サンケン電気の出発点にあったのは工場ではなく、解散する研究機関から持ち出した人と装置だった。1946年の設立時、資本金は15万円しかない。小谷銕治が引き継いだのは東邦産業研究所の半導体研究室そのもので、技術者と実験設備がそのまま会社の資産になった。この出自は、以後の判断の形を決めている。ゲルマニウム整流器が現れたとき、この会社は追いつく努力を選ばず、セレンからシリコンへ素材を一段飛ばした。研究室を母体とする組織にとって、他社に遅れた技術で並ぶことより、誰も完成させていない領域で最初に量産までたどり着くことのほうが、手持ちの力の使い方として理に適っていた。1958年の拡散型シリコン整流素子は、その読みが当たったことを示している。
技術で先行しても、買い手の顔ぶれまでは変えられなかった。1961年時点の販売先は日本電信電話公社と各官庁、電力会社、そして日本電気であり、仕様と価格を決めるのは常に需要家の側にある。値付けの主導権を持てない以上、増えた利益は次の素子を作る設備へ充当するほかない。資本金は1946年の15万円から1962年の2億5000万円へ、16年で1600倍を超えた。株主割当の増資を重ねるだけでは足りず、1961年3月に店頭公開、同年10月に東証二部上場という順で外部資本を入れている。社名を東邦産研電気からサンケン電気へ改めたのは、その翌年である。研究機関の後継という名乗りを外した時点で、この会社は半導体メーカーとして数えられる側へ移った。
1937年10月、東邦電力創立50周年記念事業として、当時の社長松永安左ヱ門により財団法人東邦産業研究所が設立された。研究所の電気研究室では1939年からセレン整流器の試作研究が始まり、戦時下には軍の指定研究機関として試作品を納入した実績も残した。終戦により研究所は解散へ向かったが、半導体研究室主任で工学博士の小谷銕治が技術者と設備を引き継ぐ判断を下し、1946年9月5日に東邦産研電気株式会社が埼玉県志紀町で設立された。資本金は15万円にとどまり、社名は前身の研究機関名をそのまま継いだ。自前の工場も特許も持たない出発であり、元手になったのは研究室が抱えていた人と装置だけだった。
創立宣言には『吾等は半導体工業に専念し吾国産業の発展に寄与する』という一項が掲げられた。研究所出身の技術者集団が半導体一筋に進む初志は、この一文で社外にも固定された。創業期の主力商品はセレン整流器で、戦後復興期の電気機器需要がその販路を支えた。販売先は各種電源装置が日本電信電話公社、各種整流器が各官庁・電力会社・日本電気であり、素子単体だけでなく装置へ組み上げた形でも納めた。仕入面ではシリコンを三井物産、鋼材を松本興業、電線を第一電工から取っている。買い手が公共インフラと電機大手に偏る構図は創業期から変わらず、価格と仕様の主導権は需要家の側にあった。
東邦産研電気の資本金は、1946年9月の15万円から1948年8月に50万円、1949年12月に150万円、1952年10月に350万円、1953年12月に600万円、1955年4月に1200万円、1957年4月に2400万円へと、ほぼ2年おきに積み増された。増資はいずれも既存株主への割当で、1対1から1対2の割合が繰り返されている。外部の資本を広く入れずに設備資金を賄う方式が、1950年代を通じて続いた。1952年5月には本社・工場を埼玉県大和田町へ移転し、研究機能と量産機能を一つの敷地へ集めている。研究所を出自とする会社が量産設備を持つには、研究と製造を隣り合わせに置くのが最も速い道だった。
製品の世代交代をめぐる判断は早かった。拡散型シリコン整流素子を国内で初めて独自の技術で完成させたのは1958年のことで、研究所から生まれた技術者集団の研究力が量産品として形になった。出発点は1952年から53年頃にある。ゲルマニウム整流器が現れたとき、その研究で他社より遅れていた東邦産研電気は『ゲルマニウムはセレンからシリコンに代わる一過程に過ぎない』と見切りをつけ、他社より早くシリコンの開発に絞り込んだ。後れた技術に追いついて横並びになるより、次の世代で先頭に立つほうが確かだとする判断で、それを裏づけたのはセレンからシリコンへと続く素材のつながりだった。素材を一段飛び越えたこの選択が、その後の製品系列の起点となった。
