エルピーダメモリ の歴史

創業

1999年

創業者

※日本電気+日立製作所

創業地

東京都中央区八重洲

直近売上高(2011/3)

5,143億円

長期業績と転換点(2000/3〜2012/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1999年に、日本電気と日立製作所は自社のDRAM事業を切り出して一社にまとめたのか
A DRAMは、微細化への投資を止めた期に原価で負ける装置産業である。総合電機の一事業として社内の投資枠を他部門と奪い合う限り、集中投資を続ける韓国勢には追いつけない。日本電気と日立製作所は、その判断から自社のDRAM事業を切り出した。1999年12月、東京都中央区八重洲にNEC日立メモリ株式会社を設立し、翌2000年5月にエルピーダメモリへ商号を改めている。2003年3月には三菱電機のDRAM事業も譲り受け、日本のDRAMメーカーはこの一社だけになった
Q なぜ2002年に社外から迎えた坂本幸雄氏は、親会社ではなく資本市場から資金を集めたのか
A 親会社二社は追加の出資に応じなかった。事業を続けるには外から取るほかなく、しかも親会社の持ち分が下がるほど投資の決定は速くなる。2002年11月に社長へ就いた坂本幸雄氏は、1年以内の黒字化と2年以内の株式上場を公約に掲げ、就任から1年で社外から1700億円を集めた。2004年11月には東京証券取引所市場第一部へ上場している。親会社からの出向者は全員を転籍させ、日本電気と日立製作所で役職を分け合うたすき掛け人事も廃した
Q なぜ2012年に、公的資金の支援を受けたエルピーダメモリは自力再建に届かなかったのか
A 支援の規模が、市況の底を越えるには足りなかった。2009年に日本政策投資銀行が引き受けたのは優先株300億円で、銀行から見れば見限っても損失の限られる額である坂本幸雄前社長は後に、300億円で主力行を政投銀にしたことが最大の失敗だったと述べている。歴史的な円高と、採算を割るDRAM価格が重なり、2012年2月27日、負債総額4480億円で会社更生法の適用を申請した。国内製造業で過去最大の倒産となり、翌2013年7月に米マイクロン・テクノロジーの傘下へ入った

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1999年〜 NECと日立がDRAM事業を持ち寄って作った、国内最後の一社

エルピーダメモリの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1999年 日本電気と日立製作所のDRAM事業を統合しNEC日立メモリを設立
  2. 2000年 DRAM製品の開発事業に参入
  3. 2000年 商号をエルピーダメモリに変更
  4. 2001年 直径300mmウェハ対応の自社工場E300Fabの建設に着手

撤退の連鎖の末に残された事業の受け皿

日本電気と日立製作所はDRAM事業を統合し、1999年12月にNEC日立メモリ株式会社を設立[1]した。2000年4月にDRAM製品の開発事業を始め、同年5月に商号をエルピーダメモリへ変更[2]した。1980年代のDRAMは日系大手が世界の9割近くを占めた製品で、1990年代に韓国のサムスン電子が集中投資で市場を奪った[3]。1990年代前半まで国内の量産拠点は日本電気の広島と熊本、東芝の四日市と大分、日立製作所のひたちなか、三菱電機の西条と熊本、沖電気工業の宮城と宮崎に点在していた[4]。統合の前後には富士通と東芝がDRAMから撤退し、韓国のハイニクス・セミコンダクターも経営不安を抱えていた[5]

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [1]NEC日立メモリ株式会社を設立
    • [2]DRAM製品の開発事業を開始、商号をエルピーダメモリに変更
  • 週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」
    • [3]1980年代までDRAMは日系大手が世界の9割近くを占有、1990年代にサムスン電子が集中投資で席巻
  • 週刊東洋経済 2004年8月7・14日合併号「エルピーダ『乾坤一擲』の勝負」
    • [4]1990年代前半までの国内DRAM量産拠点は日本電気の広島・熊本、東芝の四日市・大分、日立製作所のひたちなか、三菱電機の西条・熊本、沖電気工業の宮城・宮崎
  • 週刊東洋経済 2002年12月21日号「インテルがエルピーダに出資 MPU『販促策』に頼る日本DRAM産業の現実」
    • [5]DRAM市場は富士通と東芝の撤退や韓国ハイニクス・セミコンダクターの経営不安など不安定要素が増加

折半出資という体制は意思決定を遅らせ[6]、規模による巻き返しは進まなかった。設立当初に日本電気と日立製作所を合わせて15%前後あった世界シェアは2003年初めに半分以下へ下がり、順位も世界5位へ後退[7]した。合併当初に16%あったシェアは2002年度に4%まで落ち[8]、2002年3月期末の連結従業員は630人[9]にとどまっている。同期の連結売上高は783億円、経常損失262億円、当期純損失266億円で、自己資本比率は17.0%[10]だった。量産は自社では行わず、日本電気の広島工場と日立製作所のシンガポール工場への委託[11]で賄っていた。

  • 週刊東洋経済 2002年12月21日号「インテルがエルピーダに出資 MPU『販促策』に頼る日本DRAM産業の現実」
    • [6]折半出資という体制が意思決定の遅れを招き経営状態が悪化
  • 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
    • [7]設立当初のNEC・日立合算のDRAM世界シェアは15%前後、2003年初めには半分以下へ低下し世界5位へ後退
    • [11]NECの広島工場と日立のシンガポール工場(HNS)へ生産委託を継続
  • 週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」
    • [8]合併当初16%あったシェアが2002年度には4%まで激減
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [9]2002年3月期の連結従業員数 630人
    • [10]2002年3月期 連結売上高78,270百万円・経常損失26,161百万円・当期純損失26,563百万円・自己資本比率17.0%
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [1]NEC日立メモリ株式会社を設立
    • [2]DRAM製品の開発事業を開始、商号をエルピーダメモリに変更
  • 週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」
    • [3]1980年代までDRAMは日系大手が世界の9割近くを占有、1990年代にサムスン電子が集中投資で席巻
  • 週刊東洋経済 2004年8月7・14日合併号「エルピーダ『乾坤一擲』の勝負」
    • [4]1990年代前半までの国内DRAM量産拠点は日本電気の広島・熊本、東芝の四日市・大分、日立製作所のひたちなか、三菱電機の西条・熊本、沖電気工業の宮城・宮崎
  • 週刊東洋経済 2002年12月21日号「インテルがエルピーダに出資 MPU『販促策』に頼る日本DRAM産業の現実」
    • [5]DRAM市場は富士通と東芝の撤退や韓国ハイニクス・セミコンダクターの経営不安など不安定要素が増加
    • [6]折半出資という体制が意思決定の遅れを招き経営状態が悪化
  • 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
    • [7]設立当初のNEC・日立合算のDRAM世界シェアは15%前後、2003年初めには半分以下へ低下し世界5位へ後退
    • [11]NECの広島工場と日立のシンガポール工場(HNS)へ生産委託を継続
  • 週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」
    • [8]合併当初16%あったシェアが2002年度には4%まで激減
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [9]2002年3月期の連結従業員数 630人
    • [10]2002年3月期 連結売上高78,270百万円・経常損失26,161百万円・当期純損失26,563百万円・自己資本比率17.0%

