キオクシアホールディングス の歴史

創業

2019年

創業者

東芝

創業地

東京都港区

直近売上高(2026/3)

23,376億円

長期業績と転換点(2022/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ東芝はメモリ事業を手放したのか
A 東芝本体の経営危機のためである。2015年7月に第三者委員会が営業利益の過大計上(約1,518億円)を認定して経営陣が退き、追って2017年3月には米原子力子会社ウェスチングハウスが連邦破産法第11章を申請、東芝は巨額損失で債務超過に陥り、二期連続なら上場廃止という瀬戸際に立った。手元でもっとも高く売れる資産が、成長を続けるメモリ事業だった。東芝は2017年にメモリ事業を分社し、外部への売却で短期に自己資本を回復させる道を選んだ。虎の子を手放したのは、成長性を見限ったからではなく、本体を延命させる資金を他に確保できなかったからである。
Q なぜベインキャピタル連合が買い手になったのか
A 技術と生産を日本に残しつつ、外資の資金力で巨額の取引を成立させる折衷が必要だったためである。入札には米ブロードコム連合や鴻海、SKハイニックス、ウエスタンデジタルが名乗りを上げ、提示額は2兆円を超えたが、機微な技術の海外流出を警戒する声もあり、東芝は2017年6月、ベインキャピタルが主導する日米韓連合を優先交渉先に選んだ。決め手となったのは議決権の設計で、ベインが49.9%を握る一方、再出資した東芝が40.2%、HOYAが9.9%で日本勢が過半を占め、SKハイニックスは当面議決権を持たない転換社債で加わった。外資の資本力と、主導権を日本に残す体裁とを両立させた連合が、最後に残った。
Q なぜウエスタンデジタルとの経営統合は破談したのか
A 株主であるSKハイニックスの同意が得られなかったためである。四日市と北上の工場を折半で運営する両社が一つになれば、首位サムスン電子に迫る規模のNANDメーカーが生まれるはずで、2021年の株式交換案を経て2023年に交渉が再燃した。しかし2018年の買収連合に転換社債で参加し、キオクシアの企業価値に大きな利害を持つSKハイニックスは、競合との統合が自らの投資価値を損なうとして反対し、パンゲアを組成したベインとの条件も折り合わなかった。発明の系譜を分け合う両社を一つにする構想は、複雑な資本の連立に阻まれ、2023年10月に破談した。その後ウエスタンデジタルは、フラッシュ事業をサンディスクとして切り離す道へ転じた。
Q なぜ上場は4年遅れたのか
A 独立直後に狙った上場が、地政学と市況の逆風で二度にわたり見送られたためである。キオクシアは2020年10月の東証上場を目指したが、米中対立と対ファーウェイ輸出規制、新型コロナ下の市況軟化を理由に、同年9月に延期した。主力顧客だったファーウェイへの米国の制裁が、メモリ販売の先行きを曇らせていた。2023年にはウエスタンデジタルとの統合交渉が破談し、上場の前提が揺らぐ。2024年も9月に、想定した企業価値の下振れと市況の回復遅れから10月上場を見送った。結局、生成AIによるメモリ需要がはっきりした2024年12月18日に、公開価格1,455円で4年越しの上場を果たした

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1951年〜 トランジスタからDRAM首位へ、そしてNAND型フラッシュメモリの発明

  1. 1987年 東芝が世界初のNAND型フラッシュメモリを発明
  2. 1991年 NAND型フラッシュメモリの量産を開始
  3. 1992年 四日市工場(三重県)を設立

トランジスタ試作からDRAM製造で世界首位に立った東芝の半導体

キオクシアの源流は、母体である東芝(東京芝浦電気)の半導体事業にさかのぼる。東京芝浦電気は1951年1月、川崎市の小向工場でトランジスタを試作し、日本でも早い時期に固体素子へ踏み込んだ。1956年ごろまでには東京通信工業(後のソニー)や日立製作所などとともに、米ベル研究所・ウェスタン・エレクトリックからトランジスタ技術のライセンスを受けた最初期の日本企業の一社となった。真空管に代わる電子デバイスの国産化に早くから加わり、半導体の量産技術を社内に育てたことが、のちのメモリ事業の技術的な土台になった。 [1][2]

