キオクシアのNAND型フラッシュメモリ事業は、母体である東芝(東京芝浦電気)の半導体事業[1]から分かれた。東京芝浦電気は1951年1月、川崎市の小向工場でトランジスタを試作した[2]。1956年7月までには、東京通信工業(後のソニー)・日立製作所・三菱電機・神戸工業とともに、米ベル研究所とウェスタン・エレクトリックからトランジスタ技術のライセンスを受けた日本の最初期5社の一角を占めた[3]。ただし東芝は、メモリではNECと日立製作所の後塵を拝していた[4]。第2次石油危機をはさむ時期には設備投資を抑えて事業の規模を縮め[5]、1981年に川西剛氏が半導体事業部長に就いた直後には、東芝がDRAMから撤退するという報道[6]が新聞に出た。
東芝が1MビットDRAMで首位に立った[7]のは、技術と投資の両面で他社と別の道を選んだためである。DRAMは集積度が上がるほど掘り下げるか積み上げるかの立体加工[8]が要るが、東芝は1Mビット世代で平面セルと低消費電力のCMOSを選び[9]、消費電力を従来の半分未満に抑えて量産性で優位に立った。各社が64Kビットから256Kビットへ生産を移す時期に、東芝は一挙に1Mビットへ先行投資[10]し、1986年に月産100万個へ量産を伸ばし、[11]この製品分野で世界首位となった。同年、日本の半導体シェアは米国を抜き、東芝もNEC・日立製作所とともに上位を占めた[12]。9月2日には日米半導体協定が結ばれ[13]、公正市場価格を下回る販売が規制された。東芝機械のココム違反事件[14]で東芝が米国市場から締め出されかけたときは、1MビットDRAMを頼るIBMとヒューレット・パッカードが米議会に働きかけ、制裁は米政府関連の調達からの排除にとどまった。
キオクシアの主力製品であるNAND型フラッシュメモリは、東芝の技術者が発明した[15]。舛岡富士雄氏は1980年に川崎の研究拠点で[16]数名の技術者と不揮発性メモリの開発に着手し、1984年の国際会議IEDM[17]で、記憶素子を1個のトランジスタで構成する小型のメモリを発表した。ビット当たりの面積は従来のEEPROMの4分の1以下[18]で、一括して素早く消せる様子がカメラのフラッシュを思わせることから、同僚の有泉章二氏が『フラッシュ』と名付けた[19]。後にNOR型と呼ばれるこの方式に対し、舛岡氏は素子をまとめて直列につなぎ、面積あたりの記憶容量を高めたNAND型[20]を考案した。東芝は1987年のIEDMでこれを世界で初めて発表した[21]。狙いは、パソコンのハードディスクを半導体で置き換える[22]ことにあった。
東芝は1991年に世界初の4MビットNAND型フラッシュメモリを製品化[23]し、1992年には三重県に四日市工場を設けた[24]。ただし発明を事業にする速さでは後れを取り、東芝の開発要員は1991年の時点で数十人規模[25]にとどまった。1986年に事業部を置き数百人体制を組んだインテルが、1992年にはフラッシュメモリの世界市場で85%以上[26]を占めた。東芝は同年、NAND技術を韓国のサムスン電子へ供与した[27]。サムスンは半導体不況で日本勢が投資を抑えた1992年に8インチ量産ラインへ踏み込み[28]、この投資でDRAMの世界首位へ躍り出た。舛岡氏は処遇への不満から1994年に東芝を退職して東北大学教授に転じ[29]、発明対価を求めた訴訟は2006年に和解した[30]。東芝は16Mビット世代でDRAMの競争力を保てず[31]、四日市がNAND型の生産を始めた1999年[32]には、携帯電話とデジタルカメラの普及でフラッシュメモリの需給が逼迫していた[33]。
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|---|---|---|---|---|
| 1951〜1999年トランジスタから1MビットDRAM首位へ、そしてNAND型フラッシュメモリの発明 | 東芝が世界初のNAND型フラッシュメモリを発明 | ★★ | ||
| NAND型フラッシュメモリの量産を開始 | ★ | |||
