歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1937年、東邦電力創立50周年記念事業として松永安左ヱ門が財団法人東邦産業研究所を設けた。ここでセレン整流器の試作研究が始まったが、終戦で研究所は解散へ向かう。半導体研究室主任の小谷銕治が研究員と設備を引き継いで1946年9月に東邦産研電気を埼玉に設立し、整流器を主力に事業を立ち上げた。1962年に社名をサンケン電気へ改め、研究機関の後継から半導体メーカーへ業態を移した。
決断1990年、サンケン電気は米国マサチューセッツでAllegro MicroSystemsを設立し、Sprague Electricの半導体部門を取得した。車載用磁気センサ・パワーICの技術蓄積を取り込み、北米の設計開発とアジアの組立・国内の生産技術を結ぶ分業を敷いた。FY07には経常利益113億円・売上2038億円を記録する一方、FY14には半導体デバイスが全社売上の8割近くを占めるに至り、連結業績は米国子会社一社の調子に強く左右される構造へ変わった。
決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く
- Q なぜ研究機関の後継だったサンケン電気は、1950年代にいち早くシリコン半導体へ専念したのか
- A 研究機関の後継というサンケン電気の出自は、量産設備も顧客基盤も乏しい一方で、新材料を見極める研究力を残した。後発でゲルマニウムを追うより、次に主流となる材料へ先回りするほうが、研究力を量産で活かせると小谷銕治氏は読んだ。1952〜53年のゲルマニウム整流器登場に際し「セレンからシリコンに代わる一過程に過ぎない」と見切り、他社に先がけてシリコン開発に専念した。1958年に国産初の拡散型シリコン整流素子を完成させ、半導体一筋という創立宣言を技術で裏づけた。
- Q なぜサンケン電気は1990年に米Sprague社の半導体部門を取得し、Allegroを米国に設立したのか
- A 国内のパワー半導体メーカーが、車載用の磁気センサやパワーICの技術と北米顧客への足場を一から築くには時間がかかりすぎる。既にその蓄積を持つ米国部門を丸ごと取り込めば、技術と設計拠点を同時に手に入れられると判断した。1990年、サンケン電気は米マサチューセッツでSprague Electricの半導体部門を取得しAllegro MicroSystemsを設立、北米の設計開発・アジアの組立・国内の生産技術を結ぶ分業を敷いた。Allegroは車載半導体で稼ぎ、のちに連結売上の約4割を占める収益源へ育った。
- Q なぜサンケン電気は、34年間連結の主役だったAllegroを2024年に連結から外したのか
- A 2020年のAllegroのNASDAQ上場で、子会社の時価総額が親会社サンケン電気の4〜5倍に達する親子逆転が生じ、本体の価値が割安に置かれているとの見方が強まった。連結の主役を抱え続けるより、持分を売って得た資金を成長投資と財務改善に回すほうが理にかなう。2024年8月、サンケン電気は保有比率を引き下げてAllegroを持分法適用関連会社とし、約1370億円の売却資金を中期経営計画SK-26の遂行・有利子負債の削減・株主還元に充てた。34年連結の主役だった米国子会社は連結外へ出た。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1937年〜1980年 戦後復興期の半導体黎明と東邦産研の系譜を継ぐ独立
東邦電力の研究機関から独立した整流器メーカーへの転換
1937年10月、東邦電力創立50周年記念事業として、当時の社長松永安左ヱ門により財団法人東邦産業研究所が設立された[1][2]。研究所の半導体研究室ではセレン整流器の試作研究が始まり、戦時下には軍の指定研究機関として試作品を納入した実績も残した[3]。終戦により研究所は1946年に解散へ向かったが、半導体研究室主任で工学博士の小谷銕治が技術者と設備を引き継ぐ判断を下し、同年9月に東邦産研電気株式会社が埼玉県志紀町で設立された[4]。資本金は15万円という小さな船出で、社名は前身の研究機関名をそのまま引き継ぎ、技術の連続性を社外にも示す意味合いを持った。創立宣言には「吾等は半導体工業に専念し吾国産業の発展に寄与する」という一項が掲げられ[5]、研究所由来の技術者集団が半導体一筋に進む初志が刻まれた。