1600億円の工場と、追加出資を断った親会社

2001年2月、直径300ミリのウェハに対応する自社工場E300Fabの建設に着手[12]した。DRAMは微細化を一世代進めるごとにウェハ1枚あたりの取り数が増えて製造原価が下がるため、先に投じた企業が量産効果で利益を取る[13]。広島工場に投じる設備資金は約1600億円に上り、資本金520億円のほかは銀行借入で賄っていた[14]。E300Fabは直径300ミリウェハ月産3000枚の規模で2003年1月に稼働し、投資額は600億円強[15]となった。親会社の追加出資を重ねた資本金は、2003年初めに780億円まで[16]膨らんだ。2002年3月期は営業活動によるキャッシュフローが300億円、投資活動によるキャッシュフローが90億円の流出となり、財務活動で418億円を取り入れて[17]埋めている。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [12]直径300mmウェハ対応の自社工場E300Fabの建設に着手
  • 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
    • [13]DRAMは巨額の設備投資を要する装置産業で、微細化すればウエハ当たりのチップ個数が増えて製造コストが下がり、先に大型投資を行った企業が量産効果で利益を稼ぐ
  • 週刊東洋経済 2002年10月12日号「半導体苦境が続くエルピーダ 現実味増すインテル出資」
    • [14]広島工場の設備資金は約1600億円、資本金520億円のほかは銀行借り入れで調達
  • 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
    • [15]広島の300ミリ最新鋭自社工場は月産能力3000枚・投資額600億円強で2003年1月に稼働
    • [16]親会社が何度も追加出資に応じ資本金は780億円まで膨張
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [17]2002年3月期 営業活動によるキャッシュ・フロー△30,046百万円・投資活動によるキャッシュ・フロー△9,002百万円・財務活動によるキャッシュ・フロー41,861百万円

月産3000枚では能力が足りず、生き残りには自社工場の増強が要る一方、その資金負担を親会社二社は渋り始めた[18]。日本電気は2003年2月、日立製作所とともにエルピーダメモリへの追加出資にはこれ以上応じず、設備増強の資金は第三者から調達するよう求めた[19]。二社が選んだのは増資ではなく経営者の交代で、2002年11月には坂本幸雄氏を社長に迎えていた[20]。同じ時期に三菱電機もDRAM事業の統合に加わることが決まり、エルピーダメモリは日本で唯一のDRAM企業となった[21]。米インテルによる出資も、この時点ではほぼ確定的な情勢[22]にあった。インテルは1990年代後半にも、自社のMPUに対応するDRAMの増産を促す目的でサムスン電子とマイクロン・テクノロジーへ出資[23]している。

  • 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
    • [18]月産3000枚では能力が足りず生き残りには最新鋭自社工場の能力増強が最低条件だったが、両親会社が資金負担を渋り始めた
    • [19]NEC松本滋夫専務は追加出資にこれ以上応じず設備増強の資金は第三者から調達するよう求めた
    • [20]2002年11月、NECと日立は坂本幸雄をエルピーダメモリ社長に招聘
  • 週刊東洋経済 2002年12月21日号「インテルがエルピーダに出資 MPU『販促策』に頼る日本DRAM産業の現実」
    • [21]2003年3月に三菱電機も統合に加わりエルピーダメモリは日本唯一のDRAM企業に
    • [22]米インテルのエルピーダメモリ出資はほぼ確定的な情勢
    • [23]インテルは1990年代後半、ペンティアム4対応DRAMの増産を後押しするためサムスン電子とマイクロン・テクノロジーへ出資
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [12]直径300mmウェハ対応の自社工場E300Fabの建設に着手
  • 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
    • [13]DRAMは巨額の設備投資を要する装置産業で、微細化すればウエハ当たりのチップ個数が増えて製造コストが下がり、先に大型投資を行った企業が量産効果で利益を稼ぐ
  • 週刊東洋経済 2002年10月12日号「半導体苦境が続くエルピーダ 現実味増すインテル出資」
    • [14]広島工場の設備資金は約1600億円、資本金520億円のほかは銀行借り入れで調達
  • 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
    • [15]広島の300ミリ最新鋭自社工場は月産能力3000枚・投資額600億円強で2003年1月に稼働
    • [16]親会社が何度も追加出資に応じ資本金は780億円まで膨張
    • [18]月産3000枚では能力が足りず生き残りには最新鋭自社工場の能力増強が最低条件だったが、両親会社が資金負担を渋り始めた
    • [19]NEC松本滋夫専務は追加出資にこれ以上応じず設備増強の資金は第三者から調達するよう求めた
    • [20]2002年11月、NECと日立は坂本幸雄をエルピーダメモリ社長に招聘
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [17]2002年3月期 営業活動によるキャッシュ・フロー△30,046百万円・投資活動によるキャッシュ・フロー△9,002百万円・財務活動によるキャッシュ・フロー41,861百万円
  • 週刊東洋経済 2002年12月21日号「インテルがエルピーダに出資 MPU『販促策』に頼る日本DRAM産業の現実」
    • [21]2003年3月に三菱電機も統合に加わりエルピーダメモリは日本唯一のDRAM企業に
    • [22]米インテルのエルピーダメモリ出資はほぼ確定的な情勢
    • [23]インテルは1990年代後半、ペンティアム4対応DRAMの増産を後押しするためサムスン電子とマイクロン・テクノロジーへ出資

2003年〜 外から来た経営者が親会社から自立させ、529億円を稼いだ4年

エルピーダメモリの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2003年 三菱電機よりDRAM事業を譲り受け、開発エンジニアを受け入れ
  2. 2003年 生産を担当する子会社、広島エルピーダメモリを設立
  3. 2004年 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
  4. 2006年 アキタ電子システムズの半導体後工程事業を譲受
  5. 2007年 台湾・力晶半導体との折半出資によるDRAM生産合弁レックスチップの設立 最先端の量産をなぜ広島ではなく台中に置いたか——税と用地の差が決めた生産立地

三顧の礼で迎えられた日本TI出身の再建請負人

2002年11月、坂本幸雄氏が代表取締役社長に就任[24]した。日本電気と日立製作所は、台湾系のUMCジャパンで経営の立て直しを果たした坂本氏を三顧の礼で招いている[25]。日本電気の西垣浩司社長は1年がかりで坂本氏を口説いた[26]。坂本氏は1970年に日本体育大学を卒業して日本テキサス・インスツルメンツへ入社し、1991年に取締役、1993年に副社長[27]を務めた。入社2年後の24歳で企画課長、31歳では部下600人を率いる製造部長[28]に就いている。1997年に神戸製鋼所へ移り、2000年からは日本ファウンドリー(のちのUMCジャパン)の社長[29]を務めた。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【役員の状況】
    • [24]坂本幸雄 2002年11月にエルピーダメモリ代表取締役社長へ就任
  • 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
    • [25]NECと日立はUMCジャパン前社長で経営立て直しを成功させた坂本幸雄を三顧の礼でエルピーダ社長に招聘
  • 週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」
    • [26]NEC社長・西垣浩司が1年がかりで坂本幸雄を口説き三顧の礼で迎えた
    • [28]坂本幸雄は24歳で企画課長、31歳で部下600人の製造部長
  • 週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」
    • [27]坂本幸雄 1970年日本体育大学卒業・日本テキサス・インスツルメンツ入社、1991年取締役、1993年副社長
    • [29]坂本幸雄 1997年神戸製鋼所、2000年日本ファウンドリー(現UMCジャパン)社長

就任のあいさつで坂本社長が挙げた公約は、1年以内の黒字化、2年以内の株式上場、3〜4年以内に世界シェア3位に入ることの三つ[30]だった。親会社からの出向社員を転籍させ[31]、日本電気と日立製作所で役職を分け合うたすき掛け人事も廃した[32]。数百万円規模の特別賞与を配って[33]もいる。社長就任から1年で、世界中から1700億円を調達[34]した。それでも2003年3月期の連結売上高は632億円、当期純損失は261億円で、連結従業員は630人から582人へ減った[35]。同期は第三者割当増資で118万株を発行して資本金と資本準備金がそれぞれ295億円増え、自己資本比率は17.0%から44.1%へ上がって[36]いる。

