1951年〜 トランジスタからDRAM首位へ、そしてNAND型フラッシュメモリの発明
- 1987年 東芝が世界初のNAND型フラッシュメモリを発明
- 1991年 NAND型フラッシュメモリの量産を開始
- 1992年 四日市工場(三重県)を設立
トランジスタ試作からDRAM製造で世界首位に立った東芝の半導体
キオクシアの源流は、母体である東芝(東京芝浦電気)の半導体事業にさかのぼる。東京芝浦電気は1951年1月、川崎市の小向工場でトランジスタを試作し、日本でも早い時期に固体素子へ踏み込んだ。1956年ごろまでには東京通信工業(後のソニー)や日立製作所などとともに、米ベル研究所・ウェスタン・エレクトリックからトランジスタ技術のライセンスを受けた最初期の日本企業の一社となった。真空管に代わる電子デバイスの国産化に早くから加わり、半導体の量産技術を社内に育てたことが、のちのメモリ事業の技術的な土台になった。 [1][2]
- [1]東京芝浦電気が1951年1月に川崎市の小向工場でトランジスタを試作した
- [2]東京芝浦電気は1956年ごろまでにベル研究所・ウェスタン・エレクトリックのトランジスタ技術ライセンシー最初期5社の一社となった
東芝は集積回路の時代に入るとメモリで存在感を高めた。1980年代のDRAM開発では、微細化の難しい立体構造ではなく平面セルと低消費電力のCMOSを採り、量産のしやすさで先行した。1MビットDRAMでは消費電力を従来の半分以下に抑えて歩留まりを高め、1986年には月産100万個の体制を築いてこの製品分野で世界の首位に立った。同じ1986年には日本勢が半導体全体の世界シェアで米国を抜き、東芝もNEC・日立とともに上位を占めた。この急伸は日米半導体摩擦を招き、1986年9月には日米半導体協定が結ばれてダンピング規制と外国製品のシェア拡大が求められた。 [3][4][5]
- [3]東芝は1MビットDRAMで平面セルとCMOSを採り、1986年に月産100万個の体制を築いてこの製品分野で世界首位となった
- [4]1986年に日本の半導体世界シェアが米国を抜き、東芝もNEC・日立とともに上位を占めた
- [5]1986年9月に日米半導体協定が結ばれた
- [1]東京芝浦電気が1951年1月に川崎市の小向工場でトランジスタを試作した
- [2]東京芝浦電気は1956年ごろまでにベル研究所・ウェスタン・エレクトリックのトランジスタ技術ライセンシー最初期5社の一社となった
- [3]東芝は1MビットDRAMで平面セルとCMOSを採り、1986年に月産100万個の体制を築いてこの製品分野で世界首位となった
- [4]1986年に日本の半導体世界シェアが米国を抜き、東芝もNEC・日立とともに上位を占めた
- [5]1986年9月に日米半導体協定が結ばれた
舛岡富士雄が発明し、東芝が名付けた「フラッシュメモリ」
キオクシアの主力製品であるフラッシュメモリは、東芝の技術者の発明だった。舛岡富士雄氏は1980年ごろから川崎の研究拠点で不揮発性メモリの開発を進め、1984年に電子デバイスの国際会議IEDMで、一つのトランジスタで記憶する小型のフラッシュメモリ(後のNOR型)を発表した。さらに1987年のIEDMでは、素子をまとめて配線し面積あたりの記憶容量を高めたNAND型フラッシュメモリを世界で初めて発表した。一括して素早く消せる様子がカメラのフラッシュを思わせることから、同僚の有泉章二氏が「フラッシュ」と名付けたとされる。名前も技術も東芝から生まれた。 [6][7]
- [6]舛岡富士雄が1984年のIEDMでNOR型、1987年のIEDMで世界初のNAND型フラッシュメモリを発表した
- [7]「フラッシュ」の名称は東芝の有泉章二が提案したとされる
東芝は1991年に世界で初めて4MビットのNAND型フラッシュメモリを製品化し、1992年には三重県に四日市工場を設けて量産の基盤を築いた。ただし東芝は同じ1992年、NAND技術を韓国のサムスン電子へライセンス供与した。サムスンはこれを足がかりに巨額を投じてNANDを量産し、のちに世界最大のメモリメーカーへ成長する。発明した当の東芝が、事業化の速度と投資の規模でサムスンに市場の先行を許したという評価は、この分野を語る際にしばしば指摘される。発明者の舛岡富士雄氏は処遇への不満から1994年に東芝を離れて東北大学教授へ転じ、後年は発明対価をめぐって東芝を提訴し、2006年に和解した。 [8][9][10]
- [8]東芝は1991年に世界初の4MビットNAND型フラッシュメモリを製品化した
- [9]東芝は1992年に四日市工場を設け、同年NAND技術をサムスン電子へライセンス供与した
- [10]舛岡富士雄は1994年に東芝を退職して東北大学教授となり、発明対価をめぐる訴訟は2006年に和解した
- [6]舛岡富士雄が1984年のIEDMでNOR型、1987年のIEDMで世界初のNAND型フラッシュメモリを発表した
- [10]舛岡富士雄は1994年に東芝を退職して東北大学教授となり、発明対価をめぐる訴訟は2006年に和解した
- [7]「フラッシュ」の名称は東芝の有泉章二が提案したとされる
- [8]東芝は1991年に世界初の4MビットNAND型フラッシュメモリを製品化した
- [9]東芝は1992年に四日市工場を設け、同年NAND技術をサムスン電子へライセンス供与した