、その後の製品系列の起点となった。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [14]1958年 わが国ではじめて自社技術による拡散型シリコン整流素子を完成
    • [15]1952〜53年頃のゲルマニウム整流器登場時、同社はゲルマニウムを「セレンからシリコンに代わる一過程」と見切り他社に先がけてシリコン開発に専念

シリコン整流素子の完成は、製品系列の幅を広げた。1962年3月期時点の主な製品は、シリコン整流器・セレン整流器・亜酸化銅整流器・亜酸化銅変調器・SiCバリスター・CdSホトコン・自動電圧調整器・磁気増幅器・高速断ヒューズの9系列に及んでいる。素子そのものと、素子を組み込んだ装置の双方を持つ構成で、整流素子の技術が電源装置へ展開する経路が早くから開かれていた。人員も増え、1961年3月時点の従業員664人は、1963年3月時点で934人になっている素子の種類を増やす開発と、それを装置へ仕立てる設計の双方に人を割いた結果であり、製品数の多さは技術者集団という出自の裏返しでもあった。

  • 株式会社年鑑 1963年版
    • [16]1962年3月期時点の主なる事業内容はシリコン整流器・セレン整流器・亜酸化銅整流器・亜酸化銅変調器・SiCバリスター・CdSホトコン・自動電圧調整器・磁気増巾器・高速断ヒューズ
  • 株式会社年鑑 1962年版
    • [17]1961年3月時点の従業員664人
  • 株式会社年鑑 1964年版
    • [18]1963年3月時点の従業員934人

自社開発の一方で、外部の特許も取り込んだ。1958年10月に米ウエスタン・エレクトリック社とトランジスタの特許実施契約を結び、1959年4月には米RCA社と光導電素子製造法の特許実施契約を締結している。1961年10月には三菱電機とともに、米ウエスチングハウス社が持つインバータ特許の実施契約を結んだ。トランジスタの特許を得た1958年は、拡散型シリコン整流素子を自社技術で完成させた年でもある整流素子は自前で確立し、トランジスタと光導電素子は契約で手当てするという分け方であり、素子の開発で速度が要る分野では、自前にこだわらず外部技術を買うほうが合理的だった。

  • 株式会社年鑑 1962年版
    • [19]1958年10月 米国ウエスタン・エレクトリック社とトランジスター特許実施契約を締結
    • [20]1959年4月 米国RCA社と光導電素子製造法の特許実施契約を締結
  • 株式会社年鑑 1964年版
    • [21]1961年10月 三菱電機とともに米国ウエスチングハウス社所有のインバータ特許の実施契約を締結
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [22]1958年 わが国ではじめて自社技術による拡散型シリコン整流素子を完成
参考文献[14]-[22]
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [14]1958年 わが国ではじめて自社技術による拡散型シリコン整流素子を完成
    • [15]1952〜53年頃のゲルマニウム整流器登場時、同社はゲルマニウムを「セレンからシリコンに代わる一過程」と見切り他社に先がけてシリコン開発に専念
    • [22]1958年 わが国ではじめて自社技術による拡散型シリコン整流素子を完成
  • 株式会社年鑑 1963年版
    • [16]1962年3月期時点の主なる事業内容はシリコン整流器・セレン整流器・亜酸化銅整流器・亜酸化銅変調器・SiCバリスター・CdSホトコン・自動電圧調整器・磁気増巾器・高速断ヒューズ
  • 株式会社年鑑 1962年版
    • [17]1961年3月時点の従業員664人
    • [19]1958年10月 米国ウエスタン・エレクトリック社とトランジスター特許実施契約を締結
    • [20]1959年4月 米国RCA社と光導電素子製造法の特許実施契約を締結
  • 株式会社年鑑 1964年版
    • [18]1963年3月時点の従業員934人
    • [21]1961年10月 三菱電機とともに米国ウエスチングハウス社所有のインバータ特許の実施契約を締結

1960年〜店頭公開から東証二部上場と商号変更へ

1960年代に入ると、増資の速度は設備投資に引かれてさらに上がった。資本金は1960年4月に5000万円、1961年3月に1億2500万円、1962年6月に2億5000万円、そして4億円へと、3年で8倍になっている。1961年3月に株式を店頭公開し、同年10月には東京証券取引所市場第二部へ上場した。既存株主への割当増資を重ねるだけでは追いつかない規模に設備資金が達し、資本市場からの直接調達へ切り替えている。1961年3月末時点の借入金は長期・短期の双方に残高を抱え、三井銀行三菱銀行を主な取引先としていた銀行借入と株主割当の二本だけでは、素子の量産に要る設備を賄いきれなくなっていた。