戦後復興期の電気機器需要にあわせ、東邦産研電気はセレン整流器を主力商品として事業を立ち上げた[7]。1952年5月には本社・工場を埼玉県大和田町へ移転し[6]、研究所機能と量産機能を一体化する体制を整えた。製品の世代交代をめぐる判断は早かった。1952〜53年頃にゲルマニウム整流器が登場した際、その研究では他社に後れていた同社は「ゲルマニウムはセレンからシリコンに代わる一過程に過ぎない」と見切り、他社に先がけてシリコンの開発に専念した[8]。その結果、1958年にはわが国ではじめて自社技術による拡散型シリコン整流素子を完成させ[9]、研究所出身の技術者集団が持つ研究力を量産製品の開発で示した。前身の研究所が松永安左ヱ門・東邦電力という戦前期の電力大手と接点を持っていた経緯は、戦後の取引基盤としても残り、産業用電源向け半導体の納入先を支えた。
1961年3月の店頭公開を経て同年10月、東京証券取引所市場第二部へ上場した[10]。上場により半導体素子の量産投資に資金を投じる道筋ができた。翌1962年6月、社名を東邦産研電気からサンケン電気に変更し[11]、現在の社名が定着した。社名変更は単なる名称差し替えに留まらず、研究機関の後継から半導体メーカーへ自己定義を移す節目として社内外に示された。技術面でも事業の柱が定まりつつあった。1962年には自動車用シリコン整流素子の量産を他社に先がけて開発し[12]、後年の車載半導体事業へつながる入り口を開いた。さらに1966年にはシリコンパワートランジスタが日本電信電話公社の初の認定品となり[13]、研究所由来の技術水準の高さを社外に示した。創業から四半世紀を経ずに東証二部上場と社名変更にこぎ着けた過程は、戦後復興期に半導体素子需要が伸びた追い風の上にあった。
国内生産網拡張と1973年の海外進出第一歩
1963年3月には埼玉県川越市に川越工場を竣工し[14]、半導体素子の量産拠点を埼玉県内で増強する体制が定着した。1968年時点の同社は、創立25周年の1971年9月期を到達点に置く5ヵ年計画を進めており、同期の売上高35億円・年間成長率20%維持・利益率5〜6%維持という三つの数字を掲げ[15]、半導体専業のまま規模拡大と収益維持の両立を狙った。事業領域の拡張には合弁も用い、プロテクターを生産するサンケン・エアバクス社を設立して生産を始め、自動電圧調整機を手がける次の合弁会社の設立も進めた[16]。1970年8月には東京証券取引所市場第一部へ上場し[17]、戦前の研究所を起点とする企業がわずか33年で一部へ到達した。同時期の1970年2月には鹿島サンケン株式会社を生産子会社として設立し[18]、本社と離れた立地で集積回路向けの製造機能を持たせ、1970年代半ばまでに本社川越・鹿島の2極体制が組み上がった。
1973年6月、韓国サンケン株式会社を設立して海外進出の第一歩を記した[19]。日本企業の韓国進出としては比較的早い時期の事例で、半導体組み立て工程の人件費差を取り込む狙いが先行した。1974年4月にはサンケン電設株式会社を設立して電設機器分野への参入を進め[20]、半導体だけでなく電源装置・社会システム分野へ事業領域を広げる初期段階の布石が打たれた。1978年7月には石川県下の関係会社5社を合併して石川サンケン株式会社を設立し[21]、地域別に分散していた生産機能を集約する整理が進んだ。1981年10月には山形サンケン株式会社を、1988年3月には福島サンケン株式会社を設立した[22]。
1980年代の入り口にあたる1978〜1981年、サンケン電気の事業構造は半導体素子・電源装置・社会システムの3分野構成へ向けて骨組みが固まった[23]。半導体素子は家電・産業機器向けのトランジスタ・ダイオード、電源装置は産業用スイッチング電源、社会システムは航空障害灯・LED表示器などの公共インフラ向け製品である。各分野はそれぞれ異なる顧客層を持ち、相互の景気変動を打ち消す事業ポートフォリオの形を取った。研究所から引き継いだ技術系企業文化と、戦後復興期の国内需要のもとで組み上がった3分野構成は、1990年代以降30年以上にわたって同社の事業構造の基本形として残った。
1981年〜2015年 海外展開とパワー半導体事業の世界規模拡張
米国Allegro設立と1990年代の世界展開拠点網