  • 週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」
    • [30]就任時の三つの公約は1年以内の黒字化、2年以内の株式上場、3〜4年以内に世界シェアトップ3
  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [31]社長就任直後に減らしたのは親会社に戻した出向者
  • 週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」
    • [32]旧エルピーダのたすき掛け人事を全廃
    • [33]数百万円規模のスペシャルボーナスを支給
    • [34]社長就任から1年で世界中から1700億円を調達
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [35]2003年3月期 連結売上高63,235百万円・当期純損失26,084百万円・連結従業員582人(前期630人)
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
    • [36]2003年3月期は第三者割当増資で1,180,000株を発行し資本金及び資本準備金がそれぞれ29,500百万円増加、自己資本比率は44.1%へ上昇(前期17.0%)
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【役員の状況】
    • [24]坂本幸雄 2002年11月にエルピーダメモリ代表取締役社長へ就任
  • 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
    • [25]NECと日立はUMCジャパン前社長で経営立て直しを成功させた坂本幸雄を三顧の礼でエルピーダ社長に招聘
  • 週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」
    • [26]NEC社長・西垣浩司が1年がかりで坂本幸雄を口説き三顧の礼で迎えた
    • [28]坂本幸雄は24歳で企画課長、31歳で部下600人の製造部長
    • [32]旧エルピーダのたすき掛け人事を全廃
    • [33]数百万円規模のスペシャルボーナスを支給
    • [34]社長就任から1年で世界中から1700億円を調達
  • 週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」
    • [27]坂本幸雄 1970年日本体育大学卒業・日本テキサス・インスツルメンツ入社、1991年取締役、1993年副社長
    • [29]坂本幸雄 1997年神戸製鋼所、2000年日本ファウンドリー(現UMCジャパン)社長
  • 週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」
    • [30]就任時の三つの公約は1年以内の黒字化、2年以内の株式上場、3〜4年以内に世界シェアトップ3
  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [31]社長就任直後に減らしたのは親会社に戻した出向者
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [35]2003年3月期 連結売上高63,235百万円・当期純損失26,084百万円・連結従業員582人(前期630人)
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
    • [36]2003年3月期は第三者割当増資で1,180,000株を発行し資本金及び資本準備金がそれぞれ29,500百万円増加、自己資本比率は44.1%へ上昇(前期17.0%)

三菱電機の合流と、資本市場からの直接調達

2003年3月、三菱電機からDRAM事業を譲り受け、開発エンジニアを受け入れた[37]。同じ月に台湾のパワーチップ・セミコンダクターとDRAM調達契約を結び[38]、2003年9月には生産を担う子会社の広島エルピーダメモリを設立[39]している。高い性能が要る非パソコン向けは広島の自社工場で作り、価格競争の激しいパソコン向けは中国のSMICなどへ委託する分担[40]も敷いた。2004年3月期の連結売上高は1004億円へ増えたが、当期純損失269億円が残った[41]。連結従業員は582人から2069人へ増え、総資産は966億円から3006億円へ膨らんで[42]いる。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [37]三菱電機よりDRAM事業を譲受け、開発エンジニアを受け入れ
    • [38]Powerchip Semiconductor CorporationとDRAM調達契約を締結
    • [39]生産を担当する子会社、広島エルピーダメモリを設立
  • 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
    • [40]高性能が必要な非PC向けは広島の自社工場を中心に生産し、低価格が求められるPC向けは生産コストの低い中国SMICなどへ委託
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [41]2004年3月期 連結売上高100,441百万円・当期純損失26,865百万円
    • [42]2004年3月期 連結従業員2,069人(前期582人)・総資産300,599百万円(前期96,596百万円)

2004年11月、東京証券取引所市場第一部へ株式を上場[43]した。公募増資と同年12月のオーバーアロットメントによる第三者割当で3185万株を発行し、資本金は406億円、資本準備金は652億円増えて[44]いる。あわせて欠損を埋めるため資本準備金292億円を取り崩した[45]。2005年3月期の連結売上高は2070億円と前期の約2.1倍に伸び、営業利益151億円、当期純利益82億円を計上[46]して設立以来はじめて黒字となった。自己資本比率も27.0%から39.2%へ上がって[47]いる。2004年6月には広島工場の隣接地でエリア2とエリア3の増設に着手[48]し、今後3年の設備投資は5000億円に達する計画[49]を示した。1990年代前半に各地へ点在していたDRAMの量産拠点は、この時点で広島だけとなっていた[50]

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [43]東京証券取引所市場第一部に株式を上場
    • [48]E300エリア1の隣接地においてエリア2及びエリア3の増設に着手
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
    • [44]2004年11月の上場に伴う公募増資と同年12月の第三者割当で31,850,000株を発行、資本金40,609百万円・資本準備金65,292百万円が増加
    • [45]資本の欠損填補のため資本準備金29,226百万円を取崩し
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [46]2005年3月期 連結売上高207,028百万円(前期比約2.1倍)・営業利益15,116百万円・当期純利益8,213百万円
    • [47]自己資本比率 2004年3月期27.0%→2005年3月期39.2%
  • 週刊東洋経済 2004年8月7・14日合併号「エルピーダ『乾坤一擲』の勝負」
    • [49]2004年6月に広島工場敷地内の新工場建設計画を発表、今後3年の設備投資は5000億円
    • [50]国内のDRAM工場は全国で広島だけに絞られた
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [37]三菱電機よりDRAM事業を譲受け、開発エンジニアを受け入れ
    • [38]Powerchip Semiconductor CorporationとDRAM調達契約を締結
    • [39]生産を担当する子会社、広島エルピーダメモリを設立
    • [43]東京証券取引所市場第一部に株式を上場
    • [48]E300エリア1の隣接地においてエリア2及びエリア3の増設に着手
  • 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
    • [40]高性能が必要な非PC向けは広島の自社工場を中心に生産し、低価格が求められるPC向けは生産コストの低い中国SMICなどへ委託
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [41]2004年3月期 連結売上高100,441百万円・当期純損失26,865百万円
    • [42]2004年3月期 連結従業員2,069人(前期582人)・総資産300,599百万円(前期96,596百万円)
    • [46]2005年3月期 連結売上高207,028百万円(前期比約2.1倍)・営業利益15,116百万円・当期純利益8,213百万円
    • [47]自己資本比率 2004年3月期27.0%→2005年3月期39.2%
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
    • [44]2004年11月の上場に伴う公募増資と同年12月の第三者割当で31,850,000株を発行、資本金40,609百万円・資本準備金65,292百万円が増加
    • [45]資本の欠損填補のため資本準備金29,226百万円を取崩し
  • 週刊東洋経済 2004年8月7・14日合併号「エルピーダ『乾坤一擲』の勝負」
    • [49]2004年6月に広島工場敷地内の新工場建設計画を発表、今後3年の設備投資は5000億円
    • [50]国内のDRAM工場は全国で広島だけに絞られた

台湾・力晶との合弁と、過去最高となった529億円

2006年3月期は連結売上高2416億円まで伸びながら、経常損失31億円、当期純損失47億円[51]を計上した。パソコンとサーバ向けDRAMの市況悪化で利益率が下がり、米国の独占禁止法をめぐる争訟の和解金と訴訟和解引当金の繰入も重なって[52]いる。それでも設備投資は止めず、タームローンで300億円、日本政策投資銀行からの新規借入で200億円、セール・アンド・リースバック取引で288億円を調達して広島の300ミリ工場へ投じた[53]。2005年10月にはE300エリア2で量産を始めて[54]いる。2006年10月には日立製作所からアキタ電子システムズの半導体後工程事業を譲り受け、秋田エルピーダメモリとして事業を始めた[55]

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [51]2006年3月期 連結売上高241,554百万円・経常損失3,076百万円・当期純損失4,708百万円
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
    • [52]PC及びサーバ向けDRAMの市況悪化による利益率低下と、米国の独占禁止法に係る争訟解決のための和解金・訴訟和解引当金繰入額の計上
    • [53]2006年3月期はタームローン契約から30,000百万円、日本政策投資銀行からの新規借入で20,000百万円、セール・アンド・リースバック取引により28,836百万円を調達し広島の300mm工場を中心に設備投資
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [54]E300エリア2での量産稼動を開始
    • [55]日立製作所よりアキタ電子システムズ及びアキタセミコンダクタの半導体後工程事業を譲受け、秋田エルピーダメモリとして事業開始

