1999年〜 NECと日立がDRAM事業を持ち寄って作った、国内最後の一社
エルピーダメモリの業績推移:連結
- 1999年 日本電気と日立製作所のDRAM事業を統合しNEC日立メモリを設立
- 2000年 DRAM製品の開発事業に参入
- 2000年 商号をエルピーダメモリに変更
- 2001年 直径300mmウェハ対応の自社工場E300Fabの建設に着手
撤退の連鎖の末に残された事業の受け皿
日本電気と日立製作所はDRAM事業を統合し、1999年12月にNEC日立メモリ株式会社を設立[1]した。2000年4月にDRAM製品の開発事業を始め、同年5月に商号をエルピーダメモリへ変更[2]した。1980年代のDRAMは日系大手が世界の9割近くを占めた製品で、1990年代に韓国のサムスン電子が集中投資で市場を奪った[3]。1990年代前半まで国内の量産拠点は日本電気の広島と熊本、東芝の四日市と大分、日立製作所のひたちなか、三菱電機の西条と熊本、沖電気工業の宮城と宮崎に点在していた[4]。統合の前後には富士通と東芝がDRAMから撤退し、韓国のハイニクス・セミコンダクターも経営不安を抱えていた[5]。
- エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
- [1]NEC日立メモリ株式会社を設立
- [2]DRAM製品の開発事業を開始、商号をエルピーダメモリに変更
- 週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」
- [3]1980年代までDRAMは日系大手が世界の9割近くを占有、1990年代にサムスン電子が集中投資で席巻
- 週刊東洋経済 2004年8月7・14日合併号「エルピーダ『乾坤一擲』の勝負」
- [4]1990年代前半までの国内DRAM量産拠点は日本電気の広島・熊本、東芝の四日市・大分、日立製作所のひたちなか、三菱電機の西条・熊本、沖電気工業の宮城・宮崎
- 週刊東洋経済 2002年12月21日号「インテルがエルピーダに出資 MPU『販促策』に頼る日本DRAM産業の現実」
- [5]DRAM市場は富士通と東芝の撤退や韓国ハイニクス・セミコンダクターの経営不安など不安定要素が増加
折半出資という体制は意思決定を遅らせ[6]、規模による巻き返しは進まなかった。設立当初に日本電気と日立製作所を合わせて15%前後あった世界シェアは2003年初めに半分以下へ下がり、順位も世界5位へ後退[7]した。合併当初に16%あったシェアは2002年度に4%まで落ち[8]、2002年3月期末の連結従業員は630人[9]にとどまっている。同期の連結売上高は783億円、経常損失262億円、当期純損失266億円で、自己資本比率は17.0%[10]だった。量産は自社では行わず、日本電気の広島工場と日立製作所のシンガポール工場への委託[11]で賄っていた。
- 週刊東洋経済 2002年12月21日号「インテルがエルピーダに出資 MPU『販促策』に頼る日本DRAM産業の現実」
- [6]折半出資という体制が意思決定の遅れを招き経営状態が悪化
- 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
- [7]設立当初のNEC・日立合算のDRAM世界シェアは15%前後、2003年初めには半分以下へ低下し世界5位へ後退
- [11]NECの広島工場と日立のシンガポール工場(HNS)へ生産委託を継続
- 週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」
- [8]合併当初16%あったシェアが2002年度には4%まで激減
- エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [9]2002年3月期の連結従業員数 630人
- [10]2002年3月期 連結売上高78,270百万円・経常損失26,161百万円・当期純損失26,563百万円・自己資本比率17.0%
- エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
- [1]NEC日立メモリ株式会社を設立
- [2]DRAM製品の開発事業を開始、商号をエルピーダメモリに変更
- 週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」
- [3]1980年代までDRAMは日系大手が世界の9割近くを占有、1990年代にサムスン電子が集中投資で席巻
- 週刊東洋経済 2004年8月7・14日合併号「エルピーダ『乾坤一擲』の勝負」
- [4]1990年代前半までの国内DRAM量産拠点は日本電気の広島・熊本、東芝の四日市・大分、日立製作所のひたちなか、三菱電機の西条・熊本、沖電気工業の宮城・宮崎
- 週刊東洋経済 2002年12月21日号「インテルがエルピーダに出資 MPU『販促策』に頼る日本DRAM産業の現実」
- [5]DRAM市場は富士通と東芝の撤退や韓国ハイニクス・セミコンダクターの経営不安など不安定要素が増加
- [6]折半出資という体制が意思決定の遅れを招き経営状態が悪化
- 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
- [7]設立当初のNEC・日立合算のDRAM世界シェアは15%前後、2003年初めには半分以下へ低下し世界5位へ後退
- [11]NECの広島工場と日立のシンガポール工場(HNS)へ生産委託を継続
- 週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」
- [8]合併当初16%あったシェアが2002年度には4%まで激減
- エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [9]2002年3月期の連結従業員数 630人
- [10]2002年3月期 連結売上高78,270百万円・経常損失26,161百万円・当期純損失26,563百万円・自己資本比率17.0%
1600億円の工場と、追加出資を断った親会社
