創業地東京都港区
創業年2019
上場年2024
創業者-
1951年〜 トランジスタからDRAM首位へ、そしてNAND型フラッシュメモリの発明
1987 東芝が世界初のNAND型フラッシュメモリを発明
1991 NAND型フラッシュメモリの量産を開始
1992 四日市工場(三重県)を設立

キオクシアの源流は、母体である東芝が1951年に川崎の小向工場でトランジスタを試作して始めた半導体事業にさかのぼる。1980年代には低消費電力のCMOSを採った1MビットDRAMで量産の先頭に立ち、1986年に日本が半導体の世界シェアで米国を抜く一翼を担った。同社の技術者・舛岡富士雄氏は1984年にNOR型、1987年にNAND型フラッシュメモリを世界で初めて発表し、「フラッシュ」の名も東芝から生まれた。東芝は1991年に世界初の4MビットNANDを製品化して1992年に四日市工場を設けたが、同年サムスン電子へ技術を供与し、事業化の速さと投資規模で市場の先行を許した

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2000年〜 汎用DRAMからの撤退とSanDisk合弁によるNAND専業化、そして3次元への転換
2000 米サンディスクグループとフラッシュメモリで協業を開始
2001 汎用DRAM事業からの撤退を決定
2002 四日市工場の生産に向けサンディスクと合弁のフラッシュビジョン有限会社を設立
2007 3次元フラッシュメモリ技術を開発
2011 東芝の社内カンパニーとしてセミコンダクター&ストレージ社を設置
2015 48層積層プロセスのBiCS FLASHのサンプル出荷を開始

2000年、東芝は米サンディスクとフラッシュメモリの合弁を組み、2001年には価格競争の激しい汎用DRAMから撤退して工場をマイクロンへ売却し、発明したNAND型フラッシュへ事業を絞った。四日市工場はサンディスクとの合弁を器に製造棟を増やし、300ミリウエハと微細化の世代交代で記憶容量あたりの単価を下げていった。平面での微細化が限界に近づくと、2007年に記憶素子を垂直に積むBiCS FLASHの技術を開発し、2015年には48層品のサンプル出荷へ進む。2011年に社内カンパニーへ括られたメモリは、総合電機である東芝のなかで最も多くの利益を生む収益基盤へ育っていった

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2017年〜 東芝の経営危機による分社・売却と、ベイン連合の下でのキオクシア誕生
2017 東芝がメモリ事業の分社化の方針を決定
2017 メモリ・SSD事業の承継を目的に旧東芝メモリ株式会社を設立
2017 東芝からメモリ事業(SSDを含む)を会社分割により承継
2018 東芝が旧東芝メモリの全株式をベインキャピタル連合の買収目的会社Pangeaへ譲渡
2019 ブランド名称をキオクシアへ刷新し、グループ各社の社名を変更
2019 単独株式移転により東芝メモリホールディングス株式会社(現キオクシアホールディングス)を設立

2015年に発覚した会計不正と、2017年3月の米ウェスチングハウスの経営破綻で債務超過の危機に立った東芝は、稼ぎ頭のメモリ事業の売却へ動いた。2017年4月にメモリ事業を東芝メモリ株式会社へ分社し、9月にベインキャピタル主導の買収目的会社Pangeaと株式譲渡契約を結ぶ。合弁相手ウエスタンデジタルの仲裁や中国の独占禁止審査を越え、2018年6月1日に約2兆円で売却が完了した。議決権はベインが49.9%、東芝が40.2%、HOYAが9.9%で、東芝は総額3,505億円を再出資して残った。2019年10月、東芝メモリはキオクシアへ社名を改め、東芝の名を離れて独立の道を歩み始めた

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2020年〜 ウエスタンデジタルとの統合破談を越えた上場と、過去最高益への到達
2020 台湾ライトオン子会社SSSTCとその関係会社の全株式を取得
2022 四日市工場の第7製造棟が竣工
2023 米ウエスタンデジタルとのメモリ事業統合交渉が、株主SKハイニックスの同意を得られず決裂
2023 218層積層プロセスの第8世代BiCS FLASHを試作
2024 東京証券取引所プライム市場に株式を上場
2024 北上工場の第2製造棟の建屋が完成
2022年3月期 連結
売上高 15,265億円
純利益 1,059億円
純利益率 6.9%
2026年3月期 連結
売上高 23,376億円
純利益 5,545億円
純利益率 23.7%