東芝は集積回路の時代に入るとメモリで存在感を高めた。1980年代のDRAM開発では、微細化の難しい立体構造ではなく平面セルと低消費電力のCMOSを採り、量産のしやすさで先行した。1MビットDRAMでは消費電力を従来の半分以下に抑えて歩留まりを高め、1986年には月産100万個の体制を築いてこの製品分野で世界の首位に立った。同じ1986年には日本勢が半導体全体の世界シェアで米国を抜き、東芝もNEC・日立とともに上位を占めた。この急伸は日米半導体摩擦を招き、1986年9月には日米半導体協定が結ばれてダンピング規制と外国製品のシェア拡大が求められた。 [3][4][5]

舛岡富士雄が発明し、東芝が名付けた「フラッシュメモリ」

キオクシアの主力製品であるフラッシュメモリは、東芝の技術者の発明だった。舛岡富士雄氏は1980年ごろから川崎の研究拠点で不揮発性メモリの開発を進め、1984年に電子デバイスの国際会議IEDMで、一つのトランジスタで記憶する小型のフラッシュメモリ(後のNOR型)を発表した。さらに1987年のIEDMでは、素子をまとめて配線し面積あたりの記憶容量を高めたNAND型フラッシュメモリを世界で初めて発表した。一括して素早く消せる様子がカメラのフラッシュを思わせることから、同僚の有泉章二氏が「フラッシュ」と名付けたとされる。名前も技術も東芝から生まれた。 [6][7]

東芝は1991年に世界で初めて4MビットのNAND型フラッシュメモリを製品化し、1992年には三重県に四日市工場を設けて量産の基盤を築いた。ただし東芝は同じ1992年、NAND技術を韓国のサムスン電子へライセンス供与した。サムスンはこれを足がかりに巨額を投じてNANDを量産し、のちに世界最大のメモリメーカーへ成長する。発明した当の東芝が、事業化の速度と投資の規模でサムスンに市場の先行を許したという評価は、この分野を語る際にしばしば指摘される。発明者の舛岡富士雄氏は処遇への不満から1994年に東芝を離れて東北大学教授へ転じ、後年は発明対価をめぐって東芝を提訴し、2006年に和解した。 [8][9][10]

2000年〜 汎用DRAMからの撤退とSanDisk合弁によるNAND専業化、そして3次元への転換

  1. 2000年 サンディスクグループとフラッシュメモリで協業を開始
  2. 2001年 汎用DRAM事業からの撤退を決定
  3. 2002年 四日市工場の生産に向けサンディスクと合弁のフラッシュビジョンを設立
  4. 2007年 3次元フラッシュメモリ技術を開発
  5. 2011年 東芝の社内カンパニーとしてセミコンダクター&ストレージ社を設置
  6. 2015年 48層積層プロセスのBiCS FLASHのサンプル出荷を開始

サンディスクとの合弁と汎用DRAM撤退が決めたNAND一本化

2000年、東芝は米サンディスクとフラッシュメモリで協業を始め、四日市での生産に向けて折半出資の合弁を設けた。翌2001年12月には汎用DRAM事業からの撤退を決め、米バージニア州の工場をマイクロン・テクノロジーへ売却した。価格競争の激しい汎用DRAMを手放し、発明したNAND型フラッシュへ経営資源を集中する選択である。以後、東芝のメモリ事業はNANDとその応用製品を軸に据え、四日市を中核の生産拠点として設備を積み増した。総合電機である東芝のなかで、メモリは独自の投資サイクルを持つ事業へと性格を変えた。 [11][12]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [11]2000年に東芝は米サンディスクとフラッシュメモリで協業を開始し、折半出資の合弁を設けた
    • [12]2001年12月に東芝は汎用DRAM事業からの撤退を決め、バージニア州の工場をマイクロンへ売却した

四日市工場はサンディスクとの合弁を通じて拡張を続けた。両社は工場を東芝が所有・運営し、生産設備への投資と産出ウエハを折半で分け合う枠組みを重ね、フラッシュパートナーズ、フラッシュアライアンス、フラッシュフォワードといった合弁会社を通じて製造棟を増やした。300ミリウエハに対応した製造棟を相次いで立ち上げ、微細化の世代交代で記憶容量あたりの単価を下げた。サムスン電子やSKハイニックスとの間で微細化と増産の競争が続くなか、東芝とサンディスクの連合は世界のNAND市場で有数の供給者としての地位を保った。 [13]