1980年代に入ってサンケン電気は海外展開を本格化させた。1988年には香港[24]、1990年に米国Allegro MicroSystems Inc.の設立[25]、1991年にインドネシア、1996年に中国・タイなどへ生産販売拠点を増設した。とくに1990年に米国マサチューセッツ州で設立されたAllegro MicroSystemsは、もともとSprague Electric社の半導体部門を取得して立ち上げた拠点で[26]、車載用磁気センサ・パワーICの技術蓄積を取り込んだ買収だった。米国子会社が自動車向けセンサ・ICで強みを持つ構造は、1990年代以降30年以上にわたって同社の連結業績を左右する変数として残った。
1992年から1995年にかけては松丘半導体・サンケン精機・サンケン電装などの国内グループ会社を相次いで設立し、国内外で半導体・電源・社会システムの製造機能を分散配置する体制が整った。Allegroの北米事業とアジア組立工程・国内設計開発の三層構造ができあがり、米国の車載半導体技術を国内の生産技術で量産する分業モデルが定着した。1996年4月には中国・天津のサンケン電気天津有限公司を、1998年にはサンケン台湾を設立し、東アジア向けの半導体組立網が広がっていった。FY01の連結売上高は1400億円、FY06には2038億円までほぼ50%増のペースで伸びた。
2000年代に入り連結売上高は1400億〜2000億円規模で推移し、2007年3月期には経常利益113億円・売上高2038億円の高水準を記録した。家電・産業機器市場の伸びに加え、米国Allegroが車載半導体で収益を伸ばす局面が重なった結果だった。一方、2008年9月のリーマンショックにあわせて世界半導体需要は急減し、FY09の連結売上高は1341億円・経常損失60億円まで落ち込んだ。経常利益は2007年3月期の113億円から2010年3月期にかけて急落し、FY09・FY10は連続赤字となった。海外展開の拡大期に作り上げた拠点網は、世界同時不況の局面で固定費を圧迫し、FY09・FY10の連続赤字へ直結した。
中期計画とAllegro NASDAQ準備に伴う転換期
リーマンショック後の業績回復期、サンケン電気は中期経営計画のもとで車載半導体事業への注力姿勢を社外公表した。2014年3月期には連結売上高1607億円・経常利益103億円まで回復し、Allegro MicroSystemsを中核とする車載パワーIC事業の収益力が再確認された。同期間には半導体デバイス事業の売上が全社売上の8割近くを占め、電源(パワーシステム)事業の比率は2割程度に縮んだ[27]。連結業績がAllegro一社の調子に強く左右される構造は、米国子会社の自動車市場依存と表裏一体の関係にあり、車載市場の景気変動が連結利益に直結する事業形態へ移った。
2015年4月には連結業績の中核として半導体デバイス事業の存在感が高まる一方、パワーシステム事業ではマレーシア法人を設立して東南アジア向け電源市場の取り込みを図った。FY15には連結売上高1559億円・経常利益38億円・親会社株主帰属純利益2億円という低空飛行に陥り、為替変動と東南アジア需要の弱含みが響いた。Allegro側でも車載市場の競合激化と技術投資負担が増しており、サンケン本体の利益貢献度合いは年度ごとに振れ幅が広い構造になった。連結の主役が米国子会社にある体制は、2020年代の事業選択判断においてAllegro持分見直しの検討課題となった。
2010年代後半までに半導体デバイス事業・パワーシステム事業・社会システム事業の3分野構成は、規模・収益貢献度の両面で半導体デバイス事業への偏重が定着した。社会システム事業は売上規模で全社の数%程度に留まり、独立事業として維持する経営合理性が薄れていった。FY17・FY18には連結営業利益が120億円・105億円と回復したが、半導体デバイス事業以外の貢献は限定的で、Allegro一社の収益力に経営の浮沈が連動する構造はむしろ強まった。この事業ポートフォリオの偏重は、2020年代の事業選択集中の議論を整備する経営課題として残り、Allegroの位置づけ見直しを含む経営判断の素材となった。
2016年〜2025年 事業選択集中とAllegro持分減で塗り替わる連結体
中期計画SK-13と社会システム事業のGSユアサ譲渡