| 四日市工場(三重県)を設立 | ★ | |||
| 2000〜2016年汎用DRAMからの撤退とサンディスク合弁によるNAND専業化、そして3次元への転換 | サンディスクグループとフラッシュメモリで協業を開始 | ★★ | ||
| 汎用DRAM事業からの撤退を決定 | ★★ | |||
| 四日市工場の生産に向けサンディスクと合弁のフラッシュビジョンを設立 | ★ | |||
| 3次元フラッシュメモリ技術を開発 | ★★ | |||
| 東芝の社内カンパニーとしてセミコンダクター&ストレージ社を設置 | ★ | |||
| 48層積層プロセスのBiCS FLASHのサンプル出荷を開始 | ★ | |||
| 2017〜2019年東芝の経営危機による分社・売却と、ベイン連合の下でのキオクシア誕生 | 旧東芝メモリを設立 | ★ | ||
| 成毛康雄 | 東芝からメモリ事業(SSDを含む)を会社分割により承継 | ★★ | ||
| 成毛康雄 | 東芝メモリの分社とベインキャピタル連合による取得、そしてキオクシアの誕生 2018年6月1日、東芝が半導体メモリ事業を分社した旧東芝メモリ株式会社の全株式を、米ベインキャピタルを軸とする日米韓連合の受け皿会社K.K. Pangeaが約2兆円で取得し、のちにキオクシアとなる会社が東芝から独立した経営判断。買われた側から見れば、東芝が発明し最も稼いでいたメモリ事業が、親会社の危機を機に外資ファンド連合の下で独立会社となった出来事であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 成毛康雄 | Pangeaが旧東芝メモリを吸収合併し東芝メモリに商号変更 | ★★ | ||
| 成毛康雄 | 四日市工場の第6製造棟とメモリ開発センターが竣工 | ★ | ||
| 成毛康雄 | 単独株式移転により東芝メモリHDを設立 | ★ | ||
| 成毛康雄 | ブランド名称をキオクシアへ刷新 | ★ | ||
| 成毛康雄 | キオクシア北上工場(岩手県)第1製造棟が竣工 | ★ | ||
| 2020〜2026年ウエスタンデジタルとの統合破談を越えた上場と、過去最高益への到達 | 早坂伸夫 | ライトオン子会社SSSTCとその関係会社の全株式を取得 | ★ | |
| 早坂伸夫 | 四日市工場の第7製造棟が竣工 | ★ | ||
| 早坂伸夫 | 218層積層プロセスの第8世代BiCS FLASHを試作 | ★ | ||
| 早坂伸夫 | ウエスタンデジタルとの経営統合交渉と、その破談 2021年から2023年にかけて、キオクシアホールディングスは合弁相手の米ウエスタンデジタルとメモリ事業の経営統合を交渉したが、2023年10月下旬に破談した経営判断。四日市・北上でNAND型フラッシュメモリを共同生産する両社が一つになれば、首位の韓国サムスン電子に並ぶ規模のメーカーが生まれるはずであった。しかし株主である韓国SKハイニックスの同意が得られず、統合はまとまらなかった。破談の後、キオクシアは単独での上場と業績回復へ向かった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 早坂伸夫 | 北上工場の第2製造棟の建屋が完成 | ★ | ||
| 早坂伸夫 | 二度の延期を経て実現した、東証プライムへの4年越しの新規株式公開 2024年12月18日、キオクシアホールディングスが東京証券取引所プライム市場に上場した経営判断である。公開価格は1,455円、初日の終値は公開価格を約10%上回る1,601円で、オーバーアロットメントを含むオファー総額は約1,204億円にのぼった。2018年にベインキャピタルを軸とする連合の傘下で生まれた同社にとって、2020年・2024年と二度延期した末に開いた、プライベートエクイティの出口としての上場であった。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(キオクシアホールディングス)