2007年1月、台湾のパワーチップ・セミコンダクターと、台中の中部サイエンスパークにDRAM生産の合弁会社レックスチップを設立することで正式に合意[56]した。建設予定地は総面積20ヘクタールで、両社が向こう3年間にそれぞれ年800億円ずつ、合計4800億円を投じる計画[57]だった。フル稼働時の生産は300ミリウェハ換算で月産24万枚、既存工場を合わせると月産39万枚に達し、生産品は出資2社へ均等に供給される[58]取り決めであった。台湾の法人実効税率は25%で日本の40%より低く、一部の法人税は5年間免除され[59]、用地も国からの賃貸で1ヘクタール月90万円と、広島工場周辺の分譲価格1ヘクタール約2億円[60]とは条件が違った。坂本社長は2006年12月7日の台湾での会見で「今回の力晶との合弁設立も元親会社に事前に相談していない。エルピーダと力晶はこれまで親戚だったが、これからは家族」と述べた。 [61]

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [56]Powerchip Semiconductor Corporationと台湾・中部サイエンスパーク内にDRAM生産合弁会社Rexchip Electronics Corporationを設立することで正式合意
  • 週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」
    • [57]台中の建設予定地は総面積20ヘクタール、両社が向こう3年間でそれぞれ年800億円・2社合計4800億円を投資
    • [58]フル稼働時は300ミリウェハ換算で月産24万枚、両社既存工場を含め合計39万枚、生産品は出資2社へ均等供給
    • [59]台湾の法人実効税率25%・日本40%、台湾では一部法人税が5年間免除
    • [60]用地は国からの賃貸で1ヘクタール月90万円、広島工場周辺は分譲で1ヘクタール約2億円
    • [61]坂本社長は2006年12月7日の台湾での会見で合弁設立を元親会社に事前相談していないと述べた

2007年3月期の連結売上高は4900億円と前期の約2倍に増え、営業利益684億円、当期純利益529億円[62]を計上した。自己資本比率は49.7%まで上がり、連結従業員は3227人になって[63]いる。2006年12月26日の時価総額は8488億円に達し、出資比率は日立製作所が11%、日本電気が8%強まで下がっていた[64]。坂本社長は「社長に就任した02年11月には債務超過で企業価値はマイナス。それを4年で8000億円にした」と語っている。設備投資の資金は2006年7月の公募増資と同年8月の第三者割当で1338億円、2007年1月発行の第5回無担保社債で300億円を調達[66]した。設立から8期目で得たこの利益が、エルピーダメモリにとって最大の黒字[67]となった。 [65]

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [62]2007年3月期 連結売上高490,039百万円・営業利益68,420百万円・当期純利益52,943百万円
    • [63]2007年3月期 自己資本比率49.7%・連結従業員3,227人
    • [67]連結当期純利益は2007年3月期の52,943百万円が設立以来の最高
  • 週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」
    • [64]2006年12月26日の時価総額8,488億円、出資比率は日立11%・NEC8%強
    • [65]坂本社長は「社長に就任した02年11月には債務超過で企業価値はマイナス。それを4年で8000億円にした」と述べた
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
    • [66]2007年3月期は設備投資資金に充当するため2006年7月の公募増資及び同年8月の第三者割当により133,797百万円、2007年1月発行の第5回無担保社債により30,000百万円を調達
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [51]2006年3月期 連結売上高241,554百万円・経常損失3,076百万円・当期純損失4,708百万円
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
    • [52]PC及びサーバ向けDRAMの市況悪化による利益率低下と、米国の独占禁止法に係る争訟解決のための和解金・訴訟和解引当金繰入額の計上
    • [53]2006年3月期はタームローン契約から30,000百万円、日本政策投資銀行からの新規借入で20,000百万円、セール・アンド・リースバック取引により28,836百万円を調達し広島の300mm工場を中心に設備投資
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [54]E300エリア2での量産稼動を開始
    • [55]日立製作所よりアキタ電子システムズ及びアキタセミコンダクタの半導体後工程事業を譲受け、秋田エルピーダメモリとして事業開始
    • [56]Powerchip Semiconductor Corporationと台湾・中部サイエンスパーク内にDRAM生産合弁会社Rexchip Electronics Corporationを設立することで正式合意
  • 週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」
    • [57]台中の建設予定地は総面積20ヘクタール、両社が向こう3年間でそれぞれ年800億円・2社合計4800億円を投資
    • [58]フル稼働時は300ミリウェハ換算で月産24万枚、両社既存工場を含め合計39万枚、生産品は出資2社へ均等供給
    • [59]台湾の法人実効税率25%・日本40%、台湾では一部法人税が5年間免除
    • [60]用地は国からの賃貸で1ヘクタール月90万円、広島工場周辺は分譲で1ヘクタール約2億円
    • [61]坂本社長は2006年12月7日の台湾での会見で合弁設立を元親会社に事前相談していないと述べた
    • [64]2006年12月26日の時価総額8,488億円、出資比率は日立11%・NEC8%強
    • [65]坂本社長は「社長に就任した02年11月には債務超過で企業価値はマイナス。それを4年で8000億円にした」と述べた
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [62]2007年3月期 連結売上高490,039百万円・営業利益68,420百万円・当期純利益52,943百万円
    • [63]2007年3月期 自己資本比率49.7%・連結従業員3,227人
    • [67]連結当期純利益は2007年3月期の52,943百万円が設立以来の最高
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
    • [66]2007年3月期は設備投資資金に充当するため2006年7月の公募増資及び同年8月の第三者割当により133,797百万円、2007年1月発行の第5回無担保社債により30,000百万円を調達

2008年〜 価格暴落と1789億円の赤字、そして産活法第1号となった公的資金

エルピーダメモリの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2009年 Rexchip Electronics Corporationとテラプローブを子会社化
  2. 2009年 改正産業活力再生特別措置法にもとづく日本政策投資銀行からの優先株300億円の受け入れ 公的資金を入れるか、市場で調達し続けるか——一般企業として第1号となった資本注入

1個6ドルが60セントを割った1年

2007年後半からDRAM価格が崩れ、6ドルだった1ギガビット製品は2008年12月に60セント割れまで下がって、最大手のサムスン電子さえ採算割れ[68]となった。直接の原因は、金融危機で資金繰りに窮した海外メーカーが損失覚悟で在庫処分に走った[69]ことにあった。2008年3月期の連結売上高は4055億円、営業損失249億円、当期純損失235億円[70]だった。2009年3月期には売上高3310億円に対し営業損失1474億円、当期純損失1789億円[71]を計上した。同期末の有利子負債は4950億円へ膨らみ、自己資本比率は46.1%から17.3%へ落ちて[72]いる。

  • 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
    • [68]6ドルだった1ギガビット製品が2008年12月に60セント割れまで落ち込み、最大手サムスン電子さえ採算割れ
    • [69]価格暴落の直接の原因は金融危機で資金繰りに窮した海外メーカーが損失覚悟で在庫処分に走ったこと
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [70]2008年3月期 連結売上高405,481百万円・営業損失24,940百万円・当期純損失23,542百万円
    • [71]2009年3月期 連結売上高331,049百万円・営業損失147,389百万円・当期純損失178,870百万円
    • [72]2009年3月期末の有利子負債494,951百万円、自己資本比率17.3%(前期46.1%)