シリコン整流素子の完成は、製品系列の幅を広げた。1962年3月期時点の主な製品は、シリコン整流器・セレン整流器・亜酸化銅整流器・亜酸化銅変調器・SiCバリスター・CdSホトコン・自動電圧調整器・磁気増幅器・高速断ヒューズの9系列に及んでいる。素子そのものと、素子を組み込んだ装置の双方を持つ構成で、整流素子の技術が電源装置へ展開する経路が早くから開かれていた。人員も増え、1961年3月時点の従業員664人は、1963年3月時点で934人になっている。素子の種類を増やす開発と、それを装置へ仕立てる設計の双方に人を割いた結果であり、製品数の多さは技術者集団という出自の裏返しでもあった。
自社開発の一方で、外部の特許も取り込んだ。1958年10月に米ウエスタン・エレクトリック社とトランジスタの特許実施契約を結び、1959年4月には米RCA社と光導電素子製造法の特許実施契約を締結している。1961年10月には三菱電機とともに、米ウエスチングハウス社が持つインバータ特許の実施契約を結んだ。トランジスタの特許を得た1958年は、拡散型シリコン整流素子を自社技術で完成させた年でもある。整流素子は自前で確立し、トランジスタと光導電素子は契約で手当てするという分け方であり、素子の開発で速度が要る分野では、自前にこだわらず外部技術を買うほうが合理的だった。
1960年代に入ると、増資の速度は設備投資に引かれてさらに上がった。資本金は1960年4月に5000万円、1961年3月に1億2500万円、1962年6月に2億5000万円、そして4億円へと、3年で8倍になっている。1961年3月に株式を店頭公開し、同年10月には東京証券取引所市場第二部へ上場した。既存株主への割当増資を重ねるだけでは追いつかない規模に設備資金が達し、資本市場からの直接調達へ切り替えている。1961年3月末時点の借入金は長期・短期の双方に残高を抱え、三井銀行と三菱銀行を主な取引先としていた。銀行借入と株主割当の二本だけでは、素子の量産に要る設備を賄いきれなくなっていた。
当時の決算期は3月と9月の年2回だった。1961年3月までの半期の売上高は4億2474万2000円、当期純利益は4241万9000円を計上している。1962年3月期は売上高5億1323万6000円・当期純利益5591万5000円、1963年3月期は売上高6億4432万円・当期純利益6782万円と、半期ごとの規模は2年で5割増えた。配当率は年15%を維持しており、利益の伸びを株主へ配りながら任意積立金も積み増している。売上の増勢に利益の伸びが追いつく状態が、上場直後の数年は続いた。
1962年6月、商号を東邦産研電気からサンケン電気へ変更した。社名は「SanKen」をローマ字で図案化した社章とともに制定され、研究機関の後継という出自から半導体メーカーへ、自己定義を移す節目になった。同じ1962年には自動車用シリコン整流素子の量産を他社に先がけて開発し、素子の用途を産業用から車載へ広げる入り口も開いている。商号変更と同じ月に資本金は2億5000万円へ倍増し、名称と資本の双方が新しい規模に合わせて置き直された。創業から16年で東証二部上場と商号変更にこぎ着けた過程は、戦後復興期に半導体素子の需要が伸びた追い風の上にあった。
1960年代以降のサンケン電気がやり続けたのは、工場を一か所にまとめないことだった。1963年の川越工場に始まり、1970年に鹿島サンケン、1973年に韓国サンケン、1974年にサンケン電設と、生産と事業の単位を次々に本社の外へ置いている。素子の組み立ては人手のかかる工程で、単価が下がるほど人件費の差が損益に直結する。国内の一拠点で抱え込めば、価格が下がった分はそのまま利益から引かれる。拠点を割り、安い工程を外へ出すことが、素子専業のまま規模を追う条件だった。1970年8月の東証一部上場は、その拡張を資本の側から支えている。
しかし拠点を分けるだけでは、市場そのものの縮みは受け止められなかった。1975年3月期、サンケン電気は5億円の経常損失を出し、翌期も3億円の赤字を重ねる。石油危機の後に設備投資と家電の需要が同時に冷えたとき、売上の53%を半導体素子が占める構成は、市場の下げをそのまま損益へ通した。立て直しに使ったのは、増やしてきた拠点を集約し直す手である。1978年、石川県下の関係会社5社を合併して石川サンケンに改めた。広げることと集約することは逆の動きに見えるが、どちらも同じ問いへの答えだった。素子の価格が下がり続ける市場で、固定費をどこに置くかという問いである。
1963年3月、埼玉県川越市に川越工場が竣工した。本社とは別の敷地に量産拠点を構え、素子の生産能力を需要の伸びに先んじて積んだ。同期の半期売上高は6億4432万円で、前年同期の5億1323万6000円から25%伸び、従業員は934人に達した。売上の内訳は半導体整流器が48.2%を占め、残りの大半を半導体素子が埋めており、整流器と素子体だけで事業が成り立つ単色の強い構成だった。大株主には埼玉銀行が7.2%を持ち、借入金も長期・短期それぞれ1億8000万円台を抱えている。工場を建てる速度が、そのまま受注に応じられる限界を決めていた。
