2002年〜 分社から三社統合、そして3400億円赤字への道
ルネサスエレクトロニクスの業績推移:連結
- 2002年 NECエレクトロニクスを設立
- 2003年 東京証券取引所一部に上場
- 2004年 山形日本電気の高畠工場後工程を台湾ASEに売却
- 2010年 NECエレクトロニクスとルネサステクノロジの経営統合(2010年成立) 電機3社の半導体部門を一つに束ねた「日の丸マイコン連合」は、なぜ発足直後に巨額赤字へ陥ったのか?
- 2011年 営業黒字転落・純損失1,150億円
- 2012年 産業革新機構と主要顧客連合による1500億円出資の受け入れ 「日の丸半導体」ルネサスは、KKRの買収提案を退けてなぜ官民救済を選んだか
- 2012年 KKRの買収案を拒否
NECから切り離された半導体事業の出発
2002年11月に日本電気は汎用DRAMを除く半導体事業を会社分割で切り出し、川崎市にNECエレクトロニクスを100%子会社として設立した。翌2003年7月に東証一部に上場し、親会社の持分低下と資本的な独立を並行で行った。2000年代初頭の世界的な半導体市況悪化で電機各社が半導体部門を社内に抱えきれなくなり、資本市場から独立して評価を受ける形の再編が各国で進んだ時期に重なった。国策として半導体を守るというよりも、各電機大手が自社のバランスシートを身軽にするための切り離しに近い性格を帯び、同年のエルピーダメモリ発足と並ぶ日本電機の半導体整理の象徴となった。 [1][2]
- ルネサスエレクトロニクス 有価証券報告書 第24期(2025年12月期)【沿革】
- [1]2002年11月 日本電気が汎用DRAMを除く半導体事業を会社分割で分社化し、神奈川県川崎市にNECエレクトロニクスを100%子会社として設立
- [2]2003年7月 東京証券取引所市場第一部に上場
NECエレクトロニクスは国内製造子会社の再編と後工程の外注化を急ぎ、2004年に山形日本電気の後工程を台湾のASEに譲渡し、2006年にアイルランドの後工程ラインを閉鎖するなど、固定費の圧縮を繰り返した。しかしFY05の当期純損失は981億円、FY06が415億円、FY07も159億円で、上場後の数年はほぼ毎期赤字で、単独での持続可能性に疑問が残る状態が続いた。設計・製造の両面で電機大手系の半導体会社が抱える構造問題、すなわち高い固定費と分散した拠点群を短期間で切り崩しきれない重さを、そのまま引きずっていた。海外専業メーカーが設計と製造を分離するファブライトへ移行して身軽に競争していた時期と比べ、構造転換の遅れは明らかだった。 [3][4]
- ルネサスエレクトロニクス 有価証券報告書 第24期(2025年12月期)【沿革】
- [3]2004年 山形日本電気の高畠工場の後工程を台湾ASEグループに売却
- [4]2006年9月 NECセミコンダクターズ・アイルランド社の後工程ラインを閉鎖
NECエレクトロニクスは財務再建と並行し、システムLSI事業で世界シェア獲得を狙う攻めの戦略も追求した。1966年東大大学院修了でNECに入社し専務NECエレクトロンデバイスカンパニー社長等を経て2002年11月に社長へ就任した戸坂馨は、生産技術からサポートまでを自社で抱える垂直統合型企業として、顧客ごとに最適な半導体ソリューションを提供することを差別化の軸に据えた。中核はDVDレコーダー向けシステムLSI「μPD61171」で、開発費が安くても10億円規模にのぼるシステムLSI事業は世界シェア1位以外が儲からない構造にあり、1997年当時「家庭用に普及するわけがない」と見られていたデータ圧縮用エンコーダの開発に先行着手した先見性が、後年の世界シェア獲得につながった。300ミリ生産設備には600億円を投じた。戸坂の後は2005年11月に中島俊雄、2009年6月に山口純史が社長を継ぎ、上場後数年続いた赤字体質からの脱却を引き継いだ。 [5][6][7]
- 週刊東洋経済(2003年11月29日号)
- [5]2002年11月 戸坂馨がNECエレクトロニクス社長に就任(1966年東大大学院工学系研究科修士課程修了、NEC入社、専務NECエレクトロンデバイスカンパニー社長等を経て就任)