3次元へ転じたBiCS FLASHと東芝の収益基盤への成長

微細化が物理的な限界に近づくと、東芝は記憶素子を垂直に積み上げる3次元化へ進んだ。2007年に3次元フラッシュメモリ技術を開発し、後にこれをBiCS FLASHと名付けて実用化を目指した。2011年には東芝の社内カンパニーとしてセミコンダクター&ストレージ社を置き、メモリとSSDを担う組織を明確にした。スマートフォンやデータセンターの普及で大容量メモリの需要が伸び、メモリは総合電機である東芝のなかで最も多くの利益を生む事業へと育った。原子力や社会インフラと並ぶ収益基盤でありながら、必要な投資の規模と市況の振れは他の事業とは際立って異なっていた。 [14]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [14]東芝は2007年に3次元フラッシュメモリ技術を開発し、2011年に社内カンパニーのセミコンダクター&ストレージ社を設置した

2015年には48層を積み上げたBiCS FLASHのサンプル出荷を始め、3次元NANDの量産へと向かった。設備投資の負担は年々重くなり、合弁相手のサンディスクは2016年5月に米ウエスタンデジタルへ買収された。これにより四日市の合弁事業の相手は、ハードディスク大手のウエスタンデジタルへと引き継がれる。世代を追うごとに巨額の投資を要するNANDの拡張競争のなかで、東芝メモリ事業の資金需要は膨らみ続けた。この投資負担の重さが、まもなく訪れる東芝本体の経営危機のなかで、メモリ事業の帰趨を左右する要因の一つになる。 [15][16]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [14]東芝は2007年に3次元フラッシュメモリ技術を開発し、2011年に社内カンパニーのセミコンダクター&ストレージ社を設置した
    • [15]2015年に48層のBiCS FLASHのサンプル出荷を始めた
    • [16]合弁相手のサンディスクは2016年5月に米ウエスタンデジタルへ買収された

2017年〜 東芝の経営危機による分社・売却と、ベイン連合の下でのキオクシア誕生

  1. 2017年 旧東芝メモリを設立
  2. 2017年 東芝からメモリ事業(SSDを含む)を会社分割により承継
  3. 2018年 東芝メモリの分社とベインキャピタル連合による取得、そしてキオクシアの誕生 東芝が発明し最も稼いだメモリ事業は、親会社の危機のなかでどのように切り出され、外資ファンド連合の下で独立を果たしたのか
  4. 2018年 Pangeaが旧東芝メモリを吸収合併し東芝メモリに商号変更
  5. 2018年 四日市工場の第6製造棟とメモリ開発センターが竣工
  6. 2019年 単独株式移転により東芝メモリHDを設立
  7. 2019年 ブランド名称をキオクシアへ刷新

会計不正とウェスチングハウス破綻が迫った虎の子の売却

メモリ事業が東芝の手を離れる引き金は、本体の経営危機だった。2015年、第三者委員会は東芝が2008年度以降に営業利益を計約1,518億円過大に計上していたと認定し、田中久雄社長ら経営陣が引責辞任した。追い打ちをかけたのが米原子力子会社ウェスチングハウスである。建設コストの膨張で巨額ののれん減損を迫られ、2017年3月にはウェスチングハウスが米連邦破産法第11章の適用を申請した。東芝は多額の損失で債務超過に陥る恐れに直面し、二期連続なら上場廃止となる瀬戸際に立たされた。手元でもっとも高く売れる資産が、成長を続けるメモリ事業だった。 [17][18]

東芝は2017年、メモリ事業を切り出す準備に入った。2月に承継の受け皿として旧東芝メモリ株式会社を設立し、4月にはメモリとSSDの事業を会社分割によってこの新会社へ移した。総合電機の一部門だったメモリが、独立した会社として単体で評価される体制になった。分社したうえで株式を外部へ売る枠組みは、債務超過を短期間で解消するための資金づくりであると同時に、投資負担の重いメモリ事業を東芝本体の信用力から切り離す意味も持っていた。ここから、世界の半導体大手や投資ファンドを巻き込む争奪戦が始まる。 [19]

入札合戦とウエスタンデジタルとの紛争を経た約2兆円での取得

東芝メモリの売却には、ブロードコム連合、鴻海(フォックスコン)、SKハイニックス、ウエスタンデジタルなどが名乗りを上げ、提示額は2兆円を超える水準まで競り上がった。2017年6月に東芝は産業革新機構・日本政策投資銀行・ベインキャピタル・SKハイニックスからなる日米韓連合を優先交渉先に選び、9月にベインキャピタルが主導する買収目的会社Pangeaと株式譲渡契約を結んだ。一方で合弁相手のウエスタンデジタルは、東芝が持分を第三者へ移すには自社の同意が要ると主張して国際仲裁を申し立て、売却の差し止めを求めた。この紛争は同年12月、合弁を延長・強化する条件で包括的に和解した。 [20][21]