1968年時点のサンケン電気は、創立25周年にあたる1971年9月期を到達点に置く5ヵ年計画を進めており、目標は三つあった。同期の売上高を35億円にすること、それまで年間成長率20%を維持すること、利益率も出発時と同じ5〜6%を保つことである。規模の拡大と収益性の維持を同時に縛る立て方で、伸び幅だけを追う計画ではない。技術の側では1966年にシリコンパワートランジスタが日本電信電話公社の初の認定品となり、創業以来の大口需要家から製品水準を認められている。1968年時点の資本金は6億円、従業員は1600人に増えた。5年で売上を積み増しながら利益率を落とさない条件は、素子の価格が下がり続ける市場では相当に厳しい設定だった。
素子の外側にある機器領域には、合弁で出た。プロテクターを生産する合弁会社サンケン・エアパクス社を設立して生産を開始し、自動電圧調整機を手がける次の合弁会社の設立も進めていた。自動電圧調整器そのものは1962年3月期時点で既に自社の製品系列に入っており、合弁は製品の新設ではなく、生産と販売の枠を広げる手だった。1968年時点の本社は埼玉県北足立郡新座町北野に置かれ、社長は創業から22年を経てなお創業者の小谷銕治が務めていた。主たる収益源はセレン・シリコン整流器とその素子体で、機器は合弁で足す位置づけにとどまっている。素子を作る技術と、素子を組み込んだ機器を市場へ出す力は別物であり、後者を相手先から取り込むほうが速かった。
1970年2月、生産子会社として鹿島サンケン株式会社を設立した。本社から離れた立地に製造機能を置き、埼玉県内に集中していた生産を分散させる最初の手になっている。同年8月には東京証券取引所市場第一部へ上場し、戦前の研究所を起点とする会社が、創業から24年で一部上場企業の列に入った。1971年3月期の売上高は95億円・経常利益8億円・当期純利益4億円、1972年3月期は売上高97億円・経常利益4億円・当期純利益2億円で、規模は伸びても利益は半分に減少している。1972年3月期の経常利益率は4%まで下がり、5ヵ年計画が置いた5〜6%の水準を割り込んだ。
1973年6月、韓国サンケン株式会社を設立し、初の海外拠点を置いた。半導体の組み立て工程は労働集約的で、素子の単価が下がるほど人件費の差が損益を左右する。韓国は日本企業の進出先として当時まだ早い時期にあたり、人件費差を取り込む狙いが先行した。進出は業績の拡大局面の途中で打たれている。1973年3月期の売上高は111億円・経常利益7億円、1974年3月期は売上高140億円・経常利益11億円・当期純利益5億円へ伸び、この2期が1970年代前半の頂点になった。利益の出ているうちに原価構造へ手を入れたという意味で、時期の選び方は的確だった。
1974年4月、サンケン電設株式会社を設立して電設機器分野へ参入した。半導体素子の需要が設備投資と家電の景気に強く振られるのに対し、電設工事は建築と公共事業の側に需要を持つ。顧客層の異なる事業を並べることで、単一市場の変動を受け止める体制へ向かう動きだった。1975年3月期の半期の売上構成は、半導体素子が53%、電源機器が35%、その他が12%で、素子への偏りは残りつつも電源機器が3分の1を占めている。素子と、素子を組み込んだ機器と、その外側の工事という三層が、この時期に一通り揃った。
1975年3月期、サンケン電気は5億円の経常損失を計上し、当期純損益も4億円の赤字に転じた。売上高は前期の140億円から121億円へ減少している。翌1976年3月期は売上高144億円と戻したものの、経常損失3億円・当期純損失3億円を出して、赤字は2期続いた。2期を合わせた経常損失は8億円にのぼり、1974年3月期に計上した経常利益11億円の大半を吐き出す規模になっている。石油危機の後、設備投資と家電の需要が同時に冷え込んだ局面であり、素子に偏った売上構成が市場の下げをそのまま損益へ通した。設立から30年を経て、技術の先行では埋まらない種類の損失を、この2期にはじめて抱えた。
1977年3月期に収益は戻り、売上高189億円に対し経常利益13億円、当期純利益7億円を計上した。ただし利益の水準は続かず、1978年3月期は売上高194億円に対し経常利益2億円・当期純利益1億円、1979年3月期は売上高235億円に対し経常利益2億円・当期純利益5600万円と、規模の拡大に利益の回復がついてこない期間が3年続いている。1975年3月期に121億円だった売上高は4年で倍近くへ伸びた一方、経常利益は1977年3月期の13億円を頂点に低下した。売上が伸びても利益率が戻らない状態は、素子の価格下落が数量の増加を打ち消していたことを示す。