2008年4月には生産子会社の広島エルピーダメモリを吸収合併[73]し、提出会社の従業員は1017人から3089人へ増えた[74]。2009年3月にはレックスチップとテラプローブを連結子会社にして[75]いる。総資産は7544億円から9653億円へ[76]膨らんだ。価格が崩れた2008年11月には、台湾の力晶半導体との合弁である瑞晶電子の株式を買い増して子会社化すると公表[77]した。台湾政府が支援に動けば、力晶半導体と緊密なエルピーダメモリも間接的な恩恵を受ける[78]位置にあった。2009年3月期は長期コミットメントラインから1100億円、転換社債型新株予約権付社債で500億円、セール・アンド・リースバック取引で328億円を調達[79]し、設備投資に充てている。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [73]広島エルピーダメモリを吸収合併
    • [75]Rexchip Electronics Corporationとテラプローブを連結子会社化
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2009年3月期)【従業員の状況】
    • [74]提出会社の従業員数 2008年3月期1,017人→2009年3月期3,089人
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [76]総資産 2008年3月期754,379百万円→2009年3月期965,289百万円
  • 週刊東洋経済 2009年1月31日号「半導体を覆う底なし不況 巨額赤字で動き出す業界大再編の行方」
    • [77]2008年11月、台湾の力晶半導体と合弁の瑞晶電子の株式を買い増して子会社化すると公表
    • [78]台湾政府が支援へ動けば瑞晶電子や力晶半導体と緊密化するエルピーダも恩恵を享受する
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
    • [79]2009年3月期は設備投資資金に充当するため長期コミットメントラインからの引き出し110,000百万円、第1回無担保転換社債型新株予約権付社債の発行50,000百万円、セール・アンド・リースバック取引32,831百万円を実行
  • 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
    • [68]6ドルだった1ギガビット製品が2008年12月に60セント割れまで落ち込み、最大手サムスン電子さえ採算割れ
    • [69]価格暴落の直接の原因は金融危機で資金繰りに窮した海外メーカーが損失覚悟で在庫処分に走ったこと
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [70]2008年3月期 連結売上高405,481百万円・営業損失24,940百万円・当期純損失23,542百万円
    • [71]2009年3月期 連結売上高331,049百万円・営業損失147,389百万円・当期純損失178,870百万円
    • [72]2009年3月期末の有利子負債494,951百万円、自己資本比率17.3%(前期46.1%)
    • [76]総資産 2008年3月期754,379百万円→2009年3月期965,289百万円
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [73]広島エルピーダメモリを吸収合併
    • [75]Rexchip Electronics Corporationとテラプローブを連結子会社化
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2009年3月期)【従業員の状況】
    • [74]提出会社の従業員数 2008年3月期1,017人→2009年3月期3,089人
  • 週刊東洋経済 2009年1月31日号「半導体を覆う底なし不況 巨額赤字で動き出す業界大再編の行方」
    • [77]2008年11月、台湾の力晶半導体と合弁の瑞晶電子の株式を買い増して子会社化すると公表
    • [78]台湾政府が支援へ動けば瑞晶電子や力晶半導体と緊密化するエルピーダも恩恵を享受する
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
    • [79]2009年3月期は設備投資資金に充当するため長期コミットメントラインからの引き出し110,000百万円、第1回無担保転換社債型新株予約権付社債の発行50,000百万円、セール・アンド・リースバック取引32,831百万円を実行

産活法第1号として受け入れた300億円

2009年6月30日、改正産業活力再生特別措置法にもとづく事業再構築計画の認定[80]を、一般企業として最初に受けた[81]。日本政策投資銀行が300億円の優先株を引き受けて100億円を融資し、政府が出資額の最大8割を保証[82]している。主要取引銀行も1000億円の協調融資に応じ、台湾政府が準備するDRAM統括会社から約200億円の出資を受ける計画[83]も枠組みに入っていた。調達する1600億円は、有利子負債の返済と最先端設備への投資に充て[84]られた。事業再構築の期間は2012年3月末までで、その間に政投銀が普通株へ転換して市場で売るか、エルピーダメモリが優先株を買い戻して支援を終える計画[85]であった。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [80]「産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法」の事業再構築計画の認定を経済産業省より取得
  • 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
    • [81]2009年6月30日、公的資金を一般企業に出資する改正産業活力再生法の第1号にエルピーダメモリが認定
    • [82]日本政策投資銀行が300億円の優先株引き受けと100億円の融資、政府が出資に最大8割を保証
    • [83]主要取引銀行が1000億円の協調融資、台湾のDRAM事業統括会社が約200億円を出資する予定
    • [84]調達する1600億円を有利子負債の返済と生産設備投資に充当
    • [85]事業再構築の期間は2012年3月末まで、政投銀が普通株に転換して市場で売却するかエルピーダが優先株を買い入れて支援を卒業する計画

公的資金の受け入れについて、坂本社長は「自分たちが生き残って、次への投資ができるということを考えるべきで、プライドのためにそれをやらないという選択肢はない[86]」と述べた。「政府、特に経済産業省が信じられないぐらいに協力的でした[87]」とも振り返っている。国が支援した理由について、経済産業省幹部は「DRAM産業は日本にないといけない。供給元が韓国勢だけになってしまうと産業界の競争力にかかわる」と説明した。2009年には大手の一角である独キマンダが破綻し、経営危機に陥った韓国のハイニックスは公的支援を受けて再生[89]している。各国が自国メーカーへ資金支援を続ける限り、脱落者の出ない消耗戦が続く可能性[90]も残った。 [88]

  • 週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」
    • [86]坂本社長は公的資金の受け入れについて「自分たちが生き残って、次への投資ができるということを考えるべきで、プライドのためにそれ(公的資金の受け入れ)をやらないという選択肢はない」と述べた
    • [87]坂本社長は「政府、特に経済産業省が信じられないぐらいに協力的でした」と述べた
  • 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
    • [88]経産省幹部は「DRAM産業は日本にないといけない。供給元が韓国勢だけになってしまうと産業界の競争力にかかわる」と述べた
    • [89]2009年に独キマンダが経営破綻、経営危機に陥った韓国ハイニックスは公的支援を受けて再生
    • [90]各国が資金支援を行えば消耗戦が続く可能性が残る
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [80]「産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法」の事業再構築計画の認定を経済産業省より取得
  • 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
    • [81]2009年6月30日、公的資金を一般企業に出資する改正産業活力再生法の第1号にエルピーダメモリが認定
    • [82]日本政策投資銀行が300億円の優先株引き受けと100億円の融資、政府が出資に最大8割を保証
    • [83]主要取引銀行が1000億円の協調融資、台湾のDRAM事業統括会社が約200億円を出資する予定
    • [84]調達する1600億円を有利子負債の返済と生産設備投資に充当
    • [85]事業再構築の期間は2012年3月末まで、政投銀が普通株に転換して市場で売却するかエルピーダが優先株を買い入れて支援を卒業する計画
    • [88]経産省幹部は「DRAM産業は日本にないといけない。供給元が韓国勢だけになってしまうと産業界の競争力にかかわる」と述べた
    • [89]2009年に独キマンダが経営破綻、経営危機に陥った韓国ハイニックスは公的支援を受けて再生
    • [90]各国が資金支援を行えば消耗戦が続く可能性が残る
  • 週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」
    • [86]坂本社長は公的資金の受け入れについて「自分たちが生き残って、次への投資ができるということを考えるべきで、プライドのためにそれ(公的資金の受け入れ)をやらないという選択肢はない」と述べた
    • [87]坂本社長は「政府、特に経済産業省が信じられないぐらいに協力的でした」と述べた

実現しなかった台湾連合と、1ドルを割った価格

坂本社長は将来のDRAM産業では2社しか生き残れないという仮説を立て、日台連合と韓国勢の二社体制を構想[91]した。台湾には6社のDRAMメーカーがあり、いずれも規模が小さく特許を持たない[92]ため、単独での生き残りが難しかった。6社がそれぞれ勝手に投資して価格を決めるため、DRAM価格は2年半で15分の1まで落ちて[93]いる。2008年11月から隔週で台湾へ渡り、レックスチップを台湾側の受け皿として段階的に各社を買い取る統合案[94]をまとめた。台湾政府はこの案を評価したものの、ある会社の最高経営責任者が署名せず、代わりに台湾政府が出資するDRAM統括会社が設けられた[95]。2009年の出資時に織り込まれていた台湾のDRAMメーカー4陣営との提携は、その後も実現しなかった[96]

  • 週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」
    • [91]坂本社長は将来DRAM産業では2社しか生き残れないという仮説を立て、日台連合と韓国サムスンの二社体制を想定
    • [92]台湾にはDRAM会社が6社あるが6社とも小さく特許を持たず、単独で生き残ることが難しい
    • [93]DRAM価格は2年半の間に15分の1ぐらいに落ち込んだ
    • [94]2008年11月から一時期は隔週で台湾へ渡り交渉、レックスチップが台湾側のプラットフォームとなり段階的に台湾のDRAM会社を買う統合プランを作成
    • [95]台湾政府はプランを高く評価したがある会社のCEOが署名せず、台湾政府が出資するDRAM統括会社TIMCが設けられた
  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [96]2009年の出資時には台湾のDRAMメーカー4陣営と提携して出資を仰ぐ計画が織り込まれていたが、まったく実現できていなかった