  • 株式会社年鑑 1964年版
    • [23]資本金移動 1960年4月5000万円→1961年3月1億2500万円→1962年6月2億5000万円→4億円
  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1961年3月 株式店頭公開
    • [25]1961年10月 東京証券取引所市場第二部へ上場
  • 株式会社年鑑 1962年版
    • [26]1961年3月31日現在の借入金は長期・短期とも残高があり、取引金融機関は三井銀行・三菱銀行ほか

当時の決算期は3月と9月の年2回だった。1961年3月までの半期の売上高は4億2474万2000円、当期純利益は4241万9000円を計上している。1962年3月期は売上高5億1323万6000円・当期純利益5591万5000円、1963年3月期は売上高6億4432万円・当期純利益6782万円と、半期ごとの規模は2年で5割増えた。配当率は年15%を維持しており、利益の伸びを株主へ配りながら任意積立金も積み増している売上の増勢に利益の伸びが追いつく状態が、上場直後の数年は続いた。

  • 株式会社年鑑 1962年版
    • [27]決算期は3月・9月の年2回
    • [28]1961年3月期(半期)売上高424,742千円・当期純利益42,419千円
  • 株式会社年鑑 1963年版
    • [29]1962年3月期(半期)売上高513,236千円・当期純利益55,915千円
    • [31]各期の配当率は年15%
  • 株式会社年鑑 1964年版
    • [30]1963年3月期(半期)売上高644,320千円・当期純利益67,820千円
    • [32]剰余金処分で任意積立金を毎期積み増し(1962年3月期1万3000千円、1963年3月期1万5000千円ほか)

1962年6月、商号を東邦産研電気からサンケン電気へ変更した。社名は「SanKen」をローマ字で図案化した社章とともに制定され、研究機関の後継という出自から半導体メーカーへ、自己定義を移す節目になった。同じ1962年には自動車用シリコン整流素子の量産を他社に先がけて開発し、素子の用途を産業用から車載へ広げる入り口も開いている。商号変更と同じ月に資本金は2億5000万円へ倍増し、名称と資本の双方が新しい規模に合わせて置き直された。創業から16年で東証二部上場と商号変更にこぎ着けた過程は、戦後復興期に半導体素子の需要が伸びた追い風の上にあった。

  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1962年6月 商号を東邦産研電気からサンケン電気へ変更
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [34]社章は1962年の現社名変更時に制定、SanKenをそのままローマ字で図案化したもの
    • [35]1962年 自動車用シリコン整流素子の量産を他社に先がけて開発
  • 株式会社年鑑 1964年版
    • [36]1962年6月 資本金を1億2500万円から2億5000万円へ(1対1の株主割当)
参考文献[23]-[36]
  • 株式会社年鑑 1964年版
    • [23]資本金移動 1960年4月5000万円→1961年3月1億2500万円→1962年6月2億5000万円→4億円
    • [30]1963年3月期(半期)売上高644,320千円・当期純利益67,820千円
    • [32]剰余金処分で任意積立金を毎期積み増し(1962年3月期1万3000千円、1963年3月期1万5000千円ほか)
    • [36]1962年6月 資本金を1億2500万円から2億5000万円へ(1対1の株主割当)
  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1961年3月 株式店頭公開
    • [25]1961年10月 東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [33]1962年6月 商号を東邦産研電気からサンケン電気へ変更
  • 株式会社年鑑 1962年版
    • [26]1961年3月31日現在の借入金は長期・短期とも残高があり、取引金融機関は三井銀行・三菱銀行ほか
    • [27]決算期は3月・9月の年2回
    • [28]1961年3月期(半期)売上高424,742千円・当期純利益42,419千円
  • 株式会社年鑑 1963年版
    • [29]1962年3月期(半期)売上高513,236千円・当期純利益55,915千円
    • [31]各期の配当率は年15%
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [34]社章は1962年の現社名変更時に制定、SanKenをそのままローマ字で図案化したもの
    • [35]1962年 自動車用シリコン整流素子の量産を他社に先がけて開発