最後の関門だった中国の独占禁止当局の承認を経て、売却は2018年6月1日に完了した。買収額は約2兆円で、当時の日本では最大級の企業売却である。受け皿のPangeaの議決権は、ベインキャピタルが49.9%、再出資した東芝が40.2%、光学部品大手のHOYAが9.9%という構成で、日本勢が合わせて過半を握る設計だった。東芝は普通株と優先株を合わせ総額3,505億円を出し直して大株主として残り、SKハイニックスは将来株式へ転換できる社債で参加した。アップルやデルなど連合に名を連ねた米企業は議決権を持たない形で資金を出した。日本に技術と生産を残す配慮と、外資ファンドが主導する資本の論理とが同居する株主構成だった。 [22][23]

東芝メモリからキオクシアへ──記憶に価値を与える社名

ベインキャピタル連合の傘下に入った後、会社は持株会社体制と新しい社名を整えた。2019年3月、株式移転によって持株会社の東芝メモリホールディングス株式会社を設け、事業会社を傘下に置いた。同年10月には、グループの社名を一斉にキオクシアへ改めた。キオクシアは日本語の「記憶」とギリシャ語で価値を意味する「アクシア」を組み合わせた造語で、社内公募から選ばれた。東芝の名を外したことは、旧親会社からの独立と、メモリ専業メーカーとして世界で戦う決意を表すものだった。発明から30年余りを経て、東芝が生んだフラッシュメモリの事業は、独自の名を持つ会社として歩み始めた。 [24][25]

独立した専業メーカーとなったキオクシアは、四日市や北上で続く巨額の設備投資を、旧親会社の信用に頼らず自らの手で賄う必要に迫られた。2019年6月には日本政策投資銀行を引受先とする優先株の発行と、金融機関からのシンジケートローンによって資金を調達した。メモリ市況の波に耐えながら、数千億円規模の世代交代投資を毎年続けるには、より厚い資本基盤が要る。ベインキャピタル連合の出資を入り口としたこの会社にとって、自ら株式市場から広く資金を集める上場は、独立を確かなものにするための次の目標となった。 [26]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [26]2019年6月に日本政策投資銀行を引受先とする優先株の発行とシンジケートローンで資金を調達した

2020年〜 ウエスタンデジタルとの統合破談を越えた上場と、過去最高益への到達

キオクシアホールディングスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2020年 ライトオン子会社SSSTCとその関係会社の全株式を取得
  2. 2022年 四日市工場の第7製造棟が竣工
  3. 2023年 218層積層プロセスの第8世代BiCS FLASHを試作
  4. 2023年 ウエスタンデジタルとの経営統合交渉と、その破談 共同でフラッシュメモリを生む相手との統合は、なぜ株主の同意という壁に阻まれたか
  5. 2024年 北上工場の第2製造棟の建屋が完成
  6. 2024年 二度の延期を経て実現した、東証プライムへの4年越しの新規株式公開 二度の延期で1.5兆円から8,000億円へ下がった評価のなか、早坂伸夫社長はプライベートエクイティの出口をいつ開いたか

上場の延期とウエスタンデジタルとの経営統合交渉の破談

キオクシアは独立後まもなく上場を目指したが、環境は味方しなかった。2020年9月、米中対立と対ファーウェイ輸出規制、新型コロナ下の市況軟化を理由に、予定していた東証への上場を延期した。前後してウエスタンデジタルとの経営統合が模索され、2021年には株式交換による統合案が浮上した。四日市と岩手の工場を折半で運営する両社が一つになれば、サムスン電子に並ぶ規模のNANDメーカーが生まれるはずだった。統合は日本に本社を置く新会社の形で2023年に交渉が再燃したが、詰めの段階で行き詰まる。 [27][28]

統合交渉は2023年10月に破談した。決め手となったのは、株主であるSKハイニックスの同意が得られなかったことである。SKハイニックスは2018年の買収連合に社債で参加し、キオクシアの企業価値に大きな利害を持っていた。競合であるウエスタンデジタルとの統合は自らの投資価値を損ないかねないとして反対し、Pangeaを組成したベインとの条件も折り合わなかった。発明者どうしが一つになる構想は、複雑な資本の連立に阻まれて実を結ばなかった。破談の後、ウエスタンデジタルは自社のフラッシュ事業を分離する方針へ転じた。 [29]

