東芝メモリの分社とベインキャピタル連合による取得、そしてキオクシアの誕生

東芝が発明し最も稼いだメモリ事業は、親会社の危機のなかでどのように切り出され、外資ファンド連合の下で独立の器を得たのか

更新:

時期 2017年6月
意思決定者 東芝(売却)・ベインキャピタル連合 取得
論点 親会社の危機による切り出しと独立会社の誕生
概要
2018年6月1日、東芝が半導体メモリ事業を分社した旧東芝メモリ株式会社の全株式を、米ベインキャピタルを軸とする日米韓連合の受け皿会社K.K. Pangeaが約2兆円で取得し、のちにキオクシアとなる会社が東芝から独立した経営判断。買われた側から見れば、東芝が発明し最も稼いでいたメモリ事業が、親会社の危機を機に外資ファンド連合の下で独立の器を得た出来事であった。
背景
メモリ事業自体は健全で、2018年3月期に売上高1兆1,937億円・営業利益4,605億円を稼いでいた。切り出しを迫ったのは事業の不振ではなく、母体である東芝の危機であった。2015年の会計不正と2017年3月のウェスチングハウス破綻で東芝は債務超過に陥り、上場廃止を避けるために最も稼ぐメモリ事業を手放さざるをえなかった。
内容
東芝は2017年2月に旧東芝メモリ株式会社を設立し4月に事業を承継、入札合戦の末にベイン主導の受け皿会社Pangeaへ全株式を譲渡した。議決権はベイン49.9%・東芝40.2%・HOYA9.9%で日本勢が過半を握り、東芝は3,505億円を再出資して残った。ウエスタンデジタルとの仲裁や各国の独占禁止審査を越え、2018年6月1日に約2兆円で取得が完了した。
含意
東芝の連結を離れた会社は、2019年3月に持株会社を設け、同年10月1日に日本語の「記憶」とギリシャ語で価値を表す「axia」を組み合わせた「キオクシア」へ改称した。東芝が世界で初めて世に出したメモリの事業は、東芝の名を外し、外資ファンドが主導する資本の下で独立のメモリ専業メーカーとして歩み始めた。
筆者の見解

発明した会社の手を離れて生まれた器

この誕生の中心にあるのは、健全に稼いでいた事業が、自らの業績とは無関係な理由で母体から切り出されたという逆説である。東芝が世界で初めて生んだNAND型フラッシュメモリは、切り出しの直前まで親会社の利益の大半を稼いでいた。それでも売られたのは、事業が失敗したからではなく、原子力事業の失敗に追われた親会社が、最も高く売れる資産を現金へ換えるほかなかったからであった。危機が生んだ売却が、結果として一つの独立企業を世に送り出したとみることができる。

同じ取引を、売り手の東芝と、買い手のベイン連合と、買われて生まれたキオクシアのどの側から眺めるかで、見える景色は変わる。東芝にとっては虎の子を手放す痛みであり、ベインにとっては将来の値上がりを見込む投資であり、キオクシアにとっては東芝の名を外して独り立ちする出発点であった。発明から30年余りを経て器を得たこの事業が、外資ファンドの資本を入り口に、やがて自ら市場から資金を集める会社へ育つのかどうかは、メモリ市況とこの独立の使い方にかかっている。売り手と買い手の両側から一つの取引を見ると、日本の半導体史がひと続きの物語として立ち上がってくる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

東芝が発明し、最も稼いでいたメモリ事業

キオクシアとなる事業は、東芝が世界に先駆けて生んだ技術に根ざしていた。東芝の技術者だった舛岡富士雄氏は、電源を切っても記憶が消えない不揮発性メモリの新方式を考案し、東芝は1987年、NAND型フラッシュメモリを世界で初めて国際学会で発表した。小型・大容量で衝撃に強いこの半導体は、デジタルカメラやスマートフォンの記録媒体として世界へ広がり、東芝のなかで独自の投資サイクルを持つ事業へ育っていた。買われて独立する会社は、この発明を出発点に持っていた[1]

この事業は、切り出される直前まで健全に稼いでいた。分社の受け皿となった旧東芝メモリ株式会社は、2018年3月期に売上高1兆1,937億円、営業利益4,605億円、純利益6,192億円を計上した。売り手である東芝グループの利益の大半を、この一事業が稼いでいた。売られる理由は事業の不振ではなく、むしろ最も稼ぐ資産であったからこそ、親会社の危機を埋める原資として選ばれた点に、この切り出しの性格があった[2]

親会社・東芝の危機が迫った切り出し

事業の運命を決めたのは、母体である東芝の経営危機であった。2015年、第三者委員会は東芝が営業利益を計約1,518億円過大に計上していたと認定し、田中久雄社長ら経営陣が引責辞任した。財務への信認が揺らぐなか、追い打ちをかけたのが米原子力子会社ウェスチングハウスである。買収した原発建設会社で建設費が想定を超えて膨らみ、2017年3月末に米連邦破産法第11章の適用を申請して経営破綻した[3][4]