2010年3月期と2011年3月期は市況の回復で黒字を確保[97]し、2011年3月期の連結売上高5143億円は設立以来の最高[98]となった。それでも当期純利益は21億円にとどまり、期末の有利子負債は3372億円[99]が残った。2010年12月にはテラプローブが東京証券取引所マザーズ市場へ上場して持分法適用関連会社となり[100]、2011年2月には台湾証券取引所へ台湾預託証券を上場[101]している。2011年夏から価格は再び下がり、DRAMのスポット価格は1個1ドルを割り込んだ[102]。採算水準は1ドル台半ばとされ、2011年4〜9月期の最終赤字は567億円[103]に達した。決算説明会で坂本社長は「最先端の技術を使っているのに、(コンビニで売っている)おにぎり半分の値段にしかならない[104]」と述べている。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [97]2010年3月期 当期純利益3,085百万円、2011年3月期 当期純利益2,096百万円
    • [98]2011年3月期 連結売上高514,316百万円(設立来最高)
    • [99]2011年3月期 当期純利益2,096百万円・期末有利子負債337,249百万円
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [100]テラプローブが東京証券取引所マザーズ市場へ株式を上場し持分法適用関連会社へ異動
    • [101]台湾証券取引所にTDR(台湾預託証券)を上場
  • 週刊東洋経済 2011年11月12日号「赤字転落のエルピーダ 迫る巨額返済の重圧」
    • [102]DRAMのスポット価格は1個当たり1ドルを割り込み、採算レベルとされる1ドル台半ばを下回った
    • [103]2011年4〜9月期は567億円の最終赤字
    • [104]坂本社長は決算説明会で「最先端の技術を使っているのに、(コンビニで売っている)おにぎり半分の値段にしかならない」と述べた
  • 週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」
    • [91]坂本社長は将来DRAM産業では2社しか生き残れないという仮説を立て、日台連合と韓国サムスンの二社体制を想定
    • [92]台湾にはDRAM会社が6社あるが6社とも小さく特許を持たず、単独で生き残ることが難しい
    • [93]DRAM価格は2年半の間に15分の1ぐらいに落ち込んだ
    • [94]2008年11月から一時期は隔週で台湾へ渡り交渉、レックスチップが台湾側のプラットフォームとなり段階的に台湾のDRAM会社を買う統合プランを作成
    • [95]台湾政府はプランを高く評価したがある会社のCEOが署名せず、台湾政府が出資するDRAM統括会社TIMCが設けられた
  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [96]2009年の出資時には台湾のDRAMメーカー4陣営と提携して出資を仰ぐ計画が織り込まれていたが、まったく実現できていなかった
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [97]2010年3月期 当期純利益3,085百万円、2011年3月期 当期純利益2,096百万円
    • [98]2011年3月期 連結売上高514,316百万円(設立来最高)
    • [99]2011年3月期 当期純利益2,096百万円・期末有利子負債337,249百万円
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
    • [100]テラプローブが東京証券取引所マザーズ市場へ株式を上場し持分法適用関連会社へ異動
    • [101]台湾証券取引所にTDR(台湾預託証券)を上場
  • 週刊東洋経済 2011年11月12日号「赤字転落のエルピーダ 迫る巨額返済の重圧」
    • [102]DRAMのスポット価格は1個当たり1ドルを割り込み、採算レベルとされる1ドル台半ばを下回った
    • [103]2011年4〜9月期は567億円の最終赤字
    • [104]坂本社長は決算説明会で「最先端の技術を使っているのに、(コンビニで売っている)おにぎり半分の値段にしかならない」と述べた

2012年〜 負債4480億円で更生法を申請し、マイクロンの傘下で社名が消えるまで

  1. 2012年 会社更生法の適用申請と、米マイクロン・テクノロジーへの譲渡 自力再建か法的整理か——2000億円の増資条件を前に、坂本幸雄社長は何を待っていたか
  2. 2012年 負債総額4480億円は国内製造業で過去最大
  3. 2012年 東京証券取引所が株式を上場廃止
  4. 2013年 マイクロン・テクノロジーの子会社に

2000億円という条件と、届かなかった一本の電話

2012年1月から4月にかけて、社債の償還と借入金の返済で1200億円超の資金が必要で、産活法の適用期限も3月末に迫っていた[105]。エルピーダメモリは取引行と等距離で付き合ってきたため、支援策をまとめる主力行を持たなかった[106]。2011年12月上旬には、協調融資に応じたメガバンク3行と住友信託銀行が連名で書面を出して[107]いる。同じ12月の中旬、日本政策投資銀行は借り換えの条件として、提携先を見つけて資本金を2000億円積み増すよう求めた[108]。2012年1月中旬には、前回の支援にかかわった経済産業省の官僚がインサイダー取引で逮捕され、支援の実施はさらに難しくなった[109]

  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [105]2012年1月から4月にかけて社債償還や借り換えなどで1200億円の調達が必要、産活法の適用期限は3月末
    • [108]2011年12月中旬に政投銀が提携先を見つけて資本金2000億円をプラスするよう条件を上げた
  • 週刊東洋経済 2012年3月10日号「エルピーダついに倒産 支援先探しは難航必至」
    • [106]エルピーダは取引行と等間隔で付き合うスタンスのため支援策をまとめるメイン行を持たなかった
    • [107]2011年12月上旬、協調融資を行った取引先4行(メガ3行と住友信託)が連名でエルピーダへ書面を付した
    • [109]2012年1月中旬に前回の支援にかかわった経産省のキャリア官僚がインサイダー取引で逮捕され、支援の実施は一段と難しくなった

2011年9月ごろから米マイクロン・テクノロジーと経営統合の交渉を進め、2012年2月3日にスキームがまとまった[110]。マイクロンのスティーブ・アップルトン最高経営責任者は2004年から統合を持ちかけ続けた相手で、8年越しの合意[111]だった。その直後、同氏は小型機の墜落事故で死亡し、経営統合はできなくなった[112]。2月末までに2000億円を調達する条件は残り、坂本社長は毎週のように海外へ飛んだが、借入は集まっても出資は集まらなかった[113]。2月27日の午前10時までに広島工場を半分買うと伝えていた企業からは電話が来ず、10時半に坂本社長が連絡すると金額で折り合わなかった[114]。同日午後、エルピーダメモリは東京地方裁判所へ会社更生手続の開始を申し立てた[115]

  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [110]2011年9月ごろからマイクロンと経営統合の交渉を開始し、2012年2月3日に統合の話がついた
    • [111]マイクロンのアップルトンCEOは2004年から統合を持ちかけ、2008年にも持ちかけていた
    • [112]アップルトンCEOは統合合意の直後にプロペラ機の墜落事故で死亡し経営統合ができなくなった
    • [113]2月末までに2000億円を調達する条件があり、坂本社長は毎週のように海外へ飛んだが「デット(借金)なら集まるけどエクイティは厳しい」状況だった
    • [114]2月27日10時までにある企業が広島工場を半分買うことになっていたが電話が来ず、坂本社長が10時半に電話すると金額で折り合わなかった
  • 週刊東洋経済 2012年3月10日号「エルピーダついに倒産 支援先探しは難航必至」
    • [115]2012年2月27日に会社更生法の適用を申請

負債総額4480億円は、国内の製造業で過去最大の倒産規模[116]となった。同日夜の記者会見で坂本社長は「最終的なオファーが出てくるのを今日まで待っていたが、具体的な(提携)案ではなかった[117]」と語った。為替については「この1年間で起きた為替変動の大きさは、一企業の努力ではカバーし切れない[118]」と釈明している。当時は1ドル80円を割り、パソコン用DRAMの主力である2ギガビット品も1個1ドルを下回って採算割れが常態化[119]していた。債権者説明会に出席した取引先は「いつ潰れてもおかしくないと思っていた[120]」と話し、前年末に支払いの1カ月延期を告げられて取引を絞っていた[121]という。2012年3月、東京証券取引所は同社株式を上場廃止とした[122]