1978年7月、石川県下の関係会社5社を合併して石川サンケン株式会社を設立した。各地に分散していた生産会社を県単位で統合する整理で、管理と間接部門を圧縮する意味を持っている。1980年3月期の売上高は274億円・経常利益5億円、当期純利益は1億円で、収益は緩やかに回復した。1963年の川越工場から1970年代の鹿島・韓国・石川まで、この18年でサンケン電気は一つの敷地に研究と量産を集めた会社から、国内外へ生産会社を並べる会社へ形を変えた。分散した拠点を再び集約し直す作業は、以後も繰り返されることになる。
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|---|---|---|---|---|
| 1937〜1962年東邦産業研究所を継いだ独立とシリコンへの転換 | 故松永安左ヱ門氏により㈶東邦産業研究所が設立されセレン整流器の試作研究を開始 | ★★ | ||
| 東邦産研電気を設立 | ★ | |||
| 本社・工場を移転 | ★ | |||
| 株式店頭公開開始 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 商号をサンケン電気と変更 | ★ | |||
| 1963〜1980年川越工場と海外進出による生産の分散、石油危機下の赤字からの立て直し | 川越工場竣工 | ★ | ||
| 鹿島サンケンを設立 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | |||
| サンケンを設立 | ★ | |||
| サンケン電設を設立 | ★ | |||
| 石川県下の関係会社5社を合併し石川サンケンを設立 | ★ | |||
| 1981〜1999年山形・福島サンケンの新設とスプレーグ買収によるAllegro MicroSystems設立 | 山形サンケンを設立 | ★ | ||
| 福島サンケンを設立 | ★ | |||
| サンケン エレクトリック ホンコン カンパニーを設立 | ★ | |||
| スプレーグ テクノロジーズ半導体部門を買収しAllegro MicroSystems Incを設立 | ★★ | |||
| ピーティー サンケン インドネシアを設立 | ★ | |||
| 2000〜2026年アジア生産拠点の拡張とエフィッシモのTOB、AllegroとポーラーSemiconductorの連結除外 | サンケン エレクトリック コリアを設立 | ★ | ||
| 台湾三墾電気股份有限公司を設立 | ★ | |||
| ポーラー ファブ エルエルシーを買収しポーラー セミコンダクター インクを設立 | ★ | |||
| サンケンオプトプロダクツを設立 | ★ | |||
| 飯島貞利 | サンケンロジスティクスを新設分割により設立 | ★ | ||
| 飯島貞利 | サンケン ノースアメリカ インクを設立 | ★ | ||
| 和田節 | サンケン エレクトリック(タイランド)カンパニー リミテッドを設立 | ★ | ||
| 和田節 | 投資ファンドの支配的株主への台頭と、経営の主導権の移り変わり 2021年2月9日、旧村上ファンド系のエフィッシモ・キャピタル・マネージメントが投資権限を握るファンドが、サンケン電気株の所有割合を9.97%から30.00%へ引き上げるとして公開買付け(TOB)を開始した。買付価格は1株5,205円、買付代金の枠は251億円であった。サンケン電気は2月24日に賛否を示さない"中立"の立場を表明し、TOBは上限に届かないまま成立して、エフィッシモの保有比率は19.16%へ上がった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 和田節 | サンケン電設の株式の全てをGSユアサに譲渡 | ★ | ||
| 髙橋広 | Allegro MicroSystems Incの公募増資・株式売却により持分法適用関連会社化 | ★★ | ||
| 髙橋広 | ポーラー セミコンダクター エルエルシーが連結対象から除外 | ★ |
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事実根拠:出所(サンケン電気)