第2章 1963年〜 生産体制の多拠点化川越工場の量産から韓国サンケン・石川サンケンへ

筆者考察y.sugiura, author

1960年代以降のサンケン電気がやり続けたのは、工場を一か所にまとめないことだった。1963年の川越工場に始まり、1970年に鹿島サンケン、1973年に韓国サンケン、1974年にサンケン電設と、生産と事業の単位を次々に本社の外へ置いている。素子の組み立ては人手のかかる工程で、単価が下がるほど人件費の差が損益に直結する。国内の一拠点で抱え込めば、価格が下がった分はそのまま利益から引かれる。拠点を割り、安い工程を外へ出すことが、素子専業のまま規模を追う条件だった。1970年8月の東証一部上場は、その拡張を資本の側から支えている。

しかし拠点を分けるだけでは、市場そのものの縮みは受け止められなかった。1975年3月期、サンケン電気は5億円の経常損失を出し、翌期も3億円の赤字を重ねる。石油危機の後に設備投資と家電の需要が同時に冷えたとき、売上の53%を半導体素子が占める構成は、市場の下げをそのまま損益へ通した。立て直しに使ったのは、増やしてきた拠点を集約し直す手である。1978年、石川県下の関係会社5社を合併して石川サンケンに改めた。広げることと集約することは逆の動きに見えるが、どちらも同じ問いへの答えだった。素子の価格が下がり続ける市場で、固定費をどこに置くかという問いである。

1963年〜川越工場と5ヵ年計画が置いた成長の速度

1963年3月、埼玉県川越市に川越工場が竣工した。本社とは別の敷地に量産拠点を構え、素子の生産能力を需要の伸びに先んじて積んだ。同期の半期売上高は6億4432万円で、前年同期の5億1323万6000円から25%伸び、従業員は934人に達した。売上の内訳は半導体整流器が48.2%を占め、残りの大半を半導体素子が埋めており、整流器と素子体だけで事業が成り立つ単色の強い構成だった。大株主には埼玉銀行が7.2%を持ち、借入金も長期・短期それぞれ1億8000万円台を抱えている工場を建てる速度が、そのまま受注に応じられる限界を決めていた。

  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [37]1963年3月 埼玉県川越市に川越工場を竣工
  • 株式会社年鑑 1964年版
    • [38]1963年3月期(半期)売上高644,320千円、前年同期513,236千円
    • [39]1963年3月時点の従業員934人
    • [40]1963年3月期の商品別売上構成は半導体整流器48.2%、次いで半導体素子
    • [41]1963年3月31日現在の大株主筆頭は埼玉銀行360千株・7.2%
    • [42]1963年3月31日現在の借入金は長期180百万円・短期183百万円、取引金融機関は埼玉銀行ほか

1968年時点のサンケン電気は、創立25周年にあたる1971年9月期を到達点に置く5ヵ年計画を進めており、目標は三つあった。同期の売上高を35億円にすること、それまで年間成長率20%を維持すること、利益率も出発時と同じ5〜6%を保つことである。規模の拡大と収益性の維持を同時に縛る立て方で、伸び幅だけを追う計画ではない。技術の側では1966年にシリコンパワートランジスタが日本電信電話公社の初の認定品となり、創業以来の大口需要家から製品水準を認められている。1968年時点の資本金は6億円、従業員は1600人に増えた5年で売上を積み増しながら利益率を落とさない条件は、素子の価格が下がり続ける市場では相当に厳しい設定だった。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [43]創立25周年の1971年9月期を目標とする5ヵ年計画(売上高35億円・年間成長率20%維持・利益率5〜6%維持)
    • [44]1966年 シリコンパワートランジスタが日本電信電話公社(電電公社)の初の認定品となる
    • [45]1968年時点の資本金6億円・従業員1600名