東芝は原子力関連で巨額の損失を被って債務超過へ転落し、2期連続で債務超過となれば上場廃止という規定を前に、限られた時間で巨額の資本をつくり出す必要に迫られた。その規模の資金を生み出せる資産は、最も稼ぐメモリ事業をおいてほかになかった。買われる側から見れば、自らの業績とは切り離されたところで、親会社を救うための売却対象として運命が定まっていった[5]

決断

分社による独立会社化

2017年、東芝はメモリ事業を売れる形に整えた。同年2月10日、承継の受け皿として旧東芝メモリ株式会社を設立し、4月1日にメモリとSSDの事業を会社分割によってこの新会社へ移した。総合電機の一部門だった事業が、独立した会社として単体で評価される体制になった。分社は、債務超過を短期間で解消する資金づくりであると同時に、買い手が事業だけを切り離して取得できるようにする準備でもあった[6]

売却先を決める入札には、世界の半導体大手や投資ファンドが集まった。ブロードコム連合、鴻海、SKハイニックス、ウエスタンデジタルなどが競い、提示額は2兆円を超える水準まで競り上がった。2017年6月、東芝は産業革新機構・日本政策投資銀行・ベインキャピタル・SKハイニックスからなる日米韓連合を優先交渉先に選んだ。技術と生産を日本に残す配慮と、巨額の資金を出せる外資ファンドの力とを両立させる座組みが選ばれた[7]

ベイン連合による約2兆円での取得

2017年9月28日、東芝はベインキャピタルを軸とする連合が組成した受け皿会社K.K. Pangeaとの間で、旧東芝メモリの全株式を約2兆円で譲渡する契約を結んだ。取得の座組みは複数の資本を束ねた複雑なものであった。ベインが議決権の49.9%を握る一方、東芝が3,505億円を再出資して40.2%を残し、HOYAが9.9%を持った。日本勢が合わせて議決権の過半を占め、SKハイニックスは将来株式へ転換できる社債で参加した[8][9]

契約から取得の完了までには曲折があった。四日市でメモリを共同生産する合弁相手のウエスタンデジタルが、売却は合弁契約に反すると主張して国際仲裁を申し立て、差し止めを求めた。この紛争は2017年12月13日、合弁を延長・強化する条件で包括的に和解した。さらに各国の独占禁止審査が続き、最後まで残った中国の当局が2018年5月に承認したことで、取得完了の前提がようやく整った[10][11]

結果

2018年6月の取得完了と独立の器

2018年6月1日、ベイン連合の受け皿会社Pangeaは旧東芝メモリの全株式の取得を完了した。取得額は約2兆円にのぼり、東芝の適時開示は譲渡価格を約2兆3億円と記した。特定子会社であった旧東芝メモリは東芝の連結対象から外れ、東芝の持分法適用会社となった。危機に立つ親会社の手を離れ、外資ファンドが主導する資本連合の下で、事業は独立の器を得た[12]

独立の器は、日本勢が議決権の過半を握りながらも、実質的には外資PEが経営を主導する設計であった。ベインが49.9%の議決権で最大の株主となり、アップルやデルなど連合に名を連ねた米企業は議決権を持たない形で資金を出した。売られた事業から見れば、親会社の信用力から切り離されたことで、以後の巨額の設備投資を自らの資本で賄う立場に置かれた。独立は自由と同時に、市況の波を単独で受けとめる重さも連れてきた[13]

東芝メモリからキオクシアへ

東芝の連結を離れた事業は、独自の名を整えていった。2019年3月1日、株式移転によって持株会社の東芝メモリホールディングス株式会社が設けられ、事業会社を傘下に置いた。同年7月に社名変更を発表し、10月1日、グループの社名を一斉に「キオクシア」へ改めた。名は、日本語の「記憶(kioku)」とギリシャ語で価値を表す「axia」を組み合わせた造語で、社内公募から選ばれた。東芝が世界で初めて世に出したメモリの事業から、東芝という名は消えた[14]

買われて独立した会社にとって、社名の変更は資本の来歴とのつながりを整理する節目でもあった。東芝は40.2%の議決権を残して発明の母体として関わりを続け、ベイン連合は最大の株主として経営を主導した。旧東芝メモリは、四日市を拠点に世界のメモリ市場で競うメモリ専業メーカーとして、東芝でも外資ファンドでもない独自の名の下で歩み始めた。この独立は、のちの2024年の東証上場と、東芝が実質的な筆頭株主として残る構図へとつながっていく[15]

出典・参考