2018年からはじまる中期経営計画SK-13は、事業ポートフォリオの整理を経営課題の中心に据えた[28]。FY18の連結業績は売上高1752億円・経常利益118億円ながら、親会社株主帰属純利益はマイナス114億円と特別損失計上で赤字に転じた。事業構造改革の一環として計上した減損損失が顕在化した結果で、Allegro・パワーシステム双方で資産価値を見直した結果でもあった。FY19・FY20は経常利益で黒字を維持したが、新型コロナ感染拡大期にあたるFY20の純利益はマイナス56億円、FY21は売上1568億円で経常損失34億円・純利益マイナス70億円という連続赤字に陥った。Allegro一社依存の構造が連続赤字を拡大した格好だった。
2020年9月、サンケン電気は米国子会社Allegro MicroSystemsをNASDAQに上場させ、サンケン保有比率を引き下げる第一段階を実行した[29]。同月、STマイクロエレクトロニクスとの戦略的パートナーシップを締結し、SiC(炭化ケイ素)パワーデバイスの共同開発へ踏み込んだ。2021年5月にはサンケン電設株式会社を吸収分割で承継し、その全株式をGSユアサへ譲渡することで社会システム事業から撤退した[30]。1974年に設立して以来約50年続いた電設事業は[31]、本社事業との連携が薄れていた領域で、同社はこの譲渡を事業選択集中を象徴する経営判断と位置づけた。同年9月には「ものづくり開発センター」が竣工し、国内生産技術の刷新拠点が稼働を始めた。
2022年4月、東証市場区分の見直しに伴いプライム市場へ移行した[32]。FY22の連結売上高は1757億円・経常利益137億円と回復軌道に乗り、Allegroの車載パワーICが伸びるなかで連結損益も改善した。サンケン本体としては、Allegro持分の段階的減と社会システム譲渡で連結規模が縮む一方、車載半導体の伸長で収益性は逆に高まる事業構造への変更が実行された。連結業績の景気感応度はむしろ高まる側面もあったが、本体側のパワーモジュール・自動車向け半導体事業に経営資源を集中させる方向性は中期計画SK-13で明示された通りに進んだ[33]。
Allegro連結除外と新中期計画SK-26への移行
2023年5月、新潟県柏崎市に新潟サンケン株式会社を設立し、車載パワーモジュールの量産拠点として本格稼働へ向かった[34]。同年12月にはEK Co. Ltd.(韓国EK)の全株式を取得して子会社化し[35]、韓国市場での車載・産業向け半導体販売網を強化した。FY23の連結売上高は2254億円・経常利益272億円・純利益95億円と過去最高水準に近づき、車載パワー半導体の回復と社会システム譲渡の効果が同時に顕在化した局面だった。連結業績の主軸はAllegroにあったが、本体側のパワーモジュール事業も新潟拠点投資により拡張の準備を進めた段階だった。
2024年8月、Allegro MicroSystems Incの公募増資・株式売却を通じてサンケン保有比率を引き下げ、連結子会社から持分法適用関連会社へ再定義した[36]。さらに同年9月にはポーラー セミコンダクター エルエルシーが直接出資からLP出資へ転換し連結対象から外れた[37]。1990年に設立してから34年間連結の主役として収益貢献した米国子会社Allegroが連結外へ出ることで[38]、サンケン電気本体としての事業規模・連結業績の姿は2025年3月期以降短期間で縮小した。FY24の連結売上高は2352億円・経常利益182億円ながら純利益はマイナス81億円、FY25は売上1216億円・経常損失143億円・純利益はAllegro持分譲渡益などで509億円となった。
2025年3月、格付投資情報センターよりA-格付(方向性:安定的)を取得した。Allegro連結除外で売上規模は前年度比約半減となるなか、車載パワーモジュール・SiCデバイス・新潟サンケン稼働を軸とする2024年中期経営計画(SK-26、4ヶ年計画)が動き出した[39]。同計画では収益性改善を最優先課題に据え、xEV向けパワーモジュールの拡大を成長ドライバーに位置付け、自動車市場向け売上比率50%超を目標として掲げた。1937年の研究所創設から88年を経て[40]、サンケン電気はAllegro持分減を経て本体型のパワー半導体メーカーへ事業構造を変え、本社・新潟・韓国EK・タイ拠点を結ぶ車載パワーモジュール製造網に経営資源を集中させる局面に入った。