素子の外側にある機器領域には、合弁で出た。プロテクターを生産する合弁会社サンケン・エアパクス社を設立して生産を開始し、自動電圧調整機を手がける次の合弁会社の設立も進めていた。自動電圧調整器そのものは1962年3月期時点で既に自社の製品系列に入っており、合弁は製品の新設ではなく、生産と販売の枠を広げる手だった。1968年時点の本社は埼玉県北足立郡新座町北野に置かれ、社長は創業から22年を経てなお創業者の小谷銕治が務めていた。主たる収益源はセレン・シリコン整流器とその素子体で、機器は合弁で足す位置づけにとどまっている。素子を作る技術と、素子を組み込んだ機器を市場へ出す力は別物であり、後者を相手先から取り込むほうが速かった。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [46]プロテクターを生産する合弁会社サンケン・エアパクス社を設立して生産を開始、自動電圧調整機の合弁会社設立も進行
    • [48]1968年時点の本社は埼玉県北足立郡新座町北野133
    • [49]1968年時点の社長は小谷銕治
    • [50]1968年時点の事業はセレン・シリコン整流器とその素子体ほか
  • 株式会社年鑑 1963年版
    • [47]1962年3月期時点の主なる事業内容に自動電圧調整器を含む
参考文献[37]-[50]
  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [37]1963年3月 埼玉県川越市に川越工場を竣工
  • 株式会社年鑑 1964年版
    • [38]1963年3月期(半期)売上高644,320千円、前年同期513,236千円
    • [39]1963年3月時点の従業員934人
    • [40]1963年3月期の商品別売上構成は半導体整流器48.2%、次いで半導体素子
    • [41]1963年3月31日現在の大株主筆頭は埼玉銀行360千株・7.2%
    • [42]1963年3月31日現在の借入金は長期180百万円・短期183百万円、取引金融機関は埼玉銀行ほか
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [43]創立25周年の1971年9月期を目標とする5ヵ年計画(売上高35億円・年間成長率20%維持・利益率5〜6%維持)
    • [44]1966年 シリコンパワートランジスタが日本電信電話公社(電電公社)の初の認定品となる
    • [45]1968年時点の資本金6億円・従業員1600名
    • [46]プロテクターを生産する合弁会社サンケン・エアパクス社を設立して生産を開始、自動電圧調整機の合弁会社設立も進行
    • [48]1968年時点の本社は埼玉県北足立郡新座町北野133
    • [49]1968年時点の社長は小谷銕治
    • [50]1968年時点の事業はセレン・シリコン整流器とその素子体ほか
  • 株式会社年鑑 1963年版
    • [47]1962年3月期時点の主なる事業内容に自動電圧調整器を含む

1970年〜一部上場と、生産の分散・海外進出

1970年2月、生産子会社として鹿島サンケン株式会社を設立した。本社から離れた立地に製造機能を置き、埼玉県内に集中していた生産を分散させる最初の手になっている。同年8月には東京証券取引所市場第一部へ上場し、戦前の研究所を起点とする会社が、創業から24年で一部上場企業の列に入った。1971年3月期の売上高は95億円・経常利益8億円・当期純利益4億円、1972年3月期は売上高97億円・経常利益4億円・当期純利益2億円で、規模は伸びても利益は半分に減少している。1972年3月期の経常利益率は4%まで下がり、5ヵ年計画が置いた5〜6%の水準を割り込んだ。

  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [51]1970年2月 鹿島サンケン株式会社を生産子会社として設立
    • [52]1970年8月 東証市場第一部へ上場
  • 会社年鑑 1976年版
    • [53]1971年3月期 売上高95億円・経常利益8億円・当期純利益4億円(単体)
    • [54]1972年3月期 売上高97億円・経常利益4億円・当期純利益2億円(単体)

1973年6月、韓国サンケン株式会社を設立し、初の海外拠点を置いた。半導体の組み立て工程は労働集約的で、素子の単価が下がるほど人件費の差が損益を左右する。韓国は日本企業の進出先として当時まだ早い時期にあたり、人件費差を取り込む狙いが先行した。進出は業績の拡大局面の途中で打たれている。1973年3月期の売上高は111億円・経常利益7億円、1974年3月期は売上高140億円・経常利益11億円・当期純利益5億円へ伸び、この2期が1970年代前半の頂点になった。利益の出ているうちに原価構造へ手を入れたという意味で、時期の選び方は的確だった。

  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [55]1973年6月 韓国サンケン株式会社を設立(初の海外子会社)
  • 会社年鑑 1976年版
    • [56]1973年3月期 売上高111億円・経常利益7億円(単体)
    • [57]1974年3月期 売上高140億円・経常利益11億円・当期純利益5億円(単体)

1974年4月、サンケン電設株式会社を設立して電設機器分野へ参入した。半導体素子の需要が設備投資と家電の景気に強く振られるのに対し、電設工事は建築と公共事業の側に需要を持つ。顧客層の異なる事業を並べることで、単一市場の変動を受け止める体制へ向かう動きだった。1975年3月期の半期の売上構成は、半導体素子が53%、電源機器が35%、その他が12%で、素子への偏りは残りつつも電源機器が3分の1を占めている。素子と、素子を組み込んだ機器と、その外側の工事という三層が、この時期に一通り揃った。