2001年2月、直径300ミリのウェハに対応する自社工場E300Fabの建設に着手[12]した。DRAMは微細化を一世代進めるごとにウェハ1枚あたりの取り数が増えて製造原価が下がるため、先に投じた企業が量産効果で利益を取る[13]。広島工場に投じる設備資金は約1600億円に上り、資本金520億円のほかは銀行借入で賄っていた[14]。E300Fabは直径300ミリウェハ月産3000枚の規模で2003年1月に稼働し、投資額は600億円強[15]となった。親会社の追加出資を重ねた資本金は、2003年初めに780億円まで[16]膨らんだ。2002年3月期は営業活動によるキャッシュフローが300億円、投資活動によるキャッシュフローが90億円の流出となり、財務活動で418億円を取り入れて[17]埋めている。
- エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
- [12]直径300mmウェハ対応の自社工場E300Fabの建設に着手
- 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
- [13]DRAMは巨額の設備投資を要する装置産業で、微細化すればウエハ当たりのチップ個数が増えて製造コストが下がり、先に大型投資を行った企業が量産効果で利益を稼ぐ
- 週刊東洋経済 2002年10月12日号「半導体苦境が続くエルピーダ 現実味増すインテル出資」
- [14]広島工場の設備資金は約1600億円、資本金520億円のほかは銀行借り入れで調達
- 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
- [15]広島の300ミリ最新鋭自社工場は月産能力3000枚・投資額600億円強で2003年1月に稼働
- [16]親会社が何度も追加出資に応じ資本金は780億円まで膨張
- エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [17]2002年3月期 営業活動によるキャッシュ・フロー△30,046百万円・投資活動によるキャッシュ・フロー△9,002百万円・財務活動によるキャッシュ・フロー41,861百万円
月産3000枚では能力が足りず、生き残りには自社工場の増強が要る一方、その資金負担を親会社二社は渋り始めた[18]。日本電気は2003年2月、日立製作所とともにエルピーダメモリへの追加出資にはこれ以上応じず、設備増強の資金は第三者から調達するよう求めた[19]。二社が選んだのは増資ではなく経営者の交代で、2002年11月には坂本幸雄氏を社長に迎えていた[20]。同じ時期に三菱電機もDRAM事業の統合に加わることが決まり、エルピーダメモリは日本で唯一のDRAM企業となった[21]。米インテルによる出資も、この時点ではほぼ確定的な情勢[22]にあった。インテルは1990年代後半にも、自社のMPUに対応するDRAMの増産を促す目的でサムスン電子とマイクロン・テクノロジーへ出資[23]している。
- 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
- [18]月産3000枚では能力が足りず生き残りには最新鋭自社工場の能力増強が最低条件だったが、両親会社が資金負担を渋り始めた
- [19]NEC松本滋夫専務は追加出資にこれ以上応じず設備増強の資金は第三者から調達するよう求めた
- [20]2002年11月、NECと日立は坂本幸雄をエルピーダメモリ社長に招聘
- 週刊東洋経済 2002年12月21日号「インテルがエルピーダに出資 MPU『販促策』に頼る日本DRAM産業の現実」
- [21]2003年3月に三菱電機も統合に加わりエルピーダメモリは日本唯一のDRAM企業に
- [22]米インテルのエルピーダメモリ出資はほぼ確定的な情勢
- [23]インテルは1990年代後半、ペンティアム4対応DRAMの増産を後押しするためサムスン電子とマイクロン・テクノロジーへ出資
- エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
- [12]直径300mmウェハ対応の自社工場E300Fabの建設に着手
- 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
- [13]DRAMは巨額の設備投資を要する装置産業で、微細化すればウエハ当たりのチップ個数が増えて製造コストが下がり、先に大型投資を行った企業が量産効果で利益を稼ぐ
- 週刊東洋経済 2002年10月12日号「半導体苦境が続くエルピーダ 現実味増すインテル出資」
- [14]広島工場の設備資金は約1600億円、資本金520億円のほかは銀行借り入れで調達
- 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
- [15]広島の300ミリ最新鋭自社工場は月産能力3000枚・投資額600億円強で2003年1月に稼働
- [16]親会社が何度も追加出資に応じ資本金は780億円まで膨張
- [18]月産3000枚では能力が足りず生き残りには最新鋭自社工場の能力増強が最低条件だったが、両親会社が資金負担を渋り始めた
- [19]NEC松本滋夫専務は追加出資にこれ以上応じず設備増強の資金は第三者から調達するよう求めた
- [20]2002年11月、NECと日立は坂本幸雄をエルピーダメモリ社長に招聘
- エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [17]2002年3月期 営業活動によるキャッシュ・フロー△30,046百万円・投資活動によるキャッシュ・フロー△9,002百万円・財務活動によるキャッシュ・フロー41,861百万円
- 週刊東洋経済 2002年12月21日号「インテルがエルピーダに出資 MPU『販促策』に頼る日本DRAM産業の現実」
- [21]2003年3月に三菱電機も統合に加わりエルピーダメモリは日本唯一のDRAM企業に
- [22]米インテルのエルピーダメモリ出資はほぼ確定的な情勢
- [23]インテルは1990年代後半、ペンティアム4対応DRAMの増産を後押しするためサムスン電子とマイクロン・テクノロジーへ出資