  • 週刊東洋経済 2012年3月10日号「エルピーダついに倒産 支援先探しは難航必至」
    • [116]負債総額4480億円は国内製造業で過去最大の倒産規模
    • [117]坂本社長は破綻当日夜の会見で「最終的なオファーが出てくるのを今日まで待っていたが、具体的な(提携)案ではなかった」と語った
    • [120]債権者説明会に出席した取引先業者は「いつ潰れてもおかしくないと思っていた」と語った
    • [121]取引先業者は昨年暮れにファクスで支払いの1カ月延期を告げられ取引を絞っていたと語った
  • 週刊東洋経済 2013年4月27日・5月4日合併号「日の丸電機は完敗したのか」
    • [118]倒産会見で坂本社長は「この1年間で起きた為替変動の大きさは、一企業の努力ではカバーし切れない」と釈明した
    • [119]当時は1ドル80円を切り、PC用DRAMも主力の2ギガビット品が1個1ドルを下回り採算割れが常態化
    • [122]エルピーダメモリ(6665)は2012年3月に上場廃止
  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [105]2012年1月から4月にかけて社債償還や借り換えなどで1200億円の調達が必要、産活法の適用期限は3月末
    • [108]2011年12月中旬に政投銀が提携先を見つけて資本金2000億円をプラスするよう条件を上げた
    • [110]2011年9月ごろからマイクロンと経営統合の交渉を開始し、2012年2月3日に統合の話がついた
    • [111]マイクロンのアップルトンCEOは2004年から統合を持ちかけ、2008年にも持ちかけていた
    • [112]アップルトンCEOは統合合意の直後にプロペラ機の墜落事故で死亡し経営統合ができなくなった
    • [113]2月末までに2000億円を調達する条件があり、坂本社長は毎週のように海外へ飛んだが「デット(借金)なら集まるけどエクイティは厳しい」状況だった
    • [114]2月27日10時までにある企業が広島工場を半分買うことになっていたが電話が来ず、坂本社長が10時半に電話すると金額で折り合わなかった
  • 週刊東洋経済 2012年3月10日号「エルピーダついに倒産 支援先探しは難航必至」
    • [106]エルピーダは取引行と等間隔で付き合うスタンスのため支援策をまとめるメイン行を持たなかった
    • [107]2011年12月上旬、協調融資を行った取引先4行(メガ3行と住友信託)が連名でエルピーダへ書面を付した
    • [109]2012年1月中旬に前回の支援にかかわった経産省のキャリア官僚がインサイダー取引で逮捕され、支援の実施は一段と難しくなった
    • [115]2012年2月27日に会社更生法の適用を申請
    • [116]負債総額4480億円は国内製造業で過去最大の倒産規模
    • [117]坂本社長は破綻当日夜の会見で「最終的なオファーが出てくるのを今日まで待っていたが、具体的な(提携)案ではなかった」と語った
    • [120]債権者説明会に出席した取引先業者は「いつ潰れてもおかしくないと思っていた」と語った
    • [121]取引先業者は昨年暮れにファクスで支払いの1カ月延期を告げられ取引を絞っていたと語った
  • 週刊東洋経済 2013年4月27日・5月4日合併号「日の丸電機は完敗したのか」
    • [118]倒産会見で坂本社長は「この1年間で起きた為替変動の大きさは、一企業の努力ではカバーし切れない」と釈明した
    • [119]当時は1ドル80円を切り、PC用DRAMも主力の2ギガビット品が1個1ドルを下回り採算割れが常態化
    • [122]エルピーダメモリ(6665)は2012年3月に上場廃止

入札に残った4陣営と、消えたエルピーダの名

支援企業の選定入札には、マイクロン、韓国のSKハイニックス、東芝、中国のホニー・キャピタルが名乗りを上げた[123]。東芝が関心を寄せたのは台湾のレックスチップ工場で、東芝首脳は「広島にはまったく興味を感じていない」[124]と語っている。エルピーダメモリ自身も破綻前から、為替の影響を除いてもレックスチップのほうが広島工場より生産効率は高い[125]と説明していた。工場運営の経験がないホニー・キャピタルは2次入札の途中で降り、SKハイニックスは締切の12時半に辞退[126]を伝えてきた。2000億円を準備すると伝えてきた別の会社もあったが、設備投資に800億円を追加する条件を出したのはマイクロン[127]だけだった。

  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [123]入札には東芝、韓国ハイニクス、中国ホニー・キャピタル、マイクロンが名乗りを上げた
    • [126]ホニー・キャピタルは工場運営経験がないため2次入札途中で降り、ハイニクスは締切の12時半に辞退した
    • [127]別の会社も2000億円を準備すると言ってきたが、設備投資に800億円を追加投資する条件を出したのはマイクロンだけ
  • 週刊東洋経済 2012年4月21日号「広島工場は救われるのか エルピーダ争奪戦」
    • [124]東芝が関心を持っていたのは台湾のレックスチップ工場で、東芝首脳は「広島にはまったく興味を感じていない」と語った
    • [125]エルピーダは破綻前から「為替影響を除いても、台湾のレックスのほうが広島工場よりも生産効率は高い」と説明していた

会社更生手続の開始申立てから1年半後の2013年7月末、エルピーダメモリは米マイクロン・テクノロジーの傘下に入った[128]。エルピーダのブランドは消え[129]、設立から14年で日本のDRAMメーカーとしての歴史は終わった。譲渡の契約には、エルピーダメモリの人材をマイクロン本社で活用し工場には手をつけないという条項[130]が入っている。倒産から1年以上が過ぎた2013年春の時点でも人員削減は一度も行われず[131]、広島工場は直径300ミリウェハ月産12万枚の能力でフル稼働[132]していた。牽引したのはスマートフォン向けのモバイルDRAMで、価格変動の激しいパソコン用の汎用品と違って価格が安定[133]していた。

  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [128]会社更生法申請から1年半後の2013年7月末、エルピーダメモリは米マイクロン・テクノロジーの傘下に入った
    • [129]エルピーダブランドは消滅
    • [130]坂本前社長は「エルピーダの優秀な人材はマイクロン本社で使って工場もいじるなと、ちゃんと契約書に入っている」と述べた
  • 週刊東洋経済 2013年4月27日・5月4日合併号「日の丸電機は完敗したのか」
    • [131]倒産から1年以上が過ぎたが、この間、人員削減などは一度も行われていない
    • [132]広島工場は直径300ミリメートルウエハで月間12万枚の生産能力がフル稼働
    • [133]牽引役はスマートフォン向けのモバイルDRAMで、価格変動が激しいPC用の汎用DRAMと違って価格は安定し利益を確保しやすい
  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [123]入札には東芝、韓国ハイニクス、中国ホニー・キャピタル、マイクロンが名乗りを上げた
    • [126]ホニー・キャピタルは工場運営経験がないため2次入札途中で降り、ハイニクスは締切の12時半に辞退した
    • [127]別の会社も2000億円を準備すると言ってきたが、設備投資に800億円を追加投資する条件を出したのはマイクロンだけ
    • [128]会社更生法申請から1年半後の2013年7月末、エルピーダメモリは米マイクロン・テクノロジーの傘下に入った
    • [129]エルピーダブランドは消滅
    • [130]坂本前社長は「エルピーダの優秀な人材はマイクロン本社で使って工場もいじるなと、ちゃんと契約書に入っている」と述べた
  • 週刊東洋経済 2012年4月21日号「広島工場は救われるのか エルピーダ争奪戦」
    • [124]東芝が関心を持っていたのは台湾のレックスチップ工場で、東芝首脳は「広島にはまったく興味を感じていない」と語った
    • [125]エルピーダは破綻前から「為替影響を除いても、台湾のレックスのほうが広島工場よりも生産効率は高い」と説明していた
  • 週刊東洋経済 2013年4月27日・5月4日合併号「日の丸電機は完敗したのか」
    • [131]倒産から1年以上が過ぎたが、この間、人員削減などは一度も行われていない
    • [132]広島工場は直径300ミリメートルウエハで月間12万枚の生産能力がフル稼働
    • [133]牽引役はスマートフォン向けのモバイルDRAMで、価格変動が激しいPC用の汎用DRAMと違って価格は安定し利益を確保しやすい