- [6]システムLSI「μPD61171」でDVDレコーダー向け世界シェア1位を目指す戦略。1997年からのデータ圧縮用エンコーダ先行開発が後年のシェア獲得につながった
- [7]300ミリ生産設備に600億円投資(生産能力の約5%増)
- ルネサスエレクトロニクス 有価証券報告書 第24期(2025年12月期)【沿革】
- [1]2002年11月 日本電気が汎用DRAMを除く半導体事業を会社分割で分社化し、神奈川県川崎市にNECエレクトロニクスを100%子会社として設立
- [2]2003年7月 東京証券取引所市場第一部に上場
- [3]2004年 山形日本電気の高畠工場の後工程を台湾ASEグループに売却
- [4]2006年9月 NECセミコンダクターズ・アイルランド社の後工程ラインを閉鎖
- 週刊東洋経済(2003年11月29日号)
- [5]2002年11月 戸坂馨がNECエレクトロニクス社長に就任(1966年東大大学院工学系研究科修士課程修了、NEC入社、専務NECエレクトロンデバイスカンパニー社長等を経て就任)
- [6]システムLSI「μPD61171」でDVDレコーダー向け世界シェア1位を目指す戦略。1997年からのデータ圧縮用エンコーダ先行開発が後年のシェア獲得につながった
- [7]300ミリ生産設備に600億円投資(生産能力の約5%増)
日立・三菱・NECの三社統合という賭け
2010年4月にNECエレクトロニクスは日立製作所と三菱電機の半導体部門を源流とするルネサステクノロジと合併し、ルネサスエレクトロニクスが発足した。経営体制は旧ルネサステクノロジ社長の赤尾泰が新会社の社長に就き、旧NECエレクトロニクス社長の山口純史は代表権を持つ会長に退いた。日本の大手電機3社の半導体部門を一つにまとめる例のない統合で、車載マイコンで世界シェアトップというポジションを手にした。同時に国内に20を超える製造子会社と開発拠点を抱え込み、重複する拠点を短期間で閉鎖する決断を下せないまま走り出し、統合による規模のメリットと固定費の重さが同居する組織ができあがった。車載顧客を共有する3陣営の営業ラインや設計拠点を一本化する作業だけでも、統合初期の経営帯域を奪った。 [8][9][10]
- ルネサスエレクトロニクス 有価証券報告書 第24期(2025年12月期)【沿革】
- [8]2010年4月 NECエレクトロニクスがルネサステクノロジ(日立製作所・三菱電機の半導体部門が源流)と合併し、ルネサスエレクトロニクスに商号変更して発足
- [10]車載マイコンで世界シェアトップのポジションを獲得(大手電機3社の半導体部門統合)
- レスポンス(Response.jp)2009年12月16日「NECエレクトロニクスとルネサステクノロジ、合併で最終合意」
- [9]合併新会社の社長には旧ルネサステクノロジ社長の赤尾泰が就任、旧NECエレクトロニクス社長の山口純史は代表権を持つ会長に就いた
統合直後の2011年3月に東日本大震災が発生し、車載マイコンの主力工場である茨城の那珂工場が被災して数カ月停止した。FY10の純損失は1,150億円、FY11は626億円、FY12は1,676億円と3期連続で赤字が続き、累計純損失は3,400億円を超えた。ノキアから譲受したワイヤレスモデム事業も不振で、統合シナジーどころか危機の収束すら見通せない状態に陥り、完成車メーカーは車載マイコンの代替供給先を一斉に模索した。日本の半導体サプライチェーン全体に不安が広がり、トヨタは世界各国のティア1経由で別ベンダーの同等品を評価する動きを加速した。車載半導体の単一供給依存というリスクが業界の共通認識となった。 [11][12]
- ルネサスエレクトロニクス 有価証券報告書 第24期(2025年12月期)【沿革】
- [11]2011年3月 東日本大震災発生、那珂工場(茨城)が被災し数カ月停止
- [12]ノキアから譲受したワイヤレスモデム事業(2010年11月譲受)も不振
- ルネサスエレクトロニクス 有価証券報告書 第24期(2025年12月期)【沿革】