  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [58]1974年4月 サンケン電設株式会社を設立(電設機器分野へ参入)
  • 会社年鑑 1976年版
    • [59]1975年3月期(半期)の売上構成は半導体素子53%・電源機器35%・その他12%
参考文献[51]-[59]
  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [51]1970年2月 鹿島サンケン株式会社を生産子会社として設立
    • [52]1970年8月 東証市場第一部へ上場
    • [55]1973年6月 韓国サンケン株式会社を設立(初の海外子会社)
    • [58]1974年4月 サンケン電設株式会社を設立(電設機器分野へ参入)
  • 会社年鑑 1976年版
    • [53]1971年3月期 売上高95億円・経常利益8億円・当期純利益4億円(単体)
    • [54]1972年3月期 売上高97億円・経常利益4億円・当期純利益2億円(単体)
    • [56]1973年3月期 売上高111億円・経常利益7億円(単体)
    • [57]1974年3月期 売上高140億円・経常利益11億円・当期純利益5億円(単体)
    • [59]1975年3月期(半期)の売上構成は半導体素子53%・電源機器35%・その他12%

1975年〜石油危機後の連続赤字と生産会社の集約

1975年3月期、サンケン電気は5億円の経常損失を計上し、当期純損益も4億円の赤字に転じた。売上高は前期の140億円から121億円へ減少している。翌1976年3月期は売上高144億円と戻したものの、経常損失3億円・当期純損失3億円を出して、赤字は2期続いた。2期を合わせた経常損失は8億円にのぼり、1974年3月期に計上した経常利益11億円の大半を吐き出す規模になっている。石油危機の後、設備投資と家電の需要が同時に冷え込んだ局面であり、素子に偏った売上構成が市場の下げをそのまま損益へ通した。設立から30年を経て、技術の先行では埋まらない種類の損失を、この2期にはじめて抱えた。

  • 会社年鑑 1976年版
    • [60]1975年3月期 経常損失5億円・当期純損失4億円(単体)
    • [61]1975年3月期 売上高121億円、前期1974年3月期140億円(単体)
    • [63]1975年3月期の経常損失5億円と1976年3月期の経常損失3億円、1974年3月期の経常利益11億円(単体)
  • 会社年鑑
    • [62]1976年3月期 売上高144億円・経常損失3億円・当期純損失3億円(単体)

1977年3月期に収益は戻り、売上高189億円に対し経常利益13億円、当期純利益7億円を計上した。ただし利益の水準は続かず、1978年3月期は売上高194億円に対し経常利益2億円・当期純利益1億円、1979年3月期は売上高235億円に対し経常利益2億円・当期純利益5600万円と、規模の拡大に利益の回復がついてこない期間が3年続いている。1975年3月期に121億円だった売上高は4年で倍近くへ伸びた一方、経常利益は1977年3月期の13億円を頂点に低下した。売上が伸びても利益率が戻らない状態は、素子の価格下落が数量の増加を打ち消していたことを示す。

  • 会社年鑑
    • [64]1977年3月期 売上高189億円・経常利益13億円・当期純利益7億円(単体)
    • [65]1978年3月期 売上高194億円・経常利益2億円・当期純利益1億円(単体)
    • [66]1979年3月期 売上高235億円・経常利益2億円・当期純利益5600万円(単体)
    • [67]1975年3月期 売上高121億円、1979年3月期 売上高235億円(単体)

1978年7月、石川県下の関係会社5社を合併して石川サンケン株式会社を設立した。各地に分散していた生産会社を県単位で統合する整理で、管理と間接部門を圧縮する意味を持っている。1980年3月期の売上高は274億円・経常利益5億円、当期純利益は1億円で、収益は緩やかに回復した。1963年の川越工場から1970年代の鹿島・韓国・石川まで、この18年でサンケン電気は一つの敷地に研究と量産を集めた会社から、国内外へ生産会社を並べる会社へ形を変えた。分散した拠点を再び集約し直す作業は、以後も繰り返されることになる。