破綻から1年後に反転した為替と価格

坂本前社長は破綻の最大の原因として、2009年に日本政策投資銀行から受けた300億円の資本注入を挙げ、「これが中途半端だった」[134]と述べた。「一番の失敗は300億円でリーディングバンクを政投銀にしたこと。政投銀がなければメインバンクがどこか出てきたはずだ」とも語っている。需要については「僕らが想定した携帯電話市場の成長が1年遅れていた」「あと1年待ったらすごい利益を出す会社になっていた。銀行が待てたか待てなかったかの問題だ」と総括した。根拠に挙げたのは、マイクロン傘下に入った直後の2013年4〜6月期に単体で売上高1300億円・純利益390億円を計上した[137]という数字である。 [135][136]

  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [134]坂本前社長は「産活法に認定されて、09年に政投銀から300億円の資本注入をしてもらった。これが中途半端だった」と述べた
    • [135]坂本前社長は「一番の失敗は300億円でリーディングバンクを政投銀にしたこと。政投銀がなければメインバンクがどこか出てきたはずだ」と述べた
    • [136]坂本前社長は「僕らが想定した携帯電話市場の成長が1年遅れていた」「あと1年待ったらすごい利益を出す会社になっていた。銀行が待てたか待てなかったかの問題だ」と総括した
    • [137]坂本前社長は「単体の13年4〜6月期は売上高1300億円で純利益390億円、そこに台湾子会社を加えると利益はもっと増える」と述べた

破綻の前のエルピーダメモリは、円高と価格下落を受けて台湾子会社の工場へ生産を移し、広島工場はモバイル用への特化を試みていた[138]。破綻から1年後の2013年3月末、為替は1ドル97円まで円安に振れ、DRAM単価は1.74ドルへ上がった[139]。広島で生産しても十分に利益が出る水準で、エルピーダメモリのシェアは2012年末時点で13.5%と破綻直後からほぼ横ばい[140]だった。マイクロンによる買収でDRAMは世界3強体制へ集約され、10年前に15社で繰り広げられていた過当競争は一段落[141]している。1990年代初頭に50%あった日本の半導体メーカーの世界シェアは、2010年時点で20%まで下がっていた[142]

  • 週刊東洋経済 2013年4月27日・5月4日合併号「日の丸電機は完敗したのか」
    • [138]円高と壊滅的な価格下落に見舞われエルピーダは台湾子会社の工場に生産シフトを進め、広島はモバイル用に特化するなど試行錯誤を続けた
    • [139]1ドル97円まで円安が進み、DRAM単価は1.74ドル(2013年3月末時点)へ上昇
    • [140]エルピーダのシェアは13.5%(2012年末時点)で経営破綻直後からほぼ横ばい、広島で生産しても十分に利益が出る
    • [141]マイクロンがエルピーダを買収することでDRAMは世界3強体制に集約、10年前には15社で繰り広げられていた過当競争も一段落
  • 週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」
    • [142]1990年代初頭に50%あった日本の半導体メーカーの世界シェアは2010年時点で20%
  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
    • [134]坂本前社長は「産活法に認定されて、09年に政投銀から300億円の資本注入をしてもらった。これが中途半端だった」と述べた
    • [135]坂本前社長は「一番の失敗は300億円でリーディングバンクを政投銀にしたこと。政投銀がなければメインバンクがどこか出てきたはずだ」と述べた
    • [136]坂本前社長は「僕らが想定した携帯電話市場の成長が1年遅れていた」「あと1年待ったらすごい利益を出す会社になっていた。銀行が待てたか待てなかったかの問題だ」と総括した
    • [137]坂本前社長は「単体の13年4〜6月期は売上高1300億円で純利益390億円、そこに台湾子会社を加えると利益はもっと増える」と述べた
  • 週刊東洋経済 2013年4月27日・5月4日合併号「日の丸電機は完敗したのか」
    • [138]円高と壊滅的な価格下落に見舞われエルピーダは台湾子会社の工場に生産シフトを進め、広島はモバイル用に特化するなど試行錯誤を続けた
    • [139]1ドル97円まで円安が進み、DRAM単価は1.74ドル(2013年3月末時点)へ上昇
    • [140]エルピーダのシェアは13.5%(2012年末時点)で経営破綻直後からほぼ横ばい、広島で生産しても十分に利益が出る
    • [141]マイクロンがエルピーダを買収することでDRAMは世界3強体制に集約、10年前には15社で繰り広げられていた過当競争も一段落
  • 週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」
    • [142]1990年代初頭に50%あった日本の半導体メーカーの世界シェアは2010年時点で20%

エルピーダメモリの沿革1999〜2013年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
日本電気と日立製作所のDRAM事業を統合しNEC日立メモリを設立★★
DRAM製品の開発事業に参入
商号をエルピーダメモリに変更
直径300mmウェハ対応の自社工場E300Fabの建設に着手
坂本幸雄三菱電機よりDRAM事業を譲り受け、開発エンジニアを受け入れ★★
坂本幸雄生産を担当する子会社、広島エルピーダメモリを設立
坂本幸雄東京証券取引所市場第一部に株式を上場
坂本幸雄アキタ電子システムズの半導体後工程事業を譲受
坂本幸雄台湾・力晶半導体との折半出資によるDRAM生産合弁レックスチップの設立最先端の量産をなぜ広島ではなく台中に置いたか——税と用地の差が決めた生産立地 詳細を読む★★★
坂本幸雄Rexchip Electronics Corporationとテラプローブを子会社化
坂本幸雄改正産業活力再生特別措置法にもとづく日本政策投資銀行からの優先株300億円の受け入れ公的資金を入れるか、市場で調達し続けるか——一般企業として第1号となった資本注入 詳細を読む★★★
坂本幸雄会社更生法の適用申請と、米マイクロン・テクノロジーへの譲渡自力再建か法的整理か——2000億円の増資条件を前に、坂本幸雄社長は何を待っていたか 詳細を読む★★★
坂本幸雄負債総額4480億円は国内製造業で過去最大★★
坂本幸雄東京証券取引所が株式を上場廃止
坂本幸雄マイクロン・テクノロジーの子会社に★★
出典・参考
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【沿革】
  • 週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」
  • 週刊東洋経済 2004年8月7・14日合併号「エルピーダ『乾坤一擲』の勝負」
  • 週刊東洋経済 2002年12月21日号「インテルがエルピーダに出資 MPU『販促策』に頼る日本DRAM産業の現実」
  • 週刊東洋経済 2003年2月22日号「『再建請負人』が描く DRAM生き残り戦略」
  • 週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
  • 週刊東洋経済 2002年10月12日号「半導体苦境が続くエルピーダ 現実味増すインテル出資」
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【役員の状況】
  • 週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」
  • 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)【主要な経営指標等の推移】注記
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書(2009年3月期)【従業員の状況】
  • 週刊東洋経済 2009年1月31日号「半導体を覆う底なし不況 巨額赤字で動き出す業界大再編の行方」
  • 週刊東洋経済 2011年11月12日号「赤字転落のエルピーダ 迫る巨額返済の重圧」
  • 週刊東洋経済 2012年3月10日号「エルピーダついに倒産 支援先探しは難航必至」
  • 週刊東洋経済 2013年4月27日・5月4日合併号「日の丸電機は完敗したのか」
  • 株主プロ「エルピーダメモリ(6665)有価証券報告書一覧」
  • 週刊東洋経済 2012年4月21日号「広島工場は救われるのか エルピーダ争奪戦」

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