4年越しの東証上場と、メモリ市況の谷を越えた過去最高益

キオクシアは2024年12月18日、東京証券取引所プライム市場に上場した。証券コードは285Aで、公開価格は1,455円、初日の終値は1,601円だった。2020年に見送ってから4年越しの上場である。上場に至る道のりは、メモリ市況の激しい波と重なっていた。2024年3月期は市況の悪化で売上高1兆766億円にとどまり、営業損益は2,527億円、純損益は2,437億円の赤字に沈んでいた。専業メーカーであるキオクシアの業績は、NANDの需給と単価にそのまま連動する構造を持つ。上場は、その振れの大きい事業を株式市場の評価にさらす節目でもあった。 [30]

上場の後、業績は急回復した。2025年3月期は生成AIとデータセンター向けのSSD需要を追い風に、売上高1兆7,064億円、純利益2,723億円で黒字へ転じた。続く2026年3月期には、売上高2兆3,376億円、営業利益8,704億円、純利益5,545億円といずれも過去最高を更新した。営業利益は東芝メモリ時代の水準を上回り、専業メーカーとしての稼ぐ力を示した。半面、赤字と最高益がわずか数年で入れ替わるこの振れ幅は、単一の製品に依存するNAND専業という事業構造の裏返しでもある。市況の谷で耐え、山で稼ぐ資本の厚みが、上場後の経営課題として残った。

ベインの撤退と東芝の実質筆頭株主化、そして東芝育ちの技術者社長

上場は、キオクシアを支えてきた資本の顔ぶれを塗り替えた。筆頭株主だったベインキャピアルは保有株を段階的に売り出し、2026年7月に最後の持分を手放して8年で完全に撤退した。旧親会社の東芝も持分を落とし、2026年3月末の保有比率は17.59%となったが、分散した株主構成のなかで実質的な筆頭株主の位置に残った。かつて買収連合を組んだ資本が退き、発明の母体である東芝が最大の株主として残ったことは、この会社の来歴を映す構図といえる。合弁相手のウエスタンデジタルはフラッシュ事業をサンディスクとして分離し、四日市・北上の共同生産は新会社との間で続いている。 [31]

経営の中枢は、資本の主が外資ファンドであった時期を通じて、一貫して東芝育ちの技術者が担った。初代社長の成毛康雄氏、上場を実現した早坂伸夫前社長、そして2026年に社長へ就いた太田裕雄氏は、いずれも東芝でメモリの開発や事業に携わった技術畑の出身である。早坂伸夫前社長は2020年から2026年まで社長を務め、市況の底からの回復と2024年の上場を主導したのち、太田裕雄社長へ経営を引き継いだ。取締役会には元インテルや元アプライドマテリアルズの半導体業界の重鎮も加わる。所有が外資から市場へ移るなかで、東芝が生んだ技術と、それを受け継ぐ人が事業の連続性を担ってきた会社である。 [32]

キオクシアホールディングスの沿革1987〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
東芝が世界初のNAND型フラッシュメモリを発明★★
NAND型フラッシュメモリの量産を開始
四日市工場(三重県)を設立
サンディスクグループとフラッシュメモリで協業を開始★★
汎用DRAM事業からの撤退を決定★★
四日市工場の生産に向けサンディスクと合弁のフラッシュビジョンを設立
3次元フラッシュメモリ技術を開発★★
東芝の社内カンパニーとしてセミコンダクター&ストレージ社を設置
48層積層プロセスのBiCS FLASHのサンプル出荷を開始
旧東芝メモリを設立
東芝からメモリ事業(SSDを含む)を会社分割により承継★★
東芝メモリの分社とベインキャピタル連合による取得、そしてキオクシアの誕生東芝が発明し最も稼いだメモリ事業は、親会社の危機のなかでどのように切り出され、外資ファンド連合の下で独立を果たしたのか 詳細を読む★★★
Pangeaが旧東芝メモリを吸収合併し東芝メモリに商号変更★★
四日市工場の第6製造棟とメモリ開発センターが竣工
単独株式移転により東芝メモリHDを設立
ブランド名称をキオクシアへ刷新
キオクシア北上工場(岩手県)第1製造棟が竣工
ライトオン子会社SSSTCとその関係会社の全株式を取得
四日市工場の第7製造棟が竣工
218層積層プロセスの第8世代BiCS FLASHを試作
ウエスタンデジタルとの経営統合交渉と、その破談共同でフラッシュメモリを生む相手との統合は、なぜ株主の同意という壁に阻まれたか 詳細を読む★★★
早坂伸夫北上工場の第2製造棟の建屋が完成
早坂伸夫二度の延期を経て実現した、東証プライムへの4年越しの新規株式公開二度の延期で1.5兆円から8,000億円へ下がった評価のなか、早坂伸夫社長はプライベートエクイティの出口をいつ開いたか 詳細を読む★★★
出典・参考

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