独立したキオクシアは上場を目指したが、2020年は米中対立と対ファーウェイ規制で延期し、2021年から模索したウエスタンデジタルとの経営統合も、株主SKハイニックスの同意を得られず2023年10月に破談した。単独路線のまま2024年12月18日、公開価格1,455円で東証プライムに上場する。メモリ市況は激しく振れ、2024年3月期の純損失2,437億円から、生成AIとデータセンター需要で2026年3月期には売上高2兆3,376億円・純利益5,545億円と過去最高へ回復した。上場後、東芝は保有を17.59%へ落として実質的な筆頭株主となり、ベインは2026年7月に完全撤退する。経営は成毛康雄氏・早坂伸夫氏・太田裕雄氏と、東芝育ちの技術者が受け継いだ。

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決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く

Q なぜ東芝はメモリ事業を手放したのか
A 東芝本体の経営危機のためである。2015年7月に第三者委員会が営業利益の過大計上(約1,518億円)を認定して経営陣が退き、追って2017年3月には米原子力子会社ウェスチングハウスが連邦破産法第11章を申請、東芝は巨額損失で債務超過に陥り、二期連続なら上場廃止という瀬戸際に立った。手元でもっとも高く売れる資産が、成長を続けるメモリ事業だった。東芝は2017年にメモリ事業を分社し、外部への売却で短期に自己資本を回復させる道を選んだ。虎の子を手放したのは、成長性を見限ったからではなく、本体を延命させる資金を他に確保できなかったからである。
Q なぜベインキャピタル連合が買い手になったのか
A 技術と生産を日本に残しつつ、外資の資金力で巨額の取引を成立させる折衷が必要だったためである。入札には米ブロードコム連合や鴻海、SKハイニックス、ウエスタンデジタルが名乗りを上げ、提示額は2兆円を超えたが、機微な技術の海外流出を警戒する声もあり、東芝は2017年6月、ベインキャピタルが主導する日米韓連合を優先交渉先に選んだ。決め手となったのは議決権の設計で、ベインが49.9%を握る一方、再出資した東芝が40.2%、HOYAが9.9%で日本勢が過半を占め、SKハイニックスは当面議決権を持たない転換社債で加わった。外資の資本力と、主導権を日本に残す体裁とを両立させた連合が、最後に残った。
Q なぜウエスタンデジタルとの経営統合は破談したのか
A 株主であるSKハイニックスの同意が得られなかったためである。四日市と北上の工場を折半で運営する両社が一つになれば、首位サムスン電子に迫る規模のNANDメーカーが生まれるはずで、2021年の株式交換案を経て2023年に交渉が再燃した。しかし2018年の買収連合に転換社債で参加し、キオクシアの企業価値に大きな利害を持つSKハイニックスは、競合との統合が自らの投資価値を損なうとして反対し、パンゲアを組成したベインとの条件も折り合わなかった。発明の系譜を分け合う両社を一つにする構想は、複雑な資本の連立に阻まれ、2023年10月に破談した。その後ウエスタンデジタルは、フラッシュ事業をサンディスクとして切り離す道へ転じた。
Q なぜ上場は4年遅れたのか
A 独立直後に狙った上場が、地政学と市況の逆風で二度にわたり見送られたためである。キオクシアは2020年10月の東証上場を目指したが、米中対立と対ファーウェイ輸出規制、新型コロナ下の市況軟化を理由に、同年9月に延期した。主力顧客だったファーウェイへの米国の制裁が、メモリ販売の先行きを曇らせていた。2023年にはウエスタンデジタルとの統合交渉が破談し、上場の前提が揺らぐ。2024年も9月に、想定した企業価値の下振れと市況の回復遅れから10月上場を見送った。結局、生成AIによるメモリ需要がはっきりした2024年12月18日に、公開価格1,455円で4年越しの上場を果たした

出典・参考文献

歴史概要

決断の理由