  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [68]1978年7月 石川県下の関係会社5社を合併して石川サンケン株式会社を設立
  • 会社年鑑
    • [69]1980年3月期 売上高274億円・経常利益5億円(単体)
    • [70]1980年3月期 当期純利益1億円(単体)
参考文献[60]-[70]
  • 会社年鑑 1976年版
    • [60]1975年3月期 経常損失5億円・当期純損失4億円(単体)
    • [61]1975年3月期 売上高121億円、前期1974年3月期140億円(単体)
    • [63]1975年3月期の経常損失5億円と1976年3月期の経常損失3億円、1974年3月期の経常利益11億円(単体)
  • 会社年鑑
    • [62]1976年3月期 売上高144億円・経常損失3億円・当期純損失3億円(単体)
    • [64]1977年3月期 売上高189億円・経常利益13億円・当期純利益7億円(単体)
    • [65]1978年3月期 売上高194億円・経常利益2億円・当期純利益1億円(単体)
    • [66]1979年3月期 売上高235億円・経常利益2億円・当期純利益5600万円(単体)
    • [67]1975年3月期 売上高121億円、1979年3月期 売上高235億円(単体)
    • [69]1980年3月期 売上高274億円・経常利益5億円(単体)
    • [70]1980年3月期 当期純利益1億円(単体)
  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
    • [68]1978年7月 石川県下の関係会社5社を合併して石川サンケン株式会社を設立

第3章 1981-1999 (気が向いたら執筆します!) 山形・福島サンケンの新設とスプレーグ買収によるAllegro MicroSystems設立

第4章 2000-2026 (気が向いたら執筆します!) アジア生産拠点の拡張とエフィッシモのTOB、AllegroとポーラーSemiconductorの連結除外

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

歴史年表 1937〜2024年

サンケン電気の沿革1937〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1937〜1962年東邦産業研究所を継いだ独立とシリコンへの転換故松永安左ヱ門氏により㈶東邦産業研究所が設立されセレン整流器の試作研究を開始★★
東邦産研電気を設立
本社・工場を移転
株式店頭公開開始
東京証券取引所市場第二部に上場
商号をサンケン電気と変更
1963〜1980年川越工場と海外進出による生産の分散、石油危機下の赤字からの立て直し川越工場竣工
鹿島サンケンを設立
東京証券取引所市場第一部に上場
サンケンを設立
サンケン電設を設立
石川県下の関係会社5社を合併し石川サンケンを設立
1981〜1999年山形・福島サンケンの新設とスプレーグ買収によるAllegro MicroSystems設立山形サンケンを設立
福島サンケンを設立
サンケン エレクトリック ホンコン カンパニーを設立
スプレーグ テクノロジーズ半導体部門を買収しAllegro MicroSystems Incを設立★★
ピーティー サンケン インドネシアを設立
2000〜2026年アジア生産拠点の拡張とエフィッシモのTOB、AllegroとポーラーSemiconductorの連結除外サンケン エレクトリック コリアを設立
台湾三墾電気股份有限公司を設立
ポーラー ファブ エルエルシーを買収しポーラー セミコンダクター インクを設立
サンケンオプトプロダクツを設立
飯島貞利サンケンロジスティクスを新設分割により設立
飯島貞利サンケン ノースアメリカ インクを設立
和田節サンケン エレクトリック(タイランド)カンパニー リミテッドを設立
和田節投資ファンドの支配的株主への台頭と、経営の主導権の移り変わり

2021年2月9日、旧村上ファンド系のエフィッシモ・キャピタル・マネージメントが投資権限を握るファンドが、サンケン電気株の所有割合を9.97%から30.00%へ引き上げるとして公開買付け(TOB)を開始した。買付価格は1株5,205円、買付代金の枠は251億円であった。サンケン電気は2月24日に賛否を示さない"中立"の立場を表明し、TOBは上限に届かないまま成立して、エフィッシモの保有比率は19.16%へ上がった。

詳細を読む
★★★
和田節サンケン電設の株式の全てをGSユアサに譲渡
髙橋広Allegro MicroSystems Incの公募増資・株式売却により持分法適用関連会社化★★
髙橋広ポーラー セミコンダクター エルエルシーが連結対象から除外
出典・参考 7件
出典・参考
  • サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
  • 株式会社年鑑 1962年版
  • 株式会社年鑑 1963年版
  • 株式会社年鑑 1964年版
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 会社年鑑 1976年版
  • 会社年鑑

免責事項およびポリシー