- [8]2010年4月 NECエレクトロニクスがルネサステクノロジ(日立製作所・三菱電機の半導体部門が源流)と合併し、ルネサスエレクトロニクスに商号変更して発足
- [10]車載マイコンで世界シェアトップのポジションを獲得(大手電機3社の半導体部門統合)
- [11]2011年3月 東日本大震災発生、那珂工場(茨城)が被災し数カ月停止
- [12]ノキアから譲受したワイヤレスモデム事業(2010年11月譲受)も不振
- レスポンス(Response.jp)2009年12月16日「NECエレクトロニクスとルネサステクノロジ、合併で最終合意」
- [9]合併新会社の社長には旧ルネサステクノロジ社長の赤尾泰が就任、旧NECエレクトロニクス社長の山口純史は代表権を持つ会長に就いた
産業革新機構による実質的な国有化と縮小均衡
2013年9月に産業革新機構が中心となり、トヨタ自動車・日産自動車・ケーヒン・デンソー・キヤノン・ニコン・パナソニック・安川電機を割当先とする第三者割当増資が実行された。産業革新機構が筆頭株主となり、車載半導体の供給不安を避けたい自動車・電機大手が相乗りする構図で、実質的な公的資金による救済となった。以後「国有化されたルネサス」という表現がメディアで定着し、政府・自動車連合が一体で供給網を守る日本独自の再編の形が、半導体産業に刻み込まれた。再建を託された経営陣は、拠点再編と車載マイコン集中という復元プランを持ち、取引先の自動車各社からも短期の利益改善より供給安定を優先する合意を取り付けた。 [13][14]
- ルネサスエレクトロニクス 有価証券報告書 第24期(2025年12月期)【沿革】
- [13]2013年9月 産業革新機構・トヨタ自動車・日産自動車・ケーヒン・デンソー・キヤノン・ニコン・パナソニック・安川電機を割当先とする第三者割当増資を実施、産業革新機構が筆頭株主に
- [14]産業革新機構が筆頭株主となり実質的な公的資金による救済となった
再建の初手はリストラと事業整理だった。2013年に北日本・関西・九州の後工程3工場をジェイデバイスに譲渡し、モバイル欧州・インド子会社をブロードコムへ売却、翌2014年に前工程・後工程の製造子会社を2社に集約した。FY13の営業利益は676億円で、統合以来初の本格的黒字となり、車載マイコンに経営資源を集中する縮小均衡モデルが一旦は成果を示した。経営体制も再建期に合わせて動き、2013年2月に赤尾の後任として鶴丸哲哉が社長に就任し、同年6月にはオムロン出身の作田久男が代表取締役会長兼CEOとして外部から招かれた。売上規模は縮み続け、稼げる領域で稼ぎ切る代わりに成長機会を自ら手放す構図が、次の体制への課題として残った。アナログ半導体やミックスドシグナルといった利益率の高い周辺領域を欧米勢に先行されるリスクが、この時点でボード内でも議論の対象になっていた。 [15][16][17]
- ルネサスエレクトロニクス 有価証券報告書 第24期(2025年12月期)【沿革】
- [15]2013年 後工程3工場(函館・福井・熊本)をジェイデバイスに譲渡
- [16]モバイル欧州・インド子会社(ルネサスモバイル・ヨーロッパ社/インド社)をブロードコムへ売却(2013年)
- [17]2014年4月 前工程・後工程の製造子会社を2社(ルネサスセミコンダクタマニュファクチュアリング/パッケージ&テストソリューションズ)に集約
- ルネサスエレクトロニクス 有価証券報告書 第24期(2025年12月期)【沿革】
- [13]2013年9月 産業革新機構・トヨタ自動車・日産自動車・ケーヒン・デンソー・キヤノン・ニコン・パナソニック・安川電機を割当先とする第三者割当増資を実施、産業革新機構が筆頭株主に
- [14]産業革新機構が筆頭株主となり実質的な公的資金による救済となった
- [15]2013年 後工程3工場(函館・福井・熊本)をジェイデバイスに譲渡
- [16]モバイル欧州・インド子会社(ルネサスモバイル・ヨーロッパ社/インド社)をブロードコムへ売却(2013年)
- [17]2014年4月 前工程・後工程の製造子会社を2社(ルネサスセミコンダクタマニュファクチュアリング/パッケージ&テストソリューションズ)に集約